輪渡颯介『優しき悪霊 溝猫長屋 祠之怪』 犠牲者の、死んだ後のホワイダニット!?
時代怪談ミステリの第一人者、輪渡颯介の新シリーズ、早くも第二弾の登場です。「幽霊がわかる」ようになってしまう長屋の祠にお参りした四人の悪ガキたちの行く先々に現れる幽霊の男。現れるたびにその男が告げる人間の名前に込められた意味とは……
やたらとたむろしている猫が溝に入り込んでいることから「溝猫長屋」の異名を持つ裏長屋。ある一点を除けばごく普通のこの長屋に住む忠次、銀太、新七、留吉の四人が、しきたりに従って長屋の祠に詣でたのがすべての物語の始まることとなります。
実はかつて長屋で非業の死を遂げた少女を祀るこの祠は、詣でれば幽霊がわかるようになってしまうという曰く付き。しかもそれは、「嗅覚」「聴覚」「視覚」の形で、その時によって別々の子供に訪れるのです。
かくて、おかしな形で幽霊と関わり合うこととなった四人は、それがきっかけでとある事件を解決することになり、まずはめでたしだったのですが――彼らがその後おとなしくしているはずもありません。
寺子屋に建て替えの話が出たのをきっかけに、その間の仮移転先になる仏具屋・丸亀屋の空き店を訪れ、そこでかくれんぼを始める四人。しかしその最中、忠次は目の前でみるみるうちに腐っていく男の幽霊に遭遇し、一方で留吉は、幽霊が「おとじろう」と告げるのを耳にするのでした。
そしてその直後に店の裏手から発見されたのは、その幽霊として現れた男・儀助の死体。丸亀屋の娘の婿になるはずだった彼は、半年前に行方不明になっていたのです。
そして次の婿候補の名が「乙次郎」だったこと、そして乙次郎も行方不明となったことを知った子供たちは……
これまで(本来であれば)恐ろしい幽霊騒動を、たっぷりのユーモアと、ひねりの効いたミステリ味で描いてきた作者。もちろん本作においても、その味わいは健在です。
そんな中でも何よりも特徴的なのは、幽霊が現れるたびに、子供たちが一人一人、別々の三つの感覚で幽霊を感じ取ってしまう点であることは間違いないでしょう。
一度に全て感じてしまうのではなく、ある時は幽霊の姿を、ある時は幽霊の声を、またある時は幽霊(というか死体)の臭いを……子供たちがバラバラに感じ取ることで、恐ろしい状況が、何やらややこしい状況に一変してしまうのが楽しい。何しろ幽霊までも困惑してしまうのですから……
しかもこの遭遇がローテーション性(一度ある感覚に当たれば、同じ感覚はそれ以降回ってこない)だったり、今回も子どもたちの中で銀太だけ、毎回どの感覚にも当たらない(幽霊を感じられない)仲間外れ状態だったりというお約束が今回も健在なのが、実に愉快なのです。
しかし本作の面白さはそれにとどまりません。本作の最大の魅力は、幾度も子供たちの前に現れる儀助の幽霊の行動――現れる度に別々の人間の名前を口にする、その行動の謎にあるのです。
幽霊が誰かの名前を口にする――怪談話ではしばしば見られるこのシチュエーションですが、その内容は文字通りダイイングメッセージ、すなわち自分を殺した犯人の名を告げるのが一つの典型でしょう。
しかしそうだとしたら、毎回違う人物の名前が出るのに平仄が合わない。実は儀助が告げる名前には、ある共通点があり、警告としての意味があるのですが――しかしそうだとすれば、なぜそんな回りくどい行動を取るのか? 自分を殺した下手人の名を告げれば、一度に解決するはずなのに……
ミステリには、ある人物の行動の理由を解き明かすホワイダニットというスタイルがあります。ほとんどの場合、それは犯人の反抗理由なのですが――本作の場合、何と犠牲者の、それも犠牲になった後の行動のホワイダニットだったとは。
これは間違いなく、怪談ミステリというスタイルでなければ描けない内容であります。
正直なところ、犯人の正体自体は、容易に予想がつくところではあります。しかしこの変化球のホワイダニットにより、物語に意外性と、新たな興趣が生まれているのは間違いありません。
そして今回もまた、厳しくも温かく子供たちを見守る大人たちが、事件を丸く収めるために奔走するのですが――怖っ! この人たちの方がよっぽど怖い……
四人の子どもたちを引きずり回す自称箱入り娘のお紺も含め、幽霊や悪人とは別のベクトルでおっかない大人たちの「活躍」にも肝を冷やすことになる、何とも最後の最後までユニークな作品です。
『優しき悪霊 溝猫長屋 祠之怪』(輪渡颯介 講談社) Amazon
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