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2018.03.31

上田秀人『妾屋の四季』 帰ってきた誇り高き妾屋たち!

 妾屋昼兵衛と仲間たちが帰ってきました。吉原との死闘も終結し、シリーズが一端完結してからはや数年――昼兵衛、新左衛門、将左らの変わらぬ活躍ぶりを、春夏秋冬四つの季節を舞台にして描く短編集であります。

 その名の通り妾になりたい女と、妾を持ちたい男を仲介し、結びつける妾屋。妾の顔ぶれもさることながら、時には大名家の側室までも扱うこの稼業は、世間の裏の裏にまで踏み込み、危ない橋を渡ることもしばしばであります。

 そんな妾屋でも遣り手である昼兵衛と、用心棒として彼を、そして女たちを守る新左衛門らの活躍を『妾屋昼兵衛女帳面』シリーズは描いてきました。
 同じ女で稼ぐ商売ながら似て非なる存在である吉原、さらには妾屋の存在を利用せんとする権力者らを向こうに回し、時に刀を、時に知恵を武器に戦ってきた昼兵衛と仲間たち。その戦いは全8巻でひとまず完結しましたが、ここに外伝の形で帰ってきたのであります。

 時系列的にはシリーズ完結後の内容であり、新左衛門は八重と所帯を持ち、将左も吉原の二人の恋人が年期を終えるのを待つ状態と、ファンにとっては嬉しい描写が見られる本書ですが、冒頭に述べたとおりに春夏秋冬四つの短編から構成されています。

 シリーズで協力関係となった吉原の頼みを受け、かつての敵・西田屋の妨害から、地方から吉原に買われてくる娘を守るため将左が用心棒を務める秋の章
 客としてやってきた横柄な大商人に、不可解な裏があることを知った昼兵衛が、その背後を探るうちに意外な真実を知る冬の章
 国元から江戸に出てきたさる藩内の家老が、対抗心からかつてライバルが世話していた女を妾に求めたことで起きる騒動を描く春の章
 江戸でも大手の大手の妾屋からの依頼で、さる大店の婿の妾番の話が新左衛門に回ってきたことに不審を抱いた昼兵衛たちが、背後の卑劣な絡繰りに挑む夏の章

 いずれのエピソードも、長編の時のように権力の深い闇に根ざした大仕掛けな内容ではなく、(武家の内幕に関わる内容もあるものの)基本的に市井の事件であります。
 しかし本作の場合は、その規模感がかえって丁度良いという印象。妾に絡んで起きる様々な事件を、昼兵衛と仲間たちが切れ味良く解決していく様は実に爽快ですし、その事件もそれぞれに趣向が凝らされている内容なのが嬉しいところであります。

 その中でも特に個人的に印象に残ったのは、冬の章であります。
 ある日突然、昼兵衛のもとにやってきた大奥出入りの大商人・会津屋。横柄な態度で妾を求める会津屋に対し、妾の世話にはまずそちらの身元調査が必要と返す昼兵衛の姿を見れば、ハハァこれは、シリーズでも以前あった権柄尽くの愚か者をやりこめる話だなと思いきや……

 昼兵衛の調べが進むにつれて、次々と謎が現れ、最後に待ち受けるのは全く予想もしていなかった男と女の関係と、それを縛る権力・制度のややこしい姿。
 それを巧みに捌いてみせる昼兵衛の姿はもちろんのこと、そこに秘められていた何とも粋で気持ちの良い人の情と、物語の見え方がガラリと変わる構造が実に良いのであります。


 妾屋という、何とも直截でドキリとさせられる名の稼業。それは確かに女性の体を売り物にする、綺麗事では済まされない世界であります。
 しかし同時に妾屋は、少なくとも本作の昼兵衛は、その身を売る女性たちを庇護する存在でもあります。少しでも女性たちへの害が減り、その想いが生きるようにと……

 もちろんそれはフィクションだからこその理想論であることは間違いありません。それでも、人間の最も生な欲望がぶつかり合う世界において、少しでも人間を人間らしく生きさせようとする昼兵衛と仲間たちの姿は、一つの希望として感じられるのです。

 「顧客と女の人生を預かる妾屋の誇り」と言ってのける昼兵衛。その彼と仲間たちの誇り高き生き様を、短編でも長編でもいい、これからも見たいと願うところであります。

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2018.03.30

DOUBLE-S『イサック』第3巻 語られた過去と現在の死闘

 17世紀ヨーロッパの三十年戦争の渦中に現れた日本人「銃士」イサックの戦いを描く本作も、第3巻に入りいよいよ佳境。これまで謎に包まれていた彼の過去――何故彼が故国を離れ、はるばるヨーロッパにやってきたかが語られることとなります。そして更なる窮地に陥った彼と仲間たちの運命は……

 1620年、プロテスタントとカトリックが激突する最前線である神聖ローマ帝国はフックスブルク城に現れた日本人青年・イサック。その長大な火縄銃でスペイン軍を率いるスピノラ将軍を狙撃した彼は、城の窮地を救ってみせるのでした。
 さらにスペイン王太子アルフォンソ率いる一万五千の大軍を撃退するなど、イサックはフックスブルク城を守ってきたプリンツ・ハインリッヒとともに獅子奮迅の活躍を繰り広げることになります。

 今度はハインリッヒとともにローゼンハイム市防衛に向かったイサックですが――そこで彼を待ち受けていたのは、スピノラの名を継いだ将軍の弟の側についた、もう一人の日本人銃士・ロレンツォ。
 イサックと同じ銃を持ち、勝るとも劣らぬ銃の腕を持つロレンツォによって狙撃されたイサックは、人事不省に陥ることに……


 というわけで、いよいよイサック個人の物語が語られることとなったこの第3巻。
 ここで語られるイサックの本名は猪左久、そしてロレンツォの本名は錬蔵――二人は、かつては共に堺の鉄砲鍛冶筆頭の下で一二を争う兄弟だったのであります。

 師が大御所家康の命によって作った二丁の兄弟銃の一丁を奪い、師を殺して海を渡った錬蔵。その錬蔵から銃を取り返して家康に献上し、人質として捕らえられた師の娘・しほりを救い出すために、残された銃を手に、猪左久もまた海を渡ったというのです。

 ハインリッヒに対し、自分の行動原理を「恩」と「仇討ち」であると語ったイサックですが――なるほど、この過去をみれば、まさしくその二つのためにイサックはここまでやってきたことがわかります。
 これまで痛快な活躍を見せつつも、あくまでもこのヨーロッパでは余所者の助っ人であったイサック。ここで旅の目的であるロレンツォが敵に回ったことで、イサックがいまこの場所で戦う理由ができたことは、物語の構造からしても大きな意味を持つと感じます。

 もっとも、もうしほりさんの方は手遅れではないのかなあ――と素朴に感じてしまうのですが、それはさておき。


 さて、こうして語られたイサックの過去ですが、現在の危機が去ったわけではありません。

 新スピノラ率いるスペイン軍は市を重囲し、そこから脱出しようも攻撃しようにも、顔を出した瞬間にロレンツォによって狙撃される――攻撃も防御も退却もならず、じりじりと追い詰められていく状況。
 これを打開すべく、片腕が効かない状態でハインリッヒとともに打って出たイサックは、銃だけでなく、刀においても見事な腕前を見せるのですが……

 危機また危機の展開から、一瞬の好機を掴んで脱し、そして奇策でもって逆転を狙う――この辺りの波乱万丈の展開は、こうした合戦ものならではの面白さであることは間違いありません。
 イサックやロレンツォの銃撃の描写だけでなく、兵士たちが入り乱れる白兵戦をも巧みに描く作者の画の力もあって、冷静に考えればあまり物語は進んでいないにもかかわらず、物語は盛り上がりっぱなしであります。


 もっとも、ここでイサックの過去が描かれると、彼の超人的活躍に少々リアリティが感じられなくなってくるのは痛し痒しという印象もあります。

 特に終盤に登場する○○○は、日本の合戦で使われたケースはあまりないように記憶しておりますが、それをここまで的確に使うのは、イサックの言うような理由では無理ではないかとも感じられます。
 この辺りにあまりあれこれ言うのは野暮なのかもしれませんが……


 何はともあれ、ローゼンハイム市攻防戦もいよいよ大詰め。ここに来て再び現れたアルフォンソ王太子の存在は、イサックたちにとって吉と出るか凶と出るか――そしてイサックとロレンツォの戦いに決着はつくのか。
 意外な(?)助っ人の登場とともに、次巻に続きます。


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2018.03.29

冬目景『黒鉄・改 KUROGANE-KAI』第1巻 帰ってきた鉄面の渡世人

 仮面の渡世人と喋る刀が帰ってきました。1993年に初登場してから、時に掲載誌を移しながら連載を続け、2003年に姿を消した『黒鉄』――その物語を踏まえて、変わらぬ面子のちょっと変わった物語が再び始まります。

 少年ながら人斬りの道に進み、野垂れ死んだ末にとある蘭学者に拾われ、半身が機関仕掛けの仮面の渡世人として蘇った鋼の迅鉄。喋れぬ迅鉄の代わりに喋る刀の鋼丸を相棒に、一人と一刀のあてどもない旅が続く――というのが、前作そして本作の基本設定です。

 さて、この第1巻の冒頭に収録された「序章」は、連載開始前にプレ読切として掲載されたエピソードであります。
 金をもらって人を斬る旅を続けてきた迅鉄が同宿することとなった二人の女性・流以と東雲。同じ旅鴉だという流以は、迅鉄と鋼丸の関係をひと目で見抜いて……

 というこのエピソードは、派手な立ち回りもあり、結末には流以の意外な正体(?)が語られたりとあるものの、どこまでも淡々とした(そして時々フッと力の抜ける)味わいは長いブランクを感じさせぬもの。
 まず『黒鉄』らしい第1話という印象であります。
(それでいて、おや? と思わせる描写もあるのですが――それは後述)


 そしてこの巻のメインとなるエピソード「出立の刻」は、数少ないサブレギュラーである男装の少女渡世人・紅雀の丹が冒頭から登場。
 前作では迅鉄を母の仇として付け狙いつつも、一種の腐れ縁で結ばれていくというキャラクターだった丹ですが、本作では何故か鋼丸を帯びていて――と、いきなり意外な展開に驚かされます。

 実は一月前、何者かに襲われて崖から転落して行方不明となっていた迅鉄。
 残された鋼丸は、偶然そこに通りかかった丹に拾われ行動を共にしていたということなのですが――今度は丹が、謎の集団に襲われていた侍を助け、瀕死の侍から幕府への書状を託されることになります。

 しかも迅鉄を襲った男たちと、この侍を襲った男たちは、どちらも奇妙な刺青していたという共通点が。そして当の迅鉄は、記憶を失って薬草園を営む兄妹に救われていたのですが……

 と、内容的にはある意味定番ながら、迅鉄を記憶喪失にすることで、シリーズの基本設定を再度語り直すという趣向も面白い今回のエピソード。
 しかし個人的に気になったのは、このエピソードで(そして上で述べた「序章」で)描かれた迅鉄と鋼丸の描写に、前作とは異なる点があることであります。

 例えば前作の迅鉄は(少なくとも初期は)鉄仮面を外すことはなく、普通の食事を食べることもなかったのですが、本作においては鉄仮面を外して食事を食べる場面が描かれるのです(そして鉄仮面の下の素顔が描かれる場面も……)。

 そして迅鉄を改造したのと同じ学者によって作り出されたという設定だった鋼丸も、或る刀工が作った妖刀という設定となっており、迅鉄の近くにいなければ喋れない(迅鉄の頭の中に鋼丸の脳もあるため)ということもなくなっております。

 この辺りについては、作者のあとがきに「基本的に前作の設定を引き継ぎつつも改変している部分も多々ございます」とあるように、明確に意識して変更して変更したということなのでしょう。
 いわば本作は、続編というよりもリブート――そう表すべき位置づけの作品なのでしょう。


 もっとも『黒鉄』という作品において、迅鉄や鋼丸の素性は、積極的に物語全体を引っ張っていくような性質のものではない――あくまでも物語の舞台装置の一つであった――という印象があります。
 その設定をあえて変えたことが、このリブートでどのような意味を持つのか――それはまだわかりませんが、この「出立の刻」を見るに、原則として一話完結エピソードでありつつも、その背後に一つに繋がった大きな物語を描こうとしているのではないかと感じられます。

 この巻のラストに収められた新エピソード「底根國の天探女」の第1話では、迅鉄を探す謎の蘭学者が登場。
 一方で、迅鉄や丹を襲った謎の男たちも蘭学に関わって暗躍している様子で――さて、こうした動きが鋼の迅鉄にどのように関わっていくことになるのか。

 再び始まった迅鉄の旅の行く先が、前作以上に楽しみになる展開であります。


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2018.03.28

原哲夫『いくさの子 織田三郎信長伝』第11巻 小さな戦の大きな大きな意味

 巻数は二桁に突入したものの、まだまだ信長の向かう先は遠く長い本作。父・信秀を失った彼の新たなる戦いの始まりがここで描かれることになります。その戦いの相手とは、そしてその行方は……

 父・信秀(の影武者)を亡くし織田家の当主となった信長。しかし母と弟をはじめとして、織田家中は今川という大敵を前にしてもバラバラの状況であります。
 そんな貴様らが父を殺した! と父の葬儀で親族列席者一同に豪快に末香を叩きつけた信長は、早くも動き出した裏切り者を相手に戦いを挑むことになります。

 その相手とは、山口教吉――鳴海城主・山口教継の子であり、父ともども早々に今川に寝返って尾張を切り取らんと企む男であります。

 今川家の戦いの最初の一歩として山口家討伐を決意した信長は、その教吉が籠もる桜中村城に向かうものの、彼の手勢は小姓と馬回り合わせて八百、かたや山口勢は千五百。
 およそ二倍の戦力差があっても信長軍は意気軒昂、命知らずの若者たちとともに奇策で臨む信長の戦いの行方は……


 というわけで、この巻で描かれるのは赤塚の戦い――と言われても何? という印象の相当にマイナーな戦ですが、これは信長が信秀亡き後、織田家の当主となって初の戦いといわれる一戦であります。
 信長と、その出陣を見て打って出た教吉が城近くの赤塚で激突したこの戦、史実に残るところではかなりグダグダの戦いだったらしく、結果としては引き分けに終わったと記録されていますが――しかし本作はあまりにも地味なこの戦を、実に「らしい」形で盛り上げて描きます。

 何しろ、本作の信長には、ある意味彼以上にイキのいい若い連中がつき従っています。
 物語の始まりから信長についてきた者、途中の冒険から加わった者と実に様々ですが、いつの間にかその顔ぶれも多士済々。正直誰が誰かという感じにもなってきましたが――それはともかく、見開きで描かれた信長と仲間たちの勢ぞろいのビジュアルは、実にテンションが上がるものがあります。

 そしてそんな中でもとびきり目立っているのが、前巻のラストに登場した少年・孫太。
 信秀の影武者の子だった父亡き後自分たちも殺されると焦っていたところに現れた信長が、殺すどころか父を丁寧に弔い、百姓の自分を家来に加えてくれたことで、彼のテンションは常にMAXであります。

 とんでもない脚力を持つ彼は、ことあるごとに信長の傍らで跳ね回るのですが、そんな彼をライバル視する槍使いの犬千代の意気も軒昂で――と、この犬千代は言うまでもなく後の前田利家、だとすれば百姓出身の孫太は、と考えさせられるのも楽しいところであります。

 何はともあれ、そんな健康優良不良少年の群れを率いる信長が、さらにいかにも彼らしい悪戯めいた策(そのビジュアルがまた妙に可笑しい)をもって暴れ回るのですから、ただで済むはずもありません。
 結果としては史実どおりの引き分けですが、ここに描かれたものは、信長らしさ横溢の横綱相撲と言うべきでしょう。

 ……というかこの戦、ひげ船長のようなあからさまにおかしなキャラはほとんどいないにもかかわらず、登場人物のテンションが異常に高く、その状態が最後まで続くのが、これまた「らしい」ところという印象です。


 確かに、形としては小競り合いに近い戦いであります。この規模の戦にほぼ一巻かけて、この先どうするのだろう――という印象も正直なところあります。

 しかし逆に言えばそれで一冊保たせてしまうのが作者の技というもの。そして何よりも、作中で信長が仲間たちに告げるように、これこそが信長たちと今川とのいくさの始まりであります。
 そうだとすれば、史実の上では小さなこの戦も、大きな大きな意味を持つと見るべきなのでしょう。

 そしてその信長たちの次なるターゲットは、清洲城の実権を握る坂井大膳。作中では、顔面に物ぶつけられてばかりという印象の男ですが、この巻のラストで登場した姿は微妙に大物感があります。

 さて、うつけ者として巧妙に他者の目を眩ましつつ、信長はいかに清洲城を取るのか――本当のいくさを始めたいくさの子の活躍を楽しみにしたいと思います。


『いくさの子 織田三郎信長伝』第11巻(原哲夫&北原星望 徳間書店ゼノンコミックス) Amazon
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2018.03.27

野田サトル『ゴールデンカムイ』第13巻 潜入、網走監獄! そして死闘の始まりへ

 いよいよアニメ放送開始目前の『ゴールデンカムイ』、原作の方も一大クライマックスに突入であります。物語の始まりともいうべきのっぺら坊の元に向かう杉元・土方連合チームの前に立ち塞がるのは、網走監獄を預かる犬童典獄。果たして潜入作戦の行方はいかに……

 何だかものすごい変態脱獄囚の刺青人皮を手に入れつつ、目的地である網走監獄に向かう一行。果たして本当にのっぺら坊はアシリパの父・ウイルクなのか――それを確かめようとする一行ですが、その前に屈斜路湖畔で新たな刺青囚人が立ち塞がることになります。

 盲目の盗賊団を率いる自らも盲目のガンマン・都丹庵士。超感覚で闇から忍び寄るドント・ブリーズ男に対するはほとんどフルメンバーの杉元一派ですが――よりにもよって全員男だらけの温泉大会状態。
 フルメンバーというよりフルフロンタルの状況でいかに強敵と戦うか――というサスペンスと、屈強な男のハダカ(あとキノコ)が乱舞するナニっぷりの共存は、いかにも本作らしい展開であります。

 そしてその混沌の中で、インカラマッから裏切り者と指摘されたキロランケ、そのインカラマッと結ばれた谷垣、三人の関係をクローズアップしてみせるのも、また巧みとしか言いようがありません。


 が、この冒頭の展開もほんのジャブ代わり、この巻のメインとなるのが網走監獄潜入作戦であることは間違いありません。
 白石が脱獄王としての本領を発揮してのこの作戦に力を合わせる杉元チームと土方チーム。さらに内部からの意外な(?)協力者の参加もあり、いよいよ潜入開始であります。

 杉元・アシリパ・白石・庵士というメンバーでの潜入(と、ここで完全にギャグのタイミングでプチ波乱を入れてくるセンスもすごい)は無事成功し、ついにのっぺら坊と対面するアシリパ。
 しかし――ここからがこの網走監獄編の本当の始まりとも言うべき展開。のっぺら坊の意外な反応に始まり、幾人もの登場人物たちが秘め隠していた思惑を露わにして動き始めたことで、一気に状況はひっくり返ることになります。

 さらにそこにタイミングを見計らっていた鶴見中尉の北鎮部隊が、犬童の策の裏をかいた意外な手段で突入を開始。
 杉元・土方・鶴見・犬童――四つの勢力がぶつかり合う死闘に突入する、その巨大な混沌の直前でこの巻は幕となります。


 というわけで、おそらくは物語も中盤(?)のクライマックスに突入した本作。いまだ刺青人皮は全ては集まっておらず、これまでに散りばめられた伏線もまだ残ったままですが、しかし全ての勢力が結集してのこの網走監獄での戦いが、今後の物語の流れを大きく変えていくことは間違いありません。

 そしてその網走監獄突入前に、インカラマッや谷垣、さらには尾形がフラグめいたものを立てているのも気になるところ(いや、写真館のエピソードも入れれば全員候補かもしれませんが)。
 特に以前からフラグを立て続けている上に相変わらず怪しげな動きを見せるインカラマッの運命は本当に変わるのか、谷垣のボタンパワーに期待したいところであります。

 そしてもう一つ、前巻でいささか唐突に登場した感のある石川啄木は、この巻でも出番は少ないものの、ある意味期待通りのダメ人間っぷりを発揮。
 しかしその言葉の中には土方の今後の策のヒントが含まれているようで、こちらも大いに気になってしまうのです。
(個人的には、啄木が釧路新聞社の記者として登場したことで、今が1908年と判明したことが大きいのですが……)


『ゴールデンカムイ』第13巻 (野田サトル 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon
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2018.03.26

唐々煙『煉獄に笑う』第8巻 伊賀の乱の混沌に集う者、散る者

 アニメ、舞台ときて今度は実写映画公開と絶好調の『曇天に笑う』、その前日譚も絶好調で巻を重ねてついに第8巻。物語がどこに落着するのか全く見えない中、第二次天正伊賀の乱を舞台に、曇の双子が、大蛇の候補者たちが引き裂かれ、死闘を繰り広げることになります。

 織田と伊賀の決戦が始まる直前に姿を現した魔人・百地丹波から息子だと告げられ、その誘いに乗って伊賀に向かった芭恋。
 阿国には伊賀潜入のためと語ったものの、丹波から指揮権を与えられた芭恋は戦場でその才を発揮、自らが得た力の大きさを知った彼は、これまでと異なる表情を見せることになります。

 彼の変貌を知らぬまま、織田軍に潜入した阿国、そして信長の小姓として従軍する佐吉。さらに大蛇を求めて跳梁する安倍晴鳴は、器候補の一人・国友藤兵衛を標的に定めて……


 と、ようやく本格開戦となった第二次天正伊賀の乱。誕生したばかりの曇の義兄弟「石田三成」もあっさり敵味方に散り散りとなり、さらにこれまで登場した各勢力・各キャラクターも各陣営に散らばって、混沌としか言いようのない状態であります。

 しかしそんな状況の中で、台風の目が芭恋であることは間違いありません。
 丹波の爆弾発言を受けて伊賀に潜入した芭恋ですが、しかしこれまで殺し合いを演じていた八咫烏に囲まれて四面楚歌状態。さらに丹波が煽っているとしか思えない後継者宣言をしたものですからさあ大変――と思いきや、意外な将の器を見せ始めたことで、別の意味で大変なことになります。

 その人懐っこさで下忍たちも惹きつけ、一夜にして変幻自在の陣を作り上げた芭恋。
 その策でもって相変わらずのバカボンぶりを発揮する信雄の軍を翻弄し、巻き込まれた藤兵衛の前に現れた芭恋は、いのうえ歌舞伎の一幕目終わりのような見事な裏切り展開を見せることになります。

 もちろん芭恋が何も考えずにそんなことをするわけもないのですが、しかし運命(というか晴鳴)の悪意は藤兵衛と仲間たちに残酷な結末を用意することに……
 と、この辺りの展開はお約束とはいえ、ああもう、ちゃんと説明しないから! とやきもきさせられるのですが、しかし最近強烈なキャラばかりで一歩引いていた印象があった国友衆を大いに魅せてくれた展開であることは間違いないでしょう。

 その代償は果てしなく大きく、そして今後に禍根を残したわけですが。


 そんな混沌とした展開が続く中、信長付き――ということは戦場から遠く離れることとなった佐吉。それでも阿国から異変を聞いて飛び出そうとする根性は見事ですが、そこでついにあの男が動き出すことになります。

 それは織田信長――ビジュアル的にはどうみても比良裏の転生でありながら、しかし言動は魔王という、これまでのシリーズ読者にとっては一番の謎であった彼は一体何者なのか?
 百地の刺客が迫る中、おそらくは物語のカギを握るであろう彼が、佐吉の前で何を見せるのか――伊賀の乱の行方以上に気になる展開を見せて次巻に続くというのが、何とも心憎いところであります。


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2018.03.25

山田睦月『コランタン号の航海 フィドラーズ・グリーン』 インドから最後の戦いへ、最後の航海へ

 彼岸と此岸の狭間を行くイギリス海軍コランタン号の冒険もこの第4部でいよいよ完結。秘宝・ガンガーの封じ珠を奪った宿敵ベシャール大佐を追ってインドに辿り着いたコランタン号ですが、想像以上の混沌たる状況にルパートは戸惑うばかり。そして冒険の果てに、ついに最大の敵と対峙したコランタン号は……

 かつてイギリスの手によってインドから持ち出された謎の秘宝・ガンガーの封じ珠を追ってロンドンからアフリカ、そしてついにインドに向かうこととなったコランタン号。
 到着早々、上空に女神の幻影を見るなど驚かされるルパートですが、さらに身分が高い夫が死んだ後、妻が焼身自殺する「サティー」の風習を知り、大いに戸惑うことになります。

 そのサティーを止めため、ウダル王国に向かうコランタン号ですが、逆にサティーを利用せんとしていたのがベシャール大佐。身内の思わぬ裏切りもあり、封じ珠の継承者であるアルジュンを奪われたコランタン号は、彼の故郷・ベナレスに急ぐことになります。
 しかしそこで起きた衝撃的な出来事により、事態は全く予想もしなかった方向に……


 19世紀のイギリスの海外進出の象徴ともいうべき国・インド。まさにその時代(の始まり)を描く本作において、インドが舞台となるのはある意味当然かもしれません。
 しかしそのインドは、イギリスに暮らしていたルパートにとっては異世界とも言うべき世界。風物も、文化も、社会制度も――全てが異質な世界に、ルパートは大きく戸惑うことになります。

 その最たるものが、本作の鍵ともなるサティーの風習でしょう。妻が夫に殉死するというその文化を、他国の目で見て一方的に批判することはできませんが――そして前作の経験からそうした見方の理不尽を知るルパートにとってはなおさら――しかしやはり大きな違和感があるのは否めません。

 そしてそのサティーは、かつてコランタン号のある人物の運命を大きく変え、さらにベシャール大佐が己の目的のために利用せんとするもの。
 それを思えば、この風習はインドという世界の異質さだけでなく、本作で繰り返し書かれてきた彼岸と此岸の境目をも象徴するものでもあるのではないか、というのはいささか牽強付会かもしれませんが……


 しかし本作は終盤において、このインドでの物語から驚くべき形の飛躍を見せ、最終決戦に突入することになります。

 それがどこに向けての飛躍であり、決戦の地で何が待ち受けているのか――それをはっきりと書くのはさすがに躊躇われるのですが、本シリーズの舞台となっているのがナポレオン戦争である、と申し上げれば十分ではないでしょうか。
 いや本当に、最終作の本作の舞台はインドなのに、どうやってこの戦争に繋げていくのだろう――と思いきや、こうきたか! と仰天必至の展開であります。

 しかし一歩間違えれば突然すぎるこの展開も、コランタン号が如何なる船であるか、ガンガーの封じ珠が如何なる力を持つものか、そしてルパートがその旅の中で如何なるものを見てきたのか――それを考えれば、十分に納得できるものでしょう。


 そしてこの最終決戦の果てに、物語は一つの結末を迎えることになります。そう、コランタン号の航海は、ここに終わりを迎えることになるのです。
 その別れもまた、いささか突然の印象もあり、そして何よりもあまりにも寂しいものなのですが――しかしそれもまた、これまでの物語を思い返せば、納得のいくものではあります。

 そしてそれはルパートにとっても一つの旅の終わりでもあります。すなわち、彼が常に抱いてきた「ここではないどこか」への憧れに対して、どう向き合うかの一つの答えが、ここに示されることになります。
 そしてそれを見れば、これは別れというよりも、新たな旅の始まりなのだと感じられます。一時は彼岸と此岸に分かれつつも、やがては「フィドラーズ・グリーン」――船乗りたちが死後向かう楽園で再び出会うまでの旅路の……


 ブルターニュ・ロンドン・アフリカ・インド――世界各地を、いやこの世ならざる地も含めて展開してきた本作。海洋冒険物語として、伝奇活劇として、一人の青年の成長物語として――素晴らしい作品であったと、改めて感じます。

 今はただ、ルパートたちのその後の冒険を夢見ていたいと、感じているところなのです。


『コランタン号の航海 フィドラーズ・グリーン』(山田睦月&大木えりか 新書館ウィングス・コミックス) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon
コランタン号の航海~フィドラーズ・グリーン~(1) (ウィングス・コミックス)コランタン号の航海 ~フィドラーズ・グリーン~ (2) (ウィングス・コミックス)


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2018.03.24

舞台『江戸は燃えているか』 メチャクチャ楽しいでは終わらない勝と西郷の替玉騒動

 西郷隆盛率いる官軍が迫る江戸。西郷は幕府側の代表である勝海舟と極秘裏に会談を望むが、気が小さい勝は会談は無理だと逃げ出してしまう。このままでは江戸が戦火に包まれてしまうと悩む勝家の人々は、勝に似ているという庭師の平次を身代わりに立て、西郷と会談させてしまおうとするのだが……

 新橋演舞場でこの3月に上演されている三谷幸喜の舞台『江戸は燃えているか』を観劇しました。江戸無血開城――勝海舟と西郷隆盛の会談によって江戸を舞台にした新政府軍と旧幕軍の全面戦争が回避された、この幕末史に残る出来事の裏側で起きていた(かもしれない)騒動を描いたコメディであります。

 三谷作品で勝海舟というと、やはり思い出すのは『新選組!』で野田秀樹が演じた勝海舟――べらんめえ口調でどこか人を食ったような人物、新選組に対しては決して好意的とは言えなかったものの、大局を見据えた一個の人物と描かれていた勝を思い出します。
 が、本作の勝は、べらんめえ口調こそ共通なものの、およそ逆――喧嘩っ早いが気が小さく、自意識過剰で調子に乗りやすい女好きという人物。なるほど、史実の勝を見ているとそういう側面も確かにあるように思えるのが面白いところですが、何はともあれ、面倒な男であります。

 その面倒な勝を演じるのが中村獅童ですが――これが実にはまり役。上に述べたような、江戸っ子の困った面を集めたような、大きな子供のようなキャラクターを、ほとんど最初っから最後までハイテンションで演じていて、これがもう実に楽しく、芸達者ぶりをには最後まで感心させられました。。
 その勝が逃げ出した後、金につられて勝の替玉を務める平次は松岡昌宏。『必殺仕事人』をはじめとして(そういえば獅童とは『必殺仕事人2013』で競演していました)時代劇にはそれなりに出ていることもあり、安定の存在感であります。

 その他、そもそもこの替玉を言い出した勝の娘・ゆめを松岡茉優、勝の妹婿・村上俊五郎を田中圭、西郷隆盛(ともう一人)を藤本隆宏、さらに勝家の女中頭・かねを高田聖子というキャスティングで、この手のキャラでは水を得た魚のような高田聖子をはじめ、皆熱演ぶりを堪能させていただきました。


 さて、お話の方は、急に事前交渉にやってくるという西郷から逃げ出した勝に代わり、平次が身代わりとなって西郷を応対――するんだけれども当然うまくいくはずがない。俊五郎やゆめ、かねが必死になってフォローするのを、事情を知らない勝家の他の人物が引っ掻き回していく――というのが一幕の展開。
 そして二幕では、何とか西郷との交渉を終わらせてほっと一息――と思いきや、やっぱり西郷と会うと言い出した勝に対し、ゆめたちが今度は西郷の替玉をこしらえて対面させるということになって……

 と、いやもうありとあらゆる手で笑わせにくる内容に、劇場は大盛り上がり、「新橋演舞場史上、もっとも笑えるコメディ」というスローガンも納得の内容でした。

 パンフレットによれば、懐かしのバラエティ番組『コメディーお江戸でござる』の舞台パートを意識したとのことで、言われてみればいかにもありそうな内容ではあります。 とはいえ江戸無血開城という大事件、様々なフィクションの題材にもなっているそれを扱った本作は、確たる史実を背景にしているだけに、ある種その反動からのおかしみというものが強烈に感じられました。
(劇中、勝と西郷の実にしょうもない(?)、しかし史実である、ある共通点がネタにされていたのも楽しい)


 しかし終盤に至り、本作は史実に向かって一気に収斂していくことになります。
 正直に申し上げて、この辺りの展開はいささか身も蓋もなさというか、これまでの騒動は何だったのかしら――という印象を受けたのですが、しかしその後に待ち受けるラストの意外な展開によって、この辺りは全て計算の上だったのかな、と考えを改めました。

 歴史は、その前面に立つ英雄たちのものなのか、はたまたその陰に隠れた無数の名もない庶民たちのものなのか?
 その問いかけに対して、後者の姿を中心に描きつつも、最後にガラリとひっくり返して、ある意味「正しい歴史」に変えてみせる本作。その結末は、それ自体「正しい歴史」に対する皮肉の意味を持つのではないか……と。

 もちろんこれは深読みのしすぎかもしれませんし(そもそも女性キャラのステロタイプな描き方をみるに、本作はそもそも庶民に好意的でない気もします)、ラストの展開もあまりうまく機能していない気もしますが――メチャクチャに楽しい、では終わらないのもまた、本作の味わいと言うべきでしょうか。

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2018.03.23

久保田香里『駅鈴』 歴史を駆け抜けた少女の青春

 律令制下で公用の情報伝達・旅行のために街道沿いに設置された「駅家」。その駅家を舞台に、駅家で働くことを夢見る少女を主人公とした物語――『氷石』で奈良時代の少年少女の姿を瑞々しく描いた作者が、再び奈良時代を舞台に描く物語です。

 近江国の駅家の駅長の家に生まれ、将来は駅子(駅家の業務を行う者)や駅長になることを夢見てきた少女・小里。しかし周囲からは女がなれるわけないと言われ続けてきた彼女は、ある日京から来た駅使(役所や朝廷からの手紙を運ぶ使者)見習いの青年・井上若見と出会います。
 駅の仕事をさせてもらえない小里と、なかなか駅使に馴染めない若見――どこか似た二人は、やがて互いの周囲の出来事や、将来の夢を語り合うようになるのでした。

 時が流れていく中、駅子の仕事を任されるようになった小里と、親王に仕えるようになた若見。互いに惹かれ合いながらも、自分の夢である駅家での仕事に打ち込むことを選んだ小里ですが、思わぬ事件のために大きな挫折を味わうことに……


 冒頭に述べたように律令制下で各地に設けられた駅家。フィクションの世界で中心的に描かれることは極めて珍しいこの制度を中心に置いて、本作は展開していきます。
 駅家の運営が地元の富裕な農民等によって行われていたというのも、その代替わりの際に国の審査があるというのも、恥ずかしながら初耳。それだけにまず題材の時点で、大いに新鮮に感じました。

 さて、小里はそんな駅家を運営する一族に生まれ、祖父や両親が働く姿を間近に見て育った少女ですが――駅子や駅長に憧れるのはむしろ当然であったとしても、その夢の実現が、特にこの時代においては極めて困難であることは言うまでもありません。
 そんな厳しい道を一心に行こうとする彼女の姿は、若者だからこその無鉄砲さに満ちていると言うべきですが――しかしだからこそ眩しく感じられます。

 本作はジャンル(レーベル)としては児童文学となりますが、なるほど、自分の将来に向けて歩いていこうとする子供たちに向けた物語として――そして同時に、性別の壁を超えようとするエンパワメントの物語として――その内容は、大きな意味を持つと感じられます。


 しかし本作は、そうした一種の青春小説としてだけでなく、歴史小説としても、実に魅力的な作品であります。
 その源が、駅家にあることは言うまでもありません。その時代特有の事物を描きつつ、それを密接に物語に絡めてみせる――歴史小説としては当たり前ではありますが、それが本作においては、独特の題材を用いることもあって、特に巧みに感じられます。

 何よりも、上で触れたように駅家が今で言えば運営を民間委託しているという特徴が、小里の夢の行方に大きく関わってくる物語展開には、大いに感心させられました。

 そしてまた、本作の物語の背景として描かれる当時の史実、歴史の流れにも注目する必要があるでしょう。本作の舞台となるのは739(天平11)年から747(天平19)年の約10年間。奈良時代の最盛期ですが――しかし華やかな印象に比して、決して平坦な時代ではありません。
 遣唐使の帰還と渤海使の渡来、九州での藤原広嗣の乱、幾度もの遷都、そして地震などの天変地異――本作の後半で重要な背景となる大仏建立へと繋がる時代の波乱が、そこにはあるのです。

 本作の登場人物である小里や若見は、これらの史実と密接に結びつきつつも、しかし決してその史実の主役ではありません。むしろその史実を時に傍観し、時に翻弄される立場なのですが――それこそが大きな意味を持ちます。

 歴史に触れるとき、我々はどうしてもその時代を動かしてきた層ばかりに目を向けてしまう(古代であればなおさら)ものです。
 しかしその時代に生きてきたのは、そんな一握りの人々だけではありません。我々と同じように、それぞれに日々を懸命に生きてきた人々がそこにはいたのだと、本作ははっきりと示してくれるのです。

 そしてそれが、読者と主人公を重ね合わせて描くことの多い児童文学において、大きな意味を持つことは言うまでもないでしょう。


 現代の我々とさして変わらぬ夢や希望、不安や喜びを抱いて生きる若者たちの姿を描く青春小説として、そしてそんな彼らの姿を通じて、この時代ならではの風物や事件を庶民の視点から描く歴史小説として――その両者が見事に結びついた名品であります。


『駅鈴』(久保田香里 くもん出版) Amazon
駅鈴(はゆまのすず) (くもんの児童文学)

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2018.03.22

『隠密剣士』(漫画版) 夢の取り合わせの漫画版、しかし……

 昭和30年代後半に絶大な人気を博し、忍者ものブームの一端を担うことになったTV時代劇『隠密剣士』の漫画版。『矢車剣之助』をはじめとする時代漫画の名手・堀江卓による、ある意味夢の取り合わせの一作です。

 昭和32年から2年半という長期に渡り放映され、その後も主演や主役を変えて製作された『隠密剣士』。隠密剣士・秋草新太郎こと将軍家斉の異母兄・松平信千代が、得意の柳生新陰流を武器に、公儀隠密として、悪事を企む忍者集団と戦う物語であります。
 本作は昭和33年に「週刊少年マガジン」に連載された作品――TV版の第三部「忍法伊賀十忍」をベースとした内容となっています。

 京に赴く老中・松平定信を暗殺せんとする尾張藩に雇われ、定信の命を狙う百々地源九郎率いる百々地十忍。
 これに対して定信を守るのは隠密剣士・秋草新太郎と、霧の遁兵衛率いる伊賀同心たち。かくて東海道を舞台に、百々地十忍との攻防戦が繰り広げられることに……

 というわけで、定信暗殺を狙う忍者集団との対決というシンプルな筋書きながら、道中もの――すなわち舞台が次々と変わっていくという特徴を生かして、様々なアクションが繰り広げられていく本作。
 宿場町、山の中、海辺といったフィールドで展開されるのは、剣士対忍者、忍者対忍者、剣士対剣士の派手なバトルであります。

 忍者といっても、怪人的ではなく、ある意味常識の範囲内(?)の存在ではありますが、それだけに本作で描かれるのは地に足の着いた攻防戦、知恵比べなのが面白い。
 そしてその面白さを支えるのが、堀江卓の筆力に依るところが大きいことは言うまでもありません。

 柔らかいタッチのコミカルな絵柄から、劇画調の絵まで様々に描いてきた作者ですが、本作は後者に近い絵柄。デフォルメを交えつつもシャープなタッチで描かれた新太郎や忍者たちの縦横無尽かつスピーディな戦いは、今読んでも遜色を感じないものであります。
 特に終盤登場する最後の強敵・日暮兄弟との対決は、身の丈ほどの長剣を地面に突き刺して待ちかまえるという敵の異形の剣法もインパクト十分で、大いに盛り上がります。


 ……が、お話の方は、今見るとかなり厳しい、というのが正直なところ。そもそも源九郎以外の十人衆が全くアカン(最初十一人だったのが、冒頭にいきなり粛正されて十人になったり)というのもありますが、その他のキャラがかなり困った存在なのです。

 本作の一応のヒロインは、新太郎に化けた源九郎(戦いの合間に、手で新太郎の顔に触っただけで型取りするという技は面白い)に父を殺され、新太郎を犯人と思いこんだ少女・おつる。
 先を急ぐ本物の新太郎を殺人犯と役人に告げ、面倒なことになるという展開は定番ですが――しかし再登場した時には、新型火薬でそこら中をバンバン爆破!

 何事かと思えば、父は花火師の玉屋だった、という設定ですが、知らぬ事とはいえ源九郎と組んで定信の船を大爆破するのはいかがなものか……

 しかしそれ以上に破壊的なのは、忍者たちの戦いに巻き込まれる――というより加わる二人の子供であります。主人公のいわばサイドキックとして子供が登場するのはこれも定番ですが、本作でも五郎という子供が新太郎の押し掛け弟子となります。
 しかし問題はその五郎の親友の小六。偶然、十人衆が伊賀同心を狙う暗殺帳を拾った彼はいきなり忍者になると言い出し、次に登場した時には百々地の仲間に――一体何があった!?

 その唐突さと百々地党の人材不足にまず驚かされますが、とんでもないのはラストで彼が果たす役割で――さすがに詳細は伏せますが、お前は忍者を何と思っているのだ!? 源九郎もそれでいいの? という展開で、目が点になること請け合いであります。


 なお、併録の忍者漫画『忍者サブ』は、『隠密剣士』とほぼ同時期に「中二時代」に連載された作品。
 服部半蔵の息子の青年忍者サブを主人公に、将軍の娘・月姫を狙う天草の残党・片貝忍者と対決する前半、甲武信が岳の測量隊を次々と殺害する謎の怪物「黒い風の使い」に挑む後半から構成されています。

 内容的にはかなりシンプルではありますが、特に後半は同じ秘密を追う甲賀忍者が登場したり、敵方には敵方の事情があることを知ったサブとその甲賀者が下すある決断の内容など、なかなか読ませる本作。
 正直なところ、作品単体としての出来ではこちらの方が上では――という印象もあったりするのです。


『隠密剣士』(堀江卓 eBookJapan Plus) Amazon
隠密剣士

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2018.03.21

岩井三四二『天魔の所業、もっての外なり 室町もののけ草紙』 歴史を動かすのは人か魔か

 これまでは今ひとつマイナーだったものの、近年何かと話題となっている応仁の乱。本作はその乱の原因の一人とも言うべき日野富子を中心に、もののけと出会い、それに未導かれるように破滅していく人々の姿を描いた一冊――淡交社の雑誌「なごみ」に連載された作品をまとめた短編集であります。

 室町第8代将軍足利義政の妻にして、彼を上回る実力者として辣腕を振るい、そして実子・義尚を将軍位に就けんと暗躍して応仁の乱の端緒を作った日野富子。後世、希代の悪女とも呼ばれた彼女の物語を皮切りに本書は始まります。

 義政の正室でありながらも男児に恵まれずにいた富子。ついに義政は仏門に入っていた実弟を還俗させ、足利義視として将軍後継とするものの、富子にとってそれを受け入れられるはずもありません。
 ついに義政の三人目の子を懐妊した富子は、それが男児であることを望むものの、義政は彼女がかつて主上と密通したことを疑い、その時の子ではないかと冷淡な態度を見せるのでした。

 そんなある晩、富子の前に現れたもののけ。その顔は、かつて義政の寵を受けながらも謎の死を遂げた今参局でありました。
 そんな日々を経ながらも、ついに男児を出産した彼女は、これぞ得難き優曇華の花と、赤子を将軍位に就けるべく画策を始めて……

 と、政務を執らず遊興三昧の夫を蔑み、自分の子を将軍位につけて自らも栄華望む富子の姿を描く第1話『優曇華の花』。
 ようやく将軍位を厭う義政の真意に気付きながらも、それでも我が子を将軍にせんとする自分の心は既にもののけに憑かれてしまったのではないか――結末においてそんな疑いを抱く富子の姿が印象に残ります。


 そして続く作品においても、室町の乱前後の人々の姿が独自の視点で描かれていくことになります。

 養父であった世阿弥の一族を追い落として観世座を我が物にしつつも、老境に入りその運営に苦しむ音阿弥が世阿弥の霊を見る『美しかりし粧いの、今は』
 京洛を灰燼に帰さしめた応仁の乱の西軍の大将として乱を終わらせようと奔走する中、恐るべき天魔を目撃した山名宗全の決意を描く表題作『天魔の所業、もっての外なり』
 梅が描かれた青磁茶碗に魅せられた倉奉行の下役が、茶碗の精に導かれるままに破滅に向かう『青磁茶碗 玉梅』
 ついに将軍位に就きながらも遊興にふけり、六角氏を相手とした無益な戦いに自ら出陣した義尚の運命を描く『将軍、帰陣す』
 乱の東軍の総大将の子に生まれ、将軍の座をすげ替えるという挙に出ながらも、自らは天狗になろうとしていた細川政元の姿『天狗の如く』
 幕府の隠然たる実力者として君臨しつつも、己の回りに誰一人いなくなった己の身の上を噛みしめる老境の富子を描く『長い旅路の果てに』

 これらの作品で描かれるのは、応仁の乱そのものというより、乱を引き起こした者、乱にあるいは乱に始まる混沌に翻弄された者たちの姿――己の道を進みながらも、しかしやがて破滅に向かっていく人々の姿であります。


 そしてそんな人々と関わっていくのが、本書の副題にある「もののけ」――時に亡霊として、時に巨大な天魔として、時に物の精として現れるモノたちは、人々をあざ笑い、悩ませ、誤った道に誘うのです。

 こうしたもののけと応仁の乱の組み合わせといえば、やはり思い浮かぶのは司馬遼太郎の『妖怪』でしょう。しかし本書において大きく異なるのは、そのもののけたちが、本当に存在したものであるのか、あるいは人々の気の迷いが生み出したものであるのか、多くの場合明らかではないことであります。

 人々の運命を狂わせ、行ってはならぬ方向――その極が言うまでもなく応仁の乱であります――に導くモノ。そんな超自然の魔が実在するものではなく、単なる妄想、気のせいであったとしたら?

 それは時にひどく残酷なことでしょう。それが自分のせいではなく、人の身では逆らいようのない存在の力によるものであれば、まだ救いはあったと言えるのですから。
 そしてそれと同時に、それは時に救いでもあります。どれだけ愚かな結果であったとしても、歴史を動かすのはこの世の外の誰かではなく、人間にほかならないということなのですから……


 そんな矛盾した想いを抱かせてくれる本書。派手さはありませんが、巨大な歴史のうねりの前の人間の姿をしみじみと考えさせてくれる、ユニークな作品集であります。


『天魔の所業、もっての外なり 室町もののけ草紙』(岩井三四二 淡交社) Amazon
天魔の所業、 もっての外なり

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2018.03.20

「コミック乱ツインズ」2018年4月号(その二)

 「コミック乱ツインズ」2018年4月号の紹介の後編であります。

『エンジニール 鉄道に挑んだ男たち』(池田邦彦)
 ドイツ留学からようやく帰ってきた島安次郎。しかし日本の鉄道は前途多難、今日も雨宮運転手の力を借りつつ奔走する島ですが、しかしここで彼には全く予想もつかぬ事態が起きることになります。
 それは第一次世界大戦――島にとっては恩人とも言うべきドイツと日本が開戦、中国で日本軍に敗れたドイツ人捕虜の護送を鉄道で行うことになった島は、その中に留学時代の友を見つけることになります。そして吹雪の中を走る鉄道にトラブルが発生した時、島の選択は……

 鉄道にかける島の熱意、そしてその途上に起きる鉄道でのトラブルを解決する雨宮の活躍を中心に描かれてきた本作。今回もそのフォーマットを踏まえたものですが――しかし戦争という切り口を本作で、このような切り口で描くか、となかなか意外な展開に驚かされます。
 ある種の民族性を強調するのはあまり好みではありませんし、理想的に過ぎると言えばそうかもしれませんが、しかしクライマックスで描かれる島の想いもまた真実でしょう。苦い現実の中の希望という、ある意味本作らしい結末であります。


『鬼切丸伝』(楠桂)
 宇和島の牛鬼編の後編である今回、中心となるのは犬神使いのなつが遺した双子の八重と甚壱――特に八重。幼い頃から人の死期などを視る力を持った八重は、なつの使役していた三匹の犬神を受け継ぎ、憑かれたように宇和島城に向かうことになるのですが……
 その宇和島城で繰り広げられるのは、牛鬼による虐殺の宴。ついにその正体を表した牛鬼に、八重と甚壱、そして鬼切丸の少年が挑むことになります。

 と、今回はほとんど脇役の少年ですが、犬神に襲いかかられて、なつの犬神を斬るわけにはいかないと焦りの表情を浮かべたり、双子の姿から、短い生を生きる人から人へ受け継がれるものに想いを馳せたりと、なかなか人間臭い顔を見せているのが印象に残ります。

 ただ残念だったのは、「子を守って命を落とした母/母から受け継がれた命を繋いでいく子供」と、「子供を失って鬼と化した者」という面白い対比があまり物語中で機能していなかった点であります。
 共に仇討ちのために力を振るうという共通点を持つ両者を分かつものがなんであったのか――それは上に述べたとおりだと思うのですが、牛鬼が弱すぎたせいもあってそれがぼやけてしまったのはもったいなく感じました。


『政宗さまと景綱くん』(重野なおき)
 今回もほとんど完全に芦名家メインの本作。佐竹家の次男から芦名家の新当主となった義広の姿が描かれるのですが――いかにもお家乗っ取りのように見えて、実は彼には彼なりの事情と想いが、と持っていくのがいい。
(……というより、それを引き出すのが小杉山御台とのわちゃわちゃというのが実に微笑ましい。)

 この辺りの呼吸は、作者の漫画ではお馴染みのものではありますが、やはりさすがは――と感じさせられます。


『仕掛人藤枝梅安』(武村勇治&池波正太郎)
 「闇の大川橋」の中編、御用聞き・豊治郎が殺された現場に居合わせたために、刺客たちの襲撃を受けて窮地に陥った梅安(どれだけゴツくでも、複数の相手に真正面から襲われると危ない、というのは当たり前ですが面白い)。
 彦さんの家に転がり込んだ梅安は、嬉しそうに二人で一つの布団にくるまって(当然のようにそれは提案する梅安)――というのはさておき、自分が襲われたこと自体よりも、豊治郎を助けただけで襲われた、すなわち人助けもできない世の中になったことになったことに憤る姿が、強く印象に残ります。

 予想通りのビジュアルだったおくらもお目見えして、次回いよいよ決着であります。

 ……にしても、これは全くの偶然なのですが、今回の悪役の名前、連呼されるとドキドキするなあ。


 次号は『用心棒稼業』(やまさき拓味)、『小平太の刃』(山口正人)が登場とのこと。連載陣が充実しすぎてフルメンバーが揃わないという、贅沢過ぎる悩みも感じられます。


『コミック乱ツインズ』2018年4月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2018年4月号 [雑誌]


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2018.03.19

「コミック乱ツインズ」2018年4月号(その一)

 「コミック乱ツインズ」最新号は、表紙が『軍鶏侍』と非常に渋いのに対して、巻頭カラーは華やかな『桜桃小町』という、ある意味、本誌のバラエティ豊かさを表していると言えるような内容。そんな本誌から、今回も印象に残った作品を1つずつ紹介いたします。

『桜桃小町』(原秀則&三冬恋)
 表の顔は腕利きの漢方医、裏の顔は公儀隠密というヒロイン・桃香の活躍を描く本作は二ヶ月ぶりの登場。冒頭で述べたように巻頭カラーであります。

 今回登場するゲストキャラクターは、薩摩から江戸へやって来た女剣士・鹿屋桐葉。ふとしたことが縁で桐葉と知り合った桃香は、剣術指南役の家に生まれたために女であることを殺さねばならない彼女に、自分と重なるものを見出します。
 そんな中、薩摩藩を挑発した(蘇鉄に葵の簪が――というあれ)公儀隠密が何者かに殺害される事件が発生。桃香は桐葉の仕業ではと探索を始めるのですが……

 普段は隠密稼業を嫌う桃香が珍しく率先して探索に挑む今回。彼女とある意味同じ存在であり、そして対極にある存在である桐葉が(作者らしい美女ぶりも相まって)印象に残ります。
 真の敵は登場した瞬間にわかってしまいますし、そのわかりやすい悪役ぶりもどうかと思いますが、桐葉の想いと行動を強く肯定してみせる桃香の姿は実に良いと思います。


『軍鶏侍』(山本康人&野口卓)
 姦夫姦婦を斬って逐電した藩随一の剣の使い手・立川彦蔵と軍鶏侍・岩倉源太夫の対決編の後編。彦蔵に姉を斬られながらもなお彼を尊敬する若侍を通じて描かれる彦蔵の人物像と、その沈着なビジュアルが印象に残りますが――その彦蔵の前妻を後添えに迎えたという妙な因縁を背負いつつ、泰然と決闘に臨む源太夫も人物といえば人物。

 冷静に考えれば非常に武士道残酷物語なシチュエーションをそう感じさせないのは、この二人の人物に依るところが大ですが――しかし決闘が始まってみればこれが壮絶の一言。
 決して綺麗ではない、いや血塗れで泥臭い斬り合いの有様を軍鶏の戦いに例えて語る源太夫ですが、それは自分の腕を自嘲するものでありつつも、それ以上に彦蔵を讃えるものでしょう。

 一抹の救いがある結末も良い今回のエピソードですが――しかし静かに源太夫を送り出し、この結末を受け入れる新妻のあまりによくできた人物っぷりが、個人的にはむしろ不気味な印象があります。(そもそも、前回語った内容が全然当たってなかったのが……)


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 原作第2巻『熾火』編もいよいよクライマックス。一気に決着をつけるべく、吉原は三浦屋に正面から乗り込んだ聡四郎と玄馬に迫るのは、命知らずの忘八衆――しかもその数、数十人!
 というわけで最初から最後まで一大チャンバラが繰り広げられる今回、以前も描かれたように死兵と化した忘八たちを、顔に紗をかけて目だけ光らせるビジュアルで描くセンスが光ります。

 そんな忘八たちが、思わぬことがきっかけで人間性を見せてしまうという皮肉さも面白いのですが、しかし彼らはあくまでも前座、真の敵は長髪・襟巻きのビジュアルも強烈な人斬り牢人・山形であります(ちなみに常に不敵な山形が、上記の忘八たちを前に慌てる場面がちょっと可笑しい)。

 玄馬の助太刀を断って一対一の決闘に臨む聡四郎、ラストの見開きページの画がまた実にイイのですが、さてその決着は――次回ラストであります。


『カムヤライド』(久正人)
 第3回まで来て好調さは変わらぬ古代変身ヒーローアクション、今回は日向編の後編。全てを変えた天孫降臨の地・高千穂で、異形の国津神と対決するモンコ=カムヤライドとヤマトタケルの運命は――というわけで、ほとんど全編にわたりアクションまたアクションであります。
 見開きコピー二連続という大胆なページ使いから、カムヤライドの神速ぶりを描く冒頭のテクニックにまず驚かされますが、それすら上回る国津神の早さと、それにより、タケルの出番を用意してみせる構成もまた巧み。

 本当にほぼ全編バトルのため、ほとんど物語に展開はなし――と思いきや、ラストに落とされるとんでもない爆弾も素晴らしく、まだまだ先の読めない作品であります。


 今回も長くなってしまいました。次回に続きます。


『コミック乱ツインズ』2018年4月号(リイド社) Amazon
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2018.03.18

さちみりほ『花宵奇談』 豪腕女房と天然陰陽師が挑んだもの

 秋田書店やハーレクインで長らく活躍してきた作者による耽美な平安ホラー――に見せかけておいて、その実、霊感少女と天然陰陽師が怪事件解決のために奔走する、コミカルで時々泣かせる連作集であります。

 内裏に宮仕えに上った少女・玉響。彼女の目的はただ一つ、玉の輿に乗ること! ……であったのですが、一人の美青年に目を奪われたことから、彼女の運命は大きくわき道に逸れていくことになります。
 その青年こそは、かの安倍晴明から五代目の子孫であり、指神子の異名を持つ安倍播磨守泰親。しかしこの泰親、美青年でありながら、今一つアバウトで天然気味のどうにも頼りない人物だったのです。

 そんな折り、宮中では幼い三の宮がもののけに襲われるという事件が発生。実は霊感体質だった玉響は、無理矢理泰親に引っ張りこまれ、もののけ退治を手伝うことになるのですが……


 そんな第1話を皮切りとして、宮中や貴族の周辺で起きるもののけ騒動に玉響と泰親が挑む全4話構成の本作(後半2話は続き物)。
 泰親という有名人がメインキャラということもあり、いわゆる陰陽師ものに分類できる本作ですが、しかしそれが普通の陰陽師ものとも、ましてや平安ラブコメとも異なるのは、玉響のキャラクターによるところが大であります。

 何しろ玉響は、一見美しいの外見に似合わぬ強烈なキャラクター。決して幸福ではない生い立ちを背負いながらも、それをバネにして幸せを掴むべく猪突猛進、それを邪魔する奴は実力行使で叩き潰す! という精神的にも物理的にも猛烈にパワフルな女性なのであります。

 それが何の因果か泰親に(艶っぽくない意味で)見込まれ――というか利用され、もののけ退治に駆り出されては暴れ回るのですから、本人には申し訳ないのですが実に面白い。
 すっとぼけながらもおいしいところだけ持っていく泰親のキャラクターも相まって、この二人が一緒にいるだけで楽しくなってしまうのです。


 しかし、本作の魅力はそれだけではありません。本作の真の魅力は、登場するもののけたちと、その対極にある玉響の存在にあると言えるのですから。

 少々内容に踏み込んでしまいますが、本作に登場するもののけたちは、いずれも天然自然の妖魔というわけではありません。
 本作のもののけたちは、いずれも人の心が生み出した魔。その「心」とは、家族の愛に満たされない想い、満たされたいという想い――ここで描かれるのは、いずれもねじれた家族関係から生まれた哀しみや苦しみ、迷いから生まれたもののけたちなのです。

 そしてそこに、玉響が本作でもののけ退治役を務める真の理由があります。
 かつて両親の愛は美しい姉姫が一身に受け、自分は下女同様の暮らしを強いられてきた玉響。故あって姉の代わりに宮仕えに上がることになったものの、今もなお両親は自分に愛を向けることはない――そんな過去を背負う彼女は、しかしそれに押し潰されることなく、パワフルに今を生きているのです。

 そんな、親に愛されぬ哀しみを知り、そしてそれを乗り越えた彼女だからこそ、霊感の有無など抜きにして、もののけを祓うことができる――そんな本作の構図は、人間の強さ、たくましさと美しさというものを、これ以上なく感じさせてくれます。


 美麗な絵の中に唐突に挿入されるディフォルメされた絵柄、現代の事物や言葉を入れ込んだ表現など、純粋に平安ものを楽しみたい方にはちょっと敬遠される作品かもしれません。
 しかしここにはあるのは本作ならではのワンアンドオンリーの魅力。わずか単行本1巻ではありますが、微笑ましい結末も含めて、何とも好もしい作品であります。


 ……ちなみに本作の泰親、以前作者が岡本綺堂の『玉藻の前』を漫画化した『伝奇絵巻 玉藻の前』に登場したのと同じビジュアル(ご丁寧にあちらに登場した弟子二人も登場)。この辺りの遊び心も、何とも楽しいところであります。


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花宵奇談

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2018.03.17

4月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 恐ろしいことに今年ももう3月半ば。そして嬉しいことにもう春も目前――ということで、まだ年度末の忙しい時期の真っ盛りですが、新しい季節の訪れはやはり心が弾みます。というわけで4月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 と、心を弾ませつつ、刊行点数自体はあまり多くない4月。特に漫画の方はかなり寂しいのですが――文庫小説の方は気になる作品が並びます。

 まず注目は、最近新たな分野への進出も目立つ鳴神響一の『謎ニモマケズ 名探偵 宮沢賢治』。宮沢賢治を探偵とした作品はほかにもありますが、さて本作はどうでしょうか。その他、同じ作者ではガラリと雰囲気の異なる『おいらん若君』も同じ月に刊行されます。
 また、山本巧次の新作は、鉄道探偵に続き『軍艦探偵』とのこと。こちらも気になるところです。

 そしてシリーズものの新作では、霜島けい『九十九字ふしぎ屋商い中 もののけ三昧(仮)』と芝村凉也『討魔戦記 魔兆』の、ベクトルは全く異なるものの、どちらも優れた時代怪異譚シリーズの最新巻が登場です。
 その他、上田秀人『禁裏付雅帳 6 相嵌』、さとみ桜『明治あやかし新聞 怠惰な記者の裏稼業』第3巻も楽しみなところです。

 また新装版・文庫化では、なんといっても築山桂の『緒方洪庵浪華の事件帳』の『禁書売り』『北前船始末』の二部作が嬉しい。舞台化に合わせてかと思いますが、私も大好きな作品だけに、これを期に少しでも多くの方が手に取ってくれればと思います。
 そしてこちらは文庫ではありませんが、同じ作者の新作『近松よろず始末処』は、あの近松門左衛門が探偵事務所を開くという極めてユニークな作品。絶対おすすめです。

 その他には風野真知雄『卜伝飄々』、奥山景布子『太閤の能楽師(仮)』が気になる処であります。


 そして漫画の方は、冒頭に述べたとおり、3月に比べるとかなり寂しい点数。

 しかしその中でも絶対注目は、web連載開始時から話題の忍者活劇+宝探し+デスゲームな賀来ゆうじ『地獄楽』第1巻。
 また、『八百万』以来のコンビとなるみもり&畠中恵『しゃばけ』第1巻も、原作ファンとしては楽しみなところです。

 その他、上条明峰『小林少年と不逞の怪人』第2巻、黒乃奈々絵『PEACE MAKER 鐵』第14巻、魅月乱『鵺天妖四十八景』第2巻、中国ものでは大西実生子&仁木英之『僕僕先生』第4巻、川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第8巻が登場。
 なお、『鵺天妖四十八景』と『僕僕先生』は、残念ながらこれが最終巻とのことです。



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2018.03.16

阿部暁子『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』 現実を受け止めた先の未来

 京と吉野に二人の帝が擁立された南北朝時代。この混沌の時代を舞台に、吉野――すなわち南朝の姫君が京で若き日の足利義満と世阿弥の二人と出会い、厳しい現実と直面しつつもそれに立ち向かう姿を瑞々しく描いた好編であります。

 足利幕府との戦も劣勢が続く南朝を立て直すため、数年前に北朝に降った楠木正儀を連れ戻すべく、男装して出奔した今上帝の妹・透子。しかし彼女は京に入って早々、あっさりと人買いに捕らえられてしまうのでした。
 そこで共に捕らえられていた美少女と、その手引きでやってきた高慢な青年武士たちにより救い出された透子ですが――しかし救い主の正体に大いに驚くことになります。

 美少女――いや女装した少年は観阿弥の息子・鬼夜叉。そして高慢な青年こそが、透子たちの宿敵たる足利義満だったのですから!

 そんな騒動の中で早々に正体がばれ、義満に捕らえられかけたところを、ひとまず観阿弥の家に身を寄せることとなった透子。
 そこで鬼夜叉たちと言葉を交わす中、自分が如何に世間知らずであったか痛感した彼女は、義満の小姓として幕府に潜り込み、幕府を巡る状況の複雑さを知ることになります。

 そんな中、義満の身に起きた大事件。幕府と南朝の間で、そして幕府内で大きな争いを引き起こしかねないこの事件が、自分の存在がきっかけで起きたと知った透子の決断は……


 これまで集英社コバルト文庫を中心に活躍してきた作者。本作は一般レーベルの作品ですが、しかしそのコミカルでライトな手触りは、作者のホームグラウンドの作品の延長線上にあるものとして感じられます。

 実は本作は、作者が以前コバルト文庫で発表した『室町少年草子 獅子と暗躍の皇子』とかなりの部分で共通点を持つ作品。
 続編というわけではありませんが、ないと思いますが、設定年代はほぼ同一、物語の中心となるのは俺様キャラの義満に、彼に振り回される美少年の鬼夜叉(後の世阿弥)というキャラクターには重なるものを感じます。

 しかしもちろん本作はあくまでも独立した作品であります。本作の主人公たる透子――亡き後村上帝の娘である彼女の目を通して描かれる本作は、『少年草子』と、いや他の南北朝ものと、一味も二味も違う物語として成立しているのですから。

 文字通りのプリンセスである透子は、長い黒髪をばっさりと落とし、供を一人連れただけで京に出てくるというバイタリティははあるものの、基本的には無菌に近い状況で育った少女であります。
 そんな彼女の目に映るのは、これまで見たこともない世界と、そこに暮らす人々。皇族・貴族中心の世界で生まれ育った彼女の見たことも想像したこともない様々な身分の人々が、そこには存在していたのです。

 そしてその代表と言うべき存在が、義満と鬼夜叉であることは言うまでもありません。
 幕府の長というべき地位にあり、傲岸不遜に振る舞いながらも、それだけに厳しい現実としばしば直面することになる義満。幼くして義満らを引きつける芸を持ちつつも、周囲からは蔑まれる身分にある鬼夜叉――透子は、二人を通じて、これまで気付きもしなかった現実を知ることになります。

 そしてその現実には、彼女がこれまで信じてきたような、わかりやすい南朝=善、北朝=悪という図式などは、存在しないことを。そしてその現実には重みと痛みが伴うこと、その前では自分はあまりにも非力であることを……


 しかし本作は、一人の少女が現実を知り、その現実に倦んでいく物語でも、その現実にすり潰される物語でもありません。
 彼女は、いえ、義満も鬼夜叉も――その現実を受け止めつつも、それでもなお、自分の望む未来を掴むべく、一歩一歩でも前進していこうとしているのですから。

 そんな姿は、特に透子のそれは、ややもすれば世間知らずの子供の青臭い理想論と見えるかもしれません。
 しかし子供だからこそ見えるものが、子供だから言えることがあります。そんな透子たちの姿は、室町という過去のある時代に置かれたものでありつつも、同時に、今に生きる我々にも力を与えてくれるものであります。

 コミカルな筆致と個性的なキャラクターたちによって南北朝期ならではの複雑怪奇な諸相を巧みに浮き彫りにしつつ、その中で、いつの時代も変わらない若者たちの姿を描き、現代の我々をエンパワメントしてみせる。
 これまで読んだことのないような室町の物語、作者ならではの物語を存分に堪能させていただきました。


『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』(阿部暁子 集英社文庫) Amazon
室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君 (集英社文庫)

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2018.03.15

夏乃あゆみ『暁の闇』第3巻 青年陰陽師を襲う二つの試練

 平安時代前期、帝の第一皇子に生まれながらも皇位に就くことのなかった悲劇の皇子・惟喬親王を中心に、宮中の権力争いに巻き込まれた若者たちの姿を描く物語の続巻であります。ついに宮中に返り咲くことを決意した親王をもり立てるべく動く人々の中、若き陰陽師・賀茂依亨も己の力を尽くすことに……

 過去のある事件が元で廃太子となり、逼塞していた龍の宮こと惟喬親王。偶然そこを訪れた依亨は、親王と対面した時に巨大な龍を幻視し、失われていた自分の霊力が蘇ったのを知ります。
 孤独な親王に心酔し、その力になることを望む依亨は、親王派の三位中将や頭中将とともに、その復権に尽力するのですが――その前に立ち塞がるのは、宮中で権勢を誇る左大臣一派であります。

 折しも、陰陽寮や神祇官が都への痘瘡神の接近を予言。これを奇貨として少しでも親王方の力を見せんとする中将たちに命じられ、疫神調伏を行うことになった依亨。
 衆人環視の下で調伏に挑むも、疫神の力と奇怪な幻視に苦しむ彼は、辛うじてその場は収めたものの力を暴走させてしまい、腕には奇怪な鱗が生じて……


 と、政治の世界と陰陽道の世界が交錯する本作らしい展開で始まったこの第3巻。儀式での術比べというのは陰陽師ものでは定番のシチュエーションでありますが、ここで描かれる疫神(?)の姿が、端正な不気味さとでも言うべきものがあって実にいい。

 絵柄的に決して派手ではない、むしろ抑え気味の静けさを感じさせる本作ですが、それだけにこうした異界の描写に不思議なリアリティと迫力が感じられるのであります。
(その結果、依亨の腕から生じた鱗の描写も、生理的に実に厭な感じなのがイイ)

 そして、この危機を親王の力を借りて何とか克服した依亨ですが、新たな、予想だにしなかったような危機が彼を襲うことになります。

 それは女装して宮中の女房たちに口コミで親王の無実(と左大臣の陰謀)を訴えること――と、それまでの耽美な世界から一気にノリとベクトルの異なる展開には正直なところ驚かされましたが、これはこれである意味説得力のある作戦かもしれません。
 何しろ政治の世界で恐るべきは人の噂。そしての時代、女御に仕える女房たちの口は、その源にして伝達手段だったのですから……

 だからといって女装させられるというのは、依亨がいいように中将連に振り回されている感もありますが、これも手駒の少ない親王方ならではの苦労――と見ておきましょう。


 と、そんな依亨の苦闘を文字通り高見の見物をしているのは、左大臣方の謎の双子陰陽師・右記と左記。
 何やら左大臣に雇われただけとは思えぬ怪しげな雰囲気を漂わせるこの二人、何と素顔は中年というのは少々意外でしたが、この先、依亨の強敵になることは間違いないでしょう。

 あとがきなどを読むに、必ずしも史実に即した物語ではない(というより大きく外れそうな)本作ですが、残すところは後2巻、物語の向かう先を虚心に楽しむこととします。


『暁の闇』第3巻(夏乃あゆみ&かわい有美子 マッグガーデンコミックアヴァルス) Amazon
暁の闇 3 (コミックアヴァルス)


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2018.03.14

万城目学『とっぴんぱらりの風太郎』上巻 プータロー忍者、流されまくる

 関西を舞台とした奇想天外な作品を次々と発表としてきた作者の、初の時代小説(を今頃になって紹介)であります。大坂の陣直前の京大坂を舞台に、失業忍者が奇怪なもののけと権力者たちの思惑に翻弄される姿を描く、ユニークな忍者ものです。

 幼い頃から伊賀で忍びとして育てられ、訓練で上野城の天守に潜入することになった風太郎と仲間の黒弓。
 しかし首尾良く天守に忍び込んだものの、途中壁に傷を付けたことなどから藤堂高虎の怒りを買い、二人は死を偽装してその場を逃れ、京に出ることになります。

 商才のあった黒弓と異なり、取り柄のない風太郎は、流されるままに日雇い暮らし。そんな中、かつての世話役・義左衛門からの頼みでひょうたん屋・瓢六に行くことになった風太郎ですが――その晩、因心居士を名乗る奇怪な老人が彼の前に現れます。

 居士の奇怪な術の前にきりきり舞いさせられた末、瓢六に届け物をすることになった風太郎ですが、黒弓のしくじりで失敗。
 今度は娘の姿で現れ、「ひょうたんを育てて、儂を大坂の果心居士のもとへ連れていけ」と告げる因心居士に反発しながらも、風太郎は成り行きからひょうたんを育てることになります。

 そして瓢六の依頼で高台寺に使いに出た風太郎は、そこでかつての仲間であり、今は大坂城に女中として潜入する常世と再会。
 そして彼女を通じて、ひさご様なる世間知らずの貴人を祇園祭に案内することとなった彼と黒弓は、そこで更なる騒動に巻き込まれることに……


 二年に渡り連載された大長編である本作。その前半部であるこの上巻では、かなりのボリュームを割いて、風太郎が周囲の状況に翻弄されるまま貧乏くじを引かされ、次から次へと面倒事を背負い込む姿を描きます。

 伊賀を追い出され、怪人・因心居士に取り憑かれ、貴人の護衛で死にそうになり、再び伊賀勢に引っ張りこまれて大坂冬の陣に参戦し――と書くと、何やら真っ当な忍者ものの主人公のようですが、凄いのはこれらの展開に、ほとんど全く風太郎の意思が働いていないこと。
 いや全くというのは大げさにしても、あるいは成り行きで、あるいは強いられて(あるいは疫病神の黒弓のおかげで)向かった先で騒動に巻き込まれる彼の姿を追っていくうちに、あれよあれよと物語が進んでいく様は、こちらまで因心居士の術にかけられたような気分になります。

 この、野心を抱いた若者が、都で妖しげな怪人に翻弄され、成り行きで歴史的事件に巻き込まれていく――というスタイルは、司馬遼太郎の『妖怪』を思い出しますが、そちらに比べて本作は(少なくともこの上巻の時点では)どこかすっとぼけた印象を受けるのは、作者流の人物造形の妙があるためでしょうか。

 そもそも風太郎は、「ふうたろう」ではなく「ぷうたろう」と読むことから察せられるように、戦国時代のプータローというべき青年。
 そこそこの夢はあるものの、そのために何か努力するでもなく、ただその日を生きることだけに追われるその姿には、奇妙な親近感が感じられます。(特に社会情勢に疎く、周囲の状況の変化に慌ててばかりのところは他人に思えない……)

 この辺りの人物造形、そしてユーモアとシビアさの絶妙なブレンドは作者ならではと言うべきかと思いますが、しかし物語が進むにつれ、現代を舞台にした物語では絶対描かれない展開が描かれることとなります。
 それは合戦――人が人を殺し、人の命が呆気なく消えていく場に、風太郎は放り込まれることになるのです。

 忍びとして無数の死を目にし、いざとなれば自分の手を汚すことも(あるいは他者を犠牲にすることも)躊躇わない風太郎。しかしそんな彼に対して、初めての合戦の場は大きな衝撃を与えます。
 覚悟も腕もない敵兵を殺す――それはまだいい。作戦のために民の家を焼き、兵ですらない庶民を殺す。面子のために味方を見殺しにし、体面のために味方を殺す……

 そんな戦の現実を前に、さしもの風太郎も、深刻な衝撃を受けるのですが――さて、その先で、風太郎は立ち直ることができるのか。彼は自分の意思で戦うことができるのか。彼の巻き込まれた事件の真実は、そして大坂城に執心する因心居士の正体とは?

 更なる意外な展開が待ち受ける下巻は近日中に紹介いたします。


『とっぴんぱらりの風太郎』上巻(万城目学 文春文庫) Amazon
とっぴんぱらりの風太郎 上 (文春文庫)

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2018.03.13

北方謙三『岳飛伝 十五 照影の章』 ついに始まる東西南北中央の大決戦

 残すところはわずか3巻、いよいよ最後の決戦に突入した北方版『岳飛伝』の第15巻であります。岳飛と秦容がそれぞれ南宋に突入し、金がほぼ全軍で梁山泊と対峙。そして梁山泊水軍と南宋水軍も決戦に臨む中、果たして最後に生き残るものは?

 ついに南方から飛び出し、南宋との戦いを開始した岳飛と秦容。三千五百の兵とともに南宋内を縦横無尽に駆け、各地の城郭を解放していく岳飛と、大軍でじっくりと地歩を固めつつ進んでいく秦容――対照的な形ながら、両者は着実に南宋の中に楔を打ち込んでいくこととなります。
 しかしそんな岳飛たちの頭を悩ませるのは、南宋軍の総帥・程雲の直属一万がどこかへ姿を消していること。致死軍の情報網でも掴めぬその行方は……

 というわけで、はじめに激突することになるのは、岳飛と程雲。一カ所に足を止めることなく連続で城を落としていく岳飛に対し、奇策でその効果を最小限にしてしまった程雲(もっともこれは彼の発案ではありませんが)は、さらに意外な手段で岳飛を待ち受けます。
 その正体については前巻で既に描かれているところですが、少なくとも軍総帥が行うとは思えない意外な策であることは間違いありません。そしてその策の前に、あの岳飛すら必殺の窮地に……
(そしてその策の途中、妙にノリのよいところを見せる程雲の副官・陸甚のキャラがここに来て立ちまくる)

 これまで幾度か絶体絶命の窮地に陥って来た岳飛。その中でも今回の危機は、彼のホームグラウンドである戦場で襲いかかったという点で、大きな意味を持つと言えるでしょう。
 これまで快進撃を続けてきた岳飛も、ここでついに膝を屈することに――なったと思ったら、何故か浮気相手を見つけてきたのは目が点になりましたが、この辺りの陽性の個性は岳飛ならではのものでしょう。

 手痛い敗北もなんのその、浮気では先輩である梁興とのダメな大人同士のわちゃわちゃっぷりは、大いに愉快でありました。


 と、そんな触れ幅の大きすぎる展開がある一方で、各地では着実に情勢が動いていくことになります。

 東では張朔の下、今度こそ死んでやろうと狄成と項充が腕を撫し、西では顧大嫂がついに大往生を遂げた一方で韓成が西遼の丞相に任命され……
 北では国境の戦場に赴いた胡土児が蒙古と戦いを続け、南では半ば左遷状態の許礼が岳飛と秦容の留守に不穏な動きを見せることになります。

 さらにこれらの動きの中心には、海陵王と兀朮が率いる金の大軍が呼延稜の梁山泊軍といよいよ一触即発の状態に――と、東西南北中央で、情勢が大きくめまぐるしく動いていくのですからたまりません。

 そしてこうした動きの中で、さらに若い世代が姿を見せてくるのが、物語に爽やかな印象を与えます。
 韓順と蕭周材は諸国漫遊の中で深い友情を育み、胡土児は徒空と名付けた蒙古の少年を友と呼び、(若いとは言えないかもしれませんが)謎の日本人・炳成世は張朔の船で初の本格的な海戦を経験し――と、この決戦が終わった後も、新たな物語が続いていくことを予感させてくれるのです。

 そしてそんな物語を象徴するように感じられるのが、小梁山で飼われる鸚鵡の口から出る「やるだけやって、死ぬ。でも」という言葉であります。
 広い広い物語世界で、無数の登場人物たちが懸命に生き、そして死んでいく。しかしその後にも、先人たちの想いを継いだ者たちが現れ、新たな生を繋いでいく……

 それは、呆気ないほどに容易く命が散っていくこの物語において、大きな慰めであり希望であると感じられます。


 と、大いに盛り上がる――はずのシチュエーションなのですが、本作ならではの様々なキャラクターの視点から細かくエピソードを積み上げていく手法が、同時に展開する戦いを描くには、逆効果になっている感があるのも正直なところ。
 また、個々の戦いが互いに結びついているようであまり結びついていないように見えるのもその印象をより強めるように感じられます。

 もっとも、この巻においても決戦はまだ序盤といったところ。戦いが進展し、決着に近づいていけば、そんな印象は吹っ飛ぶことでしょう。
 ラスト2巻――全17巻の、いや全51巻の締めくくりに相応しい盛り上がりを期待します。


『岳飛伝 十五 照影の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 十五 照影の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 二 飛流の章』 去りゆく武人、変わりゆく梁山泊
 北方謙三『岳飛伝 三 嘶鳴の章』 そして一人で歩み始めた者たち
 北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿
 北方謙三『岳飛伝 五 紅星の章』 決戦の終わり、一つの時代の終わり
 北方謙三『岳飛伝 六 転遠の章』 岳飛死す、そして本当の物語の始まり
 北方謙三『岳飛伝 七 懸軍の章』 真の戦いはここから始まる
 北方謙三『岳飛伝 八 龍蟠の章』 岳飛の在り方、梁山泊の在り方
 北方謙三『岳飛伝 九 曉角の章』 これまでにない戦場、これまでにない敵
 北方謙三『岳飛伝 十 天雷の章』 幾多の戦いと三人の若者が掴んだ幸せ
 北方謙三『岳飛伝 十一 烽燧の章』 戦場に咲く花、散る命
 北方謙三『岳飛伝 十二 瓢風の章』 海上と南方の激闘、そして去りゆく男
 北方謙三『岳飛伝 十三 蒼波の章』 健在、老二龍の梁山泊流
 北方謙三『岳飛伝 十四 撃撞の章』 決戦目前、岳飛北進す

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2018.03.12

時代伝奇大年表 更新

 古代から太平洋戦争期までの、ある年に起きた史実上の日本・世界の出来事と、小説・漫画等の伝奇時代劇その他フィクションの中の出来事、人物の生没年をまとめた虚実織り交ぜ年表「時代伝奇大年表」を更新いたしました。

 今回の更新で追加した作品名は以下の通りです(登場順)。
『龍帥の翼』『天竺熱風録』『妖曲羅生門』『花天の力士』『封魔鬼譚』『百鬼一歌 月下の死美女』『室町繚乱』『はぐれ馬借』『琉球のユウナ』『文学少年と書を喰う少女』『虎の牙』『ザビエルの首』『嶽神伝 鬼哭』『金色機械』『暗殺者、野風』『紅城奇譚』『零鴉 Raven 四国動乱編』『天翔のクアドラブル』『駒姫 三条河原異聞』『殺生関白の蜘蛛』『敵の名は、宮本武蔵』『仁王』『変身忍者嵐Χ』『雀と五位鷺推当帖』『とっぴんぱらりの風太郎』『イサック』『天の女王』『人造剣鬼』『野獣王の劍』『半百の白刃』『彩は匂へど』『黄金の剣士』『くのいち小桜忍法帖』『鉄の王』『猿島六人殺し』『空蝉の夢』『縁見屋の娘』『名刀月影伝』『コランタン号の航海』『草紙屋薬楽堂ふしぎ始末』『北斎に聞いてみろ』『躍る六悪人』『忍者黒白草紙』『シノビノ』『慶応三年の水練侍』『監獄舎の殺人』『さなとりょう』『木足の猿』『刑事と怪物』『義経号、北冥を疾る』『るろうに剣心 北海道編』『書楼弔堂 炎昼』『清太郎出初式』『蜃気楼の王国 琉球王の陵』『サーベル警視庁』『冥都七事件』『地底獣国の殺人』『帝都大捜査網』『WHO FIGHTER』『あじあ号、吼えろ!』

 その他にも
『神曲』『忍者戦隊カクレンジャー』『七つ石の宝石』『魔女王の血脈』『ワンダーウーマン』『シルバー假面』『D坂の殺人事件』『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』『怪人二十面相』『狂気の山脈にて』『双亡亭壊すべし』『時間からの影』『ABC殺人事件』『機神兵団』『ジョーカー・ゲーム』『ザ・キープ』『キャプテン・アメリカ』『リーンの翼』『終戦のローレライ』
を追加しています(なお、『D坂の殺人事件』『怪人二十面相』は『明智小五郎読本』の説に依りました)。

 追加作品は近現代のものが特に多くなりましたが、追加作品以外もほぼ全面的に文章を見直しております。

 なお、各作品タイトルから、ブログの方での作品紹介記事にリンクを張るのは今回も断念……今後何とか頑張ります。



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2018.03.11

平谷美樹『鍬ヶ崎心中』に推薦の言葉を寄せました

この7日に発売された平谷美樹『鍬ヶ崎心中』に推薦の言葉を寄せさせていただきました。戊辰戦争中の盛岡藩宮古を舞台に、鍬ヶ崎遊郭の女郎と元盛岡藩士の二人の運命の交錯を描く物語――地方と庶民の立場からの物語を数多く描いてきた作者ならではの、一味も二味も異なる幕末ものであります。

 明治元年、盛岡藩有数の貿易港・宮古湾を望む鍬ヶ崎遊郭――その遊郭の妓楼・東雲楼でも最年長の女郎・千代菊が、楼を訪れた足の悪い若い侍・七戸和麿に出会ったことから、この物語は始まります。

 蝦夷地に向かう途中の榎本武揚の依頼で東雲楼の隠し部屋に滞在するという和麿の、身の回りの世話を名乗り出た千代菊。
 形としては和麿に身請けされることとなった千代菊ですが、しかし彼は千代菊に指一本触れることなく、宮古湾の見張りと鍬ヶ崎の絵図面作りで日々を費やすのでした。

 そんな和麿との関係に大いに戸惑いながらも、彼に追い出されれば行く当てはないと、必死に関わりを持とうとする千代菊。
 やがて和麿の過去と彼が失ったものを知り、彼に惹かれるようになっていく千代菊ですが、宮古湾に迫る戦の嵐を前に、和麿は……


 物語の舞台となる宮古――今でいう岩手県宮古市の名前を聞いて、すぐにあああそこか、とわかる方は、残念ながら多くはないでしょう。

 いや、箱館戦争、あるいは鳥羽・伏見以降の土方歳三についてよく知る方であれば、ある戦のことを思い浮かべるかもしれません。
 それは宮古湾海戦――箱館に拠る旧幕府軍が、宮古湾に寄港した新政府の装甲艦・甲鉄を奪取するために奇襲攻撃を仕掛けた、幕末史でも有数の海戦であります。

 敵艦に接舷して斬り込むアボルダージュという作戦内容の派手さ、そして生き残りの新選組隊士たちが参加していたことから、フィクションの題材となることも少なくないこの海戦。
 しかし本作は(その海戦を描く場面はありますし、そして登場する土方も実に「らしい」のですが)派手さ・勇猛さとは大きく異なる切り口から物語を描くことになります。

 それは本作の主人公が、一介の女郎に過ぎない千代菊と、武士としては既にドロップアウトしたも同然の和麿である点からも明確でしょう。

 既に実家よりも長い時間を遊郭で過ごし、天下国家の激動とは無縁に、ただ自由になる日のみを夢見る千代菊。若者の熱血のままに藩を飛び出して旧幕軍に身を投じながらも、不具の身となって厄介払いのような形で遊郭に置かれた和麿。
 新政府軍のような新たな時代への希望も、旧幕府軍のような滅びの美学もない――そんな二人の、いわば地べたからの視点から、物語は綴られていくのです。

 もちろん、この二人の間にある隔たりが、決して小さなものではないことも言うまでもありません。
 遊郭の中での「今」しか見つめてこなかった千代菊と、「過去」の戦とそこで失われたものたちに囚われた和麿と――そこにあるのは単に女郎と武士というだけではない、遥かに運命的なものすら感じさせる断絶であります。

 そんな二人の運命の先に何があるのか――それは是非実際に作品をご覧いただきたいのですが、そこにあるのは、作者がこれまでの作品の中で弛まず、様々な形で描いてきた「未来」への希望である、と申し上げることは許されるでしょう。
 つい先日完結した、作中でも言及される盛岡藩家老・楢山佐渡を主人公とした大作『柳は萌ゆる』とはある意味対極にある本作。しかしそこに通底するものは、極めて近い――そんなことも感じさせられました。


 さて、冒頭に触れた推薦の言葉ですが、なんと3月10日の「岩手日報」の第一面に掲載されたとのこと。

 これは全く偶然の上に私事ですが、両親をはじめ一族親戚が岩手県出身(さらに言えば私は宮古市の病院生まれ――もっともすぐに関東に出てきたのですが)の身としては、非常に驚き、かつ嬉しく感じた次第です。


『鍬ヶ崎心中』(平谷美樹 小学館) Amazon
鍬ヶ崎心中

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2018.03.10

山田睦月『コランタン号の航海 アホウドリの庭』 アフリカで見た苦い真実と希望の光

 ナポレオン戦争を背景に、彼岸と此岸の間を行く英国海軍所属のコランタン号の冒険を描くシリーズの第3部は、アフリカを舞台とした物語であります。宿敵ベシャール大佐を追うコランタン号が戦いの最中に立ち寄ることとなった村。そこでルパートたちを待つものとは……

 ロンドン橋を破壊し、ロンドンを壊滅させようとしたベシャール大佐の陰謀を阻んだものの、その中で強大な力を持つというインドの秘宝「ガンガーの封じ珠」を奪われたコランタン号。

 かつてルパートによって水底の国から救い出されたアンリ、そして封じ珠の持ち主の一族であるアルジュンを新たに加え、コランタン号はアフリカに向かったベシャールの船を追うことになります。
 激しい海戦を繰り広げながらも、ベシャールを取り逃がすこととなったコランタン号。そればかりか戦闘中にメリーウェザー艦長が頭を打って人事不省となり、治療のために上陸を余儀なくされるのでした。

 初めは無人と思われた上陸地でしたが、そこで隠れるように暮らしていた祈祷師ロクワリアを指導者とする人々と遭遇することとなったルパート一行。
 歓迎とよそよそしさの入り交じった態度を見せる人々に戸惑うルパートたちですが、ある事件がきっかけに思わぬ窮地に陥ることになります。

 果たしてこの地に秘められた真実とは何なのか、そしてそれを知ったルパートは……


 単行本一冊分と、分量的には中編というべきこのエピソード。大作であったロンドン編、そしてラストとなるインド編の間ということもあって、地味な印象を受けなくもありませんが――しかしここで待ち受けるものは、これまでの物語同様、ルパートにとって大きな意味を持つものであります。

 アフリカに上陸したルパートたちが出会った集落の人々。善良で、どこか神秘的という――こういう表現はよろしくないかとおもいますが――いかにもな原住民的に描かれる彼らですが、しかし思わぬどんでん返しがクライマックスに待ち受けます。
(真実が明らかになるシーンには掛け値なしに仰天いたしました)

 それが何であるか、興を削がないようにここでは詳しく述べませんが、その真実は意外でありつつも、この時代の史実を踏まえた、確かにあり得るもの。そしてそれだけでなく、ルパートの依って立つもの・彼が信じてきたものを揺さぶり、そして同時に目を逸らしてきたものをつきつける――それはそんな意味を持つのであります。

 これまでの物語にも描かれてきたように、舞台となる19世紀初頭は航海技術等の発展により、ヨーロッパ人の行動範囲が飛躍的に広がり、アフリカに、アジアにまで広がっていった時代。
 それは彼らにとっては輝かしき時代の幕開けですが――その繁栄の陰にあったのは、収奪や搾取、侵略であったことも否めません。
(本シリーズ後半のキーアイテムとなるガンガーの封じ珠もそうしてもたらされた物なのですから……)

 そして、ルパートたちが正義の戦いと信じるナポレオンとの戦いも、結局は海外の領地の奪い合いに繋がっていくものだとしたら――それはルパートにとっては、厳しい真実というほかないでしょう。

 しかしその真実に打ちのめされながらも、なおもルパートがある人物に答えた言葉は実に彼らしく、そして人間と人間の間の可能性を信じる、希望に満ちたものであるのが嬉しい。
 そしてその答えは、これまで彼がコランタン号に乗って経験してきたものが導いたものであることは言うまでもありません。


 神秘的なものが当たり前のように登場する物語の中に、極めて現実的な、そして苦い真実を投入し、しかしその先に人の心の中の希望の光を見せる……
 物語全体のクライマックスを前に世界観を掘り下げると同時に、主人公の成長を丹念に描く、実に本シリーズらしい中身の濃い物語であります。

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2018.03.09

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第10巻 有情の忍、鬼に挑む!

 単行本は本書で巻数二桁に突入、連載も今週で百回と、完全に流れに乗った感のある『鬼滅の刃』。記念すべきこの第10巻ではいよいよ遊郭編が佳境に入ることになります。ついにその姿を現した上弦の陸に単身戦いを挑む炭治郎ですが、戦いは意外な様相を呈することに……

 音柱・宇髄天元の指揮の下、女装して遊郭での探索に当たることになった炭治郎・善逸・伊之助の三人。別々の見世に潜入した彼らは、それぞれの立場から、遊郭で起こる異変に気付くのでした。
 その異変の原因は、長きに渡り花魁に化けて遊郭に潜んでいた上弦の陸・堕姫。善逸と伊之助は既に天元の三人の嫁を襲っていた堕姫の分身・蚯蚓帯と対決する一方で、炭治労は堕姫と単身対決することになります。

 善逸たちのもとには天元が駆けつけ、形勢逆転する一方で、これまでとは段違いの実力を持つ堕姫に苦戦を強いられる炭治郎。
 怒りから覚醒状態に至り、ヒノカミ神楽の剣技によって堕姫に肉薄する炭治郎ですが、しかし人間の身の悲しさ、後一歩と言うところで体力の限界が……


 と、覚醒しても叶わない相手の強大さをたっぷりと描く冒頭から既にテンションは上がりっぱなし(そしてその中でさらりと先々の伏線を入れてくれるのがまた心憎い)ですが、しかしそこから一段も二段も先があるのが、本作の恐ろしいところであります。

 力尽きかけた炭治郎に変わって堕姫に挑むは、もう一人の鬼殺隊士というべき禰豆子。怒りによって急激に成長し、上弦並みの力を発揮する彼女と堕姫は、人間と鬼との戦いとは全く異なる、鬼同士の凄惨極まりない潰し合いの様相を呈することになります。
 そして混戦の中、天元と仲間たちがついに合流、一気に形勢逆転と思いきや、ここで恐るべき真の敵が登場――!

 いやはや、この辺りは連載で読んでいた時には、えーッ、まだ戦いが続くの!? まだまだパワーアップするの!? と驚いたり呆れたりの連続だったのですが、単行本でまとめて読むと、その畳かけが実に気持ちがいい。
 必死の剣技で挑む炭治郎、圧倒的なパワーを叩きつける禰豆子、けた外れの豪快さと素早さを合わせ持つ天元と、それぞれのバトルスタイルが全く異なるのもあって、本作ならではのスピーディーなバトルを存分に楽しませていただきました。


 そしてその一方で(このブログ的に)印象に残るのは、やはり「忍」としての天元と嫁たちの存在であります。

 本作の舞台は大正――言うまでもなく、忍などという存在は姿を消して久しい時代。
 そんな中で辛うじて生き延びてきた天元の一族は、その忍の忍たる特性、すなわち非人間的なまでの非情さ・冷徹さを先鋭化させてきたのですが――しかしそれは、天元の姿からはうかがえないものであります。

 確かに鬼や同じ鬼殺隊に対しては容赦ない顔を見せる天元ですが、しかしその根底にあるのは鬼から人間を守る(それ以上に三人の妻を何よりも大事にする)という想い。
 それ以前にあの派手さや祭り好きは忍離れしているというのはさておき、このヒロイックな想いは、忍とはある意味対極にあるものでしょう。

 それでは何故彼は、忍らしからぬ忍となったのか、彼にとって鬼殺隊の任務とは何なのか――本編においてはわずか数ページの描写なのですが、しかしそれだけで彼のキャラクター性を、いや人間性をグンと掘り下げ、深めてみせる巧みさには驚かされます。

 初登場時にどうにもいい印象を抱けなかったキャラクターが、物語が進むに連れてグングン魅力的になり、別れがたい想いを抱かせるのは本作の得意技、煉獄の兄貴も同様でしたが今回もそのマジックにかけられたという印象です。
 もちろんそれは大いに望むところなのですが……
(もっともその一方で、煉獄のようなことにならないか心配で仕方がなかったのですが)


 そして有情の忍とも言うべき天元の存在は、今回の敵ともある種対極にあると感じられます。
 共に非人間的な扱いを受けて育ちながらも、それを乗り越え他人のために戦う人間と、その怨念のままに他人を殺し食らう鬼と――両者の対決がどのような結末を迎えるか、まだまだ戦いは終わらないのであります。

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2018.03.08

伊藤勢『天竺熱風録』第3巻 「らしさ」全開、二つの戦い!

 天竺・摩伽陀国のお家騒動に巻き込まれて窮地に陥った唐の外交使節・王玄策の奮闘を描く物語もいよいよ佳境。仲間たち、そして心ある人々の助けにより摩伽陀国を脱出した玄策と副官の蒋師仁は、ついにネパール・カトマンドゥに辿り着き、援兵を求めることになるのですが……

 唐の外交使節団として訪れた摩伽陀国で突如捕らえられ、投獄された王玄策一行。それが先王・ハルシャ王亡き後にその座に就いたアルジュナの仕業であることを知った玄策は、牢の隠し通路から、代表として師仁と二人、援兵を求めて脱出することになります。
 ハルシャ王の妹とその腹心の少女らの助けで王都を脱出した二人は、一路カトマンドゥを目指すのですが――しかしもちろん、容易くたどり着けるはずもありません。

 二人の後を追うのは、王都で二人を襲ったアルジュナ配下の怪人チャンダ・ムンダ。不死身とも思える生命力を持つムンダとその配下の兵に玄策と師仁が追い詰められたとき、そこに現れたのは――ネパール王国の美しき女将・ラトナ将軍!


 というわけで、漫画版が始まった時から気になっていたオリジナルキャラクターがついに本格的に登場することとなったこの第3巻。

 いかにも伊藤キャラらしいキリリとした美女である彼女の登場で、一気に画面は華やかに――なるだけでなく、ここから別の形で物語が緊迫の度合いを増していくのが、実はこの巻の最も大きな魅力であり、読みどころであります。
 その緊迫感の理由とは、ネパール軍人である彼女が登場したということと無関係ではありません。それは、ここから本格的に物語にネパールという国家が関わってくる、ということを意味するのですから。

 大きく言ってしまえば、これまで唐と摩伽陀の間の問題であったものに、第三国たるネパールが絡んでくるということであり――そしてそこから先が、そうそう容易く進んでいくはずもありません。
 王宮に伴われた玄策は、ネパールの若きナーレンドラデーヴァ王と対面するのですが――そこから先は単純に善悪の別や義侠心の有無では済まされない腹の探り合いである「外交交渉」が始まるのであります。


 ……が、まさにこれこそは玄策の本分。その豪快を感じさせるビジュアルやこれまでの活躍ぶりで忘れそうになっていましたが、彼はあくまでも文官の外交使節。
 そして唐という大国を代表して世界を飛び回る彼が、只者であるはずもない――と、肩書以外はほとんど無一物である彼が、真正面から王と渡り合い、己が求めるものを引き出そうと奮闘する様が実に面白いのであります。

 この外交交渉のくだりは、原作では正直に申し上げれば、いささか食い足りない部分の一つではありました。
 しかし本作においては作画者の作品が持つ理屈っぽさ(とケレン味)がいい意味に作用して、なかなかに読み応えある展開となっており、戦争とは異なる国と国の緊迫感あるぶつかり合いを堪能させていただきました。

 そして作画者らしいといえば、この後もまた別の意味で「らしい」展開が待ち受けます。
 ネパールのみならず、駐留していた吐蕃(チベット)軍の協力を受けることとなった玄策。しかし軍を誰が率いるかでラトナと吐蕃のロンツォン将軍が対立し、それを解決するために、将軍二人が一騎打ちの試合を行うことになるのであります。

 先に述べたように、凛然たる美女のラトナと、絵に描いたような豪傑のロンツォンと――あまりに対照的な二人のバトルは、格闘描写の迫力はもちろんのこと、その先の何ともいい意味でしょうもない展開の面白さもあって、シビアな展開が続いてきたこれまでの物語とは一風変わった味わいとなっているのが楽しいところであります。
(特に、戦いが決着した後のナーレンドラデーヴァ王と玄策のリアクションが素晴らしい)


 というわけで、物語の流れ自体は原作に忠実ながら、外交戦と格闘戦、二つの戦いを描いた個別の展開ではこれまで以上に作画者らしく、緩急のつけかたも巧みな内容となり、大いに満足のこの第3巻。
 いよいよ物語も折り返しに入った印象で、この先もより一層の「らしさ」に満ちた展開を楽しみにしているところであります。

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2018.03.07

樹なつみ『一の食卓』第6巻 第一部完、二人の未来の行方は

 築地外国人居留地のパン屋・フェリパン舎を舞台に、パン職人の少女・明と藤田五郎(斎藤一)が出会う数々の事件を描いた本作は、残念ながらこの第6巻でひとまず幕。フェリパン舎を襲った危機に、明の下した決断は……

 と言いつつ、この巻の前半で描かれるのは再び過去編――江戸から京に向かった一が、試衛館の面々と再会し、新選組に加わる姿を描くエピソードであります。
(前置きなく始まったので、前の巻がどう終わったか、思わず読み返すことに――というのはさておき)

 貧乏御家人と思い込んでいた実家・山口家が実は会津藩の「草」であり、会津藩が京都守護職を任じられたことを機に、父から新たな草となることを命じられた一。
 その事実に激しく反発しつつも、愛する女性を殺した旗本たちを斬り捨てたことで江戸にいられなくなった彼は、斎藤一を名乗り京に向かうことに……

 というのが以前描かれた江戸編の内容でしたが、今回の京都編はそれに続く物語。会津藩の草として、時に人斬りも辞さぬ活動を続けていた一は、京に残った浪士組監視のため、同じく草の佐伯又八郎とともに潜入することになります。
 浪士組に接近早々、無頼の空気を漂わせる芹沢鴨と出会った一。そしてその直後、総司や新八、左之助ら懐かしい面々と出会った一ですが、歳三だけはよそよそしい顔を見せるのでした。

 江戸を発つ前、一に厳しくも温かい言葉を投げかけた歳三。その歳三の真意は――というわけで、早くもダブルスパイを務めることになった一の姿を通じて、プレ新選組の誕生と、それ以上に鴨という男の姿を描いてみせるこの京都編。
 その鴨像は、一をはじめとして、本作で描かれる新選組隊士たち同様、従来のイメージを大きく外れるものではありません。しかしその上で光るものを見せてくれるのが、本作流であります。

 このエピソードにおいては、一と鴨をどうしようもない流れの中で「世間の鼻つまみ」となってしまったという共通点を持つ者として描くのですが――その二人の間に、やはり同様の立場にある鴨の妾のお梅を立たせることによって、何とも言えぬ苦味を残す物語を描き出しているのが印象に残ります。
(そしてその中で、本作においては一と対照的な存在として描かれている総司のキャラを立たせるのも巧い)


 そして後半は再び物語は現在(明治)に戻り、描かれるのは、外務省主催の天長節の大晩餐会のエピソードであります。日本の威信をかけて行われるこの晩餐会の総料理長に選ばれたフェリックス。しかし彼は馬車に轢かれそうになった明を庇って腕を骨折してしまうのでした。
 自分のせいだと責任を感じた明は、晩餐会でのフェリの片腕となるべく、ある行動に出ることになります。しかしその晩餐会の陰ではある陰謀が進行していることを知った一は……

 と、冒頭に述べた通り、一応のラストとなるこのエピソードは、分量的にはわずか2回と少ないのですが、舞台の大きさや明の背負うものという点ではこれまでの展開を受けた締めくくりに相応しいものとも言える内容。
 これまで女性ながらもパン職人として奮闘してきた彼女が――というのは、厳しい見方をしてしまえば一種の後退と言えなくもありませんが、しかしこれはこれでわかりやすい覚悟の現れと言うべきでしょう。

 そしてそれを受けて、一が大きく心を動かすというのもそれなりに納得がいくところであります。
 どうやら時尾さんが存在しないらしい(としか思えない)本作において、女性については色々と背負ってしまった一が、明に感服以上の感情を抱くかはまだわかりませんが……


 この数巻の印象を正直に申し上げれば、グルメと新選組の両立はかなり苦しかった――というより、過去編のインパクトが本編を食ってしまった印象は否めない本作。

 しかし徐々に語られていく一の過去が、現在において奮闘する明によって明るさを取り戻していくというスタイルはやはり魅力的であっただけに、ここでひとまず幕というのは何とも勿体なく感じられるところです。
(ラストエピソードのタイミングを、廃藩置県――彼が仕えてきた会津藩の消滅に置いているのも面白かっただけに)

 次回作は既に新作にスタートしているだけに、第二部はあったとしても当分先のことになるかと思いますが――明が、一が、この先の未来に向かっていく姿を見たいと強く感じるのです。

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2018.03.06

秋月カイネ『Fの密命』第1巻 生き残るため、茶を求めた男

 紅茶の一大消費地であるイギリス、生産地であるインド、原産地である中国――本作はこの三国を結ぶのに大きな役割を果たした実在の人物、ロバート・フォーチュンを主人公とする物語。19世紀半ばのアジアで活動した彼の苦闘を描く、一種のスパイ漫画であります。

 植物学者であり、プラントハンターであり、商人でもあったフォーチュン。植民地主義の時代のまっただ中の人物ということもあり、経歴だけ見れば山師的なものを感じなくもない人物ですが――本作はそのフォーチュンの人物像を、一種陰影に富んだものとして描き出します。

 ロンドン園芸協会の温室で働き、植物への知識と愛情では群を抜くものを持っていたフォーチュン。しかし下層階級の出身のため、一杯の茶にも事欠きかねない生活を送っていた彼は、この境遇から抜け出すため、海外に飛び出すことを夢見るようになります。
 そんな中で舞い込んできた千載一遇のチャンス――東インド会社からの中国での植物採集の依頼に飛びついたフォーチュンですが、そこにはとんでもない裏があったのです。

 独占的に紅茶を栽培・製造する中国から大量の紅茶を輸入していたことから、貿易赤字が膨らむ一方のイギリス――この状況を打開するため、東インド会社は彼に、チャノキと製法の奪取を命じたのであります。
 しかし言うまでもなく中国にとってそれは国家機密。さらに時期はアヘン戦争の直後、イギリスに対する中国の国民感情は最悪であります。

 イギリス人が居留地外を出れば命がないという状況下で、クーリーとワンという二人の中国人を雇い、彼らとともにチャノキを求めて内地に向かうフォーチュン。しかし周囲の人々や反抗的なワンとの軋轢に、彼は大いに苦しむことに……


 史実において、イギリスにチャノキをもたらし、紅茶市場にとてつもなく大きな変化をもたらしたフォーチュン。しかしその行為は中国から見れば自国の富の強奪にほかならないと言えるでしょう。
 そんな、ある意味植民地主義の負の側面を代表するかのようなフォーチュンを、本作は、彼もまた一種の犠牲者であり、そこから懸命に抜け出そうと足掻く人物として描きます。

 持つ者と持たざる者――資本家と労働者の間の格差が極めて大きかった当時のイギリス。本作のフォーチュンは、そこで一種の技術者であるとはいえ、労働者として酷使されていた存在として設定されています。
 彼が海外を目指すようになった理由も、同じ境遇にあった友人が、権利獲得を目指すも果たせず、かえって搾取された末に無惨に死んでいく姿を目の当たりにしたため。そこから抜け出すためには、自分自身が力を持つしかない……

 といった彼の背景が免罪符になるということはもちろんないでしょう。
 しかし、この巻のラストで描かれるワン――非常にがめつく、隙さえあらばフォーチュンを出し抜こうとする若者――が背負ったものを明らかにすることで、「彼ら」が真に戦うべきもの、為すべきことは何か、ということを示す構成は悪くないと感じます。


 非常にテンポが良いというか、想像以上にスムーズに中国での冒険に一区切りがついた感もある本作。
 しかし史実は、フォーチュンにさらなる冒険が待ち受けることを示します。それをどのように描くのか――そしてそのまた先のフォーチュンの旅に、本作ならではの如何なる理由付けがなされるのか――期待したいと思います。

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2018.03.05

菊地秀行『野獣王の劍 柳生一刀流 』 二つの流派を我が手に! ニューヒーロー見参

 ここしばらくは時代小説の分野でも次々と発表している作者の新作は、剣豪ファンであれば副題の時点で瞠目させられる作品。柳生新陰流でもなく小野派一刀流でもなく、柳生一刀流――相対する二つの流派を会得した剣豪が大暴れする、極めてユニークな剣豪小説であります。

 三代将軍家光の時代に突如として発生した、将軍家剣術指南役・柳生新陰流と小野派一刀流の門弟、それぞれが次々と斬殺されるという辻斬り事件。
 血眼になって事件を追う両派は、偶然同時に下手人と遭遇するのですが――この男、柳生に対しては小野兵馬を、小野に対しては柳生兵馬を名乗るという、大胆不敵とも不可解とも言える態度を取るのでした。

 しかしその理由はすぐにわかることになります。何とこの男、柳生流と一刀流、その双方を会得し、自在に操る達人だったのであります!

 大胆にも柳生と小野、両家に代わって将軍家指南役になると言い出した兵馬に、時に正面から、時に陰から戦いを挑む十兵衛・友矩・宗冬の柳生三兄弟と、小野派二世・忠常。
 そこに幕府内部の思惑が絡み、さらに柳生新陰流正統たる尾張柳生の連也までもが加わって、兵馬を巡る状況は混迷の度合いを深めていくことに……


 剣豪小説全般を見ても人気者でもありますが、特に作者の時代小説の中では登場頻度の高い(柳生刑部友矩の頻度が高いためもありますが)柳生新陰流。
 その最初期の時代小説の一つであり最近復刊された『柳生刑部秘剣行』、最新のシリーズの一つである十兵衛が主人公の『隻眼流廻国奇譚』と、数々の作品で活躍する柳生が、今回は三兄弟が全員登場とオールスターが登場するだけでも大いにそそられます。

 しかしその彼らも、さすがに本作においては分が悪い。何しろ本作の主人公・兵馬は、父から柳生新陰流と小野派一刀流、二つの流派の精髄を仕込まれたある意味サラブレット。己の流派の秘剣は知られ、己の知らぬ流派の秘剣を使われと、大いにやりにくい相手なのです。
 そしてそれはもちろん、小野派にとっても同じ事であります。将軍家指南役としては柳生とはライバル――いや、家格では遙かに劣る小野が、柳生に対して如何なる想いを抱いていたかは、先に挙げた『柳生刑部秘剣行』でも描かれていましたが、本作でもその複雑な関係は同様であります。

 そんな状況で、将軍家光も剣術指南役の一本化を否定しないという(その理由がまたコロンブスの卵)のも事態をややこしく――そして読者である我々には楽しく――してくれるのであります。

 さて、それではそのはた迷惑な事態を引き起こした兵馬はいかなる男かと言えば、これが野生児――というよりタイトルにあるように野獣のような男。
 剣を振るって相手を叩き潰すことをためらわず、己の欲望には正直で、しかしどこか極めて純粋なところを残した憎めない男――それが兵馬なのであります。

 本作はそんな彼を台風の目とする剣豪小説であるのはもちろんのこと、江戸という都市、それもその中でも極めて生臭い部分に飛び込んだ文字通り山出しの青年の姿を描く、明朗もの的な味わいもあるのが何ともユニークなところです。
 特に中盤、尋常な決闘とはいえ自分が殺した男の娘を窮地から救うために兵馬が奔走するくだりは、作者お得意のどこかセコくて不器用で、しかし男臭く清々しいという、ある種の魅力的なヒーロー像が印象に残ります。

 一歩間違えれば極めて血生臭く、殺伐とした物語になりかねないところを巧みに避けているのは、この兵馬のキャラクターによるものであることは間違いありません。


 もっとも引っかかる点はあって、まさにこの人助けのために奔走するくだりが、それまでの展開から浮いてしまっている印象は否めません。また、意味ありげに登場したキャラクターが実はそうでもなかったりする点も、違和感は否めないところではあります。

 しかしそれでもラストまで大きな破綻を感じることなく楽しく読むことができるのは、主人公たる兵馬自身がある意味ラスボス――彼一人を倒すために強豪が次々襲いかかってくる――ともいうべき存在であり、それ故に物語の軸にブレがないためではないかと感じます。

 極めてユニークな設定に負けない、キャラの魅力と対決の美学に満ちた物語――考えてみれば作者初の、ほとんど純粋な剣豪小説として、大いに評価されるべき作品であります。

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2018.03.04

一色 美雨季『浄天眼謎とき異聞録 双子真珠と麗人の髪飾り』 劇場と因習の交わるところに

 人や物に触れることで、その記憶を覗くことができる「浄天眼」の力を持つ戯作者・燕石と、その世話役で大劇場の跡取り・由之助が出会う様々な事件を描いた『浄天眼謎解き異聞録』の続編であります。それぞれの大事件を解決した二人を待つものは……

 時は明治、浅草の人気芝居小屋「大北座」の跡取り息子である少年・由之助は、知人の警部補・相良の頼みで、相良の幼なじみの戯作者・魚目亭燕石の身の回りの世話をすることになります。
 たちまち意気投合した燕石と由之助ですが、燕石には大きな秘密がありました。彼は浄天眼――人や物に触れることで、その記憶や過去を覗く力を持っていたのであります。

 しかしその力はともすれば周囲に忌避され、そして使うことで燕石の体にも多大な負担をかけるというもの。
 そのために他人との関わりを避けてきた燕石ですが、由之助や相良と付き合ううちに様々な事件に巻き込まれることになります。そして由之助と燕石は、それぞれの過去と、愛する人にまつわる事件に対峙することに……

 という第1作を受けた本作は、連作短編集といった趣の物語。
 前作のラストで、長い間想い想われてきた幼なじみの千代と結ばれることになった燕石とその周囲を描く「初耳と周知の事実」、思わぬ椿事がきっかけで殺人犯の疑いをかけられ、逃げてきた千代の弟を救う「黒マントの中」、わがままで世間知らずの燕石の妹・翠子の賑やかな日常「虎と蛇と待宵草」、大北座で人気の男装の女優を巡り、相良警部補が奮闘する「麗人の髪飾り」、燕石の少年時代と、彼が戯作者を志した理由を語る「びるばくしゃの筆」……
そんな全5話から構成されています。

 既に前作において描かれた燕石と由之助をはじめとするレギュラー、サブレギュラーの人物造型を踏まえて展開していく本作。
 細かい設定などは既に語られていることから、その分にページを取られることなく展開していく物語は非常にテンポよく、既にお馴染みとなったキャラクターの一挙手一投足を存分に楽しむことができます。


 そんなキャラクターものとしての魅力(特に今回、翠子の人間台風っぷりが実に楽しい)を備えた本作ですが――しかし、前作で燕石と由之助のドラマがほとんど完結してしまっているのが、苦しいところであります。

 自分の出生の秘密と対峙し克服した由之助、すれ違い続けてきた愛する人とようやく向き合うことができた燕石、そして二人と大きな因縁を持つ男との対決……
 と、盛り上がるエピソードをすべてクリアしてしまったため、本作において二人の出番は(少なくとも前作よりは)少なく、連作短編集とはいえ、一つの物語としてのまとまりがかなり苦しく感じられるところです。


 しかしそんな中、第三の主人公と呼びたくなるような存在感を見せたのが、相良警部補――本作のサブタイトルの元ともなっている「麗人の髪飾り」は、そんな彼が活躍する、そして彼自身のエピソードなのであります。

 大北座で大当たりを取った男装の麗人・橋本玉緒。彼女が異性装を禁じた違式違式カイ違条例違反であるという投書をきっかけに玉緒に近づくこととなった相良は、平行して捜査していた怪しげな祈祷師の素顔が玉緒に瓜二つだった事実に困惑することになります。
 生神と称して怪しげな祈祷を行う祈祷師と玉緒に関係はあるのか。そして玉緒に対するいやがらせのような投書は何者が、何故行うのか。奔走する相良は、その背後に潜む意外な真相と対峙することに……

 前作でも主な舞台の一つであった大北座という劇場。そこは(パリのオペラ座がそうであったように)華やかなショービジネスの世界であると同時に、男女のナマな欲望が絡み合う世界であります。
 その辺りをかなりはっきりと、露骨に描く本シリーズの特色はこのエピソードでも濃厚なのですが――ここではそこに奇怪な因縁・因習を絡めることで、さらにどぎつくも哀しい物語を描くことに成功していると感じます。

 西洋風の劇場と、土俗的な因習と――その両者が交錯するこのエピソードは、ある意味明治という時代を象徴する内容でもあり、その意味でも本作の中で特に印象に残るところであります。


 このように長所も短所も入り交じった本作。第3作があるのかはまだわかりませんが、相当に強烈なキャラクターが登場したところでもあり、まだこの先を見てみたいという気持ちは確かにあります。

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2018.03.03

青柳碧人『彩菊あやかし算法帖』 前代未聞、数学少女vs妖怪!

 人間と妖怪の触れ合いや、人間と妖怪の戦いを描く妖怪時代小説。その中でも本作は極めてユニークな部類に入る非常にユニークな一冊――数学の天才の少女が、数の力で妖怪を退治するという物語であります。妖怪時代小説はかなりの数を読んできた私も、他で見たことがないような個性的な作品です。

 常陸国牛敷藩のとある村に現れる賽目童子――毎年若い娘を生け贄に求め、食らうというこの妖怪に頭を悩ます郡奉行・木川は、一人の少女を呼び出します。
 その少女とは下級藩士・車井家の娘・彩菊。幼い頃から算法に優れ、今では町で人に教授するほどの彼女であれば、賽目童子に勝てるかもしれない――奉行はそう考えたのであります。

 というのもこの賽目童子、生け贄に対してサイコロ勝負を挑むという妖怪。さいころを同時に投げ、童子よりも大きな目を出せば勝ち――そして百回中六十回以上勝たなければ、相手を食らってしまうというのです。
 一目でこの勝負の不利を見抜いた彩菊は、一計を案じて……

 というのが、第1話「彩菊と賽目童子」のお話。我々にとってなじみ深いサイコロというアイテムを題材に、確率を武器とした戦いが繰り広げられるこのエピソードは、本作のなんたるかをはっきりと示していると言えるでしょう。

 力では到底及ばない怪物に、知恵で人間が打ち勝つ――それも、相手が設定してきた謎かけや条件を受け止めつつ、それを逆に使って相手をやりこめるというのは、古今東西の昔話に共通するモチーフであります。
 本作もその流れにある作品ですが、その人間の武器たる知恵を数学に限定しているのが実にユニークな点であります。
(そして妖怪たちが自分の設定したルールによって素直にやりこめられるというのも、また実にそれっぽくて楽しい)

 その後も、刻限内に畳替えを行うよう迫る城の呪われた離れの亡霊との勝負を描く第2話、何者かの呪詛を受けた味噌屋の店主を救うため千手観音の怪と秤で勝負する第3話、奇怪な数字で相手を支配する一千八十九稲荷に同じく数字で挑む第4話、手鞠を求めて次々と村の人々を殺す子供たちの亡霊と対決する第5話、そして呪いの書に取り込まれ、死神に追われる者を救うために奔走する第6話……
 と、暴れ回る妖怪や亡霊たちに、徹頭徹尾数学で立ち向かうのが本作の意外性であり、楽しさであります。

 そしてその数学を操る彩菊が、おしゃれ好きで目の覚めるような黄色の着物を好んで着る――要するに、数学以外はごく普通の少女というのも面白い。
 「化け物奉行」を兼任するよう命じられてしまった木川や、後半登場する水戸藩の血気盛んな若侍・高那半三郎らレギュラーとの絡みも物語に花を添えて、キャラクターものとしても楽しめる作品であります。


 が、楽しませていただきつつも、不満がないかといえばそうでもないのが正直なところであります。

 てっきり彩菊が操るのが和算かと思えばそうではなく、実質的に西洋数学というのは、これはこちらの思いこみがいけないのですが(そもそも作者ははっきりと和算ではないと宣言しているのですが)、しかしそれを抜きにしても少々引っかかるところ。
 後の時代に発見される数学の定理や法則に、実は彩菊も気づいていました、という展開は――そのすっとぼけぶりが楽しくはあるものの――ちょっと便利すぎるのではないかな、と感じます。

 そしてその彩菊と対決する妖怪たちも、(エピソードにもよりますが)題材となる数学ありきの能力・設定なのがちと苦しい。第1話や第6話の展開はそれなりに納得がいきますが、第3話や第4話はさすがにちょっと問題ありきではないか――という印象で、何だか数学クイズの本を読んでいる気分になってしまうのです。

 自然の法則と人間の叡智の結晶である数学。それが超自然の怪を打ち破る、というダイナミズムをもっと期待したかったのですが……

 先に述べたように、キャラものとしての面白さもあり、そして何よりも題材のユニークさでは群を抜く作品であるだけに、この点は気になってしまったところではあります。

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2018.03.02

山田睦月『コランタン号の航海 ロンドン・ヴィジョナリーズ』 魔都ロンドンに彼岸と此岸の境を見る

 ナポレオン戦争を背景に、彼岸と此岸の間を行くイギリス海軍コランタン号と、新任士官のルパートの活躍を描く物語の第2部であります。フランスでの任務を終え、イギリスに帰還したコランタン号とルパートを待つものはロンドン壊滅の陰謀――物語は核心に近づいていくことになります。

 死者の海に沈む伝説の都イスからカンベール伯アンリを救出したコランタン号。海軍省の召還を受けて上陸したルパートは、そこで身を寄せた伯父の家を飛び出したアンリ、そして彼の友達だという下町っ子のベッツィとアルジュンに出会います。
 折しもロンドンでは動物磁気を操るというメスマー主義者が跳梁し、ロンドン橋を中心に不穏な空気が高まる中、橋で不思議な女性の幻影を見るルパート。

 さらにコランタンの水兵の強制徴募に協力する海賊たちの幽霊(!)が暴走するなど、続発する奇怪な事件は、やがてアンリの伯父の家に隠されていたインドの秘宝「ガンガーの封じ珠」に収斂することになります。
 ついに暴動が勃発する中、ロンドン壊滅を目論む仇敵に戦いを挑むルパートとアンリ、アルジュン。そしてその中でついにコランタン号が――!


 前作『水底の子供』の航海描写・艦船描写があまりに魅力的だったために、ロンドンが舞台――つまり船上シーンはあまりないと知った時には、正直なところ少々ガッカリさせられた本作。
 しかしもちろんそれは早合点に過ぎるというもの。物語は海上から地上――それも魔都ロンドンを舞台にすることで、よりスケールアップ、ホラー的にも伝奇的にも大きな盛り上がりを見せ、そして世界観も大きく広がっていくのですから。

 前作のクライマックスで明かされた本シリーズの基本設定――それは、コランタン号が「あちら側」が絡む事件に対して派遣される特殊戦力であり、そして目下イギリスが死闘を繰り広げるナポレオンが、「あちら側」にも手を伸ばそうとしている、という「事実」でした。
 なるほどナポレオンとオカルトの関わりは(フィクションでは)しばしば描かれるところではありますが、なるほど、古怪な世界ではイギリスも負けるはずがないわいと、この設定を知った時にはニンマリさせられたものです。(本作で登場する海軍省の秘密部署の描写も、実にそれらしくて楽しい)

 そしてそんな設定を踏まえて、今回の物語の中心となるのが、そのイギリスの首都・ロンドン――それも、そのロンドンの陸と水を繋ぎ、そして二つの世界を結ぶロンドン橋というのには大いに納得。
 さらにそこにメスメリズムやインドの秘宝まで絡むという大盤振る舞いなのですから、盛り上がらないわけがないのであります。


 しかし本作でそれに勝るとも劣らぬ魅力を放つのは、主人公たるルパート自身の物語であります。

 産業革命に乗じて財を成した家に生まれ、それ故に孤独に、そして夢や不思議を否定して「現実的に」生きることを余儀なくさせられてきたルパート。そんな彼が、不思議の固まりのようなコランタン号に配属されるギャップがまた面白いのですが、しかしルパートにとっては笑い事ではありません。
 ついには科学の力でもって不思議を為すかのようなメスメリズムに惹かれていくルパートですが、しかし再び本物の異界に足を踏み入れた彼が悟ったものとは……

 ここで描かれるのは、一人の青年の成長の姿であるのはもちろんのこと、人は何故「ここではないどこか」を求めるのか――その一つの答えであります。
 彼岸の事物が当たり前のように描かれる物語だからこそ描けるその答えの見事さと、それを踏まえてなお現実の世界に生きようとする人間の姿に、大いに心を打たれる名場面。個人的には本作の中でも最も好きなシーンであります。


 全8巻のうち3巻というかなりのウェイトを占め、そして物語の折り返し地点でもある本作。
 確かにコランタン号の出番は少なく、海洋ものとしての要素は少ないのですが(しかし「強制徴募」というちょっと驚かされるようなシステムを幽霊海賊と絡めて描くのは本作ならではですし、第2巻ラストの艦長の台詞は最高に盛り上がる!)、このシリーズならではの中身の濃い物語であることは間違いないところであります。

 そして次なる舞台はまた意外な場所なのですが――それはまた近日中。

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2018.03.01

新井隆広『天翔のクアドラブル』第3巻 急展開に次ぐ急展開 絶望の果ての絆と継承

 実は欧州の悪魔を退治するために海を渡った志能便(しのび)であった天正遣欧少年使節団の四人を描く伝奇活劇の第3巻であります。様々な冒険を経てインドのゴアに辿り着いた一行。しかし腥風吹くその地で、あまりに残酷な真実を彼らは知ることになります。

 蔓延る悪魔からヨーロッパを救うため、宣教師ヴァリニャーノに乞われて海を渡った四人の志能便――伊東マンショ・・中浦ジリアン・原マルチノ(とジリアンの妹のしゆん)。
 マレーで生きていた信長主従と出会い、信長の奇怪なカリスマに翻弄された一行は何とか信長を退けたものの、彼らはゴアで再び信長と再会することになります。

 黒死病が蔓延したゴアの地で、無残に殺され、晒される聖職者たち。その虐殺の犯人こそが信長主従だというのですが――しかしかつてはキリスト教を庇護した信長は何故そのような蛮行に走ったのか?
 そしてその信長から、黒死病から人々を、そして余命幾ばくもないマンショを救うためにドラゴンの肝を託されたジリアンは、悩みつつも薬の開発に取り掛かることに……


 と、激動の展開を受けたこの第3巻ですが、しかし更なる、真の激動が少年たちを待ち受けます。

 ついに黒死病の特効薬を完成させたジリアンの前に現れたヴァリニャーノ。しかし彼のとった行動とは意外なものでした。
 意外も意外、あまりにも意外なヴァリニャーノの素顔――史実ではここゴアで一行と別れることになるヴァリニャーノのですが、一応は史実を踏まえた本作において、それが如何なる形で描かれるかと思えば、こう来たかと驚かされます。

 そしてその絶望的な真実に続き、少年たちと信長主従に襲いかかる圧倒的な数の敵の群れ。この窮地を逃れる術は……
 冒頭から少年たちが繰り返してきた「我ら血は四つに違えど、我ら心は一つに同じ」という言葉。その言葉が思いもよらぬ形でリフレインされる展開は圧巻であります。


 そしてさらに急展開、一年後のヨーロッパを舞台に、仲間たちと離れ離れになり復讐鬼と化した千々石ミゲルと、もう一人の戦いが描かれることになります。

 数々の悪魔を斃してきたミゲルが次に向かう地は、悪魔と契約を結び、絶大な力を得たという錬金術師ファウストの館。少女たちを集めて招き入れ、そして再び帰さぬという館で何が起きているのか。
 そしてファウストと行動を共にする悪魔メフィストフェレスの狙いとは……
(信長がメフィストフェレスめいた、と書いたら本当にメフィストフェレスが登場したのは驚きましたが)

 あまりの急展開に面食らいはしますが(ミゲルいきなり老けたなあとか)、しかしここで描かれることになる一つの絆と継承の姿はやはりいい。
 ゴア編のラストから予想はできていたことでしたが、物語に紛れ込んだイレギュラーとも感じられた存在の意味が、こうして明かされるのは、グッとくるものがあります。


 再び四人が集結する日はいつか、そして物語の最後の謎が明かされる日は――最終章の刊行を待つとしましょう。

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