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2018.01.12

長辻象平『半百の白刃 虎徹と鬼姫』下巻 刀と武士が移り変わるその先に

 名刀匠として知られる虎徹こと長曽祢興里。半百――齢五十近くになってから故あって刀匠を志し、江戸に出てきた彼の半生を、鬼姫こと女剣士・邦香をはじめとする彼を取り巻く人々の姿を通じて描く物語の後編であります。江戸有数の刀匠となった興里は、しかし次々と難事に巻き込まれることに――

 藩主の前での兜割りの試技における振る舞いによって相手の刀鍛冶が命を落としたことをきっかけに、甲冑師を辞め、刀匠を目指すこととなった興里。
 江戸に出て、「鬼姫」と異名を持つ試し切り役の娘・邦香、がめつい刀屋の幸助、朴訥な弟子の興正、邦香の父で名うてのかぶき者・鵜飼十郎右衛門といった人々と出会い、興里は刀匠として次第にその名を知られていくようになります。

 そんなある日、吉原からの使いで、勝山太夫と対面することとなった興里。吉原の作法も無視して興里に迫る勝山と割りない仲となる興里ですが、彼と勝山の間には、意外な因縁が存在したのでした。

 そしてその勝山との出会いを皮切りに、興里は騒動や難事件に、次々と巻き込まれていくことになります。
 興里の住む不忍池周辺に埋められたという由井正雪の隠し軍資金争奪戦と、その中で明らかになるある人物の意外すぎる正体。興里とは因縁を持つ柳生宗冬からの正宗贋作の依頼。そして、刀鍛冶を通じて出会った伊達綱宗と仙台藩を巡る暗闘と……


 刀鍛冶に関する丹念な描写でもって、刀匠としての興里の苦闘と成長を描いてきた上巻。もちろんその要素がこの下巻でも健在であることは言うまでもありませんが、興里が刀匠として大成しつつあるためか、むしろ彼が巻き込まれる事件の数々が前面に描かれた印象があります。
 そしてそれが実に伝奇的で、実に面白いから大歓迎なのであります。

 下巻の冒頭で描かれる勝山太夫との因縁については、正直なところすぐに予想できる内容だったのですが、それに続く由井正雪の埋蔵金を巡るエピソードでの、ある人物を巡るどんでん返しは、全くもっての予想外で度肝を抜かれる展開(この人物、ラストもある意味予想外……)。

 そしてそこから物語は柳生宗冬と酒井忠清らの陰謀に繋がり、クライマックスは伊達騒動のプロローグとも言うべき大川上の屋形船での高尾太夫吊し斬りになだれ込んでいくのですから、本作を以て時代伝奇小説と言い切っても支障はないでしょう。
(ちなみに本作、この高尾吊し斬りをはじめ、いわゆる巷説・俗説を積極的に取り込みつつ、そこに史実との整合性を巧みに取ってみせるのが実に面白いのです)

 そしてその事件の数々に挑むのが、興里を中心に、邦香・幸助・興正・十郎右衛門に勝山を加えた、チーム興里ともいうべき個性豊かな面々であるのも嬉しい。
 刀という存在を中心に固く心を結びあった面々が、金と権力を巡る醜い陰謀を企てる者たちに挑む姿は、実に痛快であります。


 しかし、本作において興里は何故そうしたヒーロー的な役割をも背負っているのか? それは上巻の紹介でも触れたように、興里の生きた時代において、刀の――その持ち主である武士の生き様、そして役割が大きく変わってしまったことと無縁ではないでしょう。
 本作の舞台となるのは、もはや戦はなくなった天下泰平の時代――戦士であった武士が、政治家や官僚へと変貌していくプロセスが完了した時代。そこにおいては、刀剣の持つ意味も、武器から身分の象徴、そして美術品へと大きく変わっていくことになります。

 そんな時代において刀も見かけの華美さがもてはやされるようになった中、美しさはもちろんのこと、刀の切れ味を求め続けた興里の姿は、そんな時代へのアンチテーゼと言えるのではないでしょうか。
 そしてそんな変わりゆく武士と刀の姿は、興里の宿敵とも言うべき柳生宗冬が、剣術家としてよりも政治家として策謀を巡らせる姿に、より色濃く表れていると感じます。


 しかしもちろん、時代は移り変わります。興里が切れ味と美しさを両立させた刀を完成させ、その名を千載のものとして残すに至ったことは、彼が新たな武士の形を示す者として完成されたことをも意味するのでしょう。
 それは戦いと冒険の日々の終わりを告げるものではありますが、しかし人の生の終わりを告げるものではありません。

 「わんざくれ、我が命の尽きるまで」虎徹と鬼姫の挑戦は続く――半百から始まった物語の結末として、それは胸躍るものではないでしょうか。


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