鳴神響一『飛行船月光号殺人事件 謎ニモマケズ』 名探偵・宮沢賢治、空の密室に挑む
最近は時代ミステリに変形の警察ものと、特にミステリで八面六臂の活躍を見せる作者の新作は、宮沢賢治を主人公とした『謎ニモマケズ』シリーズの第2弾。前作とは大きく趣を変え、空の密室――霞ヶ浦と鹿児島間を往復する飛行船を舞台に展開する連続殺人事件に、賢治が挑むことになります。
昭和5年(1930年)、父親の勧めで本邦初の大型旅客飛行船・月光号の記念飛行に搭乗することとなった賢治。医者・官僚・記者・華族・歌手・財界人――各界の男女が搭乗する月光号に乗り込んだ賢治は、美しい医学生・薫子と親しくなり、楽しい空の旅が始まったと思われたのですが……
しかし離陸から数時間後、乗客の一人・一色子爵が、自室で血塗れの刺殺死体となって発見。しかもその部屋は施錠され、完全な密室となっていたのであります。
さらにいつの間にかその場に残されていた「ハーデース」を名乗る斬奸状と、悪魔のタロットカード。遺体の発見現場に居合わせ、そしてギリシャ神話やタロットの知識を持っていたことから、賢治は月光号の船長から捜査への協力を依頼されることになります。
しかし密室殺人のトリックは見破ったものの、乗客の中に紛れた犯人は依然として正体不明。そして更なる殺人事件が発生、その場にも斬奸状とタロットカードが残されていたのであります。果たして犯人の正体は、そしてその目的は――やがて賢治と乗客たちは、事件の背後の思わぬ因縁と哀しい想いを知ることに……
冒頭に述べたとおり、『謎ニモマケズ 名探偵・宮沢賢治』に続くシリーズ第2弾である本作。といっても舞台設定は前作(大正9年)の10年後ということで物語内容的にはほとんど繋がりはなく(ほんのわずか言及されるのみ)、独立した物語として楽しむことができます。
何よりも、前作がジャンル的には冒険小説であったのに対し、今回はストレートな探偵小説。前作あれこれ言っていた私も大喜びなのですが――これが本当に舞台といい内容といい、ここまでやってくれるのか! と言いたくなるような趣向を凝らした内容なのが嬉しすぎるところであります。
密室ものといえば本格ミステリの花ですが、本作はそれを動く密室――それも空を飛ぶ飛行船として設定。
前年のツェッペリン伯爵号の来日を受けて日本でも旅客飛行船の気運が高まり、月光号の記念飛行が――というのはフィクションだと思いますが、当時としては最先端のテクノロジーであり、かつ優雅な印象がある飛行船というのは、ミステリの現場として実に良いではありませんか。
そしてその空飛ぶ密室の中で起きる事件も、密室の中の密室での殺人に始まり、衆人環視の中での殺人、さらには人間の仕業とは思えぬものまで様々。そこにタロットカードによる見立ての要素まで加わるのですからたまりません。
その博学と論理的思考が理由で、賢治が巻き込まれ方の探偵となるのも面白く、また本作での経験が、賢治のあの名作に繋がっていくという趣向も、定番ではありますが楽しいところです。
しかし本格ミステリゆえ、残念ながらここで物語の詳細に触れるわけにはいきません。それ故、終盤に待ち受ける急転直下の、そして大ドンデン返しの連続の展開に触れること(おそらくはモチーフになったであろう作品ももちろんのこと)ができないのが何とも苦しいのですが……
この展開はアリなのかという気持ち半分、これしかないかという気持ち半分の謎解きは実に楽しく、普段生真面目な印象のある作者の、意外な豪腕ぶりがうかがえたのは大きな収穫でした。
しかし、これは実に作者らしいと感じさせられたのは、本作で描かれた事件の背後に潜むもの、そしてそれを生み出したものと許すものに対する鋭い視線の在り方であります。
終盤において賢治が珍しく怒りを露わにする相手こそは、本作における真の悪なのであり――そしてそれはまた、決して滅びることなく、我々の周囲にも蟠っているものなのでしょう。そしてまた、本作の年代設定にも、ある意図を感じるのも、決して考えすぎではないのではないかと感じるのです。
(さらに言えば、その存在が賢治のある行動へのエクスキューズとなっているのもまた、賛否はあるかもしれませんが、ミステリの構造として面白いところです)
さて、本作で描かれるのは賢治のほぼ晩年の姿であります。この先であれ、はたまた時代を遡るのであれ――名探偵・宮沢賢治の姿をまだ見てみたいと感じるところです。
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