『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』 少年の冒険と「物語」の力、生きる意味
三味線の音で折り紙に命を与える力を持つ少年・クボ。彼は幼い頃邪悪な魔力を持つ祖父・月の帝に片目と父を奪われ、母と隠れ住んでいた。しかしついに追っ手からクボを守って母も散り、クボは祖父を倒す力を持つ三つの武具を求める旅に出る。命を得た木彫りのサルと、クワガタの侍をお供にして……
公開前から絶賛の声を聞いていた『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』を観て参りました。
本作の製作はストップモーション・アニメで知られるスタジオライカ。それだけに、驚くほど精巧に作られた世界の美しさと、とそこで生き生きと動き回るキャラクターたちの姿がまず印象に残ります。
巨大な波が荒れ狂う夜の海を小舟が行く様を描く冒頭だけで引き込まれますが、それに続く、成長したクボが、村の人々を前にして三味線をかき鳴らすシーンが抜群にいい。
彼の三味線に合わせ、宙に舞った折り紙がひとりでに形をなし、自由自在に宙を舞って波瀾万丈な冒険物語を描き始める――という心躍るシーンを見せられば、後はもう作品世界に魂を奪われるほかありません。
本作はこの後、雪原や洞窟、水底から荒れ果てた城に至るまで様々な世界を駆け巡ることになるのですが――しかし面白いのは、これらのシーンにも、日常感に溢れた村のシーンと同様の不思議なリアリティがあり、絵空事としての違和感を感じさせない点でしょう。
本作の全編を貫いているのは、キャラクターや登場する事物の不思議な存在感――喋るサルやクワガタの侍などという奇妙な連中ですら当たり前に受け容れられる、どこか民話的な世界観なのであります。おそらくはこれこそが、呆れるほどの手間暇をかけて作り上げた映像の力と言うべきなのでしょう。
ちなみに違和感といえば、本作においては、「外国人が描いた日本」という違和感をほとんど感じさせないのに驚かされます。
もちろん、全くツッコミどころがないわけではないのですが、少々のことは民話的なファンタジー、あるいは歌舞伎的な世界観のデフォルメということで受け容れられてしまうのは、本作のビジュアル設計の勝利と言えるのではないでしょうか。
と――ビジュアル面にばかりまず触れましたが、本作の真に優れた点は、その「物語」とそれに対する意味づけにあります。
自分から片目を、そして父と母を奪った月の帝に抗することができると言われる三つの宝物を求めて旅立つクボ。彼が繰り広げる冒険は、遙か昔から語られる、宝物を求めて遍歴する英雄のそれと重なるものがあります。
そしてクボにとってその英雄とは、やはり三つの宝物を求めたいう己の父にほかなりません。実に彼が村人たちの前で語るのは、その父を主人公とした冒険の物語なのですから。
しかし、その物語の結末をクボが語ることはありません。それは父の旅の終わりを彼が知らないことに因るものですが――同時にそれは、その冒険が彼自身のものでない、借り物の物語であるから、とも言えるでしょう。
そして本作は、父と同じ目的で冒険をする中で、クボが自分自身の「物語」を、その結末を見出す物語でもあります。
父の「物語」、結末を知らない「物語」を語ってきた少年が、それを受け継いだ末に、自分の「物語」とその結末を手にする――それは言い換えれば、彼が父の人生を追いかけるだけでなく、自分自身の人生を手にしたということでしょう。
このような冒険譚の姿を借りた少年の成長物語というだけでも胸に迫るものがありますが、しかし本作はそれにとどまりません。
本作のクライマックスで描かれるある情景(それが何と日本的なものであることか!)、そしてそこで示される本作のタイトルの意味は、この世にある究極の「物語」の存在を、これ以上なく明確に、そして途方もなく美しく描き出すのです。
この辺りの展開については、作品の核心であるために詳しく語れないのがもどかしいのですが――人が生を受け、その生を生き抜き、そして次の世代に繋いでいくことと、これまで連綿と続いてきた「物語」を受け継ぎ、その先に己の「物語」を語ることを等しいものとして語ってくれるのが何よりも嬉しい。
そこにあるのはまぎれもなく「物語」の力であり、そして同時に、人の生に価値あることの証明なのですから。
素晴らしいビジュアルと魅力的なキャラクター、胸躍り胸締め付けられるストーリー、その中の日本的な――いや、きっと世界中の誰の胸にも届くであろう情感。そしてそれらを重ねた末に浮かび上がる「物語」の力と人生の意味を描き切った本作。
上映館が多くないのがあまりにも口惜しいのですが、機会があれば、いや機会を作って必ずご覧いただきたい名品であります。
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