都戸利津『嘘解きレトリック』第1-2巻 嘘を知ること、人の内面を知ること
先日このブログでご紹介した『少女マンガ歴史・時代ロマン 決定版全100作ガイド』で知ることができた作品――昭和初年を舞台に、他人の嘘を聞き分ける能力を持った少女と、頭は極めて切れるが貧乏な探偵のコンビが様々な事件に挑む、人情味の強いミステリであります。
幼い頃から、他人が嘘をついた時にその声が固くぶれて聞こえるという不思議な能力を持ち、そのために周囲から忌避されてきた少女・浦部鹿乃子。他者が自分に向ける嫌悪の視線と、それによって母親が傷つくことに耐えきれなかった彼女は、生まれ故郷を出て九十九夜町に出て来るのでした。
しかし職も行く宛もなく、行き倒れてしまった彼女を助けたのは、町で探偵事務所を開く貧乏探偵の祝左右馬。彼の行きつけの和食屋に連れて行かれた鹿乃子は、成り行きから、店の子供の行方不明事件を左右馬とともに追うことになって……
というエピソードから始まる本作ですが、その最大の特徴が、他人の嘘を聞き分けることができる鹿乃子の能力の存在であることは言うまでもありません。
(ちなみに彼女がこの能力を発揮する時、その嘘の言葉のフキダシの色に、斑になったようなエフェクトがかかるという漫画ならではの描写となっているのがまず楽しい)
事件捜査の上で、誰が嘘をついているかを聞き分けることができるというのは、もちろん大きな武器であることは間違いありません。しかしそれは同時に、(主に作品の構造的な点で)一歩間違えれば諸刃の剣となりかねないものでもあります。
何故ならば、まさしく直感的に相手の嘘を見抜くことができるのであれば、そこに推理の余地はなくなってしまうのですから。
しかしもちろん、本作にはそこに大きな工夫があります。これは第2話で左右馬によって明確に示されるのですが、この能力は隠れた真実がわかるのではなく、発言者の嘘の意識がわかる――すなわち、思い込みや勘違いでも、相手が嘘だと思っていないことは嘘とわからない――ものに過ぎないのであります。
つまりこの力は謎を解く上で大きなヒントになることはもちろんですが、しかしそれには大きな制限と、解釈の余地があるのです。そこに本来の意味での名探偵である左右馬の活躍の余地があり、さらに左右馬と鹿乃子がコンビを組む意義があるのです。
そしてそれ以上に、この制限には大きな意味があります。鹿乃子が嘘を聞き分けることができるということは、決してそれ以上でもそれ以下でもなく――彼女はある意味表層に出ている部分のみを感知しているだけであり、その内面、言い換えれば相手がなぜ嘘をついているのかまではわからないのです。
そしてまた、その嘘が相手にとって、そして周囲の人間にとってどんな意味を持つかも……
実に本作でミステリとして側面と並んで大きく描かれるのは、こうした能力を持ったことから他人以上にナイーブな心を抱えることとなった鹿乃子の成長物語であります。
人が嘘をつくこととそれを知ることは、言い換えれば他者の心に触れ、そして自分の心の内面と向き合うことであります。
誰かの嘘を暴くことは、自分や人の心身を守ることに繋がることが多いのはもちろんですが――しかしそれは必ずしも正しい行為となるわけではありません。幼い頃の彼女がそうしてしまったように、嘘を暴くことが誰かを傷つけることも少なくないのですから。
そんな嘘と、そしてそれを知ってしまう自分自身とどう向き合うか――探偵という隠された物事を暴き、それと対峙する役割は、その営為と極めて似たものであり、彼女が左右馬の探偵助手を務めることは、同時に彼女がそれを身につける道筋にほかならないのです。
そしてそれが本作がミステリである意味の一つなのでしょう。
そしてそんな本作をより感動的なものとしているのは、そんな鹿乃子を信じ、見守り、導く左右馬の存在にあることは間違いありません。
貧乏でセコく、金に汚い左右馬でありますが、彼は深い洞察力を持つ有能な探偵であり――そして何よりも、人間として非常に温かい心を持つ人物です。
そんな彼の存在が、悩める鹿乃子を優しく受け止める姿にはこちらまで嬉しくなってしまうのですが――それが人間の数々の嘘を描きつつも、本作の読後感を極めて爽快で暖かく、感動的なものとしているのであります。
実は私が現時点で読んでいるのは単行本が第9巻まで出ているうちの第2巻まで。ほんの序盤の段階でこのように結論めいたことを申し上げるのは恐縮ですが――この印象に嘘はないと、これは自身を持って言うことができるのです。
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