武内涼『駒姫 三条河原異聞』(その一) ヒーローが存在しない世界で
戦国時代(安土桃山時代)でも屈指の悲劇あるいは惨劇と言うべき、三条河原での豊臣秀次の妻妾の処刑。その中でも最も理不尽な運命を辿ることとなった最上義光の娘・駒姫と、彼女に関わる人々の姿を描いた、哀しくも、力強い希望を感じさせる物語であります。
文禄4年(1595年)、関白にまで登りつめながら謀反の疑いを受け、叔父・秀吉の命によって切腹させられた豊臣秀次。しかしことはそれに収まらず、秀次の妻妾と子、総勢39名が三条河原で処刑され、その死体は家族が引き取ることも許されず、「畜生塚」と名付けられた塚にまとめて葬られることとなった……
こうして史実を記していても胸が悪くなるようなこの事件を、本作は史実とフィクションを巧みに交えつつ、一つの物語として再構成いたします。
謀略で家と土地を守ってきた羽州の狐・最上義光が、目に入れても痛くないほど可愛がってきた愛娘・駒姫。東国一の美女として知られる彼女が、秀次に見初められたことから、悲劇は始まります。
義光も言を左右にして逃れようとしたものの、天下の関白の前には限りがあり、ついに十五歳の年に京に向かうこととなった駒姫。駒姫は、姉のように慕う御物師(裁縫師)・おこちゃら数名とともに、聚楽第に入ることになります。
しかし当時、淀君との間に秀頼が生まれたばかりの秀吉は、己の子に天下を継がせるために秀次排除を決意。言いがかり同然に高野山に押し込められた秀次に、駒姫は目通りすることもないまま、時間は過ぎていきます。
そして秀次の切腹、妻妾の処刑の命が秀吉から下り、彼女たちとともに罪人のように押し込められる駒姫とおこちゃ。
当然ながら駒姫たちを救わんとする義光ですが、彼もまた秀次との連座の疑いをかけられ、表だって動けぬ状態であります。かくて義光は、懐刀の軍師・堀喜吽、そして次代を担う若者であり、おこちゃの許婚である鮭延主殿助に、駒姫救出のための工作を命じるのですが……
ここではっきりと断らせていただけば、本作は作者がデビュー以来ほぼ一環として発表してきた時代伝奇小説ではありません。本作はあくまでも歴史小説――すなわち、ここで描かれる史実は決して変わらないのであります。
本作で描かれるのは超人的な技を操る忍者や術師といった、頼もしいヒーローが存在しない世界。ごく普通の人々が生き――そして死んでいく世界なのです。
それでは本作で描かれるものは、単なる絶望のみなのでしょうか。理不尽に運命に翻弄され、道理に合わぬまま死んでいく者たちを描くのみなのでしょうか?
その答えは否であります。この物語で描かれるのは悲しみではなく怒り、諦めではなく誇り、絶望ではなく希望――人の世の、いや権力者の理不尽に対して最後の最後まで屈することなく、昂然と顔を上げて戦い抜いた人々の、誇り高き姿なのであります。
そしてその姿とは――以下、次回に続きます。
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