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2018.09.30

『Thunderbolt Fantasy 生死一劍』 剣鬼と好漢を描く前日譚と後日譚


 この10月から待望の第2期武侠ファンタジー人形劇『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』――その外伝として昨年劇場公開された作品がこの『生死一劍』。本編の前日譚である「殺無生編」、後日譚であり続編のプロローグでもある「殤不患編」と、二つのエピソードから構成された作品であります。

 伝説の名剣・天刑劍を巡り、謎の美青年・凜雪鴉と、正体不明の風来坊・殤不患が、邪悪な玄鬼宗頭目・蔑天骸と繰り広げた戦いを描いた本編。
 その中で凜雪鴉を不倶戴天の敵として付け狙ってきたのが、江湖に悪名を轟かせた非情の殺し屋にして無双の剣客――鳴鳳決殺こと殺無生であります。「殺無生編」では、その彼が何故凜雪鴉を憎むことになったかが描かれることになります。

 かつて凜雪鴉の用心棒として雇われ、彼を付け狙う刺客たちの始末を引き受けていた殺無生。そんな彼にもっと別の生き方をしてはどうだと、凜雪鴉は四年に一度開催される剣技大会・劍聖會への出場を勧めます。かつての師である剣聖・鐵笛仙が主催するこの劍聖會に、殺無生は「鳴鳳決殺」の名で出場することになるのでした。
 しかし開会早々に現れたのは、どこかで聞いたような声の仮面の射手・神箭手。彼によって出場者の多くが殺傷されたことから勝ち抜き戦に変更となった大会を、殺無生いや鳴鳳決殺は順調に勝ち上がっていきます。

 この戦いに勝ち抜いて、血塗られた生き方を捨て、新たな生を歩む――いつしかそんな夢を抱いていた彼の前に立ちふさがった鐵笛仙は、しかし彼に意外な言葉をぶつけて……

 本編ではひたすら殺伐とした剣鬼ぶりが描かれつつ、どこか純粋な部分もうかがわれた殺無生。本作では、まさに彼のそんな両面がより掘り下げて描かれることとなります。

 誕生の時から周囲に血の雨を降らせた鬼子たる殺無生。鐵笛仙に拾われた後、本作で登場するまでの生き様はわかりませんが、しかしその鬼子としての出生が、後々まで影響を与えたことは想像に難くありません。
 そんな彼が大会で強敵たちと戦う中、命の奪い合いでなく純粋な技の競い合いに目覚めていく。彼の過去が壮絶であるだけに、その姿は一つの希望を感じさせるのですが――それだけに、その先に待ち受ける運命の悲惨さは、目を覆いたくなるものがあります。
(ここで悲嘆に暮れる殺無生の姿は、本作が人形劇であることを忘れるほど)

 終盤の展開の詳細は述べませんが、まあ凜雪鴉が絡んでいる時点で碌なことになるはずもないのは当然の話。これは確かに殺無生も恨むだろう、いや恨まないのがおかしい(というか本編ではむしろ大人しすぎたほど)という凜雪鴉の行動は、鬼畜の所業というに相応しいと感じられます。(本編終盤で描かれた彼の剣の腕を思えばなおさら……)
 本編では、己の剣士としての業を貫いたが故に散ることとなった殺無生。しかし本作を見れば、その最期はむしろ救い――鳴鳳決殺としてのあったかもしれない彼の生を貫いたものとしても感じられる、そんな物語でありました。


 そして「殤不患編」は、うってかわって明るいムードの後日譚であります。
 放浪を続ける中、酒場で自分の名を騙る男と出会った殤不患。偽物が騙る微妙にリアルな、しかし圧倒的にデタラメ(本編のダイジェストかつパロディとなっているのが実に可笑しい)な冒険譚に呆れた彼は、そのうち玄鬼宗の残党の恨みを買うぞと忠告するのですが、果たして偽物は残党の襲撃を受けて……

 達人の名を騙る偽物というのは、これはよく見るパターンではありますが、その正体に一ひねり加わっているのが面白い本作。
 自分という者を持たず、何にもなれない偽者の姿はちょっとグサリとくるものがありますが、そんな相手を咎めることなく命を救い、むしろ自分自身として生きることの大切さと意味を語る殤不患は、まことに大侠と呼ぶに相応しい好漢であります。
(彼を討つために己の身を投げ出す残党たちとの対比もまた印象的です)

 と、そもそも何で偽物が殤不患の冒険に妙に詳しかったかといえば、それはもちろん(何故か道化師の格好をした)あの男が触れ回っていたからで――この辺り、殤不患を煙幕代わりに自らの存在を眩ましたのか、あるいは単なる殤不患への嫌がらせか、どちらとも取れるのが実に楽しい。
 そしてこうして殤不患の名が評判になったことで、彼を追う者たちが、西幽から東離を目指して続々と集結することに――と、続編の序章となっているのも嬉しいところです。

 本編の世界観を広げ、本編の物語をおさらいした上で、続編の興味を否が応でも煽る――理想的な外伝でありました。


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2018.09.29

平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』 第4章の1『狐火鬼火』、第4章の2『片角の青鬼』


 電子書店で1話ずつ発表されている美少女修法師・百夜の活躍譚『百夜・百鬼夜行帖』――以前『修法師百夜まじない帖』のタイトルで小学館文庫から3巻が刊行されたこのシリーズを、これから数話ずつ紹介していきたいと思います。今回は、文庫版の続きとなる第19話、第20話を紹介いたします。

 盲目ながら強い力を持つイタコの美少女・百夜。同じ作者の『ゴミソの鐵次調伏覚書』シリーズの主人公・鐵次の妹弟子である彼女は、鐵次同様に北の地から江戸に出て、修法師稼業を始めることになります。
 この百夜が、江戸に出てすぐの事件で出会った薬種問屋・倉田屋の手代でお調子者の青年・左吉を助手に、次々と起きる付喪神絡みの事件に挑む――というのが本シリーズの基本設定であります。

 以下、各話の紹介と参りましょう。


『狐火鬼火』
 四谷近辺で頻発する奇妙な小火騒ぎ。どうやらこれが現実の火ではなく、鬼火らしいと知った顔見知りの町奉行所同心の依頼を受け、百夜は調べに向かうことになります。
 鬼火が出たという三軒を調べるうちに、ある共通点に気づいた百夜。そこから怪異の原因を察知した彼女は、怪異を鎮めるために品川のとある村に向かうことになりますが――はたしてその村でも怪異は起こっていたのであります。

 しかし一足先に、村に雇われていた女修験者・桔梗。果たしてイタコと女修験者、二人は如何にして怪異を鎮めるのか……

 『百夜・百鬼夜行帖』の第四章の開幕編である本作(第三章までの各章は、それぞれこれまで刊行された文庫版が該当)は、新レギュラーである女修験者の桔梗の初登場エピソードであります。
 侍言葉で喋る(江戸弁で喋るために侍の霊を憑かせている)盲目の美少女という濃いキャラである百夜。その彼女に並び立つことになる桔梗ですが――これが色黒で、すぐにでも人を殺しそうなほど強い眼光の尼削ぎ(おかっぱ)の若い女性という、これまた濃いキャラクターであります。

 もっとも内容的には桔梗は顔見せの要素も大きく、メインとなるのは四谷に出没した鬼火の正体。怪異を鎮める前に、それを何者が引き起こしているかを探るミステリ風味の展開が本シリーズの特色ですが、今回の謎解きはこの時代ならではの風物を使ったものであるのが実に面白いところです。
 さらにクライマックスには思わぬ活劇も用意されており、なかなかに豪華な一編であります。


『片角の青鬼』
 前話の一件で百夜に心服した桔梗が挨拶代わりに持ち込んできた一件――それは、深川の料理屋に、巨大な青鬼が出現したという事件でした。
 店の先代の七回忌の法要が行われた後の宴席に、突如響き渡った轟音――いや咆哮。そこには身の丈九尺、一本角に恐ろしい形相の青鬼が突如出現していたというのです。

 座敷の中を涙を流しながら暴れまわり、やがて姿を消した青鬼。翌晩、料理屋の主人の依頼で調伏に向かった桔梗の前にも青鬼は出現し、彼女の山刀の一撃で姿を消したのですが――その正体を追った桔梗は、店の蔵で角の折れた青鬼が描かれた桃太郎の絵を見つけて……

 というわけで新レギュラーの桔梗が本格的に活躍する本作。あるいは百夜のライバルキャラになるのかな――と思った桔梗が百夜に弟子入り志願というのはちょっと勿体ない気もしますが(ほとんど名ばかりの弟子とはいえ既に左吉がいることもあり)、しかし本作では彼女の存在が良いアクセントとなっているといえます。

 前話の紹介でも触れたように、怪異の正体を巡る謎解きが特色となっている本シリーズ。
 これまでは百夜が名探偵役として快刀乱麻を断つ如く謎を解いてきたわけですが、そこに彼女に負けぬ力を持ちつつも、謎解きという点では一歩譲る桔梗を設定することで、一種のミスリーディングを無理なく行える――というのが面白いのであります。

 はたして桔梗の謎解きではどうしても解き明かせぬ謎が残り、現場に足を運んだ百夜が真実を解き明かす――というひねりが面白い本作。
 恐ろしげな怪異が、ちょっとイイ話に落着するのも、ある意味定番ではありますがホッとさせてくれます。


『百夜・百鬼夜行帖 19 狐火鬼火』(平谷美樹 小学館) Amazon
『百夜・百鬼夜行帖 20 片角の青鬼』(平谷美樹 小学館) Amazon
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2018.09.28

『猫絵十兵衛御伽草紙 代筆版』 三者三様の豪華なトリビュート企画


 今月発売の「ねこぱんち」誌12周年号に、『猫絵十兵衛御伽草紙 代筆版』というトリビュート企画が掲載されています。『しろねこ荘のタカコ姐さん』の胡原おみ、『江の島ワイキキ食堂』の岡井ハルコ、『品川宿猫語り』のにしだかなの三氏がそれぞれ『猫絵十兵衛』を描くユニークな企画であります。

 「ねこぱんち」誌でも最古参の一つであり、看板作品である永尾まるの『猫絵十兵衛御伽草紙』。
 ところが今回の企画は、「作者不在!? 慌てた版元は、江戸で名うての代筆屋を三名呼び寄せた…」という設定――作者不在というのはちょっとドキッとさせられますが(そのためか、今回永尾まるによる作品の掲載はなし)、三者三様の作品を読むことができるのは、実に新鮮で楽しいものです。

 以下、一作品ずつ簡単に紹介しましょう。

「迷い猫」の巻(胡原おみ)
 『しろねこ荘のタカコ姐さん』が今号で完結の作者による作品は、同作の登場猫であるリクが江戸時代にタイムスリップしてしまうという、ある意味クロスオーバー作品。
 西浦さんのところに文字通り転がり込んだリクをニタと十兵衛が元の時代に返すために奔走することになります。

 そんな本作ではニタが西浦さんの前で口を利くという「おや?」という場面もあるのですが、そもそもの設定からして番外編ということで、気楽に楽しむべきなのでしょう。
 ちなみに本作、三作品の中では最も原作に忠実な絵柄で、特に原作の名物ともいうべき江戸の町を行き交う物売りの口上などの描き文字などもそっくりなのに感心であります。


「猫田楽がやって来た」の巻(岡井ハルコ)
 百代が十兵衛の長屋に落っこちてきたおかげで、十兵衛お気に入りの机が壊れて――という場面から始まる本作は、その混乱の最中に長屋を訪れた猫田楽社中が、さらに賑やかな騒動を起こすお話であります。

 十兵衛に助けられた常陸の猫王のお礼に舞を献上しに来たというこの三猫組、最初の二匹はよかったものの、最後の一匹・参太は落ちこぼれ。木の葉を花に変えるはずが、何故かハサミが、三ツ目入道が、牛が――とミスにしても不思議なものに変えてしまうのでした。
 自分には才能がないとその場を飛び出した参太に対し、「そのテの話が嫌いじゃねぇから」というちょっとニヤリとさせられるような理由で十兵衛とニタがいつものように一肌脱ぐ――という趣向ですが、愉快なのは参太の術の正体であります。

 いや流石にそれは強引では――と思わなくもないのですが、何ともすっとぼけた内容は、これはこれで猫絵十兵衛らしい楽しさだと思います。


「猫のみち」の巻(にしだかな)
 原作のサブレギュラーである猫又の雪白が暮らす伊勢屋を舞台とした本作、その伊勢屋に勤めるやはりサブレギュラーの徳二の同輩の小僧・喜作が偶然ねこの道に迷い込んでしまい、人間姿で舞っていたニタを目撃してしまい――という場面から始まるお話であります。

 すっかりニタに魅せられてしまった喜作は、仕事も上の空で、周囲から心配されたり気味悪がられたり――なのですが、その「憑かれた」というほかない喜作の描写が実にいい。
 見ためはごく普通のままに平然と暮らしていながらも、その行動は普通ではなく、目は明らかに現世のものを見ていない――という彼の描写は、異界を見て帰ってきた人間の姿として、非常に説得力が感じられるのです。

 原作でもしばしば異界や異界の者と人間の交流は描かれますが、どこかで明確に一線が画されている(あるいは人間はあくまでもこちら側にいて、向こう側の者がやって来る)印象があります。
 本作はそれが逆にこちら側の人間があちら側への一線を踏み出そうとしてしまう点が非常に面白く、この点だけでも、原作者以外の作家の手による作品が描かれた意味があると思います。


 その他、『10DANCE』の井上佐藤のイラスト寄稿1Pもありと豪華なこの企画。今度はぜひ、一冊丸ごとやって欲しい――などと言いたくなるような楽しい内容でありました。


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 「猫絵十兵衛 御伽草紙」第6巻 猫かわいがりしない現実の描写
 「猫絵十兵衛御伽草紙」第7巻 時代を超えた人と猫の交流
 「猫絵十兵衛御伽草紙」第8巻 可愛くない猫の可愛らしさを描く筆
 「猫絵十兵衛御伽草紙」第9巻 女性たちの活躍と猫たちの魅力と
 『猫絵十兵衛御伽草紙』第10巻 人間・猫・それ以外、それぞれの「情」
 『猫絵十兵衛御伽草紙』第11巻 ファンタスティックで地に足のついた人情・猫情
 『猫絵十兵衛 御伽草紙』第12巻 表に現れぬ人の、猫の心の美しさを描いて
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第14巻 人と猫股、男と女 それぞれの想い
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第15巻 この世界に寄り添い暮らす人と猫と妖と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第16巻 不思議系の物語と人情の機微と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第17巻 変わらぬ二人と少しずつ変わっていく人々と
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第18巻 物語の広がりと、情や心の広がりと
 永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第19巻 らしさを積み重ねた個性豊かな人と猫の物語

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2018.09.27

野田サトル『ゴールデンカムイ』第15巻 樺太編突入! ……でも変わらぬノリと味わい


 狂瀾の網走監獄決戦から一転、全く予想もしない展開を迎えた『ゴールデンカムイ』、連れ去られたアシリパを追う杉元と谷垣は、鶴見一派と手を組み、月島軍曹と鯉登音之進とともに呉越同舟で樺太に向かうことになります。しかしそこでも変t――刺青囚人の影が!?

 アイヌの黄金の行方を知るアシリパの父・ウィルクを巡り、杉元・土方・鶴見・犬童の四派が激突することとなった網走監獄。血で血を洗う死闘の末、ようやく巡り会ったウィルクは杉元の前で尾形に射殺され、杉元も脳に銃弾を受けることになります。
 尾形とともに暗躍していたキロランケは、アシリパと白石を連れて樺太へ逃亡。不死身の本領発揮で復活した杉元は、これまで敵だった鶴見と手を組んで、すぐにアシリパたちを追うべく旅立ちます。

 かくて杉元、谷垣、月島、鯉登、さらにチカパシと犬のリュウの面々は、樺太に足を踏み入れ、アシリパの手がかりを知る樺太アイヌの少女と出会うのですが……


 というわけで、この巻から樺太を舞台とした物語に突入した本作。これまで一貫して杉元の相棒だったアシリパが消え、その代わりになんかスゴい(変な)面子が――という展開にはさすがに面食らいましたが、しかし物語のノリは相変わらず。そして何とここでも、刺青囚人との出会いが待ち受けていたのであります。

 ここで登場する囚人の名は、岩息舞治――日本人離れした体格と、過剰にキラキラと澄んだ瞳を持つ彼は、拳での会話を異常に好むいわばバトルマニア。網走監獄ではあの牛山と互角以上の戦いを繰り広げたというのですから本物であります。
 色々あって半裸の肉肉しいロシア人たちが夜毎繰り広げる4対4の肉弾戦・スチェンカに参加する羽目になった杉元たちは、この強敵と激突することになるのですが――激闘の果に杉元がロマンのように(言いすぎ)大暴走、さらにウルヴァリンまで乱入してきて(本当)、岩息と谷垣たちが逃げ込んだ先は……

 だからなぜ、突然ここでロシア式蒸し風呂バーニャが登場して、全裸の男たちがカメラ目線で入ることになるのか――舞台は変われどこの辺りの暴走、いや通常運転ぶりは全く変わらずであります。
 しかし、その先で繰り広げられる杉元と岩息の再戦の中で、杉元の秘めた怒りの対象とその理由が描かれることになります。それこそは無茶苦茶をやりながらも、同時に登場人物の心情をきっちりと掘り下げてきた本作らしい内容で――全くもって油断できない作品であると何度目かの再確認をさせられた次第です。


 そしてそんな本作のシリアス面が一気に噴出したのが、この巻のラスト2話で展開された月島軍曹の過去編であります。
 トップ以下変態だらけの鶴見一派の中でも数少ない常識人であり、要所要所で渋い仕事ぶりを見せてきながらも、それ故に一歩引いた印象のあった月島。作中で下の名前が一度も登場しない(スチェンカのポスター調のタイトル絵で、他のキャラがフルネームが書かれていても上の名前だけの)辺り、その地味さの表れだなあ、と思っていたら……

 月島の背負った過去と鶴見とのある種の絆をを描くこのエピソードにおいて、その下の名前が使われないことにまできっちりとドラマに回収してくるとは! いやはや、脱帽であります。
 このエピソード、短い中で二転三転する物語展開もさることながら、まだまともだった頃の鶴見の姿と、しかしそれでも彼の本質が恐るべき謀略家である点を浮き彫りにしてみせ、さらに杉元とのニアミスまで描いてしまうのですから唸るほかありません。

 この巻の表紙が月島であるのを見たときは密かに驚きましたが、いや確かに彼が表紙になるのも納得であります。


 と、杉元サイドを中心に描きながらも、その随所で杉元とアシリパの絆を描いてくれるのも嬉しいこの第15巻。トドの脂身なみに脂っこい味付けの部分も少なくありませんが、この盛りだくさんぶりは、やはりクセになる美味しさであることは間違いありません。


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2018.09.26

平谷美樹『伝説の不死者 鉄の王』 伝説再臨 鉄を巡る驚愕の伝奇SF開幕


 昨年刊行され、作者ならではの鉄を巡る壮大な伝奇世界を描いてみせた『鉄の王 流星の小柄』。本作はその外伝にして前日譚、そして新たなる物語の始まり――前作に登場した謎の女、歩き蹈鞴衆の多霧の少女時代の冒険を描く、驚天動地の時代伝奇SFであります。

 歩き蹈鞴衆の一つ、橘衆の村下(頭)の長女である多霧。鉄を求めて一人山中を探索していた彼女は、越後山野領の山中で、別の蹈鞴衆が何者かに虐殺された現場に遭遇することになります。
 その場で生き延びていたのは、瀕死の深手を追った青年一人のみ。必死に青年の手当をする多霧ですが、しかし目を離した隙に、動ける状態でなかったはずの青年は「俺に関わるな」の言葉を残して姿を消してしまったのでした。

 消えた青年の身を案じながらも、一族のもとに帰った多霧。しかしそれを機に、橘衆は謎の武士たちの監視を受けることとなります。そしてついに始まる武士たちの襲撃――その混乱の中で、多霧は母と兄の一人を喪うこととなります。
 家族の仇を討つべく、怒りに燃えて城下に潜入した多霧。やがて彼女は、全てが伝説の不死の者・無明衆を求めての企てであることを知るのでした。

 そして生き残った橘衆たちとともに、仇の武士たちに決戦を挑む多霧。しかしその最中に、事態は全く予想もしなかった方向に動き出すことになります。
 山野領を揺るがす大異変の正体とは……


 前作においては、鉄と蹈鞴衆にまつわる陰謀を追う浪人・鉄澤重兵衛の前に現れ、彼を時に助け、時に導く形で暗躍した多霧と橘衆。
 その約10年前を舞台とする本作は、まだ多霧が13歳の少女であった時代――鼻っ柱は強く、負けず嫌いでありながら、まだ本当の修羅場を知らない多霧の姿が描かれることになります。

 実は作者の作品には、女性が主人公の作品、女性が活躍する作品が少なくないのですが、本作の多霧もその系譜に属するキャラクターであることは間違いありません。

 決して恵まれた生まれや暮らしでなくとも、その身に誇りを持ち、己の想いに真っ正直に生きる多霧。その姿は紛うことなき平谷ヒロインといえます。
 そんな彼女の活躍は、決して明るいばかりではない――それどころか、もしかすれば作者の作品でも屈指の量の血が流れる――本作に、大きな躍動感を与えていると言えるでしょう。
(もっとも、その少女時代の一つの終わりもまた、本作は描くのですが……)


 しかし本作はそれ以上に、凄まじいまでのスケールを持つ時代伝奇、いや伝奇SFでもあります。

 多霧たち蹈鞴衆――すなわち、製鉄の技を継ぐ者の間に語り継がれる伝説。それはかつて高天原から転がり落ちた神の鉄に触れて鉄の秘密と不老不死の体を手に入れ、人々に鉄を授けたという無明衆の伝説でありました。
(前作において、傷の治りが異常に早い重兵衛に、多霧が大きく心を動かす場面があるのですが、なるほど――と感心)

 彼らこそは本作のタイトルである「伝説の不死者」、本作の全ては、すなわち多霧の戦いは、その力を手に入れんとした者たちの暴挙から始まったと言えるのですが――しかし物語後半で、本作は驚くべき真実を描き出すことになります。
 その詳細はさすがにここで述べるわけにはいかないのですが、しかし登場人物たちのほとんどが、そしてもちろん我々読者が、真実のごく一端しか見ていなかったことを示す展開は驚天動地の一言。終盤のカタストロフィは、ここまでやるか!? と言いたくなってしまうほどのスケールであります。

 前作を紹介した際に作者のサイエンス・テクノロジー志向/嗜好について触れましたが、本作で描かれるのはSF作家としてスタートした作者が、その初期作品で描いてきたものに繋がるものである――そう言ってもよいのではないでしょうか。


 少女の成長と痛快な活劇(多霧の父が橘衆の根城を「梁山泊」と評するのにもニヤリ)、そして壮大な世界観――紛れもなく作者の作品でありながら、さらに新しい段階に踏み込んだことを感じさせる、壮大な物語の始まりであります。


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伝説の不死者: 鉄の王 (徳間時代小説文庫)


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2018.09.25

『つくもがみ貸します』 第十幕「檳榔子染」

 実は20両もの借金があった出雲屋。清次が一ヶ月後に迫った返済期限に頭を悩ます中、うさぎの櫛をどんな高値でもいいから売って欲しいという侍が現れた。借金の存在を知ったつくもがみたちは、うさぎが売られてしまうのではないかと色めき立つが、そこにおかしな霊媒師が現れて……

 いきなり怖そうなおっさん相手に頭を下げている清次。どうやら清次は父の知り合いだというこの越中島の網元に借金をしているようですが――その額なんと20両というからかなりのものであります。店の品物を売ってはどうかという網元の言葉に首を縦に振らず、頼みに頼んで来月まで待ってもらうことになった清次ですが、網元ももう次はないと最後通牒の状態です。
 清次がそんなことになっているとは知らず、店にうさぎの櫛を返しに来た早苗と楽しく語らっていたお紅。ところがその櫛を目にした一人の侍が、お紅と清次に思わぬ提案をしてくるのでした。

 その侍――高田藩の勤番武士である上川は、故郷に残してきた娘が買い与えた櫛をなくして悲しんでいると知り、土産にうさぎの櫛を買いたいと言ってきたのであります。しかし金に糸目はつけないと言われても、店の品物を、特につくもがみの品を売れるはずもない二人。特にうさぎの櫛は、先ほど早苗が三両で買うと言っても断ったほどなのですが――よほど欲しかったのか、上川は自分の脇差しと交換しても良いと言い出します。
 上川は8両と言っていた脇差しですが、清次の目利きでは15両もの値がつくという品。清次にしてみれば渡りに船の話ですが――お紅に借金のことを切り出すことができません。

 そんな清次の様子を訝しんだお紅は、うさぎの櫛(と、いつものことながら、つくもがみ代表として後をつけることとなった野鉄)を身に着けて外出。お紅は、独り言の態で、先日つくもがみたちが話していた佐太郎との過去の出来事の続きを語りだします。
 蘇芳の香炉が亡くなる直前、大火で店を失い、父親も喪ったお紅。そんな彼女を助けるため、佐太郎が蘇芳の香炉を売ってその代金を与えたのではないか――という疑いのことは以前も語られましたが、そのことを、佐太郎自身がお紅に語っていたのであります。お紅への想いもあってどうしてもお加乃との縁談を受け容れられないが、しかし蘇芳の香炉を紛失したために断るわけにはいかない――板挟みとなった彼は、江戸を出ると彼女に告げたのでした。

 お紅は、清次がわらしべ長者作戦で手に入れた80両のかんざしを売り、蘇芳と同じ作者の香炉を買って佐太郎に渡そうと考えるのですが――いやいや、いくらその前に清次がお紅の望むことに使っていいと言ったからといって、さすがにそれはどうなのかと思いますが、それでもOKを出す清次はマジいい人と言うほかありません。

 そんな清次が自分に隠し事をするなんて――と、冷静に考えれば酷いことを言うお紅。そんな彼女のために清次の隠し事を調べたいといううさぎの願いに応え、つくもがみたちは調べに当たります。そしてついにあの借金のことがバレてしまったのですが――最初1両だったのが20両になっていたとは、網元もとんだ鬼畜野郎であります。
 何はともあれ、清次が借金返済のためにうさぎを売るつもりだと思った野鉄はエキサイト、しかしうさぎはつくもがみである前に櫛でありたいと、悲壮な決意を固めるのでした。

 そしてその翌日、出雲屋を訪れる上川。しかしその傍らには、数日前から店を窺っていた霊媒師を自称する男がついていました。この男、上川やお紅から怪しい気配を感じて店に訪れたというのですから、それなりの能力を持つのでしょうが――激怒したうさぎたちの攻撃を受けてあっさりKOされるのでした。
 事ここに至り、上川につくもがみのことを打ち明ける清次。つくもがみはとても大切な隣人だ、だから櫛は売れないと語る清次に、上川は家族と離れるのは辛いことだろうと快く納得、秘密を守ると語るのでした。

 しかし借金は相変わらず――さてどうするのか、というところで以下次回であります。


 過去話を除いてはオリジナルエピソードだった今回、本作ではこれが定番のスタイルとなった感がありますが、あと今回を除いて残り2話で完結するのか、少々心配になってきました(次回もオリジナルのようですし)。

 それはさておき、今回は清次の本心を探るという展開――借金のことは途中まで伏せておいた方が効果的だったような気もしますが、清次の態度に悩むお紅が、うさぎ(と野鉄)に問わず語りに話す場面は、人間とつくもがみが馴れ合わない本作だからこその味わいがあった、なかなかの名場面だったと思います。

 しかし冷静に見れば、清次に対してお紅は酷いことばかり言ったりしたりしている印象は否めないのですが――さて。


『つくもがみ貸します』Blu-ray BOX 下ノ巻(KADOKAWA) Amazon
つくもがみ貸します Blu-ray BOX 下ノ巻


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 「つくもがみ貸します」 人と妖、男と女の間に
 畠中恵『つくもがみ貸します』(つばさ文庫版) 児童書版で読み返す名作

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2018.09.24

梶川卓郎『信長のシェフ』第22巻 ケンの決意と二つの目的と


 織田軍が上杉軍に大敗を喫したと言われる手取川の戦い。実はこの戦いの背後では信長と謙信が対面していた!? という、実に本作らしい展開の『信長のシェフ』。当然(?)そのお膳立てをする羽目となったケンですが、ようやく謙信にまで近づいたもの、まだまだ試練は続きます。

 諸大名による信長包囲網が狭まる中、迫る軍神・上杉謙信。しかし謙信に興味を持った信長は、「わしは謙信に会ってみようと思う」「よっておぬし武田勝頼に捕まってこい」と爆弾発言。

 今は上杉と同盟関係にある武田経由で謙信に接近し、信長の意思を伝えることとなったケンは、大奮闘の末に謙信に膳を出すまで漕ぎ着けるのですが――ここでまたもやというべきか、牢に入れられる羽目になります。
 その間にも、謙信と会談すべく単身動く信長。そしてその動きを知らぬ秀吉が独断で動き、信長の意志とは正反対に謙信の命を狙うことに……

 ここでサバイバルアクションものでお馴染みのアレを使って窮地を脱するケンにも痺れますが、インパクト絶大なのはここから。ついに対面を果たした信長と謙信が果たして何を語り合うのか――って、ええええ、何やってるの二人とも(というか謙信)!? と言いたくなる超展開が待っているのですから。
 ……いや、冷静に考えてみれば、これは戦国大名としてはごく当たり前、特にこの二人であれば当たり前にやりそうなイメージもある行動。そしてまた、実に本作らしい展開でもあるのですが、あまりにいきなりだったので困惑&大笑いしてしまいました。

 しかしその先に待ち受けるのは、これまた実にこの二人らしい和解、いや理解の姿。
 あまりに信長が通俗的なイメージどおりですし、格好良すぎる姿ですが、旧世代の権威の最後の継承者たる謙信と、その権威(の源)を打ち壊してきた信長の出会いとして、本作ならではの説得力を感じさせられます。


 そしてこの時代の移り変わりの象徴とも言うべき姿を目にしたケンもまた、ついに信長に対してある告白をすることになるのですが――そこから、ケンはついにある決意を固めることになります。
 そのために必要になる条件は二つ。一つは、今が西暦何年であるか確認すること。そうしてもう一つは、この時代にやって来たもう一人の現代人・望月を探すこと……

 一つ目については、正直なところ、今までわかってなかったの!? あれだけ細かい史実を知っているのに――という驚きはあるのですが、西暦と和暦の対比がわからないというのはある意味リアルといえばリアルでしょう。結局今回もその細かい史実の知識が解決に繋げるわけですが、そこに先の秀吉の独走のフォローと、そして実に意外かつ美味しそうな料理が絡む辺りも、本作らしいといえるでしょう。

 そして二つ目は、いずれ必ず語られるであろうと思われたものが、こう絡んでくるか、と少々驚かされたのですが――ここで物語はあの人物の最期に向けて動き出すことになります。
 その人物とは松永久秀――本作においては飄々としたしかし全く油断ならぬ老人として、そして何よりも、未来人の一人である果心居士こと松田と長らく行動を共にしていたと描かれる人物であります。

 史実では手取川の戦いとほぼ時を同じくして信長に反旗を翻し、その結果信貴山城に立て籠もることとなった久秀ですが、何と本作においては、久秀はケンとの対面を要求。
 ケンにとっては久秀は望月の手掛かりを知っているかもしれない数少ない人物、信長の信貴山城を開城させてこいという、なにげに無茶ぶりもあって、ケンは森長成(!)とともに、信貴山城に入ることになります。

 しかし久秀といえば、信長も欲した平蜘蛛の茶釜もろとも爆死したという、戦国史でも屈指のなんか凄い最期を遂げた人物。そんなところに乗り込んでいって大丈夫なのかどうか(というかその辺りの知識はなかったのかケン)。果たして――という、実にいいところで次巻に続くことになります。


 冷静に考えてみると、この巻の内容の背景となっている出来事は、信長自身が合戦に参加するわけでもなく、歴史に及ぼす影響としてもさまで大きくないものではあります。
 しかしだからこそ、その中で信長を、ケンを自由に動かし、物語を作ることができる――最近の本作は、初期のような勢いを感じるのですが、あるいはこの辺りの構図にその理由があるのかもしれません。

 本能寺の変まであと5年、それまでに何が描かれるのか、まだまだ楽しめそうです。


『信長のシェフ』第22巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon
信長のシェフ 22 (芳文社コミックス)


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2018.09.23

伽古屋圭市『ねんねこ書房謎解き帖 文豪の尋ね人』 名作が導く二重構造の大正ミステリ


 デビュー以来、大正時代を舞台としたミステリを中心に活躍してきた作者による、新たな大正ミステリであります。神保町の古書店を舞台に、奇妙な日常の謎を無頼派の店主と好奇心旺盛な使用人の少女が解き明かす、なかなかユニークな連作です。

 関東大震災で職を失い、新たな働き口を求めてさまよう少女・石嶺こより。あちこちで断られた末に、最後に彼女が訪れたのは、神保町の古書店街の裏通り――その路地の奥にある古書店「ねんねこ書房」でありました。
 しかし無愛想な店の主人・根来佐久路からも門前払いされそうになったこよりは、佐久路のもう一つの稼業――萬相談に客が来たのをきっかけに、試験代わりに客の相談の背後にあるものを推理することになるのでした。

 同居する古書店員の兄が、夜毎大きなランプを手に出かけていくのを不審に思った少女の依頼。その兄の行動のヒントだと、佐久路はこよりに、芥川龍之介の『羅生門』(それも春陽堂の『鼻』収録版)を佐久路から渡されるのですが……


 この第1話を皮切りに、全5話で構成される本作。元気な少女が、気難しい(でも本当は心優しい)店主が営む小さな店に勤めることになって――というのは、これは今般のライト文芸では定番中の定番、そこにさらにミステリの要素が加わればなおさらですが、しかし本作ならではの独自要素を見逃すわけにはいきません。

 その一つが、関東大震災後の東京――大震災によって一度は灰燼に帰したものの、ようやく復興しつつある東京――という舞台背景であることは、もちろん間違いありません。
 しかしそれ以上にユニークなのは、ミステリとしての本作のスタイルにあるといえます。そう、変形の安楽椅子探偵とも言うべきスタイルに。

 古書店のほかにわざわざ萬相談――一種の探偵業を営むだけあって、佐久路は玄人はだしの推理力の持ち主。依頼人たちが持ち込む相談事の真相を、わずかな手がかりから、ほとんどあっという間に解決する――のは無理な場合でも、こうであろうという目星をつけてしまうのです。
 そしてその助手として、実際に証拠集めや調査に赴くのがこよりの役目なのですが、面白いのは、佐久路がこよりに対しても、謎解きを求めることであります。

 もちろんこよりはごく普通の少女、佐久路並みの推理は求めるべくもありませんが、佐久路は彼女にヒントを――それも「本」という形で示します。上で述べた芥川龍之介『羅生門』のほかにも、黒崎涙香『幽霊塔』、谷崎潤一郎『秘密』、村井呟斎『食道楽』、永井荷風『ふらんす物語』といった本を。
 この本と、そしてそれを手渡すときの佐久路の言葉をヒントに、こよりが佐久路の解いた謎に挑む――いわば本作は、二重構造のミステリと言えるのです。

 収録されたエピソードは、基本的にはいわゆる「日常の謎」がその大半を占めます。それ故に事件性は高くありませんが、この二重構造によって、物語に一定の緊張感がうまれ、そして(古)書店を舞台とする意味も生まれていると言えるでしょう。
(そしてまた、それまでほとんど本に触れたことがなかったこよりが、推理のために本を読んだことで感じる初々しい感動がまた良いのです)

 ちなみに表題作である最終話「文豪の訪ね人」は、その中で謎解きのヒントとなる『ふらんす物語』の作者である永井荷風が依頼人という一風変わったエピソード。
 荷風が可愛がっていたカフェーの女給が行方不明となったことに始まるこのエピソードは、大震災後という舞台の意味、ミステリとしての面白さ、そして有名人の登場という点もあって、表題作にふさわしい内容と言えるでしょう。


 このようにユニークな本作ですが、これまでの作者の大正ミステリを追ってきた読者としては、いささか残念な点もあります。
 それはミステリとしてだいぶおとなしいこと、とでも申しましょうか――作者の作品の多くでこれまで描かれてきた、全編を通じて仕掛けられる大きな謎やどんでん返しが本作になかったことが、いささか不満です。

 もちろん本作にも全編を通じての背骨とも言うべき謎は存在するのですが、少なくとも本作の時点ではそれが有機的に機能していたという印象は小さく、もっと刺激が欲しかった――というのが正直な印象です。
 あまり過激なものばかりを求めるのは、読者としてもあまり良くないことだとはわかってはいるのですが、この作者ならば、とついつい期待してしまったところであります。


『ねんねこ書房謎解き帖 文豪の尋ね人』(伽古屋圭市 実業之日本社文庫) Amazon
ねんねこ書房謎解き帖 文豪の尋ね人 (実業之日本社文庫)

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2018.09.22

木下昌輝『宇喜多の楽土』 運命に逆らい続けた人間が掴んだ夢のかたち


 梟雄・宇喜多直家の姿を思いも寄らぬ角度から描き出した鮮烈なデビュー作『宇喜多の捨て嫁』から6年――その直家の子・秀家の生涯を描く物語であります。父とは全く異なるかに見える生を送る心優しき貴公子が父から託されたものとは、そしてその実現に全てを賭けた彼が得たものとは……

 身内であれ恩人であれ、自分の目的のためであれば容赦なくその命を奪う怪物として恐れられ、その罪の証のように業病を得た奇怪な人物として描かれた『宇喜多の捨て嫁』の直家。本作の物語は、その直家が秀家に後事を託して逝ったことから始まります。
 直家が秀家に託したもの、それは直家が着手した海岸の干拓事業――土地を失った流民のために新たな土地を、楽土を生み出すという父の意外な望みを知った秀家は、わずか11歳で家督を継ぎ、楽土建設を目指すことを決意するのであります。

 しかし宿敵・毛利との戦いは熾烈さ・陰湿さを増す上に、宇喜多の後ろ盾であった信長は本能寺に消え、新たな天下人となった秀吉への臣従を強いられる秀家。
 さらに、土地を召し上げ、代わりに禄米を支給しようとする彼の政策――宛行は、旧来の家臣の猛反発を受け、家中を二分する騒動に発展することになります。

 若き日に弱みを握られた秀吉からは過酷な軍役を課され、その秀吉亡き後には家康の専横に直面し――楽土建設の願いと、愛する豪姫の存在を支えに苦難の道を歩む秀家は、やがて関ヶ原の戦に臨むことになります。
 しかしその結果は完敗。敗軍の将として命を捨てようとした秀家が、その時目にしたものとは……


 本作の前日譚に当たる『宇喜多の捨て嫁』(両作の世界観が共通であることは、冒頭で明確に示されています)だけでなく、史実の上でも強烈なインパクトを持つ直家。その父に比べると、正直なところ、秀家の来歴はかなりおとなしく映ります。

 幼くして家を継ぎ、秀吉からは養女の豪姫を妻として与えられ、次代のエリートの一人として豊臣家を支えた秀家。その結果、家康らと対峙し関ヶ原で敗走、それでも生き延びた末に八丈島に流刑になる――なるほど波瀾万丈ではあります。
 しかし豊臣政権の閣僚としても関ヶ原に参加した将としても、その活躍は何故かあまり印象に残りません。大坂の陣に参加することも、大名に復帰することもなく、文字通り流されるまま生涯を終えた――そんな印象すらあります。

 しかし本作は、それが流れに乗ったものなどではないことを――それどころか、その流れに逆らい続けた人生であったことを描き出します。そしてその秀家の行動の根底にあったのは、彼自身の優しさと、それを実現せんとする強い決意であったことを。。

 流民の生きる土地を作りたい、落ち武者狩りに捕らえられた男を救いたい、友のために仇討ちに臨む男を助けたい……
 いずれも戦国大名としてみれば優しい、というより甘い彼の行動は、しかしその結果から逃げない(逃げられない、と言った方がよいものもありますが)その姿を通して見たときに、静かな感動を呼びます。

 民のためを考え、平和を夢見る戦国大名――それはフィクションにはしばしば登場するものの、しかし同時に、極めて胡散臭い、現実感の感じられない存在であることがほとんどであります。
 しかし本作はそんな戦国大名の姿を、優しさとは正反対の人生を送った、いや送らざるを得なかった父から譲られた楽土という「夢」を追い続けた秀家の姿を通じて、見事に現実感のあるものとして描き出したと言えます。


 残念ながら、『宇喜多の捨て嫁』の強烈なインパクトと構成の妙と比べると、秀家の生涯を真っ正面から描いた本作は、いささか素直すぎる印象があります(さらに厳しいことをいえば、そのインパクトあってこその本作の感動とも言えるかもしれません)。
 またキャラクターの個性の点でも、ある意味直家以上の怪物ともいえる宇喜多左京亮に比べると――この左京亮、ある意味実に作者らしい「怪物に作り替えられた人間」として印象に残ります――大人しすぎると言えます。

 それでもなお、いやそれだからこそ、結末で――史実(巷説?)を巧みにアレンジして描かれる――彼の選択の姿は、より鮮明に心に残るのであります。
 怪物ならぬ人間の身で、夢のために運命の流れに逆らい続けた男の誇り高い姿として……


『宇喜多の楽土』(木下昌輝 文藝春秋) Amazon
宇喜多の楽土


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2018.09.21

『つくもがみ貸します』 第九幕「秘色」

 蘇芳の香炉を探す人物と鶴屋で出会ったつくもがみたち。かつて蘇芳は佐太郎のもとから失われ、彼が蘇芳を売り払って焼け出されたお紅に与えたのではないかと噂が流れたが、彼はお紅の前からも姿を消してしまったのだ。お紅の頼みでその人物を探す清次は、蘇芳が失われた時の模様を知るのだが……

 今回も原作由来のエピソード。物語冒頭から言及されていた蘇芳の香炉にまつわる因縁が、ようやく明かされることになります。

 以前登場した鶴屋に貸し出されたお姫と月夜見。そこで二人は浅川屋の主人と梅川屋の若旦那の会話を聞くことになります。その会話は、お紅も探してきた蘇芳の香炉にまつわるもの。梅川屋もまた、蘇芳の行方を探しているというのですが――
 出雲屋に帰ってきて、小芝居で蘇芳の香炉にまつわる因縁を説明し始めるつくもがみたち。以前、蘇芳の香炉は飯田屋の長男・佐太郎の許嫁であった住吉屋のお加乃から彼に贈られたものであったものの、佐太郎はお紅に熱を上げるばかり。佐太郎の母から、佐太郎の嫁になりたくば櫛から大金を作ってみせろと言われたお紅は、お加乃への意地もあって(清次が)奮闘することに……

 と、櫛の話はさておき、佐太郎のもとから消えてしまったという蘇芳。折しも大火で店を焼け出されたお紅に対して、佐太郎は蘇芳を売り払った代金を与えたのではないか――と噂が流れ、佐太郎の母(何故か五位が演じるのがおかしい)はお加乃との縁談を急いだものの、今度は佐太郎が消えてしまったというのであります。
 世間では佐太郎とお紅が駆け落ちしたのではないかと噂したものの、もちろん真実はそうではなく、お紅は蘇芳と佐太郎の行方を探していたというのであります。今頃になってまたその話を聞かされたお紅は、梅島屋の若旦那こそが佐太郎ではないかと、清次に調べるように頼むのですが、もちろん清次の心中が穏やかなわけがありません。

 何はともあれ鶴屋を訪ねた清次ですが、梅川屋は初めて来た客とのことで鶴屋もわからない。そこで浅川屋を訪ねた清次ですが、佐太郎の名を聞いて顔色を変えた浅川屋は、居合わせた青年・権平を呼び、清次を梅川屋に案内するように申しつけます。そこで梅川屋を訪ねた清次ですが、番頭に訪ねてみれば、若旦那は確かに飯田屋の出身だと言うではありませんか。
 ここで飯田屋にも顔が利くという権平
(有能)に引っ張られて今度は飯田屋に向かう清次ですが、そこでわかったのは、飯田屋の息子は息子でも、梅川屋に行ったのは次男の方。佐太郎に弟がいたのか、と驚く清次ですが、佐太郎の名はいまだに飯田屋ではタブーとなっている様子であります。

 これではとても佐太郎のことは聞き出せそうにないと落ち込む清次ですが、何故か親身に手伝ってくれる権平と話す間に、いつもの手でいこうと思いつきます――そう、無料貸し出しセールでつくもがみを潜入させて情報を集めようと。
 そして早速情報を集めてきたつくもがみたちですが――蘇芳がなくなった日、お加乃が佐太郎を訪ねてきたものの、彼女が来る前には蘇芳は確かに箱に収められていたとのこと。そしてその後、お加乃が訪れた時に佐太郎は部屋におらず、庭に案内された彼女が佐太郎とともに部屋に戻ってみれば、その時には蘇芳は消えていたというのであります。
 ちなみに二人が庭にいる間、佐太郎の部屋から煙草を拝借しようと忍び込んだ使用人の証言によれば、その時には既に蘇芳はなかったというのですが――わかったのはそれだけ、であります。

 その後、出雲屋を訪ねてきた権平から、彼が住吉屋の――すなわちお加乃の実家の――番頭であると聞かされる清次とお紅。お加乃はいまだに佐太郎のことを引きずっており、大叔父に当たる浅川屋から頼まれて、権平が佐太郎を探していたというのですが――同病相哀れむ清次はそれだけではないと見抜きます。権平がお加乃を想っていると……

 結局過去の真相は全くわからず、さすがのお紅も清次たちに無理をさせてばかりと反省。そして清次も、自分は謎解きができると思っていたがそれはうぬぼれに過ぎなかったとこれまた反省。湿っぽいムードのまま、今回は終わります。


 冒頭に述べたとおり原作ベースのエピソードである今回、内容はほとんど原作に忠実ながら、なんと原作の謎解き部分まで今回は描かないという、ちょっと意外なアレンジ(?)であります。原作ではこの謎が物語中盤で解明されるのですが、アニメでは終盤まで引っ張るのでしょう。
 それにしても飯田屋に浅川屋に梅田屋に住吉屋と、○○屋ばかりでかなりややこしい……


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2018.09.20

武内涼『はぐれ馬借 疾風の土佐』の解説を担当しました


 本日集英社文庫から発売の武内涼『はぐれ馬借 疾風の土佐』の解説を担当させていただきました。室町時代の土佐を舞台に、諸国往来御免の「はぐれ馬借」に加わった青年・獅子若の活躍を描くシリーズの第2弾――攫われた子を探す僧を助けて獅子若たちが死闘を繰り広げる室町アクションの快作です。

 先達が源義経から過書(通行許可証)を与えられ、諸国往来御免の特権を持つ「はぐれ馬借」。並外れた体躯と印地(石投げ)の腕で鳴らした馬借・獅子若は、ある事件がきっかけで坂本を追放された末に、このはぐれ馬借の一員に加わることになります。
 敵であっても命を奪わないというはぐれ馬借の掟に戸惑いつつも、徐々に仲間と馬たちにも馴染み、旅を続ける獅子若の冒険が描かれた前作『はぐれ馬借』。

 その続編である本作は、獅子若たちが鳴門海峡を越え、四国に入る場面から始まります。
 一仕事を終え、攫われた子を探しているという雲水の一人・昌雲とともに土佐に向かうことになった一行ですが、しかしその先に待ち受けるのは厄介事の数々。火付けの疑いをかけられ、土地の悪徳代官からは義経の過書を売るように執拗に迫られ、さらには獅子若に恨みを持つ凶賊・猿ノ蔵人率いる盗賊連合に追われ……

 四面楚歌の状況の中、己の命を、荷を、そして誇りを守るため、土佐の山林を舞台に、獅子若と仲間たちは、幾多の敵を向こうに回し、死闘を繰り広げることになります。


 というわけで、「飛び交う金礫、疾駆する荒馬! これぞ室町ウェスタン!」という帯の文句そのままのアクションが繰り広げられる本作。
 特に、獅子若をはじめとする登場人物たちが――この時代では弓矢を除いてほとんど唯一の飛道具である――印地打ちを得意とするだけに、作中では様々なシチュエーションで礫が飛び交うことになり、その面白さと迫力は、このシリーズならではのものと言えます。

 しかし、アクションがスゴい、ヒーローが強い――では終わらないのが武内作品の魅力であります。
 本作の主人公である獅子若は、単純な力という点では、作中屈指の存在であります。しかし、その力を振るって敵を倒せばそれで全てが解決するのか? そうではありません。力で勝つだけでは何かが足りない――その先にあるものを求めて、獅子若は悩みながら歩を進めていくことになります。

 人が人らしく生きるというのは如何なることなのか。そしてそのためには何が必要なのか――その道を常に問いかけ、辛く厳しくともその道を行こうとする人々を、作者は本作のみならず、その作品のほとんど全てで描いてきました。
 そしてそんな人々の姿は、室町という時代において、より大きな意味を持つことになります。それも、我々現代の人間にも無縁ではない形で。

 さて、それは一体どのような意味か――それはまあ、読んでのお楽しみということで、よろしくお願いいたします。


 というわけで、作品の紹介なのか、解説の紹介なのか、いささかこんがらがってしまいましたが、本作が、血湧き肉躍る時代活劇であるのと同時に、室町時代ならではの(そして現代にまで通底する)人間の姿を鋭く描いてみせた歴史時代小説であることは、私が保証いたします。

 獅子若の物語と平行して、ある歴史的事件に繋がる動きが描かれるのも気になるところで――まずは本作を通じて、この『はぐれ馬借』の世界、武内作品の魅力に触れていただければと思います。


『はぐれ馬借 疾風の土佐』(武内涼 集英社文庫) Amazon
はぐれ馬借 疾風の土佐 (集英社文庫)


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2018.09.19

澤見彰『横浜奇談新聞 よろず事件簿』 もう一人の福地、時代の影から物申す


 最近は『ヤマユリワラシ』『白き糸の道』と骨太の作品が続いた作者ですが、軽妙な味わいの(それでいて根底には重いものが流れる)作品も得意とするところであります。本作もその流れを汲む作品――明治初期の横浜を舞台に、生真面目な元武士と軽薄な英国人記者のコンビが怪事件を追う連作です。

 かつて海軍伝習所に学び、その外国語の知識を活かすことを夢見たものの、病で海外行きの機会を逃して以来、鳴かず飛ばずの暮らしを送る青年・福地寅次郎。恩人の勧めで横浜を訪れては見たものの、彼にできることさしてはなく、翻訳の仕事などで食いつなぐ毎日であります。
 そんな中、ついに髷を落とすという決心を固めて訪れた寅次郎は、理髪店で容姿端麗ながら脳天気で軽薄な英国人青年・ライルと出会うことになります。

 奇談怪談ばかりを扱う新聞「横浜奇談」の記者であるライルから、この理髪店で落とされた髷の怨念が夜な夜な怪事件を起こすという噂を聞かされた寅次郎。成り行きから理髪店の店主を助けるために一肌脱いだ寅次郎は、ライルから自分と一緒に「横浜奇談」を作ろうと誘われるのですが……


 おそらくは明治初期、いや幕末の日本において、最も世界に開かれた場所であろう横浜。この開化の横浜を舞台とした作品は数々ありますが、本作の最大の特徴は、その時代と場所、そしてそこに集う人々を描くのに、新聞という新たなメディアを切り口としていることでしょう。
 もちろん、江戸時代にも瓦版はありますが、新聞はそれとはまた似て非なるもの。面白半分のゴシップや奇談だけでなく、社会や政治に対するオピニオンを掲載したその内容は、新たな時代の象徴として、そして欧米から流入した文化の代表として、まことに相応しいと言えます。

 ……もっとも、本作で寅次郎とライルが携わる「横浜奇談」は前者をメインに扱うのですが、しかしそれでも新聞の、記者の魂は変わりません。ワーグマンやベアトといった当時の(実在の)先達に嗤われながらも、地に足のついた、いや地べたから物申すメディアとして、寅次郎とライルは日夜奮闘を繰り広げる――その姿こそが、本作の魅力であります。

 そう、新しい時代が輝かしい文明の光をもたらす一方で、光に憧れながらそれに手が届かない者、その光の輝きに馴染めぬ者、光の中に踏み出すのを躊躇う者――そんな光から外れた影の中に暮らす人々、暮らさざるを得ない人々がいます。
 その一人が、物語が始まった時点の寅次郎であることは言うまでもありません。

 そして寅次郎だけでなく、取材の中で彼とライルが出会う人々もまた、それぞれの形で時代の影に囚われた者たちであり、そんな人々が絡んだ怪事件の数々は、そんな時代の影、時代の矛盾が生んだものであります。
 そしてそんな事件の背後にあるのは、女性蔑視や人種差別といった重く難しい――そして何よりも、今この時代にも存在するもの。その事件を新聞記事として明るみに出すことで、彼らは彼らなりのやり方で、時代に、時代の在り方に挑んでいると言えるでしょう。

 寅次郎とライルを中心にしたキャラクターのコミカルなやりとりを描く一方で、この時代背景ならではの、そして決して我々にとっても無縁ではない「もの」を浮き彫りにしてみせる本作。
 実のところ、描かれる怪事があまり怪事でなかったり、登場人物たちがいささか物わかりが良すぎる印象は否めないのですが――軽く明るく、そして重く厳しい物語内容は、実に作者らしい、作者ならではのものと言えます。
(そして小動物が可愛いのもまた、別の意味で作者らしい)


 ちなみに上に書いたとおり、寅次郎の姓は福地ですが、この時代にはもう一人、新聞記者の福地が存在します。その名は福地源一郎――桜痴の号で知られる彼は、やはり幕末に外国語を学び、明治時代に新聞記者として活躍した人物であります。

 しかし幕末に遣欧使節に加わり、明治時代には役人として活躍した源一郎は、寅次郎とは対照的な存在と言えるでしょう。
 ある意味本作は、明治の光を浴びた福地ではない、もう一人の福地を主人公とすることで、光からは描けないものを描いてみせた物語なのではないか――いささか大袈裟かもしれませんが、そのようにも感じるのであります。


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2018.09.18

福田悠『本所憑きもの長屋 お守様』 連続殺人の影に呪いの人形あり!? どんでん返しの時代ミステリ


 第16回 『このミステリーがすごい! 』大賞の隠し玉作品に選出された本作は、一見妖怪時代小説のようなタイトルでありつつも、その実かなりストレートな時代ミステリ。晴らせぬ恨みを晴らせると噂の人形を巡って起きる連続殺人と、その陰に潜む意外な人の情を描く物語であります。

 江戸で続発する殺人事件。いずれも人から強い恨みを受ける悪党が殺されたものの、被害者同士に繋がりはなく、いずれも達人と思しき相手に一刀のもとに斬られているという謎多き事件であります。
 その調べに当たる岡っ引きの甚八は、殺人が起きる前に、いずれも被害者に恨みのある女性がある人形に願掛けをしていたことを知るのですが――それはなんと、甚八が暮らす徳兵衛長屋の奥の祠に祀られた「お守様」と呼ばれる人形だったのです。

 お守り様に願をかければ天誅が下されるという噂を流している何者かがいると、その後を追う甚八は、やがて自分と姉のおしの、幼馴染の武士の子・柳治郎の子供時代にも、お守様にまつわる事件があったことを思い出します。
 果たしてお守様は呪いの人形なのか、そしてお守様にまつわる因縁とは何か。何故お守り様への願い通りに悪人が殺されていくのか。ついに甚八が掴んだその真相と、犯人の正体とは――

 『このミス』大賞の隠し玉といえば、これまでも『もののけ本所深川事件帖 オサキ江戸へ』や『大江戸科学捜査 八丁堀のおよう』といった、時代ミステリも――それも、一筋縄ではいかない作品を送り出してきた枠であります。
 それ故、ジャンルとしては同じ時代ミステリもまた、どんな作品が飛び出してくるか、と身構えていたのですが、これが意外なまでに(といっては失礼に当たりますが)端正で、それでいて一ひねりが効いた作品でありました。

 物語の主な舞台はタイトルどおりに本所の裏長屋、主人公はその長屋に出戻りの姉と暮らす岡っ引きと、いかにも文庫書き下ろし時代小説の王道の一つ、ミステリ風味の人情もの的スタイルですが、丁寧な文体と物語構成で描かれる物語は、やがて少々意外な姿を現していくことになるのです。

 実は本作は、物語の随所に犯人の視点からのパートが挿入されます。個人的にはこの趣向は、直接的ではないものの、犯人の正体や狙いの一端を明かしているようで、最初は違和感があったのですが――しかしやがてこのパートで描かれるものは、こちらがそうであろうと予想していたことから少しずつ離れていくことになります。
 そしてそれが全く異なるもう一つの姿を浮かび上がらせていくことに気付いた時には、もう物語にすっかり引き込まれていたのです。


 正直なところ、犯人はかなり早い段階で予想がついてしまうのですが、その犯人像は、本作が真っ向からの時代小説として成立しているからこそ意外なもの。
 そしてその先に描かれるもの、広義のホワイダニットと申しましょうか――犯人の存在と密接に関わり合う「お守様」誕生のきっかけもまた、なるほどと感心させられます。

 そしてこれらの物語のピースがぴたりぴたりとあるべきところに嵌まっていった末に、物語は結末を迎えるのですが――その先にもう一つどんでん返しが用意されているというのもいい。
 ミステリとしての面白さはもちろんのこと、あるの人物の抱えてきた想いが、その無念のほどが、これでもかと言わんばかりに描かれていただけに、この結末は大きなカタルシスを与えてくれるのであります。


 このレーベルの作品が得意とする(印象もある)大仕掛けがあるわけでもなく、キャラクターたちも少々地味なきらいはあります。先に述べたとおり(その詳細はともかく)、犯人がすぐにわかってしまうのも勿体ないところではあります。

 物語的にも、もう一山ほしかったような印象はありますが――しかし丁寧な物語運びと、そこから生まれるどんでん返しの味わいには、捨てがたい魅力がある作品であります。

『本所憑きもの長屋 お守様』(福田悠 宝島社文庫「このミス」大賞シリーズ) Amazon
本所憑きもの長屋 お守様 (宝島社文庫 「このミス」大賞シリーズ)

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2018.09.17

「コミック乱ツインズ」2018年10月号


 今月の『コミック乱ツインズ』は、表紙が『軍鶏侍』、巻頭カラーが『勘定吟味役異聞』。特別読切等はなしの、ほぼ通常運転のラインナップです。今回も印象に残った作品を一つずつ紹介いたします。

『勘定吟味役異聞』(かどたひろし&上田秀人)
 上に述べたとおり巻頭カラーの本作ですが、主人公のチャンバラは今回なし。というより、今回のエピソードに関わる各勢力の思惑説明回という趣であります。シリーズ名物の上役から理不尽な命を下される(そして聡四郎を逆恨みする)役人も登場、文章で読むとさほどでもありませんが、絵でみるとかなり可哀想な印象が残ります(普通のおじさんなので)。

 さて、今回聡四郎の代りに活躍するのは、相模屋の職人頭の袖吉。これまでも何かと聡四郎をフォローしてきた袖吉ですが、今回は潜入・探索要員として寛永寺に潜入して重要な情報を掴むという大金星であります。すごいな江戸の人入れ屋……


『軍鶏侍』(山本康人&野口卓)
 久々の登場となった印象のある本作ですが、面白いことに今回の主役は軍鶏侍こと岩倉源太夫ではなく、彼が家に作った道場に通う少年・大村圭二郎。父が横領で腹を切った過去を持ち、鬱屈した日々を追る彼は、ある日、淵で主のような巨大な鯉と出会って……

 と、少年の一夏の冒険を描く今回。周囲の人間とうまく係われずにいた圭二郎が大鯉と対峙する姿を、時に瑞々しく、時に荒々しく描く筆致の見事さは作者ならではのものと言うほかありません。
 師として、大人として、圭二郎を見守る源太夫の立ち位置も実に良く(厭らしい言い方をすれば、若い者に格好良く振舞いたいという読者の要望にも応えていて)、彼の命で圭二郎を扶ける老僕の権助のキャラクターも味わいがあり、良いものを読むことができました。


『カムヤライド』(久正人)
 出雲編の後編である今回は、出雲国主の叛乱に乗じて復活した国津神・高大殿(タカバルドン)との決着が描かれることとなります。
 真の姿を現した高大殿の前に、流石のモンコ=神逐人(カムヤライド)も追い詰められることになるのですが……
 変身ヒーローのピンチ描写では定番の、そして大いに燃えるマスク割れも出て、クライマックス感満点であります(ここでサラリとモンコのヒーロー意識を描いてくれるのもいい)。

 ここでカムヤライドの攻撃も通用しない強敵を前に、モンコが用意する対抗手段も意外かつユニークなのですが、盛り上がるのはそのためにモンコがヤマトタケルを対等の相棒として協力を求めるシーン。自分の王家の血にはそんな特別な力はない、と躊躇うヤマトタケルに対するモンコのセリフは、もう殺し文句としかいいようのないもので、大いに痺れます。
(この出雲編では、冒頭から「王家の血」の存在が様々な形で描かれていただけに、モンコがそれをバッサリと切り捨ててみせるのが、実にイイのです)

 そしてラストでは意外な(?)次回へのヒキも用意され、大いに気になるところであります。


『用心棒稼業』(やまさき拓味)
 冒頭のセリフ「酷暑(あつ)い…」が全てを物語る、ひたすら暑い強烈な日差しの下で男たちが過剰に汗を流しながら繰り広げられる今回の主人公は、冒頭のセリフの主である海坂坐望。「仇討」の仇名のとおり、兄の仇を追って長きに渡る旅を続けている坐望ですが……

 川で流されていた少女を助けのがきっかけで、その父である髭浪人・左馬之助と出会った坐望。竜水一刀流の遣い手である左馬之助と語るうちに、かつて主命によって望まぬ人斬りを行い、藩を捨てたという彼の過去を知る坐望ですが、それは彼と無縁ではなく――というより予想通りの展開となります。
 そしてクライマックス、町のヤクザ同士の出入りの助っ人として対峙することとなる坐望と左馬之助。坐望の心の中に既に恨みはなく、左馬之助は坐望の過去を知らず――ただ金のためという理由で向き合う二人の姿は、武士の、用心棒という稼業の一つの姿を示しているようで実に哀しい。

 その哀しさを塗りつぶすかのように過剰にギラギラ照りつける日差しと、ダラダラ流れ続ける汗の描写も凄まじく、息詰まる、という表現がふさわしい今回のクライマックス。
 ラストでちょっと一息つけるものの、これはこれで気になる展開ではあります。


「コミック乱ツインズ」2018年10月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 2018年10月号[雑誌]


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2018.09.16

『つくもがみ貸します』 第八幕「江戸紫」

 近江屋の幸之助から、海苔問屋の淡路屋半助のことを調べて欲しいと頼まれた清次。商売は巧みで容姿端麗、人当たりも良い半助だが、何故か幸之助に良くしてくれるのだという。そこで調べてみれば、海苔問屋を始める5年前より前の経歴は謎に包まれている半助。しかし思わぬところからその手がかりが……

 もう完全にレギュラーになった感のある幸之助から、海苔問屋・淡路屋の主である半助のことを調べて欲しいと依頼された清次。丁度損料屋を探していた半助に出雲屋を紹介してくれたということで、早速半助と対面することになる清次ですが――これがいかにも本作らしい面白デザインのキャラながら、お姫やうさぎ、お紅までも頬を赤らめてしまうほどの美形であります。が、そこで五位だけは、怪訝そうな顔で半助を見つめるのですが……

 それはさておき、今度旦那衆で川下りの遊びをする際に、扮装をするための衣装や小道具を貸して欲しいという半助(現代でいうハロウィンパーティーのようなもの、というナレーションの解説がおかしい)。さらに半助は幸之助と仲の良い清次たちも川下りに誘います。そして綺麗どころを集めて賑やかに始まる川下り、花魁(?)姿のお花、盗人姿のお紅の姿が実に可愛い――というのはともかく、自分を「お大尽」と呼ばせてにこやかに遊ぶ半助は、確かにその名に相応しい姿です。
 その川下りの途中、千住名物だというおばけ櫓――角度によって4つの櫓が2つに見えたり3つに見えたりというどこかで聞いたようなもの――が好きだと語る半助に、何気なく五位のキセルを渡す清次。しかし半助はその模様を見て明らかに表情を変えるのでした。

 そんなことはあったものの、その日は楽しく終わり、清次にも相場の倍の価を気前よく支払う半助。こんなにいただくわけにはいかないと、代わりに店の品物を貸すことにした清次ですが――その中にはつくもがみたちが混じっていることは言うまでもありません。そして情報を聞き込んできたつくもがみたちですが――そこには半助の過去の話は一つもなく、聞こえてくるのは今現在の話ばかり。どこから来たのか、これまで何をやっていたのか、親類縁者の話なども何一つないというのであります。
 5年前に浅草に身一つで現れ、海苔を売り始めて瞬く間に身上を築いたという半助。しかしまるで過去がないように、誰もそれ以前のことを知らない――そんな半助が自分に、自分と縁のあった清次にまで非常に良くしてくれることに幸之助が困惑したことが、今回の依頼のきっかけだったのであります。

 そんな中、つくもがみたちに過去の苦い思い出を語る五位。ある芸者に買われた五位は、彼女が懸想していた妻ある男に贈られ、男は妻を捨てて芸者のもとに走る結果になりました。しかし一時の情熱が冷めた頃、男はかつての妻が食卓に出していた海苔が、どれだけ精魂込めて焼いてあったか気付いたと……
 その出来事が5年と少し前のこと、そして妻の行方は誰も知らないと聞いた清次は、何かに気付いたように、五位を手に半助のもとを訪れます。そしてこのキセルに覚えがあるのではないか、と問う清次を、半助は二人きりで川下りに誘うのでした。

 船の上で、自分が女――あの五位の昔話の夫に去られた妻であることを認める半助。親類縁者に合わせる顔がないと姿を隠し、髪を落として男を装った彼女は、生計のために海苔を売り始めたのであります。しかし親が海苔漁師であったためか商売は大当たり、そんな中で幸之助と出会った彼女は、彼に恋してしまった……
 清次に真実を語った半助は、しかしこの先も半助として生きていくと語ります。半助と清次が見つめるお化け櫓の姿は、その時々で様々に姿を変える半助の姿なのか、あるいは人生の有為転変を映したものか……


 オリジナルエピソードだったものの、全く過去がないというちょっとゾッとさせられるような人物や、その人物が抱えた哀しい過去と屈託の存在など、ある意味これまでで最も原作――というか原作者のテイストが感じられる内容だった今回。
 半助のその後の姿が描かれることなく、二人が黙って川を下る姿で終わるのも、何とも言えぬ余韻を感じさせてくれます。

 しかし、いかに海苔に親しんでいたとはいえ、素人が5年で大店の主にというのはやはり違和感が大きいですし、何よりも今回の物語の象徴であるお化け櫓が、あからさまにお化け煙突――すなわちこの時代に存在しないもの、というのは残念ではありますが……

 ちなみにどう聞いても美青年の声にしか聞こえない半助役は、美青年を演じたら右に出る者がいない女性声優・斎賀みつき。なるほど、と納得するとともに、ある意味ネタバレ的キャストなのがちょっと面白いところです。


『つくもがみ貸します』Blu-ray BOX 下ノ巻(KADOKAWA) Amazon
つくもがみ貸します Blu-ray BOX 下ノ巻


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 「つくもがみ貸します」 人と妖、男と女の間に
 畠中恵『つくもがみ貸します』(つばさ文庫版) 児童書版で読み返す名作

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2018.09.15

畠中恵『つくもがみ貸します』(つばさ文庫版) 児童書版で読み返す名作


 現在アニメ放送中の『つくもがみ貸します』、アニメ紹介のためには原作も再読しなければ――と思ったのですが、以前紹介した作品をただ再読してもつまらない、というわけで、角川つばさ文庫版を再読いたしました。

 角川つばさ文庫はKADOKAWAの児童文学レーベル――他社の児童文庫同様、新書サイズの書籍に大きめのフォントとふりがなの本文、豊富なイラストというスタイルのレーベル。オリジナルの作品だけでなく、過去に一般向けに刊行されたSF・推理小説、ライトノベルのリライトも数多く(個人的な感覚では他社の児童文庫よりも多い印象)収録されています。
 それだけにこの『つくもがみ貸します』の収録も特に意外ではないのですが、しかし物語的には男女の関係の機微が中心にあるだけに、大丈夫なのかな――と思えば、ほとんどそのままの内容となっていたのには好感が持てました。(ちなみに対象年齢は「小学校高学年から」)

 ただ一箇所すぐ気付いたところでは、第1話に登場する深川の遊女・おきのの説明が「深川の旅籠で働いている女性」となっていた辺りは、苦労というか限界というかを感じましたが……


 さて、そんなわけで内容的には原著と全く変更のない本書。すなわち、深川の損料屋兼古道具屋・出雲屋を営むお紅と清次の姉弟が、店の気難しくも好奇心旺盛なつくもがみたちとともに、つくもがみや古道具絡みの事件に挑む以下の全5話が収録されています。

 格上の家に婿入りすることになった武士から、先方より譲られた根付けが足を生やして逃げ出したという事件の背後に潜む人の情を描く「利休鼠」
 料理屋を開こうとする男が居抜きで買った家に出没する幽霊。出雲屋のつくもがみ・裏葉柳は、その幽霊が自分の恋人ではないかと言い出して……「裏葉柳」
 お紅に想いを寄せる若旦那・佐太郎が別の女性から譲られたものの、いつの間にか消え失せ、佐太郎がお紅のために売ったと噂になった蘇芳の香炉。その手掛かりを掴んだ清次が、かつての謎を解く「秘色」
 かつて嫁入りしたくば佐太郎に贈られた櫛を使って大店を立て直すほどの金を用意してみせろと、佐太郎の母に挑まれたお紅。お紅と助ける清次、佐太郎の過去が語られる「似せ紫」
 四年ぶりに江戸に帰ってきたものの、お紅の前に現れず、行方不明となった佐太郎を探す清次。煮え切らない男たちに対するお紅の想いの行方が明かされる最終話「蘇芳」

 いずれのエピソードも、人間の起こした事件につくもがみが関わり、そして清次がつくもがみを利用してそれを解決するミステリ仕立ての内容。
 しかし清次とつくもがみが、単純な友人関係ではなく、ましてや使役される間柄でもないというのが、読み返してみても実に面白いところであります。

 あくまでも人間は人間、つくもがみはつくもがみ――両者は厳然と分かたれているものの、しかし同じ世界に住む隣人同士。面倒な間柄をどうクリアして事件の謎を解くか、という関係性の面白さは、そのまま清次とお紅という人間同士、いや男と女の関係性に重なっていくというのが、本作の何よりの魅力でしょう。

 もちろんこの児童文庫版の読者がその構図をストレートに読みとれるかはわかりません。
 しかし単純に妖怪ものとして見ても、身の回りの(もちろん江戸時代の、という限定付きですが)品物がつくもがみとなって動き、話し出すというのはやはり楽しく、一種マスコット的なつくもがみたちのキャラクターを見ているだけで、十分以上に楽しめるのではないでしょうか。

 少なくとも、大の妖怪好きだった(これは現在進行形ですが)子供の頃の自分が読んだらさぞかし夢中になったに違いない――そう感じます。


 ちなみに、本作は全5話のうち、半分以上の3話が、佐太郎と蘇芳の香炉にまつわるエピソード。第2話のラストから蘇芳が登場することを考えれば、物語の大半がこのエピソードに繋がることになります。
 これはもちろん、本作がそういう作品であるということであり、初読の時は全く気にならなかったのですが、今読み返してみると、それだけで終わるには勿体ない設定とキャラクターであったと感じます。

 現在放送中のアニメ版は、かなりのエピソードがオリジナルなのですが、原作の話数が少ないという以上に、原作の可能性を広げるという意味で、これも正しい方向性だな――と再確認した次第です。


『つくもがみ貸します』(畠中恵 角川つばさ文庫) Amazon
つくもがみ貸します (角川つばさ文庫)

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2018.09.14

和月伸宏『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚・北海道編』第1巻 再び始まる物語 帰ってきた流浪人! 


 あの『るろうに剣心』の正真正銘の続編――北海道編の第1巻が発売されました。作中の時間軸では前作の5年後、現実世界では1999年の連載終了から18年の時を経て復活した本作が、本当に色々あって――…ようやく単行本の登場であります。

 幕末には人斬り抜刀斎として、そして明治には一人の流浪人として戦い続けた緋村剣心。その戦いは、抜刀斎の罪を償わせんとする者との激突を経て、剣心として闘いの生を全うすることを決意したことをもって終わりを告げ、薫と新しい家庭を築いたところで物語は完結したのですが……

 明治16年、小菅集治監から刑期を終えて出所した少年・長谷川悪太郎と井上阿爛。金もなく行くあてもない二人は、5年前に悪太郎が志々雄真実一派のアジトから持ち出した一本の刀を売り払おうとするも、謎の少女・旭にまとわりつかれた上に、残党に追われることになります。
 追い詰められた二人を救ったのは剣心――かくて神谷道場に引き取られた悪太郎は、明日郎と名乗り、阿爛とともに新たな暮らしに足を踏み出すことに……

 そんな『明日郎前科アリ』をプロローグとして始まった北海道編。この第1巻においては、前半に『明日郎前科アリ』前後編が、後半に北海道編第3話までが収録される形となっております。

 赤べこで、偶然旭と再会した明日郎。旭が属する、志々雄一派とも異なる謎の組織の男と激突した明日郎は、暴走の末に剣心に取り押さえられるのですが――そこで男が残した一枚の写真を見つけます。
 函館で撮られたと思しいその写真に写っていたのは、一人の男。しかしその男が、西南戦争で死んだはずの薫の父・越路郎であったことから、事態は一気に動き出すことになります。

 写真の真偽を確かめるため、北海道に向かうことになった剣心と薫、剣路と、明日郎・阿爛・旭。しかしその頃、函館山では、山頂に立て籠もり警官隊を全滅させた謎の敵に、ただ一人、斎藤一が挑もうと……

 そんな第1話の北海道編ですが、実は剣心たちが海を渡るのは第3話、すなわちこの巻のラストであります。先に述べたように、北海道編本編はこの巻の後半からの収録のためではありますが、しかしこの部分だけでも、『るろうに剣心』の続編の始まりとして、大いに盛り上がるのです。

 そう、続く第2話で登場するのは、新たなる謎の敵。警官隊のみならず完全武装の軍隊までわずか四人(実質三人)で戦闘不能にしてのけたその敵の名は「剣客兵器」!
 その形象は剣客、その本質は兵器という名乗りも格好いいこの四人、正体目的は全く不明ながら、その外連が効き過ぎたビジュアルといい武器といい技といい、紛れもなく『るろうに剣心』の敵。この巻ではその一人と斎藤一との激突が始まったところですが、この先の展開には期待大であります。

 そしてそれとはまた別の意味で本作らしい――そして個人的にはより強く印象に残った――のが、第3話で描かれる、弥彦と剣心の再度の立ち会いです。
 この二人の立ち会いは以前にも描かれ、その時は剣心が弥彦に逆刃刀を譲るという結果になったわけですが――今回はその逆、弥彦が剣心に逆刃刀を返すこととなります。

 剣心から弥彦への逆刃刀の継承という展開は、幕末の剣術から開化の剣道への変化という意味も込めて実に良い展開だと感じていたのですが、それがここで再び剣心の手に逆刃刀が返ってしまったのは、正直に申し上げれば残念なところではあります。
 そもそも前作では新たな時代の象徴であった弥彦。その彼が、さらに新たな時代の人間である明日郎たちに押し出されたように、半ば退場する形となったのには、なんとも言えぬ哀しさがあります(身も蓋もないことを言えば、この先登場しそうな前作キャラも加えれば、味方側のキャラが多すぎるのですが)。

 しかしここで描かれる、再度の立ち会いの末に弥彦が失ったもの、手に入れたものの姿は、その見せ方のうまさもあって実に感動的であり――彼にとってのモラトリアムの終わりという印象があります。
 これはこれで一つの時代の終焉――というのが大袈裟であれば、時代の移り変わりを感じさせてくれるものがあります。少年少女時代に前作を読んでいた読者には、胸に迫るものがあるのでは、というのは言い過ぎかもしれませんが……


 何はともあれ、新たな物語の幕は上がりました。かくなる上は、二度と物語が中断することがないよう祈りつつ、新たな時代に向かう、新たな時代に生きる者たちの姿が如何に描かれるのか――それを胸躍らせながら待つのみであります。


『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚・北海道編』第1巻(和月伸宏 集英社ジャンプコミックス) Amazon
るろうに剣心─明治剣客浪漫譚・北海道編─ 1 (ジャンプコミックス)


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2018.09.13

北崎拓『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第3巻 二人のますらおを分かつ死と生


 人を信じず、ただ戦の中においてのみ生を実感する青年・源義経を描く『ますらお 秘本義経記』の第2シリーズ、待望の第3巻であります。愛する人のため、義経の首級を挙げるために孤独な戦いを続ける那須与一と義経の対決の決着は、そして源氏と平氏の決戦の行方は……

 人や動物の心を感じることができる異形の右目と、恐るべき弓矢の腕を持つ男・那須与一。己を広い、慈しんでくれた「姉」――ただ一人自分を人間扱いし、己に「与一」の名を与えてくれた彼女に報いるため、彼は執拗に義経を狙うものの、天運味方せず幾度も取り逃がすことに。
 さらに女子供の窮地を見過ごせない性格故に源範頼の暗殺に失敗した彼は、逃走中に瀬戸内の海賊衆頭目の女丈夫・瑠璃に救われたものの、彼女に迫られて……

 と、前シリーズに登場したキャラクターの久々の登場(色々な意味で逞しく成長して……)で昔からのファンには盛り上がる展開ですが、しかし与一は相変わらず良くも悪くも一途な男。
 瑠璃の誘惑を撥ね付け、逆に彼女に気に入られた与一は、平氏の陣に帰るのですが――その彼を思わぬ悲劇が待ち受けます。

 度重なる暗殺失敗のため、そして敗戦の責をなすりつけられて、裏切りの濡れ衣を着せられて捕らえられる与一。
 家族であったはずの那須一門からも裏切られ罵られ、それでも耐える与一ですが、最愛の姉までもが裏切り者として捕らえられ、手荒に扱われるのを目の当たりにして、ついに彼の怒りは大爆発することになります。

 それでも彼が生き延びることを望む姉の想いを受け、瑠璃の手引きでその場を逃れる与一。もはや姉を救うには、義経の首を手土産にするしかないと、瑠璃を謀り、与一は義経に会うために京へ向かいます。
 一方義経は、戦に出ることも許されぬまま、妻に迎えた郷御前と静御前に挟まれ、それなりに賑やかな毎日を送っていたのですが、再び現れた与一を前にして……


 こうして第2巻冒頭以来、再び出会うこととなった義経と与一。かたや源氏の(一応)御曹司、かたや平氏方の武家に拾われた野生児と、その身分や立ち位置はほとんど正反対であれど、この二人は極めて似た、大きな共通点を持つ存在として描かれてきたという印象があります。
 その共通点とは、戦いの中でしか己の存在を肯定できないこと――すなわち、戦いの中でしか他者とのコミュニケーションを取れないこと。

 共に孤独な少年時代を送り、その中から這い上がってきた彼らは、己の力のみが頼りであり、それ故にその力を発露する場――すなわち戦場においてのみ、人間として認められるという、極めて皮肉な存在なのであります。
 普通であれば人間性が否定される場においてのみ、人間性を発露できる――そんな義経の悲劇を描くのがこの『ますらお』という物語であるとすれば、与一は、もう一人の義経であると言ってもよいのでしょう。

 しかし、義経は与一をもう一人の自分――とは言わないまでも、己と同類と見なしているふしがある一方で、与一は己と義経を異なる存在と見ているのがまた面白い。
 そして与一にそう感じさせるのは、言うまでもなく彼にとっては生きる理由、生きなければならない理由があるから――己の命よりも大事な女性がいるからにほかなりません。

 義経がどれだけ周囲を惹きつけ、慕われても、それを弱さと否定し、他者を拒絶して戦に――死に向かうのに対して、与一はただ一人の女性を愛し、そのために生きようとする。(もっともそのために与一には彼女以外の他者がいないようにも見えるのですが……)
 そんな死にたがりと生きたがりの違いは、この巻の終盤においてクローズアップされることになります。

 果たしてこの極めて近く、そして同時に極めて遠い二人が互いを理解する日が来るのか――来るとすれば、それはこの『波弦、屋島』という物語が終わる時かもしれません。


 そしてまた、そんなギリギリの二人の周囲に生きる人間たちもまた、それぞれの想いがあります。
 この巻において、与一と接することでその一端が描かれたのは佐藤継信――奥州からやってきた佐藤兄弟の兄であります。義経に惹かれ、郎党となりながら、周囲とは目に見えぬ壁を感じている彼が、与一と触れて何を思ったか、そしてそれが何をもたらすのか。

 史実を知っていればそれは予想がつくのですが、さて――いよいよ次巻では屋島の戦が開戦、こちらにも注目であります。


『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第3巻(北崎拓 少年画報社YKコミックス) Amazon
ますらお秘本義経記~波弦、屋島~ 3 (ヤングキングコミックス)

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2018.09.12

芦辺拓『帝都探偵大戦』(その三) 探偵たちの本質と存在の意味を描いた集大成


 芦辺拓による夢の探偵クロスオーバーの紹介の第三回、最終回であります。探偵小説ファンであれば垂涎の内容である一方で、個人的には不満点もあった本作、しかし本作にはそれを上回る魅力が……

 と、前回は私にはしては珍しく色々と厳しいことを申し上げましたが、しかしそれでもなお、本作が魅力的な、そして何よりも時代性というものを濃厚に漂わせた作品であることは間違いありません。
 いわゆるクロスオーバーものとしての楽しさに留まるものではない本作の魅力、本作の真に優れたる点――それは、こうした数々の探偵たちの活躍を通じて、その時代ごとの探偵の概念、その存在する意味を問い直している点にこそあると、私は感じます。

 科学捜査の概念も、それどころか近代的な法も警察制度もなかった時代に、目に見えぬ真実を解き明かすことによって悪事を暴き、正義を行う存在として登場する「黎明篇」。
 個人の犯罪は表向き存在しないこととなり、探偵が国事に関わることによってのみ認められる時代に、その国家による巨大な犯罪とも言うべき行為に最後の反抗を見せる黄昏の存在として描かれる「戦前篇」。
 輝かしい民主主義と自由の象徴、そして戦後の新たな時代の象徴であると同時に、その時代の光に取り残され、闇の中に苦しむ人々を救う存在として、復活した勇姿を見せる「戦後篇」。

 同じ「探偵」と呼ばれる存在であり、推理によって謎を解き、悪と戦う姿は同じであっても、その立ち位置――社会との関わりは、このように大きく異なります。
 先に同じような構成が続くと文句を言った舌の根も乾かぬうちに恐縮ですが、実にこの構成の繰り返しは、この差異をこそ描くためのものではなかったか、というのは言い過ぎかもしれませんが……

 そして、こうした探偵の姿は、時代時代における「理性」の――より巨大な存在に対する人間個人を支えるものとしての――存在を象徴するものであると感じられます。

 現代的な合理精神が生まれる前の萌芽の姿、全てが巨大な時代の狂気の前に押し潰されていく中で懸命に抗う姿、そして輝かしい新たな時代の中で再生し、時代を切り開く姿……
 探偵は推理によって謎を、すなわち一種の理不尽を解決する存在であると同時に、歴史の中の理不尽に挑む人間の理性の象徴、さらに言えば証明であると、本作は高らかに歌い上げていると――そう感じます。

 そしてその中で、そんな探偵を、理性を押し潰していく時代と社会のあり方に、強く批判的な眼差しを向ける骨っぽい「社会派」(という表現は怒られるかもしれませんが)ぶりが浮き彫りとなっているのも、好ましいところであります。


 作者の愛する探偵たちをこれでもかと集め、そして作者一流の技でもって探偵たちを生き生きと動かし、そしてそれを通じて探偵たちの本質を、存在の意味を描く。
 もちろん賑やかで豪華なお祭り騒ぎであることは間違いありませんが、しかし決してそれだけでは終わるものではなく、本作は極めて作者らしい、意欲的で挑戦的な作品なのであります。
(というより、探偵の本質を描くためのサンプルとしても、これだけの探偵の数が必要だったのではないか――とも感じます)

 先に述べたように個人的に不満な点はあるものの、それらも含めて、現時点の――作家生活30年も間近となった――作者の集大成と言うべき作品であることは間違いありません。


『帝都探偵大戦』(芦辺拓 創元クライム・クラブ) Amazon
帝都探偵大戦 (創元クライム・クラブ)

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2018.09.11

芦辺拓『帝都探偵大戦』(その二) 野暮を承知で気になる点が……


 登場探偵数50人の夢のクロスオーバーの紹介の第二回であります。作者ならではの魅力に溢れた物語ではありますが、しかし……

 しかし、いささか厳しいことを申し上げれば、賞賛すべき点だけではないのもまた、事実ではあります。

 例えば、物語の構成。次々と登場する探偵たちがそれぞれ謎と怪事件に遭遇し、その次の探偵が、そのまた次の探偵が――と連鎖を続け、終盤になってそれが一つの巨大な事件の姿を現し、探偵たちが悪と対決して真相を明らかにする……
 その構成が三つの物語でほとんど全く変わらないのは――もちろんその内容は様々であり、そして複数回繰り返されるのを除けば、この展開自体が探偵ものの定番ということを差し引いても――続けて読んだとき特に、厳しいものがあると言わざるを得ません。
(しかしこの構造こそが――というのは後ほどお話いたします)

 そしてこれはクロスオーバーものの宿命ではありますが、登場する探偵のチョイスにも、いささか首を傾げるところがあります。

 まず気になるのは横溝作品の少なさ。金田一耕助はこれまで幾度も活躍してきたから良いとしても、その分ほかの横溝探偵が登場してもよいのではないかと思います。例えば何故か五大捕物帖で唯一登場しなかった人形佐七、もう一人の横溝探偵たる由利先生と三津木俊助……
 特に後者は、「戦後篇」で大きな位置を占める少年探偵役として御子柴進もいるだけに、登場しなかったのが残念でなりません(山村正夫のリライトネタも入れられるのに……)。

 そしてまた、本作で「戦争」が大きな意味を持つのであれば、坂口安吾は欠かせなかったのでは、と個人的には思います。結城新十郎は時代設定が合わないとしても、巨勢博士などキャラクター的にも、他の探偵と絡めれば実に面白かったのでは、と感じます。
 もちろんこの辺りは許可の関係など色々と事情があることは容易に想像ができるところであり、素人が軽々に口を出せるものではないところではありますが……


 が、野暮を承知で個人的に最もひっかかったのは(そして言わないわけにはいかないのは)黎明篇の顔ぶれです。
 ここに登場した探偵たちの大半は江戸時代後期から幕末にかけて活躍した捕物帖ヒーローなのですが、その中でむっつり右門のみは江戸時代前期で、これはどうしても重ならない。銭形平次のような例があるので一概には言えませんが、やはり矛盾ではあります。

 これが五大捕物帖の主人公を揃えるため、というのであれば納得ですが、上述の通り人形佐七がいないわけで、これはやはり大いに首を傾げてしまうところであります。
(これはあとがきにある「キャラクターと時代との関係をシャーロッキアン的に厳密には詰めないということ」とは、その例示を見れば別の次元の問題とわかります)

 正直なところ、これが他の作家であれば、ああお祭り騒ぎだから――とスルーしてしまうのですが、ここでネチネチと絡むのは、作者であれば何か理由があるに違いない! とこちらが期待していたゆえ。
 何しろ異次元でもスチームパンクでもロストワールドでも、きっちりと整合性をつけてくれたのだからきっと――と勝手に思いこまれたのは、これは作者にとっては災難かもしれませんが……

 しかし本来であれば異なる世界に属する者たちが集うクロスオーバーものにおいては、その世界観と設定、すなわち元の作品の「現実」との整合性が大きな意味を持つ――その意味でクロスオーバーものは時代伝奇的である、というのはここではおいておくとして――のは間違いない話。
 何よりも一連の金田一VS明智ものでそれを体現してきた作者であれば、そこは実現して欲しかった、というのは強く感じます。

 もっともこの辺りは、文字通り「黎明」の語が示すとおり、いまだ「推理」も「探偵」も明確に存在しない、現代の探偵たちの時代と対比しての近代以前のプレ探偵時代として、一括りにしているのだということはよくわかります。
(江戸時代前期が舞台だからミステリとしての構造が甘く、幕末だからしっかりしている、というわけではもちろんないわけであります)

 また、発表年代と作中年代が極めて近い、いわばリアルタイムの作品であった戦前篇と戦後篇の原典とは異なり、黎明篇の作品は、明確に過去を振り返る物語であり、その点では等しい世界に存在しているとも言えるのですが……


 と、言いたい放題のところで恐縮ですが、次回に続きます。


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帝都探偵大戦 (創元クライム・クラブ)

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2018.09.10

芦辺拓『帝都探偵大戦』(その一) 夢の探偵オールスター戦!


 これまで無数に生み出されてきた「探偵」――そんな探偵たちの競演を夢見ないファンはいないでしょう。そして本作はその夢の正しく具現化した作品――江戸時代を、戦前を、戦後を舞台に推理を巡らせ、事件を解決してきた探偵たち実に50人が集結する一大クロスオーバーであります。

 ……いやいやいや、確かにそれは探偵小説ファンの夢ですが、幾ら何でも無理ではないか、と思う方もいることでしょう。しかしここで作者の名前を見れば納得していただけるのではないでしょうか。
 芦辺拓――これまで数々の本格推理小説を、それもそれ自体が不可能ではないかという設定や状況の下で成立してきた、そして何よりも、『金田一耕助VS明智小五郎』シリーズを代表に、数々の名探偵競演ものを発表してきた作家の名を見れば。

 そして本作は冒頭に述べたとおり、「黎明篇」(江戸時代篇)「戦前篇」「戦後篇」と、三つの時代それぞれで活躍した探偵たちが、相次ぐ謎の事件に挑み、協力して解決するという趣向のいわば連作集という豪華三本立て。

 二度刺された死体に消えた化け猫娘、謎の軽業盗人におかしな時の鐘、悪党たちが集まる怪屋敷、土砂が詰め込まれた棺桶――不可解な、時には事件なのかすらわからぬ謎に対して、三河町の半七、銭形平次、顎十郎、若さま侍、むっつり右門ら江戸時代に於ける隠れたるシャアロック・ホームズたちが挑むプロローグ的な位置づけの「黎明篇」。

 内蒙古の古都から帝大の探検隊が持ち帰ったという謎の秘宝――輝くトラペゾヘドロンをナチスが要求してきたことに始まり、帝都のど真ん中でカーチェイスを繰り広げた車が消失、麻布のホテルでは密室で口にミカンの皮を詰め込んだ男の死体が発見されるなど続発する奇怪な事件。
 さらには帝室博物館の金庫からトラペゾヘドロンが消失し、政府の要人たちが皆何者かとすり替わっているという恐るべき事件が発覚、さらに――と、第二次大戦直前、帝都を揺るがす奇怪な陰謀に、法水麟太郎と帆村荘六を中心とした探偵たちが挑む「戦前篇」。

 そして、法医学徒時代の神津恭介が遭遇した無惨に体中の前後を入れ替えられた「あべこべ死体」、明智不在の中で八剣産業の後継者のあかしである錠前を守らんと奔走する小林少年を襲う奇禍と、戦後の東京でも怪事件が続発。
 さらに衆人環視で絞殺された男、新聞社で少女探偵を襲う謎の怪人、そして大阪・広島・佐賀で発生した同じ凶器による密室殺人――東京のみならず日本各地で起きる数々の事件の謎を、警視庁捜査一課の名警部集団、各地から集結する探偵たち、そして新時代の少年少女探偵が解き明かす「戦後篇」。

 ……いやはや、探偵と探偵を競演させるだけでも大仕事なところを、三つの時代で総勢50人の探偵、さらにワトスン役も含めれば(そして名前だけ登場するキャラや敵役も含めれば)さらにその人数は膨れ上がるという、とんでもないスケールの本作。
 もちろん古今東西の名探偵を集合させるという試みは本作が初めてというわけではありませんが、しかしこれだけの人数は空前絶後と言うほかありません。

 しかもそれぞれの探偵に相応しい謎を用意し、そしてそれを全体で一つの本格ミステリとしてきっちりと成立させる――そんな考えただけで気が遠くなるようなことを実現してみせる手腕の、そして何よりも情熱の持ち主は、作者をおいて他にはいないでしょう。

 そして探偵小説においては、謎解きだけでなく、探偵自身の個性もまた大きな魅力であることを考えれば、その描写も欠かすわけにもいかないわけですが――しかしその点もぬかりはありません。
 ああ、「この探偵であれば絶対こんなこと言う!」と膝を打ちたくなるような言動の数々にはニヤニヤさせられっぱなしになること請け合いであります。
(それぞれの探偵の活躍場面では文体までも原典に合わせて変えてみせるのですから頭が下がります)

 特に「戦前篇」冒頭、お馴染みの熊城・支倉コンビから、輝くトラペゾヘドロンの存在を聞かされた時の法水麟太郎の台詞は最高で、是非この場面だけでもご覧いただきたい名場面であります。


 しかし――と、非常に長くなりますので次回に続きます。


『帝都探偵大戦』(芦辺拓 創元クライム・クラブ) Amazon
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2018.09.09

10月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 今年も今月を除いて残すところわずか三ヶ月――この先毎月この出だしになる気がしますが、とにかく暑さも少しだけマシになってきたところで、ようやく読書に集中できるというものです。というわけで読書の秋本番、10月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 さて、さすがに夏の新刊ラッシュほどではないものの、新旧なかなか楽しみな作品が並ぶ文庫小説。
 まず注目は、好調のシリーズ第4弾、平谷美樹『草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 月下狐の舞』。そして早くも今度は対馬編ラストまでか? な銅大『アンゴルモア 異本元寇合戦記』第2巻も、前作が良かっただけに楽しみなところです。
 また女性向けでは遠藤遼『平安あかしあやかし陰陽師 怪鳥放たれしは京の都』が、シリーズものでは上田秀人『禁裏付雅帳』第7巻と『辻番奮闘記』第2巻が登場であります。

 そして復刊ですが――まず最も気になるのは長谷川卓『嶽神伝 血路』。シリーズもいよいよ完結か!? と思いましたが、内容を見た限りでは角川春樹小説賞を受賞した『南稜七ツ家秘録 血路』の復刊――幻の名作の復活であります。
 復活といえば、シリーズ第1弾『のっぺら』に続き、霜島けい『ひょうたん あやかし同心捕物控』がこれも待望の再刊です。

 また気になるタイトルは風野真知雄『完本 妻は、くノ一』第1巻――どの辺りが完本なのか、楽しみに待ちましょう。
 さらに柳広司『幻影城市』は、タイトル的に『楽園の蝶』の改題文庫化ではないか――と予想いたします。

 そしてお馴染み中公文庫の岡本綺堂シリーズの最新巻である『怪獣 岡本綺堂読物集』、山本周五郎の児童小説の復刊『安政三天狗』も楽しみです。


 一方、漫画の方も、数は多くないものの面白いラインナップ。現在放送中のアニメ(というか原作小説の?)コミカライズである小神奈々『つくもがみ貸します』、久正人の古代変身ヒーローアクション『カムヤライド』の、それぞれ第1巻が発売です。

 また、シリーズの最新巻では、野口賢『幕末転生伝 新選組リベリオン』第2巻、黒乃奈々絵『PEACE MAKER 鐵』第15巻、石川優吾『BABEL』第2巻、波津彬子『雨柳堂夢咄』第17巻とバラエティに富んだラインナップ。
 また中国ものでは、瀬下猛『ハーン 草と鉄と羊』第4巻、川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第10巻が登場です。

 そしてもう一つ、数ヶ月に一度のお楽しみのアンソロジー『お江戸ねこぱんち紅葉狩り編』の発売も嬉しいところであります。


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2018.09.08

『つくもがみ貸します』 第七幕「裏葉柳」

 清次が品物を貸すこととなった料理屋・鶴屋は、幽霊が出る店だった。店の前の持ち主・大久間屋は、かつての大火を機に屋敷を買いたたいて財を成したものの、幽霊が出ると鶴屋を手放したらしい。その幽霊は自分の妻ではと言い出す出雲屋のつくもがみ・裏葉柳だが、清次はあることに気付いて……

 勝三郎から、かつて自分の家で働いていた料理人・徳兵衛が店を出す祝儀代わりに、出雲屋の品を貸してほしいと頼まれた清次。早速、彼の店・鶴屋に品物を貸し出した清次は、帰りしなに徳兵衛の後ろに女性の影を見るのですが――貸し出されたつくもがみたちは、そこで先住のつくもがみから、この家に幽霊がいると聞かされるのでした。
 と、ここで騒ぎ出したのは、出雲屋に最近やってきた香炉のつくもがみ・裏葉柳。元は人間だったという彼は、幽霊が数年前の日本橋の大火が原因で離ればなれとなった妻ではないかと言いだしたのであります。妻は歌舞伎役者の中村菊之丞が女形を演じた時にそっくりな美人だと言うのですが……

 と、日本橋の大火と聞いて清次が思い出すのは、その火事でお紅が焼け出された時のことであります。寺に避難していた彼女を見つけた清次ですが、火傷をおった父の看病と店のことでお紅も暗い表情。そんな彼女に、清次は前回描かれた櫛からスタートした物々交換で手に入れた玉簪を差し出します。目標額である80両の値打ちはあるこの玉簪を売れば、店の再建資金にはなるのですが――それは同時に、お紅が佐太郎の母の試練に失格するということでもあります。しかしお紅は玉簪は売らないと言い出して……(ちなみにこのシーンでお紅の前に寝てたの、彼女の父親だと思うんですが――顔も声も出ず動きもしないのでほとんど物状態)

 そんな中、出雲屋を訪れる徳兵衛。鶴屋を破格の値段で彼に売ってくれたという前の持ち主・大久間屋が店に来るので、もてなしのために品を貸してくれという徳兵衛に、お紅はここぞとばかりにつくもがみの品を押しつけるのでした。一方清次は、店に幽霊がいるのでは、と単刀直入に訪ねるのですが、店にいた女性は自分の妻だと、徳兵衛に一笑に付されます。
 が、その後勝三郎に聞いてみれば、大火の後に長屋から立ち退きを迫られ路頭に迷った徳兵衛は、その時に病がちだった妻を亡くしているとのこと。さらに役者絵を売りに来た浜松屋から、大久間屋が大火の後に日本橋近辺の屋敷を買い叩いて財をなしたこと、そしてそのうちの一軒に幽霊が出たことから、徳兵衛を騙して売りつけたのではないか、と聞かされる清次。と、そこで清次は中村菊之丞の役者絵を見て、鶴屋の幽霊は裏葉柳の妻ではない、と言い出します。

 そして鶴屋に急ぎ、徳兵衛を呼び出す清次。徳兵衛と妻を長屋から追い出したのは大久間屋であり、彼に復讐するために徳兵衛は妻の幽霊が出る鶴屋を買い、そしてそこで大久間屋を毒殺するつもりではないか――そう指摘する清次の言葉を肯定し、徳兵衛は復讐した上で自分も死に、妻のもとに行くことこそが自分の望みであると語ります。
 そんな徳兵衛に対し、過去に生きることよりも、前に進むことを選ぶべきだと懸命に説得する清次。その言葉に徳兵衛の心が動いたのを見て取った清次は、後は自分に任せてほしいと徳兵衛を外に出すと、つくもがみたちに後は好きにしろと語りかけるのでした。

 そしてお墨付きが出たとばかりに、大久間屋をこれでもかと脅かすつくもがみたち。その後の惨状を見た徳兵衛は、妻の幽霊に前に進むことを告げ、幽霊も成仏するのでした。
 さて、清次が鶴屋の幽霊が裏葉柳の妻ではないことを見破ったのは、中村菊之丞の話から。女形を得意としたのは初代の話、当代は荒事専門であることから、裏葉柳が数年前と思いこんでいたのは相当な昔だったと推理したのであります。その話を聞かされて、裏葉柳も(びっくりするくらいの美形姿で)妻を追いかけるために成仏するのでした。


 今回は久々の原作エピソード。日本橋の大火を中心に、清次とお紅の過去(これも原作由来)、徳兵衛と大久間屋の因縁、さらに裏葉柳の物語と、三重に絡めてみせた構成が実に面白いところです。徳兵衛を説得する清次の姿を、一歩間違えれば綺麗事に終わりかねないものを、同じく過去に捕らわれたお紅の存在を描くことにより、文字通り説得力あるものにしていたのもうまいと感じます。

 しかし実は今回、徳兵衛と大久間屋の因縁が原作とは相当異なっております。詳細は伏せますが、徳兵衛が大久間屋を恨んでいるのは共通ながら、原作ではその理由=大久間屋の過去の所業が全く異なり、簡単には白黒付けがたい物語となっていたのですが――こちらではかなりわかりやすい設定となっていたなあ、という印象があります。
 この辺りの人間関係の苦さ、ままならなさが原作の持ち味だっただけに、この辺りは個人的にちょっと残念ではあります。
(あと、大久間屋のキャラデザには絶句)


『つくもがみ貸します』Blu-ray BOX 下ノ巻(KADOKAWA) Amazon
つくもがみ貸します Blu-ray BOX 下ノ巻


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 公式サイト

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2018.09.07

田中芳樹『新・水滸後伝』下巻 巧みなアレンジを加えた傑作リライト


 あの田中芳樹が水滸伝の世界に――それもその続編である『水滸後伝』に挑むということで、水滸伝ファンの心を大いに騒がせた『新・水滸後伝』の下巻であります。金の侵攻を前に大宋国が揺れる中、各地で立ち上がった梁山泊の豪傑たち。その運命はついに一つに集うことに……

 阮小七が役人と争って以来、各地で再び厄介事に巻き込まれていく梁山泊の生き残りたち。折しも北方から金国が侵攻を開始する中、豪傑たちは貪官汚吏や悪人たち、金軍などと戦いながら、やがて登雲山、飲馬川、そして金鼇島の三ヶ所集っていくことになります。

 そんな中、飲馬川から偵察に出た戴宗と楊林が出会ったのは、一人隠棲していた燕青。相変わらず才知に富んだ燕青を中心に様々な冒険を繰り広げた彼らは、やがて金軍に敗れた王進や関勝らとともに飲馬川に戻ったものの、うち続く金軍の侵攻を前に、ついに登雲山組との合流を決意することになります。
 一波乱も二波乱もあった末に登雲山に着いた一行ですが、しかしそこにも迫る金軍の魔手。そこで李俊たちが南方に雄飛したことを知った一同は、彼らに合流すべく、金の軍船を奪取して海に出るのでした。

 一方その李俊の方は南方の金鼇島で平和に暮らしていた――と思えば、国王が魔人・薩頭陀と手を組んだ宰相・共濤に毒殺されたことににょり、暹羅国は大波乱。国王の敵討ちに攻め込んだものの、逆に薩頭陀と配下の革三兄弟に金鼇島を攻められ、絶体絶命の窮地に陥ることに……


 と、下巻は上巻にも増して、合戦また合戦の連続。合戦になると豪傑たちの個性が弱まるのは、これは原典というか原典の原典以来の欠点ですが、しかしそんな中でも、いかにも水滸伝らしい知恵と度胸で大逆転、という展開が数々散りばめられているのが嬉しいところであります。
 そして戦いの最中、あるいはその合間に見せる豪傑たちの素顔もいかにも「らしく」、この物語の発端であり、どうやら作者のお気に入りらしい阮小七のある種無邪気な無頼漢ぶりや、呼延ギョクと徐晟の義兄弟コンビの初々しい若武者ぶりなど、なかなか魅力的であります。

 そんな中でも特に印象に残るのは、この下巻ではほとんど出ずっぱりを見せる燕青でしょう。知略に武術に、相変わらずのオールマイティーぶりですが、囚われの皇帝に蜜柑と青梅を献じる忠心溢れる名場面から、李師師に迫られて大弱りの迷場面まで、下巻の主役と言ってもよいほどの大活躍であります。


 さて、こうした物語展開やキャラクター描写は(特に前者は)基本的に原典のそれをかなり忠実に踏襲しているのですが――しかしもちろん、随所に作者の手が入り、より整合性の取れた、より盛り上がる、そしてより現代日本の読者の感性に合った物語となっているのが注目すべきところでしょう。

 たとえばそれは、原典で日本の関白(!)が暹羅に来襲するくだりがオミットされていたり(ただし象に乗っていたり「黒鬼」なる水中部隊を擁しているのは他のキャラで再現)、金軍との対決が幾度か増量されていたり、現代人の目で見るとどうかなあという印象のラストの結婚ラッシュがなくなったり――下巻では上巻以上にアレンジが加えられている印象があります。
 しかしここで特筆すべきは――いささかネタばらしになることをお許し下さい――終盤で一度宋に戻り、杭州を訪れた燕青たちの前に現れる「彼」の存在であります。

 この「彼」との出会い自体は原典でも描かれるものの、あちらではかなりしみじみとした場面だったものが、本作においてはそれを作中屈指の一大バトルに改変。
 李俊たちの宿敵としてしぶとく生き残っていたあの男(この展開も本作オリジナルなのですが)を、「彼」が仲間たちを制して単身迎え撃つのですから、これを最高と言わずして何を最高と言いましょうか!
(実は読む前に「折角アレンジするのであれば、こんな場面があればいいのに……」と思っていたものが、ほとんどそのまま出てきたので仰天しました)


 ……と、思わずテンションが上がってしまいましたが、ただでさえ水滸伝ファンであればニヤニヤが止まらない原典を、この場面のように、さらに嬉しい形にリライトしてくれたのですから、水滸伝ファンにはまず必読と言い切ってかまわないでしょう。
 そしてもちろん、本作から逆に遡る形で水滸伝に触れる方がいれば――それはもちろん素晴らしいことであります。

 初心者から大の水滸伝ファンまで、少しでも多くの方が、この水滸後伝の、水滸伝の世界を楽しんでいただければと願う次第です。


『新・水滸後伝』下巻(田中芳樹 講談社) Amazon
新・水滸後伝 下巻


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2018.09.06

伊藤勢『天竺熱風録』第4巻 ついに開戦! 三つの困難と三つの力


 天竺・摩伽陀国で展開する陰謀に巻き込まれた唐の外交使節・王玄策の奇想天外な活躍を描く本作もいよいよ佳境。牢を脱出し、苦難の末にネパールとチベットの援兵獲得に成功した玄策は、ついに摩伽陀国に再び戻ってきたのですが――しかし本当の戦いはこれからであります。

 数年ぶりに訪問した摩伽陀国で、先代王の死に乗じて王座を簒奪したアルジュナによって理不尽にも捕らえられた玄策と唐の使節団。副官の蒋師仁と二人で牢を脱出した玄策は、仲間たちが時間を稼ぐ間に苦難の旅を続けネパール・カトマンドゥに到着、お得意の交渉術で、ついに援兵の獲得に成功します。
 さらにネパールを訪れていたチベットの兵までも加え、一路摩伽陀国に戻る玄策ですが――もちろん、この先には更なる苦難が待ち受けていることは言うまでもありません。

 確かに、美しくも勇猛な(そして兵に絶大な人気を誇る)ネパールのラトナ将軍、そして剛力と巨躯を誇るチベットのロンツォン・ツォンポ将軍という、対照的ながらもどちらも頼もしい味方を得た玄策。
 ほとんど無一物の状態から考えれば、天佑とも言うべき援兵ですが、しかしその数は八千――摩伽陀国という一国を相手にするには何とも心許ない数です。

 しかも、山岳や森林といった環境では無類の強さを発揮するネパール/チベットの兵ですが、摩伽陀国周辺は見渡す限りの平原。さらに、アルジュナには異能・異形の一団、アナング・ブジャリ――地祇を崇める謎に満ちた集団が味方についているのです。

 そしてたどり着いた国境で、早くも玄策たちは、この三つの困難と対峙することになります。そう、ここで待ち受けていたのは、アナング・ブジャリ出身の将・ヴァンダカ率いる三万の遊撃隊との大平原での戦いだったのであります……


 というわけで、緒戦からいきなり厳しい戦いを強いられることとなった玄策と仲間たち。何しろ立ち塞がる敵は「蟒魔(ヴリトラ)」の名の通り、蛇のような陣形と素早い動きで襲いかかる強敵。そしてそれを率いるヴァンダカは、獰猛な犀を馬のように駆る怪物です。

 しかしもちろん、玄策も決して負けるわけにはいきません。なるほど、玄策は戦いについては素人でありますが、彼には人間の心の動きを読みとる洞察力がある。知識がある。そしてクソ度胸がある。この三つがラトナとロンツォン、二人の武勇と合わされば……
 そして玄策はここで選ぶのは、あの名将・韓信が取ったが如き背水の陣。そしてこの先の展開は、ただ痛快の一言なのであります。

 敵の行動を読み切った玄策が陣を敷いて待ち構え、ラトナが攪乱し、ロンツォンが叩き伏せる――寡兵を以て多勢を討つというのはこうした物語では定番中の定番ではありますが、作者の画力で描かれれば、その痛快さは何倍にも高まります。
 さらに異形・異能のアナング・ブジャリに対しては、二人の将軍がそれぞれの持ち味を存分に活かして一騎打ちを演じるのですから、面白くないわけがないのであります。

 特にラトナの、奔る騎馬の上での、旗竿までも使ったアクロバティックな格闘は華麗の一言で(その前の攻撃開始時のアクションの美しさも含めて)一挙手一投足に釘付けになりました。


 さて、この巻の時点では玄策側が優勢ではあるものの、もちろんこの戦いは緒戦も緒戦。まだまだ敵が兵力を温存している中、この先の戦いの行方はわかりません。

 その一方で、アルジュナ側には、彼の非道を責める真っ当な精神を持つ息子・ヴィマル王子が登場。おそらくは彼の存在がこの戦いに何らかの影響を与えることになるかと思われますが……
 と、これまでは敵の首魁としてそれなりに威厳を保ってきたアルジュナ(と妻)が、王子の登場で一気に小物臭くなってしまったのは少々気になるところではあります(これはある意味原作どおりではありますが)。

 しかしこの漫画版は、この巻での合戦同様、原作に忠実に、そしてそれだけでなく、その行間を補うことでその魅力をさらに増している作品。それだけに、この先も期待して間違いはない――と思うのです。


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2018.09.05

重野なおき『信長の忍び』第14巻 受難続きの光秀を待つもの


 長篠の戦いも終わり、天下布武に王手をかけた――というのはまだ気の早い話で、本願寺や毛利といった勢力によって、三度包囲されることとなった信長。千鳥もまた大忙しでありますが、しかし今回物語の中心となるのは光秀であります。相変わらず苦労人の彼を次から次へと襲う苦難とは……

 長篠の戦いで強敵・武田家に壊滅的な打撃を与えた信長。もはや自分が前線に出ることはない、と配下の武将により各地方を攻略・統治させる方面軍構想を取り、自分は(形の上とはいえ)信忠に家督を譲って安土城にて睨みを効かせるという体制を取ることになります。

 その方面軍の一つとして丹波攻略に向かうこととなったのが光秀。丹波の赤鬼と異名を取る赤井直正を攻略することとなった光秀は、信長の軍門に下った波多野秀治を味方として、籠城した赤井を攻めるのですが――前の巻で「光秀挫折編」と予告されているのですから、ただですむわけがありません。
 目にハイライトがなくてどうみても怪しい――と、光秀以外はみんな気付いていたある人物の裏切りにより、光秀は一転窮地に立たされることに……

 一方、この丹波攻略戦でも示されたように、まだまだ信長に服さぬ勢力は数多存在します。宿敵の一つである本願寺、まだ見ぬ西国の強豪・毛利。さらには軍神・上杉謙信までもが動きだし――いわば第三次信長包囲網が形成されることになります。
(その背後には、これはこれでスゴいよな、と言いたくなるあの人物の影もあるのですが、それはさておき)

 そしてその中でも反信長の最右翼と言うべきは、かつて信長によって長島で無数の門徒を撫で斬りにされた本願寺教如。本願寺に籠城する形となっている教如ですが、鉄砲を扱えば無敵の雑賀孫市率いる雑賀衆、そして毛利とも密かに結び、備えは万全であります。
 一方、信長の方も、この宿敵と一気に決着をつけんと兵を動かし、ここに天王寺の戦いが――あれ、天王寺といえば確か、と思っていれば、ここで「光秀救出編」のナレーションが!

 そう、天王寺の戦いといえば、攻め手の一人であった光秀が、思わぬ味方の劣勢によって天王寺の砦に寡兵で立てこもることとなり、その救出に信長本人が駆けつけた戦い。そしてその中でおいて信長は――と、またもや光秀を不幸とストレスとプレッシャーが襲うことになります。
 
 そしてそんな光秀のメンタルにトドメを刺すように、彼を更なる、最大の不幸が襲うことに……


 というわけで、内容的にはほとんど完全に光秀が主役という印象の第14巻。ああ、あと6年でアレだしね――というのは言いすぎにしても、ここで描かれる光秀の一挙手一投足が、フラグに見えてしまうのも無理はないことでしょう。
 しかしこの巻で描かれる信長と光秀の主従関係は悪くない――というよりかなり良好。何度も窮地に陥る光秀を、得難い臣として赦し、救おうとする信長の姿からは、6年後のアレに繋がるような空気は感じられません。

 ……と言いたいところですが、何とも不吉に感じられるのは、信長が寛大さを見せれば見せるほど、光秀が追い詰められていくように見えるところでしょう。

 身も蓋もないことを言ってしまえば、信長を下げて――失敗はしても理不尽はしないというような形で――描くことがほとんどない本作では、アレは光秀側の(一方的な)理由で起きるような予感があって、正直これは外れて欲しいのですが……
 この巻のラストで光秀が失うある人物の言葉も、何となくフラグに感じられるのが不安になってしまうところであります。

 などと、何となく光秀びいきの気分になってしまうのは、信長だけでなく敗者の側も下げない本作ならではのマジックでしょうか。


 しかしもちろんそれはこの先の話。いまだ本願寺は、そしてその中でも最強の敵と言うべき孫市も健在の中、先の見えない戦いが続くことになります。
 果たしてこの戦いがいかなる決着を迎えるのか、そしてそこに至るまでにいかなるギャグが描かれるのか――まだまだ見所は尽きません。
(ちなみにこの巻では、光秀救出に向かった信長に尽き従う顔ぶれネタに大笑いしました。史実なんですが……)


『信長の忍び』第14巻(重野なおき 白泉社ジェッツコミックス) Amazon
信長の忍び 14 (ヤングアニマルコミックス)


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2018.09.04

あさのあつこ『にゃん! 鈴江藩江戸屋敷見聞帳』 名手の意外な顔を見せる暴走コメディ


 さる藩の江戸屋敷の奥向きを舞台に、奉公に上がった町娘と、実は正体は猫の奥方をはじめとする人々(?)が繰り広げるスラップスティックコメディ時代劇――招き猫文庫『てのひら猫語り』に冒頭が収録され、「WEB招き猫文庫」で約2年半連載された、最後の招き猫文庫ともいうべき作品です。

 幼い頃から常人にはない感覚があったことから周囲に奇異な目で見られ、嫁入りが遅れた呉服屋の娘・お糸。行儀見習いとほとぼりを冷ますために彼女が奉公することになったのは三万石の小藩・鈴江藩の上屋敷――そこで藩主の正室・珠子に仕えることとなったお糸は、すぐにとんでもない秘密を知ることになります。
 実は珠子の正体は猫――猫族なんだけどちょいと不思議な一族の姫である彼女は、藩主・伊集山城守長義に一目惚れした末に、人間に化けたりアレコレしたりして、見事正室に収まり、今は一女を授かっているというのです。

 そんな珠子に一目で気に入られ、腹心の上臈にして虎女の三嶋とともに、珠子近くに仕えることとなったお糸。
 自由な気風の珠子たちに触れ、珠子の娘・美由布姫の可愛らしさに癒やされ、珠子の父で一族の長・権太郎に振り回され――楽しい時間を過ごすお糸ですが、しかし鈴江藩には大変な危機が迫っていました。

 かねてより藩主の座を狙っていた長義の叔父・利栄が暗躍を始め、珠子を正室の座から引きずり下ろそうとしていた――のはまだいいとして、利栄の背後には、鈴江藩征服とちょいと不思議一族滅亡を目論む妖狐族が潜んでいたのであります。
 国元から利栄とともに江戸にやって来た妖狐族に対し、珠子の、そしてお糸の運命は……


 児童文学からスタートしつつも、時代小説においても既にかなりのキャリアを持つ作者。その作品は、基本的に市井に生きる人々を中心にした、かなりシビアでシリアスな内容のもの――というイメージは、本作において完全に吹き飛ぶことになります。
 何しろ本作の登場人物は皆テンションが高い――そしてよく喋る。その内容もほとんどがギャグかネタで、とにかく一旦会話が始まると、それで物語が埋め尽くされてしまうのであります。

 特に権太郎は、齢六千歳という重みはどこへやら、あやしげな洋風のコスチュームで登場しては、片言の英語やフランス語を交えてあることないこと喋りまくる怪人。このキャラが出てくると物語の進行がピタリと止まるのを、何と評すべきでしょうか。
 その権太郎に対する三嶋の容赦ないツッコミや、珠子と長義のバカップルぶりも負けずにインパクト十分なところですが、唯一の常識人というべきお糸も、テンションが上がると子供の頃に覚えた香具師口調でポンポン啖呵を切るという……

 いやはや、生真面目な時代小説ファンあるいは作者のファンであればきっと怒り出すであろう内容なのですが――しかし とにかく、片手間やページ塞ぎでやっているとは思えぬほどの台詞量を見れば、これはやっぱり作者が楽しんで書いているのだろうなあ、と感じさせられます。
(個人的には、天丼で繰り返されるお糸のやけに良い発音ネタがツボでした)

 そしてまた、こうした台詞の煙幕の陰に、何かと不自由な時代、女性が何かと苦労を強いられた時代において、それでも自分らしさを、自分自身が本当にやりたいことを見つけたいというお糸の痛切な想いが透けて見えるのは、これは正しく作者ならではと感じます。

 その想いは、あるいはあまりに現代人的に見えるかもしれませんが、しかし何時の時代においても若者が――何ものにも染まらない自由な心を持つ若者が望むものは変わらないというべきなのでしょう。
 野望だ陰謀だと言いつつ、実は単に時代と世間に雁字搦めになっているだけでしかない連中に対して、この時代から見れば常識はずれのちょいと不思議一族とともに挑む中で、そんなお糸の想いはより輝きを増して見えるのです。

 ……などと格好良いことを言いつつも、やはり台詞とギャグに押されて物語があまり進行しない――作品の分量の割りに物語の山谷が少なく感じられてしまうのは非常に残念なところではあります。だからといって本作の最大の特徴を削ってしまうわけにもいかず――なかなか難しいものではあります。


 ちなみに本書はソフトカバーの単行本で刊行されましたが、冒頭に述べたとおり、元々は招き猫文庫レーベルの一つとして発表された作品。同レーベルがだいぶ以前に休した今、これがまず間違いなく最後の招き猫文庫作品と思うと、レーベルの大ファンだった身としては、別の感慨も湧くのであります。

『にゃん! 鈴江藩江戸屋敷見聞帳』(あさのあつこ 白泉社) Amazon
にゃん! 鈴江藩江戸屋敷見聞帳


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2018.09.03

『つくもがみ貸します』 第六幕「碧瑠璃」

 おかしな成り行きで近江屋の若旦那と一緒に大川に転落した清次。その時に若旦那は印籠・焦香を落としてしまい、拾った破落戸から三十両を要求される。とても金を作れない若旦那に代わり、清次はかつて佐太郎がお紅に贈った櫛から大金を作った時と同じように、物々交換で金を作ろうとするのだが……

 朝早く目が覚めてしまい、そこらを散歩していた途中、大川の上の橋でふらふらしている人影を目撃した清次。すわ身投げかと慌てて駆け寄ってみれば、その人影は前々回登場した近江屋の若旦那であります。甘味屋のお花に懸想して、ようやくアタックに至ったはずが、この様子では玉砕した末に世を儚んで――と思いきや、若旦那はせっせとお花の店に通って団子を食べているうちに太ってしまったので、絶食ダイエット中とか……
 確かに清次が内心思うとおり残念な男前(まあ、清次も人のこと言えない)の若旦那ですが、てっきり身投げするのかと→まさかあ(ツッコミ)→勢い余って二人とも橋から転落という漫画のようなコンボを決めて、結局二人とも水も滴る何とやらに。朝からわけのわからないことをしている清次にお紅はおかんむりですが、若旦那は川に大事なものを落としたと青い顔であります。

 若旦那の大事なものといったらどう考えても前々回登場した印籠のつくもがみ・焦香ですが、つくもがみたちが気を利かせて話題に出すまで全く気付かなかった清次とお紅。結局焦香は見つからず、若旦那も行方不明の状況で甘味屋に行ってみれば、そこにやってきたのはこれも前々回登場した、尻に焦香がぶつかったのを若旦那のアプローチと勘違いした芸者さんであります。
 すっかり若旦那の女気取りでお花に噛みつく芸者に、お紅は自分の過去の経験を思い出してムカムカと嫌な気分に……

 前回の回想シーンで、佐太郎と母が帰った後に、お紅と清次の前に現れた娘。佐太郎の縁談相手であり、彼に値80両の蘇芳の香炉を贈った彼女は、佐太郎には自分のような人間が相応しいと上から目線でまくしたてたのであります。佐太郎への気持ちはともかく、さすがに頭に来たお紅は、だったら80両稼いでやろうじゃねえかと闘志を燃やすものの、佐太郎の櫛は見積もって10両。そこでお紅はどうするか――と思えば、佐太郎を恋敵視してる清次を頼ろうとするのですから鬼です。

 ……と、そんなことを思い出しながら町を歩く二人の目に飛び込んできたのは、焦香を手にした破落戸に返してくれと懇願する佐太郎。30両出せば考えてやるよ(返すとは言っていない)的なやりとりがあったものの、お花の店で団子に10両使ってしまった今の自分に、30両はとても用意できないと嘆く(そこは店からちょちょいと――いやいや)佐太郎を見て、またもやお紅は無責任に清次にすがるのでした――あの時みたいにやればいいじゃん、とか何とかいう感じで。

 そう、かつて櫛から80両作るとなった時、清次が取った手段は、わらしべ長者作戦。売っても貸しても足りないのだったら、品物をより高いものと交換していこうと、需要と供給のバランスを掴んで次々とアイテム交換をしていった結果――は今後のお楽しみとして、しかしこの手段には情報収集に時間がかかるという欠点があります。
 急がないといけないのに――とためらう清次に対して、同類を案じる出雲屋のつくもがみを使えばいいじゃない、と悪魔の知恵を出すお紅。そして清次の手腕とお紅の邪知により30両見事に集まった!

 これでどうだと甘味屋で30両を破落戸に突きつける清次ですが、すっとぼけて要求をつり上げようとする破落戸。しかし怒った焦香が破落戸の素肌に噛みついたために、破落戸は焦香を放り出して逃げていくのでした。いや、もっと早くやろうよ焦香――そもそも足があるんだから逃げればよかったものを。
 何はともあれ焦香は帰ってきて一件落着。どさくさでダウンした若旦那も、お花に案じてもらってご満悦、という残念ぶりを発揮してこのお話は終わりであります。


 今回もオリジナル――と思いきや、回想部分のみは原作の一部を使用、というちょっとイレギュラーなスタイルの今回。確かに原作はこの回想だけでほぼ一話使っていたので、この構成はなるほど面白いと感じますが、しかし上で述べたように、焦香が自分で逃げれば良かったのでは――という根本部分がひっかかるところであります。

 ちなみに作中で何回か、月夜見が弘法大師と印籠にまつわるありがたい話というのを語るのですが、これが史実にもギャグにも掠らないのが苦しい、というより視聴者を混乱させる原因となってるのは如何なものか……
(一応、聞いていると眠くなるほどつまらない話→佐太郎が意識を失ったのに清次がそれを引っかける、というオチなのだと思いますが)


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 『つくもがみ貸します』 第五幕「深川鼠」

 「つくもがみ貸します」 人と妖、男と女の間に

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2018.09.02

『つくもがみ貸します』 第五幕「深川鼠」

 麻布のとある神社に願い出れば願いを叶えてくれると評判の怪盗イタチ小僧。イタチ小僧を追う岡っ引きの平蔵も、出来心から神社に出雲屋のお姫人形が欲しいと願掛けしてしまうが、その通りにお姫が盗まれてしまった。イタチ小僧に恋してしまったお姫のためにも、小僧を追うことになる清次だが……

 前回ラストで描かれた清次とお紅、そして佐太郎の過去の回想の続きから始まる今回。佐太郎のところには、縁談話が来ている大店の娘が蘇芳の香炉を贈ってきたようですが、佐太郎自身は縁談に反対の様子。逆にお紅を嫁に迎えたいと言い出しますが、佐太郎の母はお紅に櫛を一つ渡し、これを元手に大金を作ってみせれば認めてやると上から目線であります。
 その後がどうなったかはさておき、前回ラストで浜松屋が持ち込んできた香炉は、単にそっくりさんでした、というオチで、とりあえず今回は過去関連のお話はおしまい。

 さて本筋ですが、浜松屋と入れ替わりに出雲屋にやって来たのは岡っ引きの平蔵。いま瓦版で大評判の怪盗イタチ小僧を追っているというのであります。このイタチ小僧、麻布の居酒屋で役人のセクハラに苦しんでいた店の娘が神社で願掛けをしたら、それに応えて現れ、役人を退治してくれたというのが初のお目見え。以来義賊イタチ小僧の人気はうなぎ登り、麻布の神社も小僧に願掛けしたいという参拝客で溢れている状況です。

 そこで神社に調べに向かった平蔵ですが、「出雲屋で一番値の張りそうなお姫人形が欲しい」などとトンチキな願掛けをしたのはまあいいとして、その後、十手をなくしてしまうという大失態。そこで清次に泣きつく平蔵ですが、さすがに出雲屋にも十手は置いていないのでした(もし置いてあったらどうしようかと思いましたよ……)。
 しかしてその晩、出雲屋に現れたのはイタチ小僧。平蔵の願い通りお姫人形を盗んだ小僧は、神社にお姫を置いて去ろうとするのですが――お姫は神社の神さまのフリをして、何故こんなことをするのか問います。答えて曰く、実はかつて金もなく行き倒れになりかけたイタチ小僧は、神社にお供えされていたサツマイモを囓って命を繋ぐことができた恩を返すため、神社に願掛けされた願いをせっせと叶えているというのであります。

 
翌日、神社にやってきた平蔵に見つけられて出雲屋に帰ってきたお姫ですが、実は彼女には、雑に扱われていた屋敷から盗み出され、その末に出雲屋に辿り着いたという過去がありました。そんなこともあって、義賊に人一倍の憧れを抱くお姫は、イタチ小僧にベタ漏れしてしまったのであります(しかしイタチ小僧はもはや義賊なのか何なのかわからないし、そもそも昔お姫を盗んだ男は普通に盗賊だと思います)。
 そんな彼女を見て、清次に小僧のことを調べるように言い出すお紅。自分も恋する乙女だから、ということかは知りませんが、これはやはり無茶振りではないでしょうか……

 さて、調べを続けていた平蔵ですが、イタチ小僧のおかげで神社が繁盛していたことから、正体は神社の関係者ではないかとなかなか鋭いところを見せます。が、むしろ神社側は芋ばかりお供えされて困惑している様子ですし、そもそも、最初にイタチ小僧に助けられたのは居酒屋の娘ではなくお婆さんであったことがわかります。
 さらにつくもがみを調べに出した清次は、瓦版での評判と実際の事件が異なる――というより、瓦版が現実の事件をことさらに大げさに書いていることに気付きます。そういえばイタチ小僧が出現する前は、瓦版の内容はイマイチで鳴かず飛ばずだったはず――と気付いた清次は、瓦版売りこそが小僧見破り、平蔵は瓦版売りを捕らえるのでした。

 瓦版売り=イタチ小僧の盗みの動機は瓦版を売るため、しかしイタチ小僧の瓦版で荒稼ぎした分は遊興費に消えてしまい、結局イタチ小僧を続ける羽目になったとか――悪いことはできないものです。何はともあれ、お姫の恋の相手は捕らえられてしまいましたが、今や彼女の関心は、新たに現れたという変な名前の義賊に向けられて――なかなか残酷なものであります。


 今回もオリジナルエピソードですが、脚本はベテラン・浦沢義雄。無生物が動いたり喋ったりする話を得意とするだけに、なるほど本作は適材適所――と思いましたが、どうも今回は物語を構成する要素がうまくかみ合ってない印象で、ミステリ要素も今一つであったのが残念なところであります。

 ちなみに何となくホンワカと終わりましたが、十両盗めば首が飛ぶこの時代、たぶんイタチ小僧は獄門だと思います。


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2018.09.01

『盡忠報国 岳飛伝・大水滸読本』 17年間、全51巻の締めくくりに


 先日文庫版も完結した北方謙三の大水滸伝第三部『岳飛伝』。その『岳飛伝』と大水滸伝全体の読本であります。対談やインタビュー、エッセイ等に加え、思いもよらぬ企画まで、読み応え十分の一冊です。

 全17巻で完結した『岳飛伝』に加え、『水滸伝』全19巻、『楊令伝』全15巻と、実に計51巻、17年間に渡って描かれてきた大水滸伝。私も水滸伝ファンの端くれとして、この極めて意欲的で刺激的な「水滸伝」を楽しませていただきました。
 そのある意味締めくくりの一冊として刊行された本書も、ある意味ボーナス的な気分で手に取ったのですが――これが想像以上にユニークで楽しい一冊でした。

 これまで刊行された『替天行道』『吹毛剣』の二冊の読本同様、様々な企画記事を集めて構成された本書。対談4本、インタビュー2本、作者や評論家、担当編集者によるエッセイ、名台詞や用語辞典、さらにはダイジェスト漫画まで――約470ページぎっしりと詰まった内容はなかなか圧巻であります。
 本書に収録された記事は基本的には雑誌やwebサイトに掲載されたものが大半なのですが(作者と原泰久の対談、岳飛伝年表、編集者のエッセイの一部、漫画「圧縮岳飛伝」等が主な書き下ろしでしょうか)、単行本派としてはほとんど初見の内容なのでこれはこれでありがたいところです。

 名台詞と用語辞典は連載途中のものであるため(というより前者は『楊令伝』までの内容)『岳飛伝』を網羅していないのが不満ですが、それ以外の対談やエッセイは連載終了後のものが多く、完結後の今読んでも違和感がないのが嬉しいところであります。
 特に川合章子「『岳飛伝』――その虚と実」は、タイトルのとおり『岳飛伝』の内容と対比しつつ、史実の北宋末期から南宋初期の時代や岳飛の生涯を解説した記事で、必読とも言うべき内容と言えます。

 また語り下ろしの原泰久との対談の中では
(あまり潜在能力を発揮すると寿命が縮むと言われて)「それで縮んだ寿命は、それをもってよしとする覚悟をすれば、縮まない」
(原泰久が無理をして体調を崩したという話に)「それはまだ、技術的に潜在能力を常に出すというところを発揮していないんだよ」
と作中の人物のようなことを語る作者の言葉がたまらないところであります。


 さて――本書の内容について軽く紹介しましたが、しかし個人的に本書において必読の内容はその他にあります。それは「やつら」と題されたwebサイト掲載の内容+αの企画――作者たる北方謙三が、作中で命を落とした登場人物たちと邂逅し、対話する企画であります!
 その相手も、林冲・魯達・楽和・丁得孫・凌振・朱貴・石勇・時遷・扈三娘・王英・鄒潤・張横・李袞・童威・皇甫端・宋清・湯隆・陶宗旺――作中で大活躍した作品を語る上で欠かすことのできない大物から、梁山泊入りしてすぐに亡くなった者、大した活躍はできなかった者まで、多士済済であります。

 そんな面々が、(死後の?)世界に紛れ込んだ作者に対して、あるいは語り合い、あるいは問いかけ、あるいは愚痴をいい――思わぬ裏設定が語られたりするのも嬉しいのですが、何はともあれ、今この時代に作者が作中人物と対談する企画が堂々と描かれるとは、と驚かされます。
 ……そしてそれがきっちりと北方作品として、大水滸外伝として成立しているのには感心するばかりであります

 また、巻末の超ダイジェスト漫画『圧縮大水滸伝』は、作者の、そして作品のイメージとはだいぶ異なる、「今時の」ファン漫画的な内容なのにも驚かされますが、こうした読者層までファンが広がったことが大水滸伝の強さであり、受容の証なのだなあ――と今更ながらに感じたところです。


 何はともあれ、本書は『岳飛伝』全17巻、いや大水滸伝全51巻の締めくくりとして、ファンであれば楽しめる一冊であることは間違いありません。
 さて、『チンギス紀』読本は出るのか……(気が早い)


『盡忠報国 岳飛伝・大水滸読本』(北方謙三 集英社文庫) Amazon
盡忠報国 岳飛伝・大水滸読本 (集英社文庫)


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