平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』 第8章の4『大川のみづち』 第8章の5『杲琵墅』 第8章の6『芝居正月』
北から来た盲目の美少女修法師が怪異に挑む連作短編シリーズ、第8章の後半の紹介であります。今回も怪獣ものやこれまでとは趣向の異なる怪異など、バラエティに富んだ作品が並びます。
『大川のみづち』
大川に船を出していた倉田屋や薬楽堂の長兵衛の眼前で、水中から巨大な顔を出した怪物。彼らだけでなく夕涼みに来ていた大勢の人々に目撃された怪物を、伝説のみづちではないかと言い出す長兵衛ですが、相談を受けた百夜は冷たくあしらいます。
しかし日本書紀に倣ったみづち退治を企画し、それを無念によって戯作に仕立て上げることを企む長兵衛。それを危ぶんで駆けつける百夜が見たみづちの正体とは……
というわけで、今回も薬楽堂が登場する本作は、久々に桔梗も登場して賑やかなエピソードなのですが――しかしそれだけでなく、登場するのが怪異、というより怪獣というのが嬉しいところであります。
何しろ今回の登場怪獣みづちは、大川からニュッと突き出した頭だけで八尺、全身ではおそらく二十尺という巨大さ。現代のサイズ感でみれば小ぶりかもしれませんが、大きな建造物のない江戸時代であればさぞかし「映える」ことでしょう。映像で見てみたい……!
というのはさておき、そんな怪獣を前にしても、自分の商売に利用してやろうという長兵衛の商魂たくましさが印象に残る本作。考えてみれば、怪獣ものでマスコミ関係者が話をややこしくするというのは、まま見る展開であります。そんな長兵衛に頭を抱えながらも助けに向かった百夜による謎解きも楽しい一編です。
『杲琵墅』
無頼の部屋住集団・紅柄党の一員・林信三郎の様子が最近おかしいのに気がついた頭目の宮口大学。信三郎を問いただしてみれば、数日前から周囲で腐った臭いが漂ってくるのに悩まされているというではありませんか。
自分たちには感じられないその臭いが霊的なものではないか、と考えた大学から依頼を受けた百夜は、林家の隣の日比野家に秘密があると睨みます。はたして、日比野家から盗まれた手文庫が林家の庭に落ちていたことを知る百夜ですが……
全く聞いたことが無い言葉「杲琵墅(こうびしょ)」がタイトルとなっている本作は、「臭い」を題材とした怪談。何だかわからないモノの臭いを嗅いでしまう、嗅がされてしまうというのは、対象がどこにあるかわからないだけに、何とも始末が悪いとしか言いようがありませんが――解き明かされた真相は、この存在であれば、と感じさせられます。
そして明らかになるタイトルの意味も、なるほどと感心させられるもので、小品ながら面白いエピソードであります。
『芝居正月』
顔見世興行も近づく十月の晩、両国の芝居小屋・東雲座で夜毎起きる怪異。誰もいない小屋の中から様々な声が聞こえてくるという怪異の解決を依頼された百夜は、調査に向かった東雲座で、強い情念を背負った菊之丞という役者に目を留めます。
はたして聞こえてくる声の内容は、菊之丞が演じる役の台詞。さらに彼が南部の出身であることを知った百夜たちが、彼の長屋で見たものは……
臭いに続き、今度は音にまつわる怪談である本作。芝居が題材といえば、鶴屋南北の息子・孫太郎を相棒とする鐵次の出番では――と一瞬思ってしまいますが、物語が進むにつれて、これは百夜が挑むべき事件であるということがわかります。
この怪異の正体――そしてそれがまた、この巻の幾つかのエピソード同様、これまでのシリーズと大きく異なる趣向のものなのですが――は比較的早い段階で明らかになるのですが、しかし問題はこれから。怪異を祓って終わりとならない一件に決着をつけたのは――これはまさしく、役者が違うと言うべきでしょうか。
ところで以下は蛇足。本作でおっと思わされるのは、作中でこれが『ゴミソの鐵次調伏覚書』シリーズの第3弾『丑寅の鬼』の翌年であると明言されていることであります。
ゴミソの鐵次と孫太郎が出会ったのは文政7年ですから、本作はそれ以降の出来事となりますが、一方で『草紙屋薬楽堂』シリーズの『絆の煙草入れ』は文政3年の出来事。すなわち本作は『草紙屋薬楽堂』の出来事よりも少し後の時期を描いていることになるのですが、だとすれば前回紹介した『笑い榎』でまだ本能寺無念が無名のように描かれていたのと少し矛盾があるのですが、これはもちろん、ここで登場する薬楽堂と無念が、いわばプロトタイプであるためでしょう。
そして薬楽堂といえばやっぱり欠かすことができないあの人は――それは次回のお楽しみ、であります。
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