平谷美樹『鍬ヶ崎心中』に推薦の言葉を寄せました
この7日に発売された平谷美樹『鍬ヶ崎心中』に推薦の言葉を寄せさせていただきました。戊辰戦争中の盛岡藩宮古を舞台に、鍬ヶ崎遊郭の女郎と元盛岡藩士の二人の運命の交錯を描く物語――地方と庶民の立場からの物語を数多く描いてきた作者ならではの、一味も二味も異なる幕末ものであります。
明治元年、盛岡藩有数の貿易港・宮古湾を望む鍬ヶ崎遊郭――その遊郭の妓楼・東雲楼でも最年長の女郎・千代菊が、楼を訪れた足の悪い若い侍・七戸和麿に出会ったことから、この物語は始まります。
蝦夷地に向かう途中の榎本武揚の依頼で東雲楼の隠し部屋に滞在するという和麿の、身の回りの世話を名乗り出た千代菊。
形としては和麿に身請けされることとなった千代菊ですが、しかし彼は千代菊に指一本触れることなく、宮古湾の見張りと鍬ヶ崎の絵図面作りで日々を費やすのでした。
そんな和麿との関係に大いに戸惑いながらも、彼に追い出されれば行く当てはないと、必死に関わりを持とうとする千代菊。
やがて和麿の過去と彼が失ったものを知り、彼に惹かれるようになっていく千代菊ですが、宮古湾に迫る戦の嵐を前に、和麿は……
物語の舞台となる宮古――今でいう岩手県宮古市の名前を聞いて、すぐにあああそこか、とわかる方は、残念ながら多くはないでしょう。
いや、箱館戦争、あるいは鳥羽・伏見以降の土方歳三についてよく知る方であれば、ある戦のことを思い浮かべるかもしれません。
それは宮古湾海戦――箱館に拠る旧幕府軍が、宮古湾に寄港した新政府の装甲艦・甲鉄を奪取するために奇襲攻撃を仕掛けた、幕末史でも有数の海戦であります。
敵艦に接舷して斬り込むアボルダージュという作戦内容の派手さ、そして生き残りの新選組隊士たちが参加していたことから、フィクションの題材となることも少なくないこの海戦。
しかし本作は(その海戦を描く場面はありますし、そして登場する土方も実に「らしい」のですが)派手さ・勇猛さとは大きく異なる切り口から物語を描くことになります。
それは本作の主人公が、一介の女郎に過ぎない千代菊と、武士としては既にドロップアウトしたも同然の和麿である点からも明確でしょう。
既に実家よりも長い時間を遊郭で過ごし、天下国家の激動とは無縁に、ただ自由になる日のみを夢見る千代菊。若者の熱血のままに藩を飛び出して旧幕軍に身を投じながらも、不具の身となって厄介払いのような形で遊郭に置かれた和麿。
新政府軍のような新たな時代への希望も、旧幕府軍のような滅びの美学もない――そんな二人の、いわば地べたからの視点から、物語は綴られていくのです。
もちろん、この二人の間にある隔たりが、決して小さなものではないことも言うまでもありません。
遊郭の中での「今」しか見つめてこなかった千代菊と、「過去」の戦とそこで失われたものたちに囚われた和麿と――そこにあるのは単に女郎と武士というだけではない、遥かに運命的なものすら感じさせる断絶であります。
そんな二人の運命の先に何があるのか――それは是非実際に作品をご覧いただきたいのですが、そこにあるのは、作者がこれまでの作品の中で弛まず、様々な形で描いてきた「未来」への希望である、と申し上げることは許されるでしょう。
つい先日完結した、作中でも言及される盛岡藩家老・楢山佐渡を主人公とした大作『柳は萌ゆる』とはある意味対極にある本作。しかしそこに通底するものは、極めて近い――そんなことも感じさせられました。
さて、冒頭に触れた推薦の言葉ですが、なんと3月10日の「岩手日報」の第一面に掲載されたとのこと。
これは全く偶然の上に私事ですが、両親をはじめ一族親戚が岩手県出身(さらに言えば私は宮古市の病院生まれ――もっともすぐに関東に出てきたのですが)の身としては、非常に驚き、かつ嬉しく感じた次第です。
『鍬ヶ崎心中』(平谷美樹 小学館) Amazon
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