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2018.08.31

長池とも子『中国ふしぎ夜話』 二人の仙人を通じて描く人間の儚さと強さ


 中国ものを得意とする作者が、二人の対照的な性格の仙人を狂言回しに描く中国ファンタジーの連作集――いずれも「それはまだ、光と闇が曖昧だった頃。」という言葉から始まる、人間の心の不思議さ、美しさを描いた物語の数々が収録されています。

 それはまだ、光と闇が曖昧だった頃。亡き父の遺言を果たすために旅をしていた青年・陶は、山で行き倒れになりかかっていたところに、一人の美しい容貌の仙人・趙青龍と出会います。しかし大の人間嫌いである青龍は陶を見捨てて去ろうとするのですが――陶のあまりのお人好しぶりに、やむなく助ける羽目になります。
 そして陶の旅の理由が、かつて親同士が約束を交わした許嫁と結婚するためだと知った青龍は、お前は人間を信じすぎだとあざ笑うのでした。

 それでも相手を信じる陶は、旅の途中に世話をしてくれた貧しくも美しい村娘に別れを告げ、相手の家に向かうのですが――果たして財産もないお前に興味はないと、父娘両方に冷たくあしらわれることになります。
 さすがに落ち込んだ陶に対し、見返すために科挙を受けろと命じる青龍ですが……

 という物語が第1巻の冒頭に収録された「黄金の石榴」。正直者が馬鹿を見るというのは、生きていれば嫌というほど見聞きするお話ですが、しかしそこに仙人が絡めばどうなるか――仙人が人間嫌いというのがややこしいのですが、そこには心温まるファンタジーが生まれることになります。
 ある意味定番の内容ではあるのですが、人間にとって本当に大切なものは何か、という問いかけと、その答えを美しく描き出す様は、やはりグッとくるのであります。


 そして第1巻の後半からは、この連作のもう一人の主人公・白石生が登場します。石を煮たものが大好物という風変わりな(そしていかにも神仙譚らしい)個性をもつ彼は、親友の青龍とは正反対で人懐っこい性格。人里近くに暮らし、様々な事件に好んで首を突っ込むという、仙人らしからぬ仙人です。
 そんな白石生が何故仙人となったのか、そしてどのように趙青龍と出会ったのかを描くのが、第2巻に収められた中編エピソード「瑠璃の月」であります。

 戦乱で親を失い、ただ一人の妹は何処かに金で買われ、天涯孤独となった石生を拾った仙人(その名は左慈!)。彼の推薦で仙人となるための学校の入学試験を受ける羽目になった石生は、全く術も教えられぬ状態で送り出され、大いに苦労することになります。
 そしてそこで出会ったのが天才と謳われる青龍。何から何まで正反対の二人は、しかし何となくウマが合い、不器用ながら友情を育んでいくかに見えたのですが――しかし二人の生まれがそれを阻むことになります。

 実は青龍は秦生まれ、一方石生はその秦に滅ぼされた韓の人間。秦の侵略がなければ家族を失うことはなかったと、理不尽を承知で石生は青龍に反発してしまうのですが……
 友情の脆さと得難さ、そして美しさを象徴する「瑠璃の月」という言葉。危なっかしくも瑞々しい青春を送り、やがてその言葉を地で行くように強い絆で結ばれる二人の姿が強く印象に残る好編です。


 そして最終巻の第3巻には、趙青龍の過去が描かれる「天より来る河」を収録。
 青龍が人間嫌いとなった理由、それはかつて愛した女性に手ひどく裏切られたため――というのは実は第1話で語られるのですが、彼が仙人を志す前の、まだごく普通の青年であった彼の過去の姿が描かれることになります。

 ということは結末は既に明かされているように思えるのですが――そこに一捻りを加えて、人間の生の儚さと、それにも屈することのない人間の愛の強さを描く物語は、これも定番ではありますがやはり素晴らしい。
 全3巻を通すと時系列が行き来するのが少々ややこしいのですが(第1巻の第1話第2話が時系列的に最新で「天より来る河」の前半が一番過去)、これも神仙譚らしく、一種の円環構造を成すと言うべきでしょうか。


 その他にも一話完結で時に美しく、時に微笑ましい物語を紡ぐ本作ですが、一つだけ個人的に残念だった点は、史実とのリンクがほとんどないことであります。
 もちろん、先に述べた「瑠璃の月」のような当時の社会情勢が関わる物語もあるものの、それ以外はいつかの時代、どこかの国が舞台で、以前紹介した同じ作者の『旅の唄うたい』シリーズが史実と密接に結びついた内容であったのに比べると、少々物足りないものを感じたのは事実であります。

 もっとも、史実をベースに物語を描けば、『旅の唄うたい』と同工異曲となるわけで、これはまあ、私のわがままではあります。

『中国ふしぎ夜話』(長池とも子 秋田書店プリンセス・コミックス全3巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon/ 第3巻 Amazon
中国ふしぎ夜話 1 黄金の石榴 (プリンセス・コミックス)中国ふしぎ夜話 2 瑠璃の月 (プリンセス・コミックス)中国ふしぎ夜話 3 天より来る河 (プリンセス・コミックス)

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2018.08.30

都戸利津『嘘解きレトリック』第9-10巻 「嘘」を解き明かした先の二人の「真実」


 嘘を「聞く」能力を持つ少女・鹿乃子と、頭は切れるが金はない探偵・祝左右馬のコンビが繰り広げてきたレトロ探偵譚もついに完結であります。左右馬への恋心を自覚した鹿乃子を狙う謎の男・史郎の影。誘拐された鹿乃子を左右馬は救うことができるのか、そして鹿乃子の想いのゆくえは……

 周囲からは忌避されてきた力を持つ鹿乃子を受け入れ、そして生きる道を示してくれた左右馬。彼への想いが、助手から探偵へのそれだけではないことに気付いてしまった鹿乃子の心は、千々に乱れることになります。
 第9巻で描かれるのは、そんな彼女を襲う思わぬ事件――かつて左右馬に降りかかった冤罪事件の関連で現場に向かうことになった二人ですが、その途中、一瞬の隙をついて鹿乃子は誘拐されてしまうのであります。

 その犯人こそは「史郎」――かつて名家の跡取り探しの一件でその名を名乗って現れ、また件の冤罪事件では別の名で鹿乃子の助っ人役を買って出るなど、何かと二人の前に現れる怪しげな美青年であります。
 そして鹿乃子にとっては大いに気になることに、彼もまた嘘を聞く能力を持っている、いや「いた」人物。そして彼が鹿乃子たちに付きまとう理由が、ここで明かされることになります。

 子供時代、捨て子として名前もなくその日を暮らしてきた「史郎」。しかしその能力を知った男・武上に拾われた彼は、翡翠様なる霊能力者に扮して、武上の指示するまま、人の秘密を握り、利用して生きてきたのであります。
 しかしある日その能力は消え、武上も姿を消して再び孤独の身の上となった「史郎」。探していた武上の所在をようやく掴んだ彼は、鹿乃子の能力を使って、武上にあることを問おうとしていたのですが……


 これまで様々な形で二人の前に現れ、そして何事かを企む姿が描かれてきた「史郎」。しかし単純な悪人でも愉快犯でもないその行動には、何とも不可解なものがありました。
 ここで語られることとなったその動機は、実に本作らしい、ある意味非常に人間臭いものであり――そしてやはり嘘と真実の在処を問いかけるものでありました。

 しかしその嘘と真実は、これまでのように人間の心の中のものだけではありません。それはむしろより大きなもの、ある人間の存在にとっての嘘と真実なのであります。
 自分は誰なのか、自分は何をしたらいいのか――それを見失った「史郎」は、あるいは鹿乃子がそうなったかもしれない姿、もう一人の鹿乃子と言ってもよいかもしれません。

 そしてその運命を分かつことになったのが、左右馬の存在なのでしょう。ここにおいて物語は、もう一人の鹿乃子の姿を通じて、鹿乃子と左右馬の間の強い絆を、再びはっきり描き出すのであります。


 さて、この「史郎」のエピソードは第9巻の冒頭から最終第10巻の冒頭まで。それ以降は、再び二人とその周囲の、ある意味「小さな」物語が描かれることになります。
 この辺り、最終巻全体が物語のエピローグのようにも感じられるところですが――しかしこの巻の後半で2話にわたって描かれる左右馬の過去の物語は、重要な意味を持つと言えます。

 孤独だった子供時代から学生時代に至るまで、その勘と推理力の鋭さから、時に周囲に利用され、時に誤解されてきた左右馬。
 それが今の彼の飄々とした態度と生き様を生んだとも言えるのですが――それは同時に、彼もまた、鹿乃子と同様の悩みを抱えてきた人間であるということにほかならないでしょう。(そしてこれは、だいぶ以前に描かれた鹿乃子の予感が正しかったことを示すものでもあります)

 もちろん、鹿乃子と左右馬の縁を、そして二人がこれまで築き上げてきたものを、こうした共通点のみに帰するのは正しくないかもしれません。しかし鹿乃子にとって左右馬がそうであったように、左右馬にとっても鹿乃子の存在が救いであったという「真実」は、物語の結末において大きな意味を持つと感じられます。


 そして最終話、鹿乃子の心に深く突き刺さった過去の棘から彼女が解放されるエピソードをもって、物語は終わりを告げます。
 その先、最後の最後に描かれる二人の姿は、ある意味ひどくあっさりしたものにも思えるかもしれませんが――しかしこれ以上の説明もドラマも不要でしょう。

 最後のコマで語られた「真実」――この物語の結末にふさわしい、美しく嬉しい「その真実」こそが全てなのですから。優れたミステリにして人間の「真実」を描いた名編の完結であります。

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2018.08.29

武内涼『東遊記』(その二) 確かにあった世界で描く人間たちの冒険と希望


 武内涼が中国は唐を舞台に描く一大伝奇絵巻の紹介の後編であります。本作とよく似通った構図の作品とは、そしてその一方で本作ならではの魅力とは……

 その作品の名は、『指輪物語』。これは本作の帯にもその名が挙げられており、自覚的なものではないかだと思いますが、本作の物語構造は、あのトールキンの名作、ファンタジーの中のファンタジーと言うべき『指輪物語』と重なる部分を多く持ちます。

 かつて滅ぼされ、今復活を目論む魔王を滅するため、その象徴的アイテムを火山に投じるという旅の目的。旅には幾人もの英雄・達人が参加するものの、その中心となるのが無力な人物であること。一行の旅を阻むのが、魔王の眷属(すなわち魔物)だけでなく、エゴに囚われた人間たちでもあること……
 『指輪物語』自身、神話的物語に共通的に見られる要素を多々取り込んでいるだけに、ある程度似通ってくるのはむしろ当然ではあるのですが、やはり類似性は相当に高い、という印象はあります。

 しかし本作の驚くべき点は、この構図を、完全に時代伝奇ものの枠の中に落とし込んでいる――言い換えれば、史実によって規定された世界の中に、現実を踏まえた物語として成立させていることです。
 そしてそれこそが、本作をして作者独自の――それも実に作者らしい作品として成立させている所以なのであります。


 本作の舞台となるのは9世紀初頭、唐の皇帝でいえば憲宗が即位したばかりの時代。隆盛を誇った大唐国に大きな爪痕を残した安史の乱から半世紀近くが過ぎた頃です。
 その安史の乱の影響は未だ大きく残り続け、地方では節度使たちが力をつけることにより、唐の支配に服さぬ独立国に近い姿を見せつつあった時代であります。

 そしてそんな背景は、物語にも大きな影を落とすことになります。中央の政治の乱れは地方にはより大きく広がり、そんな中で海燕の祖父は、貧しき人のために心を配りながらも、そのために没落したことが語られます。
 また呂将軍は、武人としてそんな平民たちを守りたいと望みながらも、皇帝一人を守ることのみを命じられ、心中複雑なものを抱えてきた人物として描かれるのであります。

 そんな時代の在り方は、作中において西川節度使の劉闢の反乱という形で最も大きく噴出することになります。そしてそれが海燕一行の旅の中でも最大の障害の一つとして描かれるのを、なんと評すべきでしょうか。
 妖魔の脅威をこの世界から除くべく、いわば人間の代表として旅する海燕たち。その事情を知らぬとはいえ、そして作中では妖魔に唆された設定とはいえ、同じ人間が自分たちを救うために旅する者を苦しめるとは……

 本作において描かれるのは、どこか架空の世界の架空の物語ではありません。本作はかつて確かにあった世界で、確かにあったことを背景に描く物語。そして主人公たちを阻むのは、この世に非ざる奇怪な妖魔であると同時に、同じ人間なのであります。
 それはなんと悲しく、恐ろしいことでしょうか。そこにあるのは現実に存在する人間の心の中の負の側面――恐ろしい憎悪や欲望、嫉妬や絶望の念なのですから。

 そしてそれは決して敵の側だけのものではありません。あまりに強大な敵、遠大な旅を前に、時として挫けそうになる海燕。蚩尤の眼が持つ魔力の前に、一族を追い落とした藤原氏に対する憎悪の念を甦らせる逸勢――負の念は彼女たちの中にもあるのです。


 それでは、この世界には希望はないのでしょうか。海燕たちには主人公の資格はないのでしょうか。

 いいえ、決してそうではありません。どれだけ魔の力が強くても、そしてどれだけ人間が弱く儚くても――決して人間は無力なだけの存在ではない。そして私利私欲のために他人を踏みつけにする者がいる一方で、より人間らしい生き方のために、己の弱さに打ち克とうとする者がいる――そのことを、本作は海燕たちの冒険を通じて高らかに謳い上げるのです。

 そしてそれは、作者がこれまで描いてきた物語――強大な権力や残酷な運命に決して屈することなく、人間の善き心を信じて戦い続けた人間たちの物語に通じるものであることは、言うまでもありません。
 冒険ファンタジーの一類型を用いつつも、その中でどこまでも現実の世界を、そしてより善き人間の理想を描く物語が、本作なのであります。

 実は本作の時点で物語はまだ完結していないのですが――海燕の冒険の旅の終わりが、人間の善き心の勝利が描かれる日を、心から楽しみに待っている次第です。


『東遊記』(武内涼 KADOKAWA) Amazon
東遊記

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2018.08.28

武内涼『東遊記』(その一) 大スケール! 作者初の中国伝奇見参


 忍者もの、伝奇もの、歴史もの――様々なジャンルで活躍する作者の新機軸はなんと中国もの。それもいまだ神話の息吹の残る大陸を舞台に、妖魔の王・蚩尤の復活を防ぐために、はるばる日本に向かう少女・許海燕と、橘逸勢、空海ら彼女を守って戦う旅の仲間たちの冒険を描く奇想天外な物語であります。

 神話の時代、黄帝と激闘を繰り広げた末に倒された妖魔の王・蚩尤。復活を阻むために焼き払われたその体は、しかし二つの眼のみが焼け残り、代々の皇帝の命で堅く封印されていました。しかし9世紀初頭、蚩尤の眼は不気味に咆哮を始め、その復活が近いことを窺わるのです。
 蚩尤の復活を阻み、その眼を完全にこの世から消滅させるには、蟄竜の珠を持つ者によって、東の果ての霊峰の火口に投げ込むしかない――その予言を受けて白羽の矢を立てられたのは、美しい珠を手に生まれたという饅頭売りの少女・許海燕でした。

 突然背負わされたあまりに大きすぎる使命に驚き悩む海燕。しかし両親とこの世界を守るため、この運命を受け入れ、東の果て――日本の富士への旅を決意した彼女に対し、市場で交流のあった日本の留学生・橘逸勢と空海も同行することになります。
 さらに剛勇と仁慈を兼ね備えた呂将軍と正規軍、これまで蚩尤の眼の一つを封じてきた終南山の黄仙人と、同じく峨眉山の少年道士・馬童子を加えた旅の仲間は、この世を救うための旅に出立することになります。

 しかし、海燕の持つ珠に封じられた竜を解き放つ呪文を知る霊獣・白澤は、蚩尤復活を目論む謎の鬼仙・黒屍魔王に封じられ、余命幾ばくもない状態に。さらに彼ら妖魔たちに使嗾された人間たちが各地で一行を妨害する上に、蚩尤の眼の魔力は、眠っていた各地の妖魔たちを復活させることになります。
 次々と仲間たちが倒れ、孤立無援となる中、海燕と逸勢たちは目的を果たすことができるのか……?


 冒頭に述べたとおり、作者にとっては初の中国ものである本作。旅の目的地は日本、そして物語の中心人物にかの橘逸勢と空海がいるとはいえ、読者にとっては馴染みの薄い時代と場所であることは間違いありません。
 しかし、だからといって作品のクオリティが、物語の面白さが減じられるかといえば、もちろん否であります。神話の時代から繰り広げられてきた人と魔の戦いを背景に繰り広げられる物語は気宇壮大、ロードノベル形式というのも、中国大陸という広大な舞台にはぴったりの趣向と言えます。

 そしてキャラクターも、作者がこれまで描いてきたヒロイン像に通底する、無力でも清く強い心を持つ少女・海燕をはじめ、魅力的な人物揃い。
 特に海燕を支える(準)主人公格として設定されている逸勢は、登場した時こそドロップアウト寸前の不良留学生という趣でしたが、海燕を支える中で使命感に目覚め、得意の弓術をはじめとして、一行のリーダーとして成長していくのが印象に残ります。

 さらに、一行を守護する頼もしい武人・呂将軍は、その背負ったドラマもさることながら、ある種の武人の理想像とも言うべき人物像が実に素晴らしい。
 妖魔の脅威や私利私欲の前に屈する人間も少なくない中、ただ牙なき人々のために戦い抜く彼の姿は、実は本作最強の敵・黒屍魔王と鏡合わせの存在であり、二人の対決における将軍の咆吼は、涙なしには読めない名場面と言えます。

 そしてまた、伝奇――というよりファンタジー色を強く感じさせる妖魔たちも、実に個性豊かで、かつ恐ろしい。
 蚩尤の眼の力に反応して各地で復活するキョンシーの群れ(理屈上、どこに行っても現れるのが恐ろしい)、百鬼森に潜んで獲物を狩る不可視の妖魔、呂将軍の仇である人の声を真似る怪鳥・酸与――いずれも妖魔妖怪好きには堪らない存在ですが、圧巻は中盤の山場に登場する相柳氏です。

 節度使の反乱に巻き込まれ、長江の支流を下ることとなった海燕一行。その前に出現した相柳氏は、恐ろしく長大な体の上に九つの顔を持ち、毒の息を吐く妖魔――と、ここまでくれば、もはや怪獣ではありませんか!
 この相柳氏(しかも同時に二匹登場)の大晴れには、ここまでやるか、と大いに驚かされましたが――しかし作者のデビュー作である『忍びの森』は、忍者と妖怪の死闘を描くとは言い条、その中には明らかに怪獣と評すべき存在いたわけで、むしろこれは原点回帰と言うべきかもしれません。


 などと魅力十分な本作ですが、人によってはある作品との類似が気になるかもしれません。その作品の名は……
 と、申し訳ありませんが、長くなりましたので次回に続きます。


『東遊記』(武内涼 KADOKAWA) Amazon
東遊記

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2018.08.27

『つくもがみ貸します』 第四幕「焦香」

 出雲屋に最近顔を出すようになった近江屋の若旦那・幸之助。彼が粋な遊び人として有名なことを知った清次はお紅に近寄らせまいと敵意を燃やし、幸之助の人となりと目的を探るためにつくもがみを宴席に潜り込ませる。しかしそこでつくもがみたちが見たのは、遊び人とは無縁の幸之助の姿だった……

 顔なじみの看板娘・お花がいる馴染みの茶屋で、近頃両国きっての遊び人と名高い近江屋の若旦那・幸之助とすれ違った清次とお紅。その後、幸之助は出雲屋に現れるのですが――何故かお紅に近づくイケメンの若旦那に異様に敵意を燃やす清次は、前々回登場した浜松屋に顔を出した際に、幸之助の人となりを探ります。
 聞けば、幸之助は酒席での金払いもよく人付き合いもいい人物、かといって酒席の女性に手を出すでもなく、金だけ払ってスッと消えてしまう粋さが受けて、行く先々で「煙管の雨が降る」とのこと。しかし一方で、安心させて女性を誑し込むための手管ではないかいう噂もあるというのであります。

 と、お紅一人の出雲屋に現れ、若い娘にはどのような櫛が似合うかなどと尋ねる幸之助。そこに帰ってきた清次がお紅を押しのけて応対するのですが、お紅の脳裏にはかつて自分の前に現れたある男性の思い出が……

 さて、そんな人間たちの様子に興味津々のつくもがみたちですが、五位は幸之助が評判通りの男ではないのではないかと語ります。
 そもそも「煙管の雨が降る」とは、歌舞伎『助六由縁江戸桜』で助六が遊女たちから競って煙管を差し出された時の台詞から来たもの。遊郭などで遊女が気に入った客に自分の煙管を渡し、客もOKであればそれを受け取るというしきたりが由来とのことですが――それはさておき、店で五位を手にした時の幸之助の手つきは、煙管を持ち慣れているとは到底言えなかったというのです。

 そこで幸之助と酒席を共にする浜松屋につくもがみたちを貸し出した清次。酒席を偵察していた五位と野鉄が、粋人とは思えぬ幸之助の態度に、つまらん男だと口走ったら――そこに微妙に良い作画で突然襲いかかる印籠のつくもがみ。しかし躱した野鉄に脚を刈られて転がってった印籠は芸者のおしりに当たって――勘違いした芸者のお姉さんに言い寄られ、目を白黒させた幸之助は、宴席そっちのけで店を飛び出すのでした。

 翌日、道具を返しに来た浜松屋ですが、そこに紛れていたのはあの印籠。焦香と名乗るこの印籠は、幸之助の根も葉もない噂に怒り心頭、実は幸之助は超堅物だとつくもがみたちに語ります。これには興味津々の清次ですが、ここから先は人間には聞かせられないと口をつぐむつくもがみたちに、店を出る羽目になるのですが――そこで幸之助と出会うことになります。
 これまでの非礼を詫びた清次に対して、旦那仲間に付き合いで苦手な酒席に誘われ、角が立たないように金だけ払って先に帰っていたら、こんな評判が立ってしまったと語る幸之助。これでは想い人に声もかけられないと幸之助は嘆くのですが……

 そしてその頃、櫛を磨きながら、お紅は過去の出来事を思い出します。清次とお紅がまだ少し若い頃、店に現れた佐太郎なるイケメンが、店に櫛を持ってきた時のことを。

 と、店に戻ってきた清次と幸之助に、お花に縁談が来ていた(とつくもがみたちから聞いた)と語るお紅。それを聞いて大ショックを受けたのは幸之助であります。そう、彼の意中の女性とはお花――しかしシャイで声をかけられなかった彼は、お花と親しそうな出雲屋に相談しようとしていたのであります。ところが縁談の話を聞かされ、幸之助は一念発起してお花のもとに走って行くのでした。

 しかしこれは実は五位の提案によるつくもがみたちの仕掛け。焦香から真実を聞かされたつくもがみたちは、若旦那を焚きつけるために、わざとお紅にお花に縁談があるなどと空言を聞かせたのであります。煙管は男と女の色恋を焚きつけ、まとめる代物だからな、とキメる五位なのでした。
 ――と、一件落着かと思いきや、ここで浜松屋が、お紅が探す蘇芳の香炉を手に現れます。そう、かつて清次とお紅、佐太郎の前に、佐太郎の母親が持ってきた香炉を……


 またもオリジナルストーリーですが、本作の物語全体に関わる清次とお紅、そして佐太郎と蘇芳の過去が仄めかされるなど、原作を引いた重要な場面も描かれ今回。
 しかし物語の方にはミステリ要素はほとんどなく、清次の一方的な嫉妬と猜疑心が起こした騒動という印象なのがいささか残念であります。

 もっとも、いままでいわば清次たちに利用されていた形のつくもがみたちが、逆に清次たちを利用して――という結末のは実に面白く、本作ならではの人間とつくもがみの関係性が表れていたかな、とも感じます。

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つくもがみ貸します Blu-ray BOX 上ノ巻


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 公式サイト

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 「つくもがみ貸します」 人と妖、男と女の間に

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2018.08.26

山田秋太郎『墓場の七人』第3巻 急転直下の決着!? それでも繋がっていくもの


 墓場村を守るために集められた七人と、生ける死者・屍人たちの死闘もこの第3巻で急転直下決着。墓場村が待ちわびていた公儀の援兵があろうことか住人皆殺しを宣言するという絶望的な状況の下で、最後の戦いが繰り広げられることとなります。そしてその先に一色と七平太を待つ運命とは……

 屍人から墓場村を守るため、七平太ら村長の子供たちによって集められた、一色・邪魅羅・暮威・由利丸・百山・千両箱・椿團十郎ら七人の猛者。緒戦で屍人を蹴散らしたものの、次なる刺客・がしゃどくろ戦で戦力を消耗した一色たちは、墓場村の住人とともに戦うため、隠された武器を探すために村を離れることになります。
 しかしその間に、屍人の恐るべき秘密――屍人に噛まれた者もまた屍人になるという現象により、村人が次々と屍人になっていくことに……

 という絶体絶命の状態から始まった第3巻。自分の肉親や親しい者たちがゾンビに、というのは定番の展開ではありますが、しかし人間の感情としてそれを乗り越えるのは至難の業であります。
 一体どうやってこの窮地を――と思いきや、これまで唯一その能力を明かしていなかった椿團十郎がとんでもない花道を見せてくれるのにひっくり返ったのですが、さてここからが急展開の連続であります。

 この修羅場に、突如墓場村に現れた公儀からの使者を名乗る男・赤舌。そもそもこの墓場村は幕府の直轄、七人の任務も公儀の援兵が到着する十日後までに村を守ることだったのですが――しかし赤舌は村の鏖殺を宣言、しかもこの事態は村長が招いたこととまで言い放つのでした。
 生き延びたければ二日後に村長の首を差し出せと言い残して一端姿を消した赤舌。この事態に村は真っ二つに割れ、村を守るはずの一色も牢に入れられるという、最悪の展開になってしまうのであります。


 これもゾンビものの定番である、閉鎖空間での立て籠もりからの、人間同士の不信と対立。いずれ必ず描かれるであろうと思っておりましたし、また、これまた定番で公儀の援兵というのも絶対怪しいと思っていたところ、こう組み合わせてくるか、と感心させられます。
 ここで普通のゾンビものであれば、あるいは村長が――ということにもなりかねませんが、しかし本作はあくまでもゾンビに屈せず真っ正面から戦いを挑む者たちの物語。この絶体絶命の状況から、一色との絆によって大きく成長を遂げた七平太の下、墓場の七人と村人たちは一致団結して決戦に臨むことになります。

 しかし敵方には、かつて一色の両親を殺し、村を滅ぼした「傷の男」――屍人の将とも言うべき謎の存在が。かくて戦いは、赤舌と彼の配下の三人の鬼佗番、そして傷の男と、一色たちのバトルへと展開することに……


 と、大いに盛り上がるのですが、ここからの最終決戦がわずか3回で描かれてしまうのが非常に勿体ない。当然ながら――とはあまり言いたくないのですが――一つ一つの戦い、一人一人の見せ場はかなり切り詰められた形となってしまい、戦いの果てに散っていく猛者たちのインパクトが薄れてしまうのが、何とも残念であります。
(これくらいあっさりしていた方が「らしい」、というのはさすがに無理があるでしょう)

 もちろんラスト1話前に、一色に関するとんでもない真実が明かされるという展開は悪くありませんし、そこから七平太に「襷」が渡され、屍人には決してできない、人間だからこそできる勝利の形に繋いでいくという展開も実にいいと思います。
 その意味では本作は、きっちりと描くべき
を描いてはいるのですが――やはり駆け足故の描写不足は否めません。

 もちろんこのような形になるには色々と事情もあるのだとは思いますが、随所に光るものがあっただけに、あと1巻あれば――感じてしまった次第であります。


 ちなみに残念といえば、この第3巻は電子書籍のみの刊行。私個人としては電子書籍中心で作品にアクセスしているので、それはそれでいいのですが、しかし発売日の情報がほとんど全く伝わってこないのには弱りました。
(第3巻の紹介に間が空いてしまったのは、そういう事情が――というのはもちろん言い訳なのですが)


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2018.08.25

殿ヶ谷美由記『だんだらごはん』第3巻 再会、温め直す一と仲間たちの想い


 「食」から描くユニークな新撰組物語の第3巻――といっても新撰組誕生はまだもう少し先、この巻では浪士組として上洛しながら、清河八郎の裏切りによって放り出される形となった試衛館組(と芹沢一派)の姿が描かれることとなります。そして総司と再会した斎藤一は……

 幕府に仕える浪士組として活躍するために京に上った近藤・土方・沖田ら試衛館組。しかしその中には、共に汗を流してきた斎藤一はいません。
 江戸出発直前に事件に巻き込まれ、人を斬った彼は一足先に京に流れてきていたのですが――しかし想いは千々に乱れ、成すべきことも見つからずに彷徨うばかりであります。

 が、そんなある日にうどん屋で総司と出くわした一。しかし総司たちは浪士組を裏切る形で江戸に帰ろうとする清河八郎を斬るべく待ち伏せの最中。初めての人斬りに悩む総司に、思わずため込んだ気持ちをぶつける一ですが……


 と、うどん屋という妙なところで気まずい再会を果たした二人の姿から始まる第3巻。ある意味総司のために人を斬る羽目になり、互いにそれがわだかまりとなって残る二人ですが、それよりも目前の人斬りに悩む総司に怒りを爆発させる一――という二人の微妙なすれ違い方には、不思議なリアリティを感じます。

 そして子供みたいな取っ組み合いを演じる二人は、永倉に見つかって八木邸に連行されて、そのまま一はなし崩し的に一行と共同生活を始めるのですが――しかし当時の彼らは無職。とりあえず八木邸の家事を(もちろん食事の支度を含めて)こなすしかない、というのが哀しくもおかしい。
 それでも何とか芹沢の伝手をたどり、会津候に嘆願書を提出することになった元浪士組の面々の中に、ついに一も加わることに……


 第1巻のラスト以来、約1巻半ぶりに試衛館組と対面することになった一。ずいぶんと久々ですが、それだけに彼が再び「仲間」に戻る――と思っていたのは実は彼だけで、皆の中ではずっと「仲間」だと思っていた、というのもいいのですが――のはなかなか感慨深いものがあります。

 そのくだりも、「茶飯」――朝に米を炊く江戸と異なり、前日の昼に米を炊く京で、前日の冷えたご飯を食べるために茶飯にするという風習(?)を、「冷めたごはんもおいしく変えられる」=過去は変えることができるという象徴に使うというのも、本作らしくて実に良いと思います。
 その一方で、一天万乗の君が、経済的な窮乏から碌なものを食べていない、とビジュアルで見せる展開も面白く、そこから(やっぱり前巻のあの人物だった)松平容保が天下を安んずるためには新たな力が必要、と決意させるのもまたうまいと感じます。

 さて、そんな中で互いの望むところが一致し、めでたい宴席を経て会津藩預かりとなった元浪士組ですが――しかしそれで万事丸くいくわけではありません。
 試衛館組の台頭を面白く思わぬ殿内義雄が、会津藩に認められた彼らに一方的に嫉妬した上に近藤暗殺を計画(!)、それを知ってしまった土方と総司は、殿内粛正を決意、ついに総司も人を斬ることに……


 と、今回も緩急(基本的に前者)を織り交ぜつつも、重い部分はきっちり重い本作。一が初めての思わぬ人斬りの衝撃で刀を抜けなくなってしまった一方で、自ら望んで人を斬った総司はどうなってしまうのか、気になるところであります。
 そして時期的には新撰組結成前夜、ということは、おそらく次の巻辺りではあの人物が――と、まだまだ楽しい展開の合間に、ズンと重い展開が差し挟まれることになりそうであります。

 正直なところ、面白い部分はもちろん多い一方で、殿内の言動の雑さなど、時代ものとして、物語として、粗削りな部分は目に付くきます(松平容保まで月代剃っていないのはもう諦めるとして)。
 それでもなお、やはり「食」を切り口とした青春もの要素多めの新撰組ものというのは珍重すべき存在であり――この先も頑張って欲しいと思います。


『だんだらごはん』第3巻(殿ヶ谷美由記 講談社KCxARIA) Amazon
だんだらごはん(3) (KCx)


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2018.08.24

篠原烏童『明日は死ぬのにいい日だ』 天狗と山賊と――風変わりな二人が結んだ友情

 嵐の後、とある宿場町の浜に流れ着いたネイティブ・アメリカンの青年。地元の山賊の頭領・力王丸と宿の名主の娘・おいとに助けられた青年は「天狗」と呼ばれ、力王丸と行動を共にする。しかし謎の「白い幽霊」と彼を追う八州廻りの出現により、力王丸たちの周囲はにわかに騒がしくなって……

 作者の作品には時代ものも幾つか含まれますが、本作はその一つ。時代劇にネイティブ・アメリカンを持ち込むというユニークなアイディアと、彼を取り巻く人間群像が魅力の作品であります。

 物語の舞台は19世紀初頭の、江戸から遠くない宿場町。そして物語の中心となるのは、近くの山を根城とする山賊(といっても不良少年グループに毛が生えたような印象)を率いる青年・力王丸と、背が高いのがコンプレックスの娘・おいと、そして彼らに「天狗」と呼ばれるネイティブ・アメリカンの青年の三人であります。

 白人の友に裏切られて故郷を奪われ、自らは売り飛ばされて船に乗せられた天狗。嵐の晩に日本近海にやってきた彼は、守護鳥の導きで難破寸前に海に身を投じ、一人生き残ることになります。
 言葉が通じぬためそんな事情は知らないながらも、天狗の実直さを信じた力王丸は、持ち前の気っぷの良さもあって彼を自分たちの仲間に入れ、成り行きから半ば仲間のようになったおいとも、二人に惹かれていくようになるのでした。

 が、それとほぼ時を同じくして、町の周囲で目撃されるようになった「白い幽霊」。その正体は、ある目的を持ってこの浜にやって来た白人と見紛う姿の青年・雅丸だったのですが――彼は力王丸と意外な関係を持つことが明らかになります。
 しかし雅丸を切支丹と睨んで執拗に追う八州廻りが現れ、狩り立てられる力王丸の一党。さらにおいとの両親も思わぬ形でこの一件に関わっていたことから、彼女も力王丸と行動を共にすることになります。

 そんな中、天狗は雅丸の姿にかつての忌まわしい記憶を蘇らせるのですが……


 ネイティブ・アメリカンと行動を共にした作家、ナンシー・ウッドの著作のタイトルで知られるようになった「今日は死ぬのにいい日だ」という言葉。ネイティブ・アメリカンの死生観を表す言葉として印象的なこの言葉が、本作のタイトルのモチーフであることは言うまでもありません。
 しかし何故「今日」ではなく「明日」なのか――それは作中で明確に描かれるためにここでは伏せますが、そこにあるのは、友を信じる若者たちの清々しい心意気であり――その姿を描くことこそが、本作の主題であると言っても良いでしょう。

 本作の登場人物たちは、ほとんど皆(自覚があるかないかを問わず)何らかの秘密や過去を背負った者たち。力王丸や天狗だけでなく、雅丸やおいとたちも――皆それぞれに、重いものを背負って生きているのであります。
 自分自身ではどうしようもないような巡り合わせや運命の悪戯で、そんな重荷を背負わされた人々は、苦しみながら生きるしかないのでしょうか? 本作はそれが否であることを、力王丸と天狗、人種や国籍や言葉の壁も関係ない二人の姿を中心に、高らかに謳い上げるのであります。


 単行本全3巻と分量的にはさほど多くないこと、そして――これはこれで大いに感心させられるところではあるのですが――一見無関係に見えた登場人物のほとんど全員(天狗も含めて!)が、実は一つの因縁で繋がっていた、という展開など、どうかなあと思うところはあります。
 しかし重い物語にも負けない登場人物たちの明るさとバイタリティ(これを体現する作者の絵柄も実にいい)には得難い魅力があります。

 何かと不自由な時代を舞台にするからこそ描ける、自由の物語――爽快な後味の、愛すべき作品であります。


『明日は死ぬのにいい日だ』(篠原烏童 秋田書店プリンセスコミックスデラックス全3巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon/ 第3巻 Amazon
明日は死ぬのにいい日だ 1 (PRINCESS COMICS DX)明日は死ぬのにいい日だ 2 (プリンセスコミックスデラックス)明日は死ぬのにいい日だ 3 (PRINCESS COMICS DX)

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2018.08.23

芝村涼也『穢王 討魔戦記』 天保篇第一部完 恐るべき敵との決戦の果てに……


 鬼を狩る者たち・討魔衆と、奇怪な異能を持つ鬼たちの死闘を描く『討魔戦記』も、本作を以て天保篇第一部完結。前作で被った大きな痛手を癒やす間もなく、奇怪な人魂が引き起こす事件を追う討魔衆は、鬼たちの背後に潜んでいた恐るべき敵との決戦に挑むことになります。

 七年に一度現れては奇怪な「子」を産む「母」鬼との死闘の末、精鋭集団である二つの小組の一つである弐の小組が壊滅し、その戦力がほぼ半分になるという大打撃を受けた討魔衆。その結果、一亮の所属する余の小組も、戦力として駆り出されることとなります。
 そんな中、気分転換に両国の川開きに出かけた一亮と早雪、健作と桔梗ですが、一亮が奇怪な気配を感じた直後に原因不明の将棋倒しが発生、その中で早雪が神隠しに遭って姿を消してしまうのでした。

 鬼たちの力を増幅する力を持つ早雪が姿を消したことで懸念と疑惑が広がる討魔衆。果たして江戸では奇怪な人魂が人々を襲い、溺れ死にさせるという事件が続発することになります。
 壱の小組が出動して事件を追うものの、それをあざ笑うように次々と出没する人魂たち。その騒動は、一連の怪事件を追ってきた老同心・小磯を引き寄せるのでした。

 そして早雪の処遇も定まらぬまま、決戦を決断する討魔衆。穢王なる謎の敵との死闘の行方は……


 ある日突然、人間が異能と残虐性を露わにして他の人間たちを襲う現象「芽吹き」。それによって生まれる鬼たちと討魔衆の戦いを、鬼を察知する力を持つ少年・一亮と、鬼や討魔衆の存在を知らぬまま事件を追う町奉行所の同心・小磯の視点を中心に本シリーズは描いてきました。
 第四作であり、冒頭に述べたとおり第一部完結編である本作においても、その基本構成は変わることがありません。

 市中で起こる事故とも偶然の連続とも見える人死にの背後で暗躍する鬼たちと、その鬼異能を見破り、倒さんとする討魔衆の戦い――そこにはもちろん伝奇ものらしい派手さはあるものの、同時に極めてリアルな手触りとなっているのが、本作らしいというところであります。
 特に鬼が引き起こす怪現象の奇怪な内容と、その手がかりや規則性、正体や弱点を見破るまでの丹念な積み重ねは、これまで怪異と日常性を巧みに縒り合わせて物語を(も)描いてきた、作者ならではの魅力と言うべきでしょう。

 本作においてはその怪現象は、人間を襲う奇怪な人魂の怪なのですが――日常の中にふと入り込んでくる怪異の描写が丹念に行われれば行われるほど、その恐ろしさと不可思議さ、そしてそれと両立する奇妙な現実感は際立つのであります。


 しかし――ここで厳しいことを言えば、本作の内容は、これまでの物語と大きく異なるものではない、という印象もあります。
 確かにこれまでになく強大であり、そして自分の意志を明確に持つ敵・穢王の存在が、本作の特色ではあるものの、その意図が討魔衆に(そして読者にも)伝わることはなく、結局謎のままで終わってしまうことで、物語にあまり前進が感じられず、もどかしさのみが残るように感じられるのです。

 そしてこのもどかしさはそもそも、一亮と小磯、あるいは討魔衆の上層部、さらに言えば鬼も――それぞれの勢力が持つ情報と意図が作中でほとんど交錯しないことにより、読者に与えられる情報も極めて限定的になっている点に起因しているように感じられます。
(さらに言えば、一亮があまり自分の感情を表さないキャラクターなのも大きいと感じます)
 もちろんそれこそが本シリーズの特色であり、特に一亮と小磯という対照的な視点から物語を描くことが、物語を盛り上げてきたのは間違いないのですが……

 確かに、物語には謎があってしかるべきですが、四作かけてほとんど謎が謎のままとなっている印象で、個々のエピソードやディテールは面白いのですから、そろそろ大きく動き出して欲しい――それが正直な気持ちであります。


 冒頭に述べたとおり、本作は天保篇第一部完結編とのこと。天保篇ということは別の時代も描かれるのか、第一部ということは第二部も当然あるのか――それはまだわかりませんが、物語が大きく動き出した時、本シリーズの全貌が明らかになるのでしょう。
 その時が少しでも早く来ることを期待したいと思います。


『穢王 討魔戦記』(芝村涼也 祥伝社文庫) Amazon
穢王 討魔戦記4 (祥伝社文庫)


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2018.08.22

川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第8-9巻 劉邦を囲む人々、劉邦の戦の流儀


 「項羽と劉邦」の戦いを、張良の視点から見た新解釈で描く本作も、早くも単行本の巻数は二桁目前。しばらく物語は項羽サイドを中心に描かれていた印象がありますが、この第8、9巻では、再び劉邦と張良の活躍が描かれることになります。が、もちろんその戦いの道のりは決して平坦ではないのですが……

 項梁が章邯率いる秦軍の前に思わぬ敗死を遂げ、混沌とした状況となった抗秦の戦い。その中で恐るべき「狂」の力を発揮した項羽は、(窮奇のフォローはあったものの)七万の楚軍で二十万の秦軍を破るという大勝利を挙げ、一気にその名を高めることになります。

 が、もちろん秦との戦いはそれで終わったわけではありません。この戦いにあたっては、項羽が奉戴する楚王・懐王により、一番先に関中――秦の都たる咸陽一帯に入った者をその地の王とする、と宣言されている以上、先に関中に入ったものが「あがり」なのであります。
 一度は敗れたとはいえ章邯はいまだ健在、項羽が章邯と対峙している間に、するりと関中に入ってしまえば――という漁夫の利を狙うのが、ある意味劉邦らしいといえばらしいところであります。

 が、もちろんそれがそうそううまくいくはずもありません。主力ではないとはいえ、咸陽を守る軍が弱兵であるはずもなく、しかも戦力差はまだまだ大きい。そしてそもそも劉邦はそれほど戦に強くなく、何よりも張良は韓の地で韓王を奉じて戦っている最中――とくれば、迷走しない方が不思議であります。
 かくて、あちらの敵軍にちょっかいを出し、こちらの城を攻め、そのたびに反撃を食らっては這々の体で逃れる――ということになるのでした。

 と、そこに颯爽と帰還したのは張良であります。項羽とも見紛う巨漢にして韓王家の傍流の血を引く姫信(韓王信)と援軍を伴って駆けつけた張良は早速秦軍を一蹴。さらに関中を目指すため、堅牢で知られる函谷関を避け、より南にある、そして手薄な武関を攻めるべし、と的確な指示を下すのです。
 さすがは主人公、張良が劉邦の側にいる時の安心感は相当のものがあります。……側にいる時は。

 ここのところの連戦で体調を崩したこともあり、一端劉邦と別行動を取ることになった張良。そんな中でもしっかり策は残していったのですが――張良の言を容れるのに躊躇わない劉邦は、同時に他の人間の言を容れるのも躊躇わず、そのために思わぬ窮地に陥ることに……


 というわけで、実に危なっかしい、見ようによっては何だか楽しい劉邦軍の戦いが描かれることになるこの2巻。前巻の鬼神の如き項羽の暴れっぷりに比べると、お人好しでお調子者の劉邦の頼りなさは、あまりに対照的に映ります。
 しかし対照的なのは将本人の姿だけではありません。将を囲む人々の姿――それこそが二人の大きな違いであるとわかります。

 范増という軍師はいるものの、基本的にその強さは項羽自身の武威に依る楚軍。前巻で嫌というほど描かれたその姿は、今回も項羽が韓信の献策を一蹴することで明確にされていると言えます。
 それに対して劉邦の軍は――本人の人柄と言うべきか、何ともユルい。将としての威厳・威圧感のなさもさることながら、元々が任侠の仲間たちであるためか、彼と配下の面々との距離感は、非常に近いことは間違いありません。

 それは彼が強く信を置く張良との関係にも現れているところであり、それがこれまでの、そしてこれからの劉邦の躍進に大きな影響を与えることは間違いありませんが――本作におけるそれは、項羽と劉邦の間の違いを象徴しているようにも感じられます。

 そしてまた、その違いが今回取り上げた巻では随所に現れていると言えるでしょう特に蕭何の地道な兵站(そこには張良の策があるものの)が勝利に繋がるくだりは、項羽と劉邦の戦の流儀の違いとも直結する内容で、感心させられたところであります。


 そして、こうしたキャラクター描写の妙に加えて、これまでも何度も述べてきたように、「史記」の数行の描写の行間を読む作者の努力――には、基本的にあとがきを読むまでは読者は気付かないのですが――が本作の面白さを支えていることは言うまでもありません。
 特に第8巻のあとがきに記された、張良と劉邦の合流場所については、作者の拘りが物語の起伏に直結する形で昇華されていて、改めて感心させられたところであります。


『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第8-9巻(川原正敏 講談社月刊少年マガジンコミックス) 第8巻 Amazon/ 第9巻 Amazon
龍帥の翼 史記・留侯世家異伝(8) (講談社コミックス月刊マガジン)龍帥の翼 史記・留侯世家異伝(9) (講談社コミックス月刊マガジン)


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2018.08.21

楠章子『夢見の占い師』 まぼろしの薬売りが怒り、悲しむもの


 前作『まぼろしの薬売り』から5年後に刊行された待望の続編――明治初期の日本を舞台に、人里離れた村々に薬を届ける時雨と小雨の師弟が出会った事件の数々を描く物語です。が、本作の後半では少々意外な展開が……

 未だ近代化の波が及ばない僻地を訪れては、人々に薬を与える「まぼろしの薬売り」こと時雨と、その弟子・小雨。世にも美しい青年である時雨と、元気いっぱいの少年である小雨には、それぞれ隠された過去がありましたが――今は二人で人々に希望と元気を与えるために旅を続ける毎日であります。
 前作は全四話構成の連作短編集といった趣の作品でしたが、本作も基本的な構成はほぼ同様であります。

 第一話「野ざらしさま」の舞台となるのは、医者や薬師が必要ないという海辺の小村。他所とほとんど交流がないというこの村を訪れた二人は親切な夫婦に歓待されるのですが、小雨が食あたりで倒れ、薬も効かない状態で苦しむことになります。
 そこで村に伝わる万病を治す存在・野ざらしさまを頼ろうとする夫婦ですが――しかしその正体は意外なものであったのです。

 そして第二話「赤花の人たち」は、不治の病と恐れられる赤花病の患者が捨てられる山中の村を舞台とした物語。そこで暮らすのは、みな捨てられた元患者たち――実は病は完治するものでありながら、伝染を恐れる人々に追われた彼らは、一つの共同体を作って暮らしていたのであります。
 その村を訪れた時雨と小雨は、途中で赤花病を発症した幼い少女と出会うのですが……

 共同体を維持するために、か弱いものを犠牲にせざるを得ない人々を描く第一話、周囲の人々の偏見の目によりやむなく隔離された環境で生きざるを得ない人々を描く第二話――いずれもそこで描かれるものは、近代化以前の、因習や迷信に囚われた者たちの姿ではあります。

 しかしそれは決してこの時代のものだけではなく、様々に形を変えて現代に通じるものであることを、我々は知っています(特に第二話のモチーフが何かは明白でしょう)。
 ここで描かれるのは過去の物語であるだけでなく、現在の現実――そんな重く苦い(もちろんそれだけではないのですが)味わいは、前作同様と言えるでしょう。


 一方、前後編的な内容である後半の「さるお方」「奇跡の子ども」は、前半とは少々変わり、伝奇的味わいすらある内容です。

 謎の一団によって攫われた小雨。かつてなみだ病なる奇怪な病で家族や周囲の人々を全て失いながらも生き延びた彼は、「奇跡の子供」と呼ばれ万病に効く「薬」として狙われていたことから、小雨を救うべく時雨は奔走することになります。
 しかしその前に現れたのは、かつて時雨を広い、医術を仕込んでくれた師にして老忍びの雷雨。手違いで配下の者が小雨を攫ってしまったと語る雷雨は、時雨を自分たち忍びが暮らす村に迎えるのでした。

 そこで周囲から丁重に扱われていたのは、白い髪と白い肌を持った少女・ユキ。夢によって将来を占う力を持つユキは、雷雨たちの主にとって大事な存在なのですが、体が弱く、日の光の下では暮らせぬ身だったのです。そんな彼女と仲良くなった小雨は、何とか彼女を救い出そうとするのですが……

 前作では時雨の背景として描かれる程度であった、雷雨と忍びたちの存在がクローズアップされるこのエピソード。そこに明治初期という時代背景と「国」という存在を絡めることによって、物語は意外なスケールの大きさを見せることになります。

 しかしあくまでも物語の中心にあるのは、一人の人間の命の重さと尊さ、儚さ。そしてその命を守り、癒やすための犠牲は許されるのか、という問いかけであります。
 もちろん、その問いに簡単に答えが出せないことは言うまでもありません。いかに優れた腕を持ち、「まぼろしの薬売り」とまで呼ばれるとはいえ、時雨もただの人間。全ての病を治すことはできず、そしてそのためにあらゆる手段を用いようとする人々の心は、誰よりもよくわかっているのですから。

 しかし、それでも守らなくてはいけないことが、許してはいけないことがあります。物語の結末で時雨が語る言葉――弱者の犠牲を当然とする世界に対する怒りと悲しみの念は、それを知る時雨の口から出るからこそ、この上もない重みを持って感じられます。
 そしてその時雨だからこそ、人の命を救うという重圧を背負いながらも、旅を続けられるのだと、理解できるのです。

 そんな時雨と、時雨を支える小雨の旅路をこの先も読んでみたい――そう感じさせられる佳品であります。


『夢見の占い師』(楠章子 あかね書房) Amazon
夢見の占い師


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2018.08.20

時代伝奇大年表更新

 古代から太平洋戦争期までの、ある年に起きた史実上の日本・世界の出来事と、小説・漫画等の伝奇時代劇その他フィクションの中の出来事、人物の生没年をまとめた虚実織り交ぜ年表「時代伝奇大年表」を更新いたしました。

 今回の更新で追加した作品名は以下の通りです(登場順)。
『あをによし、それもよし』『東遊記』『望月のあと』『岳飛伝』(北方謙三)『ハーン 草と鉄と羊』『あまねく神竜住まう国』『百鬼一歌 都大路の首なし武者』『信長を生んだ男』『BABEL』『勾玉の巫女と乱世の覇王』『蝶撫の忍』『別式』『近松よろず始末処』『江戸城御掃除之者!』『鬼変 討魔戦記』『ふりむけばそこにいる』『Dearホームズ』『ルパン・エチュード』『ゴールデンカムイ』『星影の伝説』『水晶の涙雫』『惜別の祝宴』『謎ニモマケズ』『飛行船月光号殺人事件』

 いささか追加した数は少ないのですが、今回は以前からご要望をいただいていた、年表上の作品タイトルからブログの作品紹介記事にリンクを張りました(張っていないのは未紹介の作品――こちらはまたいずれ)。作品参照の参考になればと幸いです。



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2018.08.19

『つくもがみ貸します』 第三幕「撫子」

 道具を引き取るために訪れた蜂屋家で、勝三郎の許嫁の早苗から母親への不満を聞かされたお紅。何とか早苗と母親の仲を修復したいと考えるお紅だが、清次は早苗から引き取られた簪のつくもがみ・撫子から、お紅が一目惚れをしていると聞かされて気が気ではない状態で……

 婚礼も近い早苗の道具を引き取るため、蜂屋家の屋敷を訪れたお紅。と、ここで早苗の質問という形で、火事が多く地方出身者の多い江戸の人々は道具を持つという習慣がなかった――と、損料屋の客について説明が入ります。こういう形で馴染みのない当時のことが説明されるのはなかなかよいですね。
 それはさておき、今回早苗が大事にしていた道具を売るというのは、母親のおたつが原因の様子。最近、早苗に厳しく接しているようなのですが……
 そういえば、彼女がかつて懸想していた相手がいたことが第1話のエピソードの遠因となったわけですが、早苗はあの時のことは若気の至りの一目惚れだったと既に回想モード。と、そんな彼女に、自分も一目惚れには心当たりがあると漏らすお紅ですが――それを聞いていたのが、早苗の道具の中の簪・撫子であります。彼女はそのことを出雲屋のつくもがみたちと対面した時に漏らしてしまい、清次は心中穏やかではないのですが……

 そこで何も知らぬお紅が、前回触れられた勝三郎の茶会で使うため、早苗に扇子を用意して欲しいと依頼、さらについでのように、早苗と母親の間を取り持ってほしいと無茶振りするのでした。そこで蜂屋家を訪れる清次ですが、今度は早苗の他におたつも現れ、ギクシャクした母娘の関係を目の当たりにする羽目になります。そしてその後少し表に出た早苗に、自分とお紅との関係を語る清次。姉といっても血はつながっておらず、日本橋生まれのお紅の家が大火で焼けてしまい、深川の清次の家に引き取られたと。今回初出の大事な情報ですが、そんな二人の微妙な関係を知らない早苗が、清次もお紅も、それぞれちゃんと結婚するのだろう、などとゴリゴリ清次の精神を削るようなことを言うのですが……
 さて、屋敷に戻ってきた清次の前に再び現れたおたつ。自分が早苗に厳しく当たる(ように見える)理由が、これまで主人のことで手一杯で、これまで早苗に十分に接することが出来なかった分、婚礼前に武家の妻として必要なことを教えたかったから――と、彼女は清次に語ります。これに対して、早苗様もお使いになるうちに婦人向けの道具の良さもわかるでしょう、損料屋はそのための学びの場と思い下さい――などと如才なく答える清次は見事に商売人であります。

 さて、弟が奔走している間、嬉しそうに出かけていくお紅。一目惚れと関係あるのだろうと気になるつくもがみたちは、小芝居でプレッシャーをかけて、唯一自由に移動可能な野鉄をお紅の偵察に送り出します。その後も勝手なおしゃべりを続けるつくもがみたちですが、撫子が何かと話題に上る「蘇芳の人」のことを訪ね、うさぎが説明してしまいます。蘇芳とは高価な香炉であり、その持ち主である日本橋の大店の若旦那のことであると。イケメンで人当たりも良いその若旦那は、お紅に惚れていたにも関わらず、急に彼女の前から消えてしまったと……
 そんなうさぎの無遠慮な語りを耳にして清次は思い切り動揺し、さらにそこに暗い表情でお紅が帰ってきて、店の中はお通夜のような雰囲気に。皆に責められて落ち込んだうさぎは、その晩、自分は(当時の主な用途の)髪を飾るための櫛ではなく、持ち主の母娘が髪を梳かすために使われていたものであり、その際に二人がよく会話していたのが自分がおしゃべりになった理由なのかも、と野鉄に語るのですが――それを聞いていた清次に閃くものがあったようです。

 翌日、蜂屋家を訪れた清次は、おたつと早苗の前で、彼女たちそれぞれの気持ちを語ってしまうというストレートな挙に出るのですが――そこで持参したうさぎの櫛を見せて、その来歴などを語ったことがきっかけで、かつてうさぎの持ち主がそうであったように、母娘は楽しく語らい、お互いの気持ちを通わせるのでした(もちろん、仲立ち役になったうさぎの気持ちも晴れたことでしょう)。
 そしてお紅の一目惚れの相手も、町で見かけた櫛のことだった、とわかって清次も一安心するのでした。


 前回同様、オリジナルエピソードの今回。すれ違う母娘の気持ちとうさぎの抱えた屈託を同時に解決する展開は、いささか直球に過ぎる印象はあるものの、現代とは少々異なる櫛の使い方を軸にした解決はなかなか面白いところ。随所に物語全体に関わる重要な情報が挿入されていたのも印象的に残ります。

 しかし本作、全般的に武家が商人にえらくフレンドリーな印象で、その辺りはもう少し丁寧に描いてもよいのではないか……とはずっと気になっているところではあります。
 あと姉さん、微妙に無神経に見えるので視聴者のヒートを買わないかが心配です。


『つくもがみ貸します』Blu-ray BOX 上ノ巻(KADOKAWA) Amazon
つくもがみ貸します Blu-ray BOX 上ノ巻


関連サイト
 公式サイト

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2018.08.18

東村アキコ『雪花の虎』第6巻 川中島直前 去る命、集まる命


 掲載誌の休刊という奇禍に見舞われたものの、無事に移籍した女長尾景虎(上杉謙信)伝の最新巻であります。北上を企てる武田晴信との決戦を控えつつ、にわかに慌ただしさを増していく景虎の周囲。そんな中、彼女の最愛の存在が、ついにその命を燃やし尽くすことに……

 武田晴信との思いも寄らぬ遭遇を乗り越え、いずれ来るであろう彼との激突を腕を撫して待つ景虎。しかし天文21年は無事に明け景虎は春日山城の者たち、そして嫁いだ姉・綾、そして景虎との家督争いに敗れた形で隠居した兄・晴景とともに、一時の平和な時間を過ごすことになります。

 しかしそんな中でも不穏な影は彼女たちに迫ります。晴景の近くに潜んでいた武田家の草――山本勘助によって送り込まれた忍びが、景虎が女姿で晴景のもとを訪れたことを知ってしまったのであります。
 一人これを察知した晴景は、病身にも関わらず、単身これを阻もうとするのですが……


 長尾景虎が女性、という奇想天外かつキャッチーなアイディアがまず印象に残る本作ですが、同時に、景虎と彼女の周囲の家族の姿を、一種ホームドラマ的に描く点もまた、特徴と言うべきではないか――私はそう感じてきました。

 その要素は、景虎が武将として独り立ちし、長尾家の当主となったことで薄れてきた面は否めませんが、しかしそれでももちろん、肉親との関係が断ち切られるわけではありません。
 特に「男」同士であり、心ならずとはいえ家督を争うことになった兄・晴景との関係は、(他の作品で描かれる)他の戦国武将の兄弟関係とは、また大きく異なるものとして描かれていた印象があります。

 戦国時代の「家」というシステムに規定されざるを得ない彼女たちであった――それゆえにまさに二人は家督争いを「演じ」ざるを得なかったのですが――ものの、しかしそこにあったのは、どこまでも文弱ながら心優しき兄と、剛健にしてしかし時に不安定な立場に揺れる妹が、互いに気遣う姿。
 そんな二人が互いを想い、そして自らの身の上を想う姿は、本作を大きく特徴づけるものであったと感じます。そしてこの巻において、兄が妹に遺したものを見れば、それが最後まで全うされたというほかありません。


 さて、長尾家がそのような状況である一方で、「外」の世界では戦国の激動がいよいよ本格化。
 北条氏康の圧力に押された関東管領・上杉憲政が国を捨てて越後に落ち延び、さらに武田晴信を二度にわたり大敗させた(そして景虎と出会うきっかけを作った)村上義清もまた越後に走り――否応なしに長尾家と越後は戦乱の真っ只中に置かれることになるのであります。

 この辺りの窮鳥を懐に匿ってしまう景虎の態度を、彼女の女性性から来る優しさの表れとして描くのは、個人的には違和感がないでもないのですが、ギャグも交えつつ描かれる(これは作品の全般に渡るところではあります)その姿は妙な説得力がある――と言えるかもしれません。
 何はともあれ、武田の村上攻めの報を受けた家臣たちが「虎様…それは…」「また来ますぞ。」という辺りなどの呼吸は実に楽しく、緩急の付け方のうまさはやはりこの作者ならではなのだなあと、もう何度目かになる確認をした次第であります。

 ちなみに女性性といえば、景虎が女性と知れば途端に口説きにかかる村上義清の気持ち悪さは(いかに外見はナイスミドルとはいえ)実に印象的で、いかにもありそう――と思いつつ、この先彼女が晴信らとはまた別に戦っていかなければならないものの大きさを垣間見せてくれたのも出色と言うべきでしょうか。


 さて、この巻のラストでは、その義清の登場をきっかけにいよいよ第一次川中島の戦いが勃発。武将としての景虎と晴信の関係性が如何に描かれ、変化していくのか――今後も楽しみな作品であります。


『雪花の虎』第6巻(東村アキコ 小学館ビッグコミックススペシャル) Amazon
雪花の虎 (6) (ビッグコミックススペシャル)


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 東村アキコ『雪花の虎』第4巻 去りゆく兄と、ライバルとの(とんでもない)出会いと
 東村アキコ『雪花の虎』第5巻 肉体のリアルを乗り越えるために

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2018.08.17

「コミック乱ツインズ」2018年9月号

 お盆ということでか今月は少々早い発売であった「コミック乱ツインズ」誌の2018年9月号。表紙は『仕掛人藤枝梅安』、新連載は星野泰視『宗桂 飛翔の譜』であります。今回も印象に残った作品を一つずつ紹介していきましょう。

『宗桂 飛翔の譜』(星野泰視 監修:渡辺明)
 『哲也 雀聖と呼ばれた男』の星野泰視による新連載は、江戸時代に実在した将棋名人・九代目大橋宗桂の若き日の活躍を描く物語であります。

 1775年、十数年前から「名人」が空位となっている時代。亀戸の将棋会所を営む桔梗屋に敗れた不良侍・田沼勝助が、家宝の大小を奪われる場面から物語は始まります。
 初段の免状を笠に着て、対局相手に高額の対局料を要求するという博打めいたやり口の桔梗屋から刀を取り戻すため、茶屋で出会った若い侍の大小を盗んだ勝助。その大小をカタに再戦を望む勝助ですが、彼を追ってきた侍が代わって桔梗屋と対局することに……

 と、言うまでもなくこの若侍こそが大橋宗桂。素人をカモにする悪徳勝負師を主人公が叩き潰すというのは、ある意味ゲームものの第一話の定番と言えますが、今回はラストに宗桂が勝負を行った本当の理由がほのめかされるのが興味を引きます。
 ちなみに田沼勝助は、かの田沼意次の三男。後世に事績はほとんど残っていない人物ですが、それだけに今後の物語への絡み方も楽しみなところです。


『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 宿敵たちの陰謀で尾張徳川家に狙われることとなった聡四郎。橋の上でただ一人、多数の刺客に狙われるという窮地に、謎の覆面の助っ人が現れ――というところから始まる今回、冒頭からこれでもかと派手な血闘が描かれることになります。
 己に勝るとも劣らない剣士の出現に、敢えて一放流の奥義を見せる聡四郎と、それに応えて自らも一伝流なる剣の秘技を見せる謎の男。二人の今後の対決が早くも気になるところですが――しかしその因縁は、師・入江無手斎の代から続くものであることが判明します。

 かつて廻国修行の最中、浅山一伝斎なる剣客と幾度となく試合を行った無手斎。いずれも僅差で無手斎が勝負を収めたものの、いつしか一伝斎は剣士ではなく剣鬼と化し、無手斎の前に現れて……
 こうしたエピソードは剣豪ものであればさまで珍しいものではありませんが、一種の官僚ものとも言うべき本作に絡んでくると、途端に異彩を放ちます。あの無手斎までもが恐れる一伝流に対し、紅さんのためにも一歩も引かず戦うと決めた聡四郎――いよいよこの章も佳境に突入でしょうか。


『政宗さまと景綱くん』(重野なおき)
 政宗最大の危機とも言うべき、伊達家包囲網と最上義光との対決。そんな中で政宗の母であり、義光の妹である義姫は、戦を止めるために単身戦場のど真ん中に乗り込んで――と、漫画みたいな(漫画です)前回ラストから始まる今回は、なんと主人公の一人である政宗不在で進むことになります。

 もちろんその代わりとして物語の中心にいるのは義姫。無茶苦茶のようでいて意外としたたかな行動を見せる彼女の姿を、振り回される周囲の人々も含めて浮かび上がらせ、その先に彼女が動いたただ一つの理由を描くのは、もう名人の技と言いたくなるような印象であります。
 そんな中で、義光の口から真に恐るべき相手――豊臣秀吉の名を出して今後に繋げるのも巧みなところ。……秀吉? かつて描かれた(というか今も描かれている)秀吉は、やたら体が頑丈で、奥さんの料理が殺人級の人物でしたが、さて。


『用心棒稼業』(やまさき拓味)
 あてどなく旅を続ける浪人三人組の物語、今回は終活こと雷音大作の主役回。御炭納戸役を辞して炭焼きとなった旧友を十年ぶりに訪ねてみれば、その旧友は……
 というわけで、今回は暴利を貪る御炭奉行と炭問屋から、炭焼きたちが焼いた備長炭を守るために戦う三人組。正直に申し上げて今回の悪役の類型ぶりはちょっと驚くほどなのですが、その悪役たちに対して怒りを爆発させる雷音の表情は衝撃的ですらあります。

 激流を下る小舟の上での殺陣といういつもながらに趣向を凝らした戦いの末、悪役を叩き潰した雷音の決め台詞も、ちょっとそれはいかがなものかしらと思わないでもありませんが、これはこれでインパクト十分で良し、であります。


「コミック乱ツインズ」2018年9月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2018年9月号 [雑誌]


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 「コミック乱ツインズ」2018年5月号(その二)
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 「コミック乱ツインズ」7月号(その一)
 「コミック乱ツインズ」7月号(その二)
 「コミック乱ツインズ」2018年8月号

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2018.08.16

『つくもがみ貸します』 第二幕「梔子」

 古美術商の浜松屋から、店の掛け軸の絵が夜毎入れ替わるという相談を受けた清次。店のつくもがみたちを使って調べた清次は、掛け軸たちがつくもがみであり、美しい女性のつくもがみを巡り、一番を決めるために争っていたことを知る。女性の正体に思い当たった清次は一計を案じて……

 早速オリジナルストーリーの第2話のタイトルは「梔子」――赤みがかった黄色を月の色に見立てたものか、出雲屋のつくもがみの一人・月夜見の主役回でもあります。

 前回登場した佐々木勝三郎の紹介で店を訪れた古美術商の浜松屋から、損料屋の仕事ではなく相談事を受けることとなった清次とお紅。店の掛け軸の絵が、夜毎変わっているというのですが――これは損料屋の仕事ではないと清次が断ろうとするところをお紅がホイホイと引き受けてしまったため、仕方なく清次は浜松屋に行くことになります。

 と、先々代から伝わるというその掛け軸だけでなく絵巻物や絵草紙まで、見てみれば確かに中の絵がおかしなことになっていたのであります。
 源氏物語の中の光源氏は虎と戯れ、その虎と戦っていたはずの加藤清正は鶴と一緒に桃太郎の絵巻物の中に現れ、その絵巻物で犬猿雉を従えているのは源義経で――果たして誰がすり替えているのか、妖の仕業なのか、浜松屋は夜が明けると掛け軸の絵が変わっている原因を突き止めて欲しいというのでした。
 これは面白いと今回はノリノリのつくもがみたちを浜松屋に貸し出して調べようとする清次ですが、その時に合わせ、蘇芳という香炉を探してほしいと浜松屋に依頼するお紅。むしろこれこそが彼女の目的のようでしたが……

 何はともあれ、浜松屋の蔵に潜り込んだつくもがみたちが見たのは、源義経(というか牛若丸)に加藤清正(何だか原作イラストの三木謙次タッチなのがおかしい)、さらに光源氏が、最も優れた男を競い合う姿。どうやら一晩中争った末に、朝になって慌てて戻ろうとして、戻る先を間違えていたのが今回の騒動だったのです。
 日頃掛け軸としての自分に誇りを持っている月夜見は、同胞たちのそんな醜態に怒り心頭、さらに大した事のない掛け軸――というようなことを言われて大爆発を起こすかと思えば、何故か巻物に戻ってしまうのでした。と――そんなところに現れたのは一人の美しい女性のつくもがみ。どうやらつくもがみたちは彼女を巡って争っていたようですが、彼女は周囲の騒ぎに構うことなく、窓から外を見つめて憂いの表情を見せるのでした。

 さて、そんな状況を把握したものの、さすがに浜松屋に真実をそのまま話すわけにいかず、悩む清次。浜松屋から帰って以来、月夜見の様子もおかしいのですが、それをスルーしようとする清次にお紅は不満げです。
 それはさておき、本業の仕事で勝三郎のことを訪れることになった清次。茶会で使う花器を探しているという勝三郎ですが、茶会といえば掛け軸は付き物、清次は満月の掛け軸――すなわち月夜見の正体――の意味合いについて訪ねます。満月の掛け軸は秋の、それも夜にしか使えないが、しかし本物の月が出ているのにわざわざ掛け軸を出す必要もない――と、実は満月の掛け軸は用途に乏しいと語る勝三郎。これまで色々なところで使われてきた自慢してきた月夜見ですが、実はそれは嘘、あまり使われなかったという劣等感の現れであったことを、清次は知ります。

 そして勝三郎の花器を店で探している時に竹の花器を見つけ、あることに気づいた清次は、浜松屋に今晩掛け軸を指定した場所にかけて欲しいと頼むのですが……
 その晩も蔵の中に現れ、窓から外を見る美女のつくもがみ。しかしその晩、窓の外にあったのは輝く満月――の掛け軸。言うまでもなくこれは月夜見、美女の正体が竹取物語の絵物語のかぐや姫であること、そして植木のために窓から外が、空が見えなくなっていたことに気づいた清次の図らいであります。

 果たして蔵のつくもがみたちの争いも収まり、月夜見の面目も保たれて一件落着。そして清次は浜松屋から、満月の掛け軸は実は風流な使い方ができる(その具体例がなかったのはちょっと残念)ものだと説明を受け、さらに月夜見が狩野永徳の叔父のものであったと聞かされ、譲って欲しいと言われるのですが――損料屋はあくまでも品物を貸すもの、お売りできませんということで、今回は一件落着であります。


 冒頭に述べたとおり、原作にないオリジナルストーリーの今回。事件に人間側の事情はほとんど全く関わりなく、品物=つくもがみ側のみで物語がクローズするのは、ちょっと原作の方向性とは異なるかな、という印象はあります。
 ちなみに前回は野鉄、今回は月夜見と、このアニメ版は出雲屋のつくもがみたちの悩みも同時に解決していくという趣向なのかな……?

『つくもがみ貸します』Blu-ray BOX 上ノ巻(KADOKAWA) Amazon
つくもがみ貸します Blu-ray BOX 上ノ巻


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 公式サイト

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2018.08.15

響ワタル『琉球のユウナ』第2巻 二人にとってのもっともやりにくい「敵」!?


 15世紀末の琉球を舞台に、人ならざるものと交流する力を持つ朱色の髪の少女・ユウナと、後に琉球王朝の黄金時代を築く尚真王・真加戸の交流を描くユニークな漫画の第2巻であります。王として日々奔走する真加戸の力になるべく奮闘するユウナですが、二人の前に思わぬ「敵」が現れて……

 その容貌と力から、幼い頃より周囲に疎まれ、二匹のシーサーの他は友達もなく孤独に暮らしてきたユウナ。そんなある日、お忍びで城を抜け出してきた真加戸と出会ったことから、彼女の運命は大きく変わることになります。
 王位継承時の因縁から、何者かの呪いを受けていた真加戸をその力で救ったユウナは、真加戸に気に入られ、半ば強引に都で暮らすことに。大切な「友達」である真加戸のためにユウナも奮闘するうち、二人の距離は徐々に縮まって……

 と、実に甘々な(しかしユウナがコミュ障のためになかなか進展しない)二人の姿を描く本作。
 尚真王・真加戸は実在の人物であり、薩摩の侵略を受ける以前の古琉球において、50年にも渡り王位にあって黄金時代を築いたと言われる人物ですが、本作はその彼が王位についたばかりの時代、まだ十代の少年王の姿を自由に脚色して描くことになります。

 文字通り少女漫画の「王(子)様」である真加戸ですが、まだ年端もいかぬうちに、当初王になるはずであった叔父を心ならずも押しのける形で王となったこともあり、その心の中には巨大な孤独を抱える人物。
 高い身分にありながらも孤独な人物を、特殊な力を持ち天真爛漫な女性が支えるというのは古今東西の物語で見られる構図ですが、それをこの時代の琉球を舞台に設定してみせることで独自性を生み出してみせる物語には、相変わらず感心させられます。

 琉球王家と言えば、王を神力で支える聞得大君という女性の存在が思い浮かびますが、それはまさに尚真王の時代に誕生した制度――ということで、その初代となる(であろう)人物も登場。
 しかし、もしかしてユウナのライバル!? と思いきや、これがちょっと切なくも微笑ましい人物造形で、これも本作らしいアレンジとなっているのが楽しいところです。


 しかし楽しいばかりではいられないのが王という身分であります。

 先に触れたように、本来であれば王位につけなかったかもしれない(少なくとも違う形でついたと思われる)だけに、真加戸はより相応しい王たらんと、懸命に振る舞ってきたことが語られます。
 しかしこの物語の時代の琉球は、強大な力を持った貴族が各地に存在し、王といえども彼らの力を借りねば統治できない状況。そもそも、彼の父である初代王は、同じ尚姓を持つ先代王家から簒奪する形で王となった(第二尚氏王朝)のですから……

 そんな不安定な状況においては、いかに王といってもそうそう好きには振る舞えません。ましてや人間だけでなく、人ならざる妖怪や神霊が存在するこの世界においてはなおさらでしょう。
 こうした状況だからこそ、ユウナの活躍の余地もあるのですが――しかしこの巻においては、二人の前に思わぬ「敵」が立ちふさがることになります。

 ある時は奸臣と結び、またある時は妖怪を操り――ことあるごとに真加戸の治世に横やりを入れ、王の器にあらずと民衆を扇動する謎の男・ティダ(「太陽」の意)と、彼に協力する術者・白澤。
 この巻を通じての「敵」であり、ラストで明かされるこのティダの正体は――なるほどこうきたか、と思わされるようなある種の説得力を持つ存在であります。

 そんな真加戸の存在を揺るがしかねない相手であると同時に、「敵」であっても「悪人」とは思えない彼らの姿、彼らなりの事情をユウナが知ってしまうという――という展開が実にうまいところで、とにかく、二人にとっては最もやりにくい存在と言うべきでしょう。

 真加戸の権威も、ユウナの神力も純粋さも通用しない――そんな相手にいかに立ち向かうのか? 最大の武器は二人の絆、のはずですが、まだまだ波乱は続きそうであります。


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2018.08.14

せがわまさき『十 忍法魔界転生』第13巻 決戦、十兵衛vs武蔵 そして十兵衛は何処へ


 長きに渡り繰り広げられてきた柳生十兵衛と魔界転生衆の戦いもこれにてついに完結であります。魔界転生衆で最後に残ったのは、名実ともに最強の剣豪・宮本武蔵――果たしてこの強敵に十兵衛は如何に挑むのか? そして決戦の果てに待つものは……

 十兵衛に魔界転生衆を六人まで倒され、さらに乗り込んできた松平伊豆守に圧倒された徳川頼宣。追い詰められた末に宗意軒の甘言に乗せられた頼宣は、お雛とお縫を使って魔界転生を行うことを決意するのですが――ーしかしそんな中、一人不穏な動きを見せるのは宮本武蔵であります。
 あろうことか自らの主である頼宣を見限り、頼宣らの企てを手土産に松平伊豆守に接近して徳川本家への仕官を狙う武蔵。その意図を知った宗意軒を一撃で叩き潰した武蔵は、様子を窺っていた柳生十人衆最後の二人をも叩き斬ると姿を消すのでした。

 そんな非常事態とはつゆ知らず、自らの手でもってお雛とお縫を忍体と化し、頼宣を転生させようとしていたお銭。しかしその場に現れた荒木又右衛門――いやその扮装をした十兵衛の妨害に遭い、その簪を手裏剣としてのダイナミックなアクション(これが実にインパクトのある構図で良いのです)で十兵衛に挑むも、もちろん叶うべくもありません。
 そして二人娘は無事に救い出した(けれどもはだかんぼうで放っておく)十兵衛の叱咤に、そしてかつて魔界転生衆に討たれた三達人の願いに打たれて頼宣も観念し、ここに紀州を舞台とした奇怪な陰謀も終結したのであります。

 が、そこに現れたのは武蔵に斬られたはずの二人衆。文字通り死力を振り絞った二人が十兵衛に伝えた武蔵の行動は、彼に大きな衝撃を与えます。この武蔵の暴走こそは、十兵衛のこれまでの苦労を、三達人の願いに応えて紀州徳川家を守ろうとした苦心惨憺の日々を無にするものなのですから。
 かくて最大の敵を止めるため、最後の戦いに挑む十兵衛。場所こそ違え、名前は同じ舟島――すなわち武蔵が佐々木小次郎を斃した島――に武蔵をおびき寄せた彼は、かつての決闘の如く十兵衛を粉砕せんとする武蔵の前に立つのですが……


 七人の魔界転生衆を討つべく柳生を旅立った時には、十兵衛と三人娘に弥太郎、そして柳生十人衆と賑やかだった一行。しかし十人衆は全て斃れ、今では三分の一の人数となったあまりにも寂しい姿が印象に残ります。

 十兵衛は久々の「んふっ」笑いからの獰猛な表情で「おれはおれ 柳生十兵衛だ」と実に格好良い見得を切ったものの、しかし相手は宮本武蔵。決闘の地が舟島と知り、かつての小次郎との決闘を反芻してもはや勝った気になっている状況です。
 もっともこれこそが十兵衛の策――これまでの戦いがそうであったように、絶対的に有利な状況にある相手を戦いの場に引っ張り出し、逆転の布石を打つのが本作の十兵衛の先方ではありますが、しかし今回はあまりに相手が悪いとしか言いようがありません。

 十兵衛勝つか、武蔵が勝つか――その死闘がいかなる決着を見せるのか、その詳細は伏せますが、その果てに描かれる結末は、二つの点で、いささか意外に思われる方も多かったのではないでしょうか。
 一つは、この大作のフィナーレとは思えぬ寂寥感溢れるものであったこと。そしてもう一つは、原作とはいささか異なる描写であったこと――この二つの点において。

 前者は原作由来(というよりこのラストバトルの元ネタである吉川英治の『宮本武蔵』由来と言うべきでしょうか)であるから仕方ないとして、後者は何故か……?
 これはもちろん想像するしかないのですが、この『魔界転生』という物語が、血湧き肉躍る剣豪オールスター戦であり、そしてこれまでに小説や講談等で描かれてきた剣豪もののパロディであったのと同時に、彼ら剣豪の、そして剣豪たちの時代への鎮魂歌であると考えれば、この結末も大いに頷けるものではないでしょうか。

 さらに言えば、これまで十兵衛が戦ってきたのは、既に時代の遺物となりかけていた――そして魔性の者となってもその運命に逆らおうとした――剣豪たちでした。
 そして作中でその剣豪たちによって、同志として魔界転生衆に誘われたように、十兵衛もまたその剣豪であるとすれば――彼は自分で自分の仲間たちを斬り、その果てに最後の一人となってしまったとも言えるかもしれません。

 だとすれば、ラストシーンの十兵衛の表情の意味は、そしてこの先十兵衛は何処に向かうのか……


 『十 忍法魔界転生』――原作そのものの内容だけでなく、その先にあるものまでも描き出してみせた、見事な漫画版でした。


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2018.08.13

9月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 いつまで続くとも知れぬ猛暑、いや酷暑に悩まされる毎日ですが、それでも少しずつ時間は流れ、もうすぐ今年も三分の二が終わろうとしています。それはそれで恐ろしい話ですが、しかし新しい月が来れば新しい物語に出会える! というわけで9月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 想像以上に充実していた8月に比べてしまうと、さすがにいささか分が悪い印象は否めない9月。
 しかしそれでも刊行予定には様々な作品が並び、特に文庫小説は注目の作品揃いであります。

 まず新作では、平谷美樹の『鉄の王』シリーズの外伝第1弾『伝説の不死者』が登場。本伝はまだ一作しか出ていない――というのはさておき、鉄という魅力的な題材だけに楽しみです。
 そして好調の武内涼の新作は、『はぐれ馬借』シリーズの第2弾『はぐれ馬借 疾風の土佐』。最近出版界では室町ブームですが、本作も室町時代を舞台に、諸国往来自由の馬借たちが繰り広げる冒険が描かれます。

 また、フレッシュな作品としては、永山涼太『八幡宮のかまいたち 江戸南町奉行・あやかし同心犯科帳』(おそらく『南町奉行所御預 化物憑物改方』のタイトルでネット書店等に掲載されていたものと同じかと)、須垣りつ『あやかし長屋の猫とごはん』が気になるところ。
 特に後者は悲運の第2回招き猫文庫大賞出身者だけに応援したいところであります。

 そして光文社文庫からは、今月発売された第一弾に続く本格ミステリ×忍者という奇想天外なアンソロジー『忍者大戦 赤ノ巻』が登場。
 その他、富田祐弘『桶狭間決戦 歌舞鬼姫』と鳴海丈『あやかし小町大江戸怪異事件帳 どくろ舞』といった脚本家出身のベテランの作品にも期待です。

 また復刊・文庫化では、山本周五郎の児童向け作品『秘文鞍馬経』が登場するのが嬉しいところ。その他、名作『風神秘抄』の続編/後日譚である荻原規子『あまねく神竜住まう国』、実はかなり骨太の時代伝奇小説である葉室麟『鬼神の如く 黒田叛臣伝』が要チェックであります。


 一方漫画の方はかなり点数が少ないのですが――何といっても最も注目すべきは和月伸宏『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚・北海道編』第1巻。よかった、本当によかった……

 そして人気作品の最新巻としては、山口貴由『衛府の七忍』第6巻、野田サトル『ゴールデンカムイ』第15巻、かどたひろし『勘定吟味役異聞』第4巻、梶川卓郎『信長のシェフ』第22巻と、続きが楽しみで仕方ない作品が続きます。


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2018.08.12

宇野比呂士『天空の覇者Z』第16巻 さよなら天馬、運命の覇者!

 ネモらの犠牲により辛うじて復活した天馬。一度は絶望しながらも仲間たちの支えで再び立ち上がった天馬は、アンジェリーナとともに出撃、リヒトホーフェンとの最後の対決に勝つ。そして仲間たちの最後の策・重力の嵐作戦でヒトラーを外側の世界に弾き飛ばした天馬は、最後の戦いに臨む……

 需要無視で続けてきた全巻紹介もついにこれでラスト、最終第16巻であります。ついに純獣性細胞を手に入れ、空間と時間を超越した万有之王と化したヒトラーに瞬殺された天馬。彼をZに連れて帰るためにJは致命傷を負い、そして体内にごく僅かに遺された獣性細胞を天馬に移植してネモも倒れ――こうして命をとりとめた天馬は、自分を復活させることなどなかったと一時は荒れるのですが、しかし乙女モード継続中のベイルマンの涙の意味を知り、立ち直ることになります。
 しかしその間もヒトラーと一体化したレーベンスボルンは、刻一刻と変化と成長を続けていきます。果たしてこの怪物に打つ手はあるのか――が、そこにウェルが、極めて可能性は小さいながらも唯一の逆転の策を提示します。その名は「重力の嵐作戦」……!

 その第一段階として、M奪取に出撃する天馬とアンジェ、そしてウェルとクブリック、エリカたち。しかし天馬の前にはブーメランを思わせる形状の機体・赤い閃光号を駆るリヒトホーフェンが立ち塞がります。ウェルたちを行かせレッドバロンと真っ向から激突する天馬。赤い閃光号のジェットエンジンと、天翔馬号4号機最後の切り札・ロケットエンジンと――共にオーバーテクノロジークラスの機体の激突の最中、リヒトホーフェンの中に、これまで失われていた感情が蘇っていきます。しかし一瞬の交錯の末に被弾した彼は笑顔を浮かべ、爆発の中に消えるのでした。

 一方、Mに乗り込んだウェルとクブリックは何とかM砲を復旧、作戦のスタンバイにつきます。が、そこでレーベンスボルンに異変が――何とZとMを収めたレーベンスボルンは天空に浮上、既に軌道上に在ったのであります。そこから地球全土に純獣性細胞をまき散らし、地球全土に感染させる――そうして生まれる彼の意思の下に全てが一つとなった美しい世界、まさしく創世(ジェネシス)こそがヒトラーの目的だったのであります。
 もはや一刻の猶予もない中、重力の嵐作戦を発動するウェルたち。Mに残ったウェルとクブリックによって発射されたM砲は、五個の反重力砲弾をガトリングのようにばらまき、これに対してZもZ砲とG砲を同時発射! 閉鎖空間で入り乱れ、弾き合う反重力球は、やがて周囲の時間と空間を歪め、ついに3度目の世界変容を引き起こしたのです!

 これこそがウェルをはじめとするZの仲間たちが人知を尽くした最後の策、この世界では全能と化したヒトラーを倒すため、世界変容を人為的に創り出し、この世界の外側に弾き飛ばす――ちゃっかり生きてバカンスしていた最初に扉を開けし者も(もちろん読んでいるこちらも)賞賛するほかない、見事な作戦であります。
 そして「者」とアンジェを立会人として、ついに始まる天馬とヒトラー最後の決闘。反則級の能力は封じられたものの、それでもヒトラーは天馬を圧倒するのですが――そこで天馬の中の獣性細胞が活性化し、彼に思いも寄らぬほどの強大な力を与えるのでした。そう、獣性細胞を極限まで活性化させ、ついに消滅させる流星の剣の力が、天馬の中の獣性細胞を活性化させたのであります。

 そして見開きページの連続を通じて互いの全力を尽くして繰り広げられる死闘(この時、背景でキリアンとマルセイユの因縁、そして何よりもアンジェの過去など、本編では語られなかった情報が散りばめられているのが面白い)。しかし勝負を決したのは、生きている者・命を落とした者――これまで関わってきた全ての人々に支えられた天馬でした。しかし渾身の一刀を受けたにもかかわらず、最後の力で天馬に襲いかかるヒトラー。彼の中に呑み込まれ、吸収されたかに見えた天馬ですが――天馬は逆にヒトラーを受入れ、彼を完全に消滅させるのでした。


 そして全ての戦いが終わり、運命の覇者となった天馬。その力で以て天馬が望んだ世界とは、その先に待つものは……
 正直に申し上げれば、個人的にはこの結末だけは好みではないのですが、しかしこれ以外の結末はないのは事実でしょう。

 新たな世界において、傷つくこともなく命を落とすこともなく平和に楽しく暮らす天馬たち登場人物の姿をただ一人見つめるアンジェ。全ての記憶を残した彼女が寂しく立ち去ろうとした時――新たな冒険が始まることになります。
 全てが終わり、新たに生まれた先でも冒険は続く――本作にはまことに相応しい結末と言えるでしょう。

 『天空の覇者Z』、ここに大団円であります。
 宇野比呂士先生、16年遅れですが――素晴らしい作品をありがとうございました。


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2018.08.11

賀来ゆうじ『地獄楽』第3巻 明かされゆく島の秘密、そして真の敵!?


 不老不死の仙薬を求め、地獄とも極楽ともいうべき奇怪な孤島に送り込まれた十人の死罪人と、監視役の十人の山田浅ェ門。死罪人同士の、死罪人と浅ェ門との、そして彼らと怪物たちとの殺し合いが繰り広げられた末に、ついにこの島の秘密の一端が姿を現すことになります。そして真の敵たちもまた……

 赦免と引き替えに、不老不死の仙薬を手に入れるために謎の島に送り込まれた死罪人たちと浅ェ門たち。しかし彼らを待っていたものは、人間を花に変える奇怪な蟲たちと、禍々しい姿と力を持つ巨大な怪物たちでありました。
 さらに、一つしかないと思われる仙薬を巡るライバルを消すために、あるいは監視役を潰して自由になるために、互いに潰し合いを始める死罪人たち。死闘の末にこの巻の冒頭の時点で生き残っているのは、5人の死罪人と6人の浅ェ門――実にほぼ半数であります。

 そんな中、この島で初めて、自分たち以外の人間である少女・めいを見つけた画眉丸と佐切、杠と仙汰の一行。めいを捕らえ、彼女を守る奇怪な木人・ほうこを倒した一行は、ほうこの口から、ついにこの島の姿を知ることになります。
 「こたく」と呼ばれ、「えいしゅう」「ほうじょう」「ほうらい」と呼ばれる三つの地域に分かれるこの島。そして島の中心である「ほうらい」には、確かに不老不死の薬「たん」があると、ほうこは語ります。しかしこの島を統べ「たん」を守る存在――「てんせん様」がいるとも。

 その言葉を裏付けるように、島の各地で死罪人と浅ェ門たちに襲いかかる謎の存在。人間と同じ姿と知性を持ちながらも、性別を自在に変え、島の怪物たちをも遙かに上回る力を振るう彼ら(?)によって、次々と生き残りの者たちは倒されていくことになります。
 そしてその「てんせん様」は、仙薬を手に入れ、愛する妻の元に帰るために単独行動に出た画眉丸の前にも出現。持てる力の全てを尽くして戦う画眉丸ですが……


 連載スタート以来、どこに向かっていくのか、何が現れるのかわからない――刻一刻と姿を変える物語として描かれていた本作。
 これまで描かれてきた仙薬たちを求める人間たちのデスゲームはほぼ一段落し、残った面々が仙薬のため、生還のために手を組み始めた状況に入った印象ですが――ここに至り、今まで謎であった島の正体がようやく語られ始めることになります。

 数百年前からここで暮らすという奇怪な木人が語る秘密――その全ての意味がわかるわけではありませんが、少なくとも「たん」は「丹」、「えいしゅう」「ほうじょう」「ほうらい」は瀛州・方丈・蓬莱、そして「てんせん」は「天仙」のことでしょう。
 まさしく仙薬である丹、東方に存在する三神山(あるいは島)と言われる瀛州・方丈・蓬莱、そして最上級の仙人である天仙――それが伝説にいうものと全く同一の存在かはわかりませんが、しかしいずれも仙道・仙界にまつわるものであることは間違いありません。

 しかし伝説にいう仙人が暮らす地は、奇怪な怪物たちが徘徊したりしなければ、人間から咲く奇怪な花も存在しません。ましてや仙人は、その地に入り込んだ者を問答無用で血祭りにあげるような存在でもないでしょう。
 だとしたらこの地は、彼らは一体何なのでしょうか?

 正直なところ、これまで謎だらけだった物語に答えの一端が明かされ、そしてこれまでの怪物たちとは異なる、意志の疎通が可能な敵が登場したことは、本作の魅力を削ぐのではないかと心配していました。
 しかしそれは全くの杞憂――一端が明かされたことで逆に謎は一層深まり、そして恐るべき敵が登場したことで、倒すべき本当の敵が明らかになったのですから。


 しかしこの島のボスとも言うべき存在だけあって、天仙たちは並みの強さではありません。賊王・亜左弔兵衛が、山の民のヌルガイが手も足も出せずに敗れ、画眉丸が死力を尽くしてもなおその上を行く敵であり――そしてその前にまた一人、新たな犠牲者が出てしまうのですから。
 しかもこの巻のラストには彼らが勢揃い。一人一人であれだけの強さであったものが、これだけ揃えばどうなるのか――これまで以上の絶望としか言いようがありません。

 それでも――人間たちも並みの人間ではありません。たとえ天仙たちにとってはちっぽけな存在に見えても、人間にも心がある、意地がある、力がある――死を乗り越え、生を掴もうとする意志がある。
 この巻のラストで同時に描かれるのは、そんな人間たちの再起の姿。ここから人間たちがどのような逆襲を見せるのか、期待するなというほうが無理なのであります。


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2018.08.10

滝口琳々『明朝幻想夜話 『聊斎志異』選集』 美女と怪異と道士と 甦る中国怪談集


 『北宋風雲伝』や『新再生縁』など、かなりマニアックな原典を巧みに少女漫画として再生させてきた作者による、中国怪談集『聊斎志異』のコミカライズ――ユニークなアレンジにより、一種の連作としての味わいも感じられる全5編の短編集であります。

 『聊斎志異』は清代の文人・蒲松齢による全491編の志怪小説(怪奇小説)集。「聊斎(作者の号)が異を志す」という題を冠する本書は、現代に至るまで親しまれ、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』など、映像化作品も少なくありません。
 日本でも特に明治時代以降様々な作家によって翻訳・翻案されている、おそらくは日本で最も有名な中国怪談集でしょう。

 本作はこの『聊斎志異』のうちから以下の5話をピックアップ。物語の舞台を明代に設定し、原典ではそれぞれ全く別個の物語であったものに、共通の主人公(狂言回し)としてオリジナルキャラクターの侠客道士・郭玄礼を設定しているのがユニークなところであります。

『連瑣』 20年前に亡くなった美女・連瑣と相思相愛となった書生・楊于畏。しかし二人は生と死の壁に隔てられ、さらに連瑣を我がものにしようとする者が……

『瑞雲』 強く惹かれあう杭州一の名妓・瑞雲と貧乏書生の賀。しかし賀に身請けの金はなく、悲しみに暮れる瑞雲の前に現れた郭玄礼の術が思わぬ運命の変転をもたらす。

『画壁』 荒れ寺で一夜を過ごすことになった郭玄礼と朱沖。寺の壁画に描かれた仙女に恋をした朱沖は、絵の仲に引き込まれ、彼女と情を交わすものの……

『画皮』 夜道で出会った美女・周玉卿を妾にしようと連れ帰った王準。しかし彼女の正体は美女の皮を被った魔物だった。魔物は退治されたものの、命を奪われた王準は……

『五通』 蘇州で次々と美女を辱める妖魔・五通神。街で出会った男装の美少女が五通神と婚礼を挙げるよう強いられていると知った郭玄礼は、魔物退治に乗り出す。


 いずれも翻訳されたり映像化されたり(『画壁』は『チャイニーズ・フェアリー・ストーリー』、『画皮』は『画皮 あやかしの恋』の邦題でそれぞれ映画化)と、比較的有名な作品が題材となっている本作。
 私もほとんどの作品の内容を知っていましたが、しかし本書はまたそれらとは一風異なる味付けで楽しませてくれます。

 本書に収録された5編の共通点の一つは、いずれも美女が登場し、登場人物と恋に落ちる点。もっともその美女は普通の人間ではなく、彼女と愛し合ったために大変なことになって――という『聊斎志異』の定番パターンも少なくないのですが、それでも彼女たちが実に美しく、存在感があるのは、この漫画ならではの魅力でしょう。

 エピソードによってはかなり甘々な展開となるのですが、それもまた原典どおり。ここは素直に美男美女の微笑ましくも温かい恋愛の行方に胸を熱くするべきなのでしょう。エピソードによってはかなり露骨な内容も含まれているのですが、その辺りを生々しくなく、サラリと描いているのもまた魅力であります。

 そしてもう一つの共通点は、そんな男女を見つめ、助ける郭玄礼の存在です。
 恋愛には障害がつきもの、ましてやそこにこの世ならぬものが絡むとすれば――と、二人の恋路を邪魔する魔物、美女を苦しめる魔物を颯爽と退治するのが、本書における彼の役回りであります(もっとも、『瑞雲』のみはちょっと役回りが異なりますが、二人を助ける役回りであることには変わりはありません)

 もちろん先に述べたように郭玄礼はオリジナルキャラクターではあります。しかし、彼の役割を果たす豪傑や道士は原典にも登場しており(『画壁』は結構アレンジが入っていますが)、作品のチョイス的にこうした点が影響しているのかな――という印象もありますが、何はともあれ、本書を一つの世界としてまとめるに彼の存在が意味を持っていることは間違いありません。


 何はともあれ、長きにわたり語り継がれた魅力的な怪異譚を、これまた魅力的にリライトしてくれた本作。原典は491話もあるだけに、まだまだ漫画化して欲しい――と今でも思ってしまう一冊であります。


『明朝幻想夜話 『聊斎志異』選集』(滝口琳々 秋水社ORIGINAL) Amazon
明朝幻想夜話~『聊斎志異』選集~ (少女宣言)

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2018.08.09

霧島兵庫『信長を生んだ男』 等身大の青年・織田信行が下した決断


 織田勘十郎信行(信勝)といえば、信長と母を同じくする弟でありながら、謀反を企てた咎で、若くして兄に誅殺されたと言われる人物。悪役として描かれることも少なくない信行を、本作はこともあろうに覇王信長を「生んだ」男として描く、ユニークにして熱く切ない物語であります。

 若き日は「うつけ者」として知られた信長とは対照的に、折り目正しい優等生的人物であったと評される信行。信長を疎んじた母・土田御前に溺愛されたと言われる人物ですが、本作の前半部分は、基本的にこの人物像を踏まえた形で始まることとなります。

 自分とは正反対の性格のうつけ者でありながら、自分よりも父に認められている信長に反発心を抱き、その力を見せるべく、初陣に臨んだ信行。しかしその結果、五十人もの精兵を失った彼は、頬に負った傷以上に深い傷を心に負うのでした。
 そして志半ばに病に倒れた父が、兄を後継に指名し、その葬儀で信長の挑発を受けたことから、いよいよ反感を抱く信行。信秀亡き後の内訌が絶えぬ尾張で、信行の鬱屈は高まっていくことになります。

 そんな中、兄の正室・帰蝶の口添えもあり、ひとまず兄の側に立つ信行。しかし兄の別働隊として敵にあたることとなった戦で、奮闘空しく追い詰められた末、あわやのところで信行は兄に救われることになります。
 屈辱に震える信行ですが、しかし兄が密かに自分のことを買っており、運命を共にする覚悟であったことを知った彼は、ついに信長こそが天下に号令するに相応しい「虎」であることを悟ります。

 そしてついに長きにわたる対立のしこりを洗い流した信行。彼は信長を支える黒衣の宰相、虎を支える「龍」となることを誓い、兄と手を携えて天下に挑むことに……
 と、ある意味意外な、その後の歴史を覆しかねない展開を迎える本作。ここまでが物語の前半、後半では信長を扶けるため、密かに汚れ役を買って出る彼の姿が描かれることとなります。

 兄と帰蝶と三人、強い絆に結ばれて天下を望む信行。しかし一向に尾張の混乱は収まらず、その中で信行は信長の決定的な弱点――その不羈奔放な顔の下の、優しさ・甘さの存在に気付くことになります。
 そしてある出来事をきっかけに、自分に時間が残されていないことに気付いた彼は、信長を覇王に変え、尾張を固めるために、ある覚悟を固めるのですが……


 冒頭で述べたように、過去の作品では悪役として、あるいは凡愚な人物として描かれることが少なくなかった信行。それは型破りな信長が、桶狭間の戦で天下に躍り出る直前の、ある意味踏み台としての役割を負わされていた、と言えるかもしれません。
 しかしその信行を、本作は史実を踏まえつつも巧みに肉付けし、大望を抱き、肉親の愛を求めつつも、どちらも得られずに苦しみもがく等身大の青年としてまず描きます。

 そんな彼が、理想と現実の間で悩み、そして自らの背負ったものの大きさに苦しむ姿は、中身こそ大きく違えど、誰もが思い当たるものでしょう。だからこそ、彼が自分と信長の器の大きさの違いを思い知った時の衝撃を、その後に訪れる和解の感動を、読者は我がことのように感じ取れるのであります。
 ……そしてその後に待ち受ける、あまりに残酷で哀しい運命を知った時の絶望を、それでも自らの成すべきことを成そうと重すぎる決断を下した彼の覚悟の尊さをも。

 正直なところ、題名と主人公を見れば(さらに序章を読めば)、本作がどういう結末を迎えるかは、ある程度予測できるところではあります。
 それでも本作が単なるイイ話で終わらず、読者の心を大きく揺り動かしてくれるのは、二転三転する状況を描く物語構成の妙に依るのは言うまでもありませんん。
(特に終盤において、ある歴史上の謎に衝撃的な形で答えを提示するくだりの見事さ!)

 しかし本作はそれだけでなく、上で述べたような等身大の青年・信行の人物像と、そこに戦国時代に生を受けた男同士――それも最も近しいところにいる兄弟――という信長と信行の関係性を中心に物語を描く点が素晴らしい。
 さらには帰蝶というファムファタール的な存在(彼女があくまでも常識的な心を持った女性であることが、二人を救い、そして二人を苦しめるのがまた見事)を巧みに絡めてみせた点も大きいと感じます。

 配下との交流のくだりなど、些かセンチメンタルに過ぎるように感じられる部分はありますが――それでも、史実を史実として描きつつ、その中で意外な物語と、深く共感できる人物像を描いた点が大いに評価できる、歴史小説の佳品であります。


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信長を生んだ男

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2018.08.08

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』第12巻 新章突入、刀鍛冶の里での出会い


 連載本誌の方でも快調に飛ばす『鬼滅の刃』ですが、単行本の方では、長い長い死闘を繰り広げた遊郭編も前巻で大団円を迎え、この第12巻からは新展開に突入。ついに全ての上弦の鬼が集結し、一方で炭治郎が向かった刀鍛冶の里では、次々と新たな出会いが描かれ――と見所だらけの一冊であります。

 遊郭に潜む二身一体の強敵、上弦の陸こと妓夫太郎と堕姫を、ギリギリの死闘の末に倒して全員生還した炭治郎たち。百年ぶりの敗北に対し、鬼の首魁・鬼舞辻無惨は、怒りに燃えて残る上弦全員を召集することになります。
 そして登場するのは玉壺・半天狗・猗窩座・童磨・黒死牟――いずれも上弦に相応しい異形の姿を持ち、狂気を漂わせる五人であります。強敵たちの勢揃いはそれだけで大いに盛り上がるものですが、しかしそこで一切の反論を許さぬブラック企業さながらの追い込みをかける無惨様と、チームワーク皆無のギスギスさを見せる上弦たち(というか猗窩座)。本当に恐ろしい連中であります。

 その一方で、ようやく復活した炭治郎が向かうことになったのは、鬼殺隊の隊士たちの用いる日輪刀を打つ刀鍛冶の里。
 隊士たちの刀、すなわち鬼にとっては何よりも恐ろしい武器を作り、直すだけにその存在はトップシークレットのこの里に、一人炭治郎が向かうそのわけは――毎回戦いで刀にダメージを与える炭治郎に激烈な怒りを燃やす刀鍛冶・鋼鐵塚(今回、非常に可愛らしい本名が判明)が、刀を打つことを放棄したため、というのが、またらしいというか何というか……

 何はともあれ、直談判のために里を訪れた炭治郎の前には、新登場――ではないものの、これまでほとんど顔見せのみだったキャラたちが、次々と登場することになります。
 そのビジュアルと言動、何よりも流派名が衝撃的な恋柱・甘露寺蜜璃、あの宇随天元をして化物と言わしめた霞柱・時透無一郎、そして炭治郎の同期最後の一人でありながらこれまでほとんど出番がなかった謎の男・不死川玄弥。

 これがまた、どいつもこいつも期待以上のキャラの濃さで、そこに新キャラクターの純粋毒舌少年・小鉄、おなじみの三十七歳児・鋼鐵塚と絡んでくるのですからたまりません。バトルシーンはかなり少ないものの、次々と登場する(ほとんど)新キャラクターたちのやりとりだけでも本当に楽しいのであります。
 これまで毎回書いてきたように、物語の緩急の付け具合が絶妙な本作ですが、この巻は言ってみれば「緩」。どこかズレたキャラクターたちのやりとりは、ギャグ漫画としても成り立つ――というよりほとんどそのもので、特に満を持して(?)の鋼鐵塚登場シーンはもはや衝撃映像クラスと言うほかありません。


 そんな中、一人でシリアス――というか異質な空気を漂わせているのが時透無一郎であります。
 炭治郎よりも小柄で年下ながら、日輪刀を手にしてわずか数ヶ月で柱になったという怪物――には似合わぬ儚げな美少年の時透ですが、その言動は冷徹とも無神経とも高飛車とも言うべきもの。悪意はないものの、柱としての立場からの強烈な合理性で周囲を圧し、子供に暴力を振るうことも躊躇わない姿は、悪い意味で意外性満点であります。

 あの温厚な炭治郎が、「こう…何かこう…すごく嫌!! 何だろう配慮かなぁ!? 配慮が欠けていて残酷です!!」と困惑混じりに激昂するのもむべなるかな、と言うほかない造形で、時折記憶が曖昧になることも含め、まだまだ得体の知れないキャラクターなのです。(その印象が後にガラリとひっくり返されるのが本作なのですが――それはまたのお楽しみ)

 しかしそれでも鬼殺隊としては頼もしい戦力であることは間違いのないお話。この巻の終盤では刀鍛冶の里に上弦の伍・玉壺と上弦の肆・半天狗が襲来、一人でも(分裂しましたが)あれだけ苦戦した上弦が二人、それも完全な奇襲という絶望的な状況で、彼の本領が発揮されるか!? と思ったら――と相変わらず油断できない展開ですが、ダークホースとも言うべき玄弥が登場し、なかなかに気になるヒキで次巻に続くことになります。


 ……しかしこの玄弥、相変わらず感じのいい炭治郎の挨拶に対して、いきなり「死ね!」と返す意味不明の荒くれぶりを発揮するものの、おまけページで純情過ぎる姿をバラされるには思わず爆笑。
 本当にどこまでも油断できない作品であります。


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鬼滅の刃 12 (ジャンプコミックス)


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2018.08.07

田中芳樹『新・水滸後伝』上巻 帰ってきた豪傑たち 新生の水滸伝続編


 スペースオペラ、ファンタジー等、様々なジャンルで活躍してきた作者のもう一つの得意分野は中国の古典。これまで様々な作品をリライトしてきた作者ですが、その最新作は――『水滸後伝』! あの水滸伝の続編小説をリライトするとあれば、マニアとしてはもちろん黙っていられないのであります。

 朝廷に帰順し、四方の賊を平らげたものの、その数を三十数名にまで減じることとなった梁山泊の豪傑たち。今はそれぞれ各地で平和に暮らす豪傑たちですが――しかし運命は彼らを決して放ってはおかないのであります。
 時あたかも北方で金が遼を滅ぼし、南下を狙っている頃。しかし北宋では相変わらず奸臣や小人たちが幅を利かせてやりたい放題、まさに国の滅びは目前に迫っている状況です。

 そんな中、阮小七が悪徳役人に難癖をつけられたことをきっかけに、各地で梁山泊の豪傑たちが動き始めることになります。貪官汚吏に陥れられ逆襲に転じる者、新天地を求めて雄飛する者、国を守るために奮戦する者――再び集う豪傑たちが向かう先は……


 本作のベースとなった水滸後伝は、16世紀前半に成立したとみられる水滸伝に遅れること百数十年、1668年に陳忱が書いた作品。
 水滸伝ファンであれば誰もが結末にはなにがしかの不満を抱くものですが、それは数百年前でも同じこと、作者が自分なりの続編・後日譚を書いたのが本作であり――いわば二次創作であります。

 もちろんそのような作品は無数にあったと思われますが、しかし本作が現代まで残っているのは、その中でも非常に面白かったからにほかなりません。
 生き残りの豪傑たちはもちろんのこと、その他の原典の登場人物、豪傑たちの二世世代を散りばめて描かれる物語は原典の最も楽しい時期――すなわち、天に替わって道を行い、弱きを助け強きをくじく豪傑たちの野放図な活躍を描き、何よりもハッピーエンドなのですから嬉しい。

 当然、水滸伝ファンには必修の作品と思っていたのですが――しかし作者の言を見ると「原典の存在を知ってもらうだけでも、恥をかく価値はある、と考えて刊行してもらうことにした」と、何やら非常に控えめ。
 もしかして水滸後伝はマイナー作品なのかしら、と頭に上った血を下げて考えてみれば、確かにこの水滸後伝は、現在はアクセスしにくい作品であります。

 完訳は鳥居久靖による東洋文庫で全3巻が出ているのみ、抄訳も寺尾善雄による1巻本があるきりで、リライトに至ってはゼロ! いかに日本で水滸伝が不遇とはいえ、これはあまりに残念な状況であります。
 だとすれば、ここでこうして作者が水滸後伝をリライトしてくれるのは、大いに意味のある、素晴らしい試みであると言うほかありません。何しろ、水滸後伝が書店で平積みになっているのですから、痛快ではありませんか!


 と、中身にほとんど触れず恐縮ですが、この上巻で描かれるのは全三十回の原典の第二十二回まで。豪傑たちが登雲山や飲馬川という原典ファンには懐かしい地に集い、あるいは海を越えて金鼇島に拠る様が描かれることになります。
 しかし先に述べたとおり金軍の侵略は迫り、首都たる開封府までもが危うい状況。そんな中、(最近はスマホゲームでの登場で有名になった)あの男が登場して……という展開であります。

 さて、それでは本作のリライトぶりは、といえば、これが意外なほど原典に忠実な内容。全2巻とはいえやはりある程度ダイジェストされた部分はあるのですが、しかしこの上巻の時点では、原典の内容はほぼ全てフォローされているのは――と感じます。
 むしろ描写や説明についてはかなり丁寧な印象で、特にキャラクター描写については原典の不足をうまく補っていると感じられるところ。特にこの後伝で初登場の二世組のうちの二人――呼延ギョク、徐晟ら若武者の描写は、これまで梁山泊にいないタイプのキャラだけに、なかなか新鮮に感じられます。

 何よりも、全編にどこかあっけらかんとした、明るいムードが漂っているのが、気持ち良いのであります。


 さて、上巻では生き残りの豪傑たちの大半が登場しましたが、さて残る豪傑たちはどこにいるのか。そして上巻ラストで登場した謎の怪人の正体は(あと、こればかりは改変せざるを得ないと思われるあのキャラの扱いは)……
 下巻も近日中にご紹介いたします。


『新・水滸後伝』上巻(田中芳樹 講談社) Amazon
新・水滸後伝 上巻

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2018.08.06

野口賢『幕末転生伝 新選組リベリオン』第1巻 転生+タイムスリップの新選組奇譚!?


 歴史ものでも転生を題材としたものは既に珍しくはありませんが、その波がついに新選組にも来たか――とサブタイトルを見て思わされた本作。しかし主人公は現代の高校生ではあるものの、どうやら色々と捻った内容である様子。誰がどのように転生したのか、大いに気になる作品です。

 超高校生級の空手の実力を持ちながらも、トラブルを起こして今は空手を離れ、定時制高校に通う幸田ヒロユキ。
 ある晩、以前叩きのめしたチンピラが担ぎ出してきたMMA(総合格闘技)の実力者・菊池洋平とストリートファイトを繰り広げた彼は、一晩留置場で過ごした末に、罰として担任教師・奥山から神田川のドブさらいのボランティアを命じられるのでした。

 不承不承掃除を始めようとしたヒロユキですが、気がつけば昼だったはずの周囲は夜となり、何よりもコンクリート製だった水道橋が木造の橋に。さらに着物姿の娘・ユキに助けを求められたヒロユキは、彼女を追いかけてきたサムライの格好をした連中と戦う羽目になります。
 訳の分からぬまま、素手で日本刀と戦うことになったヒロユキ。そこに駆けつけたのはあの菊池――いまは藤堂平助(!)と名乗る彼は、サムライを撃退し、今が幕末であること、自分はヒロユキよりも2年前の時点に飛ばされたことを語るのでした。

 ユキが持つ勅諚を狙って襲ってきたというサムライ――水戸天狗党の男たち。しかし彼らを撃退したのも束の間、次いで奇怪な風体と術を使う忍者――彦根鬼忍衆が襲いかかります。
 さらに鬼忍衆の魔の手は、小石川の試衛館道場をも襲撃。試衛館の近藤勇らと合流したヒロユキたちは、襲いかかる忍者と対峙するのですが……


 冒頭に述べたとおり、現代の高校生が主人公ということで、てっきり彼が幕末に転生して新選組隊士の体に入るのかと思いきや、体ごと幕末に転移したことで「?」となった本作。
 これはむしろ転生ものというよりタイムスリップものでは――(事実、連載初回は「幕末時空旅行反逆譚」と冠されていた模様)と感じさせられるのですが、物語が進んでいくに連れて、本作がどうやら確かに転生ものらしい、ということが見えてきます。

 忍者と命がけの戦いを繰り広げる中、近藤たちから「斎藤一」と呼ばれるヒロユキ。その言葉に応えるように、彼の中には、出会ったはずもない近藤たちの記憶がかすかに浮かぶことになります。
 経験していない記憶、別の名前で呼びかける人々――この物語は、ヒロユキが斎藤一に転生するのではなく、斎藤一がヒロユキに転生していた(彼の前世であった)ようなのです。

 そして彼以外の試衛館組――先に触れた菊池以外の面々も、どうもこの時代の人間ではない印象(特に近藤はどう見ても文系の眼鏡少年)。あるいは彼らもまた、同様に新選組隊士が転生し、そしてこの時代にタイムスリップしてきたのだとすれば、これは面白いことになりそうであります。
 今では転生ものといえば、現代の人間が過去や異世界に転生するものですが、かつてのそれは、過去や異世界の人間が現代に転生してきたものが大半であった印象があります。本作はかつてのそれにさらにタイムスリップという要素を加えたのだとすれば、類作はほとんどないと言ってよいでしょう。

 いや、作中で近藤の妻・つねが、斉藤に対して「今度は勝ちましょう ○○○○に」(敢えて伏せます)と語りかけるところを見れば、さらにややこしいことにもなりそうなのですが……


 以前、冲方丁原作でやはり変格の新選組ものである『サンクチュアリ』を発表している作者。あちらは惜しくも中途で物語が終わっていますが、さて本作はどうなるのか――この巻ではまだ顔を出していない試衛館組の土方と源さんのキャラクターも含め、なかなかに気になるところであります。


『幕末転生伝 新選組リベリオン』第1巻(野口賢 秋田書店ヤングチャンピオン・コミックス) Amazon
新選組リベリオン(1)(ヤングチャンピオン・コミックス)


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2018.08.05

宇野比呂士『天空の覇者Z』第15巻 復活のヒトラー 万有之王降臨

 二転三転する戦況の末、追い詰められたヒトラーだが、最後の希望である純獣性細胞は既に失われ、彼に恨みを抱くリーフェンシュタールに撃たれて海に転落する。しかし海こそが純獣性細胞の正体であり、その力を得たヒトラーは万有之王と化す。それでもヒトラーに挑む天馬だが、圧倒的な力の前に……

 ついに始まったZとMの、天馬とヒトラーの決戦。駆けつけたヴァルキュリア戦隊の4人がそれぞれに能力を発揮して、久々の空戦は一気に混戦模様に――という中、調子に乗った末に体はギリギリの状態となってしまったヒトラーは、M砲で一気に状況の打開を狙います。
 が、その時突然ヴ隊の航空母艦がM砲に特攻して無力化、さらにそこから飛び出した偵察機が瞬く間にバルクホルンとキルシュナーを撃墜! その機体に乗っていた者こそはカラクーム砂漠を生き延びたリヒトホーフェンとクブリック、きっちりと殺されかけたお返しをした二人ですが、レッド・バロンはヒトラーに、クブリックはZにと袂を分かつことになります。

 一方、M号に突入して既に空間加工能力を失ったヒトラーを追い詰める天馬とJですが、天馬の攻撃をアンジェリーナが阻みます。自分がミュンヘン一揆の混乱の中で行方不明になったリーフェンシュタールの娘だと知った彼女は、母の恩人であるヒトラーを守ろうとしていたのであります。さらにそれを意に介さないJの攻撃を超人的なパワーで阻むリーフェンシュタール(ジョーカーのブーメラン剣を破壊されるJ……)。地上に脱出したヒトラーたちを阻むヴ隊の残り二人を倒して後を追う天馬とJですが、地上で彼らが見たものは、既に殻が割れ、中身が流れ出した純獣性細胞の残骸でありました。
 最後の力で隕石落下時のツングースに飛ぼうとするヒトラーですが、しかしそれを阻むアンジェ。実はT鉱炉の暴走であったミュンヘン一揆の中で、まだ息のあった夫と子がヒトラーによって犠牲にされていたことを知ったリーフェンシュタールは、ヒトラーを絶望させた末に抹殺する機会を狙っていたのであります。そしてリーフェンシュタールに撃たれた無力なヒトラーは海に転落、勝利に酔う彼女は、アンジェが自分の娘というのは洗脳で焼き付けた偽の記憶と語るのでした。

 が、その時突然の落雷がリーフェンシュタールを焼き尽くし、海が草原に変わっていくという天変地異が! そして草原の中から現れたのは、元通りの美青年の姿となったヒトラー――実はレーベンスボルンの海と見えたものこそは、消失したと思われた純獣性細胞、その中に落ちたヒトラーは、瀕死の状態で純獣性細胞と接したことで、ついにその力を得たのであります。
 何だかどこかで見たようなタッチやアングルで歓喜に震えるヒトラーですが、もはや万有之王と化した彼に勝ち目はありません。Zに撤退する一同ですが、天馬とJのみは、ヒトラーを倒す最後のチャンスとばかりに二人で戦いを挑みます。流星の剣は絶好調、純獣性細胞の中で復活したヴ隊の面々も蹴散らして、ヒトラーを仕留めたかに見えた二人ですが……

 しかし既にレーベンスボルンと一体化したヒトラーには全く及ばず、一瞬のうちに心臓を奪われる天馬。それでも屈しないJはほとんど気迫のみでヒトラーを蹴散らし、天馬とともにZに帰還します。とはいえ、Jが連れ帰った天馬はほぼ即死の状態、しかしそこでネモが自らの獣性細胞を移植するよう、エリカに命令、いや頼むのでした。
 そして天馬の手術が行われる間、残されたJは――何故かスイスに残ったルーの前に登場。ちょっと気になる女性がいるだの何だのと語りつつも、ルーに別れを告げて消えます。一方、打倒ヒトラーの会議中も気もそぞろのベイルマンは、自分の胸中でJの存在が膨れ上がっていることに気づきます。そしてJを見つけ、完全に乙女モードで駆け寄るのですが――その彼女を優しく抱き寄せるJ。しかしその背中には、天馬を連れ帰る途中、ヒトラーに一撃を受けた大穴が……


 ついにラスト直前、それだけに一瞬たりとも気を緩める暇もない、驚愕の展開の連続だったこの第15巻。死んだと思ったキャラクターが生存し、死ぬはずがないと思っていたキャラクターが命を落とし――まさか主人公までもが、という以上に驚愕だったのは、ややはりラストのJとベイルマンであります。
 こうして読み返してみてもいつの間に、という印象ではありますが、男女の仲とはこういうものなのでしょう。冒頭からほとんど一貫して相思相愛だった天馬とアンジェのような二人もいれば、これからというところで永遠に引き裂かれるJとベイルマンのような二人もいる――何とも切ない話ではあります。

 そしていよいよ本作は次巻で完結。天馬は再び立ち上がることができるのか、万有之王と化したヒトラーを倒すことができるのか、そしてアンジェの運命は――大団円は目前であります。


『天空の覇者Z』第15巻(宇野比呂士 講談社少年マガジンコミックス) 


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2018.08.04

『つくもがみ貸します』 第一幕「利休鼠」

 深川で損料屋・出雲屋を営む清次とお紅のもとにとある侍から、婿入り先から譲られた鼠の根付を探してほしいという依頼が入った。つくもがみとなり、足を生やして逃げたという根付を探すため、店のつくもがみを使って情報を集める二人。その情報から、清次はある真実に気付くのだが……

 ちょっと出遅れましたが、7月下旬からNHK総合テレビで放送開始となった『つくもがみ貸します』――畠中恵の人気作品のアニメ化であります。小説の方は現在第3シリーズが連載中ですが、このアニメは第1シリーズをアニメ化したもの――この第1話も原作の第1話を題材としております。
 物語の舞台となるのは、深川・仲町の損料屋(レンタル屋)・出雲屋、主人公はその主であり、血の繋がらない姉弟であるお紅と清次。一見ごく普通の店に見える出雲屋ですが、実はここにはつくもがみ――年経りて神様の一種となった器物を置く店であります。

 さて記念すべき第1話のお話は、名家・蜂屋家に婿入りすることになった武家の次男坊・佐々木勝三郎のもとから、ねずみの根付が逃げ出したという事件。蜂屋家では代々跡取りにこの根付が受け継がれていたところ、これを失っては跡取りになることができない――というのであります。
 盗人が入って騒ぎになった間に、足を生やして逃げ出したという根付を探すべく、現場の佐々木家や蜂屋家に店のつくもがみたちを入り込ませた清次。そこでつくもがみたちは、蜂屋家は佐々木家よりも家格が高いこと、勝三郎の許嫁の早苗には別の想い人がいることを掴んでくるのでした。そして岡場所でその根付を見たという情報から、再び店のつくもがみを潜り込ませた清次は首尾良く鼠の根付を取り戻したものの、鼠は自分は逃げ出したりなどしていないと語って……


 いかにも畠中作品らしくミステリ色の強い物語である本作。今回のエピソードも、根付を盗んだ/盗もうとした犯人探しではあるのですが――そこに、本来であれば人前で本性を現したりしないつくもがみが正体を現してまで逃げ出したのは何故か、というもう一つの謎を設定して、物語を入り組んだものにしてみせるのが巧みなところであります。

 そして本作の魅力は、そこに清次たちとつくもがみたちの関係性を絡めてみせる点であります。本作のつくもがみたちは気難しく、人間たちとは距離を置きたがる存在――自分たち同士で喋ることはあっても、決して清次たち人間と直接言葉を交わそうとしないのであります。
 といってもつくもがみたちは好奇心旺盛、何かと事件に首を突っ込もうとする彼らをいかに使って情報を集めるか、そしてその情報からいかに事件を解決するか――そんな清次たちとつくもがみたちのややこしいコミュニケーションを基底に置きつつ、一種の安楽椅子探偵ものと描いてみせるのが本作なのです。

 しかしその真相は――つくもがみという超自然の存在とは関わりのない、人間と人間の心のすれ違いという極めて現実的な、ほろ苦い結末なのが、これまた実に作者らしいというべきでしょうか。
 またこの結末において、清次が「犯人」に対してフォローを入れるのですが、ここで原作とは異なり、人がモノに対して込める思いを語ることによって、店のつくもがみ・野鉄――昔、金に困った主に売られて以来、人間不信のつくもがみ――に対するフォローにもなっているのも、うまいアレンジと感じます。

 そしてうまいアレンジといえばキャラクターデザイン。このアニメ版のキャラクター原案は漫画家の星野リリィが担当しているのですが、これが基本的に時代もののイメージを踏まえつつ、ポップでカラフルなアレンジを加えているのがなかなか良いのです。
 特にヒロインであるお紅は、店で髪を結っている時は大きなリボンをつけたようなカワイイ系のデザインながら、プライベートで髪を下ろすととたんにぐっと艶やかになるのがドキドキものであります。
(ちなみに今回、お紅が清次に新しい簪を見せるも何も言われずにムクレるというオリジナルのシーンがあるのですが――アニメはお紅の方が積極的なのかしらん)

 そしてもう一方の主役というべきつくもがみたちも、いい意味でマンガチックなデザインが異形性を生み出しているのが面白いところであります。
 しかし清次の月代剃っていないデザインは仕方ないのだとは思うものの、やはり違和感。もっとも今回はそれ以上に、勝三郎が、お紅を清次の奥様かと思った、というような信じられないような台詞もあるのですが……(もちろんアニメオリジナル)


 などとうるさいことも申し上げましたが、十分に楽しめる内容のこのアニメ版。どうやらオリジナルエピソードもあるようで(原作は5話しかないので)、この先も楽しみな作品であることは間違いありません。



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2018.08.03

霜島けい『あやかし行灯 九十九字ふしぎ屋 商い中』 一級の怪異と人情と、思わぬ過去の秘密と


 絶好調の妖怪時代小説の最新作――いわくつきの品物を扱う九十九字屋で働くヒロイン・るいと店主の冬吾、そしてるいの父親でぬりかべの作蔵が奇妙な事件に挑むシリーズ第四弾であります。本作ではついにあの人物の過去が判明、何やら嵐の予感が……

 酔っぱらって土壁に頭を打って死んだ拍子にぬりかべになってしまった作蔵とともに、九十九字屋で暮らすこととなった霊感少女・るい。無愛想な主の冬吾や騒々しい作蔵とともに、いわくつきの品に込められた人の想いに触れて成長していく彼女の姿を、本シリーズは描いてきました。

 本作もこれまでのフォーマットを踏まえた内容ですが、第一話の「迷い子の守」では、迷子を預かることとなったるいの奮闘が描かれます。るいと大喧嘩して家出した作蔵が拾ってきた幼児。おちせという自分の名前以外は何もわからない状態の子供を家に返そうと奔走するるいですが、しかし一向に手がかりは掴めません。

 そんな彼女に、不承不承といった調子で、辰巳神社に行ってみろと言う冬吾。その言葉に従って神社に向かったるいは、迷子捜しに霊験のあるという境内の母子石の前で、お壱と名乗る老婆と出会います。手を繋いだ相手が見ていたものを見る力があという彼女に、おちせの心を覗いてもらうことにしたるい。しかしお壱とは一体何者なのか、そして冬吾との関係は……

 という人情話の第一話に続き、第二話「不思議語り」は、好事家の旦那衆が開催する怪談会に冬吾とともに招かれたるいが、同じく招かれていた辰巳神社の神主・周音から、とある商人とその別宅にまつわる悍ましい物語を聞かされるひたすら恐ろしいエピソード。

 そしてラストの表題作『あやかし行灯』は、再びグッとくる人情話であります。夫が亡くなって以来、夜毎独りでに灯るようになったという行灯を持ち込んできた吝嗇な女・お七とその娘・お仙。行灯に夫の亡霊が取り憑いたと語るお七ですが、それだけでなく、お仙に縁談が来るたびにその亡霊が現れ、ぶち壊しにするというのですが……


 霊感少女といわくつきの品物専門の道具屋――だけでなく、そこにぬりかべ親父が加わって他では類を見ないユニークな設定の本作。しかしその設定の面白さだけに頼ることなく、人情ものとしても怪異譚としても一級なのは、これまで通りであります。

 とにかく、描かれる怪異そのものの面白さ、恐ろしさはもちろんのこと、ちょっとした怪異描写が実にうまい。たとえば第一話でお壱が子供の心を覗く場面で、彼女がさらりと発する言葉一つで、心を覗くという不思議な行為が一気に具体性と現実性を帯びる辺りなどはベテランの技というほかありません。
 また、表題作の『あやかし行灯』の怪異は、行灯に亡夫の霊が憑くという、冷静に考えればかなり奇妙な内容ながら、作蔵の存在を考えればこれもアリか、と感じさせられるのがうまい。そしてその怪異が灯す明かりが、物理的なものに限らない――というのが、実に泣かせるのであります。


 しかし本作の見どころはそれだけではありません。本作ではついに、九十九字屋の由来、そして九十九字屋主人の冬吾の過去が明かされるのです。
 なるほど、あやかしに縁を持った人間でなければ入ることができない九十九字屋も、主としてその店を取り仕切る力を持つ冬吾も、明らかに普通ではない存在。果たしてこの店はいつ誰が作ったのか、そして冬吾は何故そのような力を持ち、そして主となったのか――冷静に考えればわからないことだらけであります。

 その一端が本作で明かされることになるのですが――といってもその詳細は読んでのお楽しみ。ここでは伏せることとしましょう。
 しかし一つだけ言えるのは、この巻の新キャラクター・周音が冬吾と大きく関わるということ。お互い顔見知りでありながら、犬猿の中の二人の過去に何があったのか?

 この巻では全てが語られるわけではありませんが、どうやらこの先、この二人の関係性が物語をグイグイ引っ張っていくことになるのではないか――そんな予感がいたします。そしてそこでるいがどのような役割を果たすのか、大いに気になるではありませんか。
(しかしこの周音、かなりシリアスなキャラのようでいて、よく見ると結構面白キャラなのがまた楽しい)


 『のっぺら あやかし同心捕物控』の復刊も決まり、絶好調の作者。この先も本シリーズでどのような怪異と人情が描かれるのか、そしてるいと冬吾、作蔵の物語はどのような先行きを迎えるのか――大いに期待しているところであります。


『あやかし行灯 九十九字ふしぎ屋商い中』(霜島けい 光文社文庫) Amazon
あやかし行灯: 九十九字ふしぎ屋商い中 (光文社時代小説文庫)


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2018.08.02

横田順彌『惜別の祝宴』 帝都に迫る鱗を持つ影 明治SFシリーズ大団円


 横田順彌による長編明治SFシリーズ三部作の三作目――明治末年の帝都を舞台に、皮膚が鱗状になって死んだ少年の謎を調査することとなった鵜沢龍岳たちが、やがて創造を絶する存在の跳梁を知る、ラストに相応しいスケールを誇る、オールスターキャストの物語であります。

 かつて龍岳たちも事件の調査で訪れたことのある貧民窟で急死した少年。死の直前に何者かの施術を受けていたという少年が、体の皮膚に鱗が発生した奇怪な姿と化していたことを知った押川春浪と鵜沢龍岳は、遺体の調査を始めることになります。
 一方、持病の悪化で余命幾ばくもない河岡潮風の前に現れた漢方医を名乗る男は、潮風の治療と引き換えに、自分の計画に協力するよう求めます。しかし計画の内容を一切語らぬ相手に不信感を抱いた潮風はこれを拒絶するのですが――彼の妻・静乃は、その男から人間のものとは思えぬ宇宙磁気を感じるのでした。

 そして少年の死体が大学病院で検査された過程で、少年と同様の鱗が、数年前に暗殺された伊藤博文と実行犯の安重根、そして大逆事件で処刑された管野スガの体にも発生していたことが判明。さらに龍岳たちは、その鱗が乃木希典大将にも現れていることを知ることになります。
 事件の探索を続ける春浪と龍岳たちですが、なおも怪事件は続きます。明治帝の体調が悪化する中、侍医に入り込んだ正体不明の男は何者なのか、市井の変人発明家の大発明とは何か? やがて一見無関係に見えた要素は一つにまとまり、あまりにも意外な真相が浮かび上がることになるのです。


 これまで少女の連続神隠し、病院から姿を消した少年の謎と(もちろんその背後に壮大なSF的真相があるものの)長編でも比較的静かな内容が描かれてきたこのシリーズ。
 しかし掉尾を飾る本作においては大盤振る舞い、爬虫類のように皮膚が変化した死体の発見という常識では考えられない奇怪な事件が発生し、その背後に、何やら暗躍する二人の男が――という幕開けから大いに興味をそそられます。

 さらにそれが伊藤博文暗殺や大逆事件にまで繋がり、そして乃木大将までもが意外な役割を果たすことに――と、伝奇風味も濃厚なのがたまりません。内容の波瀾万丈さでいえば、別世界の(?)明治SFである『火星人類の逆襲』にも並ぶかもしれません。
(冒頭で謎の男の一人が「皇帝陛下」のことを口の端に上らせる時点で、ははぁ、これは時代的に○○○が絡んでいるのだな、と思わせるミスリードもいい)

 さらに冒頭に述べたように本作はオールスターキャスト――龍岳・春浪・時子・黒岩刑事や天狗倶楽部の面々はもちろんのこと、これまでのシリーズに登場したキャラクターが、(もちろん全てとはいかないものの)脇役に至るまで登場してくれるのは嬉しいところであります。
 特に第1作『星影の伝説』のヒロイン・静乃は、その驚くべき正体と能力を生かして本作では中心人物の一人となり、事件の真相に迫る大活躍。第2作『水晶の涙雫』のヒロイン・雪枝も、特殊能力はないものの、要所要所で存在感を発揮しています。

 何よりも本作の題名にある「祝宴」が指すもの(の一つ)は、黒岩刑事と雪枝の、そして龍岳と時子の結婚式。三部作の大団円にまことにふさわしい結末であります。
 作中にも何度も描かれるように、本作は明治帝の崩御直前の物語であり、言い換えれば明治時代の終了を目前とした物語。それは同時に、この明治SFシリーズの終わりを意味しているのですが――それをむしろ新しい時代の幕開けとして、笑顔で送ってくれたのもまた、ファンへの何よりの贈り物と言うべきでしょう。

 もっともまた細かいことを言えば、内容的に偶然が重なりすぎる(作中で自己言及があるほど)点、終盤の○○○○の告白にはちょっと無理があると思われる点(その出自であればそのような体にはならないのでは等)があるのも事実ですが……
 しかしここはまず、波瀾万丈のSFミステリとして、そして明治SFシリーズの暖かい終幕として、本作を素直に楽しむべきなのでしょう。初版時に一度読んではいるのですが、再びの別れを、笑顔で迎えることができたのは、やはり有り難いことであります。


 と、実はもう一作品、SF色はないためにシリーズの番外編とも言うべき長編(今回の復刊からも漏れる形となった)『冒険秘録 菊花大作戦』があるのですが――こちらもまた近日中にご紹介したいと思います。


『惜別の祝宴』(横田順彌 柏書房『風の月光館・惜別の祝宴』所収) Amazon
風の月光館・惜別の祝宴 (横田順彌明治小説コレクション)


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 横田順彌『夢の陽炎館 続・秘聞七幻想探偵譚』 明治のリアルが描く不思議の数々
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2018.08.01

サックス・ローマー『骨董屋探偵の事件簿』 怪人探偵、夢見によって謎を解く


 以前から何度か申し上げていますが、私は探偵もの、それもオカルト探偵ものが大の好物。今回ご紹介するのもその探偵の一人――20世紀初頭のロンドンを舞台に、空間に刻み込まれた思念を読み取ることで事件を解き明かす、骨董屋にして夢見探偵、モリス・クロウの活躍を描く事件簿であります。

 名探偵といえば、その源流の時点から、明晰な頭脳を備えることはもちろんのこと、ある種の「怪人性」を備えていることもまた、一種の必要条件のように感じられます。その意味では、本作の名探偵クロウは、その条件を十二分に満たした怪人と言えます。

 ロンドンの貧民街に、その地にふさわしい極めた雑然とした骨董屋を構えるクロウ。
 幾多の小動物が飼われ、オウムが「モリス・クロウ! モリス・クロウ! 悪魔ガアナタヲ迎エニ来タヨ!」と素晴らしいセリフで出迎える店で暮らすクロウは、しかし同時に世界各地を巡った冒険家であり、幽霊屋敷の研究で名著を残した研究者であり、そして何よりもその独特の手法で次々と怪事件を解き明かす素人探偵なのであります。

 その彼の唱える理論は二つ――一つは、犯罪は必ず時を経て周期的に行われるという「周期の科学」。そしてもう一つは、人間の強烈な思念は、その発せられた場に留まり続けるという「思念の科学」であります。そして彼の奇妙な探偵術は、実にこの後者に従って行われます。そう、彼は事件の犯行現場で「寝る」ことにより、彼が言うところの感光板である彼の頭脳に、犯人あるいは被害者の思念を焼き付けるのです!
 その思念を、娘であり助手であるイシスの手を借りて現像(絵画化)することによって、事件解決に結びつける――いわばクロウは、サイコメトリー探偵の先駆とも言うべき存在なのであります。

 そんなクロウは汚れた羊皮紙めいた色合いの肌の年齢不詳の人物。普段は古めかしい茶色の山高帽に黒い外套、金縁の鼻眼鏡という出で立ちで、ビジュアル的にも怪人度高しではないでしょうか(山高帽の中にバーベナのスプレーを入れていて、ことあるごとに自分に吹きかけるのも面白い)。
 一方でイシスは、一体どこで手に入れてきたのかパリの最新モードに身を固めた出で立ちで、クレオパトラめいたしなやかな肢体の傲岸な黒髪美女という、こちらも強烈なキャラクターであります。

 そんな二人が語り手である私ことサールズ氏、他人を利用することでは天才的なグリムズビー警部補らとともに、10の怪事件に挑む物語が、本作には収録されています。

 博物館のギリシャの間で警備員が相次いで奇怪な死を遂げる『ギリシャの間の悲劇』
 古代エジプトの秘宝が刻まれた陶片を狙って怪人が暗躍する『アヌビスの陶片』
 没落貴族の屋敷を奪った札付きの成金が屋敷の斧で頭蓋を割られた謎『十字軍の斧』
 高価な装飾品をまとった美女の彫像が密室のアトリエから消失する『象牙の彫像』
 ロンドン市が購入したインドの宝石が、契約の場から消え失せる『ブルー・ラージャ』
 かつて不審死が相次いだ幽霊屋敷で、夜毎ポプラ並木から呼び声が響く『囁くポプラ』
 扼殺された芸術家の死体に残された巨大な手の痕が殺人犯に導く『ト短調の和音』
 ロンドンで次々とミイラの首が切り落とされる怪事件の真相を描く『頭のないミイラ』
 夜毎悪鬼の哄笑が響く幽霊屋敷の謎に挑むクロウが危機に瀕する『グレンジ館の呪い』
 古代エジプトの秘法に憑かれた男の禁断の実験が招く恐怖の一夜『イシスのヴェール』

 全てが骨董品絡みというわけでも、オカルト絡みというわけでもなく、それどころか事件性も薄いものもある(逆に完全にオカルトものも一編ある)のですが、どの作品もクロウの怪人ぶりが遺憾なく発揮されたユニークなエピソード揃い。
 正直なところ、ミステリとして現代の目から見ると、トリックなどかなり苦しく、拍子抜けな点があるのは否めないのですが、反則技に見えるクロウの探偵術が、実際にはロジカルな推理に裏付けられている(ものもある)こともあり、ご都合主義だけで終わらないのも良いと思います。

 個人的には、豪快なトリックながら犯人の造形が楽しい『象牙の彫像』、奇怪な事件もさることながらクロウのすっとぼけた個性がいい『頭のないミイラ』、トリック自体はすぐに気付くもののクライマックスの追い込みが印象に残る『グレンジ館の呪い』、直球ど真ん中の禁断の儀式ものの『イシスのヴェール』が印象に残ったところです(ただ、最後の作品は、クロウの娘の方のイシスが絡まなかったのが残念)。

 生真面目なミステリファンの方やお仕事小説的内容を期待された方(これは訳題が……)にはどうかと思いますが、好事家は必見の作品かと思います。


『骨董屋探偵の事件簿』(サックス・ローマー 創元推理文庫) Amazon
骨董屋探偵の事件簿 (創元推理文庫)


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