長池とも子『中国ふしぎ夜話』 二人の仙人を通じて描く人間の儚さと強さ
中国ものを得意とする作者が、二人の対照的な性格の仙人を狂言回しに描く中国ファンタジーの連作集――いずれも「それはまだ、光と闇が曖昧だった頃。」という言葉から始まる、人間の心の不思議さ、美しさを描いた物語の数々が収録されています。
それはまだ、光と闇が曖昧だった頃。亡き父の遺言を果たすために旅をしていた青年・陶は、山で行き倒れになりかかっていたところに、一人の美しい容貌の仙人・趙青龍と出会います。しかし大の人間嫌いである青龍は陶を見捨てて去ろうとするのですが――陶のあまりのお人好しぶりに、やむなく助ける羽目になります。
そして陶の旅の理由が、かつて親同士が約束を交わした許嫁と結婚するためだと知った青龍は、お前は人間を信じすぎだとあざ笑うのでした。
それでも相手を信じる陶は、旅の途中に世話をしてくれた貧しくも美しい村娘に別れを告げ、相手の家に向かうのですが――果たして財産もないお前に興味はないと、父娘両方に冷たくあしらわれることになります。
さすがに落ち込んだ陶に対し、見返すために科挙を受けろと命じる青龍ですが……
という物語が第1巻の冒頭に収録された「黄金の石榴」。正直者が馬鹿を見るというのは、生きていれば嫌というほど見聞きするお話ですが、しかしそこに仙人が絡めばどうなるか――仙人が人間嫌いというのがややこしいのですが、そこには心温まるファンタジーが生まれることになります。
ある意味定番の内容ではあるのですが、人間にとって本当に大切なものは何か、という問いかけと、その答えを美しく描き出す様は、やはりグッとくるのであります。
そして第1巻の後半からは、この連作のもう一人の主人公・白石生が登場します。石を煮たものが大好物という風変わりな(そしていかにも神仙譚らしい)個性をもつ彼は、親友の青龍とは正反対で人懐っこい性格。人里近くに暮らし、様々な事件に好んで首を突っ込むという、仙人らしからぬ仙人です。
そんな白石生が何故仙人となったのか、そしてどのように趙青龍と出会ったのかを描くのが、第2巻に収められた中編エピソード「瑠璃の月」であります。
戦乱で親を失い、ただ一人の妹は何処かに金で買われ、天涯孤独となった石生を拾った仙人(その名は左慈!)。彼の推薦で仙人となるための学校の入学試験を受ける羽目になった石生は、全く術も教えられぬ状態で送り出され、大いに苦労することになります。
そしてそこで出会ったのが天才と謳われる青龍。何から何まで正反対の二人は、しかし何となくウマが合い、不器用ながら友情を育んでいくかに見えたのですが――しかし二人の生まれがそれを阻むことになります。
実は青龍は秦生まれ、一方石生はその秦に滅ぼされた韓の人間。秦の侵略がなければ家族を失うことはなかったと、理不尽を承知で石生は青龍に反発してしまうのですが……
友情の脆さと得難さ、そして美しさを象徴する「瑠璃の月」という言葉。危なっかしくも瑞々しい青春を送り、やがてその言葉を地で行くように強い絆で結ばれる二人の姿が強く印象に残る好編です。
そして最終巻の第3巻には、趙青龍の過去が描かれる「天より来る河」を収録。
青龍が人間嫌いとなった理由、それはかつて愛した女性に手ひどく裏切られたため――というのは実は第1話で語られるのですが、彼が仙人を志す前の、まだごく普通の青年であった彼の過去の姿が描かれることになります。
ということは結末は既に明かされているように思えるのですが――そこに一捻りを加えて、人間の生の儚さと、それにも屈することのない人間の愛の強さを描く物語は、これも定番ではありますがやはり素晴らしい。
全3巻を通すと時系列が行き来するのが少々ややこしいのですが(第1巻の第1話第2話が時系列的に最新で「天より来る河」の前半が一番過去)、これも神仙譚らしく、一種の円環構造を成すと言うべきでしょうか。
その他にも一話完結で時に美しく、時に微笑ましい物語を紡ぐ本作ですが、一つだけ個人的に残念だった点は、史実とのリンクがほとんどないことであります。
もちろん、先に述べた「瑠璃の月」のような当時の社会情勢が関わる物語もあるものの、それ以外はいつかの時代、どこかの国が舞台で、以前紹介した同じ作者の『旅の唄うたい』シリーズが史実と密接に結びついた内容であったのに比べると、少々物足りないものを感じたのは事実であります。
もっとも、史実をベースに物語を描けば、『旅の唄うたい』と同工異曲となるわけで、これはまあ、私のわがままではあります。
『中国ふしぎ夜話』(長池とも子 秋田書店プリンセス・コミックス全3巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon/ 第3巻 Amazon
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