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2018.04.30

さとみ桜『明治あやかし新聞 怠惰な記者の裏稼業 三』 優しい嘘に浮かぶ親の愛


 新聞社のグータラ記者・久馬と役者崩れの美男子・艶煙、そして明るく真っ直ぐな少女・香澄のトリオが、妖怪を題材とした新聞記事で人助けを行う姿を描くシリーズもこれで三作目。今回はこれまで謎だった艶煙の過去が語られることに……

 ある事件がきっかけで久馬と艶煙と出会い、悩める人々からの秘密の依頼を受けて、その悩みの源を、妖怪の仕業として片付けてしまうという彼らの裏稼業を知った香澄。
 その裏稼業の片棒を担いだのをきっかけに二人の仲間となった彼女は、様々な事件を経て二人とも絆を深め、特に久馬とは何となくイイムードになったりしながら、今日も奔走するのであります。

 そんなわけで今回も全三話構成の本作。今回も表沙汰にできない悩みを抱える人々を、妖怪の仕業になぞらえて助けることになるのですが――しかし本作の重要なバックグラウンドとなるのは、艶煙の過去なのです。
 普段は浅草の芝居小屋の花形役者として(しかし結構適当に)活躍する艶煙。久馬とは昔からの付き合いで、町奉行所の与力だった彼の父のことも知る仲、そして芝居小屋の面々も彼らの裏稼業を知り、しばしば積極的に協力してくれる関係にあります。

 そんな様々な顔を持つ艶煙ですが、しかしその過去は、香澄にとって、すなわち読者にとってこれまで謎に包まれていました。それが今回語られるのですが――そのきっかけとなるのが、第一話「雲外鏡の怪」の依頼人である彼の昔馴染み・藤治郎との再会です。

 これまで様々な苦労を重ね、そして艶煙たちに助けられて、今では自分の小間物屋を持つまでになった藤治郎。しかしかつては自分を何かと助けてくれた菓子屋の主人が、今では自分のことを疫病神呼ばわりして、周囲にも悪い噂を広げているというのです。
 しかしそれはむしろ菓子屋の評判を下げて店を傾ける有様。主人の変貌が、妻を亡くしてからだと知る藤治郎は、何とか主人を昔に戻してほしいと願っていたのでした。

 そんなちょっと厄介な依頼も、三人のチームワークで見事に解決するのですが――しかしそこで艶煙の過去の一端に触れた香澄に、艶煙は第二話「鬼火の怪」でその全容を語ることになります。

 まだ徳川の世であった頃、ある事件で父を亡くし、遊び人のように女物の衣装で浅草をぶらついていた艶煙を、姉と間違えて声をかけた藤治郎。同じ店に奉公していた姉が姿を消してしまったという彼の話に興味を持った艶煙は店を探ることになります。
 そこで彼が見たのは、店に町の鼻つまみ者の破落戸・定七が出入りする姿。そしてこの定七こそは……

 その先は詳しくは語りませんが、ここで語られるのは、艶煙がどのような家庭に生まれ、何故芝居の世界に入ったのか。そして何より、何故裏稼業を始めるに至ったのか――その物語であります。
 そう、ここで描かれるのはいわばエピソードゼロ。こうしたエピソードの楽しさは、本編で確立しているスタイルがどのように生まれたかが描かれることにありますが、本作においても、なるほどこういうことかと、シリーズ読者には興味深い内容となっています。


 そして幼なじみから嫁にと望まれながら何故か断ってしまった奉公人の少女と、店のお嬢様の友情を描く第三話の「嘆きの面の怪」もまた、艶煙の過去と関わってくるのですが――しかし本作の全三話には、もう一つ通底するテーマがあります。
 それは子に対する親の愛――それも特に、今は亡き親の愛であります。

 親が子よりも先に逝くのはこの世の定め、避けられないことではあります。しかし残された子にとっては、定めだからと納得できるものではありません。もっと生きていて欲しかった、自分を見守って欲しかった――そんな気持ちになるのが当然でしょう。
 本作で描かれる物語に共通するのは、そんな親を喪った子の姿であり、その悲しみを抱えながらも懸命に生きる人々の姿なのです。

 そして、悲しみを抱えた人を助けるのが裏稼業であることは言うまでもありません。
 本作において久馬たちは、そんな子たちの想いに対してそれとは表裏一体の想い――子を残して逝く親の想い、子を気遣う親の心残りを、怪異として甦らせ、人々を救ってみせるのです。

 妖怪や怪異を通じて描かれるもの――そこには、真実がそのままの形で明らかになってはならないものだけでなく、それを通じてしか語れないものも含まれます。
 そんないわば優しい嘘を語ってみせる本作。本シリーズの最大の魅力である物語の暖かさ、心地よさは、そんな妖怪たちの在り方と結びついて、本作において特に強く感じられると、僕は感じます。


『明治あやかし新聞 怠惰な記者の裏稼業 三』(さとみ桜 メディアワークス文庫) Amazon
明治あやかし新聞 三 怠惰な記者の裏稼業 (メディアワークス文庫)


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2018.04.29

稲田和浩『水滸伝に学ぶ組織のオキテ』 実は水滸伝概説本の収穫!?


 それほど数が多くない水滸伝本ですが、さすがにノーチェックだったのが本書。『○○に学ぶ』というタイトルの新書は数多くありますが、しかしそれが「水滸伝」というのは珍しい。そして蓋を開けてみれば、これが実は相当に真っ当な水滸伝概説本だったのであります。

 『水滸伝に学ぶ』といえば真っ先に思い浮かぶのが、大分以前にご紹介した『水滸伝に学ぶリーダーシップ』。あちらは原典の設定を踏まえつつ、オリジナルのシチュエーションでリーダーシップを語るという一種の奇書でありました。
 それでは本書は? と思えば、こちらは水滸伝を紹介しつつ、組織――人事論を語るという内容ではあるのですが、目次を見ると「ん?」となるのは、本書は序論を除けば、全百二十章構成であることです。

 そう、本書は実に百二十回本の内容をダイジェストしつつ、その合間に「ノート」の形で人事論を挿入するというスタイル。ノート自体は49個なので、二、三章に一個挿入されているという計算ですが、いずれにせよ、ダイジェスト部分の方が本書の大半を占めるという形になっています。

 そもそもただでさえ数の少ない水滸伝ダイジェスト、あるいはリライトですが、その中でも七十回以降――すなわち百八星終結後をきちんと紹介しているものはかなり少ない。
 圧縮した内容で載っているのであればまだマシな方で、原典の七十回本同様、ばっさりとカットされているというケースも少なくありません。(大きなアレンジなしでしっかり百二十回書いているのは、最近では渡辺仙州版くらいではないでしょうか)

 それを本書では丁寧に百二十回全て取り上げているのは、一つには本書のテーマである組織として梁山泊が動くのが、この七十回以降(以降、便宜上「後半部分」と呼びます)であることによるでしょう。

 戦争の連続で退屈だ、水滸伝の魅力である個人が埋没してしまっている――と評判の悪いこの後半部分ですが、しかし梁山泊が本格的に組織として動くのはまさにこの部分。
 それまで豪傑個人個人の銘々伝という色彩の強かった物語は、ここに来て集団対集団の戦いの物語へと変貌するのですが――それはとりもなおさず、水滸伝が組織の物語になったということにほかなりません。その意味では、後半部分をきっちりと描くというのはむしろ必然にも思えます。


 しかしここからは全くの想像ですが、むしろ本書は、著者が単純に水滸伝好きであったから、その全てを描きたかったためにこの形になったのではないか――そんな印象を強く受けます。

 先に述べたように、本書のメインである組織/人事論のノート部分は、本書においてはあまり大きな割合ではありません。繰り返しになりますが、本書においては原典ダイジェストの部分が――いわばテーマの前提部分が――大部分を占めているのであります。
 しかしテーマの前提として語るのであれば、何も百二十回を丁寧に全て語ることはありません。中にはテーマと関係ないようなエピソードも含まれており(というよりそちらの方が多い)、ダイジェストにしても必要な部分を大きく取り上げる形式でもよかったはずであります。

 それが百二十回、取り上げられることが少ない後半部分を含めてきちんと全て紹介されているのは、これはもう著者の水滸伝愛がなせる技ではと、私はそう感じてしまったのです。
 そう思うのは、本書が水滸伝ダイジェストとして実に面白いから――という言いがかりのような理由ですが、しかし本書では単なる題材に対するもの以上の関心が、原典に対して向けられていることが、確かに伝わってきます。

 こうして見ると、ノート部分もむしろ、水滸伝を題材に組織/人事論を語るというより、それらの視点から水滸伝という物語を補強するようにも感じられるのですが――さすがにそれは牽強付会が過ぎるでしょうか。


 作者の経歴を見れば、本業は大衆芸能の脚本家とのこと。大衆芸能といえば、まさしく水滸伝は本来それであったわけで、ある意味これほど適した著者はいないのかもしれません。
 本書の真に目指すところがどこであれ――少なくとも本書は、作者の水滸伝愛が感じられる、水滸伝概説本としてよくできた一冊であることは間違いない、と申し上げてよいかと思います。


『水滸伝に学ぶ組織のオキテ』(稲田和浩 平凡社新書) Amazon
水滸伝に学ぶ組織のオキテ (平凡社新書)


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2018.04.28

宇野比呂士『天空の覇者Z』第1巻 幻の名作の始まり――快男児、天空に舞う!

 時は1933年、北辰一刀流の達人にして天才パイロット・竜崎天馬は、ベルリンでゲシュタポに追われる高級娼婦アンジェリーナと出会う。相棒のウェルとともに彼女を助けた天馬は、逃走の途中、ナチスの秘密工場に入り込んでしまう。そこで彼らを待っていたのは、ナチスの秘密兵器「Z」だった……

 1997年2月から2002年9月にかけ、「マガジンSPECIAL」誌に連載された冒険SF活劇の隠れたる大傑作『天空の覇者Z』の単行本を、これから1巻ずつ紹介させていただきます。(何故今か、というのはまたいずれ……)

 1933年、ヨーロッパ――いかなる理由か、日本から流れ着き、今は飛行曲芸団の花形パイロットとして活躍する青年・竜崎天馬。相棒の天才メカニック、ウェルことウェルナー・ブラウン(!)とともに、愛機・天翔馬号の改造に余念がない彼の新たな公演地はベルリン――そこで彼は運命の出会いを果たすことになります。

 酒場で公演に向けて気勢を上げる天馬たちの前に現れた美女――ベルリンの夜の天使・高級娼婦アンジェリーナに一目惚れした天馬。
 しかし彼女は目下ゲシュタポの将校に追われる身、向こう見ずにも彼女を助けに飛び出した天馬は、彼女とウェルと三人、ベルリンの夜を駆けることになります。
 途中、人間離れした怪力と生命力を見せる将校を、北辰一刀流の一撃で撃退した天馬は、警戒線を逃れるために三人で天翔馬号に乗り組み、空に逃れるのですが――そこに立ち塞がるは大空の騎士、レッド・バロンことリヒトホーフェン。

 善戦したものの、曲芸機の悲しさ、被弾して不時着した天馬たちがたどり着いたのは、湖の中の秘密工場。そこで天馬たちが見たものは、巨大な鋼鉄の飛行船――それこそはナチスが総力を挙げて開発した秘密兵器「Z」だったのであります!


 いやはや、何度読んでも、自分であらすじを書いてみてもテンションは一気に最高になる第1話。北辰一刀流の達人の熱血児、若き日のフォン・ブラウン、追われる訳ありの美女(それが高級娼婦というのが本作の凄いところ)、奇怪な力を持つナチス軍人、沈着冷静かつ騎士道精神溢れるレッド・バロン(当然美形)、そしてとどめの空中戦艦……
 「男の子ってこういうのが好きなんでしょ」と言わんばかりの、そしてそれに全力で頷くしかない要素だけで構成された素晴らしい掴みであります。

 そしてこのテンションは、第2話以降も全く落ちることなく、この第1巻ラストまで一気呵成に突き進んでいくことになります。
 アンジェリーナと引き離され、牢に放り込まれた天馬とウェル。しかし同じ頃、ドイツの名将エーリッヒ・ハルトマン大佐と反ナチス同盟の同志がZを奪取すべく行動を開始し、その混乱に乗じて二人も牢を脱出、同盟と行動を共にすることになります。

 ヒトラーの命でZを開発しつつも、その強大な力をヒトラーが手にすることに危機感を抱き、反旗を翻したハルトマン大佐――いや、「どこの誰でもない男」ネモ艦長。数々の犠牲も躊躇わない彼の冷徹な指揮により、ついにZは浮上するのですが――そうはさせじと襲いかかる無数の戦闘機。
 成り行きからZに乗り込んだ天馬とウェルは、戦闘機の群れに挑むものの、衆寡敵せず敢えなく撃墜されることに……

 が、そこに駆けつけたサーカス団の仲間たちが持ってきたのは改造済みの天翔馬号二世。走る列車の上からの離陸という燃えるシチュエーションは、しかしまだ序の口であります。
 無数の敵を前にウェルが作動させた天翔馬号の奥の手とは――ロケットエンジン! 世界初、音速の壁を越えた天翔馬号が引き起こしたソニックブームは透明の刃(それが天馬の愛刀に比されるのがまたいい)となって敵の群を粉砕するのでした。

 しかし天馬の前に再び現れるのはリヒトホーフェン駆る紅の複葉機。そして上昇を続けるZも、秘密基地の800ミリ超巨大砲ジークフリートの一撃に大打撃を受けて……


 というわけで、あらすじを追うだけで終わってしまいましたが、先に述べたとおり、この第1巻のテンションの高さとスピード感を現すには、これくらいがふさわしいようにも感じられます。

 その巨体を天空に浮かべるZに隠された力とは、アンジェリーナが追われる理由とは、天馬の秘められた過去とは……数々の謎とともに始まった驚異の旅。
 全16巻だれるところなしの大傑作――これを機に、少しでも多くの方が本作のことを知り、手に取っていただければと、心より願う次第です。

『天空の覇者Z』第1巻(宇野比呂士 講談社少年マガジンコミックス) Amazon
天空の覇者Z 1 (少年マガジンコミックス)

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2018.04.27

魅月乱『鵺天妖四十八景』第2巻(その二) 悲しみの物語から生まれ変わった先に


 人の肉を、魂を喰らい、代わりにその望みを叶えるという仮面の妖・鵺天を中心に語られる和風ダークファンタジー第2巻の紹介の後編であります。この巻の後半に収められた前後編の最終話「美しい人々」において、ついに鵺天の過去が語られることに……

 今は強大な力を持つ妖として人々から、妖から恐れられる鵺天。しかし彼にはかつて、人間の少年であった頃がありました。

 予言を生業とする「姫神」であった母から、その座を継ぐために幼い頃から娘として生きることを強いられ、女の名前を与えられた少年「つぐみ」。
 母からは厳しく躾けられ、周囲から好奇の目を向けられ、自分に自分に価値がないと思い込むようになった彼は、ある日、美しい女の妖・鵺と出会うことになります。

 人を喰らうと周囲からは忌避されつつも、ざっかけない性格の鵺と触れ合う中で、善悪の価値判断は自分自身で行うべきこと、そして己の生きる道もまた、自分自身で選ぶべきことを学んだつぐみ。
 そして彼は母の前で男に戻ることを宣言して虎次と名を改め、彼の決意は(母を除く)周囲にも受け入れられたかに見えたのですが――しかしほどなくして、彼は自分自身に刻み込まれた、あまりに無残な真実を知ることになります。

 そして彼の家を襲う更なる悲劇。完全に心が壊れてしまった母を前に、再び道を選ぶこととなる虎次/つぐみ。しかしそんな彼の決意も、最後の悲劇の前に脆くも……


 いわゆる毒親による児童虐待とも言うべき題材に、飢饉による極限状態という時代ものならではのシチュエーションを重ねて描かれるこのエピソード。
 当然ながらと言うべきか、ここで描かれるのは地獄に地獄を重ね合わせたような物語。これまで狂言回し的な存在として、様々な地獄絵巻を見つめてきた鵺天ですが、その過去は、目を覆わんばかりの哀しみに彩られたものとして描かれるのであります。

 しかしそこで描かれるのはただ哀しく、無惨な物語だけではありません。このエピソードで鵺天の過去とともに描かれるのは、「美しい人としての営み」とは何か、という問いかけなのですから。
 それは言い換えれば、望ましい生き方とは何か、この世は生きるに足る場所なのか? という問いかけであり――このエピソードは、その答えを描く物語でもあります。

 そしてその問いは、振り返ってみれば本作の全てのエピソードにおいて、陰に陽に様々な形を以て描かれていたものであると、今更ながらに気付かされます。

 それぞれに事情はあれど、決して生きやすいばかりではないこの世界。人間も妖も、生きる者も死んだ者も、美しいものも醜いものも――全てが入り混じりながら存在しているこの世界で起きる物事を、鵺天は見つめ、介入してきました。
 そんな彼の行動はひどく皮肉で、独善的なものであります。しかし同時にそこには、美しく生きることへの、ある種の決意と憧憬とも言うべきものが感じられたのも、また事実でしょう。

 気紛れに数多くの死を生み出しつつも、同時に善き者を救い、生を繋ぐ。そんな謎めいた鵺天の行動原理が、ここで描かれるあまりに大きな悲劇によって生み出されたものだとすれば――それ自体が、本作で描かれてきたこの世界に溢れる皮肉の一つと言えるでしょう。
 しかしそれは同時に、大いなる救いでもあります。そして物語の結末において、彼にそれを与えたものの正体を鵺天が語ることによって、この悲しみの物語は、素晴らしく美しい物語へと、鮮やかに生まれ変わることになります。つぐみが、鵺天へと生まれ変わったように……


 本作において「妖」は、「あやかし」ではなく「およずれ」と呼ばれ(読まれ)ます。
 「およずれ」とは「他を惑わす言葉、妖言」の意。――なるほど、本作は鵺天の妖言によって惑わされた人と妖の姿をどきつい色彩で描く物語でありました。

 しかし本作はそれだけに留まりません。その物語は同時に、その妖言によって生まれた真実の美しさをも描くものであった――それはあまりに美しすぎる結論かもしれませんが、しかし私の正直な想いでもあります。

『鵺天妖四十八景』第2巻(魅月乱 秋田書店プリンセスコミックス) Amazon
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2018.04.26

魅月乱『鵺天妖四十八景』第2巻(その一) 死なずの妖が知った真実の愛


 人の肉を喰らい、人の望みを叶える仮面の妖・鵺天(ぬえてん)を狂言回しに、人間と妖(およずれ)が共存する世界で繰り広げられる複雑怪奇な愛と哀しみの物語を描く連作時代ファンタジー漫画の続編、完結巻であります。様々な悲喜劇の中で浮かび上がる人と妖の姿とは……

 いつかの時代、どこかの場所のとある村外れの祠に祀られる、鳥の面をつけた長身痩躯の男・鵺天――「俺ぁただバカみてぇに生きてるだけで何者でもねぇぜ」と嘯く彼は、しかし人を食らう妖。
 そして同時に求めるものを与えれば、望みを叶えてくれるという彼は、村の人間たちの畏れと敬意を同時に受けている存在なのであります。

 本作は、そんな彼が出会った人間たち、あるいは妖たちの姿を、少々どぎつい味付けで描く一話完結の連作漫画。この第2巻には、全4回3話の物語が収録されています。

 その最初のエピソード「残滓を抱く脳食い鳥」は、妖の脳を食うことで人の姿になり、死んでも生き返る力を得たシジュウカラの妖・楸の物語であります。

 女性に恋しては振られ、その度に自害しては生き返る――という暮らし(?)を送っていた彼は、ある日、男に騙されて毒殺された娘の死骸と出会い、彼女に一目惚れして……
 というあらすじの時点で不穏極まりないこの物語。もちろん娘は死体ゆえ意思も心もなく(亡霊は体の近くに留まっているものの、それは楸には見えず、鵺天にしか見えないというのがまた面白い)、それゆえどれだけ楸が愛を語ってもそれは一方通行にすぎません。

 そして何よりも、死んでも生き返ることができる楸には、死ぬということが、その恐ろしさがわからない。だからこそ死体を愛せるのかもしれませんが、しかし決して彼は娘の生前の想いを理解できない――その皮肉を本作は痛烈に描き出します。

 しかしその深い溝の――人と妖、生と死の間の深い溝の――存在を、ある出来事を(それがまた実に本作らしいどぎつさなのですが)きっかけに楸も知ることになります。
 しかし気付いたとしても決して超えられぬその溝を彼は超えることができるのか――その先に、我々は一つの奇跡を目にするのであります。

 人の心を、愛を知らぬ男が、ふとしたことをきっかけに無償の愛の存在を知り、生まれ変わる――そうした物語はこれまで無数に描かれてきました。本作もその一つではありますが――その中でも極めて奇怪で、そしてだからこそ感動的な物語、本作だからこそ描ける物語であります。


 続く第2話「たゆらなる娑婆っ気」は、男性に依存しなければ生きていけない娘に惚れ込まれ、生活を共にすることになった絵師の男を主人公とする物語。
 出会った直後に酔って転んで両足を折った絵師は、娘に世話されて日々を送るようになるものの、実はその足は娘が――と、いわば『ミザリー』の変奏曲的な物語なのですが、しかし一つ決定的に異なる点があります。

 それは、男の側も実は自分の才能に限界を感じており、奇怪な形とはいえ、娘に必要とされる生活を自ら選んでしまうということであります。
 現代の言葉で言えば共依存の一種というべきでしょうか――そんな地獄めいた人間関係が、ここでは描かれるのです。

 しかしそんな中で、ある理由から一部始終を見ていた鵺天と出会ったことで、男は真実を知ることになります。
 それでもなお娘を信じようとする彼に、鵺天が告げるさらなる真実がまた実にキツいのですが――しかし、男の目を覚まさせるのがその真実ではなく、別の現実であった、というのが更に刺さります。

 果たして男が、娘が本当に望んでいたものは何だったのか? そして二人はそれを手に入れることができたのか?
 一見ハッピーエンドのようでいて、どうにもならない不思議な味が舌に残るような結末――おそらくは鵺天も予見できなかったような――も含め、おぞましくも皮肉で、そして等身大の人間の姿を描いた物語として印象に残ります。
(ただ一つ、これは前話も含めて、悪役が悪役のための悪役になってしまった感があるのだけは残念)


 興が乗って長くなってしまったため、次回に続きます。


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2018.04.25

鳴神響一『謎ニモマケズ 名探偵・宮沢賢治』 賢治、国際謀略に挑む!?


 昨年末から時代本格ミステリ、現代を舞台とした警察ものとバラエティに富んだ作品を送り出してきた作者の新作は、大正時代を舞台とした冒険活劇――それも、あの宮沢賢治が、国際的な謀略事件に巻き込まれ、美しき令嬢を守るために活躍する奇想天外な物語であります。

 時は大正九年(1920)――盛岡高等農林学校を卒業したばかりの宮沢賢治は、花巻の正教会で、ロシア語の師であるペトロフ司祭が仮面の大男に殺害されるのを目撃することになります。
 一度は犯人と誤認されて逮捕されたものの、何とか釈放され、恩師の依頼で遠野に鉱物調査に向かうこととなった賢治。偶然、正教会の寺男が、知人である佐々木喜善を頼ると知った賢治は、自分も喜善のもとを訪れるのですが――そこで彼が出会ったのは、柳田国男と、美しい異国の令嬢でした。

 柳田の知人である外国公使の娘だという令嬢――エルマとの出会いに胸ときめかせる賢治ですが、しかしその周囲にはあの仮面の大男が出没。ついにはエルマが大男に攫われ、賢治は彼女を追って遠野の山中に分け入ることになります。
 果たして大男たちの正体とは、柳田国男たちが関わる計画とは。そして何故エルマは狙われるのか? いつしか賢治は国際的な陰謀に巻き込まれることに……


 「名探偵・宮沢賢治」という副題を持つ本作。それを見れば、宮沢賢治が探偵役のミステリだな、と万人が思うところでしょう。
 しかし宮沢賢治が探偵役の作品というのはこれまでもいくつか存在しており、後発の本作はいささか不利なのでは――などとも一瞬思いましたが、それはなかった、と言うべきでしょう。いやそもそも、本作はミステリと言うより、ほぼ完全に冒険活劇なのですから。

 本作の舞台となるのは、上で述べたとおり1920年。賢治の年譜を辿れば、まだ農林学校を卒業したばかりの彼が、将来の夢と家業という現実の間に挟まれていた時代――まだ将来の作家/詩人としての顔を完全に見せるに至っていない時代と知れます。
 しかしこの時代は同時に、全世界を巻き込んだ最初の世界大戦が数年前に終結し、その傷跡がまだ生々しく各地に残された――いやあるいは広がりつつあった時期にほかなりません。

 本来であればそうした動きとはほとんど無縁のはずの東北に暮らす賢治が、海の向こうの巨大な歴史の動きに巻き込まれていく――そんな構図のダイナミズムは、デビュー以来、多くの作品で、海を越えるスケールの大きな物語を描いてきた作者ならではのものと言えるでしょう。


 ただ――個人的には少々残念に感じる部分がないわけではありません。それは、あまりにも賢治が巻き込まれただけに見えてしまう点であります。

 もちろん、まだ何者でもない賢治があたふたしている間に状況がどんどん変わり、のっぴきならない方向に向かっていく――というのは、完全に巻き込まれ型サスペンスの呼吸で、これはこれで実に楽しい展開ではあります。
 しかし、もう少し賢治ならではの部分があってもよかったのではないか、その後の彼の事績と結びつくような部分がもっと強調されても良かったのではないかな、と感じてしまったのが正直なところなのです。

 もちろん、彼とエルマの交流と、そしてそれがもたらすクライマックスの展開は、賢治あってのものであることは間違いありません。
 しかし同時にそれは、些か厳しいことを申し上げれば、賢治に近いパーソナリティーの人物でもこの物語は成立するようにも感じられてしまったのです。

 先に述べたように、マクロな時代背景と物語の結びつきの妙や、巻き込まれ型サスペンスとしての物語展開の楽しさといった点は大きいのですが――しかし有名人主人公ものという構造から見れば、もったいないと感じられる部分は確かにある作品であります。


 もう一つ、やはり本作の賢治は「名探偵」という以前に「探偵」的な活動を行わない――というのは、やはり引っかかるところではあります。
 これはむしろ一種の宣伝戦略の結果と思われ、触れるのも野暮ですが、しかしスルーするのもまた不誠実かと思い、あえて蛇足として書かせていただく次第です。

『謎ニモマケズ 名探偵・宮沢賢治』(鳴神響一 祥伝社文庫) Amazon
謎ニモマケズ 名探偵・宮沢賢治 (祥伝社文庫)

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2018.04.24

みもり『しゃばけ』第1巻 漫画で甦る人気シリーズの原点


 2001年の第1作刊行以来、ほぼ年1冊ペースで刊行されている『しゃばけ』シリーズ。昨年はミュージカル化されるなど全く勢いに衰えを見せないこのシリーズの、記念すべき第1作が漫画化されました。担当するのは、以前に原作者の未単行本化作品『八百万』の漫画化を担当しているみもりであります。

 江戸有数の薬種問屋の若だんな・一太郎は、子供の頃から身体が弱くて少しのことで寝込み、そのたびに過保護な兄やの仁吉と佐助を騒がせる毎日。
 しかしそんな彼には一つの秘密があります。大妖を祖母に持つ彼は妖怪を見る力を持ち、実は強力な妖である仁吉と佐助をはじめ、様々な妖怪たちが若だんなの周囲には集まってきていたのであります。

 何はともあれ、そんな妖たちに囲まれて賑やかな毎日を送る一太郎は、ある晩何を思ったか一人こっそりと外出するのですが――なんとそこで人殺しを目撃してしまうのでした。
 妖怪たちの助けで何とか犯人から逃れることはできたものの、もしかすると犯人に顔を見られているかもしれない。若だんなを守るため、妖怪たちは犯人の手がかりを探るべく、町に飛び出していくのですが……


 というわけで本作は、冒頭に述べたとおり原作第1弾の『しゃばけ』を極めて忠実に漫画化した作品。分量的には原作の四分の一辺りまでが、この第1巻には収録されています。
 その意味では原作ファンにとっては既にお馴染みの内容であり、新味はないのですが――しかしやはり、漫画として画が付くのは非常に大きな変化として感じられます。

 小説を読みながら頭の中で想像していたものと、こうして漫画としてビジュアル化されたものと――ある部分は重なり、ある部分は異なるのは、まず当たり前ではありますが、しかし本作からはほとんど違和感が感じられないのが嬉しい。
 特に冒頭のナイトシーンなど、江戸時代の暗闇を暗闇として描きつつ、なおその奥に存在するモノを感じさせる仕上がりと言えるのではないでしょうか。

 そしてキャラクターデザインの方も、漫画的なディフォルメは為されてはいるものの、如何にも育ちの良さそうな若だんなや、美形の仁吉とゴツい佐助といったいつもの面々はまず違和感なし。
 何より妖怪たちも、可愛らしい鈴彦姫にどこか抜けた野寺坊と獺、そして何よりも(かなり色男になった気もしますが)その動きも楽しい屏風のぞきと、原作のイメージどおりの賑やかさが嬉しいところであります。

 そしてシリーズのマスコットとも言うべき鳴家たちも、柴田ゆうの挿絵にアレンジを加えつつも、「おっさん顔なのに何故かカワイイ」をしっかりと成立させていて、私は悪くないと思います。
 この辺りのセンスは、長年ファンタジー/ホラー漫画を手がけている作画者ならではのセンスと言うべきかと思います。


 ただ――これは理不尽を承知で申し上げれば――原作に比べて違和感がない、というのは、逆に言えば原作を超えていないということでもあります。
 また、原作のストーリーを忠実に再現しているとはいえ、物語展開がスロースタートで、盛り上がりに欠けているように感じられるのもまた事実です(この巻に収められているのは起承転結の「起」の部分であるだけなおさら)。

 その意味では、原作既読者にとっては、いささか訴求力が薄いようにも感じられるのですが……

 しかし冒頭に述べたとおり、『しゃばけ』シリーズも開幕してからもう20年近くが経過し、原作は膨大な量になっているのは事実。その高い山を前に、シリーズに興味を持った方が最初に手に取る一冊としては、本作は大きな意味を持つかと思います。
 そして何だかんだ言いつつも、私も懐かしさ半分、新鮮さ半分で本作を楽しんだのは間違いない話であります(何しろ、原作を読んだのは相当以前のこともあり……)。

 刊行ペースがかなりかかりそうなのだけが残念ではありますが、妖怪時代小説の草分けの魅力を、この先もしっかりと味わわせていただくつもりです。


『しゃばけ』第1巻(みもり&畠中恵 新潮社バンチコミックス) Amazon
しゃばけ (1) (BUNCH COMICS)


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 しゃばけ
 『しゃばけ漫画 仁吉の巻』『しゃばけ漫画 佐助の巻』 しゃばけ世界を広げるアンソロジー

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2018.04.23

芝村涼也『討魔戦記 魔兆』 さらなる戦い、真実の戦いへ


 人間が異形の鬼に変わっていく世界を舞台に、鬼たちを狩る者たち・討魔衆に加わることとなった少年・一亮の戦いも、この第3作目で最初のクライマックスを迎えることになります。結界の中から人間たちを襲う鬼に対し、精鋭集団・弐の小組と共に挑む一亮たちの小組たちの戦いの行方は?

 鬼が引き起こした惨劇から、生来の鬼を感知する能力によって生き残り、討魔衆の僧侶・天蓋によって保護された少年・一亮。
 それ以来天蓋の小組に加わり、糸使いの健作、手裏剣の名手の桔梗と行動を共にすることとなった一亮は、ある任務で東北に向かうことになります。そこで大飢饉の最中、人を鬼に変えるおぞましい企てを進める鬼と戦い、その手中から他者の能力を増幅する力を持つ少女・早雪を救い出すのですが……

 という前作の物語を受けて展開する本作において描かれるのは、一亮たちが東北から連れ帰った早雪を巡って揺れる討魔衆の姿と、シリーズ第1巻から密かに跳梁を続けてきた強大な鬼との対決であります。

 「芽生えた」――鬼の力と本能に目覚めた者たちと人知れず対決し、これを狩ってきた討魔衆。しかし彼らが決して一枚岩ではないのは、これまでの物語の要所要所に挿入されてきた、討魔衆上層部の僧侶たちの会議の模様を見れば明らかであります。
 鬼との戦いと、そのための戦力の維持に向けた方針を巡り、幾度となく討論を続けてきた上層部。彼らは、使い方によっては(というより既にそう使われたのですが)鬼の力を遙かに高める少女の存在に大きく揺れることとなります。

 その一方で、かつて向島で幾人もの人々を殺めた鬼が活動を再開し、今度は水戸街道沿いで数多くの人間が犠牲に。
 異空間に潜んで一度に複数の鬼を繰り出し、襲いかかるその鬼の前に、天蓋たちの小組は圧倒され、一亮も為すすべもなく立ち尽くすのみという窮地――と、そこに駆けつけるのは、討魔衆の実戦部隊、弐の小組!

 無数の紙の蝶を飛ばし、そして扇子から水を放つ――弐の小組の頭である於蝶太夫の技は、そのまま彼女の表芸である浅草奥山の見世物のそれと変わりませんが、しかし死闘において見せるそれがただの芸であるはずもありません。
 一度鬼を前にすれば、華麗な芸がたちまち破邪顕正の技となる――強大な力を持つ鬼たちを前にしては劣勢を強いられがちであった天蓋の小組に対し、太夫をはじめとする弐の小組の強さは爽快ですらあります。

 それもそのはず、弐の小組は、壱・弐と二つしかない討魔衆のエリート戦闘集団の一つ。遊撃隊である(遊撃しか担当できない)天蓋たちに対し、鬼の力に真っ向から対抗できる貴重な存在なのであります。
 壱の小組は以前に顔見せ的に登場しましたが、実際の戦闘部隊がここまで本格的に登場したのは今回が初めて。正直なところ比較的地味な戦いが多かった本作において、その派手な活躍は強く印象に残りますが――それは裏を返せば、鬼との戦いが本格的なものとなったことにほかなりません。

 そしてそれが上に述べた討魔衆内部の動きと結びついた時、新たな悲劇の種が撒かれることとなります。
 結成以来、数百年にわたり鬼と戦ってきた討魔衆。しかし本作において、一亮がその事実の中にある一つの齟齬を指摘することにより、その背後に潜む、巨大かつ慄然たる真実が語られることになります。

 次々と新たな能力を得て、その企ても複雑化していく鬼たち。それはさらなる、真の戦いの始まりなのかもしれません。


 そして一亮たちの物語がいよいよスケールしていく一方で、本シリーズの一方の極である、南町奉行所の老同心・小磯による捜査も着実に進んでいくことになります。
 鬼の存在も討魔衆の存在も知らず、ただ彼らの戦いの痕跡を丹念に追ってきた小磯同心。極めてロジカルに人知を超えた戦いの存在に一歩一歩近づいていく彼の姿は、別の意味で極めてエキサイティングに感じられます。

 今回は比較的一亮たちとは離れた場所に留まっていた印象のある小磯同心ですが、彼の屋敷の間借り人との微笑ましいやりとりも含め、本シリーズに確かなリアリティを与える存在として、もう一方の主役と言うべきでしょう。


 少しずつではありますが、着実に事態は進展し、ついに新たな段階に入ったと言える本作。まさしく「魔の兆し」が現れる中、一亮は、小磯はどこに向かうのか――いよいよ激化する戦いから目が離せるはずもないのであります。


『討魔戦記 3 魔兆』(芝村涼也 祥伝社文庫) Amazon
魔兆 討魔戦記(三) (祥伝社文庫)


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2018.04.22

川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第6巻 覇王覚醒!? 複雑なる項羽の貌


 劉邦を支えた軍師・張良の活躍を描く史記異聞の第6巻で描かれるのは、しかし主人公たる張良や劉邦以上に、項羽の姿であります。ある意味覚醒を遂げた項羽の向かう先は、そしてそれに対して劉邦は?

 張良の巧みな策により、項梁軍の客将の座を手にした劉邦。しかしあくまでも配下ではない、という程度で立場の弱い劉邦に対して、張良は自分たちの旗頭そして後ろ盾とするため、韓王家の公子・韓成の擁立という策に出ます。
 項梁方の軍師たる范増との心理戦に勝ち、その許可を得た張良は、自らの故郷でもある韓に向かうことになります。劉邦と一時別れる形で……

 そんな前巻の展開を受けて、この巻の冒頭で描かれるのは、韓成を奉じてわずか二百の兵で秦側の城を落とすという張良の神算鬼謀。窮奇の助けもあるとはいえ、この辺りの見事な策の切れ味は、さすがと言うほかありません。
 しかしもちろん、これは局地戦の始まりにすぎません。その後も韓と張良の戦いは続いていくのですが――そこに挟まれる人の良すぎる韓成たちと、人の悪い(あるいは人を食った)張良との会話の天丼っぷりも楽しい――ある知らせが、張良を愕然とさせることになります。

 それは項梁の敗死――連戦連勝を重ね、項羽と劉邦でも落とせなかった定陶を落として気を良くした項梁は、范増や宋義が諫めるのも聞かず、章邯率いる秦軍の奇襲を受けてあっさりと大敗、討ち取られてしまったのであります。
 抗秦の大勢力であり、何よりも劉邦と自分が身を寄せていた項梁。その慢心と油断を見抜けなかった張良は大きく肩を落とすのですが――しかし最前線の将たちにとってはそれどころではありません。

 自らの叔父でもある項梁を失った項羽は、咆哮とともに号泣し――そして劉邦は静かに腰を抜かす。あまりにも対局的なその姿は実にこの二人らしく、そしてまた作者らしいのですが――いずれにせよ、その衝撃は計り知れないほどであったことは間違いありません。


 実にこの巻においては、張良の出番は冒頭を中心としたごく限られたもの、という印象があります。それに代わってというべきか、この巻において主役級の扱いとなるのは、項羽その人なのであります。

 前巻では黄石を巡って窮奇と真っ向から激突、その怪物ぶりを遺憾なく発揮してみせた項羽。その豪勇はいかにも歴史に名を残す彼らしいものでありますが――しかしこの巻においては、彼はそこからさらに不気味な、凄みとでも言うべきものをまとった姿を見せることになります。

 項梁の慢心と敗北を予見するほどの士であり、項梁亡き後の楚軍を掌握した宋義。しかし自分自身も慢心に陥った宋義を、項羽は容赦なく処断してみせます。
 その直後、項羽と対峙することとなった黥布のリアクションが、これがまたある意味実に彼らしくて可笑しいのですが、しかし項梁亡き後の項羽の危険な変貌をいち早く察知していた描写がそれ以前にあるために、これもまた彼の本能ゆえと言うべきでしょうか。

 上で述べたように、叔父の死に号泣したという項羽。彼はその果てに何かが変わったと語られるのですが――その「何か」の正体は明確には語られません。しかしそれは、彼が放つ猛気が内に籠もるような形となっているように見えることと無縁ではないでしょう。
 人の本質を見抜く黄石をして、「わからない」と言わしめた項羽。その項羽の底の知れなさが、ここに来てさらに深まったと言うべきでしょうか。

 後世では猛将あるいは梟雄として語られることが多い印象の項羽。その彼を、このような一筋縄でいかぬ複雑な存在として描くのは、これは本作ならではの魅力の一つと言ってよいでしょう。
 そしてもう一人、底が知れないといえば、張良がいなくとも、この怪物と飄々と渡りあって見せる劉邦もまた、相当のものだと感じますが……


 冷静に考えてみると、ほとんど史実通りの展開に終始したこの第6巻。前巻の大力の士vs項羽のガチバトルのような破天荒な展開がなかったのは、振り返ってみれば少々残念なのですが――しかし読んでいる最中は、全くそうとは思わされなかったのが事実であります。

 物語の意外性だけでなく、丹念な人物描写でも魅せる――ますます目の離せない作品であります。

『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』(川原正敏 講談社月刊少年マガジンコミックス) Amazon
龍帥の翼 史記・留侯世家異伝(6) (講談社コミックス月刊マガジン)


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2018.04.21

平谷美樹『江戸城 御掃除之者! 玉を磨く』 役人たちの矜持と意地を見よ!


 今年に入ってからわずか数ヶ月の間に『義経暗殺』『鍬ヶ崎心中』と力作を送り出してきた作者の次なる作品は、江戸城の掃除を担当する御掃除之者たちを描くユーモア時代小説の第3弾。今回もまた、御掃除者たちが思いも寄らぬ厄介事に巻き込まれては奮闘を繰り広げることになります。

 江戸城の掃除を担当する御家人・江戸城御掃除之者を束ねる組頭の一人である山野小左衛門。自分たちの地味な仕事にプライドを持ち、日々掃除に精を出してきた彼と配下たちですが、最近はおかしな事件に巻き込まれてばかりなのが悩みの種であります。
 どの事件も掃除に関わるものではありますが、どう考えても本来業務外の――それでも断るに断れない――仕事を押しつけられ、時に文字通り命懸けで奔走する羽目になったり、時に将軍吉宗と対面したりと、小左衛門たちの毎日はまことに波瀾万丈なのです。。

 そして今回彼らが巻き込まれる最初の案件は、江戸町奉行所――大岡忠相から持ち込まれたもの。生前、勝手方勘定衆として務め、役目を離れた後に大量のゴミを集めた末に亡くなった旗本・小野忠兵衛の屋敷の掃除を依頼されたのです。
 いかに掃除とはいえ、旗本屋敷の掃除は明らかに担当外。とはいえ、今をときめく江戸町奉行から持ち込まれた案件を断るわけにはいかない――と、小左衛門たちは芥屋敷の片付けに駆り出されるのでした。

 しかし奉行所からの依頼が、ただの掃除であるはずがありません。忠兵衛が役を離れた後も勘定衆時代の上役が彼の面倒を見ていたこと、禄に見合わぬ茶道楽に耽っていたことから、小左衛門たちは忠兵衛がある秘密を隠していたのではないかと考えるのですが……

 そんな第一話「小野忠兵衛様御屋敷御掃除の事」は、何ともタイムリーに感じられるエピソード。忠兵衛は上役の秘密をどこに隠したのか? あるいはそんな秘密などなく、忠兵衛は単に曖昧になっただけなのか? 次から次へと変わる状況に、小左衛門らは頭を悩ますことになります。
 そのミステリとしての面白さ、そして複雑な状況に頭を悩ます小左衛門を支える配下たちの暖かさと、見所は様々ですが、しかし何よりも印象に残るのは、全てが明かされた後に小左衛門が忠相にぶつける言葉でしょう。

 自分たち役人だって人間だ、勝手に上の意志を忖度させられた責任まで押しつけられて、そうそう黙ってられるものか!
 ……とまでは言わないまでも、そんな想いが込められた言葉は、我々現代の勤め人にとって、いやこの社会に生きる者にとって、何とも痛快に感じられるのであります。


 そして前後編的性格の、残る二話――「戸山御屋敷御掃除の事」「寛永寺双子堂御掃除合戦の事」も実に楽しいエピソードです。
 前者では小左衛門たちが戸山の尾張藩下屋敷に掃除指南に出向き、後者では江戸城の掃除担当の座を賭けて民間の相似業者と掃除勝負に挑むのですが――しかしその双方の背後に潜むのは尾張徳川家の思惑なのです。

 これまで管轄外の仕事ばかり押しつけられ、何とか解決してきた小左衛門たちを、こともあろうに尾張家は吉宗直属の凄腕隠密集団と誤認。その化けの皮を剥がし、恥をかかせんと尾張の隠密・御土居下組を用いて小左衛門たちを狙ってきたのであります。
 もちろんこれは勘違い以外の何者でもないのですが、勝手に疑心暗鬼に陥った尾張家は、小左衛門たちの一挙手一投足に警戒し、驚かされる羽目に……

 いやはや、ごくごく普通の人間が大物と誤解されて、周囲に振り回されたり振り回したり――というのはコメディのパターンの一つですが、それが本作ではエスカレートした末に、普通の掃除人vs忍者の攻防戦にまで展開してしまうのが実に楽しい。
 しかもそれだけに終わらずに、行政のアウトソーシングという問題を扱ったり(そしてそれに対する吉宗の回答も素晴らしい)、本シリーズの背骨ともいうべき、小左衛門の二人の息子を巡る面倒な状況が絡んできたりと、一ひねりも二ひねりもある展開を、最後まで楽しませていただきました。

 特に後者は、ようやく長男が心を開いて御掃除者見習いとなった一方で、次男の方は相変わらず父の仕事を嫌って反抗期、兄弟同士も微妙な空気に――と何とも身につまされる人も多そうな展開。

 それが今回も動きがあるのですが――いやはや、雨降って地固まるとはなかなかいかないものです。
 果たしてこの先、小左衛門たちを如何なる厄介事が待ち受けているのか。そして二人の子供との関係は――小左衛門には申し訳ありませんが、彼の奮闘ぶりが楽しくて仕方ないシリーズであります。


『江戸城 御掃除之者! 玉を磨く』(平谷美樹 角川文庫) Amazon
江戸城 御掃除之者! 玉を磨く (角川文庫)


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2018.04.20

阿部暁子『戦国恋歌 眠れる覇王』 人物造形と描写で魅せる帰蝶と信長の愛


 少し前に刊行された『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』も高評価の作者が以前に発表した歴史もの――織田信長の正室として知られる濃姫こと帰蝶を主人公に、彼女と信長の愛を描く戦国ラブロマンスの佳作であります。

 生まれ育った美濃を離れ、尾張の織田家に嫁すことになった帰蝶。悪人として知られる父・斎藤道三に対して、父ではなく夫を取ると啖呵を切ってきたものの、その相手の信長は、隣国まで「うつけ者」として知られる青年でした。
 おかしな格好で野山や町中を彷徨きまわり、怪しげな連中と付き合う。自分の婚礼の日まで忘れるような型破りの信長ですが、しかし婚礼で見せた気遣いに胡蝶の胸の鼓動は高まります。

 ところが新婚の晩のある行き違いのために、二人の中は一気に険悪に。しかも信長には吉乃という側女の存在があり、帰蝶はさらに追い打ちをかけられることになります。
 しかしそんな中、織田家ではうつけ者の信長を引きずり下ろし、弟の信行を当主に据えようという動きが進行。信長を信じる守役の平手政秀とともに、その動きに抵抗しようとする帰蝶ですが……


 というあらすじを見ればわかるように、本作は信長が織田家の当主となった直後の出来事を、帰蝶の視点を中心に描いた物語。その内容は基本的にほぼ史実に忠実であり、結果として見れば大きくそこから外れることはありません。
 そして発売されたレーベルが集英社コバルト文庫であることからも察せられるように、帰蝶と信長の関係も(側女がいてそちらに先に子供ができるなど、この時代ならではのある意味ハードな展開はありますが)、基本的に恋愛もののフォーマットで描かれることになります。

 このように書けば、さほど新味のない作品のように思えるかもしれませんが――しかしこれが抜群に面白い。
 そしてその理由は、主人公カップルはもちろんのこと、脇役一人ひとりに至るまで、人物造形と描写が実に巧みであることにほかなりません。

 顔も見たこともない相手に嫁ぐことは武士の家に生まれた娘の定めと諦めつつも、せめてその相手と慈しみ合い、そして支えることができるようにありたいと願う帰蝶。
 それは一見現代人的価値観のように見えるかもしれませんが、しかしこれは当時の若い女性の感情としても無理もない想いでしょう。そんな想いを胸に生きる彼女の懸命な姿は、現代の(本来の対象読者層から大きく外れるような僕のような者も含め)読者の目から見ても十分に説得力あるものとして感じられます。

 対する信長の方も、後世に伝わる開明さや合理性の萌芽は見せつつも、決してスーパーマンでなく、実にこの年代の若者的な「面倒くささ」を持った人物として描くのに好感が持てます。
 さらに二人を見守る親世代のキャラクターも、口から出る言葉(特に信長評)がいちいち格好いい道三など、実にいいのですが――しかし本作で一番驚かされたのは信行のキャラクターであります。

 信長と異なり、母・土田御前に溺愛され、彼女をはじめとする人々に奉じられて信長を廃して自分が当主の座に就こうとしたと言われる信行。
 本作の信行像も基本的にそこから外れるものではない、というよりもそのものなのですが――しかし、彼自身の言葉に表れる、彼がそう行動するに至った動機には唸らされました。

 それは単純化すれば兄へのコンプレックスではあるのですが、それだけに留まらない根深さと、何よりもこちらを共感させるだけの説得力――なるほど、一個の男子としてこのような立場に立たされればこうもなろう、というような――を持つものであり、少なくとも私はこれまで見たことのないようなキャラクター造形でありました。
(そしてまた、土田御前も理不尽な毒親というだけではない造形なのもいい)


 残念ながら本作は、後の覇王が目覚める――名実ともに織田家の当主として戦国の世に踏み出すまでで終わり、その先の物語は今に至るまで描かれていないのですが、しかしその先の物語を予感させる余韻を持つ結末も良い。
 歴史小説家としての作者の実力を確かに感じさせる作品であります。


『戦国恋歌 眠れる覇王』(阿部暁子 集英社コバルト文庫) Amazon
戦国恋歌―眠れる覇王 (コバルト文庫)


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2018.04.19

「コミック乱ツインズ」2018年5月号(その二)


 今月の「コミック乱ツインズ」誌の紹介のその二であります。

『薄墨主水地獄帖』(小島剛夕)
 「地獄の入り口を探し求める男」薄墨主水が諸国で出会う事件を描く連作シリーズ、今回は第3話「無明逆手斬り」を収録。

 とある港町に夜更けに辿り着いた主水が、早速町の豪商・唐津屋のもとに忍び込んだ盗賊・七助と出会い、見逃してやったと思えば、無頼たちにあわや落花狼藉に遭わされかけていた娘・富由を救うために立ち回りを演じて、と冒頭からスピーディーな展開の今回。
 唐津屋の客人となっている父を訪ねて来たものの追い返され、襲われることとなった富由のため、主水の命で再度忍び込んだ七助がそこで見たものは……

 タイトルの「無明」とは、上で述べた富由を救った際、相手を斬ったものの目潰しを受けて一時的に失明した主水を指したもの。その主水が、襲い来る唐津屋の刺客に対して、敢えて不利を晒し、逆手抜刀術で挑む場面が本作のクライマックスとなっています。
 が、悪役の陰謀が妙に大仕掛けすぎること、何よりも非情の浪人である(ように見える)主水が、口では色々言いつつも盗賊を子分にしたり薄幸の娘のために一肌脱ぐというのは、ちょっと普通の時代劇ヒーローになってしまったかな――という印象があるのが勿体ないところではあります。


『鬼切丸伝』(楠桂)
 これまでしばらく戦国時代を舞台としてきた本作ですが、今回は一気に時代は遡り、鬼切丸の少年が生まれてさほど経っていない平安時代を舞台としたエピソード。題材となるのは、かの絶世の美女の末路を題材とした卒塔婆小町であります。

 かつて絶世の美女として知られた小野小町。数多の貴族から想いを寄せられながらも決して靡くことのなかった小町は、その一人である深草少将に百夜通ってくることができれば心に従うと語るも、彼はその百夜目に彼女のもとに向かう途中、息絶えてしまうことに。
 無念の少将の怨念は小町を老いても死ねぬ体に変え、やがて彼女は仏僧の説法も効かぬ鬼女と化すことに……

 と、「卒塔婆小町」と各地の鬼婆伝説をミックスしたかのような内容の今回。妙にその両者がしっくりとはまり、違和感がないのも面白いのですが、鬼小町の真実が語られるクライマックスの一捻りもいい。
 本作の一つの見どころは、鬼と人間の複雑な有り様に触れた少年が最後に残す言葉とその表情だと感じますが、今回は人の色恋沙汰に踏み込んでしまった彼のやってられるか感が溢れていて、ちょっとイイ話ながら微笑ましい印象もある、不思議な余韻が残ります。


『用心棒稼業』(やまさき拓味)
 老年・壮年・青年の三人の浪人が、用心棒稼業を続けながら、それぞれの目的を果たすため諸国を放浪する姿を描く本作。これまで過去2回では「終活」こと雷音大作、「仇討」こと海坂坐望の過去を踏まえたエピソードが描かれましたが、今回はある意味最も気になる男「鬼輪」の主役回となります。
 かつて御公儀探索方鬼輪番の一人でありながら、嫌気がさしてその役目を捨て、気ままな用心棒旅を送っている青年、「鬼輪」こと夏海。スリにあった角兵衛獅子の少女のために、もらったばかりの用心棒代を全て渡してしまうほどのお人好しの彼ですが、しかし鬼輪番たちは「鬼」たることを辞めた彼を見逃すことなく、海上を行く船の上で夏海と大作・坐望に襲いかかることに……

 作者のデビュー作である小池一夫原作の『鬼輪番』を連想させる(というかそのまま)のワードの登場で大いに気になっていた「鬼輪」が、やはり鬼輪番、それもいわゆる抜け忍であったことが明かされた今回。その名前は夏海と、作者単独クレジットの『鬼輪番NEO』の主人公と同じなのもグッとくるところであります(もっともあちらとは出生も舞台となる時代も異なる様子)。
 そのためと言うべきか、お話的にはラストの一捻りも含め、いわゆる抜け忍もののパターンを踏まえた内容ではありますが、暗い過去に似合わぬ夏海の明るいキャラクターと、二人の仲間との絆が印象に残ります。

 そして本作の最大の見どころであるクライマックスの大立ち回りの描写ですが、今回は鬼輪番たちとの海中での死闘を、1ページ2コマを4ページ連続するという手法で描いてみせるのが素晴らしい。海中ゆえ戦いの様子がよく見えないという、一歩間違えれば漫画としては致命的になりかねない手法が、かえって戦いの厳しさと激しい動きを感じさせるのにはただ唸るばかりであります。


 次号はその『用心棒稼業』が巻頭カラー。カラーでどのような画を見せてくれるのか、今から楽しみであります。


「コミック乱ツインズ」2018年5月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2018年5月号 [雑誌]


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2018.04.18

「コミック乱ツインズ」2018年5月号(その一)


 今月の「コミック乱ツインズ」誌の巻頭カラーは、ついに「熾火」編が完結の『勘定吟味役異聞』。その他、レギュラー陣に加えて小島剛夕の名作再録シリーズで『薄墨主水地獄帖』が掲載されています。今回も印象に残った作品を一作ずつ紹介いたします。

『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 上で述べたように、原作第2巻『熾火』をベースとした物語も今回でついに完結。吉原の公許を取り消すべく、神君御免状を求めて吉原に殴り込んだ聡四郎と玄馬は忘八の群れを蹴散らし、ついに最強の敵剣士・山形と聡四郎の一騎打ちに……

 というわけで大いに盛り上がったままラストに突入した今回ですが、冒頭を除けば対話がメインの展開。それゆえバトルの連続の前回に比べれば大人しい展開にも見えますが、遊女の砦を束ねる「君がてて」――当代甚右衛門の気構えが印象に残ります。(そしてもう一つ、甚右衛門の言葉で忘八たちが正気(?)に返っていく描写も面白い)
 しかし結局吉原の扱いは――というところで後半急展開、新井白石の後ろ盾であった家宣が亡くなるという激動の一方で、今回の一件の黒幕たちの暗躍は続き、そして更なる波乱の種が、という見事なヒキで、次号からの新章、原作第3巻『秋霜の撃』に続きます。


『エンジニール 鉄道に挑んだ男たち』(池田邦彦)
 日本に鉄道を根付かせるために奔走してきた男たちを描いてきた本作も、まことに残念なことに今号で完結。道半ばで鉄道院を去ることとなった島安次郎の跡を継ぐ者はやはり……

 鉄道院技監(現代のものから類推すればナンバー2)の立場に就きながらも、悲願である鉄道広軌化は政争に巻き込まれて遅々と進まない状況の安次郎。ついに鉄道院を飛び出すこととなった安次郎の背中を見てきた息子・秀雄は、ある決断を下すことになります。
 そして安次郎が抜けた後も現場で活躍してきた雨宮も、安次郎のもう一つの悲願の実現を期に――というわけで、常に物語の中心に在った二人のエンジニールの退場を以て、物語は幕を下ろすことになります。

 役人にして技術者であった安次郎と、機関手にして職人であった雨宮と――鉄道という絆で深く結ばれつつも、必ずしも同じ道を行くとは限らなかった二人の姿は、最終回においても変わることはありません。それは悲しくもありつつも、時代が前に進む原動力として、必要なことだったのでしょう。
 彼らの意思を三人目のエンジニールが受け継ぐという結末は、ある意味予想できるところではありますが、しかしその後の歴史を考えれば、やはり感慨深いものがあります。本誌においては異色作ではありますが、内容豊かな作品であったと感じます。


『カムヤライド』(久正人)
 快調に展開する古代変身ヒーローアクションも早くも第4回。今回の物語は菟狭(宇佐)から瀬戸内へ、海上を舞台に描かれることになります。天孫降臨の地・高千穂で国津神覚醒の謎の一端を見たモンコとヤマトタケル。その時の戦いでモンコから神弓・弟彦公を与えられたヤマトタケルは絶好調、冒頭から菟狭の国津神を弟彦公で一蹴して……

 というわけでタケルのドヤ顔がたっぷりと拝める今回。開幕緊縛要員だったくせに! というのはさておき、そうそううまくいくことはないわけで――というわけで「国津神」の意外な正体も面白い展開であります。
 ただ、まだ第4回の時点で言うのもいかがと思いますが、バトル中心の物語展開は、毎回あっと言う間に読み終わってしまうのが少々食い足りないところではあります。


『政宗さまと景綱くん』(重野なおき)
 ついに動き出した伯父・最上義光によって形成された伊達包囲網。色々な意味で厄介な相手を迎えて、政宗は――という今回。最初の戦いはあっさりと終わり、まずはジャブの応酬と言ったところですが、正直なところ(関東・中部の争いに比べれば)馴染みが薄い東北での争いを、ギャグをきっちり交えて描写してみせるのはいつもながら感心します。
 そんな大きな話の一方で、義光の妹であり、政宗の母である義姫が病んでいく様を重ねていくのも、らしいところでしょう。

 そして作者のファンとしては、一コマだけ(それもイメージとして)この時代の天下人たるあの人物が登場するのも、今後の展開を予感させて大いに楽しみなところです。
(しかし包囲網といえばやっぱり信長包囲網が連想されるなあ――と思いきや、思い切り作中で言及されるのも可笑しい)


 長くなりましたので次回に続きます。


「コミック乱ツインズ」2018年5月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2018年5月号 [雑誌]


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2018.04.17

黒乃奈々絵『PEACE MAKER鐵』第14巻 さらば英雄 そして続出する病んだ人


 長きにわたり描かれてきた宇都宮城の戦いもついに終結。しかし本作におけるそれは、新撰組に欠くべからざるある人物の退場を意味します。というより、表紙の時点でもうこちらの瞳のハイライトも消えそうな気分なのですが――そんな衝撃もあって、病んだ人続出の第14巻であります。

 近藤を救うための条件として大鳥圭介の伝習隊に協力し、宇都宮城攻略に参加することとなった土方と(元)新撰組の面々。意外な人物の参戦もあり、一時は新政府軍を圧倒するかに見えたのですが――しかし敵の大火力の前には及ぶべくもありません。
 ついに追い詰められた土方。しかしその彼と新政府軍の間に立った者こそは、土方が救おうとしていた近藤勇その人でした。

 野村利三郎に引っ張られる形で新政府軍の陣から脱出した近藤。必死の逃避行の末に命を拾ったかと思えば、ここでそれを土方のために投げ出してしまうとはいかにも近藤らしい――といえばそのとおりなのですが、しかしこれは皮肉にもほどがある。
 かくて再び捕らえられた近藤は従容と首の座に向かうことになります。それを知った病床の沖田は、そして土方は……


 いやはや、こんな展開を食らっては、それは土方も病みます。ゲスモブと化した作者――と単行本のそで部分で自称しているので仕方ない――によってガンガン追い詰められた(夢の中での風呂焚きのシーンが鬼)土方は、とうとう刃物や縄状のものを周囲から遠ざけられるような状態になってしまうのでした。

 そんなわけで闘神から一転、病み状態となってしまった土方ですが、しかしもう一人同様の状態となってしまった人物がいます。

 それは、大化けした末に前巻では面白カッコ良いガンマンとして大活躍した市村辰之助。
 既に以前からその兆候はありましたが、鉄之助への依存というより執着はいよいよ暴走し、彼を戦場から遠ざけるためには命令を偽造(ここのところ主人公の出番がないと思ったら犯人がこんなところに!)、ついには土方に銃を向けるまでに……

 この巻の表紙は当然ながら近藤のインパクトに目を奪われてしまいますが、実はここにもう一つ描かれているのは、それに勝るとも劣らぬ悲劇――辰之助と鉄之助の決別。
 弟を戦場から、すなわち新撰組から引き離すために暴走する兄と対峙した鉄之助が、何を選ぶのか――それは言うまでもないものですが、それが辰之助に与えた衝撃は想像に難くありません(彼の主張もまた、ある程度理解できるものではあるのが哀しい)。

 そしてその果てに辰之助が向かう道は、我々読者は既に知っているのですが……


 その他、相変わらず忘れたころに現れて鬼畜プレイを繰り広げる鈴という元祖病みキャラもいるわけですが、さらにここに来て相当の代物が登場します。
 それは薩摩人でありながら、あまりの凶行の果てに自陣の牢に捕らえられていた男・所古伊周。細身で一見物静かにも見える彼の好物は、「二重の意味」で少年なのであります。

 舞台は伝習隊が転戦の末に向かった会津に移り、そこで新政府軍十数名を相手に獅子奮迅の戦いを見せる会津の少年兵・町野久吉(実在の人物)。その前に現れた伊周は……
 というわけで、町野久吉の最期については確かに薩摩兵などに×××たという話もあるのですが、それをここで、こんな形で書くか! と、こちらは愕然とするほかありません。

 度重なる衝撃シーンと度重なる病みキャラの登場に、ただただ圧倒されるばかりの本作。果たしてこの先どこに向かうのか、期待以上に心配になりますが――少なくとも土方はこのままで終わるはずはありません。
 その一刻も早い復活を、まずは祈りたいと思います。

 そしても一つ、ラストにはまた意外な人物が意外な役割を得て登場。こちらの展開も大いに気になってしまうところであります。

『PEACE MAKER鐵』第14巻(黒乃奈々絵 マッグガーデンビーツコミックス) Amazon
PEACE MAKER 鐵 14 (マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ)


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2018.04.16

平谷美樹『義経暗殺』(その二) 天才探偵が見た奥州藤原氏の最期と希望


 平谷美樹が源義経の死と奥州藤原氏の滅亡を題材に、極めて個性的な切り口から描く時代ミステリ『義経暗殺』の紹介の後編であります。本作の主人公・清原実俊のユニークで魅力的なキャラクターとは……

 実は本作の探偵役・実俊は、史実では「吾妻鏡」にその名が見える人物。藤原氏を滅ぼした後の頼朝の前に、弟とともに現れて奥州を案内し、そしてそのまま鎌倉の御家人となったと言われている人物です。
 作者の作品では、先に挙げた『義経になった男』の終盤でもある重要な役割を果たしているのですが――しかし本作の実俊は、史実や過去の作品に比べて、遙かにインパクトのある、いやアクの強い男として描かれます。

 身分としては大帳所(文書庫)の司という中級の文官に過ぎない実俊ですが、一度見たものは決して忘れずにそらんじてみせるほどの記憶力と、わずからデータからたちまちのうちに全体像を解き明かしてみせる推理力で、周囲からは一目も二目も置かれている男。
 が、そんな彼は極度の人付き合いの下手さを誇る――要するに極めて傲岸不遜な人物でもあります。何しろ自分の直属の上司どころか、奥州の支配者である藤原一族、泰衡に対しても呼び捨てなのですから筋金入りです。

 当然のことながら行く先々で要らぬ騒動を起こす彼のフォローに奔走するのは、彼の忠実な従者である葛丸。実俊の口の悪さにも負けず、社会性ゼロの主を時に押さえ、時に引っ張り回す葛丸は、実は故あって男装の少女――というのも面白い。
 実は葛丸は密かに実俊を……なのですが、激ニブの実俊は全く気づかないというのも、お約束ながら実に楽しいところであります。

 そしてこの二人に、口先だけで腕っ節はからっきしの兄とは正反対の、武人で常識人の検非違使・実昌も加えたトリオの姿は、重くなりがちな物語に明るい色彩を加える効果を挙げています。


 しかし、実俊は、天才型探偵にありがちなエキセントリックな人物としてのみ描かれているのではありません。
 彼のその傲岸不遜さは、(本人はほとんど全く自覚していませんが)彼の内面を守るための態度、滅多にいない心惹かれた者を失うことを恐れる彼の心の表れなのであります。

 そしてそんな彼がかつてその感情を覚えた相手、そして新たに覚えることとなる相手が誰であるか――その彼の心の動きもまた、本作の重要な要素であります。
 それはもちろん、主人公の内面の成長という大きなドラマであるのですが――しかしそれに留まらず。本作の謎を解き明かした先にある史実、すなわち奥州藤原氏の滅びにおいて彼が何を見て、何を想うかに密接に関わってくるのですから。

 そう、本作は義経の死の謎を描く時代ミステリと同時に、奥州藤原氏の、そして彼らが築いた平泉という理想郷の滅びを描く歴史小説でもあります。
 その滅びに際して、藤原氏の人々が何を想い、何を遺したのか? それは先に挙げた作者の作品においても描かれてきたところですが、本作はそこに実俊という探偵――冷静な目と心によって真実を見つめ、解き明かし、語る存在を通すことにより、より鮮明に浮き彫りにすることに成功しているのです。


 文庫の折り込み広告に記された本作の紹介文には「熱い思いが落涙を呼ぶ」という一節があります。
 正直なところ、これを最初目にした時には、こういった作品にまで泣かせを求めるのか――といささか鼻白んだものですが、しかし実際に本作を結末まで読んでみれば、なるほどこれは間違っていない、と想いを改めました。

 義経の死に始まる奥州戦争。その結果、 「出羽、陸奥国は、俘囚の国よとさげすまれ、常に搾取されるばかりとなる。百年、二百年、千年たってもそれは変わらぬであろう」
という作中の言葉は現実のものとなるのですが――しかしそれでもなお、その先に何かを遺すべく生きた人々がいた……
 それが胸を打たないはずがあるでしょうか。

 一人の英雄の死は、悲劇の物語としていつまでも語り継がれ、その背後の無数の死は忘れ去られていく。しかしそれでも、決して忘れられないものがある。消え去らないものがある……
 本作は興趣に富んだ時代ミステリの名編であると同時に、そんな想いを込めた希望の物語――やはり作者ならではの、作者でしか描けない物語であると強く感じた次第です。


『義経暗殺』(平谷美樹 双葉文庫) Amazon
義経暗殺 (双葉文庫)


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2018.04.15

平谷美樹『義経暗殺』(その一) 英雄の死の陰に潜むホワイダニット


 兄に疎まれて奥州平泉に逃れた末、藤原泰衡に攻められて自刃したという悲劇の英雄・源義経。これまで幾度も義経と奥州藤原氏を題材としてきた作者が新たに描くのは、その義経が実は何者かに殺されていた、という意外な設定の時代ミステリであります。

 義経の影武者となった蝦夷の青年の目から源平合戦と奥州合戦を描く『義経になった男』(作者の歴史時代小説デビュー作でもあります)、かのシュリーマンが幕末に密かに来日して平泉に眠るという秘宝を追う『藪の奥 眠る義経秘宝』……

 東北を舞台とした作品が多い作者にとって、義経と奥州藤原氏は馴染み深い、というより扱う必然がある題材と言うべきかもしれません。
 そこに新たに加わったのが本作――タイトルの時点で非常にインパクトがありますが、内容の方はそれに負けない見事な作品。紛れもなく時代ミステリの名品であります。

 時は1189年、2年前に平泉に逃げ込んだ義経が、妻子を道連れに自害していたのが発見されたことから、物語は始まります。
 その状況に不審を抱いた藤原泰衡は、博覧強記にして記憶力抜群で知られる官吏・清原実俊に調査を依頼。かつて義経とはある縁のあった実俊は、現場を検分してたちどころに不自然な点を発見、これは他殺であると断じるのでした。

 兄・頼朝との対立の果てに、平泉に身を寄せた義経。庇護者であった藤原秀衡も義経が現れてからほどなく没し、藤原氏は鎌倉の求め通り義経を討たんとする泰衡・国衡と、義経を奉じて鎌倉と戦おうとする忠衡らに分かれ、いつ爆発してもおかしくない状態であります。
 さらに平泉には無数の鎌倉の間者も入り込んでいる状況で、ある意味、義経がいつ殺されてもおかしくはない状況だったのですが――しかし、だとしたら彼は何故自刃を装わされなければならなかったのか?

 これが鎌倉の刺客や、泰衡らの仕業であれば、堂々と義経を殺せばよい。しかしそうしなかったのは何故なのか?
 その矛盾に悩む実俊ですが、その一方で義経の家来である常陸坊海尊が義経の死と前後して姿を消し、平泉に残された武蔵坊弁慶らも不穏の動きを見せます。

 わずかな糸口から謎を追う中、意外極まりないもう一つの殺人の存在を知る実俊。そしてついに実俊がたどり着いた真実――事件の真犯人とその動機とは……


 と、意外な発端から、この時代と場所ならではのシチュエーションをもって、きっちりと時代ミステリを成立させてみせた本作。
 時代ミステリには有名人探偵ものというべき作品がありますが、さしずめ本作は有名人被害者ものと言うべきでしょうか。誰もが知る義経の悲劇的な死の真実、という趣向の見事さにまず唸らされます。
(ちなみに主人公の実俊はもちろんのこと、本作の登場人物のほとんどは実在の人物であります)

 何しろ義経の周囲は容疑者だらけ。義経を奥州百年の平和を乱す存在として除こうとしていた泰衡を筆頭に、嫡男でありながら母が蝦夷であったために家督を継げず複雑なものを抱えた国衡、対鎌倉の旗印となるべき義経が煮え切らない態度なのに不満を抱いていた忠衡……
 そんな複雑な状況(この辺りの各人の立ち位置は史実のそれを踏まえたものではあります)が、それがそのまま容疑者としての動機にスライドしていくのが面白い。

 そして何よりも、犯人探しに留まらず、その犯行の動機を――特に自害を装わせた点を問うというのが本作の最大の特徴と言えるでしょう。
 その不自然さについては上で述べたとおりですが、それでは何故、義経は自害という形で殺されたのか? そこにあるのは変形のホワイダニットとも言うべき謎であり、時代ミステリとしての本作の面白さをさらに高めているのであります。


 しかし本作の魅力はそれだけに留まりません。主人公のキャラクターもまた、なかなかに魅力的なのです。
 それは――長くなりますので、次回に続きます。


『義経暗殺』(平谷美樹 双葉文庫) Amazon
義経暗殺 (双葉文庫)


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2018.04.14

岩崎陽子『ルパン・エチュード』第1巻 誰も知らない青春時代、二重人格者ルパン!?


 誰もが知る怪盗紳士アルセーヌ・ルパン。本作は、ルパンの謎に包まれた人物像を、全く意外な角度から描いてみせる極めてユニークな作品であります。ユニークもユニーク、何しろ実はルパンは二重人格者だったというのですから!

 19世紀末のパリで公演するサーカス団「シルク ドゥ ラ デェス(女神のサーカス団)」をある日訪れた、一人の天真爛漫な青年。ラウール・ダンドレジーと名乗る彼は、そのサーカスの下働きとなるのですが――同じく下働きのエリク・ヴァトーは、ラウールが時に別人のような顔を見せることに気づきます。

 天使のようなラウールに対して、冷徹で鋭利な人格を持つもう一人の「彼」。実はラウールは人の悪意に過敏に反応し、意識を遮断してしまうという体質(?)の持ち主であり、「彼」はその時だけ表に出てくることができるというのです。
 世界で初めてその存在を認識し、その名を問うエリクに対し、「彼」は答えます。父方の姓を取って、「ルパン」と……


 という全く予想もしない形で幕を開ける本作。詳しいファンの方であれば、ルパンの幼名がラウール・ダンドレジーであったことをご存じかと思いますが、まさかそれがルパンのもう一つの人格として描かれるとは!
 普段は天真爛漫(しかし無力)な人物が、一転、正反対の裏の顔を見せて――というのはフィクションにはしばしば登場するパターンですが、それをここでこう使ってくるとは、と大いに驚かされました。

 そんな本作の第1巻で描かれるのは、このラウール/ルパンとエリクの出会いと二人の交流、そしてルパンがその大望を胸に立つまでの物語です。

 ごく普通の青年だったエリクが、まるで普通ではない相手と出会って大いに振り回されつつも、やがて互いになくてはならない存在となり――というのはバディものの定番であります。
(というより冒頭に挙げた『王都妖奇譚』の主人公コンビを連想する方も多いでしょう)
 しかし本作においては、ラウール/ルパンのどちらも浮き世離れした、ふわふわとした存在であり――何しろ互いが互いの意識が失われている時しか表に出れないのですから――特にルパンは、エリクが察知するまでは誰にも知られることがない存在だったというのが切なく、それがルパンとエリクの友情が生まれる理由となるのも面白い。

 そしてそんな本作独自のルパンが、その独自性があるからこそ、我々の誰もが知るルパンというキャラクター――怪盗にして冒険児、危険と美しいものを愛し、そして何よりも自分自身の存在を天下にアピールして止まない劇場型犯罪者として立ち上がる姿に繋がるクライマックスは、ただ衝撃的にして感動的であります。

 そしてその時のエリクの言葉――
「あいつが――「アルセーヌ・ルパン」が陰から姿を現し世界を従える様子はどれほど刺激的だろう! 常識も理不尽もひっくり返して笑い飛ばすのは痛快に違いないんだ!」
は、アルセーヌ・ルパンを愛する者であれば、深く頷けるものでしょう。


 なお、この第1巻には四つのエピソードが収録されており、その多くは当然と言うべきか本作オリジナルの内容ですが、面白いのはうち一つだけ、原典由来のエピソードがあることでしょう。

 財産の争いで係争中なものの、裕福な夫婦の家に秘書として入り込んだ彼が、夫婦の金庫の中から債権の束を奪わんとするも――という内容を聞けば、あれか、という方もいらっしゃるでしょう。
 そう、ここで題材となっているのは「アルセーヌ・ルパン」の初仕事を描く『アンベール夫人の金庫』。なるほど、青年時代のルパンを描く本作では避けては通れない題材ですが――驚かされるのは、これが本作独自の設定の部分を除けば、かなり原典に忠実な内容となっていることであります。

 なるほど、あの物語をこの角度から見ればこうなるか、という本作独自の設定と原典の絡め方が実に面白く、この先の原典エピソードも楽しみになる内容だったのですが、予告によれば次の巻で描かれるのは『カリオストロ伯爵夫人』とのこと。
 これはいきなり楽しみな内容になります。

 本作がこの先描いてくれるであろうもの――我々が初めて出会う、そして同時にお馴染みの怪盗紳士の姿が今から楽しみになる、そんな第1巻であります。


『ルパン・エチュード』第1巻(岩崎陽子 秋田書店プリンセス・コミックス) Amazon
ルパン・エチュード(1)(プリンセス・コミックス)

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2018.04.13

北方謙三『岳飛伝 十七 星斗の章』 国を変える、国は変わる――希望の物語、完結


 ついにこの時がやってきました。『水滸伝』全19巻、『楊令伝』全15巻、そして『岳飛伝』全17巻――50巻を超える北方大水滸伝の大団円であります。南宋と金に対して繰り広げてきた岳飛と梁山泊の戦いもついに決着――その戦いを決したものは何か、そしてその先になにが待つのか……?

 果てることなく続く岳飛&秦容軍と南宋軍の、梁山泊軍と金軍の大決戦。奮闘を続ける岳飛たちですが、南宋と金――一つの「国」丸ごとを相手にして、そうそう簡単に決着が着くはずがありません。
 そんな中、死闘の間の一瞬をついてついに史進が兀朮を斃すも、自ら瀕死の重傷を負って……

 というラスト直前に最高に気になる引きで終わった前巻。深手を負い、戦線を離脱することになったものの史進は命を繋ぎ、その一方で兀朮亡き金は崩壊目前――と思いきや、むしろ兀朮という「顔」を無くした金軍は、最後の兵力十万を加えた数の力で梁山泊を圧倒することになります。

 一方、これまでの奇策の応酬はなりを潜め、正面からの戦いとなった岳飛&秦容と、南宋軍総帥・程雲の戦いは長期戦の様相。さらに海上では張朔の梁山泊水軍と夏悦の南宋水軍が決戦の場を求め、そして岳飛たちの留守を守る南方では、不気味な動きを見せる許礼を留守番部隊が迎え撃ち……

 と、前巻以上に戦いまた戦いの連続。史進の「帰郷」や、胡土児の旅立ちなども描かれるものの、物語のほとんど全ては、最後の決戦に費やされると言って過言ではありません。


 しかしその決戦の姿は、これまでの物語で描かれてきた血沸き肉躍るような戦人と戦人の、武人と武人との戦いとはほとんど異なる様相を呈することになります。
 その姿は――特に梁山泊軍と金軍の戦いは――壮絶な潰し合い、殲滅戦とでも言うべきもの。ただひたすらに相手を殺し、殺され、最後の一兵まで斃されるまでは続くような、そんなある種不気味な戦いであります。

 それは残念ながらと言うべきか、戦いのあり方は、既にかつての英雄同士のそれとは異なる、一種システマチックなものとなったということなのでしょう。
 少なくとも、かつての「国」を無くそうとしている――そしてその手段として敵の兵力を無くそうとする――梁山泊にとって、その戦いはある種当然の帰結かもしれません。そしてそれに自分たちが苦しめられるのもまた、当然なのかもしれません。


 それでも、戦いは人が行うものであります。少なくとも、本作で描かれる岳飛と秦容、呼延凌は、人としての顔を以て、戦いに臨んでいるのですから。
 だからこそ、本作のクライマックスで、ついに南方から駆けつけた秦容と呼延凌の再会シーンは、そしてさらに岳飛が驚くべき数の義勇軍を率いて戦場に現れる場面は、熱く熱く盛り上がるのであります。

 特に後者は、岳飛の尽忠報国の戦いの――いや、そこに至るまでの梁山泊の、そこに集い、連なる男たちの命がたどり着いた一つの夢と希望の姿として、この大水滸伝の掉尾を飾る名場面でしょう。
 それはあまりにも理想的に過ぎるのかもしれませんが――革命というものに熱い共感を寄せてきた作者が描いてきた大水滸伝の結末において、いや、民衆の反骨と希望の象徴であった「水滸伝」の名を冠する物語の結末として、誠に相応しいものであったと言うべきでしょう。

 そしてその希望の象徴として、現実世界において長きに渡り愛されてきた岳飛が、この物語のタイトルロールであるのも当然の帰結であった、と今更ながらに感じた次第です


 以前に、北方『水滸伝』は国を壊す物語、『楊令伝』は国を造る物語と評したことがありました。
 そうだとすればこの『岳飛伝』は、国を変える物語――いや、国は変わることを描く物語だったのではないかと、ここに至り感じます。

 そして一つの物語は終わり、そして歴史の中に埋もれていく、回帰していくことになります(本来であればはるか以前に死んでいた岳飛の、ラストでの姿はその象徴でしょう)。
 しかしそこで描かれたものは、いつまでもこちらの心に残り続けることでしょう。自分たちがどこにいるのか、そして自分たちに何ができるのかを問いかけ示す、そんな希望の物語として……


『岳飛伝 十七 星斗の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 十七 星斗の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 十五 照影の章』 ついに始まる東西南北中央の大決戦
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2018.04.12

大西実生子『僕僕先生』第4巻 旅の終わりにその意味を問う


 漫画版『僕僕先生』もこの第4巻でついに完結であります。美少女(の外見の)仙人・僕僕に誘われ、遙かな天地を巡る旅に出た王弁青年の冒険は、ここに静かに、しかし美しく力強く終わりを迎えることになります。

 ふとしたことから出会った僕僕先生に惹かれ、あてどない旅に出た無気力青年の王弁。しかし時に唐の王宮、時に天地の果てと、常人では想像もできぬような世界ばかりを巡った末に、再び二人は中原に帰ってきました。
 折しも山東では蝗が大量発生し、人々を苦しめる中、僕僕はその力で蝗を払おうとするのですが――ここで人間の側が、意外な動きを見せることになります。

 神仙の術に頼ることなく、人間の知恵と技術で立ち向かう――この時代からすれば破格の試みで、見事に蝗害を除いてみせた朝廷の人々。
 その結末に、仙人たちの側もある決断を下し、その使者が僕僕の前に現れます。人界に居る仙人を全て仙界に引き上げさせ、仙界と人界を断絶するというその決断に対して、僕僕は、王弁は……


 これまで基本的に原作に忠実に展開してきた本作。それはこの最終巻においても変わることなく、原作の後半約四分の一の物語が漫画として描かれることになります。
 が、原作読者の方はご存じかと思いますが、この四分の一というのがなかなかのくせもの。というのも、それまでの物語に比べれば派手な見せ場――皇帝の御前での剣術勝負や、星々の果てでの混沌との対決などのような――が、この部分にはほとんどないのであります。

 ここで描かれるのは、旅から帰り、蝗害騒動においても出番のなかった僕僕が、王弁とともに彼の故郷に隠棲し、その医術で以て人々を助け、日々を送る姿。
 仙界再編を目論む王方平と仲間たちとの対峙や、クライマックスのくだりはあるものの、全般的に静かな展開がここでは続くのです。

 これは漫画として描くのは相当難しいのでは――などというこちらの心配は、しかし、もちろん的外れなものでありました。この(表面上は)静かな日常と、その中で複雑な想いを抱く王弁の姿を、この漫画版は端正に、丁寧に描いてみせるのですから。

 これまで物語の中で幾度となく語られたように、仙骨なるものがない王弁は、仙人にはなれません。それはすなわち、彼が僕僕とこの先同じ時を歩むことはできないことを示します。
 いつかは必ず訪れる僕僕との別れ。その事実をどう受け止めるか、そしてそれまでの日々を如何に過ごすか? それはこれまで彼にとって僕僕と過ごしてきた日々がなんであったのかを問い直すことであり――そしてそれはとりもなおさず、この物語で描かれたものが何であったか、ということを問うことであります。

 その極めて難しく、そして大切なことを、本作は王弁の、そして僕僕のごく僅かな表情とその変化を足がかりに、見事に描き出してみせます。
 そしてそれは時に、二人がこれまで経験してきた旅に勝るとも劣らぬほどスリリングであり、そして感動的なものである、と言って良いでしょう。

 いえ、二人の姿だけではありません。この巻の終盤で描かれるある光景――かつて王弁に世界の広さを教え、それへの憧れを掻き立てたものが、全く逆の姿を見せる場面の描写は衝撃的の一言。
 以前に描かれたその姿が、この漫画版においてポジティブな形で印象的であっただけに、その裏返しに現実の非情さと厳しさを見せつけるその姿は強く印象に残りました。
(これは原作を読んだのが相当以前ということもありますが、この場面が漫画オリジナルではないかと一瞬思ってしまったほど……)


 その他にも、今この『僕僕先生』を読んでみると、その後のシリーズ作品とは異なる手触り(要するに単発作品としての性格が強い)があることや、そしてここではある意味背景として描かれた仙界と人間界再編の動きが、完結間近のシリーズにおいて再び大きくクローズアップされることが興味深く感じられますが……

 それはさておき、原作の漫画化として、そして独立した漫画として、本作は最初から最後まで、素晴らしい完成度であったと言い切って構わないでしょう。
 この漫画版のこの先を、僕僕と王弁の旅の続きを読んでみたい――そう感じるのは、一人僕のみではないと心より感じる次第です。


『僕僕先生』第4巻(大西実生子&仁木英之 朝日新聞出版Nemuki+コミックス) Amazon
僕僕先生 4 (Nemuki+コミックス)


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 「僕僕先生」
 「薄妃の恋 僕僕先生」
 「胡蝶の失くし物 僕僕先生」
 「さびしい女神 僕僕先生」
 「先生の隠しごと 僕僕先生」 光と影の向こうの希望
 「鋼の魂 僕僕先生」 真の鋼人は何処に
 「童子の輪舞曲 僕僕先生」 短編で様々に切り取るシリーズの魅力
 『仙丹の契り 僕僕先生』 交わりよりも大きな意味を持つもの
 仁木英之『恋せよ魂魄 僕僕先生』 人を生かす者と殺す者の生の交わるところに
 仁木英之『神仙の告白 僕僕先生 旅路の果てに』 十年、十巻が積み上げてきたもの

 『僕僕先生 零』 逆サイドから見た人と神仙の物語
 仁木英之『王の厨房 僕僕先生 零』 飢えないこと、食べること、生きること

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2018.04.11

賀来ゆうじ『地獄楽』第1巻 デスゲームの先にある表裏一体の生と死


 webコミック「ジャンプ+」で連載中の期待の時代アクションの単行本第1巻がついに発売されました。不老不死を巡るデスゲームに参加することとなった元・非情の忍びと女山田浅エ門――奇妙な二人が繰り広げる、先が読めない奇怪な死闘絵巻の開幕であります。

 かつて最強の忍と謳われたものの、ある理由から忍びを抜けようとして捕らえられた男・がらんの画眉丸。首切り・火炙り・牛裂き・釜茹で――あらゆる処刑法に耐えた彼をして恐れさせるほどの腕を持つ娘・山田浅ェ門佐切が、放免と身の安全と引き替えに彼に命じたのは、不老不死の仙薬を手に入れることでした。

 海の彼方にあるという、極楽浄土とも呼ばれる謎の島。しかしそこに渡った者はほとんどが消息を絶ち、唯一帰ってきた者も、体中から生えた植物と一体化した人ならざる姿と化していたのであります。
 不老不死に並々ならぬ感心を寄せる将軍の命を受けた幕府は、死んでも惜しくなく、そして恐るべき腕を持つ者たち――それぞれに壮絶な罪状を持つ死罪人たちを集め、島に送り込もうとしていたのです。

 ふるい落としという名の殺し合いの果てに残ったのは、画眉丸をはじめとする十人の死罪人。そして彼らの目付役兼処刑執行人たる山田浅エ門(の門弟)たちとともに、彼らは地獄とも極楽ともつかぬ地に足を踏み入れるのですが……


 というわけで、宝探し+デスゲームとも言うべきスタイルの本作。その特徴の一つはある種凄まじさすら感じさせるテンポの良さでしょう。
 画眉丸の紹介と物語の導入に一話、佐切の紹介と死罪人選抜に一話というのはまず普通ですが、その次の話では早くも島に上陸、そしてそこで早々に死罪人たちの潰し合いが始まるのですから凄まじい。

 何しろゲームのルールでは、島を出て自由を手に入れられるのは、仙薬を手に入れた者(とその目付役)のみ。だとすれば、仙薬を探す前にまずライバルを潰しておいた方が良い――と考えて行動に移すのは、こういう場に選ばれ、残った極悪人揃いならではと言うべきかもしれません。
 しかし死罪人たちの敵は、互いだけではありません。違反行為があればすぐさま首を落とさんとする山田浅エ門たち、そして何よりも、この島の奇怪な生態系が、最大の敵として彼らに襲いかかるのですから……

 それ故と言うべきか、とにかく本作においては、如何にも強そうな、強烈なキャラクターたちが、次から次へと出た→死んだを繰り返す状況となります。
 ほとんど古龍の武侠小説のようなその展開は、テンポが良いといえば確かに良く、それが物語の先の読めなさと、早く次を読みたいという気持ちに繋がっていくのであります。

 しかしそんなテクニカルな巧さはもちろんですが、そのテンポの良さが示すのは、本作においてより根源的なものと言うべきかもしれません。そう、それは同時に、本作においては、人の命の重みが極めて軽いということを示しているのにほかならないのですから。

 本作の登場人物たちの目的は、不老不死の仙薬を求めること。不老不死――いわば究極の生を求める物語において、あっさりと数多くの死がばら撒かれていくというのは皮肉というほかありませんが、しかしその表裏一体の生と死の在り方こそが、本作が描こうとするものなのでしょう。
 そしてそれを象徴するのが、画眉丸と佐切の二人の存在であります。

 生まれた時から殺人兵器として育てられ、人を殺すことを生業として生きてきた画眉丸と、試し斬りと生肝による薬作りを生業とする家に生まれ、自らも首切り人となった佐切。
 共に人の死の上に生きる存在でありながらも、それでもなお画眉丸は人を殺めず生きる道を求め、そして佐切は己が人を殺める意味を求めようとするのであります。

 個人的にはこの第1巻において何よりも強烈なインパクトを持っていたのは、そんな二人の姿が描かれる第1話と第2話――特に画眉丸が戦う=生き延びようとする理由を描く第1話でした。
 そしてそれは、本作における一種の生死感が、何よりも強烈に表れていたからであったと、今回再確認した次第です。


 それにしても生と死の境は薄皮一枚。誰が生き残り、誰が死ぬかわからない戦いはまだまだ続く――というよりも更に激化することを暗示して、物語は第2巻に続きます。
 その先に何があるのか――二人が自分自身の道と意味を掴むことを祈りたいと思います。


『地獄楽』第1巻(賀来ゆうじ 集英社ジャンプコミックス) Amazon
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2018.04.10

重野なおき『信長の忍び』第13巻 決戦、長篠に戦う女たちと散る男たち


 この4月から第3期『姉川・石山篇』もスタートと勢いが衰えることのない『信長の忍び』、原作の最新巻は前巻から引き続き長篠の戦が描かれることになります。忍びは忍びの、武将は武将の戦いを繰り広げる中、ついに決着の時が……

 父を超えるべく進撃を続ける武田勝頼の攻撃が迫る三河。同盟相手である徳川家康を脅かす武田に対して、ついに信長は決戦を決意することとなります。
 佐久間信盛の偽投降、酒井忠次の鳶ヶ巣山砦奇襲と布石を積み重ね、「その時」を待つ織田・徳川連合軍。その陰で、千鳥(と助蔵)もまた、因縁重なる宿敵である勝頼の忍び・望月千代女との決戦に臨むことに……


 そんなわけで冒頭からいきなりクライマックスの第13巻。以前、千代女には文字通り死ぬような目に遭わされた千鳥ですが、しかし今回は負けるわけにはいかない戦いであります。
 しかしそんな覚悟を固めてもなお、千代女は強い。本当に強い。再びあわやのところまで千鳥が追いつめられた時、彼女を救ったのが誰であったか――意外で、しかしこの人物しかいないというその名を言うまでもないでしょう。

 忍びとして主に向けた想いの強さは互角、戦闘力としては千代女の方が上。しかしそれでも千鳥には千代女に勝る点があります(そもそも、それがあったこそここで再戦に挑むことができたわけで)。
 それはたった一人ではない、強い絆の存在――忍びとしてはもしかしたら不要かもしれないそれが、確かな力となって千鳥を支える展開は、特に物語を冒頭から読んでいる者にはグッとくるものがあります。お前、本当に頑張るなあ……と。

 と、思わず忍者漫画のように(いや、忍者漫画でもありますが)盛り上がってしまう展開ですが、しかし戦はこれからが本番。決戦の地で死闘を繰り広げる男たちの姿が、この先ひたすらに描かれていくことになります。

 鳶ヶ巣山砦争奪戦のくだりのように、そんな死闘の中でもきっちりとギャグが――それも史実に絡めて――描かれるのにはいつものことながら感心させられますが、しかしそんな中でもシリアスにならざるを得ない時がやってきます。
 武田家の猛攻を前に、一歩も引かず、いやむしろ前に出て行く信長と配下たち。その圧倒的な力の前に、ついに武田家を支えてきた猛将たちも一人、また一人散っていくのであります。

 山県昌景、内藤昌豊、馬場信春――武田家四天王と謳われた名将たちの実に三人までもが散っていく姿は、やはりその直前まで本作らしいギャグでデコレートされているものの、最期の瞬間はどこまでも真面目でドラマチックなのもまた、本作らしいと言うべきでしょう。
 特に馬場が勝頼に託したものと、それを受けての勝頼の姿は、織田方と武田方、どちらが主人公サイドかわからなくなるほどで――この辺り、『真田魂』に重なるわけですが――こうして敗者にも光を当てるのが、本作が長らく愛される理由の一つなのでしょう。


 さて、一つの大戦は終わったものの、まだ信長の戦が終わったわけではもちろんありません。
 この先、信長の道を阻まんとする第二次信長包囲網が形作られるわけですが――しかし既に信長が戦の前面に出る時期ではなくなったことは、史実が示すところであります。

 そんなわけでこの巻の後半から描かれるのは、明智光秀の丹波攻略。信長による方面軍構想により、織田家一の出頭人として丹波攻略の主将に命じられた光秀に、ようやく傷の癒えた千鳥と助蔵はつき従うことになるのですが……
 が、ここで鬼のようなナレーションにより「光秀挫折編」というワードが語られることになります。

 言うまでもなく光秀といえば信長を――というわけですが、さてその源流であろうこの戦いがどのように描かれるのか。
 その後の光秀の姿がちらりと描かれた『黒田官兵衛伝』の官兵衛も登場し、相変わらずの目薬屋っぷりを見せるクロスオーバー(と言ってよいのかしら)も楽しい本作、信長同様に、まだまだ勢いは衰えそうにありません。


『信長の忍び』第13巻(重野なおき 白泉社ジェッツコミックス) Amazon
信長の忍び 13 (ヤングアニマルコミックス)


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2018.04.09

5月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 今年が始まってもう三分の一近くが過ぎ、咲いたと思ったらもう桜が散り――と、時間の流れの早さを感じる今日この頃ですが、しかしゴールデンウィークがあとわずかなのは嬉しいところ。しかし休みが多いと本が出なくて――そんな痛し痒しの5月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 というわけで、本当にちょっと悲しいくらい新刊が少ない5月。もちろん内容の方は粒選りなのですが……

 まず文庫小説の方では、好調シリーズ第5弾の上田秀人『日雇い浪人生活録 5 金の邀撃』が登場。また『暗夜鬼譚』文庫化も好調のようで何よりの瀬川貴次『ばけもの好む中将』も第5弾が刊行されます。
 また、これは確か4月の新刊予定にも入っていた気がしますが、霜島けい『九十九字ふしぎ屋商い中 もののけ三昧(仮)』が――シリーズ第4弾、巻を追うごとに面白くなるので、早く読みたいところです。

 そして文庫化・復刊では、あさのあつこ『闇に咲く おいち不思議がたり(仮)』、シリーズ最終巻の輪渡颯介『夢の猫 古道具屋皆塵堂』、完結も間近な仁木英之『恋せよ魂魄 僕僕先生』が並びます。

 また、これは架空歴史ものになるかと思いますが、乾緑郎『機巧のイヴ』の続編がいきなり文庫で登場。あの世界を、あの物語をどのように受け継ぐのか楽しみです。


 また、漫画の方では、これはこれで面白くなってきたシヒラ竜也『バジリスク 桜花忍法帖』第3巻、おそらくこれで完結の朝日曼耀『戦国新撰組』第3巻、好調に巻を重ねる梶川卓郎『信長のシェフ』第21巻と吉川景都『鬼を飼う』第4巻が発売。
 その他、連載レースを乗り越えて連載されたという黒川こまち『お江戸の神様』も気になるところです。

 また、復活してから快調な『お江戸ねこぱんち』も新巻が登場で、こちらも大いに楽しみであります。


 というわけで少々寂しい5月の時代伝奇アイテム。空いた時間は過去の作品に親しむとしましょうか……



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2018.04.08

北方謙三『岳飛伝 十六 戎旌の章』 昔の生き様を背負う者、次代を担う者――そして決戦は続く


 ついに北方岳飛伝もラスト2! 岳飛と秦容の北上をきっかけに突入した岳飛軍&秦容軍vs南宋軍、梁山泊軍vs金軍の決戦はいつ果てることもなく続き、その中で幾人もの豪傑たちが散っていくことになります。そしてついにあの男までもが……?

 国を倒し、国を作り、いま国を根底から変えようとする男たちの戦いもついにクライマックス。これまで営々と蓄えられてきたものが一気に解き放たれたように、この巻においては、ごく一部の例外を除いては、ひたすら続くマラソンバトルが描かれることになります。

 そこで繰り広げられるのは、かつての戦いとは異なり、大将首を取ればそれで終わり、とはならない潰し合い。
 どちらかがどちらかの戦闘能力を完璧に奪うまで続く戦いですが――しかし「国」が総力を挙げてぶつかりあう中で、早々簡単に決着がつくはずもありません。

 もちろんそんな中でも大将を討てば相手の戦闘力を奪うことはできるはず――という計算以上に、そんな「今の」戦いの形に違和感を持った男たちの激突が、ここでは様々な形で描かれていくことになります。

 呼延凌と兀朮の幾度目かの一騎打ち、前回殺されかけたお返しを程雲に仕掛ける岳飛――こうした「これまでの」戦いを目にすると、どこかホッとしてしまうのですが、それはとりもなおさず、こうした個人と個人がぶつかり合うような戦は、作中において既に珍しくなってしまったということなのでしょう。

 しかしそんな中でも、個人としての輝きを放って散っていく男たちがいます。
 李俊を兄と慕い張朔を弟のように慈しんできたあの無頼漢が、梁山泊百八人の残り二人のうち一人となり死に場所を求めていたあの男が、華々しい戦の陰で人知れず戦いを続けてきた男が――ここで命の最後の煌めきを放ち、散っていくことになるのであります。

 男一人が巨大すぎる相手に立ち向かい、その命と引き替えに一大痛棒を食らわせる――それはかつての梁山泊流とでもいうべきものかもしれませんが、そんな「昔の」生き様を貫いてみせた男たちの姿は、勇猛さと同時に、どこか侘しさを感じさせるものがあります。


 もちろん、その一方で、次代を担う者たちは着実に動き始めています。そしてその代表格が、楊令の実子であり、兀朮の養子である胡土児でしょう。
 その複雑な出生から、そして兀朮との血を超えた深い絆から、海陵王の嫉妬を買うこととなった胡土児。兀朮の命で北方(ほっぽう)――蒙古との国境に遣られた後も、海陵王の刺客は幾度となく彼を襲うことになります。

 中原での戦いから切り離された彼の物語は、『岳飛伝』という物語から離れた別個の物語という印象もあります(そして実際に次の物語のプロローグ的位置づけなのだとは思いますが)。
 しかし梁山泊と金の双方のある側面を最も濃厚に受け継ぐ存在である彼が、新天地を求める、ある意味青春真っ直中の姿は、この物語が、ある種のオープンエンド――最後の戦いに決着がついて、それで全てが終わるものではないことを示しているのでしょう。

(そしてその一方で、放浪を重ねた末に新天地にたどり着いた王清の青春の終わりの姿も実に良いのであります)


 と、新旧それぞれの生き様が描かれた末に、この巻はラストにおいて、それらの全てを吹き飛ばすような展開を用意しています。

 ついに梁山泊百八人のうち、最後の一人となった男・史進。
 誰よりも苛烈な戦いの中に身を置き、長きにわたって死に場所を求めてきた彼が、最後の最後で大きな大きな一撃を食らわせることになるのですが――しかしその代償はあまりに大きいとしか言いようがありません。

 あまりに呆気なく命が奪われていく世界(現に、史進に倒された側の呆気なさにはちょっと吃驚)において、彼の命のみが特別ではないことは、誰よりも我々読者が一番良く知っているのですが――それでもなお、唖然とならざるを得ない結末を以て、物語は最終巻に続くことになります。


 ちなみに上で述べられなかったのですが、この数巻でにわかに存在感を増していた程雲の副官・陸甚は、この巻でも素晴らしい存在感を発揮。あの台詞がこう生かされるか!? と驚かされる展開には、ただ詠嘆させられるばかりでありました。


『岳飛伝 十六 戎旌の章』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
岳飛伝 16 戎旌の章 (集英社文庫)


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 北方謙三『岳飛伝 二 飛流の章』 去りゆく武人、変わりゆく梁山泊
 北方謙三『岳飛伝 三 嘶鳴の章』 そして一人で歩み始めた者たち
 北方謙三『岳飛伝 四 日暈の章』 総力戦、岳飛vs兀朮 そしてその先に見える国の姿
 北方謙三『岳飛伝 五 紅星の章』 決戦の終わり、一つの時代の終わり
 北方謙三『岳飛伝 六 転遠の章』 岳飛死す、そして本当の物語の始まり
 北方謙三『岳飛伝 七 懸軍の章』 真の戦いはここから始まる
 北方謙三『岳飛伝 八 龍蟠の章』 岳飛の在り方、梁山泊の在り方
 北方謙三『岳飛伝 九 曉角の章』 これまでにない戦場、これまでにない敵
 北方謙三『岳飛伝 十 天雷の章』 幾多の戦いと三人の若者が掴んだ幸せ
 北方謙三『岳飛伝 十一 烽燧の章』 戦場に咲く花、散る命
 北方謙三『岳飛伝 十二 瓢風の章』 海上と南方の激闘、そして去りゆく男
 北方謙三『岳飛伝 十三 蒼波の章』 健在、老二龍の梁山泊流
 北方謙三『岳飛伝 十四 撃撞の章』 決戦目前、岳飛北進す
 北方謙三『岳飛伝 十五 照影の章』 ついに始まる東西南北中央の大決戦

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2018.04.07

築山桂『近松よろず始末処』に推薦の言葉を寄せました


 築山桂の新作『近松よろず始末処』に、推薦のコメントを寄せさせていただきました。近松といえば近松門左衛門――あの浄瑠璃作家が何故か探偵事務所を開業、そこに引っ張り込まれた元・賭場の用心棒の青年を中心とした個性的な面々が、大坂で起きる難事件・怪事件に挑むユニークな作品であります。

 喧嘩で半死半生だったところを近松に拾われ、花売りの仕事と住む場所まで世話された元用心棒の青年・虎彦。 彼にとっては大恩人である近松が、万始末処――依頼を受けて大坂の人々の悩みを解決する、いわば現代でいう探偵事務所を裏で営むことを知った虎彦は、求められるままにそのメンバーに加わることとなります。
 彼以外のメンバーは、近松を爺と慕う謎の美青年剣士・少将と、並の人間よりも頭の良い犬の鬼王丸。さらに竹本座でからくり職人を目指す少女・あさひも首を突っ込んで、まずは賑やかな裏稼業の始まり始まりとなるのですが……


 さて、本作は(サブ)ジャンルでいえば時代ミステリ、それも有名人探偵ものと呼べるかもしれません。そう、歴史上に名を残す人物が探偵役を務め、事件の謎に挑む――そして多くの場合、事件の内容がその人物の後の業績に影響を与える――という作品であります。

 なるほど本作はその形に当てはまっていますが――しかし本作においては、近松はあくまでも後ろに控える存在で、前面に出て事件解決に奔走するのは虎彦と少将のコンビ(鬼王丸も加えてトリオ?)となるのが面白い。
 喧嘩っぱやくて人情家の虎彦と、腕利きだけれどもクールで得体の知れない少将、対照的な二人が証拠集めや人探しに奔走した末に、近松が事態を収める――そんなスタイルで物語は展開していくのです。

 上役に握りつぶされた事件を追う途中、お犬様(本作の舞台は元禄時代であります)を殺めた科で切腹目前の同心を救うために奔走する第一話。
 父の仇を求めて出奔した兄を探して江戸からやってきた少年の依頼を受けた虎たちが、複雑に入り乱れた仇討ちの因縁に巻き込まれる第二話。
 さる料亭に出没するという井原西鶴の亡霊の正体を暴くという依頼で張り込んだ近松たちが、裏で蠢くからくりと対峙する第三話。

 人使いの荒い近松に文句をこぼしながらも、これも世のため人のため、人情の篤さが身上とばかりに事件の渦中に飛び込んでいく虎彦。
 しかしその果てに、彼はある真実を知ることになって……


 と、終盤で待ち受けるある種のどんでん返しも楽しい本作。全四話、依頼者も内容も様々な事件を描くバラエティに富んだ事件が描かれることになりますが、共通するのは、いずれも大坂の市井を舞台であることであります。

 この辺りは、大坂の町を舞台に、生き生きとした町人たち特に若者たちの姿を描いてきた作者の面目躍如たるものがありますが――しかしそれだけに留まるものではありません。
 それは本作における最大の謎、あるいは違和感の正体にも関わってくるのですが――それはぜひ、実際に作品を手に取っていただければと思います。

 ただ一つ申し上げるとすれば、そこにあるのは物語る者の深い業であり、そしてそれが生み出す物語がこの世にある意味であり――本作は優れた「物語の物語」でもある、ということであります。
 そしてもちろん、それは近松門左衛門という不世出の物語作家の存在と密接に関わっていくのですが……


 さて冒頭で述べたとおり、今回縁あって、ありがたいことに本作の推薦のコメントを寄稿させていただきました。
 大好きな作家の新作ということで、大いに気合いを入れて臨んだのですが――気合いが入りすぎて、他にコメントされた方々(これがもう、本当に錚々たる面々なのですが)に比べて、浮いているというか何というか……

 書店でポップやパネル(特に後者)をご覧になる機会がありましたら、文字通りご笑覧いただければと思います。


『近松よろず始末処』(築山桂 ポプラ社) Amazon
近松よろず始末処

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2018.04.06

万城目学『とっぴんぱらりの風太郎』下巻 己の意志を貫き、思うがままに駆け抜けた男

 やることなすことうまくいかぬニート忍者・風太郎(ぷうたろう)の奮闘を描く物語もいよいよ佳境であります。万城目学お得意の関西を舞台としたちょっと不可思議な青春小説――の時代小説版かと思われた本作は、後半に至って大きな変貌を遂げ、凄絶なクライマックスを迎えることになります。

 伊賀で忍びとして過酷な修行を重ねながらも、ふとしたことから伊賀を追われ、京に出てきた風太郎。なにをやっても間が悪い風太郎はその日暮らしのニート生活、しかもひょうたんに住み着いた因心居士を名乗る奇怪なもののけに魅入られてしまう有様であります。
 それでも、因心居士の脅しもあってひょうたんを栽培することになったり、世間知らずの貴人を祇園祭に連れ出す仕事を請け負ったら刺客に襲われたりと、それなりに慌ただしい日々を送るようになった風太郎。

 そんな中、かつての上役に呼び出された風太郎は、他の忍びたちとともに、大坂城攻めに加わることになるのですが――しかしそこで風太郎は、戦の現実を前に心を深くすり減らすことになるのでした。
 確かに忍びは、彼が帰ることを望んでいた世界であります。しかし同時に彼のような人間にとってはあまりに残酷な世界であり――何よりも、彼はそこから再び突き放されることになります。

 時あたかも再び豊臣と徳川の戦が始まろうとする中、再び行き場を失った彼は、因心居士と高台院ねね、不思議な因縁で出会った二人からそれぞれ依頼されて大坂城本丸を目指すことになります。
 様々な因縁から行動を共にすることになってかつての伊賀の仲間たちと共に、ついにかつての世間知らずの貴人――秀頼と再会することとなった風太郎。そこである頼みを受けた彼の最後の決断は……


 と、時々剣呑ながら、どこか呑気でユーモラスな空気が漂う生活から一変、理不尽に人の命を奪い、奪われていく世界に放り込まれることとなった風太郎を描くこの下巻。
 その冒頭で、彼はそれまでの道のりが全てある意志によるものであり、そして自分は、利用尽くされた果てに弊履の如く捨てられる存在に過ぎなかったと知ることになります。

 それは厳しいことをいえば、ただ流されるままに生きてきた彼にとって、ある意味当然の帰結だったのかもしれません。
 しかしこの時代において、個人の意志にどれだけの力があるものでしょうか。個人が思うがままに生きることはできるのでしょうか?

 真面目に生きようとしても陥れられ、牙を剥けばさらに叩きのめされる。本作の登場人物は、程度の差こそあれ、誰もが己の意に反する運命に流され、傷ついているということができるでしょう。
 その中でひたすらマイペースに振る舞う因心居士ですら、風太郎を頼らねばならない因果に縛られているのですから……

 しかし物語の終盤において、風太郎は初めて自分自身の意志を持って立ち上がることになります。
 その向かう先が、ほとんど確実な死であっても、決して譲れないものがある。流されるわけにはいかない理由がある――そんな想いと共に、風太郎がかつての伊賀の仲間たちが命を的の大勝負に出る姿に、胸が熱くならないわけがありません。

 クライマックスで繰り広げられる大殺陣も、これが初時代小説とは思えぬ高いクオリティ。最後の最後の最後まで油断できぬ忍び同士の死闘が展開する終盤のマラソンバトルは、まさに一読巻を置く能わざる内容で、結末に至り、ようやく深く息をつくことができた――そんな作品であります。


 ……もちろん、前半の呑気な風太郎たちの姿を思えば、それは本当にそれしか道がなかったのかと、ひどく苦い味わいを残すものであります。
 それまで物語で描かれてきたものを思えば、ヒロイックな彼らの姿に、ある種の痛みと哀しみを覚えるのもまた事実です。

 しかしそれでもなお、巨大な力と力のぶつかり合う中で、確かに風太郎が己の意志を貫き、思うがままに駆け抜けたことを思えば、これ以外の結末はなかった、と言うほかありません。。

 誰もが知る戦の結末の裏で、決して変えられぬ史実の陰で、それをひっくり返すことをやってのける――それは流されるまま生きるしかなかった風太郎が見せた、強烈な自己主張というべきなのでしょう。
 そしてその姿は、時と場所を異にしつつも、実は彼とさして変わらぬ生を送る我々にとって、ひどく魅力的に感じられるものであります。


『とっぴんぱらりの風太郎』下巻(万城目学 文春文庫) Amazon
とっぴんぱらりの風太郎 下 ((文春文庫))


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2018.04.05

大柿ロクロウ『シノビノ』第3巻 無敵老忍者の強さと正しさ

 黒船に潜入したという実在の最後の忍び・沢村甚三郎の戦いもいよいよ佳境。首尾良く黒船に潜り込むことはできたものの、吉田松陰の暴走によって事態は悪化し、黒船の江戸攻撃の危機が迫る中、甚三郎はついにペリーと対峙することになるのですが……

 老中・阿部正弘により、ペリー暗殺の命を受けた甚三郎。いずれも異能の持ち主である部外戦隊を一蹴し、黒船の一隻に潜入、続いてペリーの旗艦に迫る甚三郎ですが――ここで双方にとって全く予想もしなかったイレギュラーが発生します。

 そのイレギュラーの名は吉田松陰。渡米のために黒船を奪取するという妄執に取り憑かれた彼は、人斬り少年・藤堂平助と弟子たちを指嗾して黒船に対してテロを敢行したのであります。
 この混乱に乗じて旗艦に潜入した甚三郎ですが、この暴挙を口実に、ペリーは黒船による江戸攻撃を指示。この事態を避けるためにペリー暗殺の命を受けた甚三郎にとって、そして何よりも江戸に暮らす人々にとって最悪の結末が迫る中、甚三郎は松陰と、そしてペリーと最後の対決に臨むことに……


 というわけで、この黒船編もこの第3巻で完結。
 自分の大望のためであれば周囲も、いや自分自身でさえも犠牲にして本望というファナティックな松陰、単なる指揮官ではなく軍人として自らの戦闘力を誇るペリーと、いずれも本作ならではのアレンジを施された二人の強敵が甚三郎の前に立ち塞がることになります。

 その強敵を相手に、甚三郎が如何に戦うか――それももちろん重要ではありますが、しかし真に重要なのは、彼が己の任務を果たすことであります。
 彼の任務――阿部老中に命じられたそれはペリー暗殺であります。しかしそれを果たせば、それで任務完了となるのか? その答えは否でしょう。

 彼は己が殺したいからペリーを暗殺するのではありません。あくまでもそれは手段であり、それによって江戸を戦火から守ることこそが、彼の任務の目的なのですから。
 その目的を果たしたときこそ、甚三郎は真の忍びとなることができる――そういうべきでしょう。
(そしてそれがそのまま、ある人物の悪意に対する反撃となるという終盤の構図が実に痛快であります)


 そんな甚三郎の戦いの結末はそれなりに見応えがあったのですが――しかし個人的には、少々違和感が残ったというのも正直なところであります。
 それは甚三郎が強すぎる、そして立場的に正しすぎるために、彼の勝利にカタルシスが感じられなかった、勝って当然の相手(それにしても黒幕の言動のリアリティのなさよ)に説教して終わってしまったという印象なのですが――それはおそらく、こちらがひねくれすぎているということなのでしょう。

 一見ただの老人が、歴史に名を残す偉人たちを正論でもって徹底的に論破し、若い女の子にもてて、自分の後を継ぐ弟子までゲットするというのは、それは一つの理想ではありますから。

 何はともあれ、任務を果たし、再び歴史の陰に沈むこととなった甚三郎。史実という軛から放たれた彼の強さと正しさがどこに向かうのか……
 この巻でちらりと姿を見せた幕末英雄の動きと、それに対する甚三郎の行動によって、本作の評価はまた変わってくることになるかと思います。


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2018.04.04

峰守ひろかず『帝都フォークロア・コレクターズ』 妖怪を追う者たちが見たモノ

 既に近代化の恩恵が隅々まで行き渡った大正時代――そんな中で妖怪伝承を集めるという奇妙な団体「彼誰会」に加わることとなった少女の目を通じて、妖怪にまつわる不可思議な事件の数々を描く連作集であります。

 今からほぼ百年前の大正6年(1917年)、勤め先を失って職探し中に見つけた、「彼誰会」なる団体の書記の採用試験に応募することとなった少女・白木静。
 まだ15歳と年若く、小柄だったことから初めは難色を示されたものの、ある身体的特徴に注目された静は一転採用されることになります。

 しかし採用されて初めて知った彼誰会の目的は、「百年使える妖怪事典の編纂」。
 そのために日本各地に残る妖怪伝承を集めているという彼誰会の調査に同行することとなった彼女は、訳がわかぬまま、石神射理也(いしがみいりや)、多津宮淡游(たつみやたんゆう)という二人の青年とともに、早速四国は徳島の山村に向かうのでした。

 詰め襟学生服に銀髪の生真面目な射理也と、着流しに女物のソフト帽をかぶった軽薄な淡游。全く正反対の二人と、現地で妖怪にまつわる伝承を聞いて回る静は、「コナキジジとゴギャナキ」なる妖怪に父を殺されたという少年と出会うのですが……


 妖怪などその手の話が好きな人間にとってはある意味身近に感じられる民俗学。しかしそれが日本で成立したのはごく最近であります。
 それまでは、民俗学に欠かせぬ調査手法であるフィールドワークも、一般の人々には耳慣れぬものであったに違いありません。

 本作は言ってみれば、そんな民俗学の黎明期に奔走したフィールドワーカーたちを主人公とした物語ですが――当然と言うべきか(?)、本作で描かれるのは、伝承の聞き取りで終わるような平穏無事な調査ではありません。

 四国では人々を襲うという「コナキジジとゴギャナキ」と対決し、伊豆では海から来る「みんつち様」と遭遇。紀州沖の孤島では奇怪な神を祀る人々の前に窮地に陥り、そして人助けのために都心で神隠しを追う……
 何故か伝承どころではなく実際に妖怪がいるとしか思えない事件に巻き込まれ、必死に事態収拾のために奔走する静たち三人の姿が、本作では基本ユーモラスに、時にシリアスに描かれることになります。

 この辺りの展開は、静・射理也・淡游の個性がそれぞれきちんと立っているところもあり――そしてそれがそれぞれのエピソードに陰に陽に絡んでいくこともあり――、キャラクターものとして実に楽しい内容。
 そして妖怪ものとしても、それぞれの事件で彼らが遭遇したものが、やがて彼誰会を私費で主催する「先生」の研究成果に結びついていく――というのは、お約束ですが、やはりニヤリとさせられます。
(「先生」の正体がわかり易すぎるのは、まあ仕方ないとして)

 物語の基調が賑やかでありつつも、失われゆくモノたちへの哀惜を感じさせてくれるのも、こうした世界が好きな人間にとっては嬉しいところであります。


 しかしながら物語の内容的には、正直なところ不満もあります。
 物語が地に足のついた展開のようでいて、意外な方向に転がっていくのは、これは構いません、というより大歓迎ですが――その転がり方が今ひとつ、という印象が強くあるのです。

 幽霊ならぬ妖怪の正体見たり――というのはともかく、それが地に足の着いたものではなく、そして奇想天外なものでもない。実は○○でした、の中身がベタ過ぎるといえばいいでしょうか……
 もちろんこれは全部のエピソードがそうではないのですが、特に後半2話は、登場する悪人の描写がちょっと驚くほど類型的で、妖怪の存在以上に、悪い意味で浮世離れした内容になってしまった――そんな印象があります。

 舞台設定やキャラクターなど、なかなか好みの作品であっただけに、このあたりは本当に勿体なかった、という印象が残った次第です。


『帝都フォークロア・コレクターズ』(峰守ひろかず KADOKAWAメディアワークス文庫) Amazon
帝都フォークロア・コレクターズ (メディアワークス文庫)

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2018.04.03

山口貴由『衛府の七忍』第5巻 武蔵、二人の「父」との対峙の果てに

 昨年末の『このマンガがすごい! 2018』にランクイン(僭越ながら私も一票投じさせていただきました)し、これまで以上に勢いに乗る『衛府の七忍』。その第5巻で描かれるのは、鬼を斬る者・宮本武蔵編の後半と、そして六人目の怨身忍者・霧鬼編の開幕であります。

 大坂城から落ち延びながらも、落ち武者狩りの無惨に遭い、怨身忍者と化した明石全登の娘・レジイナ。フンガー・ざます・ガンスな感じの三人の供とともに人外と化した彼女に、幾人もの武者を血祭りに上げられた薩摩は、一人の武芸者に望みを託します。
 それこそが宮本武蔵――神童・佐々木小次郎を倒したばかりの彼は、荒っぽすぎる薩摩のぼっけ者たちの試しを難なく乗り越え、相応しい者に絶大な力を与える拡充具足をまとい、チェスト精神で鬼たちに挑むことに……

 というテンションの高すぎる前巻を受けて描かれるのは、武蔵と三人の従者、レジイナ、そして復活した魔人・明石全登との三番勝負。
 武蔵に勝るとも劣らぬ人外の存在との対決は、第4巻とはまた別の意味でのテンションの高さを貫いてみせた名勝負揃いであります。
(特に武蔵が拡充具足を赤sy――いや、石火憑着するシーンはケレン味溢れる名場面!)

 ……が、ここで武蔵の前に立ち塞がる真の敵がもう一人います。その敵の名は、宮本無二――十手術の使い手であり、武蔵の父であります。
 幼い頃から武蔵を辻に立たせ、命を的に銭を稼ぐ毎日を送らせてきた無二。その武蔵の少年時代の描写は決して多くはありませんが、彼が虐待というも生ぬるい扱いをくぐり抜けてきたことは想像に難くありません。

 いま最強の敵・明石全登――十字架を戴き、己の娘の死をも寿いでみせるこの父を前にした時、武蔵が同時に相手にするのは、「十字」を手に、己の息子の「死」を望む「父」の姿。
 この戦いは、既に最強の剣士となったはずの彼が、己の原点を乗り越え、なおも先に進むためのものであった――そう言えるのかもしれません。

 そして個人的に興味深かったのは、明石全登が武蔵を武芸人と呼び、武将からは一段低い存在と見られている点であります。
 無二が剣を既に無用のものと見ていた事も合わせれば、あるいは武蔵もまた、この先の時代に身の置き所のないまつろわざる者であったのかもしれませんが――しかしこの物語の結末において、彼はそれとは正反対の道を歩むことになります。

 「鬼」を斬る者の元祖とも言うべき大吉備津彦命――すなわち桃太郎。伝説の二人の剣豪を率いる彼が、武蔵を「鬼哭隊」に迎えることを暗示して――すなわち魔剣豪の誕生を描いて、この章は終わることになります。


 そして再び主人公は怨身忍者、真正の六番目であろう霧鬼の登場となるのですが――しかしこの章のタイトルは、再びこちらの度肝を抜いてくることになります。その名は――「人間城ブロッケン」!

 いやはや、ここで登場するであろう霧鬼は、本作の怨身忍者たちのモチーフである『エクゾスカル零』に登場するヒーローの一人・武葬憲兵霧。その霧は巨大武者・舞六剣を連れていたことを思えばその登場はむしろ必然、何ら不思議ではありませんが――時代ものの方でむしろカタカナになるネーミングセンスに脱帽であります。

 ……閑話休題、この人間城ブロッケンこそは、かつて武田信玄が三方ヶ原で後の天下人・家康を敗走させしめた武田の奥の手――信玄をその頭部に収める巨大ロボット。
 「人は城、人は石垣、人は堀」は言うまでもなく信玄の名言ですが、この世界においてその言葉の意味はこれであったか! とあまりのセンスオブワンダーぶりに震えるほかありません。

 しかし信玄の死とともにブロッケンは失われ、ただその起動に必要となる軍配のみが、諏訪家に残されるのみ。そしてその諏訪家の現当主・諏訪頼水が、ある娘を見初めたことから物語が動き出すことになります。そしてその娘の素性とは……
 いやはや、これまで数々のまつろわぬ民――徳川政権下で抑圧されることとなる社会集団の人々を描いてきた本作ですが、今度はこの人々か! と驚くほかありません。

 しかし物語の方はまだ始まったばかり、頼水とこの娘――てやが引き起こした波乱に巻き込まれるであろう少年・ツムグがこの先如何なる運命を辿ることになるのか?
 そしていまだ姿を見せぬ霧鬼、そしてブロッケンが如何なる形で登場することになるのか。一山越えてもう一山、先が見えぬ本作ですが、もちろんそれは望むところであります。


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2018.04.02

新井隆広『天翔のクアドラブル』第4巻 真の少年使節として彼らが得たもの


 異能を持つ四人の少年少女が欧州を席巻する悪魔たちと戦うために海を渡る天正遣欧少年使節異聞も、この第4巻にて完結。あまりに残酷な真実を知り、仲間を失いながらもなおも戦い続ける少年たちは、旅の最中に何を見て、何を掴むのでしょうか?

 インドのゴアで、少年使節たちを待っていた恐るべき真実。それは、少年使節を欧州に招いたヴァリニャーノこそが悪魔の僕であり、全ては彼らの力を利用せんとする企てであった、というものでした。
 悪魔が広めた黒死病の特効薬を開発した中浦ジリアンに深手を負わせ、悪魔の群れを率いて襲いかかるヴァリニャーノ。少年たちは、ジリアンがその身を犠牲にしたことで、辛くもその場から逃れるのでした。

 そしてそれから一年後――復讐に燃える千々石ミゲルとジリアンの妹・しゆんは、欧州の悪魔を撃滅する旅の中、強敵メフィストフェレスと対峙。
 しゆんの力を得てメフィストフェレスを撃破したミゲルは、彼女がジリアンの名を継ぐことを認め、ファウスト博士の口からヴァリニャーノと悪魔たちの王――鱗ある終夜の王の居場所を知ることになります。

 一方、伊東マンショと原マルチノは、漂泊の末にセントヘレナ島までやってきたものの、生きる希望を失い自らを侵す毒に屈しようとするマンショに対して、マルチノも打つ手がない状態。
 さらに、悪魔の襲撃を受けたことをきっかけに、その力を暴走させ半ば人ならざる者と化したマンショに対し、マルチノはかつて志能便の里で密かに与えられた使命に直面することになるのですが……


 復讐鬼と化したミゲル、まだ志能便としては未熟なジリアン(しゆん)、絶望に沈み死を目前としたマンショ、己の成すべき使命に戸惑うマルチノ。
 その年齢に比して大きすぎる使命を背負わされた上に全てに裏切られた彼らが、一度は絶望に屈し、そしてそれぞれに立ち上がるのは、やはり最高に盛り上がる展開であります。

 残念ながら連載の都合により、彼らの復活から再結集まではかなり駆け足ではあります。しかし贔屓目に見れば、それとても物語の勢いを減じることはなく――というよりも、盛り上がったままで一気呵成に決戦に突入し、その勢いのまま、最後まで駆け抜け、ゴールを迎えたという印象があります。

 特に最終決戦は、この巻のほぼ半分である5話分をかけてきっちりと描かれており、少なくともこの点においては、ほぼ不足はなく、描くべきものを描いてくれたと感じます。

 もちろん、そうは言っても、あとがきにあるように、本作が作者の当初の想定通りのものを描ききれなかったのは事実でしょう。
 振り返ってみればかなり細かいところまで設定されていたと感じられる世界観も、全てが語られたとは思えませんし、背負った過去などキャラクターたちの掘り下げも、まだ大きく余地があったと感じます。
(特にマルチノはかなり滑り込みで描かれた印象)

 さらに言えば、本作の鬼札とも言うべき信長も、(結末は同じだったとしても)もう少し描き方があったのではないかと思うのですが――しかし、それをここで言うのも詮無い話でありますし、何よりも、本作で描かれるべきものは描かれたと、僕は感じます。


 それは、四人の少年少女の結びつきの変化――冒頭から幾度となく描かれてきた「我ら血は四つに違えど、我ら心は一つに同じ」という言葉に示されるものが、同じ場で育った者たちの共感というものを超え、より大きな想いへと変化し、広がっていく姿であります。
 そしてその想いに近いものを探せば、それはやはり、キリスト教における「愛」と呼ばれるものでしょう。

 キリスト教を奉じる少年使節団とは言い条、実際には戦士として戦う術しか持たなかった少年たち。
 そんな彼らが、その戦いの中で欺かれ、傷つけられながらも、自分が自分であること、そして自分と他者が共に在ることの意味を知り、ついに真の少年使節として「愛」を得て帰還する……それは素晴らしいことではありませんか。
(そしてそれが悪魔の導きによるという皮肉も良い)

 完全な姿を見たかったという想いはもちろんあります。しかしこの物語が、この結末にたどり着いたことをまずは感謝したい――今はただ、そう思うのみであります。


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2018.04.01

正子公也&森下翠『絵巻水滸伝 第二部』招安篇3 絶体絶命、分断された梁山泊!

 web連載の方では最終章「方臘篇」も佳境でどんどんファンの心を折ってくる『絵巻水滸伝』第二部ですが、単行本刊行がスタートしたその序章「招安篇」も、早くもクライマックス。官軍の総攻撃を前に、約束の地・梁山泊から分断されてしまった百八人の豪傑たちの運命は……

 東京を騒がせたことをきっかけに行われることとなった梁山泊への招安。しかしそれは奸臣たちの罠――招安を梁山泊が蹴ったことを契機に、官軍の総力を結集した攻撃が始まることになります。
 しかし攻めてくるのが童貫や高キュウであれば恐るに足らず――と言いたいところですが、そこに現れたのは大宋国各地から集結した十節度使!

 かつては梁山泊同様の賊徒であったものが、招安を受けて官軍に下った節度使たち。いわば梁山泊にとっては同類であり先輩とも言うべき、文字通り一騎当千の猛将は、宋国四天王の一人・聞探花こと聞煥章の計の下に、梁山泊に襲いかかることになります。
 その攻撃の前に後手後手に回ってしまった梁山泊。しかしその反撃がついに始まることに……


 というわけで、この巻の冒頭で描かれるのは梁山泊勢による済州攻め。官軍を束ねる童貫が駐留する済州を落とし、童貫を討てばこの戦いは終わる――そう読んで主力を投入した梁山泊は、得意の奇計で瞬く間に済州を奪ったかに見えたのですが、しかしここからが本当の戦い、本当の地獄が始まることになります。

 既に童貫は済州を脱出してその姿はなく、逆に済州に押し込められることとなった宋江以下の梁山泊軍。そして主力不在の梁山泊は、思わぬ官軍の策によって、水軍の戦力を一気に失うことになります。
 分断された梁山泊軍に襲いかかる節度使軍。さらに、方臘に備えていたはずの宋国水軍の主力・金陵水軍を率いて高キュウまでもが襲いかかり、梁山泊は絶体絶命の窮地に陥ることになります。

 それでももちろん、梁山泊の豪傑たちがそうそう簡単に屈するはずがありません。
 節度使たちの重囲から脱出し、梁山泊に帰還せんとする林冲や呼延灼、関勝。ほとんど船が失われた状況においてゲリラ戦を仕掛ける李俊、張横、阮三兄弟。そして梁山泊を守るべく動き出す盧俊義と呉用。

 いずれも持てる力を尽くす豪傑たちですが、しかし圧倒的な物量と配下の犠牲を厭わぬ官軍の攻撃を前に、彼らの反抗も虚しく……


 前巻の紹介でも述べましたが、原典ではほとんどボーナスステージのようなノリで梁山泊軍が大暴れした節度使や童貫・高キュウとの戦い。
 しかし本作においては敵もさるもの――どころではなく、梁山泊軍は危機また危機の連続。このまま梁山泊が負けてしまうのではないか、という勢いの戦いが、この第3巻丸々一冊を費やして描かれることになります。

 ここで描かれるものは、細部は異なれど原典から大まかな展開は変えてこなかった本作のこれまでの流れからは、大きく外れたようにも思えます。
 これは今にして思えば、「水滸伝」という物語をより説得力ある物語として描くための構成として、大きな意味があることがわかるのですが――しかしそれはもう少し先の話。今はただ、本当にファンにとっては胃が痛い展開が続きます。

 しかしその一方で、戦場で軍として正面からの戦いで力を発揮する姿よりも、圧倒的な敵に知恵と度胸で挑む姿の方が、より梁山泊の豪傑らしい――そんな想いも確かにあります。
 特にこの巻の後半、絶望的な状況から奇策で反撃を挑む水軍勢の姿は、これぞ梁山泊と言うべき、実に「らしい」ものであると言うべきでしょう。

 しかしその反撃も封じられてしまうのが、本作の恐ろしいところなのですが……


 果たして宋江と呉用の最後の策が功を奏するのか、果たして豪傑たちの勝利の歌は響くのか――まだまだ目が離せない展開が続きます。

『絵巻水滸伝 第二部』招安篇3(正子公也&森下翠 アトリエ正子房) Amazon
絵巻水滸伝 第二部 招安篇3


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 「絵巻水滸伝」第1巻 日本水滸伝一方の極、刊行開始
 「絵巻水滸伝」第2巻 正しきオレ水滸伝ここにあり
 「絵巻水滸伝」第3巻 彷徨える求道者・武松が往く
 「絵巻水滸伝」第四巻 宋江、群星を呼ぶ
 「絵巻水滸伝」第五巻 三覇大いに江州を騒がす
 「絵巻水滸伝」第六巻 海棠の華、翔る
 「絵巻水滸伝」第七巻 軍神独り行く
 「絵巻水滸伝」第八巻 巨星遂に墜つ
 「絵巻水滸伝」第九巻 武神、出陣す
 「絵巻水滸伝」第十巻 百八星、ここに集う!

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