谷治宇『さなとりょう』 龍馬暗殺の向こうの「公」と「私」
「さな」と「りょう」――坂本龍馬の許嫁であった千葉さなと、坂本龍馬の妻だった楢崎龍の二人を主人公としたバディものとして、大いに話題となった作品であります。しかもその二人が挑むのは、共に愛した男――坂本龍馬暗殺の謎だというのですから、これは期待しないわけにはいきません。
舞台となるのは明治6年の秋――いまや門人もいない江戸桶町の千葉道場に一人暮らすさなの前に、りょうが突然現れたことから物語は始まります。
江戸で暮らしていた頃の龍馬と婚約を交わしつつも、その後龍馬と二度と会うことなく、彼への想いを胸に暮らしてきたさな。しかしそんな彼女にとって、龍馬の妻だったというりょうの存在は青天の霹靂であります。
しかもそのりょうは、いかにも武家の娘然としたお堅いさなとは正反対の、マイペースで下品でだらしない女性なのですから……
とはいえ兄・重太郎を頼ってきたというりょうを追い出すわけにもいかず、仕方なく居候させるさな。しかしりょうが行く先々で奇怪な剣の遣い手が跳梁し、次々と人死にが出ることになります。
実はりょうが龍馬の死に関わる人間を訪ねて歩いていたことを知るさなですが、しかしりょうは肝心なことを語らない上に、一連の事件には政府から圧力がかかっている様子。
仕方なくりょうと行動を共にすることになったさなは、旧知の勝海舟や山岡鉄舟の力を借りつつ、謎に迫っていくのですが……
幕末史上おそらくは最大の謎として名高い龍馬暗殺。その実行犯についてはある程度判明しているようですが、しかしその理由までも含めれば今なお諸説紛々で、フィクションの格好の題材と言えます。
本作もそうした龍馬暗殺の謎を追う時代ミステリですが、もちろん最大の特徴はこれまで縷々述べてきたように、探偵役がさなとりょうである点であることは言うまでもありません。
ともに龍馬とは縁浅からぬ(どころではない)関係である上に、後世に伝わる人物像においても大きく異なる二人。そんな二人を、本作はさらにユニークにデコレートしてみせるのです。
「鬼小町」の異名通り、剣を取れば並みの男では及びも付かぬさなと、拳銃の腕前は龍馬以上だったというりょう。
静と動、剣と銃、水と油――全く正反対にキャラの立った二人が、激しく反目し合いながらも共に愛した男のために冒険を繰り広げる姿を、本作は興趣たっぷりに、しかし地に足の付いた文章で描き出します。
(本作の新人離れした筆致には感心させられますが、しかし予想通りであれば、この名前では初めてでも、以前に数作作者は発表しているはず……)
とはいえ――正直な印象を申し上げれば、事件の真相自体は、そこまで独創的というわけではないようにも感じられます。
もちろん、幾重にも入り組んだ仕掛け、一つの謎が解けてもさらにその奥が、という構造は実に面白いのですが、しかし、予想の範囲内ではあった、と初めは感じられました。
何よりも、探偵役がさなとりょうでなくとも成立した内容なのでは――などと思ってしまった僕の浅はかさは、しかし終盤において完膚なきまでに打ち砕かれることになります。
そう、終盤で明かされる龍馬暗殺の動機――維新の巨星が語るその理由こそは、まさしく本作ならではのものなのですから。
その内容に踏み込まずに評するのはなかなか難しいのですが、ここに描かれるものは、「公」という大義名分の下に他人をそして自分までも利用し、打ち捨てて顧みない者たちに対して、自分の愛する者を護り、共に在りたいと願う「私」の姿であると言えるでしょう。
そんないつの時代にも存在するその両者のうち、本作における「公」の代表が、維新において暗躍してきた、そして明治政府で権力の座に就いた者たちであり、そしてそれに対して強烈なカウンターを食らわせるのが「私」の代表たるさなとりょうであると――そう述べることは許されるかと思います。
そして結末に待ち受ける「最後の一撃」、あまりに美しく切ないその真実は、その公と私のせめぎ合いに傷つけられた本作最大の犠牲者に対する、最高の救いであったと言うべきでしょう。
人物の意外な取り合わせと巧みな描写、ストーリー構成の妙、一本筋の通った問題意識――そのどれもが高水準でありつつも、僕が本作を最も好ましく感じるのは、このラストに込められた眼差しなのであります。
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