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2017.10.31

大柿ロクロウ『シノビノ』第1巻 最後の忍びの真の活躍や如何に

 少年サンデー史上最高齢主人公、という謳い文句もユニークな本作――幕末に実在し、あのペリーの黒船に潜入したという、最後の忍び・沢村甚三郎(58)の歴史の陰での活躍を描くユニークな時代活劇であります。

 1853年、浦賀沖に来航したマシュー・ペリー率いる4隻の軍艦からなる艦隊。言うまでもなく、幕末という時代を招くこととなった「黒船」であります。

 一歩間違えればアメリカと開戦に繋がりかねない状況に、幕閣も対応に悩む中、老中・阿部正弘が招請したのは一人の老人――一見単なる隠居老人にしか見えぬその人物こそは凄腕の忍び・甚三郎。
 そしてこの事態を打開するため、老中が甚三郎に下した命は、実現不可能としか思えぬものでした。

 一方、ペリー側は日本との戦端を開くために日本側を挑発。それを担うのは、「部外戦隊」なるいずれも一癖有りげな兵士たち。
 そして日本側にも、黒船を奪取せんと目論む狂熱的な人物が暗躍、事態はいよいよ混沌として……


 冒頭に述べた通り、幕末に実在した忍びを主人公とした本作。
 彼だけでなく、もちろんペリーも阿部老中も、甚三郎に巻き込まれることになる黒船の日本人乗組員(!)も、黒船強奪を目論む人物とその弟子も――本作に登場するキャラクターの多くは実在の人物であります。

 そんな史実をベースにする――言い換えれば、史実という制約の中で大活劇を展開してみせるのが、本作の魅力でしょう。

 そしてその魅力と直結するのが甚三郎の存在――そして彼の使う「忍術」であることは間違いありません。
 猫の瞳で時刻を知るという、なんとも懐かしい(?)ものから自然現象をも操る強大なものまで、決して物理現象や人間の力を逸脱した忍法ではないものの、それだからこそ面白いのです。
(水蜘蛛はまあ、ギリギリセーフということで)

 こうした「リアルな」忍術、そして基本的に人間臭い甚三郎のキャラクターも相まって、この世界でかつて実際に起きた出来事の、その裏側で起きていたかもしれない戦いを、地に足の着いたスタイルで――もちろん漫画としてのケレン味を十二分にキープしつつ――描こうとしているのには好感が持てます。


 ……が、それであればもう少し気を使えばよいのに、と感じる点も皆無ではありません。

 特に、物語冒頭に登場して甚三郎に腕試しを挑んだ武士たちが「江戸幕府」と連呼したり、甚三郎監視のためにつけられた少女の役職が「徒目付」であったりする点は、何となく理由はわかるものの、もう少し何とかならなかったのかな、と感じます。

 私はあまり考証に気を使う方ではありませんが、上で述べたような本作のムードがあるだけに、こうした点がどうしても気になってしまうのであります。


 こうした点は気になるものの、やはり題材や方向性としては実に面白い本作。
 実は史実では甚三郎の潜入成果は「最後の忍び」を象徴するようなあまりに物悲しい代物だったのですが、本作においてはそれで終わるはずもないでしょう。

 最後の忍びの真の活躍がいかなるものであるか、この先の展開に期待しましょう。


『シノビノ』第1巻(大柿ロクロウ 小学館少年サンデーコミックス) Amazon
シノビノ 1 (少年サンデーコミックス)

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2017.10.30

黒乃奈々絵『PEACE MAKER鐵』第13巻 無双、宇都宮城 そして束の間の……

 まだまだ続く地獄道、『PEACE MAKER鐵』の第13巻は、前巻に続き宇都宮城の戦いが描かれることとなります。近藤を救うため、宇都宮城を包囲する新政府軍と決死の思いで激闘を繰り広げる土方。その一方で、新政府軍の陣を脱出して逃避行を繰り広げる当の近藤の向かう先は――

 新政府軍の伊地知に捕らえられた近藤を救うために勝の力を借りる交換条件として、大鳥圭介率いる伝習隊と行動を共にすることとなった土方。しかし宇都宮城で新政府軍と交戦することになった土方は、多勢を前に殿として戦い、窮地に陥いることになります。
 と、そこで土方のもとに駆けつけたのは、なんとなんと袂を分かったはずの原田左之助! 土方の剣に原田の槍、さらには辰之助の銃も加わり、一騎当千の大暴れを繰り広げることとなります。

 一方、野村利三郎の活躍(というより彼に引っ張られて)伊地知の陣を脱出した近藤は、伊地知の放った熊(!)の追跡をかわしながらも必死の逃避行を続けることに……


 というわけで、原田参戦、近藤脱出と、一見史実と異なるルートに入ったかに見える本作。それはいかがなものか、という方もいらっしゃるかもしれませんが、ここのところの鬱展開の中で見えた一筋の光明にすがりたいのがファン心理というものであります。

 そしてそんな気持ちに応えるかのように、この巻の冒頭で繰り広げられる土方&原田&辰之助の大暴れは実に気持ちがいい。
 敵兵を当たると幸いなぎ倒す、まさしく無双状態の彼らは、こんな新選組が見たかった! と言いたくなるような痛快さであります。
(ここに丸太を担いだ島田も加わってもう大騒ぎ)

 と、そんな中でも不気味な冷静さを保っているのが辰之助。目からハイライトが消えた彼は、ここのところ狙撃手として急成長――と思いきや、成長しすぎて何だかスゴい感じの面白ガンマンキャラとして参戦することになります。

 ロングコートを思わせる羽織の下に死神めいた支持架(?)を装着した彼は、ロングライフルと自作の携帯用ダブルガトリングガンを手に、手のつけられない死神(あっ)ぶりを発揮するのですから驚くほかありません。

 この巻で宇都宮城を包囲するのは、大鳥の教え子である薩摩藩士・大山弥助。言うまでもなく後の大山巌――西郷隆盛の従兄弟にして、日本陸軍を率いて日清・日露の両戦争を戦い抜いた豪傑であります。
 その大山が持ち込んだ最新鋭の連発砲台を相手に、単身辰之助がガンバトルを繰り広げるのがこの巻の前半の山場とも言うべき展開なのですからもうたまりません。


 しかしこの巻の真の山場は、この先にあります。白兵戦での奮闘ももむなしく、圧倒的な物量の前に押される新選組勢。大山軍の一斉砲火の前に目も霞み、立ち上がるのがやっとの土方の前に現れ、彼をかばって火砲の前に立った男とは……

 それが誰であるかはここでは述べますまい。しかし、それが、ここで土方が最も会いたかった男である――と申し上げれば十分でしょう。
 あくまでも一瞬の出会い、あまりに皮肉すぎるすれ違いではありますが――しかし、ここで男が土方にかけた言葉に込められた無限の想いには、もう胸を熱くするほかありません。(そしてその言葉の意味するところも……)

 ここまでの史実を離れた展開は、このシーンのためであったか! と大いに納得したと同時に、新選組ファンにとっての大きな不満、あるいは無念をこんな形で晴らしてくれるとは――と作者の粋な計らいに頭が下がるばかりであります。

 もちろん、この場面があったからこそ、この先がますます辛くなるのもまた真実なのですが……


 意外な出会いを経て、土方の戦いはどこに向かうのか。そしてやはり歴史は変わらないのか。
 今回はほとんど出番のなかった鉄之助の役割も気になるところ、やはり先を早く読みたいような読みたくないような――そんな物語であります。


『PEACE MAKER鐵』第13巻(黒乃奈々絵 マッグガーデンビーツコミックス) Amazon
PEACE MAKER 鐵 13 (マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ)


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 黒乃奈々絵『PEACE MAKER鐵』第10巻 なおも戦い続ける「新撰組」の男たち
 黒乃奈々絵『PEACE MAKER鐵』第11巻 残酷な史実とその影の「真実」
 黒乃奈々絵『PEACE MAKER鐵』第12巻 逃げる近藤 斬る土方 そして駆けつけた男

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2017.10.29

入門者向け時代伝奇小説百選 幕末-明治(その一)

 入門者向け時代伝奇小説百選も、いよいよ最後の時代に突入。幕末から明治にかけてを舞台とする作品であります。

81.『でんでら国』(平谷美樹)
82.『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』(澤見彰)
83.『慶応水滸伝』(柳蒼二郎)
84.『完四郎広目手控』(高橋克彦)
85.『カムイの剣』(矢野徹)

81.『でんでら国』(平谷美樹) Amazon
 時代小説レビュー以来、ユニークな作品を次々と発表してきた作者が、老人たちと武士が繰り広げる攻防戦を描いた快作が本作です。

 棄老の習慣があると言われる大平村。しかしその実、村を離れて山中に入った老人たちは、彼らだけの国「でんでら国」を作り、村の暮らしをも支えていたのでした。
 ところが村の豊かさに目を付けた藩が探索のために役人を派遣。あの手この手で老人たちはこれに抵抗するものの、いよいよでんでら国に危機が……

 でんでら国というユニークな舞台設定に見られる奇想、武士たちに決して屈しない老人たちの姿に表される気骨、そしてその先にある相互理解の姿を描く希望――作者の作品の魅力が凝縮された集大成とも言うべき作品です。

(その他おすすめ)
『貸し物屋お庸』シリーズ(平谷美樹) Amazon
『ゴミソの鐵次 調伏覚書』シリーズ(平谷美樹) Amazon


82.『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』(澤見彰) Amazon
 絵を描くことだけが楽しみの孤独な武士・外川市五郎が出会った少女・桂香。心を閉ざしていた彼女と絵を通じて心を通わせた市五郎は、やがて二人で「現絵」――死者があの世で楽しく暮らす姿を描き、後生を祈る供養絵を描くようになります。
 厳しい現実を忘れさせる供養絵で人々の心を和ませる二人ですが、しかし悪政に苦しむ人々が一揆を計画していることを知って……

 これまで妖と人間が共存する世界でのコミカルな物語を得意としてきた作者。本作もその要素はありますが、むしろ中心となるのは、人の世界の重い現実の姿であります。
 物語を「イイ話」で終わらせることなく、一歩進めて重い現実を描き、さらにそれを乗り越える希望の存在を描いた名品です。


(その他おすすめ)
『もぐら屋化物語』シリーズ(澤見彰) Amazon


83.『慶応水滸伝』(柳蒼二郎) Amazon
 アウトローと呼ばれる男たちの生き様を数多く描いてきた作者による、町火消にして大侠客として知られた新門辰五郎の一代記であります。

 幼い頃に両親を火事で失い、町火消の頭に引き取られて火消として活躍する辰五郎。やがて町火消の頂点=江戸最高の「侠」となった彼の前には、綺羅星のような男たち――忠治、次郎長、海舟、慶喜、さらには座頭の市らが現れ、ともに幕末の激動に挑んでいくのであります。

 いずれも一廉の人物である侠たちが出会いと別れを繰り返すという点で、「水滸伝」を冠するに相応しい本作。
 どんな道を歩もうとも決して己の節を曲げず、己の心意気を貫いた者たちの姿が堪らない、作者の江戸水滸伝三部作のラストを飾る快作です。

(その他おすすめ)
『天保水滸伝』(柳蒼二郎) Amazon
『明暦水滸伝』(柳蒼二郎) Amazon


84.『完四郎広目手控』(高橋克彦) 【ミステリ】 Amazon
 ミステリ、歴史、ホラー、浮世絵など、作者がこれまで扱ってきた題材のある意味集大成と言うべきユニークな連作集であります。

 主人公・香冶完四郎は名門の生まれで腕も頭も人並み外れた青年ですが、今は「広目屋」――今でいう広告代理店の藤岡屋の居候。そんな彼が、相棒の仮名垣魯文とともに様々な江戸の噂の裏に潜む謎を解き、金儲けに、人助けに、悪人退治にと活躍するのが本作の基本スタイルです。

 広目屋というユニークな題材と、虚実入り乱れた登場人物が賑やかに絡む本作。
 毎回の完四郎の快刀乱麻の謎解きと、それを活かした金儲けも楽しいのですが、終盤に描かれるある歴史上の大事件を前に、金儲け抜きで奔走する彼らの心意気も感動的であります。


85.『カムイの剣』(矢野徹) 【忍者】 Amazon
 りんたろう監督によるアニメ版を記憶している方も多いであろう、奇想天外な大冒険活劇であります。

 謎の敵に母と姉を殺されて公儀御庭番首領・天海に拾われ、忍びとして育てられた和人とアイヌの混血の少年・次郎。やがて父の形見の「カムイの剣」に巨大な秘密が秘められていることを知った彼は、抜忍となって海を超えることになります。
 キャプテン・キッドの遺した財宝を巡る冒険の末、次郎は、幕末史を陰から動かしていくことに……

 日本はおろかカムチャツカから北米まで、海を越えて展開する気宇壮大な物語である本作。同時に、周囲から虐げられ過酷な運命に翻弄されながらも、一歩一歩成長していく次郎の姿が感動的な不朽の名作であります。



今回紹介した本
[まとめ買い] でんでら国ヤマユリワラシ ―遠野供養絵異聞― (ハヤカワ文庫JA)慶応水滸伝 (中公文庫)完四郎広目手控 (集英社文庫)カムイの剣 1巻+2巻 合本版 (角川文庫)


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 入門者向け時代伝奇小説百選

 『でんでら国』(その一) 痛快なる老人vs侍の攻防戦
 澤見彰『ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞』 現の悲しみから踏み出す意思と希望
 『慶応水滸伝』(その一) 侠だ。侠の所業だ!
 高橋克彦『完四郎広目手控』 江戸の広告代理店、謎を追う

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2017.10.28

風野真知雄『女が、さむらい 最後の鑑定』 意外すぎる最終決戦!?

 女剣士と元御庭番のカップルが、村正をはじめとする数々の刀剣絡みの事件に挑むシリーズもいよいよ最終巻。彗星が江戸湾に落下したことから物語は急展開、異様な姿に変貌していく世界を舞台に、意外すぎる真の敵との最後の戦いが描かれることになります。

 男が頼りなく、女が逞しくなってきた江戸時代――村正を巡る事件で足の自由を失って刀鑑定屋となった御庭番・猫神創四郎と出会い、ともに様々な事件を解決することとなった北辰一刀流筆頭の女剣士・秋月七緒。

 そんな二人の前には、様々な者の手を転々とする月光村正、ねずみ村正、淫ら村正の三本の村正が、幾度となく現れることになります。
 徳川家に仇なすと妖刀と言われる村正の中でも特別な意味を持つと思われるこの三本に将軍家慶が異常な執着を見せるようになったことから、事態は大きく動き出すことに……

 無気力で「そうせい様」などと陰口を叩かれていたのがある日突然一変、自ら御庭番頭領を粛正して奇怪な術を操る忍びたちとともに村正探索に乗り出した家慶。
 さらに、天空を不気味な色に染め、江戸湾に落下した彗星と呼応するように、その忍びたちに斬られたはずの二人――尾張徳川家の若さまとその剣の師が復活、一路江戸城を目指すではありませんか。

 一方、七緒と創四郎も、虎徹という「聞いたこともない」刀を持ち込んできた男が現れたのをきっかけに、何かとてつもない変事が起き始めたことを察知。
 来るべき危機に対抗する力を持つという七本の村正を集めようとする二人がやがて知ることとなる恐るべき敵の正体と、この世界の真実とは……


 いやはや、前作のラストで急展開を予感させた本シリーズですが、最終巻で描かれるのは、まさしく想像を絶するとしか言いようのない、とんでもないにもほどがある超展開の連続。
 その内容を申し上げれば大きく興を削ぎかねないため、敢えて伏せたままとさせていただきますが、シリーズ開始時点の時点でこの展開を予測できたのは間違いなく作者のみ(いや失礼を承知で申し上げれば作者も予測していなかったのでは……)と言うほかない凄まじさであります。

 しかしその一方で、本作のムード自体はこれまでのシリーズと、いやこれまでの作者の作品と変わらぬ、どこか緩くユーモラスなものなのが実に面白い。
 まさしく世界崩壊の危機にある状況においてもどこか暢気で緊張感のないキャラクターたち(特に創四郎の母と姉)の存在感は、好き嫌いはあるかもしれませんが、その盛大なギャップが実に作者らしいと私は気に入っています。

 実のところ、本作の題材や趣向自体は決して前例のないものではないのですが、このギャップから生まれる衝撃と違和感は、唯一無二のものであると言えるのではないでしょうか。


 もっとも、やはり色々と困ったところがあるのも(山のように)また事実。

 中盤以降は時代小説としては完全にコースアウトとしか言えない展開になる――一応エクスキューズも用意されているのですが――のは、個人的には残念ではあるものの、好みの範疇かと思います。
 しかしいくら○○○でも、この時代にこの言葉はないだろうという言葉が出てきたり、比較的重要な人物がいきなり登場したり(その逆にあっさり退場する人物が)、色々と粗い点が見られるのは、非常に残念であります。

 さらにいえば、真の敵にあからさまに現実のモデルがいるのも、作者らしからぬ悪い意味での生々しさという印象があります。
(もっともこの敵に将軍が○○されることを思えば、作者らしい皮肉ととれなくもありませんが……)

 いずれにせよ、本作で描かれるのがインパクト絶大な内容であるからこそ、時代小説として足元をしっかりと固めて欲しかった――と、これは大いに勿体なく感じたところであります。


 とはいうものの、作者がこれだけのビッグネームとなってもそれに安住せず、様々な冒険をしてくれるのは、個人的には大歓迎であります。

 正直に申し上げて、真面目な読者の方は怒り出しても不思議ではない内容ですが――本作は作者でなければ書けなかった作品であることは、間違いないことでもあります。


『女が、さむらい 最後の鑑定』(風野真知雄 角川文庫) Amazon
女が、さむらい 最後の鑑定 (角川文庫)


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2017.10.27

平谷美樹『雀と五位鷺推当帖』 遊女探偵、事件と世間に挑む

 これまで次々とユニークな時代小説を発表してきた平谷美樹ですが、その中にはミステリ味が濃厚な作品も少なくありません。本作もそんな作品の一つ――開府直後の江戸を舞台に、遊郭の太夫と妹女郎が、怪事件に対して推当(推理)を繰り広げる、異色の時代ミステリであります。

 江戸の遊郭にその人ありと知られた五位鷺太夫は、美人で売れっ妓ながら、実は性格は最悪の曲者。その妹女郎・雀も、まだ見世にも出してもらえず、もっぱら太夫の身の回りの世話に振り回されている毎日であります。 その頃、まだ幕府が開かれた直後の江戸は何かと物騒な状況。そんな中で、彼女たちの傾城屋に出入りしている呉服屋が辻斬りに遭い、命を落とすという事件が発生します。

 それに興味を抱いた五位鷺は、雀に事件を調べるよう命令。幕閣や町奉行が参加する寄合に侍ることもある五位鷺は、そこで事件の推当を披露することで、有力者の気を惹こうというのであります。
 かくて事件の噂を追って江戸市中を奔走する雀ですが、判明したのは、確かに呉服屋は傷を負っているのに、誰も犯人を見ていないという不可解な事実。

 やがて事件は町奉行も興味を持つこととなり、密かに奉行から探索を命じられた雀は、奉行所の同心や、意外な人物とともに、辻斬り事件の真相に迫るのですが――


 まだまだ形が定まっていない時代の江戸という、何とも魅力的な世界を舞台とする本作。その舞台となる慶長11年はそもそも豊臣家が健在であり、いつ東西で大戦が起こるかわからない時期であります。
 特に江戸の夜を騒がす辻斬り強盗の類いは、あるいは西国の隠密かもしれず――と疑おうと思えば疑える状況です。(そこにある歴史上の有名人の存在が絡むことで、物語に伝奇的な側面が生まれるのも実に嬉しい)

 本作はそんな世情を背景に、遊郭の太夫がいわば安楽椅子探偵として怪事件を推理するという実にユニークな物語。
 もちろん遊女が探偵役の物語は前例がないわけではありませんが、本作の場合、その動機(?)が、寄合の場で給仕をする際に(これもまた江戸初期の混沌の産物でしょうか……)、話の種とするため、というのは、これはかなり珍しい趣向というべきでしょう。

 何よりも、五位鷺の裏表ありまくりの根性悪ぶりが――そしてその中でチラリと見せる情の存在が、何とも魅力的なのであります。

 その一方で、彼女たちのある意味後ろ盾となる町奉行側にも、もちろんそれなりの思惑があるのも面白い。
 先に述べた騒然たる世情と、まだ混沌とした幕府内の(政治的な)勢力図。その中を渡り歩くための武器として、事件の情報を必要とする――というわけで、遊女側と町奉行側の思惑が合致するという展開には驚きかつ納得したところであります。


 しかし、本作の探偵役は五位鷺のみではありません。彼女の情報収集役であると同時に、もう一人の探偵である雀の活躍が本作のメインであり、彼女のキャラクターは、これはこれまで少女主人公を幾人も描いてきた作者ならではの存在感があります。

 そしてその彼女の存在は、探偵役であるという以上に、物語において大きな意味を持つことになります。農家の生まれながら、貧困から口減らしのために遊郭に売られた雀。それはもちろん、彼女一人のことではなく、作中に登場する遊女たちのほとんどに共通する事情であります。

 戦乱や悪政――さらに言えば社会の上に立つ者たちや彼らにすり寄る者たちの気儘な振る舞いによって生まれた様々な歪みによって社会からはじき出された形の雀たち。
 やがて解き明かされる意外な真相は、この事件がそんな雀「たち」自身のものであり、そしてその事件に挑むことが、雀にとって世間と対峙することと同義であったことを浮き彫りにするのです。
(しかし本作はさらにそこに大いなる皮肉を用意しているのですが――それはさておき)


 正直なところを言えば、事件の真相がいささか唐突に感じられないでもありません。また上で述べた幕府も絡んだ大きな物語構造と事件の真相の間に、少々ズレを感じないでもありません。(上でチラリと述べた意外な人物の扱いも……)

 しかし後者については、今後シリーズが続いていけば解消していくものでしょう。
 そして何よりも、世の人々を苦しめる世の在り方に対して、五位鷺と雀がこの先噛みついていく――「仕方ないことは、仕方ない」などということはないことを証明してくれるだろうと、今から楽しみにしているのです。


『雀と五位鷺推当帖』(平谷美樹 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
雀と五位鷺推当帖 (時代小説文庫)

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2017.10.26

若林不二吾『風雲ライオン丸』 第三の、時代劇画としての風雲ライオン丸

 漫画版『風雲ライオン丸』は、先日紹介した一峰大二版だけではありません。本作はうしおそうじが若林不二吾のペンネームで執筆した作品――TV版の設定・ストーリーを踏まえつつ、繊細かつ迫力あるタッチで描かれた、もう一つの漫画版であります。

 現在ではピープロ社長として語られることがほとんどであるものの(かく言う私もこちらの知識しかなかったのですが)、元々は漫画家として大活躍していたうしおそうじ。
 本作はそのうしおそうじが自らの手で自作を漫画化した作品であります。

 連載媒体はサンケイ新聞、一回一ページという新聞連載漫画にはままある形態ですが、しかし本作のような内容の作品をこの形で描けるのか……? という疑問は、本作を前にすれば愚問であることがわかります。
 毎回一ページをフルに使ってテンポ良く物語を展開させると思えば、時に思い切った大ゴマで決めてみせる。緩急自在に描かれる物語は、今読んでみても実に面白いのであります。

 そして繊細で、かつきっちりと細部まで描き込まれた絵柄は、太い描線の一峰作品とは全く異なる味わい。
 変身ヒーローものである以上に、時代劇画としての空気を色濃く漂わせる画は、こういうコミカライズが見たかった、という気持ちにさせられます。


 さて、そんな本作ですが、先に述べたようなスタイルの連載であるためTV版の忠実な漫画化とは当然いきません。必然的にダイジェストとなります。

 現在、角川書店版の『快傑ライオン丸』第2巻に収録されている前半部分は、TV版の第1話(ネズマ)と第3話(ドカゲ)の物語のミックスに第2話の豹馬登場を絡めてライオン丸誕生を描く内容。
 同じく『風雲ライオン丸』に収録の後半は、第11話(ザグロ)の物語をベースに豹馬の死を描き、並行して第15話のゾリラが最強怪人として開発される様が描かれ、そこから一気に最終話に突入――という展開です。

 これを見ればわかるように、ライオン丸登場までを非常に丹念に描くのが本作の特徴の一つであります。
 開幕しばらく描かれるのは、TV版第1話で描かれた獅子丸の兄・弾影之進の苦闘と敗北。実に獅子丸の登場は開幕20ページほどを過ぎてからというペースなのですから(志乃・三吉兄弟と出会うのは影之進の方が先)。

 そしてライオン丸登場は70ページを過ぎた頃(これまた変身はブラックジャガー(本作ではジャガーマン)の方が早い)。
 上に述べた連載形式のことを思えば、実に二ヶ月以上経ってからの変身というのはずいぶんと思い切ったものですが、そこに至るまでの丹念な描写の積み重ねが、大きなカタルシスを呼ぶのであります。

 そして後半はTV版の内容を踏まえつつも、かなりの部分でオリジナルの展開を用意しているのが嬉しいところです。
 特に、豹馬を斃した後、相棒のズクを獅子丸に倒されて本拠に逃げ帰ったザグロ(ここでアグダーに愛想を尽かされて放置されるのがおかしい)が、怪人軍団を率いて獅子丸に挑むも、アグダーから謀反人扱いされて――というオリジナル展開が面白い。

 一方でその後のゾリラやアグダーとの決戦以降は驚くほど駆け足なのが残念ですが、TV版とは異なるアグダーの真の狙いや、志乃と三吉の父の行方を絡めての結末は悪くありません。特に最終回、一ページぶち抜きで描かれる志乃の美しい姿は強く印象に残ります。


 そんなわけで、総じて『風雲ライオン丸』という物語を再構成して、時代劇画として再構成してみせたという印象の強い本作。
 『風雲ライオン丸』という作品の様々などぎつさを巧みに薄めつつ、しかしその美しく迫力ある画で補ってみせた、第三の『風雲ライオン丸』として満足できる作品です。

 もっとも、この漫画版でも錠之助の印象は薄く、豹馬と立ち会って片目を潰されるという展開は面白いものの、やはり突然出てきた正体不明の男、という印象は否めないのが残念なところ。
 TV版とは異なり、最終決戦に参加できたのが救いですが……(ちなみにこの時、何故か両目が揃っている)


 ちなみに、本作、冒頭のマントルゴッドとアグダーの会話の中で、マントル一族が虫の生命力と人間の知恵を混ぜ合わせて(誰が?)生まれた存在と語られているのが興味深い。
 また、獅子丸のポンチョが母の形見で、ライオン丸もポンチョの導きが作用しているように感じられる描写もあり、サラリと気になる内容が盛り込まれている作品でもあります。

『風雲ライオン丸』(若林不二吾&うしおそうじ カドカワデジタルコミックス『快傑ライオン丸』第2巻・『風雲ライオン丸』所収)
快傑ライオン丸(2) (カドカワデジタルコミックス)風雲ライオン丸 (カドカワデジタルコミックス)


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2017.10.25

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇2 強敵襲来、宋国十節度使!

 書籍化がスタートした『絵巻水滸伝』第二部、その第1章というべき「招安篇」の第2巻であります。一時の平安を楽しんでいた梁山泊に対して行われた朝廷からの招安。しかし交渉は決裂し、童貫率いる官軍三万が梁山泊を襲うことになります。それに対し、オールスターで当たる梁山泊ですが……

 天子のお膝元、東京での元宵節の灯籠祭りで梁山泊一党が騒動を引き起こしたことをきっかけに――そしてさらに朝廷内の暗闘も絡んで――降って湧いたように行われた梁山泊への招安。
 しかし高キュウらの陰謀もあり、当然というべきか招安の交渉は決裂し、いよいよ朝廷軍の攻撃が始まることになります。

 その朝廷軍の総大将は四奸の一人・童貫――権謀術数に長けた宦官にして武人という怪人物。
 彼の率いる三万の大軍が四門斗底陣で挑めば、迎え撃つ梁山泊軍は九宮八卦陣で迎え撃ち……

 と、この辺りは原典ではほとんど梁山泊の一人いや百八人舞台、ひたすら派手に豪傑たちが暴れ回る展開だったのですが――本作では官軍側も決して一方的に押されるばかりではありません。
 しかしそれでも梁山泊軍は強い。次々と襲いかかる官軍を蹴散らし、ついに童貫に猛追するかに見えたその時――梁山泊の四方から突如として現れたのは十の軍団!

 「宋国に十人の節度使あり。武勇をもって、賊寇夷狄を圧殺す」――その大半が元緑林の豪傑たち、招安を受けて官軍となった猛将たちが、梁山泊撃滅のために大宋国各地から集結したのであります。

その名も――
 老風流王煥
 薬師叙京
 鉄筆王文徳
 梅大郎梅展
 飛天虎張開
 あだ名なき韓存保
 李風水李従吉
 千手項元鎮
 西北風荊忠
 ラン路虎楊温

 一人一万、合わせて十万の大軍で梁山泊を包囲する節度使軍。そして童貫の傍らで計を巡らせる軍師は、呼延灼・関勝・韓存保とともに宋国四天王と並び称された男、聞煥章……
 官軍の総力を結集した布陣に、さしもの豪傑たちも梁山泊への撤退がやっとの状況で、かつてない危機を迎えることになります。


 原典でいえば第76回から第78回にかけての内容となる今回。しかし上で述べたとおり、童貫軍は原典ではあっさりと敗れ、十節度使もそれよりはマシ、という程度の扱いで敗退することとなります。
 しかし本作――原典の足りない部分を補い、より魅力的なキャラクターと物語を生み出してきた本作において、それが彼らに対しても及ぶとは! と驚くほかありません。

 たとえば十節度使は、原典では渾名なしだったものが、上で挙げたように本作ではなかなかに格好良い渾名を設定(「あだ名なき」というのもシビれます)。
 しかしそれが単なる創作ではなく、例えば王煥であれば彼を主人公とした劇から、楊温であれば彼を主人公とする小説からと、その多くに由来があるのもまた心憎いところであります。

 そう、彼ら十節度使の多くは、それぞれに元代や明代の講談や小説にルーツを持つキャラクター。いわば梁山泊の豪傑たちにとっては先輩あるいは同輩とも言うべき存在で、梁山泊がそうであるように、彼らもまた一種のオールスターチームなのであります。
 その来歴を踏まえた上でのこの趣向は、さすがは本作ならでは――と何度目かわからないような感心をしてしまった次第であります。


 しかしその十節度使を敵に回した梁山泊にとっては、感心しているどころではありません。着々と田虎篇への伏線も張られる中、物語はどこに向かっていくのか……
 まだまだ招安篇は前半戦であります。


 ちなみにこの招安篇の第1巻と第2巻の表紙は、これまでに描かれた百八星のイラストのコラージュ。
 これはこれで群星感があって良いのですが、やっぱり書き下ろしを見たかったな――という気持ちは正直なところあります
(と思いきや、第一部の単行本(十巻本)でも、確か書き下ろし表紙はなかったのですが……)


『絵巻水滸伝 第二部』招安篇2(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon
絵巻水滸伝 第二部 招安篇2


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 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

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2017.10.24

室井大資『レイリ』第4巻 死にたがりの彼女の、犬死にが許されぬ戦い

 武田勝頼の嫡男・信勝の影武者にして、戦の中で死ぬことを夢見る少女・レイリが戦国の荒波を駆ける物語も第4巻。彼女にとっては命の恩人である岡部丹波守が高天神城で徳川軍に重囲される中、ただ一人、彼女は高天神城に向かうことに……

 織田からと思しき刺客が信勝を襲撃するなど、日増しに高まる武田家と織田家の緊張。
 影武者として、土屋惣三とともに信勝を守り抜いたレイリですが、その信勝と勝頼は、高天神城を巡り意見を対立させることになります。

 徳川軍に包囲された高天神城から送られた書状――救援を要請する主将・岡部丹波守からのものと、救援を断る副将・横田甚五郎からのもの、その二つを前に救援を送るべきか否かで意見が分かれた信勝と勝頼。
 その結果、高天神城への援兵は見送られることに……


 という展開を受けて始まるこの第4巻。恩人であり唯一の肉親にも等しい岡部丹波守の身を案じるレイリですが、、援兵見送りがある意味戦略的判断によって城側に伝えられていなかったことを知った彼女は、怒りを募らせることになります。
(このくだりで登場する真田昌幸の小才子ぶりが妙におかしい)

 勝頼とのわだかまりを抱えた信勝がそれどころではないのに見切りをつけ、惣三の制止を振り切って(何しろ斬ると言われれば本望な子であるからして)ただ一人レイリは高天神城へ……。
 というわけで、史実を踏まえつつも、ここから物語は一気に飛躍することになります。

 しかし、十重二十重に徳川軍に囲まれた城にそもそも彼女が入ることができるのか。そしていくら剣を取ってはほぼ最強の腕前とはいえ、彼女一人、合戦の場で彼女にできることはあるのか。――道場破りではあるまいし。
 その答えが一つ一つ示されていくこの先の展開が、この巻の白眉であります。

 本作の最大の特徴であるレイリの「死にたがり」という性格。それは言い換えれば「命知らず」ということでもあります。
 そしてその命知らずがしでかすことが、時に掟や道理、建前や理屈にがんじがらめに縛られた世界を打ち砕き、新たな答えを示すこともまた、あるのでしょう。

 正直なところ、これまで本作には、人物描写などは面白いものの、物語のエネルギーとしてはどこに向かうのかが今ひとつわからなかったのですが――なるほどこういう方向だったのか、と今更ながらにこの展開には感じ入りました。

 そしてその中で、彼女が信勝の影武者であるという要素も見事に活かされるとくれば、これまでの自分の不明を恥じるしかありません。(さらにそれを受けての守将たちの決断がまた泣かせる)
 さらにそこに、本作の細やかな描写――特に人物の表情で見せる感情表現が加われば鬼に金棒であります。

 特に再会したレイリと岡部丹波守のやり取りは、一つ一つのコマが(表情が)見所と呼びたくなってしまうようなクオリティ。
 ある「作戦」のために自ら望んで死地に赴くレイリにかけた丹波守の言葉に見せた彼女の表情などは、屈指の名場面というべきでしょう。


 死にたがりであった彼女にとっては、ある意味最良の戦場とも言うべきこれからの戦い。しかしここからは、決して彼女一人が死んで終わるものではない戦い、犬死には許されない戦いであります。
 我々はこの先の合戦の行方を史実として知っていますが――しかし、史実に決して残らない彼女の戦いの結末は、まだ誰も知りません。

 それを早く知りたい――そういう思いが高まる本作、いよいよ佳境に入ったと言うべきでしょう。


『レイリ』第4巻(室井大資&岩明均 秋田書店少年チャンピオン・コミックス・エクストラ) Amazon
レイリ 第4巻 (少年チャンピオン・コミックスエクストラ)


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2017.10.23

川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第4巻 史実の将星たちと虚構の二人の化学反応

 劉邦を支えて項羽を破り、漢の礎を築いた張良の姿を独自のアレンジで描く物語の第4巻であります。劉邦を扶け、ついに初陣を飾った張良たちですが、情勢の思わぬ変化から一歩間違えれば賊軍として討たれかねない状況に。その打開に向かった張良たちを待つ者は――

 国と一族を滅ぼした秦の始皇帝を討つために、伝説の倉海の一族の青年・窮奇と、人の器を見抜く不思議な少女・黄石とともに旅立った張良。
 始皇帝は既に没したものの、乱れ始めた秦を滅ぼすため、「愚の龍」たる劉邦に仕えることとなった彼は、その奇策で景駒の配下から兵を借りてトウを落とし、トウの兵を傘下に収めることに成功するのでした。

 が、景駒軍が七万の大軍を擁する項梁に敗れ、劉邦軍は一転項梁に滅ぼされかねぬ立場に……


 というのが第3巻までの物語。本書ではこの状況を受け、劉邦と張良たちは、項梁の居る薛に向かうことになります。
 敵軍と見做されれば討ち滅ぼされ、降将と見做されれば兵を取り上げられて冷遇される。力では完全に勝る相手に対し、如何に自分の貫目を下げずに弁明してみせるか――これはなんとも肝の冷える綱渡りであります。

 もちろん、ここで活躍するのが張良であることは言うまでもありません。過去に項梁の兄弟である項伯を助けていた張良は、その縁である言葉を項梁に吹き込み、そのたった一言が劉邦の運命を大きく変えることになるのであります。

 ……と、この巻のかなりの部分は、この薛が舞台となる物語。しかし劉邦が項梁の下に参じたという史実が描かれるのは冒頭1/4程度まで。それ以降で描かれるのは、本作ならではの将星たちの出会いなのです。
 楚漢戦争最大の悪役とも言うべき刺青の男、後に張良らと並び劉邦を支えた背の高い男、その張良らの知における最大のライバルとなる老賢人――誰も皆、項羽と劉邦の戦いの中で歴史に名を残した人物たちであります。

 もちろん、彼らがこの戦いに加わり、ある者は味方として、ある者は敵として張良と関わるのは史実であります。
 しかし彼らがどこで、どのように張良と出会うのか――言い換えれば、我々読者と出会うのかは、本作のさじ加減次第。そしてその加減がやはり滅法面白いのです。

 それぞれの人物がどのようなシチュエーションで登場するか――それは伏せますが、ここで本作ならではの役割を果たすのは、(今のところ)本作の創作である窮奇と黄石であります。
 およそ個人の武という点では本作最強の窮奇と、対面した相手の人物の器をたちどころに見抜く黄石。張良を支えるこの虚構の(正確には窮奇は違いますが……)二人が、史実の人々と出会う時の化学反応こそが、本作の独自性の源であり、魅力を支えると言っても良いでしょう。

 特に兵を指揮すれば張良にも負けぬと静かに大言する、今は衛士に過ぎない男に対して黄石が「あの言葉」を以て評する場面は、「ここでこの言葉が出てくるか!」という驚きに満ちていて、この巻の隠れた名場面ではないか――と感じるところであります。


 そしてこの巻のラストには、窮奇と黄石の二人が、いよいよあの男と対面することになります。
 その名は項羽――おそらくは窮奇と並ぶ武を持ち、黄石でも読めない器を持つ男。

 彼らとの出会いが、本作にどのような変化をもたらすか――それはおそらくは序盤のクライマックスと呼べるものになるのでしょう。
 特にこの作品の方向性を考えれば、どう考えてもただですむはずがない窮奇とのファーストコンタクトが楽しみであります。


『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第4巻(川原正敏 講談社月刊少年マガジンコミックス) Amazon
龍帥の翼 史記・留侯世家異伝(4) (講談社コミックス月刊マガジン)


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2017.10.22

鳴海丈『王子の狐 あやかし小町大江戸怪異事件帳』 ついに完成した事件と妖怪の関係性

 妖怪・煙羅の力を借りる美少女・お光と、北町奉行所の切れ者同心・和泉京之介が、様々な怪事件に挑むシリーズもこれで4作目。今回も3つの事件が収録されている本作ですが、今回はシリーズの根幹に関わりかねない大きな秘密が明かされることに……

 消息を絶った兄を探すために江戸に出てくる途中、「おえんちゃん」こと「煙羅」に取り憑かれ、その力で人助けをしてきたお光。
 ある事件がきっかけで出会ったお光と京之介は、これまでも力を合わせて数々の妖怪絡みの怪事件を解決してきました。

 その中で互いに憎からず思うようになったものの、奥手な二人はなかなか言い出せず――という構図もそのままに、今回も次々と不可思議な事件に二人は巻き込まれることになります。

 旧暦とはいえ九月の晩にわずか半刻で男が凍死し、男の弟分夫婦と出会った京之介がある疑惑を抱く『雪の別れ』
 長女が亡くなったばかりの加賀屋で番頭が何者かに階段で突き落とされたの背後の意外な真相をお光が解き明かす『加賀屋の娘』
 殺した相手の右目を抉ることから「隻眼天狗」と呼ばれる凶悪な辻斬りを追う京之介が、王子稲荷で恐るべきその正体を知る「王子の狐」

 正直なところ、どのエピソードも、ある意味オールドファッションな捕物帖であります。事件の真相が解き明かされてみれば、ちょっと拍子抜けするようなものもなくはありません。
 少々内容を割ることになってしまい恐縮ですが、実のところこれらの事件は、妖怪が登場しなくても成立する内容なのですから……

 しかし本作は、そこに妖怪を絡めることで、事件の複雑さ、ややこしさを幾重に増してみせるのが実に面白い。(というより妖怪を絡めることから逆算しての事件のシンプルさなのでしょう)
 ある意味極めて現世的な人間の悪意や欲望が引き起こした事件に、超常的な存在が絡むことで、事件はより解決困難なものとなり、新たな被害が生まれていく――本作の物語にはそんな構図があります。

 事件そのものは妖怪なしでも成立するが、しかし妖怪が絡むことで物語がより興趣に満ちたものとなる――もちろんその構図はこれまでのシリーズでも同様ではあります。しかし本作においては、その塩梅が実に良く、本シリーズ――というより妖怪時代小説として、一種の完成形となったのではないかとすら感じられるのです。

 そして本作における、人間の悪意と妖怪の跳梁の一種の相補関係は、裏返せば京之介とお光の関係に対応するものであることは言うまでもないでしょう。


 ……が、本シリーズのややこしいのは、もう一人、人ならざる力を操るヒロイン・長谷部透流が登場する点にあります。
 男装の美少女という、実に作者らしいキャラクターである透流。彼女は娘陰陽師として妖怪を使役し、人の世に仇なす魔を祓ってきたスーパーヒロインであります。

 主人公たるお光が彼女自身は普通の少女であり、基本的に事件に受動的に関わるのに対し、能動的に事件に絡んでいく透流は、出番こそ少なめなものの、非常に目立つ存在です。
 先に述べた相補関係は京之介と透流でも成り立つわけで(まあ二人の間に恋愛感情は全くないのですが)、一歩間違えればお光の存在を完全に食いかねないキャラクターなのです。

 その点がこれまで大いにひっかかっていたのですが――しかし本作のラストで明かされるお光にまつわるある秘密が、その構図を一変させることになります。
 その秘密の内容をここで明かすことはできませんが、なるほど、これであれば、お光は透流であれ誰であれ、決して他の人間で替えることのできない存在であり、そして京之介と対になるべき存在である――そう納得することができます。

 この秘密がこの先、どのように物語に作用していくのか――それは伝奇的な意味でも気になるのですが、何よりも本作でついに完成した、本シリーズならではの事件と妖怪の関係性の点で、大いに気になるところなのです。


『王子の狐 あやかし小町大江戸怪異事件帳』(鳴海丈 廣済堂文庫) Amazon


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2017.10.21

山口譲司『エイトドッグス 忍法八犬伝』第2巻 見事完結、もう一つの忍法八犬伝

 山口譲司が山田風太郎の『忍法八犬伝』を漫画化した本作も、この第2巻で完結。服部半蔵配下の八人のくノ一に奪われた里見家の秘宝・伏姫の八玉奪還のため立ち上がった当代の八犬士たちの戦いがついに決着することになります。

 本多正信と結ぶ服部半蔵の命により、里見家から八玉を奪い、偽物にすり替えた八人のくノ一。この八玉は将軍秀忠の嫡男・竹千代に献上を約束したもの、紛失したとあればただではすまされません。
 そんな里見家お取り潰しの危機に、甲賀で修行した(経験もある)当代の八犬士はお家のため――ではなく、密かに恋い慕う当主の奥方・村雨姫のために立ち上がり、伊賀のくノ一たちと忍法勝負を繰り広げることに……

 という本作、第1巻では乞食の小文吾、盗賊の毛野、香具師の道節が、くノ一らとの死闘の末に壮絶に散っていったものの、まだ八玉の大半は敵の手中にある状態。
 そしてくノ一たちに追われた村雨姫と女(装)芸人の信乃は、吉原の女衒の現八に匿われて吉原に潜り込むことに――と、いきなりトリッキーな展開から始まることになります。

 そして軍学者の角太郎、六法者の親兵衛、女歌舞伎の振付師の荘助と、残る八犬士たちもこれまた正道を外れたような連中。そんな連中が、腕利きのくノ一たち――それも幕府の最高権力者をバックにした――にいかにに立ち向かうか、というお話の面白さは、もちろん原作の時点で保証済みであります。

 そこで本作ならではの魅力は、といえば、やはり作者ならではの絵――はっきり言ってしまえば作者の絵のエロティシズムによるところが大であることは間違いありません。
 特にこの間の冒頭に収められた現八と二人のくノ一の「対戦」は、山風忍法帖ではある意味おなじみのシチュエーションではありますが、それを正面から絵にしてみせるのは、これはもうこの作者ならではでしょう。
(単行本では、思わずドキリとするような描き下ろしページがあるのも印象的)

 その一方で、たった一人の、それも目の前にいても決して手の届かぬ女性のために、無頼放題に生きてきた八犬士たちが散っていくというロマンチシズム、リリシズムもしっかりと描き出されているのもいい。
 第1巻冒頭のあるキャラクターのモノローグが、この巻のラストに繋がり、そして原作でも印象的だった結末の文章が引用されて終わるその美しさは、強く心に残るのです。


 ……実は本作、物語の基本的な流れ自体は原作とはほぼ同じであるものの、全2巻というボリュームもあってか、細部はかなりアレンジ(省略や取捨選択)が為されているというのは、第1巻の紹介時に触れたとおりであります。
 特にこの第2巻の終盤、残った3人の犬士が乾坤一擲の大勝負に出るクライマックスなど、シチュエーションは重なるものの、細部は全く似て非なるものとなっている状況。それゆえ冷静になって読んでみると、かぶき踊りの女たちの存在や服部半蔵の処理など、いささか無理がある点は否めません。

 しかしそれでも本作が紛うかたなき『忍法八犬伝』として感じられるのは、上に述べたような点で、本作が押さえるべきを押さえ、そして見たいものを見せてくれたから――そう感じます。

 本作のラストバトル、原作とは全く異なる最後の八犬士と最後のくノ一の対決など、ちょっぴり元祖八犬伝の芳流閣の決闘を連想させるシチュエーションである上に、本作の冒頭の対決シーンをもなぞらえていて、実に心憎いのであります。
(漫画的には、このラストバトルの方がより盛り上がる――というのは言いすぎでしょうか)


 何はともあれ、原作の大筋は踏まえつつも大胆なアレンジを加え、それでいてツボを心得た描写できっちりと『忍法八犬伝』のコミカライズを成立してみせた本作。
 ぜひ、次なる山風忍法帖を――と期待してしまうのであります。


『エイトドッグス 忍法八犬伝』第2巻(山口譲司 リイド社SPコミックス) Amazon
エイトドッグス 忍法八犬伝 2 (SPコミックス)


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 山田風太郎『忍法八犬伝』
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2017.10.20

『コミック乱ツインズ』2017年11月号

 「コミック乱ツインズ」11月号の表紙&巻頭カラーは、単行本第1巻・第2巻が同時発売となった『仕掛人藤枝梅安』。作家こそ違え、「コミック乱ツインズ」の顔が帰ってきたという気持ちもいたします。今回も、特に印象に残った作品を取り上げて紹介します。

『仕掛人藤枝梅安』(武村勇治&池波正太郎)
 今回から「梅安初時雨」がスタート。浪々の身の上であった小杉さんを迎え入れ、厚遇してくれた老道場主が、死の間際に小杉さんを後継者に指名したことで起きる波乱に、梅安も巻き込まれることになります。

 逆恨みして襲ってきた旗本のバカ息子たちを討ち漏らしたことから窮地に陥った小杉さん。ちょうど、大坂の白子屋菊右衛門から招かれていた梅安は、江戸を売る小杉さんに同道することに。しかし思わぬことから二人の行き先が旗本たちにばれて……
 と、本作ならではの好漢っぷりを見せつつも、早速(?)不幸な目に遭う小杉さんが印象に残る今回。白子屋の名も登場し、この先の展開がいよいよ気になります。


『鬼役』(橋本孤蔵&坂岡真)
 まだまだまだ続く将軍家慶日光社参編――というよりついに家慶と大御所家斉との全面戦争編に突入した感がある本作。
 将軍復位を狙い、家慶が日光に向かっている間に江戸をほぼ占拠し、西の刺客・静原冠者と結んで家慶の命を狙う家斉派との戦いはいよいよヒートアップすることになります。

 繰り返される襲撃の前に分断された家斉一行は甲府城に籠城することを決断。甲府勤番衆を味方につけ、甲府城の防備を進め、さらにギリギリまで日和見を続けていた水野忠邦を援軍として動かすことに成功するのですが……

 しかしこの盛り上がりに対し、作画が所々大荒れ(ほとんど下書き状態)なのは何としたことか。一種の演出かとも思いましたが、しかしそのわりには妙なところで入るのも不思議で、折この辺りは素直に残念、と言うべきなのでしょう。


『鬼切丸伝』(楠桂)
 最近は戦国時代末期を中心として展開する本作、今回はついに関ヶ原の戦。そして今回鬼と化すのは大谷吉継であります。

 若き日より秀吉を支えてきたものの、しかし業病によってその面貌が「鬼」の如きものに変わった吉継。自分を忌避する周囲の者たちに激しい怨念を抱いた彼は、ついにその身を鬼と変えるのですが――しかし彼をあくまでも人間に繋ぎとめる者がありました。それは彼の親友・石田三成で……
 というわけで、身は鬼と化したものの、心は人間のままという状態となった吉継と対峙した鬼切丸の少年。彼は背三成のために人間として関が原に向かうという吉継の行方を見届けることを決意するのです。

 と、鬼と人間の狭間で揺れる者たちの姿を描いてきた本作らしい切り口で関ヶ原を描く今回のエピソード。おそらくは前後編となるのではないかと思いますが、どう決着をつけてくれるのか、楽しみであります。
 ……が、今回の吉継の描写は、数年前に問題になった某ゲームの初期設定とさして変わらないわけで、その点は引っかからない、と言えば嘘になります。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 今回は『そば屋幻庵』と同時掲載となった本作。幕府財政立て直しのために吉原に手を入れることを決意した新井白石と、彼を守る聡四郎に対し、吉原名主衆が送った刺客たちが襲いかかる――という今回は、ストーリーの展開より、とにかくアクション重視で魅せるエピソードであります。

 浪人(刀)、鳶(手鉤)、僧侶(錫杖)、町娘(簪(暗器))と、それぞれ異なる得物を手にした四人を同時に敵に回し、しかも戦いはド素人の白石を守りながら、如何に生き延びるか――ギリギリの状況で展開されるこの戦いは見応え十分(刺客たちの顔が、眼だけ光ったシルエットとして描かれているのもまた印象的)。ラストには謎の強敵まで登場するという心憎い展開であります。

 そんな苦闘をくぐり抜けた聡四郎の前に、無手斎の道場で現れたのはあの男――あ、こういうビジュアルになるのかと思いつつ、原作読者としては今後の活躍が楽しみになる引きであります。
 そして本当に毎回言っていて恐縮なのですが、短い出番で喜怒哀楽をはっきりと見せまくる紅さんは今回も素敵でした。


 ……そういえば今回、『軍鶏侍』は掲載されていなかったのですね。


『コミック乱ツインズ』2017年11月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2017年11月号 [雑誌]


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2017.10.19

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1 帰ってきた最も面白い水滸伝!

 1998年からweb連載が開始、今なお書き継がれている『絵巻水滸伝』――私の信じるところでは、原典ベースの水滸伝リライトで最も面白い作品の、第二部の書籍化がついにスタートしました。梁山泊に集結した百八人の豪傑のその後が、ここに再び語られることになります。

 絵・正子公也、文・森下翠という担当で描かれてきたこの『絵巻水滸伝』。「絵巻」という語からもわかるように、言うなれば本作は絵物語――文章に挿絵が付されたというより、文章と挿絵が対等な作品であります。

 最近は戦国武将のイラストでも知られる正子公也の美麗かつ独自の解釈の加えられた挿絵と、原典をきっちりと踏まえ押さえつつも、そこに欠けた部分・矛盾した部分を巧みに補った森下翠の文章。
 その二つが絶妙に絡み合った本作は、現在進行中の、いやこれまで日本で書かれた水滸伝リライトの中でも、ほとんどベストに近い内容のものであると、連載開始時から私は確信しているところです。

 さて、原典の120回本でいえば第71回まで、梁山泊に百八人の豪傑が集結するまでを描いた第一部は約10年前に完結し、全10巻で書籍化&電子書籍化されていますが(なお、今後書籍版が全20巻に再編集の上、再版されるとのこと)、今回刊行されるのはその続き、第71回からの「招安」篇全5巻であります。

 招安とは、簡単に言えば国が賊の過去の罪を許し、帰順させて軍に編入すること。国から見れば討伐のための様々なコストを省いた上に精強な軍を手に入れることができ、賊からすれば身の安全と職を手に入れられるという、ある意味win-winの関係であります。
 後者が「自由」を失うことを除けば――

 この第二部のベースとなっている原典の第72回以降は、招安を受けて帰順した梁山泊が、宋国のために遼国や叛徒たちを討ち平らげる物語。
 フルメンバーの豪傑たちが並み居る敵を蹴散らしていくのは、それなりに痛快ではありますが――しかし(戦争続きでかえって平板という構成上の問題点はさておき)大前提として、豪傑たちが招安を受け、国の下についてしまったという点で、ファンにとっては評価が厳しくなってしまうのは無理もない話でしょう。


 その招安を、本作はどのように描くのか――それはまだ先の話で、今回取り上げる第1巻に収録されているのは、原典の第72回から第75回までに当たる部分。
 東京に潜入した宋江たちが李師師と出会い、李逵と燕青が偽宋江を退治し、燕青が泰山奉納相撲で任原を破り、朝廷の使者の高慢さに怒った豪傑たちによって招安が決裂し……というくだりであります。

 このとおり、招安を巡る物語としてはまだ冒頭、第二部の特色とも言うべき大規模な戦争もまだ描かれていないのですが――しかしもちろん、それでも本書は面白い。
 ここで描かれているのは、いわば梁山泊が最も梁山泊であった頃。百八人の豪傑たちが梁山泊に集い、好き勝手に暮らしていた頃なのですから。

 そんな彼らの生き生きとした姿(その描写も『絵巻水滸伝』の大きな魅力であります)だけでも楽しいのですが、そこにさらに本作ならではの捻りが随所に入るのがたまらない。
 梁山泊で相撲といえばこの人、でありながら泰山相撲で出番がなかったあの好漢のエピソードが用意されていたり、その泰山相撲の中で今後重要な役割を果たすキャラクターが登場していたり……

 そのまま読んで面白いのはもちろんのこと、水滸伝ファンであればあるほど楽しい、そんな仕掛けが本書には仕掛けられています。

 正直なことを申し上げれば、この118頁で1944円という価格は決して安いものではないかもしれません。しかし、フルカラーということを考えればこれはやむなしといったところでしょうか(サイズ、想定とも邦訳アメコミを連想していただければよいかと思います)。
 何よりも本書は、豪傑たちの鮮やかな活躍を、手に取って「読み」「見る」楽しみを与えてくれるのですから……


 ちなみにこの第1巻には、招安篇に登場するキャラクターや用語等の紹介、地図等が収録された小冊子も付録となっており、これもまた嬉しいところであります。
 まずは全5巻、豪傑たちが朝廷との対峙の果に何を掴むのか、見届けたいと思います。


『絵巻水滸伝 第二部』招安篇1(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon
絵巻水滸伝 第二部 招安篇1(付録小冊子付)


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2017.10.18

入門者向け時代伝奇小説百選 江戸(その二)

 入門者向け時代伝奇小説百選、江戸もののその二は、フレッシュで個性的な作品を中心に取り上げます。

76.『退屈姫君伝』(米村圭伍)
77.『未来記の番人』(築山桂)
78.『燦』シリーズ(あさのあつこ)
79.『荒神』(宮部みゆき)
80.『鬼船の城塞』(鳴神響一)

76.『退屈姫君伝』(米村圭伍) Amazon
 ユーモラスかつスケールの大きな時代小説を描けば右に出る者がいない作者の代表作、好奇心旺盛な姫君の活躍を描くシリーズの開幕編です。
 陸奥の大藩から讃岐の小藩・風見藩に嫁いだ、めだか姫。夫がお国入りして暇を持て余し、謎解きをしたり町をぶらついたりといった日々を過ごす姫は、田沼意次が風見藩と実家を狙っていることを知り、俄然張り切ることに……

 作者お得意のですます調で繰り広げられるユーモラスでペーソス溢れる物語が、あれよあれよという間にスケールアップしていく、実に作者らしいスケール感の本作。
 冒頭で述べたとおり「退屈姫君」シリーズの第一作でもあり、また作者の他の作品とのリンクも魅力の一つです。

(その他おすすめ)
『風流冷飯伝』(米村圭伍) Amazon


77.『未来記の番人』(築山桂) 【忍者】 Amazon
 大坂を舞台に、したたかな商人たちの姿や、爽やかな青春群像を描いてきた作者が、聖徳太子の予言書「未来記」を題材に描く活劇です。
 大坂四天王寺に隠されていると言われる未来記奪取を命じられた、南光坊天海直属の忍び・千里丸。千里眼の異能を持つ彼は、そこで初めて自分と同様に異能を持つ少女・紅羽と出会うのですが……

 この二人を中心に、様々な思惑を秘めた様々な人々が繰り広げる未来記争奪戦を描く本作。その内容は、まさに伝奇ものの醍醐味に満ちたものであります。
 しかし本作は同時に、その戦いの中の人々の姿を丹念に描くことにより、歴史の激流の中で人が生きることの意味を問いかけるのです。作者ならではの佳品というべきでしょう。

(その他おすすめ)
『緒方洪庵浪華の事件帳』シリーズ(築山桂) Amazon
『浪華の翔風』(築山桂) Amazon


78.『燦』シリーズ(あさのあつこ) Amazon
 瑞々しい少年たちの姿を描く児童文学と、人の心の陰影を鮮やかに描く時代小説を平行して描いてきた作者が、その両者を巧みに融合させたのが本作です。

 田鶴藩の筆頭家老の家に生まれ、藩主の次男・圭寿に幼い頃から仕えてきた吉倉伊月。しかしある日彼らの前に、かつて藩に滅ぼされた神波一族の生き残りの少年・燦が現れます。
 突然藩主を継ぐことになった圭寿を支える伊月と、彼らと奇妙な因縁に結ばれた燦。三人の少年は、やがて藩を簒奪せんとする勢力、そして藩が隠してきた闇と対峙することになるのですが……

 三人の少年たちの戦いと成長と同時に、彼らと関わる女性たちの姿も巧みに描き出す本作。ラストに待ち受ける驚愕の真相も必見です。


79.『荒神』(宮部みゆき) 【怪奇・妖怪】 Amazon
 時代小説においても人情ものからミステリ、ホラーなど様々な作品を発表してきた作者が、何と怪獣ものに挑んだ傑作であります。

 ある晩、北東北の山村が一夜にして壊滅。その山村が敵対する二つの藩の境目にあったことから緊張が高まる中、その犯人である謎の怪物が出現、次々と被害を増やしていくことになります。
 両藩の対応が遅れる中、事件に巻き込まれた人々は、生き残るために、あるいは怪物を倒すために、それぞれ必死の戦いを繰り広げることに……

 怪獣映画のフォーマットを時代小説に見事に落とし込んでみせた本作。怪物の存在感の見事さもさることながら、理不尽な事態に翻弄されながらも決して屈しない人々の姿が熱い感動を呼びます。


80.『鬼船の城塞』(鳴神響一) Amazon
 日本では比較的数少ない海洋時代小説。本作はその最新の成果というべき冒険活劇であります。

 日本近海で目撃が相次ぐ謎の赤い巨船「鬼船」。御用中にこの鬼船に遭遇した鏑木信之介は、鬼船を操る海賊・阿蘭党に一人捕らわれることになります。
 彼らの賓客として遇される中、徐々に彼らの存在を理解していく真之介。しかし鬼船を遙かに上回る巨大なイスパニアの軍艦が出現したことから、事態は大きく動き出すことに……

 デビュー以来、通常の時代小説の枠に収まらない作品を次々発表してきた作者らしく、壮大なスケールの本作。散りばめられた謎や秘密の面白さはもちろんのこと、迫真の海洋描写、操船描写が物語を大いに盛り上げる快作です。

(その他おすすめ)
『私が愛したサムライの娘』(鳴神響一) Amazon
『海狼伝』(白石一郎) Amazon



今回紹介した本
退屈姫君伝未来記の番人 (PHP文芸文庫)燦〈1〉風の刃 (文春文庫)荒神 (新潮文庫)鬼船の城塞 (ハルキ文庫 な 13-3 時代小説文庫)


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 入門者向け時代伝奇小説百選

 「退屈姫君伝」 めだか姫、初の御目見得
 『未来記の番人』 予言の書争奪戦の中に浮かぶ救いの姿
 「燦 1 風の刃」
 『荒神』 怪獣の猛威と人間の善意と
 鳴神響一『鬼船の城塞』 江戸の海に戦う男たち

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2017.10.17

佐野しなの『刑事と怪物 ヴィクトリア朝エンブリオ』 異能が抉る残酷な現実と青年の選択

 狂気の天才医師が生み出した臓器の移植により異能を得た存在「スナーク」が跳梁するヴィクトリア朝のロンドンを舞台に、熱血青年刑事・アッシュとスナークの不良中年・ジジのコンビが、スナーク絡みの怪事件に挑む連作の待望の続編であります。

 優れた才能を持ちつつも、忌まわしき実験に手を染めた末に処刑された狂気の天才外科医ブラッド・ロングローゾ。
 生前、彼が摘出した突出した能力を持つ犯罪者の臓器を移植され、人知を超えた異能を獲た者は「スナーク」と呼ばれ、畏怖と嫌悪の対象とされた――という異形のビクトリア朝が本作の舞台であります。

 そんなスナークが引き起こす事件に対し、スコットランド・ヤードは対スナーク班を設置。そしてそこに配属されたのが、ヤードの高官を父に持ちながら、父に強く反発する熱血青年アッシュであります。
 ロングローゾの養子であり、スナークの能力を熟知した中年男――自らも人の感情の音を聴く能力を持つスナークであるジジとコンビを組むことになった彼は、互いにぶつかり合いながらも怪事件に挑むことに……


 と、そんな彼らの冒険を描く第2弾である本書は、4つの物語から構成されます。
 堅物のくせに(だからこそ?)美人局に引っかかり、免職の危機に陥ったアッシュが、スナークの美声で人を操るという評判の歌姫と出会う第1話。
 美人局の背後に潜むスナークの存在に気付いてしまった少女が、謎のスナークの力を借りてジジに接近するも、それが次なる騒動を招く第2話。
 死んだ者が復活するとの噂の酒場の調査の中で、二人がスナークの力を得たことで全てを失った少年に希望を与える第3話。
 ロンドン中の女性たちに感謝され、警察も見て見ぬふりだという「殺人者」を捕らえたアッシュが、その背後にある闇に直面する第4話。

 底抜けのお人好しで理想主義者で正義感の塊の(でも目つきが悪い)アッシュと、この世の裏も表も見尽くして飄々とシニカルに生きる(でも結構いい人)ジジと……
 対照的な二人の会話の面白さは相変わらず、いやパワーアップして、ただ二人が会話しているだけで楽しい状態。この舞台ならではの小粋な言葉遊びの数々も、物語の良いスパイスであります。

 そんな中でも、実質的に前後編となっている前半2話は、アッシュが休職状態でコンビ解消の危機の中、それぞれの身に降りかかった厄介事に二人が挑み、その末に粋な結末が――とその完成度に驚かされるエピソード。
 さらに第3話も、アンデッド酒場という奇想天外な場と人生を諦めきった少年という全く無関係に見える題材を二人の活躍が結びつけ(特に前者の正体には仰天)、感動的な結末が……と、これまた実にイイのです。


 ……しかし、本書の真骨頂は第4話――冒頭で「犯人」が捕まり、その能力と動機が語られるという少々トリッキーなスタイルのエピソード――にあります。それまでのちょっとイイ話の余韻を吹き飛ばすような、ひたすら重く、キツい内容のエピソードに……
 その具体的な内容は伏せますが、当時のロンドンのある状況を踏まえて描かれるそれは、重いボディーブローを喰らってダウンした後に、なおも顔面をギリギリ踏みつけるような――そんな衝撃を与えてくれます。

 そしてその物語の中で、アッシュは一つの選択を迫られることになります。このスナークを罰するのか、それとも見逃すのか――と。
 そしてその答えに、いやその理由に、僕は大いに驚かされ、そして胸打たれました。それは、僕にとっては考えもつかなかったような意外極まりない、しかしそれでいてアッシュであれば、彼がこの状況であれば必ず選ぶであろう当然のものだったのですから。

 それは残酷にもほどがある現実にぶち当たりながらも、なおも理想を、いや現実をより良くすることを求めることを止めないアッシュならではのものであり――そしてそれはまた、彼を見守るジジの存在あってのものとも言うことができるでしょう。


 本作は、この特異な舞台でなければ描けない物語であるとともに、程度の差こそあれ、いつもいかなる時と場所で存在する非情な現実を前に、人に何ができるのか、何をすべきなのか――それを描いた物語でもあります。

 その物語の中で時に対立し、時に手を携えて進むアッシュとジジの姿は、一つの希望として感じられます。
 その希望が小さな火で終わるのか、はたまた大きな輝きとなるのか――この先の姿も是非とも描いて欲しいものです。

(にしても本作のサブタイトル……)


『刑事と怪物 ヴィクトリア朝エンブリオ』(佐野しなの メディアワークス文庫) Amazon
刑事と怪物―ヴィクトリア朝エンブリオ― (メディアワークス文庫)


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 佐野しなの『刑事と怪物 ヴィクトリア朝臓器奇譚』 異なる二人の相互理解

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2017.10.16

11月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 いよいよ今年のカウントダウンも始まりました――というのは少々気が早いですが、もう今月を除けば、残すところわずか二ヶ月。色々と愕然としてしまう事態ですが、しかし大事なのはどんな本に、作品に巡り会えるかですよ――と現実逃避した末の、11月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 などと言ったものの11月は点数自体は少々寂しい状態。しかしそれでも気になる作品が並びます。

 まず文庫小説では、何といっても久々登場の小松エメル『一鬼夜行 鬼姫と流れる星々』が必見。
 そして待望の続巻である平谷美樹『江戸城 御掃除之者!』第2巻、ロングセラーに向けて驀進中の上田秀人『日雇い浪人生活録』第4巻が並びます。

 文庫化の方では、輪渡颯介『影憑き 古道具屋皆塵堂』、新城カズマ『島津戦記』第2巻、畠中恵『なりたい』、田牧大和『酔ひもせず』と、これまた気になる作品揃い。
 そして注目は文庫アンソロジー。『あやかし時代小説傑作選(仮)』はタイトルの時点でもう気になって仕方がありませんが、『決戦! 大坂城』文庫化と『戦国 番狂わせ七番勝負』の、戦国もの二冊も楽しみであります(そして後者のどちらにも参加している木下昌輝はさすが)。

 また、井波律子訳『水滸伝』第3巻、北方謙三『岳飛伝 13 蒼波の章』と、水滸伝関連も相変わらず元気であります。


 さて、漫画の方は小説に比べても点数的にさらに寂しい状況ですが、こちらもなかなかバラエティに富んだ内容。

 何といっても注目はシヒラ竜也『バジリスク 桜花忍法帖』第1巻。
 早々とアニメ化も決まっている本作、あの『甲賀忍法帖』の漫画化である『バジリスク』の続編小説である山田正紀『桜花忍法帖』の漫画化という、非常にややこしい経緯を経て、まさかの登場であります。

 そして前巻から相当の間を置きましたが嬉しい復活の森美夏『八雲百怪』第3巻、独自の江戸川乱歩アレンジの上条明峰『小林少年と不逞の怪人』第1巻、薬売り五度目のお目見えの蜷川ヤエコ『モノノ怪 のっぺらぼう』と、こちらも期待したいところであります。



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2017.10.15

北方謙三『岳飛伝 十 天雷の章』 幾多の戦いと三人の若者が掴んだ幸せ

 梁山泊対金、梁山泊対南宋――北で、南で、海で繰り広げられる戦いはいよいよ佳境に向かい、北方『岳飛伝』もついに二桁の大台に突入。波乱に次ぐ波乱の末に、次代を背負う若者たちに、それぞれの幸せが訪れるのですが――しかしそれで安心できないのが北方大水滸の恐ろしさであります。

 共通の敵のために同盟を結んだ金と南宋、それぞれを迎撃することとなった梁山泊。
 梁山泊近くでは呼延凌と兀朮が率いるそれぞれの本隊が激突、南方では梁山泊と岳飛双方に因縁深い辛晃が秦容と岳飛を窺い、そして海上では張朔と韓世忠の水軍が一進一退の攻防を見せることになります。
 そしてこれらの戦いの陰では、米と麦の買い占めにより相手国の根底を揺るがそうという、いわば経済戦争(というより経済攻撃)というべき、梁山泊の奇策が……

 そして、互いの首を狙って呼延凌と兀朮がいつ果てるともしれぬ戦いを続ける中、ついに正面から激突する史進と胡土児。互いの策の読み合いの末、韓世忠に父譲りの飛礫を放つ張朔。その張朔の命令で、造船所焼き討ちという死地に向かう狄成と項充。ついに秦容と手を携え、辛晃の心理を読み取って乾坤一擲の勝負に出る岳飛。
 彼らだけでなく、今は商人として活動する王清や蔡豹もまた、それぞれの立場で戦いに参加することになります。

 物語の舞台の広がりに伴い、各地で同時進行的に繰り広げられるこれらの戦いは、中盤のクライマックスに相応しいものというべきでしょう。
 個人的には、梁山泊にとっては鬼門である造船所焼き討ちに向かう狄成と、彼に強引に付き合う項充の二人のエピソードが、その結末も含めて、実にグッとくる内容でありました。


 さて、戦いが奪うもの、失うものだとすれば、生まれるもの、与えるものもまたあります。この巻においては、これらの戦いと並行して、あるいは戦いの後に、三人の若者たちが伴侶を得る姿が描かれることになります。

 王貴、王清、蔡豹――王貴と王清は異母兄弟、そして王清と蔡豹は子午山で兄弟同様に育ったという関係にある三人が、それぞれ全く異なる形で、しかしこのように同時期に素晴らしい伴侶を得たのには、彼らが生まれる前から物語を追いかけてきた身にとっては何やら感慨深いものがあります。

 特に王貴と岳飛の娘・崔蘭の結婚は、以前からずっと引っ張られていただけにようやく――といったところですが、何よりも花嫁の父たる岳飛のリアクションが面白い。

 王貴に対しては唸るだけで、思わぬ形で月下氷人となった蕭炫材(ちなみにこの巻で一番化けたのは彼ではないかと思います)に当たり散らし、真情を吐露する姿が、何とも人間臭くて良いのです。
 この辺りは、本作の始まりから一貫して描かれてきた、これまでの物語の主人公たちとはまた異なる彼の魅力が、強く出ていると言ってもよいでしょう。

 そしてまた、ここしばらくはある意味一番危なっかしかった王清が、複雑な関係にあった鄭涼と結ばれることになったのも嬉しい。
 特に王清の象徴とも言える笛を通じて描かれる二人の交流が感動的で、彼の心を受け止めてみせた鄭涼は、本作において今のところ最も好感の持てる女性とすら感じられます。

 そして蔡豹――母から義父への怨念を吹き込まれ、さらに目の前でその母が首を吊るという過去から深いトラウマを背負っていた彼も、ある意味意外と言えば意外な相手を見つけることになります。
 子午山でも癒やせなかった深い闇を背負ってきた彼が、ついにそれから解放され、自分が真に戦うべき理由を見つける場面は、これもまた感動的なのですが……


 しかしこの巻において、本作が、いやこの大水滸が、どれだけ人の命において無情な――いや無常な物語であるかを、我々は嫌と言うほど思い出さされることとなります。
 あまりにあっけない、そしてあまりに無惨な死。死の重みに軽重をつけることは、本来であれば許されるものではないかもしれませんが、しかしここで描かれるそれは、戦場でのその他の死よりもはるかに重く、衝撃的なものであったと言うほかありません。

 この巻においてもう一つ印象的な、梁山泊と替天行道の在り方、そしてその行方も含め、まだまだ進んでいく道は、その行き着くところはわからない――そんな印象を新たにしたところでもあります。


 しかし梁紅玉が出会った日本人「炳成世」、人から言われて気づいたその正体に吃驚……


『岳飛伝 十 天雷の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 十 天雷の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 二 飛流の章』 去りゆく武人、変わりゆく梁山泊
 北方謙三『岳飛伝 三 嘶鳴の章』 そして一人で歩み始めた者たち
 北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿
 北方謙三『岳飛伝 五 紅星の章』 決戦の終わり、一つの時代の終わり
 北方謙三『岳飛伝 六 転遠の章』 岳飛死す、そして本当の物語の始まり
 北方謙三『岳飛伝 七 懸軍の章』 真の戦いはここから始まる
 北方謙三『岳飛伝 八 龍蟠の章』 岳飛の在り方、梁山泊の在り方
 北方謙三『岳飛伝 九 曉角の章』 これまでにない戦場、これまでにない敵

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2017.10.14

仁木英之『くるすの残光 最後の審判』の解説を担当しました

 この12日に発売された仁木英之『くるすの残光 最後の審判』の解説を担当させていただきました。神の力を授けられた切支丹の聖騎士たちと、南光坊天海率いる幕府の切支丹討伐部隊・閻羅衆との最後の戦いが描かれる、シリーズ第5巻にして完結編の文庫化であります。

 島原の乱で討たれ、神の力を秘めた七つの聖遺物を奪われた天草四郎。四郎に異能を与えられ、彼の復活を目指す切支丹の聖騎士たちは、江戸に潜伏して聖遺物奪還を目指すものの、その前に怪僧・南光坊天海が立ち塞がります。
 聖遺物を様々な者に与え、その力で切支丹を滅ぼさんとする天海。かくて、植木職人見習いに身をやつす少年・寅太郎をはじめとする聖騎士たちは、江戸をはじめとする各地で、聖遺物の力を操る者たちと激闘を繰り広げることになります。

 切支丹のみならず、この国の古き神々をも平らげんとする天海との戦いは、山の民や海の民らをも巻き込み、多大な犠牲を払った末に聖騎士たちが勝利を手にしたかに見えたのですが……
 しかし天海が姿を消した後も閻羅衆による弾圧は続き、切支丹たちは解放されるどころか追い詰められる一方。思わぬことから周囲に正体が露見してしまい、追われる身となった寅太郎たちに手を差し伸べたのは、あの由井正雪でした。

 自らも聖遺物を持ち、そして幕府の手からこぼれ落ちる者を救おうとする意思を持つ正雪とともに戦うことになる寅太郎を待つ運命は……


 というわけで、大団円に相応しい展開が次から次へと描かれる本作。シリーズ最終巻ということで、シリーズの総括として解説を書かせていただきました。
 しかしそれだけでなく、作者の作品全体、特に『僕僕先生』『千里伝』『魔神航路』といった作者のファンタジー活劇に通底するものについても触れております。

 その内容についてはこれ以上ここでは書きませんが、これまであまり指摘されたことはない点ではないかなあ――と自画自賛しております。
 そしてもう一つ、本作が伝奇時代小説である意味、作者が伝奇時代小説を書く意味についても、触れさせていただいております。

 ぜひ、お手にとってご覧いただければと思います。


 さて――ここでもう一点、このブログにおいては述べなければならないことがあります。
 実はこのブログでも以前に(単行本刊行時に)本作を取り上げているのですが、その際には、かなり厳しい評価をしておりました。

 実は今回解説を担当させていただくに当たり、その時のことがいささか気になっていたのですが――再読してみれば、これが僕の読みの甘さであったことがはっきりとわかり、これはこれで頭を抱えることに……
 もちろん、その時のブログの文章を修正したりはいたしませんが、こうして解説の機会を与えていただいたことにより、本作の魅力をしっかりと再確認することができて本当に良かった、と思います。

 解説(に限らずこのブログの文章もですが)を書く時には、もちろんあらかじめある程度の先の見通しを持っているわけですが、しかしそれでも実際に文章を書いているうちに、改めて自分の中から湧いてくるものがある……
 それは自分の考えが言語化されたということであり、これまで何度も経験してきたところですが、今回改めてその素晴らしさを再確認した次第です。


 そんな言い訳と自己満足はさておき、この文庫化を機会に、改めて『くるすの残光』の、作者の時代伝奇小説の魅力に触れてくださる方が増えれば――そして少しでもそのお手伝いができれば――これに勝る喜びはありません。
 どうぞよろしくお願いいたします。


『くるすの残光 最後の審判』(仁木英之 祥伝社文庫) Amazon
くるすの残光 最後の審判 (祥伝社文庫)


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 仁木英之『くるすの残光 最後の審判』 そして残った最後の希望、しかし……

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2017.10.13

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第8巻 柱の強さ、人間の強さ

 相変わらず絶好調の『鬼滅の刃』最新巻であります。夢を操る鬼との死闘をくぐり抜けた炭治郎たちの前に立ち塞がる新たな強敵。それに挑む「柱」の真の強さとは――本作屈指の名場面が描かれることになります。

 汽車に網を張り、人間たちを覚めない夢の世界に引きずり込む力を持つ鬼・魘夢。鬼の中でも十二人のトップクラスの実力者(が、そのうち半分近くが既に粛正)の一人・下弦の壱である彼によって悪夢に囚われた炭治郎たちは大いに苦しむことになります。
 ようやく夢の世界を脱したものの、既に魘夢は汽車と一体化。内部の二百人の乗客を守りつつ魘夢を倒すという困難な戦いを、何とか炭治郎たちはやり遂げたのですが……

 これはこれで実に見応えがある戦いだったのですが、しかし少々残念な点が一つ。それは炭治郎のいわば上官としてこの戦いに加わっていた、鬼殺隊最強の九人である「柱」の一人、炎柱・煉獄杏寿郎が、その全力を発揮していないことであります。
 その奇抜なビジュアルと言動で、登場しただけで強烈なインパクトを残す杏寿郎。しかし車内では早速魘夢の術中に落ち、その後は的確な指示で炭治郎たちを動かし、見事二百人の乗客を守り切ったものの、やはりもっと活躍して欲しかった――と思いきや!

 死闘の末にほとんど力を使い果たした炭治郎に突如襲いかかる影と、それを切り裂く炎。鬼殺隊抹殺に現れた上弦の参・猗窩座が炭治郎を狙い、そして杏寿郎に阻まれたのです。
 下弦とは桁外れの戦闘力を持ち、かつて幾人もの柱を屠ったという猗窩座。弱い者を見下し命を奪おうとする猗窩座に対し、炭治郎の強さを認める杏寿郎がついにその全力を見せることに……!


 この巻のサブタイトルは「上弦の力・柱の力」。いわば両陣営でのトップクラスの実力者同士の戦い――炭治郎たちとは一段も二段も上の者たちが、ここで激突することになります。
 凄まじい速度で驚異的な破壊力の拳を繰り出す猗窩座に一歩も引かぬ杏寿郎。その戦いは、野性の男・伊之助ですら(いや野性の男だからこそ)身動きを許さぬものであります。

 しかし哀しいかな、どれだけ猗窩座に痛撃を与えようとも、鬼の――それも上弦の鬼の再生力は尋常ではありません。死力を尽くした戦いの果て、唯一の勝機を見出した杏寿郎の見せた行動は、そしてそれがもたらした先にあるものは……
 この先は是非とも作品に当たっていただきたいので詳細は伏せさせていただきますが、ここで描かれたものは、杏寿郎にとっての強さ、人間としての強さと言うべきものにほかならないでしょう。

 猗窩座の強さが相手を傷つけ、叩き潰す――その一方で、己が認めた強者である杏寿郎を鬼にスカウトしようとする奇妙な律儀さもあるのですが――ものであるのに対し、杏寿郎の強さは誰かを守ろうとする心から生まれる力。
 それこそが圧倒的に不利な状況下においても杏寿郎が、そして炭治郎たちが鬼に戦いを挑む原動力であり、同時に鬼殺隊員の資格と言うべきものなのでしょう。
(かつて真っ先に炭治郎と禰豆子の処刑を主張した杏寿郎が、二人を認める言葉にグッとくる……)

 もちろん、一人の強さには限界があるかもしれません。しかしその強さは、強くあろうとする心は、人から人に受け継がれ、さらなる強さを生み出す――杏寿郎の言葉は、それを力強く語るのであります。
 そしてそれを真っ先に受け止めたのが、人の心というものに疎かった伊之助だというのがまた泣かせるではありませんか。

 その後も様々な波紋を残した杏寿郎ですが、しかし彼の勇姿は、言葉は、炭治郎たちはもちろんのこと、煉獄家の人の心をも必ず動かす――そう信じられるのであります。

(しかし、そんな感動的な展開の直後に、間髪入れずに包丁を振りかざす37歳を投入してくるという鬼のような緩急のつけぶりもまた、本作の真骨頂でしょう)


 そして戦いは新章へ突入します。メイクに宝石ジャラジャラの傲岸不遜なマッチョという、これまたキャラの立ちすぎた派手柱――いや音柱・宇髄天元(何と元忍び)とともに炭治郎・善逸・伊之助が向かうのは、何と色街!

 およそ彼らには似合わぬ場で炭治郎たち三人を待つ任務は――何となく予想が付いてしまうのですが、さてどうなることか。またもやとんでもない展開になりそうな雲行きであります。


『鬼滅の刃』第8巻(吾峠呼世晴 集英社少年ジャンプコミックス) Amazon
鬼滅の刃 8 (ジャンプコミックス)


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2017.10.12

玉井雪雄『本阿弥ストラット』第2巻 落ちこぼれチームのレース始まる!?

 最近は時代漫画家としての活躍が目立つ作者の新作もこれで第2巻。本阿弥光悦の玄孫・本阿弥光健を中心に据え、全く先の読めない形で始まった物語も、新酒番船を巡るレースという明確な目的が設定されたものの――そこに至るまでの道はまだまだ波瀾万丈であります。

 女郎屋の代金を踏み倒したために、人買い商人の奴隷船に叩き売られた光健。彼と一緒に閉じ込められていたのは、あらゆる共同体から捨てられて人別を失い、自分たちも希望や気力を失った「棄人」たちのみという最低最悪の状況でしたが……
 しかし自分の「目利き」に絶対の自信を持つ彼は、その力で棄人たちを奮起させ――その過程で想像外の出来事も多々あったものの――人買い商人一味から棄人たちを解放したのでした。

 ところが物語はここから意外な方向に向かいます。棄人の一人・とっつぁん――かつては凄腕の船頭として知られた男・桐下は、棄人たちを率いて、新酒番船に参戦することを宣言したのであります。

 この新酒番船とは、一言でいえば新酒の輸送レース。毎年、上方の新酒を積んだ廻船を大坂や西宮の問屋14軒がそれぞれ仕立て、西宮-江戸間の競争を行ったものです。
 通常で5日ほど、最高記録は2日半という通常では考えられない過酷なこのレースは、それだけに海の男たちの誇りと技術の粋を結集した一大イベント。どうやら本作では裏の顔もあったようですがそれはさておき……

 しかし、桐下を除けばド素人だらけの面子でこのレースに参戦するのは無謀の一言。そもそも、参加のためには参加権が必要で――というわけで桐下と光健は、かつて桐下を裏切り、全てを奪ってのし上がった男が作った廻船問屋・海老屋を最初のターゲットにすることになります。
 その跡取りの器を見極め、揺さぶりをかける光健ですが、それが思わぬ結果をもたらすことに……
(ちなみにここで桐下の後ろ盾になるのが、史実の上でも色々と曰くのある兵庫の北風家なのが実に面白い)


 と、第1巻の時点では人買い船の上が舞台と、全く先が読めなかった本作ですが、この巻ではだいぶその向かう先が見えてきた印象があります。
 それは言うなれば落ちこぼれチームもの――世間からはみ出した連中が、能力的にも立場的にも圧倒的に上の相手に、特技とチームワークで立ち向かっていくという、スポーツものなどによくあるパターンであります。

 しかし時代劇ではほとんど記憶にないこのパターンを、このような形でやってしまうとは――と大いに驚かされるのですが、本作の面白さはそれだけに留まりません。
 これがスポーツものであればスカウトマンでありコーチ役ともいえる光健――しかし第1巻の紹介でも触れたように、彼が行うのはあくまでも人物の器を「目利き」すること。その先、その器を相手がどう使うかまでは、彼のコントロールするところではないのです。

 この巻でも、海老屋の息子たちを彼が目利きしたことがきっかけで、とんでもない事態に発展するのですが――そのままならなさが実に面白いとしか言いようがありません。


 何はともあれ、光健も加わった棄人チームも参加して、ついに始まった新酒番船。
 海老屋だけでなく、ほかにも一癖も二癖もありそうな連中が参加したこのレースの行方はどうなるのか、そして光健は仲間たちの、そして自分自身の目利きをすることができるのか……

 いよいよ物語が走り出した今、その向かう先が楽しみでなりません。


『本阿弥ストラット』第2巻(玉井雪雄 講談社ヤンマガKCスペシャル) Amazon
本阿弥ストラット(2) (ヤンマガKCスペシャル)


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2017.10.11

ほおのきソラ『戦国ヴァンプ』第5巻  急転直下、物語の行方は……

 現代からタイムスリップした女子高生・ひさきが出会った織田信長は吸血鬼だった――という奇想天外歴史漫画もいよいよクライマックス。入れ替わり、一人二役と史実との対応も混沌としてきた中、信長たちの運命を操るある悪意の存在とは……

 幼馴染みのはじめとともに戦国時代にタイムスリップし、吸血鬼の王たる三好長慶に庇護されたことから、思わぬ運命に投げ込まれることになったひさき。
 成り行きから長慶の股肱であった松永久秀と名乗ることとなった彼女は、彼女にぞっこんの信長とともに戦乱を収めようとするのですが、その最中、密かに惹かれ合っていた松永長頼は戦火に消えることに……

 という展開の本作、ここでネタバレまじりにこの巻冒頭の人物関係を整理すれば――
・ひさき→松永久秀
・織田信長(吸血鬼)
・豊臣秀吉(人狼)
・はじめ→徳川家康(本物は死亡)
・三好長慶→果心居士(死を装って改名)
・松永久秀(吸血鬼ハンター)
・松永長頼→明智光秀(死を装って改名)
と、何とも大変な状況であります。

 果心と真・久秀を除けば全ての矢印がひさきに向いているこの状況、ひさきの動向で天下の行方が決まる! と言いたいところですが、しかし意外な人物が、登場人物ほとんど全ての運命を左右していくことになります。
 その名は三好義継――吸血鬼と人間の間の子であり、真・久秀に一族を全て殺された三好一族の一人。彼は、復讐のため吸血鬼に関わる者たち――特に信長を苦しめるために、密かに暗躍を始めることになるのです。


 ここから物語は急展開、またたく間に信長の将軍義昭擁立から信長包囲網、浅井家滅亡から比叡山焼き討ち、そして本能寺へ――と歴史は突き進んでいくことになります。
 そもそも本作のスタートは1559年の信長上洛、この巻の冒頭で光秀(実は長頼)が信長に仕官して本能寺とくれば、1567年頃から1582年まで約15年間を一気に辿ったことなりますが――まあこの辺りは、異分子の闖入によって歴史の流れが加速したと思いましょう。
(吸血鬼だから年取らない、ということもあるかもしれませんが……)

 その辺りは目を瞑るとして、個人的に大いに引っかかってしまったのは、上で述べたように、この歴史の流れの大半が、ほとんどただ一人の登場人物――三好義継の手によって操られたという点であります。
 いや、違和感を感じたのは義継だから、というわけではなく、たった一人の思惑によって登場人物たちが右往左往し、歴史が動かされていったため。それが(厳しい言い方をすれば)物語の都合によるものを濃厚に感じさせるとすれば、なおさらであります。

 さらに言ってしまえばこの歴史の中で、主人公たるひさきの存在が、争いの火種役以上のものになっていないのが口惜しい。
 もちろん、これまでの物語で彼女は彼女なりの決意を固めてはいるのですが、しかしこの急展開の中ではその結果が見えない――また厳しいことを言えば、何も成長していないのが残念なのです(というか終盤の出番は……)。


 本能寺とくればわかるように、本作はこの第5巻にて完結。しかし上で触れたように、物語の流れはかなり性急であります。
 この辺りの事情はわかりませんが、これだけ急がなければ、あるいはこの辺りの印象は大きく変わったかもしれません。
 何はともあれ、前の巻まではその歴史アレンジぶりがなかなか楽しかっただけに(服部半蔵や濃姫など、味のあるキャラもいただけに)、この最終巻の展開は、何とも勿体なく感じられた次第です。

『戦国ヴァンプ』第5巻(ほおのきソラ 講談社KCx(ARIA)) Amazon
戦国ヴァンプ(5) (KCx)


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2017.10.10

鳥飼否宇『紅城奇譚』 呪われた城に浮かびあがる時代の縮図

 天正8年(1580年)、九州で島津家らがしのぎを削っていた頃、その豪勇ぶりで他家から怖れられていた鷹生龍政。主家を滅ぼし、居城と美しい姫君を奪った龍政は、その城を真っ赤な色に塗り、紅城と名を改めた。しかしその紅城で、龍政の周囲の人間が次々と奇怪な死を遂げていく……

 奇想に満ちたミステリを得意とする鳥飼否宇初の時代ミステリは、一種のゴシックロマンとも言うべき物語――真っ赤に塗り上げられた城を舞台に、そこに住まう暴君一族を巡る奇怪かつ陰惨な事件の数々を描く連作ミステリであります。

 戦国時代真っ只中の九州で、下克上を地で行くような形で成り上がった鷹生の当主・龍政。
 略奪したかつての主家の姫君・鶴姫を正室とし、雪・月・花の名を持つ三人の美しい側室を侍らせる龍政は、今が盛りとばかりに気ままな日々を送っていたのですが――ある日突然に恐るべき凶事が起きることとなります。

 城の井戸曲輪で首なし死体となって発見された鶴姫と、その直後に月見櫓から飛び降りて命を絶った雪。
 正室として一男一女を生んだ鶴姫と、懐妊中の雪――事件は妻妾の間の怨恨のもつれと思われたのですが……

 そんな『妻妾の策略』を皮切りに、本作は4つの怪事件を描くパートが中心となって構成されています。
 宴の最中、龍政の娘が汲んできた鶴姫秘蔵の酒を飲んだ者が怪死を遂げる『暴君の毒死

 龍政の息子をはじめとする若武者たちの弓比べで逸れた矢が思わぬ犠牲者を生む『一族の非業』
 ある雪の日、相次ぐ凶事に天守に籠もった龍政を襲う最後の怪事件『天守の密室』

 最初の事件を含め、いずれも加害者は明白に思われる事件の数々。それを受けて、龍政の暴君ぶりがさらに死者を増やしていく中、本作の探偵役は、全く異なる答えを示すことになります。

 その探偵役は、龍政の腹心である弓削月之丞――眉目秀麗にして知勇に優れた彼は、事件の背後に隠された真実を次々と解き明かしていくのですが……


 呪われた過去を持つ城という、一種の――空間的なだけでなく、精神的な意味でも――密室を共通した舞台に設定した本作。そこで繰り広げられる事件の数々は、いずれも趣向を凝らしたものばかりであります。
 機械的なトリックあり、心理の綾をついたトリックありと様々ですが、実に面白いのは、上で述べたとおり、一見犯人は明らかなようでいて、実は――と更なる真相が月之丞によって解き明かされるという、実に凝った構図でしょう(しかもさらに……)。

 個人的に特に印象に残ったのは、酒盃の中に投入された毒を巡る『暴君の毒死』であります。
 盃に注がれた酒の壺と毒の入った壺が近くに、しかし明確に外観でわかるように置かれていた、というシチュエーションから、これは○○ネタに違いないと思ってみれば――それを遙かに上回る怨念の系譜を感じさせるトリック(きちんと伏線も用意されていて)には、大いに唸らされました。


 そして謎解きもさることながら、本作はその舞台設定、物語構造もまた魅力的であると感じます。
 絶対的な暴君として城内の者の生殺与奪の権を握り、淫欲にふける龍政。本作で描かれるのは、紅城に君臨する彼の、そして彼の一族の末路であります。

 それはもちろん本作独自の物語であり、それ以前に紅城や鷹生龍政も(鷹生氏自体も)架空の存在であります。
 しかし、ここで描かれる龍政の生き様や、彼が過去に働いた所業、そしてそれ以上に作中で彼と彼の一族が図らずも働く所業――それはこの時代の縮図、戦国大名たちの姿の象徴であるようにも感じられるのです。

 正直に申し上げれば、物語が進んでいくにつれて、オヤ? という部分があり、物語の構造自体は途中で読めてしまう(こちらは最後まで予想通りでした)のはいささか残念な点ではあります。
 そこからもたらされる結末も、ある意味意外性はありません。

 しかしこうした点も含めて、奇想に富んだミステリであると同時に――そして戦国ゴシックとも言うべき世界を作り出しつつ――その中で戦国という狂った時代の縮図を描き出してみせた点に、僕は惹かれるものを感じるのです。


『紅城奇譚』(鳥飼否宇 講談社) Amazon
紅城奇譚

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2017.10.09

入門者向け時代伝奇小説百選 江戸(その一)

 入門者向け時代伝奇小説百選、今回は本丸ともいうべき江戸時代を舞台とした作品のその一であります。

71.『蛍丸伝奇』(えとう乱星)
72.『吉原御免状』(隆慶一郎)
73.『かげろう絵図』(松本清張)
74.『竜門の衛 将軍家見聞役元八郎』(上田秀人)
75.『魔岩伝説』(荒山徹)


71.『蛍丸伝奇』(えとう乱星) 【剣豪】 Amazon
 最近の名刀ブームで俄かに知名度の上がった名刀・蛍丸。本作はその蛍丸を巡り、幾多の剣豪たちが激突する物語です。

 勤王の象徴である螢丸を所望した後水尾上皇の動きを警戒する幕府。上皇を抑えるために西国に向かうことになったのは、沢庵和尚の弟子であり、上皇の異母弟である青年僧・化龍でした。しかし彼の前には、柳生一門、宮本武蔵、そして松山主水がそれぞれの思惑を秘めて立ち塞がることに……

 名刀を巡る剣豪バトルロイヤルが展開される本作。しかしそれと同時に、そこでは化龍をはじめとする登場人物たちが抱えた哀しみの存在と、その浄化をも描き出します。派手な伝奇活劇と、切なく暖かい群像劇を得意とする作者ならではの作品です。


72.『吉原御免状』(隆慶一郎) 【剣豪】 Amazon
 その作家としての活動期間の短さにもかかわらず、今なお多くの読者を魅了して止まぬ作者のデビュー作であります。
 宮本武蔵に育てられ、師の遺言に従って吉原に現れた好青年・松永誠一郎。彼はそこで吉原に隠された神君家康の御免状を狙う柳生一門と対峙することになります。そしてそれはやがて彼自身の出生の秘密にも関わっていくことに……

 吉原に秘められた秘密、幕府と天皇家の激しい暗闘と、娯楽性の高さは言うまでもないことながら、無縁・公界など網野善彦の歴史学の成果をも取り込んだ、一種アカデミックな伝奇世界を作り出した本作。
 その一方で、一人の無垢な青年の成長を描く青春小説としても第一級の作品であります。

(その他おすすめ)
『かくれさと苦界行』(隆慶一郎) Amazon
『死ぬことと見つけたり』(隆慶一郎) Amazon


73.『かげろう絵図』(松本清張) 【ミステリ】 Amazon
 言うまでもなく社会派ミステリの巨匠である作者が天保期を舞台に、権力に群がる人々の姿を描いた大作です。

 大御所家斉や大奥と結び、権勢をほしいままにする中野石翁。寺社奉行・脇坂淡路守が大奥の腐敗を暴かんとする中、淡路守派の旗本の甥・島田新之助もこの暗闘に巻き込まれていくことになります。敵味方を問わず次々と犠牲者が出る中、新之助が見たものは……

 政治を牛耳る巨悪という如何にも作者らしい題材を描きつつも(下山事件を思わせる展開も……)、単純な善悪の戦いに留まらず、人々の現世的な欲望の世界を描いた本作。
 ヒーローの立場にありつつも、超然とした視点から人々の右往左往する様を見る新之助の存在が強く印象に残ります。


74.『竜門の衛 将軍家見聞役元八郎』(上田秀人) Amazon
 いまや文庫書き下ろし時代小説界の代表選手の一人となった作者のデビュー作にして、作者の魅力が色濃く現れた快作です。

 八代将軍吉宗の時代、将軍嗣子・家重暗殺の企みに巻き込まれた南町同心・三田村元八郎。その功績を買われて抜擢された彼は、将軍宣下を巡る陰謀を探るため、京に向かうことに。暗闘が帝の身辺にも及ぶ中、元八郎の宝蔵院一刀流が唸る……!

 その作品の多くで、権力を巡る幕閣たちの暗闘と、それに巻き込まれた剣の達人の苦闘、そしてその背後の伝奇的秘密を描いてきた作者。そんな特徴は、第一作である本作の時点で、はっきりと現れています。
 巨大な権力を前にしても己を失わない主人公の活躍が爽快な名作です。

(その他おすすめ)
『幻影の天守閣』(上田秀人) Amazon
『奥右筆秘帳』シリーズ(上田秀人) Amazon


75.『魔岩伝説』(荒山徹) Amazon
 日本と朝鮮の交流史を背景に、奇想天外な作品を次々に発表してきた作者。その作者の魅力が最もストレートに現れた作品です。

 50年ぶりの朝鮮通信使来日を控えた頃、対馬藩江戸屋敷に出現した怪人。この騒動に巻き込まれたことから、若き日の遠山景元は、朝鮮の美少女・春香とともに海を越え、通信使に秘められた秘密を追うことになります。しかし二人の後を追い、若き日の鳥居耀蔵、剣豪・柳生卍兵衛も朝鮮に向かうことに……

 徳川幕府と李氏朝鮮の間に隠された巨大すぎる秘密の存在を朝鮮妖術を絡めつつ描く本作。本作はそんな伝奇活劇と同時に、権力に屈せぬ人々の姿、そして戦いの中で成長する青年の姿を描いていきます。美しいラストも必見!

(その他おすすめ)
『高麗秘帖』(荒山徹) Amazon
『鳳凰の黙示録』(荒山徹) Amazon



今回紹介した本
螢丸伝奇吉原御免状 (新潮文庫)かげろう絵図〈上〉 (文春文庫)将軍家見聞役 元八郎 一  竜門の衛<新装版> (徳間文庫)魔岩伝説 (祥伝社文庫)


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 「蛍丸伝奇」 勤王の名刀と鎮魂の象徴と
 青春小説として 「吉原御免状」再読
 松本清張『かげろう絵図』上巻 大奥と市井、二つの世界を結ぶ陰謀
 「魔岩伝説」 荒山作品ここにあり! の快作

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2017.10.08

『お江戸ねこぱんち 赤とんぼ編』(その二)

 『お江戸ねこぱんち』誌、リニューアル第三弾の作品紹介の後編であります。今回もなかなかバラエティに富んだ作品が並びます。

『ねこよめ』(下総國生)
 前号でも印象に残りましたが、今回も絵のうまさという点ではトップクラスの作者による本作は、物語の点でも印象に残る佳品であります。

 子供の頃から出入りしていた屋敷で、木から落ち掛けた猫を助けた植木職人の七蔵。翌朝、彼が一人暮らす長屋で目覚めてみれば、見覚えのない美しい娘が家事をしていたのであります。
 自分は助けてもらった猫の玉だと名乗る彼女の言葉に半信半疑でありつつも、いつしか惹かれていく七蔵ですが……

 この雑誌にはしばしば登場しますが、猫が美女に化けて恩返しにやってくるなどということは、現実世界ではあり得ないお話であります。七蔵もそれを十分に理解した上で、玉が最近姿を見せない屋敷の一人娘と睨み、敢えて突き放すのですが――そこからの一ひねりが、もの悲しくも何とも切ない。
 七蔵の視点からすっぽりと抜け落ちていた存在が悲しくも大きな意味を持って立ち上がってくる結末を読んでから、もう一度タイトルページを見れば、その切なさがさらに強く立ち上がってくる――そんな作品であります。


『のら赤』(桐村海丸)
 すっかり定着した感のある、遊び人の赤助ののんべんだらりとした日常を描くシリーズである本作。しかし、今回描かれるのはなんと赤助の過去であります。

 実は歴とした武士、虹藤家の五男坊だった赤助。その頃から変わらず、のら猫のようにあっちこっちにほっつき歩いていた赤助ですが、ある日、家が藩命で解散(という表現はどうなのかしら)することになって……

 切ない物語も、さらりと良い意味で軽く描く本シリーズらしく、今回も良い意味で物語があるようなないようなエピソードであります。
 そんな中で、赤助と他家に養子に出る兄との会話、そして現在、赤助を可愛がる養父の言葉に、何とも言えぬ味わいがあります。赤助はこれまでも、これからも変わらないのだろうな――そんなことを苦笑まじりに考えさせられるお話。


『猫鬼の死にぞこない』(晏芸嘉三)
 『物見の文士』シリーズを手がけてきた作者の新作は、一種の変身ヒーローもの(!?)とも言うべき異形の主人公の活躍を描く物語の開幕編であります。

 半年前、任務中に猫を助けて爆発に巻き込まれ、片手片足が不具となった元隠密・彪真。若隠居状態の暮らしを退屈混じりに過ごす彪真ですが、そんな彼には不可解な記憶がありました。
 爆発の直後、本来であればとても助からないはずの深手を負っていた彪真。そんな彼の前に現れた猫鬼を名乗る美女・芙蓉は彼にしたのは……

 そんなある日、近所の子供を襲う謎の怪物。子供を救うため、怪物と対峙して窮地に陥った彪馬の中で、異形の力が目覚めることになります。

 突然現れた怪物の正体は、そしてその秘密をも知るらしい芙蓉は何者なのか――第1話ということもあって、冷静に考えるとわからないことだらけの今回。
 それでも、クライマックスで彪馬が見せる姿――異形でありつつも、それでいて人から離れないそのビジュアルなどなかなか格好良く、今後の展開に期待させられます。本誌には珍しい方向性の作品だけに特に……


 というわけで最近では一番の充実度が感じられた今号の『お江戸ねこぱんち』。
 次号の発売は2月1日とのことで少々先ではありますが、逆にいえばそれだけ待てば次の号が読めるということ。その日まで楽しみに待ちたいと思います。


『お江戸ねこぱんち 赤とんぼ編』(少年画報社にゃんCOMI廉価版コミック) Amazon
お江戸ねこぱんち赤とんぼ編 (にゃんCOMI廉価版コミック)


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2017.10.07

『お江戸ねこぱんち 赤とんぼ編』(その一)

 めでたくリニューアル第三弾を迎えた『お江戸ねこぱんち』誌。今回も数多くの作品が収録されていますが、ファンタジー色の強い作品も少なからず含まれているのが嬉しいところであります。ファンタジーも非ファンタジーも魅力的な作品の多い今回ですが、特に印象に残った作品を取り上げます。

『平賀源内の猫』(栗城祥子)
 かの平賀源内とその身の回りをする赤毛の少女・文緒、猫の「えれきてる」が様々な事件に挑む連作――今回は源内とは旧知の大奥御年寄・玉沢の強引な依頼で、源内と文緒は大奥に潜入捜査をする羽目になります。
 その依頼とは、大奥の薬棚から盗まれた毒薬とその犯人捜し。周囲から赤毛をからかわれながらも、えれきてるに助けられて大奥で働く文緒ですが……

 正直に申し上げれば、本作には時代ものとして見ればかなり乱暴なところがあります(文緒が源内への人質として大奥に連れ去られ、源内が謎を解けなければ大奥に一生奉公させられるという設定はさすがに……)。
 それでも本作が面白いのは、この大奥での毒薬探しというメインエピソードに、源内が売り出そうとしていたびいどろの鏡、文緒のコンプレックス、そして玉沢の過去と人生哲学といった要素が有機的に結びついて、一つの物語として成立しているからでしょう。前回同様、話作りの巧みさが光る作品です。


『猫ノ目夜話』(ほしのなつみ)
 気がつけば『お江戸猫ぱんち』最古参の本作。剣術道場の跡取りの青年・榛馬と黒猫の夜刀、眼帯(包帯)美少女の輝久のトリオのもののけ退治が今回も描かれることになります。

 化け猫が出没するという噂の空き家にやってきた二人と一匹。しかし夜刀が早速謎の妖に攫われ、後を追った二人は長屋の地下の異空間で、怪事の正体と出会うことに……

 と、書きようによってはかなり怖い話になりそうな展開ですが、登場するもののけがまた実に可愛い。
 結末は予想できるものの、妖の正体にも一ひねりあり、安定の一作です
(ただ、化け猫屋敷ネタは以前にもあったような……)


『猫と召しませ古着市』(須田翔子)
 柳原土手に立ち並ぶ古着屋の中で、猫の紬と一緒に店を続けてきたお染婆さん。いよいよ明日には店を畳もうという彼女が出会ったのは、奉公先のお嬢さんの着物を汚して怒られ、泣いていた少女で……

 と、古着をテーマにした人情ものである本作。満足なものを着ることができず、穴だらけの着物を着た少女に、古着の良さを教えるとお染婆さんがツギを当てて――という物語自体はシンプルなのですが、古着一つ一つに込められた元の持ち主の物語が、少女に元気を与えるという展開が気持ちいい。

 何よりも、穴だらけだった着物が、色とりどりの様々な端切れが当てられた――様々な人々の想いが詰まった着物になっていく様を、ビジュアルとして描いてみせるのが実に良いのです。
 これは漫画でしか見せられない物語、漫画だからこその表現と言うべきでしょう。

 柳原は今で言えば万世橋から浅草橋までの辺り。江戸時代は本作のように古着屋が並んでいたそこが、今では繊維街となっているという事実の陰には、本作のような物語があったのかもしれないと思えば、何だか楽しくなってくるではありませんか。


『お江戸むらさき料理帖』(さかきしん)
 嫁入りすることになったが花嫁修業は全くのキヨ。家代々のならわしで、母からお目付役の猫・むらさきをつけられた彼女ですが、突然むらさきが喋りだし……

 漫画・小説を問わず最近では定番の料理ものの本作ですが、ユニークなのは主人公に料理指南をするのが喋る猫であること。
 わずか8ページの作品のため、内容的にはあっさりとしていますが、絵柄の可愛らしさもあって、妙に印象に残る作品です。


 今回はかなりの充実ぶりのため、残りは次回紹介させていただきます。


『お江戸ねこぱんち 赤とんぼ編』(少年画報社にゃんCOMI廉価版コミック) Amazon
お江戸ねこぱんち赤とんぼ編 (にゃんCOMI廉価版コミック)


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2017.10.06

一峰大二『風雲ライオン丸』 巧みなチョイスによる名コミカライズ

 ピープロ作品のコミカライズはこの人、とも言うべき一峰大二による漫画版『風雲ライオン丸』であります。「冒険王」誌及び「別冊冒険王映画テレビマガジン」誌に掲載されたもの(及びサンケイ新聞に連載された若林不二吾版)を収録した角川書店版の単行本をベースに紹介いたします。

 マントルゴッドの地下帝国に兄を殺された弾獅子丸。彼は兄の遺言を胸に、背のロケット噴射でライオン丸に変身、父を探して旅する志乃と三吉姉弟とともに、マントル一族に戦いを挑む……

 というTV版の内容は基本的にそのままに描かれるこの漫画版二作。
 どちらも月刊誌で半年間の連載ということで各6話構成、それぞれ内容はパラレルということも考慮に入れても、全25話のTV版の全話再現は当然不可能なのですが――しかし巧みなエピソードチョイスで、TV版とも独立した作品として楽しめるのはさすがと言うべきでしょう。

 「冒険王」版で描かれるのは、バラチとネズマ(TV版では第1・2話(以下同))/シャゴン(第4話)/ズク(第10話)/ザグロ(第11話)/ズガング(第18話)/トビゲラ(第23話)。
 一方、「別冊冒険王」版ではネズマ(第1話)/ガー(第5話)/ガン(第12話)/ゾリラ(第15話)/ヤゴ(第16話)/トビゲラ(第23話)と、冒頭とラストは仕方がないとはいえ(しかし何故トビゲラかぶり……)、結果としてバラエティに富んだ内容であります。

 この2バージョンのうち、「別冊冒険王」版は、一話あたり約20ページと少なめなこともあり、内容的にはかなりシンプル(黒影豹馬も登場しない)なのですが、第4回までの冒頭8ページを飾るカラーページの迫力が素晴らしい。
 特に第1回の真っ赤な夕日を背景に荒野を走る幌馬車、第2回のガーの鱗粉で溶けていく森、第3回のガンの弾丸で溶かされる老人と家など、凄まじいインパクトであります。

 そしてシンプルと言いつつも、ヤゴの回はTV版を相当忠実に再現。掟のために死んでいく忍者たちを目の当たりにしつつ、恥ずかしくても苦しくても生きていくことが大事なんだと語る獅子丸の姿は、TV版同様、強く印象に残ります。


 一方、「冒険王」版は、一話あたり約30から40ページということもあり、各回の物語の充実度はかなりのもの。内容的にはドラマよりも怪人との攻防戦がメインなのですが、そのアクション描写が実にいい。
 ロケット噴射で軽快な立体機動アクションを見せる獅子丸、岩をぶち破りながら怪人二人をまとめて叩き斬るライオン丸など、TV版では技術的な制約で描けなかった描写が、きっちり格好良いのです(あの微妙だったズガングの逆立ち鎖鎌まで……)。

 その迫力ある描写が最大限に発揮された場面の一つが、ブラックジャガー(漫画版ではジャガーマン)の最期でしょう。TV版同様、ザグロに挑んで倒されるのですが――こちらでは矛のような巨大な刃が脳天に半ばまで食い込んだ上に、散弾攻撃で五体バラバラになるというインパクト満点の最期。
 いやはや、これを読んだ後でTV版を観ると、ずいぶんあっさりと感じられてしまうのが恐ろしいところです。

 そしてもう一つ、この漫画版ならではの迫力ある展開が楽しめるのは最終回であります。
 ついに地下帝国の本拠に突入し、マントルゴッドと対決する獅子丸。宙を舞いながらマントルゴッドの火球を躱す、次第に追い詰められていく獅子丸に、囚われの謎の男の助言で春の短刀と冬の太刀を合わせればほとばしる稲妻!

 そして稲妻による洞窟の崩落を利用してのライオン千じん落としがガーンとモロにマントルゴッドの顔面に炸裂! これ、映像でも観たかった! と言いたくなる、実に痛快なフィニッシュなのです。
 ちなみに囚われの謎の男は志乃と三吉の父。こちらではマントルの秘密を隠していたために捕らえられていたということで
悪魔に魂を売ってはいないようであります。


 この最終回の内容や上記のチョイスからもわかるように、実はこの一峰版はTV版の曇りエピソードをほとんど外しているために、TV版とはまた異なる印象になっているのは事実ではあります。
 それでも『風雲ライオン丸』としての独特の味わいはしっかり残っているのはのは、コミカライズの名手ならではの妙技でしょう。

 TV版の破天荒な世界観と作者の野太い描線がマッチした、名コミカライズであります。


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風雲ライオン丸 (カドカワデジタルコミックス)


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2017.10.05

北崎拓『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第2巻 義経の正室、そのキャラは……

 前の巻の発売から丁度2年が経ってしまいましたが、『ますらお 秘本義経記』の約20年ぶりの続編の第2巻であります。三日平氏の乱平定に当たる義経に単身襲いかかる那須与一との戦い。そしてその先に義経の前に現れる思わぬ人物とは……

 平氏との戦いが続く中、義経の前に現れた男・那須与一。相手の心の中を察知することができる異形の右目と人並み優れた弓矢の腕を持つ彼は、かつて淡い想いを交わし合い、己に「与一」の名を与えてくれた那須家の姫に報いるため、義経を狙っていたのであります。

 共に武士として卓越した力を持ちつつも、心の中に埋めようもない虚無を抱え、憑かれたように戦う二人。しかし執念という点では与一が勝ったか、さしもの義経もあわやというところまで追いつめられるのですが……
 それでも何とか窮地を脱した義経ですが、しかしその先に待つのは、彼の思いも寄らぬ事態。都落ちした平氏を追わんと逸る義経を阻むように、貴族たちは彼に検非違使の位を与え、都を守護させんとしたのです。

 ……この検非違使任官は、後に頼朝が義経を難詰する理由の一つとなったことで後世に知られる出来事。それを本作においては、巷説とはまた異なる、奇怪な政治力学にその原因を求めます。
 ある意味極めて純粋な義経には思いも寄らぬような周囲の動きに翻弄される姿は、どこまでも痛ましいのですが(そしてそこでどうしようもないヤンデレぶりを発揮する頼朝)――それが新たな事態を招くことになります。

 義経にいわば足枷として頼朝が打った策。それは婚姻――そう、義経を有力武士の娘と娶せることによって、彼を縛り付けようというのであります。
 そしてここで初登場となるのが、後に義経の正室・郷御前と呼ばれる河越重頼の娘なのですが――冷静に考えると、フィクションにおいて義経の正室にスポットが当たるのは実はかなり珍しいように思います。

 何しろ義経には静御前がいる。特に本作においては、その物語の始まりから、義経と静は運命を共にしてきたのですから、正室の出番がなくとも不思議はありません。
 しかし本作は、その正室をきっちりと登場させてみせるのです。それもある意味、静に匹敵するポテンシャルを持つ存在として。


 本作で描かれる義経の正室、史実では本名不明となっているその名は萌子。
 当時では不美人の象徴であるくせっ毛を持ち、楽しみは絵を描くこととという彼女は、降って沸いたような義経との縁談に驚きつつも、初めて目の当たりにした義経の「たふとし」外見にぼうっっとなって……

 いやはや、登場する作品を間違えたのではないか、と思ってしまうような萌子のキャラクター(にしても名前の直球ぶりがすごい)。殺伐とした人間関係が続く本作において、明らかに異彩を放つ人物ですが――しかし彼女が現れたことで生じる波乱が、思わぬアクセントとして作用するのであります。

 何しろ義経は、戦では軍神の化身のような活躍ぶりを見せるものの、普段は人情――特に女心の機微にはまったく疎い青年。そんな彼ゆえに、萌子の輿入れも意外なほどあっさりと受け入れてしまうのですが……
 それで収まるはずがないのがもちろん静。今回、義経との間の意外な事情(この辺りの事情は実はヘビーなのですが……)も明らかになり、思わぬ三角関係が勃発することになるのであります。

 よく考えてみれば作者は恋愛ものの名手、むしろ本作の方が異色作なのですが、しかしここでこうした変化球を織り交ぜてくるとは、予想だにしていませんでした。
 しかしこれもおそらくは、いや間違いなく、『ますらお』という義経の物語を描く上で不可欠なものなのでしょう。そのことは、萌子の思わぬ能力が招く義経との交感の姿を見れば、十分感じ取れるのではないでしょうか。

 思えば萌子、すなわち郷御前は、静よりも長く、その最期の刻まで義経と行動を共にした人物。その彼女をあえて登場させる以上、ただの賑やかしで終わるはずもない――これまでの物語を思い返せば、そう思えるのです。


 さて、そんな思わぬ人物の登場でちょっと後ろに下がった感のある与一ですが、後半では意外な人物と絡むことになります。
 『ますらお』無印からの時間の流れを感じさせるその人物――いささかステロタイプにも見えますが――と与一との出会いが、彼だけでなく、義経の今後にも影響を及ぼすであろうことは、想像に難くありません。

 いよいよ佳境の物語、続巻はあまり待たせないで欲しい――そう切に願う次第です。


『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第2巻(北崎拓 少年画報社YKコミックス) Amazon
ますらお 秘本義経記 波弦、屋島 2 (ヤングキングコミックス)


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2017.10.04

畠中恵『とるとだす』 若だんな、妙薬を求めて奔走す

 シリーズ第1作刊行から既に16年を経つつも、なおも快調の『しゃばけ』シリーズの最新作であります。突如人事不省の身になってしまった長崎屋の主・藤兵衛を救うため、若だんなこと一太郎と妖たちが、江戸の町を奔走することになります。

 これまで同様、短編集でありつつも、全体で一つの物語を構成する本作。その発端となるのが冒頭のエピソードにして表題作の『とるとだす』であります。
 ある日、お馴染み寛朝和尚の広徳寺に集められた薬種屋の主人たち。その中には、藤兵衛と一太郎も含まれていたのですが――何やら集まった薬種屋たちの間に険悪なムードが漂う中、藤兵衛が倒れてしまいます。

 医者でも、いや年経りた妖である兄やたちでも手の施しようのない状態となってしまった父に驚き悲しむ若だんな。しかし父を救うには、その身に何が起きたのかを知る必要があります。
 そのために、広徳寺に集まった薬種屋たちを向こうに回して推理を巡らせる若だんなと妖たち。そして明らかになった真相は、何とも切ないもので……


 そんな物語を皮切りに、本作ではなかなか快復しない藤兵衛を救うための手段を求める一太郎たちの懸命の努力が描かれることになります――が、そこに数々の妖が絡んで事件や騒動が勃発するのは言うまでもありません。

 第2話『しんのいみ』は、自分が見たこともない町にいることに気付いた若だんな、という謎めいた状況から始まる物語。
 留まっているうちに徐々に記憶が失われていくというその町があるのは、どうやら江戸の沖に現れた蜃気楼の中らしいと知る若だんなですが、そこから脱出するためには、この世界の主を見つけ、その正体を告げる必要があるというのですが……

 作中に秘められた謎の答えは比較的早い段階で気付くのですが、幻の町というシチュエーションと、そこに暮らす者たちの秘めた想いが印象に残るエピソードであります。

 続く第3話『ばけねこつき』では、とある染物屋が一太郎に縁談を持ち込むという不可解な事件(?)から物語がスタート。
 そもそも一太郎には既に許嫁がいるのはファンにはご存じのとおりですが、染物屋の娘は化け猫憑きの噂を立てられて縁談を立て続けに断られている状態。持参金代わりに秘伝の薬をつけるので、妖と縁が深い(らしい)若旦那にもらってほしいというのです。

 もちろん断ったものの、この一件が瓦版に書き立てられ、ややこしくなってく状況。
 事態を収めるべく、背後の事情を探り始めた一太郎が解き明かした真相が浮き彫りにする、人間の心が時に嵌まる陥穽の存在が強く印象に残ります

 そして題名だけでギョッとさせられる第4話『長崎屋の主が死んだ』は、シリーズには比較的珍しい、人に仇なす凶悪な妖との対決を描く一編であります。
 ある日突然長崎屋に現れ、長崎屋の主は死ななければならないと告げた、骸骨のような異形――狂骨。寛朝の護符の力で一度は撃退したものの、野放しにはできたないと追う若だんなたちの耳には、狂骨の犠牲者と思われる噂が次々と飛び込んでくるのでした。

 一見全くバラバラに見える犠牲者たちにどのような繋がりがあるのか。狂骨は彼らにどのような怨みを持つのか。そして狂骨の正体は――
 背筋の凍るような怨霊の跳梁を描きつつも、しかしその陰にあるのは、世の理不尽に為すすべもなかった人間の哀しい涙。事件を解決しても割り切れないものが残る、本作で最も印象的なエピソードであります。

 そしてラストの『ふろうふし』では、大黒様から、少彦名ならば藤兵衛を救う解毒薬が作れるのではないかと聞いた若だんなが常世の国に向かうも、着いたのはなんと――という物語。
 そのすっとぼけた展開は面白いのですが、一太郎の出会った神仙たちの正体をはじめとして、作中に登場する名前を使った仕掛けが、本シリーズにしてはわかりやすすぎるのが残念なところでした(特に若だんなが出会った「一寸法師」の正体など……)


 と、駆け足で紹介しましたが、今回もまた、コミカルなキャラクターたちのやりとりとユニークなシチュエーション、そしてミステリ要素とほろ苦い味付けを存分に楽しませていただきました。
 ラストのエピソードのキレが今ひとつだったこと、また藤兵衛を救うという目的が後ろにいくにつれ薄れてきたことなど、少々残念な点はあるのですが、それでもラストまで一気に読まされる、読まずにはいられない物語りであるのは、さすがというほかないのであります。


『とるとだす』(畠中恵 新潮社) Amazon
とるとだす


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 しゃばけ
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2017.10.03

伊藤勢『天竺熱風録』第2巻 熱い大地を行く混蛋(バカ)二人!

 田中芳樹が唐代に実在した快男児を主人公に描いた物語を、伊藤勢が独自の視点で漫画化した第2巻であります。摩伽陀国を簒奪した暴君に理不尽に仲間ともども捕らえられた唐の外交使節・王玄策の冒険は、いよいよここから本格的に始まることになります。

 唐の外交使節団の正史として、久方ぶりに摩伽陀国を訪れた王玄策。しかし摩伽陀国の王・ハルシャ王は謎めいた死を遂げ、その後を継いだと称するアルジュナの命により、玄策と使節団数十名は、無法にも捕らえられ、獄に繋がれることとなります。
 牢獄の中で出会った怪老人・那羅延娑婆寐から、抜け道の存在を教えられる玄策。しかしそこから全員が抜け出しても逃げ切れるはずもありません。

 かくて悩んだ末に、玄策は自分と副使の蒋師仁の二人のみで密かに牢を脱出し、ネパール・カトマンドゥからの援兵を連れて悪王を討つという道を選ぶのですが……


 というわけで、牢から脱出したところから始まるこの第2巻。ひとまずは自由の身となった玄策と師仁ですが、しかしその自由はあくまでもかりそめのもの。自分を信じて送り出してくれた仲間たちを救い出すためのものであります。
 そのためには一刻も早く摩伽陀国を脱出しなければならないのですが――しかし早くも襲いかかるオリジナル展開!

 折悪しく、アルジュナ配下の奇怪な仮面の怪人に見つかってしまった二人。ここで見つかれば全てが水の泡と、怪人に挑む二人ですが、魔神めいた複数の腕を持つ怪人に多大な苦戦を強いられることに……
 上で述べたようにこの辺りはオリジナル展開なのですが、ビジュアルといい正体といい、いかにも伊藤勢らしい趣味の怪人と、これまた伊藤勢らしいダイナミックな活劇が実に楽しいのであります。

 そしてそんな強敵を辛くも撃破したものの一文無しの二人。先立つものがなければと、覚悟を決めてある屋敷に潜入してみれば、そこは……
 と、ここで描かれるのは、おそらくは前半の山場であろう、玄策と先王の妹・ラージャシュリー、そして彼女に仕える少女・ヤスミナとの出会いであります。

 民に慕われ、ひとまずは身の安全を保証されながらも、完全に軟禁状態におかれ、本人は視力を失ったラージャシュリー。
 一歩間違えればアルジュナ以上に摩伽陀国にとっては害となりかねぬ玄策の考えを見抜きつつも、あえて力を貸すラージャシュリーの助けで、なんとか玄策と師仁は城を脱出しようとするのですが……

 この辺りの展開はほぼ原作同様ではありますが、しかし玄策とラージャシュリーの間で語られる内容――摩伽陀国を巡る状況やアルジュナの正体を巡る会話のディテールの細かさは、これはこの漫画版ならではの内容と言うべきでしょうか。

 そして漫画版ならではといえば、この後に描かれる玄策たちの王都・曲女城脱出劇もまた、実にそれらしい。
 ヤスミナの先導で城門に向かう二人。城兵に誰何されて危機一髪、というところで彼らを助けたのは――というのも原作通りですが、ここでの助っ人たちの活躍ぶり、というよりも彼らの造形が実にまたイイのであります。
(きっといつか出て来るだろうと思いきや、やっぱりスターシステムで登場した彼女)

 イイといえば何よりもヤスミナもいい。外見は凛とした美人ながらも、内面は威勢と気風の良いという、いかにも伊藤勢らしいヒロインぶりで、冷静に考えれば出番はそれほど多くないのですが、実に印象的なキャラクターであります。


 そして彼女たちの想いを受けて、男たちは荒野に足を踏み出します。その中で「天竺」とそこに住む人々への、己の想いを確かめつつ……(というか、このあたりは完全に作者の想いだとは思いますが)

 そんな想いを抱きつつも、仲間たちを救うため、無謀というも愚かな絶望的な任務に挑む混蛋(バカ)二人。
 ラストには何とも気になる新キャラクターが登場し、まだまだ波乱含み、いや波乱しかない物語は続きます。


『天竺熱風録』第2巻(伊藤勢&田中芳樹 白泉社ヤングアニマルコミックス) Amazon
天竺熱風録 2 (ヤングアニマルコミックス)


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2017.10.02

入門者向け時代伝奇小説百選 戦国(その二)

 入門者向け伝奇時代小説百選の戦国ものその二であります。今回は戦国ものの中でも近年の作品、フレッシュな魅力に溢れる作品を紹介いたします。

66.『桃山ビート・トライブ』(天野純希)
67.『秀吉の暗号 太閤の復活祭』(中見利男)
68.『覇王の贄』(矢野隆)
69.『三人孫市』(谷津矢車)
70.『真田十勇士』シリーズ(松尾清貴)


66.『桃山ビート・トライブ』(天野純希) Amazon
 次世代の歴史小説家の中で先頭集団を行く作者のデビュー作である本作は、安土桃山時代の京を舞台にロック魂が炸裂する、破天荒な作品であります。

 流れ流れて芸能の中心地・京の五条河原に集った四人の若者。既成の音楽に飽き足らない四人は、型破りな演奏と言動で一気に民衆の支持を集めるものの、やがて武士による芸人への締め付けが強まっていくこととなります。さらに豊臣秀次と石田三成の政争に巻き込まれることとなった彼らは……

 いわゆるバンドものの基本を踏まえつつ、それをこの時代ならではの物語として見事に再生してみせた本作。新しい芸能と古い時代のせめぎ合いの中に自由な精神への希望を描く爽快な作品です。

(その他おすすめ)
『青嵐の譜』(天野純希) Amazon
『風吹く谷の守人』(天野純希) Amazon


67.『秀吉の暗号 太閤の復活祭』(中見利男) 【忍者】 Amazon
 作者のシリーズキャラクターである肥満体の暗号師・蒼海と、隻腕の少年忍者・友海の凸凹コンビが、日本消滅の危機に挑む奇想天外な物語であります。

 家康と三成の間の対立が深まる中で流行する手まり歌。天下分け目の大戦に太閤秀吉が甦るという奇怪なその歌の秘密を求めて様々な勢力の間で繰り広げられる暗闘に、蒼海と友海は巻き込まれることになります。
 そして死闘の末、大坂城で開催される暗号競会「太閤の復活祭」。そこで明かされる恐るべき秘事とは――

 時代伝奇小説数ある中でも、破天荒さと意外性では屈指の本作。バトルと暗号解読がこれでもかと散りばめられた末に明かされるスケールの大きすぎる真相は必見であります。


(その他おすすめ)
『官兵衛の陰謀 忍者八門』(中見利男) Amazon


68.『覇王の贄』(矢野隆) 【剣豪】 Amazon
 天下統一を目前とした覇王・信長が配下の武将たちに下した命。自慢の武芸者・新免無二斎を一対一で殺せる者を連れてこいという信長に対し、六人の武将たちは、悩みつつもそれぞれ「贄」を選ぶことに……

 無双の強さを誇る無二斎を倒せる者はいるのか? そして信長の真意はどこにあるのか? 本作で描かれるのは、無二斎と武芸者たちの決闘はもちろんのこと、信長と配下の武将たちの心理戦であります。
 デビュー以来ほぼ一貫して、命を賭けた戦いと、その中で己の生の意味を見いだす者たちを描いてきた作者。その作者が、武芸者たちと武将たちと、二重のバトルを通じて武将たちの生き様を浮き彫りにしてみせた名品です。

(その他おすすめ)
『蛇衆』(矢野隆) Amazon


69.『三人孫市』(谷津矢車) Amazon
 デビュー以来「二十代最強の歴史作家」と呼ばれてきた作者が、鉄砲術でその名を轟かせた雑賀孫市を、タイトルのとおり三人の、それも血の繋がった三兄弟として描き出した物語であります。
 体は弱いものの鉄砲用兵に精通した長男・義方、鉄砲と金砕棒を自在に操る剛勇の次男・重秀、無口無表情ながら凄腕の狙撃手である三男・重朝。この三兄弟を擁することで無双の傭兵集団となった雑賀衆は、やがて信長の軍と対峙することになるのですが……

 同じ孫市の名を得ながらも、三人三様の道を選んだ兄弟たち。意外性に富んだ物語の面白さのみならず、作者の作品に通底するする「個」と「時代」の相剋を、より先鋭化して描いてみせた名品です。

(その他おすすめ)
『曽呂利!』(谷津矢車) Amazon


70.『真田十勇士』シリーズ(松尾清貴) 【忍者】【児童文学】 Amazon
 いつの時代も衰えぬ人気を持つ真田幸村と十勇士。本作はその十勇士を描く、最も新しく、最も独創的な物語であります。

 上田の地を守るため、天下人の間で独自の戦いを続ける真田幸村と十勇士。彼らはその戦いの中で、天下人たちの背後に潜む存在を知ります。その名は百地三太夫――荼枳尼天の法を用い、時空を超えた力を振るう三太夫に対し十勇士は戦いを挑むのですが……

 そんな壮大な伝奇活劇を展開させつつ、本作は「天下」という概念を「人間」個人の存在を否定するものとして描写。天下を窺う三太夫との戦いは、人間性を否定された過去を持つ十勇士たちにとって人間性回復の戦いでもある――そんな構図の独創性に唸らされるのです。

(その他おすすめ)
『真田十勇士(小学館文庫版)』(松尾清貴) Amazon



今回紹介した本
桃山ビート・トライブ (集英社文庫)秀吉の暗号 太閤の復活祭〈一〉 (ハルキ文庫 な 7-3)覇王の贄(にえ)三人孫市真田十勇士〈1〉忍術使い


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 「桃山ビート・トライブ」 うますぎるのが玉に瑕?
 「秀吉の暗号 太閤の復活祭」第1巻 恐るべき暗号トーナメント
 矢野隆『覇王の贄』 二重のバトルが描き出す信長とその時代
 谷津矢車『三人孫市』 三人の「個」と「時代」の対峙の姿
 松尾清貴『真田十勇士 1 忍術使い』(その一) 容赦なき勇士たちの過去

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2017.10.01

楠章子『まぼろしの薬売り』 薬と希望をもたらす二人旅

 認知症を扱った絵本『ばあばは、だいじょうぶ』で話題の作者が、5年前に発表した児童文学――「まぼろしの薬売り」と呼ばれた流浪の薬売り・時雨と弟子の小雨が旅する先での人々との出会いを描く連作集であります。

 時は明治初頭、満足に治療を得られない人々も多い僻地で、魔法のような効き目の薬を売り歩く時雨。
 役者にしたいような美形の時雨は、組合に入ることなく自由に各地を巡ったことから「まぼろしの薬売り」と呼ばれた……

 という基本設定の本作は、時雨とその弟子の元気な少年・小雨とともに出会った様々な人々や事件を描く4つの物語から構成されています。

 椿屋敷と呼ばれる村一番の豪邸に住む優しい少女が奇怪な行動を取るようになった意外な真相を語る「椿屋敷の娘」
 なみだが止まらなくなり、高熱からやがて死に至るなみだ病に冒された少年と時雨の出会い、そして時雨の過去を描く「なみだ病の生き残り」
 万事に鈍いために周囲からバカ吉と呼ばれる少年・正吉の妹と、時雨や小雨の交流「バカ吉の薬」
 小さな小さな山村を訪れた時雨たちが、目の見えない友達のために伝説の獣・土もこを探す少女たちと出会う「土もこの目玉」

 いずれも穏やかでちょっと呑気な時雨と、少年らしい元気さに溢れた小雨のやり取りが楽しく、そして美しいトミイマサコの挿画もあって、明るい印象を受けるのですが――しかしそこで描かれる物語は、決して明るいばかりではない、むしろ非常に重い内容なのが印象に残ります。

 ファンタジー色の強い「椿屋敷の娘」はひとまず置いておくとしても(もちろんそこで描かれるものは途方もなく重いのですが)、「なみだ病の生き残り」の少年と家族を襲う残酷すぎる運命、おそらくは何らかの障害を持つのであろう「バカ吉の薬」の正吉、少女の目と絶滅寸前の小さな命が天秤にかけられる「土もこの目玉」……

 本作で描かれるエピソードは、どれも児童文学と油断していると、重いボディブローを食らわされる、重く苦い味わいの物語なのであります。

 そしてその物語を見つめ、受け止める時雨もまた、自分自身が重い過去を背負い、そしてある秘密を抱えた身であります。
 そもそも「まぼろしの薬売り」とファンタジー的な呼び名を持ちつつも、時雨自身はあくまでも普通の人間。その作り出す薬がいくら優れているとしても、神ならぬ身に作り出せる薬の効力には限りがあるのです。

 そんな時雨が病に、あるいは己の持って生まれたものに苦しむ子供たちと出会った時、そしてそれに対して己にできることに限りがあると悟った時、何を思うか――その過去を思えばなおさら、胸に迫るものがあります。


 しかしそんな重く苦い物語にも、一つの希望が存在します。それは小雨の存在――ある意味時雨と重なる過去を持つ小雨であります。
 弟子とは言うものの、年端のいかぬ子供である小雨に薬売りとしてできることはほんどありません。しかし小雨には、時雨にもできないものを人に与えることができます。

 それは元気――あるいは希望と呼び替えてもよいもの。
 それは現実を知らないからこそのものかもしれません。しかし未来を野放図に夢見ることができるのは子供だけの特権であり、そしてそれが思わぬ結果を――決してそれが100%の答えではなくとも――生み出すこともあるのです。

 だからこそ時雨は小雨と出会った時にこう語ったのでしょう
「大事なのは、ぼくは薬をくばるから、弟子の小雨は元気をくばるってことだ」
と……


 時雨の師匠に関するちょっとだけ伝奇的な正体や、時雨自身の秘密などが、こうした物語にあまり有機的に結びついていないように感じられる部分はあります。

 それでも、どれだけ重く苦い現実を前にしても決して諦めず、希望をもたらそうとする二人の姿は、美しく魅力的に感じられるものであることは、間違いないのです。


『まぼろしの薬売り』(楠章子 あかね書房) Amazon
まぼろしの薬売り

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