風野真知雄『恋の川、春の町』 現代の戯作者が描く、江戸の戯作者の矜持と怒り
黄表紙本の元祖と言うべき戯作者・恋川春町。彼は晩年、その作品がもとで時の老中・松平定信に睨まれ、その最中に亡くなったことから、自殺説もある人物であります。本作はその春町の姿を通じて戯作者の魂を描く、いかにも作者らしくユニークで、そして一つの矜持を感じさせる物語であります。
駿河小島藩の年寄本役という歴とした侍でありながらも、売れっ子戯作者として活躍してきた春町。黄表紙の生みの親として、お上を皮肉り、人々を楽しませてきた彼は、共に世の中を遊べる「菩薩のような女」を探す日々を送っていたのですが――そこに思わぬ筆禍が降りかかります。
時は松平定信による寛政の改革の真っ只中、庶民の生活――なかんずく娯楽への規制が続く中、武家社会を面白おかしく描いた『鸚鵡返文武二道』が大ヒットしたことで、周囲からは不安の目で見られるようになった春町。
はたして春町に対して届けられたのは、松平定信からの呼び出し。盟友であった朋誠堂喜三二は筆を折って地方に隠居し、太田南畝は文化人に鞍替えし――と周囲が慌ただしくなる中、春町は如何にすべきか、深い悩みを抱えることになります。
愛する女たち、戯作の道、武士の矜持――様々なものの間に挟まれ、悩み抜いたその果てに、春町が選んだ道とは……
冒頭に述べたように、その最期には不審な点もある春町。その真実がどうであれ、そこには、寛政の改革の影が色濃く落ちていたことは間違いのないことなのでしょう。
本作はその春町が最期の日に向かう姿を描いた物語なのですが――それを悲劇のみで終わらせないのが、作者の作者たる所以です。
何しろ本作の恋川春町は、今一つ格好良くない。歴とした妻子がありながらも、ある時はうなぎ屋の看板娘、ある時は吉原の女郎に熱を上げ、またある時には女性戯作者や幼馴染と怪しからん雰囲気になったりと忙しい。
と言っても艶福家というわけではなく、むしろ女の子と仲良くなりたいのになかなかなれない冴えないおっさん――というのが正直なところで、その辺りの何ともいえぬユーモアとペーソスは、これはもう作者の作品でお馴染みの味わいであります。
しかしそんなおっさんでありつつも、しかし戯作者としての誇りは誰にも負けないのが春町。自分の作品で世の中を楽しませることが信条の彼が密かに信奉するのは馬場文耕――30年ほど前にその作品が幕府の逆鱗に触れ、打ち首獄門となった講釈師――なのですから、その根性は筋金入りであります。
その文耕に倣って権力に屈することなく、ただ己の目指す作品を描く――そんな意気軒昂なところを見せる春町ではありますが、しかしそんな彼に忍び寄るのは、定信の影だけではありません。
売れっ子戯作者として追い上げてきた山東京伝の存在、自分を応援するといいつつ今一つ信頼できない蔦屋(本屋)――さらに先に述べたような周囲の戯作者たちの変節が、彼を悩ませ、弱らせていくことになります。
そしてもう一つ、武士であるという己の矜持ににも縛られ、どんどん追い込まれていく(己を追い込んでいく)彼の姿は、それまでが生き生きとしていただけに実に辛い。
その一方でその姿には作者の自己投影を見てしまうわけで、特に終盤に描かれる春町の八方破れの姿などは、ほとんど私小説の味わいを感じてしまう――というのはもちろん、読者の勝手な思い入れではありますが……
そんなわけで、様々な意味で実に作者らしい本作なのですが――しかしもう一つ作者らしいのは、それは権力の理不尽に対する怒りが、作品の基調を成していることでしょう。
本作の悪役ともいうべき定信。しかし彼は最後の最後に至るまで、その姿をはっきりと見せることなく、その真意が明示されるわけでもありません。しかしここに在るのは確かに権力の理不尽の姿であり――そしてそれに押し潰され、消されていく者の姿なのです。
これは折りに触れて述べてきたことでありますが、デビュー以来作者の作品の底流に着実に脈打っているのは、この権力への怒りであり、そして弱くとも必死に生きる者たちへの慈しみであることは、愛読者であればよくご存じでしょう。
いわば本作は、その二つの想いに揺れ続けた一人の戯作者の姿を、現代の戯作者たらんとする作者が描いた物語であり――そしてそんな本作が、今この時に書かれたことには、必ず意味があると感じさせられます。
あくまでもユーモアとペーソスを漂わせつつ、その核にあるのは作者の叫びのような想い――そんな本作を、私はこよなく愛するものです。
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