渡千枝『黒き海 月の裏』第1-2巻 千里眼少女を襲う運命の荒波
ホラー漫画で活躍してきた作者が、大正時代を舞台に、千里眼の少女と彼女を取り巻く人々の辿る数奇な運命を描いた異色のサスペンスロマン――細谷正充の『少女マンガ歴史・時代ロマン決定版全100作ガイド』で取り上げられた名作の一つであります。
大正時代の熱海で、芸者の母と暮らす少女・夕里。彼女は生まれつきほとんど盲目ながら、幼いころから人には見えぬものが見え、透視や未来予知すら行う千里眼の持ち主でありました。
ある日、その力がきっかけで大病院の娘・環とその兄・隆太郎、そして貿易商の息子・俊樹と知り合い、友人となる夕里ですが、母は身分違いだといい顔をせず――特に隆太郎と環に近づくことを強く禁じるのでした。
しかしその母が、殺人の疑いをかけられ、何故か抗弁もせずに牢に繋がれたことから、母を助けるために念写を使うこととなった夕里。さらに病に倒れた母を救うため、超能力に強い興味を持つ隆太郎の手引きで夕里は東京に出るのですが――そこで彼女は何者かに命を狙われることになります。
ついには誘拐されて横浜のカフェに売り飛ばされる夕里。しかしそこでも優しさを失わず生きる彼女に、周囲の人々は心を開いていくことになります。
やがて隆太郎と再会する夕里ですが、しかし彼は以前と打って変わってよそよそしい態度を見せることに。そして環は俊樹に気遣われる夕里に複雑な感情を抱くようになります。
そんな中、幼い頃から悩まされてきた幻覚――ひたひたと迫る真っ黒な海と廃墟と化した街――がいよいよ強くなるのを感じた夕里は、ついには荒れ果てた街の写真を念写するのですが……
美しい心と容姿を持ちながらも、貧しくハンディキャップを背負った少女が、苦境に負けず強く生きる――というのはロマンスの一つの定番。
本作もその一つと言うべきですが――しかしむしろ、その内容と展開には、懐かしの大映ドラマ的な味わいを感じさせる、波瀾万丈過ぎるものがあります。
幼くして父を失い、母は濡れ衣で投獄されてさらに結核となり、金策のためにカジノに行けばそこで火事に巻き込まれることに。
さらに執拗につきまとう悪徳探偵に誘拐されて横浜のカフェに売られ、千里眼を見せ物にすることになり、そこでも殺人事件と横領事件に巻き込まれて拉致監禁される羽目に……
と、次から次へと苦難と不幸に襲われる夕里。そんな彼女の支えになるのが隆太郎と俊樹、そして環たちなのですが――(大体予想がつくように)やがてその中で三角四角と愛憎が入り乱れ、夕里はさらに苦しむことになります。
その苦しみの何割かは、彼女と母を次々と苦しめ、夕里の命すら狙う隆太郎と環の祖母によるものなのです、しかし何故に夕里はそこまで敵視されなければならないのか……
この辺り、何となく先の展開は予想できるものの、物語の浮き沈みの激しさと登場人物の運命の触れ幅の大きさを前にすれば、こちらはもう感情を鷲掴みにされ、そして思い切り振り回されるほかありません。(ここまで振り回されればむしろ快感に!)
そしてそんな物語を引っ張り、動かし、アクセントとなっているのが、夕里の千里眼であることは言うまでもありません。人の未来を見通し(死期を悟り)、隠された物を見通し、遙か離れた地の出来事を知る――そんな千里眼の力は、目の見えない夕里にとって強い武器とも言えます。
しかしそれは同時に周囲に知られてはならない秘密であり、盲目以上のハンディキャップでもあります。千里眼の女性がその能力の真贋を疑われて命を絶ったのも記憶に新しい中、彼女が千里眼だと知られれば、周囲の好奇の目に晒され、より不幸な目に遭うことは容易に想像できるのですから。
そしてサスペンス色、ミステリ色の強い本作においては、彼女の能力は、普通であればわからぬことを明るみに出して物語を引っ張っていくものであり、そして同時に知ってはならぬことを知ることで新たなドラマを生み出すものでもあります。
この千里眼という本作ならではの特色を様々に生かすことで、物語はより予測できない方向に転がり、否応なしに盛り上がるのであります。
しかし――その物語の先に待つものは何であるのか、その答えこそが「黒き海」なのでしょう。
夕里が予知したそのビジョンが何を指すのか、それは時代背景を考えれば容易に察せられるところですが――さてそのカタストロフを前に、彼女は、周囲の人々はどのような運命をたどるのか。更なる波乱が待つ後半2巻も近日中にご紹介いたします。
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