とみ新蔵『剣術抄 五輪書・独行道』第2巻 武蔵と出会った者の姿に浮かび上がるもの
巌流島の決闘から時を経て、壮年から老年にさしかかったその後の武蔵を描く物語の第2巻、完結編であります。病を得て死を目前とした武蔵の最後の大業とは、そして彼の生きざまが周囲の人々に与えた影響とは……
既に決闘の日々は遠く、今はある時は弟子に剣術を教え、ある時は絵画や鍔造りに勤しむ武蔵。本作はそんな彼の剣術だけでなく、彼の言動が、彼の教えが、周囲の人々に様々な影響を与える様を描いてきました。
もはや剣聖とも言うべき風格を感じさせる武蔵ですが、しかしそんな彼を付け狙う一つの影が。彼の隙をついて矢を射かける美しい女、その正体は……
という場面から始まったこの第2巻ですが、美しき刺客の正体は納得と言えば納得、意外と言えば意外なもの。
実は刺客の正体は男――かつて武蔵に舟島の決闘で敗れ、命を落としたかの佐々木小次郎の弟子であり、そして小次郎と愛し合った念友だったのであります。
いわば二重の意味で武蔵に怨みを持つ彼・桜京弥は、尋常の手段では武蔵を倒せぬとみるや、四人の武芸者を雇い、必殺の陣で待ち受けることになります。
無辜の子供を人質に取られ、両刀を手放した武蔵。己の四方を取り巻いた刺客に、無手の彼が如何に立ち向かうのか?
……こうしたいかにも剣術漫画(それも超一級の)、というシーンを存分に描きつつも、しかし、それに終わらぬ人間絵巻をも描いてみせるのが本作。
こうした武蔵自身の物語にとどまらず、本作は彼の周囲の、彼と関わりのあった人々の物語をも、並行して描いていくことになります。
江戸大火の際の養子・伊織と、彼の主君である小笠原忠真の行動とその後の身の処し方。島原の乱後の天草の代官となり、農民たちのために文字通り己の命を擲った鈴木重成。(この伊織、重成のエピソード、そして武蔵の一対四の決闘が並行して描かれるのが凄まじい!)
さらには剣の勝敗に生きてきた武蔵の参禅に疑問を抱く泰勝寺の高僧や、熊本は霊巌洞に籠もった武蔵の世話をする坊守の男の抱えた過去、そして武蔵打倒の夢破れた京弥……
彼らは全員が全員、武蔵と密接に関わったわけではありません。武蔵と剣の道で関わった者もいれば、全く異なる場で出会った、武士ですらない者も含まれています。
第1巻では登場人物の多くが実在の人物でしたが、第2巻では(おそらく)架空の人物も入り交じる中、あるいは本作は武蔵の物語から離れていくようにも見えますが――しかし決してそうではないのは、言うまでもありません。
本作で描かれるのは、有名無名に限らず、剣を手にするか否かに関わらず、武蔵と関わり合ったことで、その生きざまになんらかの影響を与えられた人々であり――そして彼らを通じて浮かび上がる、その人々に影響を与えた武蔵の姿なのであります。
それは確かに、明示的なものではないかもしれません。武蔵と出会って何かが変わったのではなく、武蔵と出会っても変わらなかった者もいます。
しかし、それでもそこには武蔵の、武蔵の剣の影響が必ずある。それこそが意味のあることであり――武蔵の至った剣境であると、本作は静かに語るのです。
武蔵が晩年、文字通り精魂傾けて記した「五輪書」。武蔵亡き後、それを精読した高弟・寺尾孫之允は、不世出の剣術者たる武蔵がこの世から姿を消したことに悲嘆の涙を流すのですが……
しかし、決して武蔵の全てが失われてはいないことは、物語の結末に登場する二人の人物――武蔵の後半生と濃密に交わった二人の姿を見れば、明らかでしょう。
精緻な剣術理論を漫画の形で描くと同時に、武蔵という人物の生きざまを通して、剣を手にした者の、人間の一つの理想を描いてみせた本作。
いかにも作者らしい滋味が溢れている――と思わせておいて、あとがきの最後の最後ではっちゃけてみせるのも、これもまた作者らしいと思わされる作品であります。
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