山本巧次『軍艦探偵』 軍艦の上の日常、戦争の中の等身大の人間
『八丁堀のおゆう』『明治鐵道探偵』と、これまでもユニークな時代ミステリを手がけてきた作者が次に手がけた題材は軍艦――軍艦に探偵といえば、軍事冒険小説的なものを感じさせますがさにあらず。軍艦上で起きる日常の謎をメインに扱った、実にユニークな連作集であります。
アメリカとの開戦も目前に迫る中、短期現役士官制度に応募して海軍主計士官となった池崎幸一郎。戦艦榛名に配属された彼に、補給で運び込まれたはずの野菜の箱が一つ紛失したという報告が入ります。
海軍ではお馴染みの銀蠅(食料盗難)かと思いきや、食料箱の総数には変化はない――とすれば一箱予定になかった箱が運び込まれたことになります。山本五十六連合艦隊司令長官の視察を控えたこの時期、万が一のことがあってはならぬと調査を始めた幸一郎がやがてたどり着いた真実とは……
という第1話の内容が示すように、軍艦上で起きたささいな、しかし奇妙な出来事をきっかけに、その謎を追うことになった幸一郎が意外な真実を解き明かす、というスタイルで(終盤を除けば)展開していく本作。
そこあるのは華々しい戦いでも複雑怪奇な陰謀もなく、真相を知ればなんだと苦笑してしまいそうな「事件」ばかりであります。
そもそも主計士官というのは、会社で言えば総務と経理の役目――つまり基本的に事務方。軍艦や海軍という言葉から受ける格好良くも華々しい――あるいは厳しく危険だらけのイメージとは遠いところにいる存在です。
タイトルの軍艦探偵も、配属される先々の艦で事件に巻き込まれ、仕方なくそれを解決してきた幸一郎に対して冷やかしまじりに与えられた渾名のようなもので、もちろん公式の任務ではないのですから。
しかし、それだからこそ本作は実に面白い。上で挙げたような一般的な(?)イメージとはほど遠いところで展開する本作ですが、しかし冷静に考えてみれば、軍艦だからといって、そして太平洋戦争中だからといって(少なくとも戦争初期は)四六時中戦闘しているというわけではありません。
いやむしろそれ以外の時間が多かったはずであり、そして軍艦という空間の中に数多くの人間が日々を送っていれば、そこに「日常」が生まれることは当然でしょう。
そんな軍艦上の日常という、史実の上でも物語の上でも我々とは縁遠い、しかし確かにかつて存在したものを、本作はミステリという視点から切り取ってみせた作品なのです。
そしてそこに浮かび上がるのは、決して格好良くはない(そして同時に悲劇ばかりではない)等身大の人間たちの姿であります。軍艦探偵という二つ名は持ちつつも、やはりそんな人間の一人である幸一郎だからこそ気付くことのできる真実が、ここにはあります。
しかしそんな日常も、戦況の変化とはもちろん無縁ではありません。そして一種の極限状況に近づいていくにつれて、人間性の表れ方も変わっていくことになります。
本作のラスト2話で描かれるのは、そんなもう一つの現実の姿――そこで幸一郎は、これまで幸運にも出会わずに済んできたものの一つを突きつけられることになります。そしてそれを解決するには、彼をしても長い時間を必要としたのですが……
そんな、ミステリとしても一種の歴史小説としても楽しめる本作ですが、しかし個人的には幾つかすっきりしない点もあります。
その一つは本作に登場する軍艦――全六話に一隻ずつ登場する軍艦の半分が、架空のものであることです。
もちろん同型艦は存在するかと思いますし、確たる資料と根拠をもって作中でも描かれているはずですが――しかし、本作のように明確な史実を踏まえた作品、その史実の中の人間を描く作品であれば、その舞台となる軍艦もまた、全て実在のものであって欲しかったと感じるのです。
そしてもう一つ――それは、幸一郎がその中で生きてきた戦争の姿が――言い換えれば幸一郎がその戦争とどう向き合ってきたかが、ラスト近くまでほとんど伝わってこなかったように感じられる点です。
確かに海軍は陸軍と違い、直接敵と向き合い戦う機会は少ないでしょう(そしてそれが作中ではっきりとある機能を果たしているのですが)。しかしそれでもどこかに敵は――彼らと同じ人間は存在し、それと彼らは戦っているのであります。
本作はそれを描く作品ではない(というより意識して慎重に避けている印象)のかもしれませんが――戦争の中の日常を、人間を描く作品であったとすれば、その点も描いて欲しかったと感じます。幸一郎の身の回りの世界だけでなく、その先の人間の姿も……
もちろんこれは個人的な拘りに過ぎないのではありますが。
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