速水時貞『蝶撫の忍』第1巻 昆虫の力持つ忍者たちの死闘開幕
『アラクニド』『キャタピラー』など、昆虫をモチーフ・題材にした作品を描いてきた原作者による時代漫画――昆虫をモデルとした異能を持つ忍びたちが死闘を繰り広げる、どんでん返しの連続の忍者活劇であります。
本能寺の変から一年後、京の色里のとある店を訪れた羽柴家の足軽を名乗る青年・半坐。そこで待っていたのは噂に名高い辻君・鱗。指先だけで男を快楽に導くという美女であります。
しかし彼女の正体は「胡蝶」の別名を持つ甲賀の忍び――鱗の忍術で動きを封じられ、驚く半坐ですが、そこに鱗を狙う甲賀の忍びが出現。実は伊賀の忍びであった半坐は成り行きから鱗を助けて刺客を退けることとなります。
敵の狙いは鱗のみが在り処を知るある人物の首級。二人はそれを狙う甲賀最強の十忍衆を向こうに回して旅に出ることになります。
果たして鱗の背負った過去とは、そして彼女の守る首級の正体は……
絵柄的には比較的かわいらしい(パッと見には時代ものらしからぬ印象もある)本作。しかし誰が味方か、誰が敵か――どこに敵が潜み、誰がどんな顔を隠しているかわからない中で、襲い来る敵との死闘は凄絶、壮絶の一言であります。
そしてそこで双方が繰り出す忍術が実に面白い。この忍術合戦こそは忍者ものの華であることは言うまでもありませんが、本作のそれは、他の作品にはない強い異彩を放つものなのです。
冒頭に述べた通り、登場する忍者たちは、いずれも「昆虫」にまつわる術を用います。そう、本作においては、あの小さな昆虫たちが持つ、驚くべき能力をベースとした忍術の数々を、ケレン味たっぷりに描かれるのであります。
例えば主人公たる鱗は、その「胡蝶」の別名が示すとおり、蝶の能力をベースとした忍術を用いる忍び。
蝶の触覚にも比される、その生まれついての鋭敏すぎる手の感覚を用いて相手の耳のツボを刺激して動きを封じる「快楽縛」、蝶の鱗粉を着物に塗り込むことによりその超撥水効果で水をも斬り裂く刃に変える「鱗翅刃」など――実にらしい技揃いなのです。
もちろんこれは敵の側も同様、様々な昆虫の能力を持った/模した者たち同士の死闘となっていくのですが――主人公が元々強力な蜘蛛などではなく(蜘蛛は昆虫ではない、というのはさておき)、一見か弱い蝶の能力持ちというのは、バトルものとしてもなかなかに考えられていると感じさせられます。
あるいは、互いが忍術を繰り返すたびに解説が入るのは煩わしいと感じる向きもあるかもしれませんが――この辺りの一種疑似科学的とはいえ、一つ一つの術に説得力を与えようとする姿勢は、山田風太郎の忍法帖のそれを思い出させるものであって、好感が持てるところであります。
そしてもちろん、物語の方も魅力的であります。物語の中核である、鱗が守る首級の正体は、これは物語が本能寺の変から始まるのを見ればすぐにわかりますが、それでは何故彼女がそれを守ろうとするのか?
その理由には、伝奇性はもちろんのこと、本作ならではの説得力と、ドラマ性があるのです。
そこには、昆虫という人外の力を持ち、そして心まで人間のそれを捨てることを求められた忍びでありながらも、なお人間であろうとする鱗の心の在り様があると言えるかもしれません。
そしてそれが、本作を忍者同士のバトル漫画に終わらせない効果を挙げているのではないか――そうとも感じられます。
しかし彼女がどれだけ人間であろうと望んでも、敵は容赦なく襲いかかります。それも全く予想もしない場所から、予想もしない形で。
この第1巻のラストでは、それが最悪の形で現実のものとなるのですが――さてそれで彼女が終わるのかどうか。
甲賀といえば――と、新たなる敵も参戦する中、鱗の戦いが、物語がどこに向かうのか。大いに気になる物語の始まりであります。
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