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2019.02.28

『どろろ』 第八話「さるの巻」

 突如として現れ、村全体を覆う黒雲「残され雲」に苦しめられる村。姉ちゃんと慕う娘・お梅が雲の生贄にされることになった少年・さると出会ったどろろと百鬼丸は、彼とともに雲に立ち向かう。が、雲に「眼」を眩まされた百鬼丸は、雲の正体・大百足に大苦戦し、お梅も奪われることに……

 それまで明るかったものが突然暗くなり、天からはなにやらカサカサしたものが落ちてくる村。それを見た人々は、「残され雲だ!」「嫁を用意しろ!」と叫び惑うことに――という、土俗的な時代ホラー色濃厚なアバンで始まった今回。そうとは知らずいつもの調子で旅を続けるどろろと百鬼丸は、硫黄の臭いも強い山中にやってくるのですが――そこで輿に乗せられて行く花嫁の一行と、それに矢を向ける獣の皮を被った少年を目撃、慌てて少年を止めることになります。
 しかし「さる」と呼ばれるその少年の話を聞いてみれば、彼が姉ちゃんと呼ぶ花嫁姿の娘・お梅は残され雲への生贄にされるというではありませんか。そして初めて眼下の村のみを覆う雲の存在を知る二人。これは妖怪の仕業に違いないと、どろろは(金目当てで)妖怪退治を持ちかけるのでした。

 見張りを殴り倒し、生贄の座に据えられたお梅を連れだそうとするさるとどろろ。しかし彼女がそれを拒んでいるうちに、頭上からはあの雲が……。慌てふためく見張りを吸い込み、空からその残骸を降らす雲。中から現れたのは、空を舞う巨大な百足であります。
 ここで百鬼丸の出番、と思いきや、妖怪の一部らしい雲によって一面視界が真っ赤になってしまった彼は、生まれて初めて視界を奪われ、戦闘不能状態に。その間にお梅は百足に呑まれるのですが――しかしその時間欠泉が噴き上がり、雲を吹き飛ばしたおかげで、百足は逃げ出し、どろろたちは命拾いしたのでした。

 結局、お梅を失ってしまったさる。しかし彼は大言壮語したどろろを咎めるでもなく、姉ちゃんと呼ぶお梅は実の姉ではなく、山でただ一人生きてきた自分に彼女だけが優しくしてくれたこと、自分にとって母ちゃんのような存在でもあったことを語ります。母ちゃんという言葉には弱いどろろは、さるとともに大百足に挑むことを誓うのですが――その間、百鬼丸は地べたに座り込んで、岩に小石を投げるばかり……

 そして翌日、花嫁に扮して百足を誘き寄せるどろろ。相手の攻撃を必死に躱しながらどろろが向かった先は、さるが待ち受ける谷――地面からガスが噴出しているそこに百足が入った時、さるが火矢を放ち、大爆発! と思いきや、百足は脱皮をしてこれまで以上に強力になってしまうのでした(冒頭で空から降ってきたのは百足の皮だった、と厭な展開)。
 絶体絶命のその時に、百足の頭に小石を、ついでさるの弓矢を放つ百鬼丸。当然相手にダメージを与えるはずもありませんが、次の瞬間、猛然と飛びかかった百鬼丸は、腕の刃で百足の片目を潰すのでした。昨日の晩、しきりに小石を投げていた百鬼丸――彼は、視覚を封じられた自分に残された聴覚を使い、相手に石や矢がぶつかる音から、相手の位置を割り出していたのであります。

 それを知ったどろろは、勇敢にも百足のもう片目の脇に飛び移り、声で位置を知らせようとするのですが――百足が暴れ回る中であえなく失神。しかし戦いの中、言葉にならない百鬼丸の叫びが、どろろの目を覚まします。どろろの声に誘導され、今度こそもう片目を潰した百鬼丸。そこに反対側にもついていた頭が襲いかかりますが――敢えて口の中に飛び込んだ彼は中から百足を真っ二つ、見事に百足を滅ぼすのでした。

 空中から下の湖に落ちたどろろと百鬼丸。そして辛うじて生きていたお梅。再会を喜ぶさるとお梅ですが、その時百鬼丸の鼻が落ちて――そう、百足も鬼神だったのです。そして二人と別れ、慣れぬ臭いに戸惑いながら道を行く百鬼丸と相変わらずなどろろ。その彼の口からは、たどたどしくもはっきりと「どろろ」という言葉が……


 「残され雲」というネーミングといい現象といい、冒頭にも書いた通り実に時代ホラー感が強かった今回の敵。その一方でドラマはさるの方に持って行かれた感があり、どろろと百鬼丸は今一つ目立たなかった印象があります。正直なところ今回も前回同様に鬼神は登場しないかと思ったのですが――鼻が返ってきたのはむしろ意外でした。

 しかしこれは完全に好みの問題ですが、百鬼丸がどろろの名を呼ぶのは、百足の上で失神したどろろに叫んでいる時の方が盛り上がったのではないかしら……



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 『どろろ』 第一話「醍醐の巻」
 『どろろ』 第二話「万代の巻」
 『どろろ』 第三話「寿海の巻」
 『どろろ』 第四話「妖刀の巻」
 『どろろ』 第五話「守り子唄の巻・上」
 『どろろ』 第六話「守り子唄の巻・下」
 『どろろ』 第七話「絡新婦の巻」

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2019.02.27

『決戦! 設楽原 武田軍vs織田・徳川軍』(その三)


 『決戦!』シリーズ第8弾、『決戦! 設楽原』の紹介の最終回です。今回取り上げるのはいずれも実力派による注目の二作品。それぞれちょっと意外な人物が主役となります。

『淵瀬は廻る』(箕輪諒):朝比奈泰勝
 この戦において主を逃すために壮絶な討ち死にを遂げた武田の名将たち。その一人、武田四天王・内藤昌豊を討ったのは、織田でも徳川でもない、何と今川の将であったことを、恥ずかしながら私は知りませんでした。
 それが本作の主人公・朝比奈泰勝――あの剛勇・朝比奈(三郎)義秀の子孫が、今川家に仕えていたとも知りませんでしたが、その泰勝の主が「あの」今川氏真であったとは、事実は小説より奇なりと言うほかありません。

 「あの」氏真――桶狭間に父・義元を討たれ、その後の混乱を立て直すことができずに家臣は次々と離反、戦国大名としての今川家を一代で滅ぼした末、はじめは北条家、ついで何と徳川家康を頼ったという氏真。歌や蹴鞠に耽溺していたと言われ、典型的な愚将として描かれることの多い人物であります。

 しかし本作の氏真は、こうしたイメージよりも、はるかに陰影に富んだ存在として描かれることになります。
 完全に敗北者であるにもかかわらず、「再起のために奮闘している自分」像にすがり、現実から目を背ける氏真。その姿は愚かとも情けないともいうしかありませんが――しかし同時にその姿は、日々窮屈な現実の中で生きている我々にとって、どこかしら親近感を感じさせるものですらあります。

 本作の主人公は、そんな主の姿を純粋に憂い、今川家再興のために徳川軍に参陣して戦功を挙げようとする泰勝であります。しかし本作は同時に、そんな泰勝を白眼視し、不信感すら抱く氏真を、陰の主人公として描いていると言ってもよいでしょう。

 本作の題名の「淵瀬」とは、古今集の「世の中は なにか常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる」――世の中の有為転変の習いをさすもの。そのように、今は不遇の氏真も、いつか必ず雄飛の日が来ると信じる泰勝ですが、さてそれは本当に来たのか。
 それは歴史が示すとおり、と言いたいところですが――しかし本作はそこに、もう一つの鮮やかで美しい「真実」を示してみせます。

 確たる史実を踏まえつつも、そこに人間の生の想いを乗せることにより、意外なドラマと感動を生み出してみせる――大げさに言えば、自分はこんな歴史小説が読みたかった、とすら感じさせられた一編です。


『表裏比興の者たち』(赤神諒):真田昌輝
 本書の掉尾を飾るのは、やはり設楽原の戦で勝頼を逃がすために戦場に散った武田方の武将の一人――あの真田昌幸の兄であり、本作においては信玄に仕えて右眼左眼と昌幸と並び称されたと語られる昌輝であります。
 が、本作の昌輝は、何とも意外かつ個性的な人物造形。何しろ彼が愛するのは女と酒と博打――武田の名将はどこへやら、絵に描いたような放蕩無頼の男なのですから。
 そしてその昌輝が、昌幸とともにこの戦いで巡らせる一計が、戦の中で巧みに敵を誘導し、武田家をかき乱す君側の奸を討たせてしまおうというのですからとんでもない。
 しかしそれにとどまらず、昌輝には昌幸も知らない真の狙いがありました。敵を誘導するのは同じ、しかし討たせる相手は……

 大友三部作で鮮烈なデビューを飾った作者。その題材のユニークさに目を向けられがちですが、しかしそこで描かれるものは決してお堅い史実のみではなく、中心にあるのは、血の通った人間である武将たちが、歴史や運命の巨大なうねりの中で、悩み、迷いながら懸命に生きる姿であると言えます。
 そして本作で描かれる真田昌輝――いや真田三兄弟も、そんな血の通った人間なのです。

 設楽原の戦が繰り広げられる陰で謀計を巡らせ、己の想いの赴くまま、自由に生き延びようとした昌輝。しかし冒頭に述べたとおり、彼が最終的に選んだのは、戦場での最期でありました。
 そこにあるのは、表裏比興の者であっても裏切れない一つの想い――ある史実の陰に隠された人の心を克明に浮かび上がらせてみせた好編であります。


 これまでの『決戦!』シリーズに比べると、大きく執筆陣が入れ替わった印象のある本書。冒頭を飾った宮本昌孝を除けば、ほとんどが数年以内にデビューを飾った新鋭揃いで――執筆陣の半数近くが「決戦! 小説大賞」を受賞していることもあり――非常にフレッシュな印象があります。

 私個人としてはこのラインナップは大歓迎ですし、成功していると感じます。ぜひ次なる『決戦!』でも、本書の方向性を踏まえた執筆陣の参戦を期待したいところであります。


『決戦! 設楽原 武田軍vs織田・徳川軍』(宮本昌孝ほか 講談社) Amazon
決戦!設楽原 武田軍vs.織田・徳川軍


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2019.02.26

『決戦! 設楽原 武田軍vs織田・徳川軍』(その二)


 『決戦!』シリーズ第8弾、『決戦! 設楽原』の紹介の第二回であります。今回は武田方と織田方、それぞれで戦い、鉄砲によって運命が分かれた二人を描く作品を取り上げます。

『くれないの言』(武川佑):山県昌景
 いま武田ものといえばこの人、と言いたくなる作者は、時に超自然的な描写を用いて、ある意味それと対極にあるような剛直な武士たちの世界を描き出します。
 本作もそんな作品――武田四天王の一人であり、赤備えで知られた最強の将を悩ませる、ある人物の死後の言葉が大きな意味を持つ物語です。

 敗れるのを覚悟の上の決戦に挑むことになった昌景を悩ませる「四郎勝頼、弑すべし」の言葉。それは、亡き信玄の位牌を高野山に納めに行った際、そこに現れた信玄が命じた言葉でありました。
 しかしそれは昌景にとっては二度目の主君殺しを意味する言葉――かつて信玄の嫡男・義信が、昌景の兄と結んで謀反を起こそうとしていたのを密告し、結果として義信を死に追いやった過去を持つ彼にとって、あまりに残酷な命というほかありません。

 が――物語は、昌景が同じ四天王の馬場信春、内藤昌豊らにこの秘事を語ったところから思わぬ(本当に!)方向に展開。設楽原の決戦へと突入していくことになります。

 前回述べましたが、設楽原の戦いで最も印象に残る武将は、絶望的な戦いの中で勝頼を守る形で死んでいった武田の名将たちであることは間違いないでしょう。
 昌景もその一人ですが、しかし上に述べたように、勝頼に対して屈託を抱える昌景が、どのようにしてその死地に向かったのか――本作はその転回を、信玄の言葉を軸に鮮やかに描いてみせるのです。
(その一方で、昌景と勝頼のある共通項を抉ってみせる一文には脱帽であります)

 さらにその先に待つもの――将たる者の宿命を描く、結末のある会話も、強烈に印象に残る作品です。


『佐々の鉄炮戦』(山口昌志):佐々成政
 設楽原――というより長篠の戦といえば、すなわち鉄砲、という印象がまず浮かびます。さすがに三段撃ちは巷説とのことで、本書にも登場しませんが、しかしそれでも鉄砲の存在がこの戦を決したのは間違いありません。
 が、ここで鉄砲隊を率いたのは誰か、というのは案外印象に残っていないのではないように感じますが――本作の主人公は、その鉄砲隊を率いた武将の一人・佐々成政であります。

 かねてより鉄砲に親しみ、対武田戦の勝利の鍵として、真っ先に鉄砲に注目していた成政。そんな彼にとって、この戦はある意味晴れ舞台だったのですが――しかし周囲の武将たちは彼とはほとんど正反対の立場だったのです。
 特に同じく鉄砲隊を任され、成政の黒母衣と並ぶ赤母衣を率いた前田利家などは、こんなものは戦ではないと不満を隠さないほど。この差から浮かび上がるのは、成政と他の武将たちの意識の違い――鉄砲が戦を変えると信じる成政の視点から見た合戦、いや銃撃戦の姿は、ありそうでなかった設楽原の物語として感じられます。

 正直なところ地味な印象もある成政ですが、この戦の前年、長島一向一揆との戦いで失った長男の存在が、様々な形で「今」の成政に絡んでくるのが印象に残ります。
 そしてまた、その後の成政を知っていると、ここで戦が変わったことが彼にとって本当に幸せであったかと、考えさせられるのですが……


 大変恐縮ですが、次回に続きます。


『決戦! 設楽原 武田軍vs織田・徳川軍』(宮本昌孝ほか 講談社) Amazon
決戦!設楽原 武田軍vs.織田・徳川軍


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2019.02.25

『決戦! 設楽原 武田軍vs織田・徳川軍』(その一)


 様々な合戦を、豪華作家陣がそこに参陣した武将一人ひとりを主人公に描くアンソロジー『決戦!』シリーズの第8弾は『決戦! 設楽原』。設楽原? と一瞬思うかもしれませんが、これはいわゆる長篠の戦い――副題にあるとおり、武田軍と織田・徳川連合軍の文字通り決戦を描いた一冊であります。

 以下、収録作品を一つずつ取り上げます。

『麒麟児殺し』(宮本昌孝):徳川信康
 徳川家康の長子であり後々まで家康の信頼厚かったことがうかがわれる徳川信康。その信康と設楽原の戦いというのは今ひとつ結びつかない印象ですが、そこに参戦していたのは事実。しかしそれ以上に彼とこの戦いを繋ぐのは、大賀弥四郎事件によってでしょう。

 本作における信康は、武勇もさることながら、その鋭い知恵の冴え、若いに似合わぬ腹芸の使いよう、そして何よりも配下や周囲を慮る人物の大きさと、言うことなしの英傑。作者は颯爽たる英雄たちを描かせれば右に出る者のない作家ですが、本作の信康もまた、確かに作者の主人公であります。
 そんな信康が知ったのは、実母・瀬名の近くに仕える弥四郎の不穏な動き。勝頼の三河侵攻と呼応して岡崎に武田軍を引き込もうとした弥四郎の動きを、水際立った動きで防いで見せる信康ですが……

 本書の主題である設楽原の戦いの引き金となった勝頼の三河侵攻の、そのまた引き金となったとも言われる大賀弥四郎事件。その意味ではこの事件を描く本作は、本書の巻頭に置かれるにふさわしいと言えるでしょう。
 しかし本作はそこで終わりません。本作のタイトルの意味は――それは残念ながら、史実が証明するところであります。颯爽たる英雄を描きつつも、その英雄が小人たちによって悲劇的な最期を遂げるのもまた、作者の作品にはまま見られること。それが歴史と言ってしまえばそれまでですが、何とも物悲しく、口惜しいことであります。


『ならば決戦を』(佐藤巖太郎):武田勝頼
 設楽原での決戦は、言うまでもなく信長がこの地に誘き寄せて起きたものではありますが、しかし直接の引き金を引いたのは勝頼の決断であることは間違いありません、本作で描かれるのは、その勝頼が決戦を決断する姿であります。

 元々は後継者の資格がなかったものが、兄の死によりその座につけられ、信玄へのコンプレックスと諸将との反目から、無理な拡大路線を続けた――という人物像が定番の勝頼。
 本作もそれを踏まえたものではあるのですが、三人称と勝頼の一人称を交互に用いるという変則的なスタイルを通じて浮かび上がるのは、愚将のイメージからは遠い、等身大の勝頼の姿であります。

 この決戦の判断について、甚だしきは、勝頼と側近が、父の代からの宿将たちを一掃するために無謀な戦を仕掛けた、などという説もまま見かけます。しかし、本作の勝頼の判断は、失敗ではあるもののある意味ごく真っ当であり――それだけに、その後の結末が身につまされるものがあります。


『けもの道』(砂原浩太朗):酒井忠次
 どちらかというと壮絶な最期を遂げた武田軍の武将の方が印象に残る設楽原の戦いですが、それに対して織田・徳川軍で最も印象に残る武将は、酒井忠次ではないでしょうか。
 本隊が設楽原で武田軍と激突する中、別働隊を率いて夜の山を越え、長篠城を囲む鳶ヶ巣山の砦を奇襲、さらに武田軍の退路までも断つという活躍を見せた忠次。情報が漏れることを恐れた信長に献策を一旦撥ね付けられながらも、後に密かに決行を命じられたという逸話も含めて、実にドラマチックです。

 本作はその忠次の奇襲を巡る意外譚。土地の者に道案内を依頼した忠次の前に現れたのは、何と女性――武田軍に夫を殺された敵討ちのために協力を申し出た杣だったのであります。夜目が利くという彼女の先導で、忠次たちは危険極まりない夜の山道を行くことになるのですが……
 という本作で描かれるのは、奇襲そのものではなく、そこに至るまでの山中行。道案内が女性という設定も面白いのですが、何よりも素晴らしいのは、その山中行の描写そのものであります。

 夜の山が刻一刻と姿を変えていく様、そしてそれに対して人間たちがある意味合戦以上に命がけで挑んでいく様――その描写は、合戦以上に強く印象に残ります。
 途中のある展開が(ある意味お約束に感じられて)ちょっと引っかかったのですが、それも終盤の一文で納得であります。


 長くなりますので数回に分かれます。


『決戦! 設楽原 武田軍vs織田・徳川軍』(宮本昌孝ほか 講談社) Amazon
決戦!設楽原 武田軍vs.織田・徳川軍


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2019.02.24

平谷美樹『口入屋賢之丞、江戸を奔る 幕末梁山泊』 理不尽を許せない奴らの大暴れ、始まる!


 昨年は『鍬ヶ崎心中』『柳は萌ゆる』と、独自の視点から幕末史を描いた骨太の作品たちを発表した平谷美樹。本作もやはり幕末ものですが――市井に生きる者たちが幕末の世に敢然と異議を申し立てるという、それらの作品とは全く異なる痛快な味わいの、しかし背骨にあるものは等しい快作であります。

 時はペリーの黒船が世を騒がしていた頃――麻布谷町で口入屋を営むのは、この業界では老舗で知られる山吹屋。やり手の若き主・賢之丞の差配で、武家や商家を問わず、様々な求めに応じて人を斡旋する稼業であります。

 そんな山吹屋に最近しばしば姿を見せるのは、いかにも腹に一物ありげな浪人・加宮小兵衛。何しろ、花火師と猟師と鉄砲鍛冶を揃えてくれ――というのですから怪しいことこの上ありません。
 加宮が江戸を騒がすような陰謀を企んでいると睨んだ賢之丞は、用心棒に読売屋、元女郎に元忍びといった多士済々な仲間たちとともに、裏を探り始めるのでした。

 はたして、加宮が江戸でも有数の大店と結び、剣呑な浪人たちを集めていることを知った賢之丞と仲間たち。侍たちが勝手に争うのは構わないが、江戸に暮らす町人たちを苦しめるのは許せねえ――そんな想いを胸に、賢之丞たちは陰謀を粉砕すべく動き出して……。


 と、これまでも常に権力者ではなく庶民の側に立っての物語を描いてきた作者らしく、実に反骨精神に溢れた本作。

 ペリーの来航で天下が大きく動き始めた時代、世界の情勢に目を瞑る無能で事なかれ主義の幕府も、結局自分たちが幕府に取って代わることしか考えていない攘夷主義者たちも(さらにはそんな状況にも危機意識のない連中も)当てにならねえ!
 とばかりに、動き出すのはそれぞれ一芸に秀でた面々。正面から力押しするのではなく、(悪)知恵と技によって悪党どもに一泡吹かせるのが、実に気持ちいいのであります。

 そんな本作の副題は「幕末梁山泊」。もちろん(作者も以前題材とした)あの『水滸伝』の梁山泊ですが、別に本作の主人公たちが魔星の生まれ変わりというわけでも、百八人の仲間たちが登場するというわけでもありません。
 いわば多士済々が集まる場の喩えとしての「梁山泊」なのですが、しかしそれだけではなく、本作において山吹屋に集うキャラクターたちの中には、『水滸伝』イズムが脈打っていると感じられます。

 ……水滸伝、あるいは梁山泊という言葉を目にした時、思い浮かべるものは何でしょうか。巨大な権力への反逆でしょうか。武術に秀で義に厚い豪傑たちでしょうか。
 もちろんそれもその通りではあります。しかし僕がこれらの言葉から受けるイメージは少々異なります。

 それは、権力、財力、暴力といった力による横暴、理不尽には決して屈しないという想い。そしてその想いによって結ばれた、生まれも育ちも異なる仲間たち――それであります。
 そして賢之丞と仲間たちは、まさにそれを体現する存在であると――そう感じるのです。作者の他の作品の主人公たちと同様に……

 もっとも、これと目を付けた伊賀組同心を罠に嵌めて、伊賀組に居られなくした上で仲間に引っ張り込む、という悪い意味の梁山泊イズムも発揮しているのですが――それはまあそれで。


 そんな、理不尽を許せない奴らの大暴れを描く本作。口入屋の道楽というにはいささか危険な綱渡りに過ぎるかもしれませんが――しかしこの混沌の時代、こういう連中がいてもいい、いやいて欲しいと思わされる、痛快な物語であります。

(ちなみに作者のファンとして嬉しかったのは、幕末にも『貸し物屋お庸』の湊屋が、それも両国の出店が存在していたことであります。あのシリーズもいつかまた復活していただきたいものです)


『口入屋賢之丞、江戸を奔る 幕末梁山泊』(平谷美樹 光文社文庫) Amazon" target="_blank">Amazon
口入屋賢之丞、江戸を奔る: 幕末梁山泊 (光文社時代小説文庫)

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2019.02.23

平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』 第13章の1『百夜の霍乱』 第13章の2『溶けた黄金』 第13章の3『祈りの滝』


 北から来た盲目の美少女陰陽師が付喪神や亡魂、妖と対決する本シリーズ。この前の第11章・第12章では大仕掛けな連続エピソードが描かれましたが、この第13章は久々に単発エピソードが続きます。大事件の連続で霊感が弱まった百夜の、いわばリハビリの行方は……

『百夜の霍乱』
 というわけで、冒頭のこのエピソードで描かれるのは、鬼の霍乱ならぬ百夜の霍乱――死闘に次ぐ死闘で霊感が一時的とはいえすっかり弱まってしまった百夜の姿。そんな時に舞い込んできたのは、唐物屋に出没する、奇怪な唐人の亡霊調伏の依頼であります。
 夜な夜な現れるという、両刃の剣を持った唐人の霊。しかし店の者たちに確認してみれば、霊が手にしているものは剣だけでなく剣と棒になったり、龍に食われる武者であったり、逆に盆で女に叩きのめされる龍であったりと、様々な奇妙な姿で現れるとわかって……

 普段であれば霊感だけで大抵の怪異の正体を察知できる百夜。結構もったいぶり屋なだけに、確実に事件解決となるまでそれをひっぱる彼女ですが、今回はそんな余裕がなく、ほぼ推理と知識によって挑まなければならなくなるのが――本人には申し訳ないですが――何とも面白いところであります。
 そしてそんな苦労の末に百夜が暴いた霊の正体は――なるほど、こちらは実物は見たことはないものの、説明を受ければ納得の存在。正体が明らかになった後の、ちょっとほろ苦くも微笑ましい結末にもホッとさせられます。
(しかし今回の百夜、左吉に弱みを見せないように色々と誤魔化したり、友だちが少ないと言われて怒ったりするのが人間くさくてよろしい)


『溶けた黄金』
 両替商の蔵に現れたという白い人影。調伏の依頼を受けて調べる百夜は、そこで古い古い亡魂の存在を感じ取るのですが――その場に現れた亡魂は、殺気をもって百夜に襲いかかるのでした。
 亡魂が、銭函に納められていたある品物から現れたことを知った百夜ですが、その由来とはなんと……

 これまでも神仏や歴史上の人物等、様々な存在(にまつわる存在)と対決してきた百夜ですが、今回登場するのは、何と誰もが知るあの人物。
 描かれる怪奇現象としてはそこまで派手ではなかったこともあり、まさかこの出だしこう繋がっていくとは! と驚かされますが、最後に何故がいくつも残る結末は、左吉が言うようにもやもやっとする――というより、ちょっと豪快すぎたかなあという印象があるというのが、正直な印象ではあります。

 それはともかく、まだまだ本調子にはほど遠く、修行を決意する百夜。そんな彼女の不調を、ほんのわずかな彼女の言葉から感じ取る左吉は、何のかんの言っても良い奴ではあります。


『祈りの滝』
 修行のため、桔梗の案内で不動山に向かった百夜。そこでは女性も滝行ができるというのですが、しかし地元の人間から、そこに無数の女たちの亡魂、さらに修験者たちの亡魂までも出没すると聞かされるのでした。
 もちろんそんな話に怯むはずもなく、山に踏み込む百夜一行ですが、はたして夜の滝には次々と白い人影が現れて……

 これまでシリーズの折々で描かれてきた、「向こう側」の世界の不思議なロジック。(真面目なことをいえば)その真偽はこちらにはわからないわけですが、百夜の口から語られるそれは妙に信憑性が高く、あの世にも様々な理屈があるのだなあと毎回感心させられます
 以前から何度も述べているように、本シリーズはミステリの要素が強いのですが、それを可能としている一因は、このように超自然の世界には超自然なりの、ロジックが設定されていることにあるとも言えるでしょう。

 そして本作でクローズアップされるのは、まさにそんな向こう側のロジックなのですが――しかしそこから浮かび上がるのは、向こう側に行っても変わらぬ、切なる人の想いであります。
 百夜たちの務めは、怪異を祓うだけでなく、このような想いを受け止め、昇華させることにある――そんなことを再確認させられるエピソードです。

『百夜・百鬼夜行帖』(平谷美樹 小学館) 『百夜の霍乱』 Amazon / 『溶けた黄金』 Amazon / 『祈りの滝』 Amazon
夢幻∞シリーズ 百夜・百鬼夜行帖73 百夜の霍乱(かくらん) 百夜・百鬼夜行帖シリーズ (九十九神曼荼羅シリーズ)夢幻∞シリーズ 百夜・百鬼夜行帖74 溶けた黄金 百夜・百鬼夜行帖シリーズ (九十九神曼荼羅シリーズ)夢幻∞シリーズ 百夜・百鬼夜行帖75 祈りの滝 百夜・百鬼夜行帖シリーズ (九十九神曼荼羅シリーズ)


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2019.02.22

『どろろ』 第七話「絡新婦の巻」

 旅の途中、人間を襲っていた妖怪・絡新婦と遭遇し、傷を負わせた百鬼丸。人間に化けてとある村に潜り込んだ絡新婦は、そこで弥二郎という青年に助けられる。一方、彼女を追って村を訪れた百鬼丸とどろろは、村で人攫いが相次ぐと聞き、絡新婦の仕業と確信するが……

 前回の衝撃からか、口が利けるようになっても相変わらず無言の百鬼丸。そんな百鬼丸を何とか笑わせようとするどろろですが、何だか気色悪い笑い声が聞こえてきたと――思えばそれは二人の頭上から、何と巨大な蜘蛛に捕らえられた男が、何か幻覚でも見ているのか笑い声を上げていたのであります。
 すかさず格好良く義手を抜き払い、二本の刃で蜘蛛の妖怪――絡新婦に切りかかる百鬼丸。しかし絡新婦に傷を負わせたものの、相手の吐いた蜘蛛糸に動きを封じられた百鬼丸は逃走を許してしまうのでした。

 その後、近くの村を訪れ、そこで人攫いが相次いでいると聞くどろろと百鬼丸。人攫いに賞金がかけられていると知ったどろろは、さっきの絡新婦が犯人だろうと、百鬼丸に退治をけしかけます。
 一方、当の絡新婦は、美しい人間の女性に変じて村に入り込んだのですが――力尽きて倒れたところを、弥二郎という青年に見つけられ、小屋に案内されるのでした。

 ここは定番通り、弥二郎を騙してその精気を吸おうとする絡新婦ですが、当の弥二郎はいたってマイペース。名前などないという(正直な)絡新婦に対し、おはぎという名前をつけ、自分も腹が減っているというのに彼女に飯を譲り――しかも虫も人間も同じ一個の命と語る弥二郎に、絡新婦はすっかりペースを乱されてしまいます。
 そんな状況とはつゆ知らず、夜通し歩き回ってへとへとのどろろと百鬼丸は、腹を減らしてどくだみの葉を齧る始末……(黙って齧る百鬼丸が妙にかわいい)

 しかし精気を吸えなければ、絡新婦はどんどん弱っていくばかり。その原因も知らず彼女の身を案じる弥二郎は、医者もいないこの村から、彼女を逃がそうとするのですが――しかし山仕事のための人手集めに血眼の土地の兵によって、村は簡単に出入りできない状態にあります。
 しかしそれでも彼女を連れ出すと語る弥二郎。実は彼こそは人攫い――過酷な山仕事から逃れるために村を密かに離れる者を助けるのが、彼の裏の稼業だったのであります。

 しかし折悪しくというべきか、土地の兵、さらにはどろろと百鬼丸に見つかってしまう二人。何とか村からの抜け道まで逃れた二人ですが、兵が放った矢が弥二郎の身に突き刺さり、怒りに燃えた絡新婦は真の姿を見せると、兵たちに襲いかかります。
 そして兵たちを襲って体力を回復し、百鬼丸と死闘を繰り広げる絡新婦。しかし傷ついた弥二郎に寄り添う絡新婦の魂の色が、妖の赤い色から、白い色に変わっていくのを目の当たりにした百鬼丸は二人を見逃し、そして何となく優しい気分になったどろろの耳には、百鬼丸のわずかな笑いが届くのでした。


 ひたすら重かった前回に比べると、色々な意味でユルかった今回。人を襲う妖怪と、そうとは知らぬ人間が恋におちる(厳密には違うのかもしれませんが、まあその直前でしょう)展開から、これは悲劇に違いないと思いきや、百鬼丸に見逃される――という結末自体は、これはこれで面白いのですが、自分の体を持っているかもしれない妖怪を倒して回る百鬼丸にしては、違和感が残る行動ではあります(まあ、体を持っている鬼神は、間違えても魂の色が白にはならないのだとは思いますが)。

 さらに困ってしまうのは、弥二郎がたまたま人も虫も分け隔てなく接する、この時代には極めて奇特な博愛主義者――なのはまあいいとして、絡新婦の方が、実は人間を食わず殺さぬ程度に精気を吸っていました、という設定。
 さすがに人を食って生きる妖怪を百鬼丸が見逃すわけにはいかない――という、都合の良いエクスキューズに見えてしまったのが、何とも残念なところであります。

 もちろん百鬼丸の目を通じて、妖怪も時に人と同じ魂――というより清らかな魂と言うべきでしょうか――を持つ、ということを描き出すのは、これはこれでなかなか良い展開だとは思うのですが。
(これまで、人間の醜い部分をこれでもかと見せられてきただけに……)



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 『どろろ』 第五話「守り子唄の巻・上」
 『どろろ』 第六話「守り子唄の巻・下」

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2019.02.21

許先哲『鏢人 BLADE OF THE GUARDIANS』第2巻 おしゃべりな賞金稼ぎが黙るとき


 隋朝末期を舞台に、おしゃべりで子連れの賞金稼ぎ・刀馬が死闘を繰り広げる武侠活劇漫画、待望の第2巻であります。刀馬が引き受けた新たな依頼――それは大きな訳ありの仮面の男を長安へ連れて行くこと。そしてただでさえ困難なこの旅は、やがて思いもよらぬ惨劇を招くことに……

 その氏素性はほとんど不明ながら、途方もなく腕が立ち、そしておしゃべりな賞金稼ぎの刀馬。七と呼ぶ子供を連れて西域を放浪する彼は、巨額の賞金をかけられた殺し屋を追って向かった先で朝廷の役人・常貴人と対立、自ら賞金首になるのを承知で、この怪人を平然と切り捨てるのでした。
 そんな刀馬を庇護するのは、彼とは昔なじみの大商人・莫。その莫から、隋を倒すと嘯く知世郎なる仮面の男を長安まで護衛していくよう依頼された刀馬は、七、そして莫の娘のアユアとその伴と共に、東に向かって旅立つことになるのですが……


 というわけで賞金首の賞金稼ぎが、反隋組織の首魁を護衛して旅するという、面倒と厄介事が起きないはずがないこの旅。しかしそんな旅を最初に騒がすのは、追手ではなく、これまた訳ありの連中であります。

 長安の顔役の囲われ者であったのが、間男を作って逃げ出した色気過剰の女・燕子娘と、彼女を連れ戻すことを依頼された曰くありげな長剣の使い手・豎――長安への帰路で邪教徒たちに襲われる二人を見つけた刀馬一行。
 この二人をすぐに助けず、お得意の「商売」を持ちかけた刀馬は、この二人を一行に加わえて旅を続けるのですが――これで都合七人、見るからに只者でない一行なのが、絵面からもビンビン伝わってくるのが、実に楽しいところであります。

 が、そんな刀馬たちの知らぬ間に、彼らを取り巻く情勢は大きく動き出すことになります。
 莫を含めて、西域で大きな勢力を持つ五つの大商人の一族・五大胡商家族――かつてはどの勢力にも屈服せず、中立を保つという信念を持ってきた彼らに対し、隋二代皇帝・煬帝の西域制圧の命を受けた寵臣・裴(世)矩が接触を図ってきたのであります。

 貿易の利と引き換えに、隋に帰服することを求める裴世矩。他の四大家族がこれを受け入れる中、ただ一人拒んだ莫を待つ運命は、この過酷な時代と世界にふさわしい、残酷なものでありました。
 そしてそんなことが起きているとは知らずに旅を続ける刀馬たちの前に現れた五大胡商家族の頭首の一人・和伊玄。裴世矩との取引で、知世郎の命を狙って現れた彼は、かつて自分の許嫁であったはアユアに対し、ある「もの」を差し出して……


 正直なところ、刀馬の痛快な賞金稼ぎ稼業を描いた第1巻に比べると、物語のテンポも、剣戟の描写も、そして何よりも刀馬の活躍もこの第2巻では抑え気味という印象が強くあります。

 それは一つには、物語の背景となる中国史上に残る暴君と言われた二代皇帝・煬帝の国外遠征――そしてそれがこの世界にもたらすものを描くことに頁を割かざるをえなかった、ということあるでしょう。
 それはそれでもちろん物語を進めていく上で不可欠なものではあります。しかしやはりこちらが見たいのは、法も権力も関係なし、己の中の掟に従って生きる刀馬の痛快な大暴れなのですが――という思いは、この巻のラストで叶えられることになります。

 五大胡商家族の頂点に立つという己の野望のために、あまりに残酷かつ非道な行いをして憚らぬ和伊玄。しかしそれが刀馬の逆鱗に触れることになります。
 いつ如何なる時でもへらず口を欠かさず、ひたすら喋りまくる刀馬――そんな彼が言葉を発しなくなった時どうなるか、その恐るべき答えが、ここで示されるのであります。

 人を人とも思わぬ外道たちがドン引きするほどの刀馬のキレっぷりには、世の中には怒らせてはいけない人間がいるものだとつくづく思わされます――が、彼の怒りはまだ点火されたばかり。
 その燃え盛る炎がどこまで大きく広がることになるのか――ある意味物語の本筋以上に、それが気になってしまうのであります。


『鏢人 BLADE OF THE GUARDIANS』第2巻(許先哲 少年画報社ヤングキングコミックス) Amazon
?人 -BLADES OF THE GUARDIANS-(2) ヒョウ(金ヘンに票)人 -BLADES OF THE GUARDIANS- (ヤングキングコミックス)

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2019.02.20

永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第20巻 いつまでも変わらぬ、そして新鮮な面白さを生む積み重ね


 ちょっと不思議な力を持つ猫絵師・十兵衛と、元・猫仙人で今は十兵衛の相棒・ニタを狂言回しに描く本作も、連載12年目にしてついに単行本20巻達成であります。しかし20巻目でも描かれるのはこれまで変わぬ物語――人と猫と妖が織りなすちょっと不思議な物語の数々であります。

 猫と会話できるのをはじめ、この世ならぬ世界に触れることができる十兵衛と、十兵衛の絵を実物に変えるなど、強力な神通力を持つニタ。この凸凹コンビを中心に、時に切ない人情噺、時にちょっと恐ろしい怪異譚、時に可愛らしい猫物語を綴ってきた本作。
 この第20巻には全8話+αが収録されていますが、妖絡みの話が多めなのが特徴でしょうか。

 猫神の娘・真葛が想いを寄せる人間・権蔵が巻き込まれた奇妙な怪異の姿が描かれる「科戸猫の巻」
 師走も押し迫った頃、十兵衛たちの周囲に出没する謎の影の意外な正体を描く「事納め猫の巻」
 お馴染みの猫怖浪人・西浦さんの猫まみれの日常を描く「西浦弥三郎の日々の巻」
 かつて子供の頃の十兵衛が出会った、人そして猫とともに暮らす狐を巡る思い出「初午猫の巻」
 木彫り職人として今日も頑張る信夫が寺の経蔵に彫った猫が、夜毎抜け出して鯉を穫るという「経蔵猫の巻」
 十兵衛が捜索を依頼された、家を飛び出した猫の意外な旅路が語られる「踏み猫の巻」
 老夫婦から河鹿が鳴く絵を奪った旗本の横暴を十兵衛とニタが懲らしめる「河鹿笛猫の巻」
 七夕というのに雨が降り続く中、再び十兵衛の前に現れた異国の猫王が引き起こす騒動を描く「烏鵲猫の巻」
 その猫王とお供の日本観光の模様を描く猫絵茶話「妖精日本紀行」

 お馴染みの面々の登場あり、新顔の登場ありと、登場するキャラクターも、そして彼らが繰り広げる物語も、相変わらずバラエティに富んだこの巻の収録作品。先に述べたように妖絡みの物語が多いためか、不思議なのはもちろんですが、しかしどこか穏やかで呑気ですらある空気が楽しめます。

 例えば「事納め猫の巻」に登場するのは、これまでも作者の作品に何度か登場してきた、ある妖怪。シンプルでどこかユーモラスでもあるその妖怪は、しかし今回はちょっと意外で剣呑ですらある目的で現れます。
 その妖怪に十兵衛たちがどう対処するかがこのエピソードの肝なのですが――いかにも妖怪らしい(?)妙な義理堅さを逆手に取った展開は、一編の民話を聞かされたような暖かみすら残します。

 また、ラストの「烏鵲猫の巻」は、以前に弟猫に会うためにはるばる海を渡ってきたエーレ(アイルランド)の猫王・イルサンが再び登場。
 この漫画では当たり前ながら極めて珍しいバリバリの洋装で登場し、王族に相応しい気品と傲岸さを見せるイルサンですが、それでも時折すっとぼけたところを見せるのは、作中でぬけぬけと語るように「猫だからね!」ということだからでしょうか。この辺りの空気感も、実に本作らしい味わいです。

 一方、そんなユニークな妖たちを前にしては人間たちの影はちょっと霞みがちではありますが、「初午猫の巻」で自分とともに暮らす雌猫と雌狐を見守る堂守の男などは、なかなかに味わい深い造形であります。


 と、そんなゲストキャラクターたちがまず印象に残るところではありますが、しかしそれも十兵衛やニタたち、レギュラーキャラと、彼らの物語があってのことであるのは言うまでもありません。

 本作は各話読み切りの短編連作スタイル。どこから読むこともできる物語構成ゆえ、作中で時間の経過を感じさせることは――「初午猫の巻」のような過去エピソードを除けば――基本的にほとんどありません。
 その意味では、十兵衛とニタたちは変わらぬ日常を送っているわけですが――しかしそれが決して単調などではなく、毎回それぞれに新鮮さを感じさせてくれるのは、本作のレギュラーたちの描写が、そしてそれが描かれる物語が、丹念に積み上げられてきたからにほかなりません。

 そしてその積み重ねこそが、いつまでも変わらない面白さを生み出していることも、言うまでもありません。


 12年、そして20巻もほんの通過点――これからもいつも変わらぬ、しかし新鮮な日常を描く人と猫と妖の物語は、長きにわたって積み重ねられ、そして魅力を増していくのでしょう。


『猫絵十兵衛 御伽草紙』第20巻(永尾まる 少年画報社ねこぱんちコミックス) Amazon
猫絵十兵衛 御伽草紙 二十 (二十巻) (ねこぱんちコミックス)


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 『猫絵十兵衛御伽草紙 代筆版』 三者三様の豪華なトリビュート企画

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2019.02.19

岩崎陽子『ルパン・エチュード』第3巻 運命の二人の恋、すれ違う二人の想い


 ラウールとルパン、二つの魂を持つ「アルセーヌ・ルパン」を主人公とする、全く新しいアルセーヌ・ルパン伝たる本作もこれで第3巻、『カリオストロ伯爵夫人』編の2巻目であります。クラリスと恋に落ちたラウールと、カリオストロ伯爵夫人ことジョジーヌを愛するルパン、二人の運命の行方は……

 天真爛漫な青年ラウール・ダンドレジーと、普段は彼の中に眠り、周囲の悪意を感じた時にのみ現れるアルセーヌ・ルパン――奇妙な共存関係にある「二人」。彼らの運命は、ラウールが美しき男爵令嬢クラリス・デティーグと出会い、恋に落ちたことで大きく動き出すことになります。

 周囲の悪意を退ける強い善意を持つクラリス。ルパンにとっては天敵に等しい彼女ですが、彼女の純粋な魂に触れたルパンはその恋を祝福し、ラウールとの仲を応援することを誓うことになります。
 そのためにデティーグ男爵に接近する中、彼が怪しげな一団に加わっていることを知ったルパン。一団が謎の美女ジョゼフィーヌ(ジョジーヌ)・バルサモに私刑を下そうとしていた場面に遭遇し、彼女を救い出したルパンですが――ジョジーヌは、クラリスとは逆にラウールの出現を抑える力を持っていたことを知るのでした。

 これこそ運命の出会いと、ジョジーヌ、そして謎の一団が追う「七本枝の燭台争奪戦」に乗り込んでいくルパン。彼の熱意にほだされたジョジーヌもこれに応え、二人は結ばれるのですが……


 というわけで、数百年前から変わらぬ美貌を誇ると言われるカリオストロ伯爵夫人ことジョジーヌと運命の恋に落ちたルパン。クラリスが強い善意を持つとすれば、それと正反対の力を持つジョジーヌは――ということになりますが、はたしてジョジーヌは屈強な男たちを顎で使う一種の怪人物であります。
 しかしそんな彼女を相棒、そして師匠として、怪盗紳士としての修行を積んでいくルパン。一見順風満帆のようですが――ここで本作ならではの設定が活きることになります。

 完全に心を許したジョジーヌに対し、自分とラウールの関係を語るルパン。しかし彼女はそれを彼の冗談としか理解せず、あくまでも彼を「ラウール」として遇するのであります。そう、ルパンではなくラウールとして。
 もちろん彼女もルパンの名を知っているのですが、それはあくまでもラウールの偽名として。たとえ本人に語られたとしても、彼女にとって「ルパン」が別の人格であるなどとは思いもよらないことなのであります。

 しかし自分自身の存在を満天下に知らしめるために活動するルパンにとって、愛する女性が自分の存在を認めない――これほどの不幸があるでしょうか?
(実はジョジーヌも、「カリオストロ伯爵夫人」の仮面の下に本当の自分を隠さざるを得ないという点で、ルパンと同様の存在なのですが――だからこそ、このすれ違いが切ない)

 もちろんこれは表面上は見えないすれ違いではあります。この後も二人は、燭台争奪戦のパートナーとして支え合うことになるのですが――しかしこの時、二人の間に初めて、そして深いヒビが入ったというべきでしょう。
 本作の物語展開は、表面上は原作にかなり忠実であります。しかしその内面においては、本作ならではの物語が描かれている、本作ならではの感情が荒れ狂っている――そう申し上げてよいかと思います。

 そしてまた、その本作ならではの点を、二人の感情の外面のわずかな表れ――つまり表情を捉えて克明に描いてみせる画の力が素晴らしい。
 ほんの僅かな口元の角度、視線の行方といったものだけで、その想いの在処を浮き上がらせてみせるのは、近年はハーレクインのコミカライズでも活躍している作者ならでは――と強く感じます。


 さて、二人の内面のすれ違いのことばかり触れてしまいましたが、その間も、中世修道院の財宝の行方を秘めるという七本枝の燭台を巡る物語は進行していきます。

 ジョジーヌと自分の決定的な方向性を自覚したルパンが彼女と袂を分かったことで、三つ巴の様相を呈することとなった争奪戦の行方はいよいよ佳境に突入するのですが……
 しかし三つ巴といえば、ルパン/ラウールとジョジーヌ、クラリスの関係もまさにそれ。この巻のラストでは、ついに一堂に会した三人の想いがぶつかり合うという緊迫した場面が描かれることになります。

 おそらくこの物語の結末は原作通りでしょう。しかしその下の感情を本作がいかに描くのか――それはまだわかりませんが、我々がよく知る、しかし全く知らないルパン譚の面目躍如たるものになることだけは間違いないと、これは今から断言してしまいましょう。


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 モーリス・ルブラン『カリオストロ伯爵夫人』 最初の冒険で描かれたルパンのルパンたる部分

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2019.02.18

山本周五郎『秘文鞍馬経』 秘巻争奪戦を通じて描く人と人の間の希望


 没後50年のためか、昨年から次々と刊行されている山本周五郎作品。その中には、これまでほとんどお目にかかることのできなかったレアものも含まれているのは有り難い話です。本作はその一つ、信玄の秘宝の在処を記した秘文を巡り、少年武士と男勝りの姫君が繰り広げる冒険を描く児童文学であります。

 武田家が天目山で滅んだ際、追っ手と相打ちとなって死んだ三人の落ち武者。彼らが手にしていたものこそ、信玄が己の亡骸とともに諏訪湖に沈めるよう命じた巨額の財宝の在処を示す五巻の巻物だったのでした。
 それから時は流れ、関ヶ原の戦で家康が三成を破った直後――落ち武者たちの死に際に居合わせた郷士の子・高市児次郎と家来の猟師の子・伝太は、山賊に追われているという美少女・小菊を救い、屋敷に案内することになります。

 ところがその晩、屋敷から抜け出し、密かに落ち武者たちを葬った塚へ向かった小菊の姿がありました。実は彼女の正体は家康の長子・信康の子――すなわち家康の孫娘であり、男菊との異名を持つ菊姫。
 児次郎と伝太の会話から、塚の下に五巻の秘文があると知った彼女と配下は、巻物を狙って塚を掘り返したのであります。

 ただちに追いかけ、五巻のうち二巻は取り戻したものの、残りは菊姫に持ち去られた児次郎。折りよく父のもとを訪れていた僧・閑雪(その正体は何と○○○○)とともに、児次郎と伝太は菊姫を追って旅に出ることになります。
 しかし剣の達人であったはずが、旅の途中の徳川兵との真剣勝負の中で身動き一つできなかった児次郎は、己を恥じて修行のために一人姿を消すのでした。

 その後も秘文を巡って続く閑雪一派と、菊姫をはじめとする徳川方との丁々発止の戦い。果たして児次郎はどこへ消えたのか、秘文が示す財宝の在処はどこなのか。そして財宝を最後に手にする者は……


 戦前――昭和14年から15年にかけて、「六年生」という雑誌に連載された本作。つまりは児童文学ですが、しかしこれが現代の、しかも大人の目で見ても十分以上に面白い作品であります。

 何しろ物語は伝奇時代小説の王道である宝探し、それも敵味方の手に別れた巻物争奪戦――と、この頃からこのシチュエーションはあったのかと感心しますが、そこに関ヶ原の戦の後、いよいよ天下を掌中に収めんとする家康と、反徳川勢力の暗闘が絡むのですから、面白くないわけがないのであります。
 本作が発表されたのは、直木賞を受賞(辞退)する数年前――作者にとってはまだまだキャリアの初期の頃ではありますが、人物描写といい、物語展開といい、そして剣戟描写といい、丹念に描かれたその内容は、さすがというべきでしょうか。


 しかし個人的に一番感心させられたのは、本作で重要な位置を占める菊姫のキャラクターであります。
 上で述べたとおり、家康の孫娘である菊姫。しかしその行動は男まさりとかじゃじゃ馬という域ではなく、男装して刀を振るったり、秘文奪取のための陰謀を巡らすなど、財宝争奪戦における徳川方の代表選手とも言うべき存在なのです。

 いわばヒロインにしてライバル。本作の主人公である児次郎が優等生型のキャラ――といっても決して完全なキャラなどではなく、彼の修行すなわち成長が、本作の大きな要素となっているのですが――である一方で、菊姫の造形は、実に個性的で、今見ても新鮮なキャラクターに感じられます。

 しかしヒロインがライバル――財宝争奪戦を巡る宿敵であるということは、二人が戦いの果てにすれ違うしかないということを意味しているのでしょうか?
 その答えはここでは記しませんが――ついに五巻の秘文が揃った時に、それは明らかになるとだけ述べておきましょう。そしてその答えは、戦乱うち続くこの時代において一つの希望というべき、爽快さを感じさせるものであるとも……


 波瀾万丈の時代伝奇小説であると同時に、個性豊かな登場人物の人間模様を、そして人と人との間の希望の姿をも描いてみせる――小品ではあるかもしれませんが、作者の力を感じさせる物語であります。

『秘文鞍馬経』(山本周五郎 河出文庫) Amazon
秘文鞍馬経 (河出文庫)

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2019.02.17

平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』 第12章の4『還ってきた男(下)』 第12章の5『高野丸(上)』 第12章の6『高野丸(下)』


 盲目の美少女修法師・百夜が怪異の数々に挑むシリーズ第12章もいよいよ佳境。蘇る死人たちという奇怪な事件に巻き込まれた彼女の前に現れた謎の雲水の正体は、そして奇怪な敵の恐るべき狙いとは――大仕掛けな伝奇世界が展開していくことになります。(以下、内容の詳細に踏み込みますがご容赦下さい)

『還ってきた男(下)』
 一度死にながら蘇った男・六兵衛の謎を追う百夜。ついに六兵衛と対面した彼女は、左吉が助っ人として呼んできた赤柄組の宮口大学とともに、六兵衛が「死んだ」という藤沢宿に向かいます。
 六兵衛が埋葬された寺を訪れた百夜たちの前に再び現れる雲水。二対一の死闘を繰り広げた末、ついに百夜が知った雲水の正体と、一連の事件の構図とは……

 連続エピソードにふさわしく百夜に助っ人が登場する今回。残念ながら桔梗も鐵っつぁんも不在という状況で駆けつけたのは――百夜とは腐れ縁ともいえる不良武士集団の頭領・宮口大学であります。初登場時は刃を交えたものの、以降何かと百夜に助けられていた大学は、意外にも義理堅く、これまでの借りを返す時と二つ返事で駆けつけてくれるのが、嬉しいところです。
 が、前回も登場した謎の雲水は百夜と大学の二人がかりでも手に余る相手。ある意味最強の相手である彼の正体は――次の回で詳しく言及されることになりますが、しかし真の敵は別にいる様子。彼が百夜たちの助力を拒否してまでも追いかける真の敵――蘇者(よみがえり)なる再生した死者を次々と生み出していく敵との決戦は目前であります。
(ちなみに終盤、雲水の台詞の中で「英海」は「慈行」の誤りでは……)


『高野丸(上)(下)』
 各地で人骨から人間を蘇者として蘇らせる怪人・高野丸を追っているという雲水。しかし高野丸の跳梁は続き、高野丸によって小塚原の処刑場で数百人もの罪人が復活、大混乱を引き起こすことになります。処刑場に駆けつけた百夜ですが、さすがの彼女もこの数に苦戦を強いられるのでした。
 さらに、甲州街道は大和田仕置場で、雲水を前に同様に罪人たちを復活させる高野丸。雲水の過去の罪から生み出されたという高野丸の次なる狙いとは……

 というわけで、ついに正体が明らかになった謎の雲水。この章の冒頭、『犬張子の夜』で描かれた不気味な歌の内容、僧形の強者であること、そして何よりも死者の復活という題材から考えれば、ある意味有名人であるこの人物の登場は、ある程度予想できるところですが――しかしここで描かれるのは、そんな予想をさらに上回る奇怪な物語なのであります。

 死後数年を経た死者すら蘇らせるという、恐るべき高野丸の邪法。その邪法で蘇らされた人々が、これまでの事件にどう絡むのか――それはここで詳しくは述べませんが、肉体の復活と魂の帰還を巡る奇怪なロジックはただただ圧巻。それを踏まえて考えれば、これまでの一見矛盾しているようであった雲水の行動にも納得です。

 そして圧巻といえば、連続エピソードにふさわしいこのラスト2話での展開こそ、その言葉にふさわしいでしょう。
 江戸三大処刑場に眠る無数の罪人の死骸。それが一度に蘇って――と、ここで繰り広げられるのは、いわば一大ゾンビハザード。別に人を食ったり、感染して増えるわけではないものの、数百人にも及ぶ蘇者の群れとの戦いは、やはりインパクト絶大であります。

 しかし、そんなクライマックスの展開を描いた上で、それでもなおそれ以上に印象に残るのは、雲水と高野丸の因縁であります。出家したにも関わらず残り続けた、雲水の煩悩とも執着とも呼べる想い。ある意味それが凝って生まれたとも言うべき高野丸は、悪霊の集合体という凄まじい設定でありつつも、しかしどこか哀しみを漂わせます。
 これまでシリーズに登場したどんな怪異とも悪人とも異なる、不思議な存在感を持つ高野丸。雲水を苦しめることを狙いながらも、どこか繋がりを求めているようにも感じられるこの魔人との対決は、ある意味非常に意外な結末を迎えることになります。
(冷静に考えるととんでもない爆弾を炸裂させて……)

 このラスト2話では、百夜の存在感が雲水に食われた印象もあり、連続エピソードの結末としてはすっきりしないものが残るかもしれませんが――しかし終わってみれば、この不思議なもの悲しさが残る結末こそが、この物語に相応しいという印象もあります。
 この章自体が、長い不思議な夢であったような――そんな余韻が残る結末です。

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2019.02.16

伊吹亜門『刀と傘 明治京洛推理帖』(その二) 取り残された武士たちを描く時代ミステリ


 ミステリーズ! 新人賞でデビューした俊英・伊吹亜門の初単行本――明治初期の京を舞台とした本格時代ミステリ短編集の紹介の後半であります。残る描き下ろしの二編で描かれるのは、江藤新平と鹿野師光、かつては同志であり盟友であった二人の別れとその道の行き着く先であります。

『桜』
 明治6年(1873年)春、市政局次官の五百木辺典膳と女中を刺殺し、侵入してきた旧幕臣・四ノ切左近を射殺した五百木辺の妾・沖牙由羅。四ノ切が五百木辺らを殺し、自分が仇を討ったという筋書きを立てた彼女は、通りかかった男たちに助けを求めるのですが――その一人が江藤でありました。
 何故か自分の下から離れ、京都府の司法顧問に収まった鹿野を呼び戻しに来て事件に遭遇した江藤は、沖牙の言動に不審を抱き、調べを始めるのですが……

 本書でも一際異彩を放つ本作は、冒頭から描かれる三人殺しの描写からわかるように倒叙もの。自分を妾にした新政府の役人と、彼を仇と付け狙う自分と旧知の元幕臣を噛み合わせる形と見せかけて双方を殺してのけた彼女の計画に、江藤が探偵役として挑むことになります。

 しかし趣向が凝らされた本書の作品らしく、本作もまた、倒叙ものである以上に、犯人の心理に踏み込んだホワイダニットものでもあります。一見冷酷とも異常とも見える彼女の犯行の背後に潜む想いとは――それは結局異常に見えるかもしれませんが、しかしやはりこの時代ならではの動機であることは間違いありません。

 そしてもう一つ、本作において大きな意味を占めるのは、鹿野の離反とも言える行動であります。幕末以来、不思議な縁で結ばれ、傲岸不遜な江藤をよく支えてきた鹿野が、何故今になって袂を分かったのか――は、前話から察せられるのですが、しかし結末で描かれるものは、本作の犯人が抱いた想いとも近しい悲しみなのでしょう。
 物語はそして……


『そして、佐賀の乱』
 明治6年(1873年)10月、征韓論争に端を発して、数多くの人物が新政府から去った明治6年の政変。そしてその中には江藤の姿もありました。佐賀に帰ろうという江藤を巡り周囲の人々の様々な思惑が交錯する中、京に立ち寄った江藤は監獄舎に足を踏み入れることになります。
 しかしそこで何者かの斬殺体を見つけた江藤は、それが彼を追っていた密偵であったこともあり、容疑者として拘束されることになります。かつての盟友・鹿野によって……

 江藤新平が主人公の一人ということで、当然予想されていた最後の事件。江藤が下野した後、どのような運命を辿ったかはここで述べるまでもありませんが、その前に彼が出会った事件が、ここで描かれることになります。
 が、それが江藤が容疑者であり、そして彼が鹿野からかえられたその嫌疑を晴らすために探偵役にもなる――という入り組んだ構造となるのが、実に本作らしく面白いところでしょう

 そしてまた本作も――これまでの各話がそうであったように――一つの事件の謎の奧、ハウダニット・フーダニットの向こうに、ホワイダニットの姿が描かれることになります。
 本作で描かれるそれは――ただただ、瞑目するほかありません。


 以上、本書に収録された五編は、繰り返し述べてきたように、ホワイダニット――すなわち犯人の心情にまで踏み込むことによって初めて描かれるものを中心に据えてみせた、非常に端正な本格ミステリであります。
 そしてそのホワイがいずれもこの激動の時代ならではの――それも、その時代に取り残された「武士」たちに深く結びつくことによって、本作は「時代ミステリ」としても、非常に完成度を得たと言えます。
(ほぼ全話において「切腹」という行為が、大きな意味を持つのはその象徴でしょう)

 そして同時に、本作においては江藤と鹿野という二人の主人公の想いの行方が――二人にとっての法の在り方、正義の姿のすれ違いが――大きな意味を持ちます。
 法の確立のためであれば罪を作り出すことも厭わぬ江藤と、そんな江藤の必要性を理解しつつも許せぬものも感じる鹿野と――二人の路が交わり(そしてある意味必然的に)離れていく姿は、上に述べた時代性とも結びついてより切なく、もの悲しく胸に残るのです。

 もっともそれを描くのであれば、もう少し話数が――江藤と鹿野が同じ路を行く物語が必要だったのでは、という印象もありますが、それは贅沢の言いすぎというものでしょうか。
 何はともあれ、本格ミステリにして時代ミステリの名品を、十分に堪能させていただいたことは間違いありません。


『刀と傘 明治京洛推理帖』(伊吹亜門 東京創元社ミステリ・フロンティア) Amazon
刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)


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2019.02.15

伊吹亜門『刀と傘 明治京洛推理帖』(その一) 司法卿と懐刀が見た「ホワイ」の姿


 第12回ミステリーズ! 新人賞受賞を受賞した『監獄舎の殺人』で鮮烈なデビューを飾った作者による初単行本――同作で探偵役を務めた司法卿・江藤新平と、その懐刀であり盟友である鹿野師光の二人を主人公とした五編を収録した、本格時代ミステリ短編集であります。

 明治初頭、斬首刑を目前とした死刑囚が毒殺されるという奇怪な密室殺人を描く『監獄舎の殺人』で初登場した江藤と鹿野のコンビ。本書は、その二人の出会いから別れまでを描く五編の連作で構成されています。
 『監獄舎の殺人』は以前単独で紹介しましたので、ここでは残る四編を個別に紹介していきましょう。

『佐賀から来た男』
 慶応3年(1867年)、剣術と英語に優れた黒田浪士・五丁森了介の隠れ家に集った男たち。徳川と薩長の開戦を避けるべく奔走する五丁森は常に刺客に狙われ、その隠れ家を知る者は彼らわずか四名の友人のみでした。
 その中の一人・尾張藩の公用人・鹿野師光は、三条公からの紹介だという佐賀から来た傲岸不遜な男・江藤新平を案内して隠れ家に向かうのですが――そこにあったのは、無惨に膾斬りにされた五丁森の亡骸でありました。

 隠れ家を知る者はごくわずか、それも皆アリバイがある。そして何より剣の達人である五丁森をどうやって惨殺したのか? この謎を解いて名を上げようとする江藤とともに、鹿野は事件の謎を追うのですが……

 というわけで、本書の主人公二人の出会いを描く本作は、不可解な密室殺人の謎を扱った、実にヘビーな本格ミステリであります。ハウ、フー、ホワイと、いずれも不可解な謎が並ぶ中、その先にある真相は、いずれも舞台となる時代背景に密接に結びついたものなのが見事というほかありません。
 何よりも、ホワイダニットの真相たるや――意外かつロジカルなそれに唸らされたところに、そこからさらにもう一つのホワイダニットへと繋がっていくのには、ただただ嘆息させられるばかりであります(そして本書を結末まで読んでみれば、それがある種の象徴とも感じられるのですが……)。

 法と人の心を挟んで対照的な人物であり、しかしどこか共鳴しあう江藤と鹿野のキャラクター描写も織り込まれ、言うことなしの第一話であります。


『弾正台切腹事件』
 明治3年(1870年)、悲願である司法省の設立に向け辣腕を振るっていた江藤。彼はその妨げとなる弾正台追い落としのため、弱味を握った汚職官吏を密偵として弾正台京都支台に送り込むのですが――しかし密偵は密閉された文庫で切腹している姿で発見されることになります。
 これは京都支台をを牛耳る大曾根一衛の仕業に違いないと自ら乗り込んでいく江藤。しかし事件の第一発見者は、たまたま旧知の大曾根を訪ねていた鹿野だったのであります。幕末以来の再会に、江藤のとった行動は……

 鳥羽伏見の戦を挟み、前話とは大きく時代が変わった中で描かれる本作。前話では一介の佐賀藩士に過ぎなかった江藤は、いまや新政府で肩で風切る身、一方の鹿野は、どこに行っていたものか、尾羽打ち枯らしたような姿で登場することになります。
 そんな二人を再び結びつけるのが密室殺人というのは因果な話ですが、正直なところ、ミステリとしてのトリックは(もちろんきっちりとフェアではあるもの)今一つに感じられます。

 しかしそれを補って(?)余りあるのは、大曾根の強烈なキャラクターでしょう。
 かつては岩倉具視の片腕として暗躍を続けた凄腕でありながら、攘夷から一転開国に転じた主と衝突、左遷されながらも弾正台で隠然たる勢力を誇る――いかにもこの時代らしい怪人ではありますが、しかし物語は、そんな彼もまた、時代の変遷に取り残された存在でしかないことを、容赦なく描き出すのです。

 そんな大曾根とは対照的な存在である江藤と、自らをそちら側と言いつつも別の道を行く鹿野と――そこに浮かび上がる主人公たちの姿も印象的です。


『監獄舎の殺人』
 本作については、以前の記事をご参照いただきたいのですが、今回改めて連作集の一編として読み返してみれば、最後の一撃的な結末が、決してその場限りのものではない(なくなった)ことに、感慨を抱かざるを得ません。何しろこれ以降……

 と、これ以降の物語については次回ご紹介いたします。


『刀と傘 明治京洛推理帖』(伊吹亜門 東京創元社ミステリ・フロンティア) Amazon
刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)


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2019.02.14

『どろろ』 第六話「守り子唄の巻・下」

 深手を負い、ミオたちの寺に戻ってきた百鬼丸。そんな彼を献身的に看護するミオの「仕事」を知ったどろろは複雑な表情を見せるものの、しかし彼女の想いを知り、それを受け止めるのだった。そして再び鬼神に挑む百鬼丸と、彼を追うどろろ。しかし勝利を収めて帰ってきた二人が見たものは……

 前回、アリジゴクの鬼神に挑み、声を取り戻したものの(大ダメージを与えたことで返ってきた?)、代わりに生身に戻った右足を食われた百鬼丸。琵琶丸とどろろに支えられてようやく帰ってきたものの、到底立っていられないような状態の彼を看護するのは、仕事から帰ってきたミオであります。
 そんな彼女の仕事を見てしまったどろろは複雑な表情ですが――しかしミオを慕う孤児たちが真実を知らず、将来はミオを助けて自分たちの田畑を持ちたいと無心に語るのを聞くのでした。

 そしてまた仕事に出かけるミオと出会ってしまい、気まずげな表情を見せるどろろですが――その反応から、自分の仕事を見られていたと察するミオ。しかし彼女はどろろに対して、卑下するでもなくごく自然に、自分自身の想いを語ります。
 それに対して、自分の母ちゃんはどんなにひもじくてもその仕事だけはしなかったと答えるどろろ。そんなどろろの母は偉いと語るミオですが――しかしどろろは、結局母ちゃんは死んでしまったと答えます。そして母ちゃんは偉かったが、ミオも偉いと……

 一方、常人離れした体力で確実に回復していく(さすがは赤子の時にあの状態で生き延びた人は違う)百鬼丸は、木を削って義足を作り、武術の稽古を開始します。一人寺から離れることにした琵琶丸は、そんな百鬼丸の中に鬼神の気配を感じ取るのですが……
 そしてミオが仕事に向かった間に、鬼神退治に向かう百鬼丸。それを知って慌てて後を追ったどろろが見たものは、即席の義足に、孤児たちが戦場で拾ってきた刀の一本を取り付け、巨大な相手に三刀流で見事に雪辱を果たした百鬼丸の姿でした。

 そして再び右足を取り戻し、寺に帰る百鬼丸とどろろ。しかし二人が見たものは、寺の辺りから立ち上る黒い煙――急いで帰ってみれば、そこでは醍醐の兵たちが寺に火を放ち、ミオや孤児たちを無惨に手に掛けていたではありませんか……!
 醍醐と酒井、両方の陣で仕事をしていたミオを間者だと思いこみ、子供たちもろとも惨殺した足軽たち。今また彼らがどろろまで手に掛けようとした時、絶叫を――前回のラストとは全く違う意味の――上げながら、百鬼丸が両手の刃を振るう!

 さながら彼自身が鬼神と化したかのように容赦なく足軽たちをバラバラにしていく百鬼丸。血に塗れた彼の刃が最後に残った隊長格の男に向けられた時――どろろが涙ながらに百鬼丸に呼びかけます。ミオは種籾の袋を遺していったと。それは侍から奪われ続けた彼女が取り返したものであり――ミオは負けてはいないと。兄貴も負けないでくれと。
 その声に我を取り戻し、刀を引いた百鬼丸。彼の口から初めて出た言葉は……


 前話でも触れたとおり、原作では屈指のトラウマ回であったミオのエピソード。残念ながら本作でも彼女の運命は変わりませんでしたが――しかしこちらでは大きな救いがあったと感じます。

 その一つが結末に描かれた種籾(百鬼丸の目には黄金に映るのがもう……)であり、そして百鬼丸が初めて発した言葉であったわけですが――しかしその最たるものは、どろろとの会話でしょう。
 どろろから見れば(その「正体」が漫画と同じであろうことを考えればなおさら)衝撃的だったであろうミオの「仕事」。当然どろろもはじめは当惑を隠せないのですが――しかしミオの語る内容に、自分の母ちゃんと同じように(これはどろろにとって最大のほめ言葉でしょう)偉い、という言葉にミオがどれだけ救われたことか……! 実は原作ではミオとどろろは会っていないのですが、これは素晴らしいifであったといえるでしょう。

 そして本筋と平行して描かれる、醍醐家の人々の姿も印象に残ります。百鬼丸が体を取り戻していくたびに災いに見舞われる――すなわち醍醐家の運命に翳りが差すという凄まじい設定にも毎回感心させられますが、今回印象に残ったのは、百鬼丸の弟に当たる多宝丸の存在であります。
 初登場時は、我が儘一杯に育ったお坊ちゃんという印象の多宝丸でしたが、今回描かれるのは、母の愛に飢えた繊細な少年の姿。その母もまた、決して多宝丸を愛していないなどということはないのですが――しかしそれがさらにやりきれなさを募らせるのです。

 この先、醍醐家の人々がいかなる運命をたどるのか――それはまだわかりませんがミオのように、そこにはなにがしかの救いがあって欲しいと、心から願う次第です。



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 『どろろ』 第二話「万代の巻」
 『どろろ』 第三話「寿海の巻」
 『どろろ』 第四話「妖刀の巻」
 『どろろ』 第五話「守り子唄の巻・上」

関連サイト
 公式サイト

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2019.02.13

草野雄『水の如し 丈九郎世直し活人剣』 名手が描く美しき静の剣士の物語

 ほとんどが再録ですが、単行本未収録作の収録や書き下ろし追加など、意外な内容であることも少なくないコンビニコミックの世界。本作もその形で一冊にまとめられた作品――時代劇画でありつつも美麗な画風が印象に残る作者による、美形剣豪ヒーローの活躍を描く連作であります。

 その画力は非常に高いものがあるにも関わらず、これまで単行本化された作品が『外道笠』くらいと非常に少ない草野雄。というより寡作なのかもしれませんが、何しろ情報が少ない作家であります。
 本作もかなり以前から「コミック乱」誌でシリーズ連載されていたというくらいしか、恥ずかしながら存じ上げないのですが(書誌情報が乏しいのがコンビニコミックの最大の弱点ですね――と責任転嫁)、何はともあれこうしてまとまったのは欣快の至りです。

 さて、本作の主人公は無明丈九郎と名乗る美丈夫の浪人。江戸市中の寺・無月院に仮寓し、寺子屋で子供たちに字を教えたり、畑で野菜を育てたりしながら、寺の和尚や美しい尼僧・夕子と静かに暮らす日常であります。
(実は丈九郎は徳川将軍家と関係がある人物らしく、中盤から将軍直属の隠密らしい天真爛漫な美少女・忘れな草が何かとまとわりついてくるのですが、深い事情は物語では触れられぬままであります)

 そしてこの丈九郎は剣の達人。普段は決して自分から刀を抜くことはありませんが、許せぬ悪人や、苦しむ無辜の民に出会った時に彼が振るう太刀は、さながら水の如し無形の剣で――というのが本作のタイトルの由来となっております。

 しかし、「丈九郎世直し活人剣」というサブタイトルや、「江戸に巣食う悪党を断罪! 剣戟アクション冴え渡る時代ヒーロー活劇!!」という表紙の煽り文句とは裏腹に、本作はむしろ、動よりも静のイメージの強い物語。
 何しろ丈九郎自身、侍の論理というやつが大嫌いで、忠義のためや武士の意気地というのを白眼視する人物。動くのはただ義によってのみ――であるため、いきおい受け身になりがちなのですが、しかしそれはむしろ作者の絵柄に非常に良くマッチしていると感じます。

 著作を調べてみると、パステルや色鉛筆によるイラストの教本を数多く発表している作者だけあって――というべきか、その絵柄は描き込まれているようでいて、いい意味で軽みがあり、重く厳しい物語であっても、華やかさや叙情性を感じさせてくれるもの。
 そしてその最たるものが登場する女性陣の美しさであります。夕子や忘れな草といったレギュラー陣はもちろんのこと、毎回のゲストキャラクターもまた、時に儚く、時に力強く、時に憎々しげに――ふとした表情一つとっても皆それぞれに美しく、強く印象に残るのです。


 と、少々話が逸れましたが、一見「定番もの」的なスタイルでありつつも、それぞれにバラエティ豊かなストーリーが並ぶ本作。人々を苦しめる悪党退治のエピソードももちろんありますが、それ以上に一ひねり加わった個性的な物語も数多く収録されています。
 例えば以下のように……

 自分とそっくりな、しかし剣はからっきしで女ったらしの浪人と出会った丈九郎が、自分と正反対の相手と不思議な交誼を結ぶ「忘れな草」
 院の近くで丈九郎に救われた病身の美女との交流と、姿なき謎の暗殺者との死闘が哀しく交錯する「紅」
 当代の侍の軟弱振りを嘆く二人組のタイ捨流剣士に、強者と見込まれた丈九郎が執拗に決闘を迫られる「死狂い一番」
 無月院の墓に詣でる御家人の妻が破落戸に脅されているのに出会った丈九郎が、やがて彼女の思わぬ秘密を知る「影法師」
 過去の事件から人生に絶望し、丈九郎の美しさに魅入られて彼に斬られることを望む絵師の姿を描く「月よりの使者」

 その他にもその絵柄に相応しく、物語も人物描写も味わい深いエピソード揃い。全15話という、単行本2巻分のエピソードが収められた実にお得な内容だけに、少しでも多くの方の手に渡って欲しいものであります。


 そして願わくば――できればコンビニコミック以外の形で――このほかにもかなりの数があるはずの草野雄の作品が、単行本の形でまとまることを祈っているところです。


『水の如し 丈九郎世直し活人剣』(草野雄 リイド社SPコミックス) Amazon


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2019.02.12

和月伸宏『るろうに剣心 明治剣客浪漫譚・北海道編』第2巻 劍客兵器の正体と来たるべき「未来」


 明治16年の北海道を舞台に描かれる、流浪人の新たな物語、待望の第2巻であります。思わぬ運命の悪戯から妻・薫の父の生存を知り、北海道に渡ることになった剣心一行。しかしその頃函館山には謎の敵・劍客兵器が出現、この巻ではついに剣心と彼らが対峙することになるのですが……

 薫との間に一子・剣路をもうけ、平和に暮らしていた剣心。しかし故あって神谷道場に引き取った少年・明日郎が町で悶着を起こした相手が残した荷物の中に、死んだはずの薫の父が函館山を背景に映っていたことから、剣心一家は明日郎たちとともに、函館に向かうことになります。

 しかし剣心たちは知らぬことながら、その函館山ではとんでもない事態が進行中。突然山に現れて占拠したわずか五人の男たちに、警察が、いや軍隊までもが壊滅させられたのです。自分たちを「劍客兵器」と呼ぶ彼らの一人・凍座白也に対し、あの斎藤一が単身挑むのですが……


 そんな第1巻の内容を受けて展開するこの巻は、いよいよバトルにギャグにと、るろ剣の本領発揮という印象であります。

 函館到着早々に明日郎が起こした騒動の中に飄然と現れたあの男――に対する剣心のひどすぎるギャグ(しかもその直前に彼のことを語っておいてというのが実に可笑しい)あり、懐かしの人物との再会あり、そして劍客兵器と斎藤一の死闘あり……
 と、次から次へと展開していく物語にこちらは嬉しくなるばかり。内容やテンポ的にはこれでもまだ序の口という気もしますが、それでも出し惜しみなし、という印象であります。

 そして出し惜しみなし、といえばこの巻で描かれる剣心と凍座との対峙を通じて、早くも謎の存在であった劍客兵器たちの正体と目的が明らかになるのには驚かされます。

 その詳細はここでは伏せておきますが、思わぬ歴史を背景にしたスケールの大きさに驚かされるとともに、なるほど、こういう連中であれば、これまで作中で繰り広げられた戦いに登場しなかったのも納得できるわい、と納得であります。
 その来歴など、もちろんトンデモないと言えばそれまでなのですが――そんな印象すら「真偽の程はもはや儂等でも確かめようがない」と凍座に語らせることで煙幕を張ってしまうのは、実にうまい描き方と感心させられます。

 そして感心といえば、そんな彼らの目的であります。
 彼ら劍客兵器の行動は、常人から見れば明らかに目的と手段が転倒していると感じられます。しかし他の作品にあるような、とにかく戦争が大好きなウォーモンガーでも、強い相手と戦いだけというバトルマニアでもなく、これまでにあまりないものとなっているのが実にうまい、と言うべきでしょう。

 そしてそんな彼らの正体と目的は、おそらくは物語内容と同じくらい、本作の時代背景と密接に結びついていくことになるのでしょう。文明開化の一方で、富国強兵により、これまでにない外国との戦争に足を踏み入れていく日本の姿に……


 そんな「未来」の姿も予感させるこの巻の内容ですが、少々残念だったのは、その未来の象徴である明日郎たち三人の少年少女の立ち位置がまだはっきりとしない点でしょうか。
 もちろん、これだけの大物たちが次々と登場する中で存在感を急に発揮しろというのも難しい話ですが(先輩である弥彦ですら身を引いたこともあり……)、おそらく物語の中で大きな存在となるであろう彼らの活躍には期待したいところです。

 そしてもちろん期待するといえば、前作のキャラの再登場も楽しみなところ。この巻では、北海道編スタートから気になっていたあの男がチラリと姿を見せてくれた(ある意味ニアミス状態なのが心憎い!)のに、グッときたところであります。
 そしてある意味過去キャラというべきか――恥ずかしながら名前が変わっていたので気付くのが遅れましたが――北海道といえばあの男がいた! という人物までも姿を見せ、心は躍るばかりであります。

 そしてさらなる劍客兵器までもが登場、これがまた実にるろ剣らしいビジュアルと技にニコニコさせられて――と、楽しみばかりな本作。この先いかなる戦いを、そしていかなる未来を見せてくれるのか、期待は膨らみます。


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 和月伸宏『明日郎前科アリ るろうに剣心・異聞』後編 少年たちが前に進むために

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2019.02.11

3月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 凍えるほど寒い日が続いたと思えば突然暖かい日が来て、なるほど立春を過ぎのだな、と思わされます。……などという季節の移り変わりよりも楽しみなのは、来月なにが発売されるかですよ!(だいなし) というわけで、3月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 と、季節に背を向けて楽しみにしていた3月の新刊ですが、残念ながら文庫小説は非常に少なめ。新作では小松エメルの大人気シリーズの番外編『一鬼夜行 つくも神会議』の登場が非常に嬉しいところですが、それくらい。
 あとは女性向けレーベル、二見サラ文庫からの平安もの、岡本千紘『鬼切りの綱』が目に付くところであります。

 また、文庫化の方も、竹内清人『たばかり稼業の六悪人』(『躍る六悪人』の改題)、戸南浩平『木足の猿』、佐々木功『乱世をゆけ 織田の徒花、滝川一益』と、それぞれの内容は申し分ないのですが、数の上では寂しいところです。


 一方、漫画の方はもう少し恵まれているところで、賀来ゆうじ『地獄楽』第5巻と野田サトル『ゴールデンカムイ』第17巻をはじめ、東村アキコ『雪花の虎』第7巻、吉川景都『鬼を飼う』第5巻、重野なおき『信長の忍び』第15巻(『政宗さまと景綱くん』第3巻も同時発売)と、なかなか楽しみな新刊・続刊が続きます。
(ちなみに同じく3月に発売の野口賢『幕末転生伝 新選組リベリオン』は第3巻で完結……)

 そして新登場としては星野泰視『宗桂 飛翔の譜』第1巻、久正人『ニンジャバットマン』第1巻があり、また海外を舞台とした作品では、皆川亮二『海王ダンテ』第7巻、瀬下猛『ハーン 草と鉄と羊』第6巻があります。

 もう一つ、数ヶ月に一度のお楽しみ、「お江戸ねこぱんち 藤まつり編」も3月発売であります。


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2019.02.10

矢島綾&吾峠呼世晴『鬼滅の刃 しあわせの花』 鬼殺隊士たちの日常風景


 連載の方では最終決戦開始、そして4月からはアニメが放映開始と、絶好調の『鬼滅の刃』。今度はその小説版が登場しました。作中の描かれざるエピソード――激闘と激闘の合間の、炭治郎たち鬼殺隊の日常を描く短編4話+番外編1話から成る短編集です。

 人を食らう異形異能の鬼たちと、鬼を刈るべく集まった剣士たち鬼殺隊の死闘を、妹を鬼にされた少年・竈門炭治郎を主人公に描く『鬼滅の刃』。
 当然のことながら、炭治郎と仲間たちが鬼と繰り広げる死闘が物語の中心となるわけですが、その一方で、戦いと戦いの合間に彼らが見せる(ユルい)素顔もまた、原作の魅力であります。

 本書はその戦いの合間の物語――ここでは、原作でお目にかかれないような物語が描かれることになります。

 鼓屋敷での戦いの直後、初対面で仲良く肋骨を折った炭治郎・善逸・伊之助のトリオが治療中の時期を舞台に、新月の晩にのみ咲くという、しあわせをもたらす花の伝説を通じて、炭治郎と妹・禰豆子の絆を描く表題作「しあわせの花」。
 那多蜘蛛山での蜘蛛鬼との死闘の後、蝶屋敷で治療中の善逸が、禰豆子とのふれ合いの中で、かつて出会った鬼に狙われた少女との出会い、そして師の教えを思い起こす「誰が為に」。
 無間列車での戦いの後、トリオが蝶屋敷を起点に鬼との戦いを続けていた時期に、善逸が街で占い師に女難の相と言われたことから始まる騒動を描く「占い騒動顛末記」
 トリオが遊郭での戦いに向かった間、蝶屋敷に残されたアオイが、師であるしのぶの計らいで苦手だったカナヲとお使いに出る「アオイとカナヲ」

 もう一編、いわゆる学パロである「中高一貫☆キメツ学園物語!!」も含めて、気楽に読める短編が並びます。


 冒頭から繰り返し述べているように、本書で描かれているのは、戦いと戦いの合間の日常の物語。それ故、鬼との戦いはほとんど――「誰が為に」でほんのわずか描かれるものの他は――描かれることはありません。
 その分、炭治郎たちの基本コミカルな、そして時にリリカルな素顔が存分に描かれるわけですが、個人的にはやはりシリアスな部分ももっと読みたかった――というのも正直な印象ではあります。

 これは個人的な印象ではありますが、原作の魅力は、物語展開といいバトルといい、そしてキャラクター描写といい、その緩急の巧みさにあると、以前から強く感じているところであります。
 もちろん「緩」も「急」も、それぞれが魅力的ではありますが、しかしそれが最大限に発揮されるのは、やはり両者がかみ合った時であると――ほとんど「緩」のみの本書を読むと、感じさせられるのです。
(その意味では、物語の性質的に「緩」のみで構成されるのが当然のキメツ学園が、一番気楽に楽しめました)

 ちなみに本書の著者は矢島綾――ジャンプ作品のノベライズが多い一方で、明治の世を舞台に、幻の青い花を巡る人と神の姿を描くオリジナルの時代ファンタジー『天空をわたる花』を発表している作家です。
 それだけになおさら、緩急込みの物語を読みたかった――という印象はあります。


 もちろん、「緩」の部分がつまらないかといえばそんなことはありません(僕も原作を読んでいる時は時で、ギャグエピソードがもっと続かないかと思っているほどなので……)。

 特に本書で異常に出番の多い善逸――実に5話中3話で物語の中心――の暴走っぷりは素晴らしく、暴走は専売特許のはずの伊之助が霞むほど。
 もっとも、トリオの中では一番「日常」が似合うキャラではありますし、いざバトルに入ると、今度は設定的にその要素がほとんど全くなくなるだけに、ここぞとばかりの活躍は嬉しいところではあります。

 そしてまた、そんなコミカルな要素が描かれる一方で、炭治郎を中心に、人の輪いや人の和が徐々に――炭治郎自身、初めは禰豆子とのみの関係性であったわけで――広がっていく様が、エピソードを重ねる中で浮かび上がっていくところも、巧みなところと感じます。

 内容的には完全なファンアイテムと言うべき本書ですが――裏を返せば、ファンであれば読んで損はないというべき一冊でしょう。


 しかし現時点の原作の展開を見ると、本書で描かれる善逸のじっちゃんやしのぶの良い師匠ぶりが何とも……


『鬼滅の刃 しあわせの花』(矢島綾&吾峠呼世晴 集英社JUMP j BOOKS) Amazon
鬼滅の刃 しあわせの花 (JUMP j BOOKS)


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2019.02.09

TAGRO『別式』第4巻 崩れていく彼女たちの関係、転落していく物語


 江戸を騒がす剣術自慢の娘たち――別式の姿を描く物語も、この巻で急展開を遂げることになります。別式仲間の一人の死をきっかけに、崩れていく――いや、隠されていたものが明らかになっていく彼女たちの関係。物語は悲劇に向かって止まるところを知らず、一直線に突き進んでいくことになります。

 剣術の達人にして面食いの別式・佐々木類を中心に集まった個性豊かな別式たち――類を密かにライバル視する優等生の魁、実は女装男子である切鵺、占い師にして二刀流の達人である刀萌。
 様々な縁から出会い、強い絆に結ばれた彼女たちは、何かと類に絡む(そして魁の憧れの人である)不良侍の九十九も含めて、江戸で騒々しくも楽しく暮らしていたのですが――いつまでも続くかに見えたこの日々は、唐突に終わりを告げることになります。

 実は妹の身請けの金を稼ぐため、暗殺者という裏の顔を持っていた刀萌。凄腕の剣士であり、裏の世界で暗躍するキツネ目の男・岩渕源内暗殺の依頼を受けた彼女は、源内との斬り合いを優位に進めるのですが――しかし病に蝕まれていたその体が、決定的な瞬間で彼女を裏切ることになります。

 彼女の無惨な死を知った九十九、そして類。突然の刀萌の死に衝撃を受ける二人ですが、しかし悲劇はまだ終わりません。
 予てより因縁を持っていた源内を執念で追いかけ、ついに江戸市中で追い詰めた九十九。しかしその場に何も知らぬまま居合わせた類の一瞬の隙を突いて、源内の刃が……


 これまで、コミケやサッカーなどなど、現代の風物をアレンジしたアレコレが次々と飛び出す、時代劇パロディ的な物語を描きながらも、折々で「重い」「辛い」展開が顔を出していた本作。
 もちろん、その重さ辛さは、物語の冒頭――隻眼の類と切鵺が敵として対峙するという場面で既に予告されていたとも言えますが、しかしいざ怒濤の如く悲劇が連鎖していく姿を見れば、ついに来てしまったか、と胸が塞がる想いがいたします。

 思えば本作の登場人物のほとんどは、大なり小なり、胸に秘めた想いを――ある種の歪みや屈託を抱えてきました。
 剣の腕や九十九を巡り、類にコンプレックスを抱いてきた魁。周囲には惚れた男と偽って両親の仇である源内を追ってきた切鵺。そして暗殺者である以上に、目を背けたくなるような無惨な過去を背負った刀萌。

 そんな中、その腕っ節と驚異的な無神経さによって、ほとんど唯一そのような想いを背負ってこなかった類こそが、彼女たちを繋ぎ止める役割――本作流に言えば団子の串――を務めていたといえるかもしれません。
 しかしこの巻において、彼女もまた心身に深い傷を負い、大きな影を背負うことになります。それはあるいは、本作が決定的に悲劇へと転がり落ちていくことの象徴、いや原因なのかもしれません。類からその強烈に陽性な個性が失われていくことこそが……


 これまでに比べると、冒頭からラストに至るまで一気呵成に、目まぐるしいほどの早さで展開していくこの第4巻。あるいはそれには別の理由もあるのかもしれませんが、しかしこの「転落」を描くには、むしろ必然とも言うべき勢いにも感じられます。

 そしてその果て、この巻のラストで待ち受けているのは、あまりにも意外で、無惨で、無意味なもう一つの死。まさかここでこんな形で退場するとは思わなかったある人物の死によって、物語はもはや止まらない勢いで、奈落に向かって走り出したように感じられます。
 もはや元凶(あるいは引き金)である源内を倒したところで止まるとは思えないこの悲劇がどこに向かうのか、そしてその中で類は何を見るのか。やはり冒頭で約束されたままの形で、物語は終わってしまうのか……

 ひどく辛いのに目が離せない、目を離したら絶対後悔する――いま一番先が気になる作品であります。


『別式』第4巻(TAGRO 講談社モーニングコミックス) Amazon
別式(4) (モーニング KC)


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2019.02.08

平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』 第12章の1『犬張子の夜』 第12章の2『梅一番』 第12章の3『還ってきた男(上)』


 盲目の美少女修法師・百夜が世を騒がす付喪神や亡魂と対峙するシリーズの第12章は、ほとんど全編を通じて、何とも不可解かつ不気味な事件が展開していくこととなります。禍々しい存在が蠢く背後にいるのは……

『犬張子の夜』
 板橋近くの小柳村で神隠しにあったという農家の息子。百夜に息子捜しを依頼に来た父親は、夜中に大勢の声で、広野で死人の骨を集める云々という歌声を聞いて目を覚まし、息子が消えているのに気付いたというのでした。
 さらに近くの茅場村では、村人全員が姿を消すという変事が発生。早速現地に向かった百夜は、そこで亡魂憑きの気配を感じて追うものの、その気配が途中で拭い去るように消えているのに気付きます。

 そして農家の神棚から、犬張り子が消えていたことに気付いた百夜は、そこからある真実に辿り着くのですが――

 冒頭、暗闇に閉ざされた田んぼ道を、葬列の楽を奏でながら奇妙な踊りを踊る黒装束の集団がやってくるという、何とも悪夢的な場面で始まる本作。
 描かれる事件も不可解な上に、百夜が見つける手掛かりの断片も不気味なものばかり。一体これは――というところで解き明かされる真実は、ある意味この雰囲気がミスリードに繋がる形で、ホッとさせられます(もっとも、その原因はやはり恐ろしいものなのですが……)。

 この事件そのものはここで解決しますが、しかし怪異の本体はどこへ消えたのかは謎のまま。しかし百夜は、やがて嫌と言うほどそれを知ることになるのですが……


『梅一番』
 梅の木の根元から、「いちばん。いちばん……」という声に導かれ、小判が湧き出る仙郷の夢を見るようになった万吉。しかし夢から覚めて暴れ出した彼を縛り上げた同じ長屋の面々の依頼で、百夜は万吉の長屋を調べることになります。果たしてそこから現れたものとは……

 第12章のうち、本筋とは離れたエピソードが中心となる本作。男に小判が湧き出る夢を見せるのは何者か――という謎を巡る物語は、本シリーズの王道とも言うべき内容で、本筋は小休止という印象ながら、禍々しい事件の後だけに、ちょっと安心させられます。
 ……が、百夜の推理で怪異の源が暴かれ、一件落着かと思われた先に待つのは思いもよらぬサプライズ。果たして江戸で何が起きようとしているのか――ここから物語は一気に展開していくことになります。


『還ってきた男(上)』
 旅先で死にそのまま葬られたはずが、生前そのままの姿で江戸に現れた男・六兵衛。彼を目撃した同じ長屋の男に依頼された百夜は、六兵衛が長命寺でも目撃されているのを知り、寺に向かうのですが――その前に謎の雲水が現れます。
 これまでに起きた一連の怪異の真相を知るような口ぶりながら、それを尋ねようとした百夜に襲いかかる雲水。恐るべき雲水の技から辛くも逃れた百夜は、寺の見世物小屋で奇怪な出し物が出ていたことを知るのですが……

 死んだはずの男が還ってくるだけではなく、前々話で触れられた、住民が全て消えた茅場村でも住民たちが帰ってきたことが語られ、謎は深まるばかりの本作。しかし何よりも印象に残るのは、亡魂憑きたちで構成されている(らしい)見世物小屋という、何とも悍ましい存在でしょう。

 そしてその真実を知るらしい謎の雲水がこのエピソードからいよいよ登場するのですが――これがもしかすると本シリーズ最強の遣い手。
 もの凄く勘のいい方であれば、この時点でその正体に気付くかもしれませんが――それはともかく、謎を振りまくだけ振りまき、百夜を叩きのめして消えるのですから、百夜もこちらもたまりません。

 そこで左吉がナイスフォロー、思わぬ相手に助っ人を依頼するのですが――さてその助っ人が活躍する機会はあるのか、物語はここで半ばであります。


『百夜・百鬼夜行帖』(平谷美樹 小学館) 『犬張子の夜』 Amazon/ 『梅一番』 Amazon/ 『還ってきた男(上)』 Amazon
夢幻∞シリーズ 百夜・百鬼夜行帖67 犬張子の夜 百夜・百鬼夜行帖シリーズ (九十九神曼荼羅シリーズ)夢幻∞シリーズ 百夜・百鬼夜行帖68 梅一番 百夜・百鬼夜行帖シリーズ (九十九神曼荼羅シリーズ)夢幻∞シリーズ 百夜・百鬼夜行帖69 還ってきた男・上 百夜・百鬼夜行帖シリーズ (九十九神曼荼羅シリーズ)

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 平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』 第11章の4『桑畑の翁』 第11章の5『異形の群(上)』 第11章の6『異形の群(下)』

 「冬の蝶 修法師百夜まじない帖」 北からの女修法師、付喪神に挑む
 「慚愧の赤鬼 修法師百夜まじない帖」 付喪神が描く異形の人情譚
 『鯉と富士 修法師百夜まじない帖』 怪異の向こうの「誰」と「何故」

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2019.02.07

川瀬夏菜『鬼の往き路人の戻り路』第2巻 「鬼」と「人」の関係の先に


 鬼退治で知られる源頼光と渡辺綱をはじめとする四天王が、人と鬼の狭間で迷う人々に手をさしのべるユニークなマンガの第2巻、完結編であります。この巻で描かれるのは、頼光や四天王が退治したことで知られる妖怪の数々ですが――しかしいずれも一筋縄ではいかないアレンジが施されております。

 酒呑童子や茨木童子といった鬼と戦い、退治したことで知られる源頼光と渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光の四天王。
 本作は、異能を持ち、周囲から疎まれた過去を持つ彼らが、同様の悩みを持つ者を救い、心をなくした鬼となることを防ごうとする姿を、綱を中心として描いてきました。

 第1巻では彼らの「鬼退治」――鬼童丸・茨木童子・酒呑童子とのエピソードが描かれましたが、伝説では、彼らが鬼以外の妖怪たちとも対峙したことが伝えられています。
 というわけでこの巻に登場するのは、土蜘蛛・滝夜叉姫・姑獲鳥・鵺と、(最後以外は)いずれもニヤリとできる顔ぶれ。そんな相手と頼光&四天王の対決が、よりバリエーション豊かに描かれることになります。

 時系列的には明示されていませんが、この巻で描かれるのは、第1巻の内容の前後に挿入されるべき、いわば拾遺編という内容。
 第1巻では頼光と綱が中心となり、他の四天王の描写が少なめだったのですが、『土蜘蛛』では金時、『滝夜叉姫』では貞光、『姑獲鳥』では季武(そして『鵺』では頼光と綱)と、一話ずつ主役エピソードを設定することで、四天王全員に光が当たる形となっているのが嬉しいところです。

 直接頼光とは繋がりのない『鵺』を除けば、いずれも伝説や物語(滝夜叉姫は大宅光圀だろうと思いきや、神楽では季武と貞光が対決したのですね)を踏まえたこれらのエピソードですが、物語の前半部分――四天王たちと「鬼」たちが対峙するまでは基本的に原典を踏まえた内容。
 しかしその先、四天王が彼らと如何に対峙するか、決着をつけるかについては、原典から大きく踏み出して、本作ならではのものとなっているのは、第1巻と同様であります。


 さて、そんな中で個人的に印象に残ったのは、『滝夜叉姫』と『姑獲鳥』であります。

 前者は、近頃宮中を生霊で騒がす美しき妖術使いの滝夜叉姫に、頼光の蜘蛛切りの太刀を奪われた季武とともに、綱と貞光が姫を追って幻の屋敷に入り込む物語。
 幻を見破る目の力が災いして(現実の姿と幻が重なって混乱するという説明が面白い)力が出せない綱に代わり、貞光が姫と一対一で対決することになります。

 実は本作の貞光は力自慢の美少女という、ある意味原点から最も離れた設定ですが、そんな彼女と滝夜叉姫の対決は、大きすぎる力を持って生まれた女性と、大きすぎるものを背負わされ、力を求めた女性という構図となっているのが興味深いところであります。
 そして何のために力を用いるかによって、人は鬼と化すのか、人に留まるのかが決まるという本作ならではの設定が活きてくるのもいい。ちょうどその中間で立ち止まってしまった姫の悲しみが漂う、ちょっと苦い結末も印象的なエピソードです。

 一方の『姑獲鳥』は、『今昔物語集』で季武が川で姑獲鳥と出会い、赤子を託されてそのまま平然と川を渡ったというエピソードを踏まえつつ、その先を描く物語。
 ……なのですが、そんな季武に姑獲鳥がベタ惚れしてしまい、猛烈なアタックを食らってしまうという、ある意味少女漫画らしい展開のお話ながら、そこに季武自身の力を絡めることで、一捻りが効いた内容となっているのが面白い。

 というのも、実は季武の力は、その声で他者を魅了するというもの。その力を抑えるために、彼は自分の声や姿を変え、女の姿で暮らしているのですが――そんな彼にとって、自分に無条件の好意をぶつけてくる姑獲鳥は、迷惑以上に嫌悪感を感じさせる存在なのであります。
 ここで描かれるのは、「力」の在り方もさることながら、「心」の在り方。本作で描かれる鬼の存在が、力に溺れた末に心を失った人であることを考えれば、これもまた、本作らしい人と鬼の関係性の物語と言うことができるでしょう。


 さて、そんな最終巻の結末に収録されている4ページの掌編が『羅城門の鬼』。羅城門の鬼は、綱が片腕を落としたと伝えられる鬼ですが、しかし彼が片腕を落としたといえば他にも――と、原典の時点ですでにややこしい関係性を巧みに活かして、「人」と「鬼」の間の一つの希望の物語として成立させてるのが素晴らしい。
 本作のエピローグとして、まことにふさわしい物語であります。


『鬼の往き路 人の戻り路』第2巻(川瀬夏菜 白泉社花とゆめCOMICS) Amazon
鬼の往き路 人の戻り路 2 (花とゆめCOMICS)

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2019.02.06

『どろろ』 第五話「守り子唄の巻・上」

 聴覚を取り戻したことでかえって調子が狂い、妖怪相手に深手を負った百鬼丸。そんな彼を助けたのは、戦災孤児を育てるミオという少女だった。音の洪水の中、ミオの子守歌だけには興味を示す百鬼丸。ミオと子供たちを安全な土地に住まわせるため、そこに巣食う鬼神退治に向かう百鬼丸だが……

 前回の戦いで耳を取り戻したものの、突然未知の感覚――聴覚を得たことで、音の洪水に苦しむ百鬼丸。人里離れた森の中でひっそりと夜を過ごす中ですら音に苦しむ百鬼丸に、さしものどろろも受けてきた妖怪退治の仕事をキャンセルしようかと言い出します(ここで耳を塞ぐため、どろろが手ぬぐいか何かをリボンのような格好で百鬼丸の頭に巻いてやるのがおかしい)。
 しかし時既に遅く、二人に襲いかかる妖鳥。しかも羽ばたきやら何やらでやたらと騒々しいこの妖怪を前にして、百鬼丸は大苦戦する羽目になります。折りよく現れた琵琶丸によって妖鳥は倒されたものの、深手を負ってしまった百鬼丸。どろろから状況を聞いた琵琶丸は、百鬼丸を穴蔵に籠もった手負いの獣と評すると、人の世で暮らすために穴蔵から出ろと叱咤激励するのですが……

 と、その翌朝、耳に入ってきた歌声に導かれるように歩き出した百鬼丸は、その先の川で体を洗っていた少女・ミオと出会います。百鬼丸の体が不自由であること、そして傷を負っていることを知り、百鬼丸たちを自分たちが暮らすお堂に誘うミオ。彼女は、戦争で親を失い、時には体の一部を失った子供たちと共に暮らしていたのであります。

 今まさにこの近くで酒井家と醍醐家が一触即発の状況(第2話で万代さまを倒した影響として描かれたものでしょう)にある中、酒井の陣で商売をして、子供たちを養っているというミオ。夜に働いているというミオを少しでも休ませるために家事を手伝っている子供たちに加わってどろろも忙しく働く中、百鬼丸は、ミオの歌に苦しむどころか、興味を示すそぶりを示します。
 そんな百鬼丸を前に、何故か居心地悪そうに襟元を直すミオ。その態度は、どろろから百鬼丸が魂の色を見ることができると聞いて、さらに顕著になるのでした。

 そんな彼らを置いて、琵琶丸は戦場から抜け出す道を探すと出て行くのですが――山中で彼が見つけたのは、川の流れる集落の跡地のような場所。しかしその目の前には巨大なすり鉢状の穴が開き、そしてその下には禍々しい輝きが……
 百鬼丸たちのもとに戻り、山中の土地と、そこに巣食った鬼神の存在を語る琵琶丸。鬼神さえいなければ、戦から離れた場所で平和に暮らせるという琵琶丸に、百鬼丸は自分の傷にも構わず飛び出します。そんな百鬼丸の様子に触発されたのか、ミオも、戦で失った分は戦で取り戻すと、今度は醍醐の陣で働くと出て行くのでした。そしてどろろも、久々に泥棒魂を取り戻したのか、その後を追って飛び出していきます。

 さて、琵琶丸とともに件の土地に向かった百鬼丸の前に現れたのは、巨大なアリジゴクめいた鬼神。底知れない実力の琵琶丸をして剣呑と言わしめる鬼神の力は凄まじく、二人がかりでも攻撃を防ぐのがやっとの状態であります。危うく穴の中に引きずり込まれかけたところを琵琶丸に巣食われた百鬼丸ですが、鬼神の一撃は彼の生身の右足を奪っていたのでした。そして百鬼丸はその口から初めての声を発します。絶叫という形で。

 そしてミオの後を追っていった先で、どろろは彼女の「仕事」の意味を知ってしまい……


 というわけで初の上下編エピソードとなった今回は、原作でもトラウマ度が高かったゲストヒロイン・ミオ(未央)のエピソードであります。原作では、百鬼丸が生まれて初めて愛を語った相手として登場したミオですが、こちらの百鬼丸は、耳が聞こえたばかりで違和感に苦しんでいる状態。
 そんな彼が、子守唄を通じて彼女と少しずつコミュニケーションを取っていく姿が初々しく微笑ましいのですが――しかしそうしたすべてが粉々になるように平行して二つの地獄絵図が描かれるラストはあまりにも強烈であります。

 そして強烈といえば、生身の足(!)を失って絶叫を上げた百鬼丸。第5話にしてようやく主人公が声を発したというのも大変な話ですが――それが悲鳴というのもすさまじい。満身創痍の彼が後編でいかなる行動を取るのか、そしてミオたちの運命は――原作を考えると、非常に暗い気分にしかならないのですが。
(しかし百鬼丸はいつの間に声を取り戻したのか? アリジゴクは倒したわけではないはずで、だとすれば妖鳥が鬼神だったのか……?)



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 『どろろ』 第二話「万代の巻」
 『どろろ』 第三話「寿海の巻」
 『どろろ』 第四話「妖刀の巻」

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2019.02.05

三好昌子『京の縁結び 縁見屋と運命の子』 再び始まる因果因縁の物語


 『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞した『京の縁結び 縁見屋の娘』の続編――前作のクライマックスから十数年後を舞台に、奇怪な黒い法師に付け狙われる少女・貴和が、縁見屋の息子・燕児とともに、自分たちにまつわる因縁と謎を追う姿が描かれることになります。

 代々男子が生まれず、娘も26歳で亡くなるという奇怪な因縁が伝わる口入れ屋・縁見屋。その娘・お輪が、謎の修験者・帰燕と出会ったことにより、縁見屋の過去に隠された秘密を知り、因縁から開放される様を描いた『縁見屋の娘』――その前作のクライマックス、天明の大火の五年後から、本作は始まることになります。

 母と家路に急ぐ途中、子供をよこせという奇怪な黒い笠の法師に遭遇し、母に庇われて神社に逃げ込んだ5歳の貴和。貴和はそこで出会った不思議な子供・燕児に助けられてその場は逃れることができたのですが――しかしその翌日、彼女の母は絵師の夫と貴和を残し、何処かへ姿を消してしまったのでした。

 それから12年後、貴和は幼馴染である町の薬種問屋「白香堂」の娘・雪乃付きの小間使いに雇わるのですが――そこで燕児と再会することになります。
 実は縁見屋の長男であり、医者を目指して白香堂で学んでいた燕児。しかし数年前、病に倒れた母・お輪の命を救うために火伏堂に詣でた彼は、そこで出会った何者かとの約束で、言葉を一切発しないようになっていたのであります。

 その頃、京では若者が突然倒れ、そのまま命を失うという奇怪な病が相次ぎ、白香堂はその対応に追われることになります。そして病を治すと評判の祈祷師・鞍馬法師こそは、幼い頃に貴和を襲ったあの黒い笠の法師だったのであります。
 さらに、京に出没する辻斬りの濡れ衣を着せられて捕らえられてしまった貴和の父。彼女はその騒動の中で、自分が父とは血が繋がっていないことを知ることになります。

 母はどこに消えたのか、父は何故濡れ衣を着せられたのか。黒い笠の法師は何を求めているのか。そして自分は何者なのか――燕児とともに謎を追う貴和が知った真実とは……


 冒頭に述べたとおり、縁見屋とその娘を巡る奇怪な因果因縁譚であった前作。その内容についてここで詳細には述べませんが、因縁が一つの終わりを迎えた結末からは、続編の登場は正直なところ予想外ではありました。
 果たしてあの結末から、どのような続編が描けるのか――その疑問とともに手に取った本作ですが、なるほどこういう形になるのか、という印象であります。

 縁見屋とは無縁の少女を主人公としつつも、彼女と運命を共にする少年として、縁見屋の息子を設定するというのがまず面白いところですが、やがて明らかになる事件の真相が、本作独自の物語でありつつも、やはり密接に前作と繋がったものであるのに感心させられました。
 内容的には続編というより後日譚と評すべきかもしれませんが、前作に縛られすぎることなく(特に前作のヒロインがそれなりに重要な役どころでありつつも、あくまでも遠景にとどまるのがいい)、それでいて前作読者にはニヤリとできる要素を散りばめつつ、新たな物語を作り出してみせたのは大いに評価できるところです。

 特に主人公を巡る非常に入り組んだ因縁の糸が一つ一つ解けていく終盤の展開は面白く、前作のラストのような史実と結びついたある種派手なクライマックスが待ち受けているわけではないのですが、十分満足できました。


 しかし残念なのは、後半の真実が語られる部分のほとんどが、謎解きというよりも、当事者の口からの説明となっている点であります。
 完全に人知を超える因果因縁の世界の物語であるだけに、人間の頭で謎が解けるものではないのもわかりますが、○○は××だった、という説明が続くのは、物語の構成としてどうなのかな――という印象は、正直なところ強くあります。

 そしてもう一点、これは完全に個人の趣味の問題ではありますが、前作同様大きな意味を持つ生まれ変わりの概念は、個人の人格や人生を上書きしているようでやはり好きになれないところであります。
 実はこの点は前作以上に強く感じられたところで、主人公像などは前作よりも共感できただけに、残念に感じられた次第です。


『京の縁結び 縁見屋と運命の子』(三好昌子 宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ) Amazon
京の縁結び 縁見屋と運命の子 (宝島社文庫 「このミス」大賞シリーズ)


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2019.02.04

武内涼『妖草師 謀叛花』 これぞ集大成、妖草師最後の激闘!


 作者の代表作にして『この時代小説がすごい!』第1位に輝いた『妖草師』シリーズの第5弾、そして最終巻であります。常世の妖草を討つ妖草師・庭田重奈雄が今回挑むのは、妖草を操る残忍な盗賊団、そして更なる巨大な陰謀――重奈雄最後の戦いが始まります(物語の展開に触れますのでご注意下さい)。

 常世(異界)に芽吹き、人の心を苗床に育つ奇怪な植物、妖草。時にこちら側の植物に似た姿を持ちながらも、奇怪な――そして多くの場合危険な能力を持つ妖草の正体を見破り、対処するのが妖草師であります。

 主人公・庭田重奈雄は、代々京で妖草と戦ってきた家の出身――故あって家を追われ、市井で暮らしながら、妖草がこの世に出現した時には、これと敢然と対峙してきた青年。
 様々な戦いの末に実家とも和解し、華道池坊家の娘、そして妖気を見破る天眼通の持ち主である椿との婚礼も秒読みの中、重奈雄は新たな事件に巻き込まれることになります。

 大坂をはじめとして、西国を騒がす凶盗・青天狗一味。厳重に守られた商家に容易く忍び込み、そして家の者たちを悉く殺して金品を奪うという残忍極まりない彼らが、京にも現れたのであります。
 現場に残された一枚の葉から、この青天狗一味が妖草を操ることを知った重奈雄。重奈雄がかつて妖草から救った娘の実家が一味に襲われ、彼女を残して皆殺しにされたこともあり、重奈雄は一味の根絶を誓うのでした。

 そんな彼と共に一味を追うのは、関東妖草師となるべく重奈雄に師事してきた男装の美女・かつらと、町奉行所の同心たちが頼りにするベテラン目明かしの重吉。
 残された小さな手がかりから、一味の中に美濃郡上藩で数年前に起きた郡上一揆に関わっていた者がいたことを知り、郡上藩に潜入する重奈雄たち。彼らがそこで見たものは、武士と百姓が、そして百姓と百姓が分断され、激しく憎み合う姿でした。

 その憎悪を養分にして妖草が育っていく中、重奈雄たちはついに一味の首魁と対峙することになるのですが……


 これでファイナルということもあってか、実に400ページ近い(分量でいえば前作の約1.5倍以上)大作である本作。それ故に――というべきか、物語はここまででまだ半ばにすぎません。一つの謎が解け、一つの戦いが終わった後も、舞台を移して更なる戦いが描かれることになるのですから、大盤振る舞いであります。

 はたして青天狗一味の背後に潜むのは何者か、その真の目的は何か――愛する椿や仲間たちとも離れて異郷で戦う重奈雄を助けるのは、かつて妖草・一夜瓢にまつわる事件で彼と関わり合った狷介な天才・平賀源内。
 そして執念の探索を続ける重吉が掴んだ賊の手がかりとは、重奈雄の下を卒業して関東妖草師となったかつらを待つ新たな出会いとは――物語は様々な要素が絡み合い、最強の妖草を操る敵が潜む、魔城での決戦へと突き進んでいくのであります。


 さて、これまで様々な生態と奇怪な能力を持つ妖草を幾つも生み出してきた本シリーズですが、本作は間違いなくその集大成。
 鉄棒蘭や楯蘭、知風草など、これまで重奈雄の頼もしい武器として活躍してきた妖草はもちろんのこと、剣呑極まりない能力を持った新たな妖草も様々に登場し、妖草を操る者同士の派手な能力バトルが繰り広げられることになります。

 特に本作のある意味中核をなす最強の妖草との対決においては、ある意味ゲームもの的な読み合いあり、西部劇テイストの決闘あり――と、これでもかとばかりに繰り広げられるバトルのバリエーションの豊かさにはただ脱帽するしかありません。
 さらに江戸で重奈雄が婚活パーティー(!?)に潜入するというコミカルなくだりがあると思えば、ちょっと意外なキャラクターの切ないロマンスありと、そのボリュームに相応しい盛りだくさんの内容であります。


 もっとも、残念な点もいくつかあります。これまでシリーズで活躍してきたある人物が登場しなかったり、話の流れもありますが、椿があまり活躍しなかったり――と。
 何よりも本作でシリーズが完結(にもかかわらず、まだまだ続けられそうだったり)というのがその最たるものなのですが――しかしそれを言うのは野暮というものでしょうか。

 ここは妖草師最後の激闘を――その背後に見え隠れする、作者ならではの現実世界に対する鋭い視線も含めて――理屈抜きで楽しむべきなのでしょう。
 何度も述べたとおり、本作はシリーズの掉尾を飾るに相応しい戦いの連続と、スケールの大きさを誇る物語なのですから……

『妖草師 謀叛花』(武内涼 徳間文庫) Amazon
謀叛花: 妖草師 (徳間時代小説文庫)


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2019.02.03

川瀬夏菜『鬼の往き路 人の戻り路』第1巻 人と人、人と鬼とを繋ぐもの


 最近、何となく源頼光とその四天王の登場する作品を手にすることが多いのですが、本作もその一つ。渡辺綱を主人公に、彼と主や仲間たちの繋がり、そして鬼たちとの対決を描く連作ですが――しかし単純に鬼を退治して終わりというわけではない、ユニークなシリーズであります。

 正史においては、清和源氏の嫡流であり、藤原道長の家司的存在であったことで名を残す源頼光。しかしフィクションの世界において彼が名を残すのは、その四天王――渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光を引き連れての鬼退治・魔物退治においてでしょう。
 本作はその後者の姿を中心に描かれる物語ですが、まず頼光と四天王の設定に、本作でなければお目にかかれないようなアレンジが為されています。

 というのも、彼ら五人はいずれもそれぞれ異能の持ち主。
 異界のものの声を聞き、姿を見る力を持つ頼光。距離的に遠くのものを見るだけでなく、人の運命や異界のものの姿まで見る超視力の綱。力自慢の上に優れた嗅覚を持つ坂田金時。華奢な体ながら人間離れした腕力を発揮する少女(!)・碓井貞光。ある理由から常に女装している美青年・卜部季武……
(季武だけ説明になっていませんが、ネタバレ防止のためご寛恕下さい)

 彼らはその力によって周囲から距離を置かれ疎まれながらも、しかし同様の存在である頼光ら仲間たちと巡り会い、人の世のためになることを誓ったのであります。
 しかし人の世のためになるといってもどうやって? ……それこそが、本作の中核であり、ユニークな点であります。

 本作に登場する「鬼」は、生まれついての怪物であったり、人と異なる種族というわけではありません。彼らはいずれも元は人――人と異なる力を持って生まれ、そしてその力に溺れあるいは取り込まれたことにより、人の心を失った者たちなのであります。
 残念ながら、一度鬼となって「あちら側」に往ってしまった者は人には戻れません。しかしまだ人であるうちであれば、「こちら側」に引き戻せるかもしれない……

 鬼であれば退治するのも辞さないが、しかしその前に人に引き戻すことを試みる――自分たちも一歩間違えれば鬼になったかもしれないだけに、彼らは奮闘するのであります。鬼の往き路と人の戻り路の間に立って。

 ちなみに本作はそんな彼らの中でも、渡辺綱を主人公としています。幼い頃から異能によって疎外されながらも、同じく異能を持ち、「あちら側」に行きかねない頼光を繋ぎとめる「綱」として生きてきた彼の存在は、本作を象徴するものといえるでしょう。


 さて、この巻に収録されているのは、『鬼童丸』『茨木童子』『酒呑童子』の全3話。
 「古今著聞集」に登場し、鞍馬寺で頼光たちを襲った鬼道丸をはじめ、渡辺綱に腕を切られ、後にその叔母に化けて腕を取り返した茨木童子、そしてその茨木童子を配下として大江山に籠もった大鬼・酒呑童子――特に茨木童子と酒呑童子は、鬼といえばまず連想されるほどの存在ではないでしょうか。

 そんな有名どころの鬼たちですが、上で述べたような本作ならではの設定によって料理されると――基本的な展開が様々な伝説・巷説に語られる内容を踏まえて描かれるからこそ一層――全く異なる味わいをもつことになります。
 そう、鬼を退治するのではなく、人を生かす――そして鬼であっても心がある者であれば共に生きる道を探す姿が、ここでは描かれていくのであります。

 特に茨木童子は本作の主人公である綱との因縁があることもあり、原典通りに物語が展開していくのですが――終盤でのある意味ドンデン返しには仰天させられます。
 あの切られた、そして戻った腕が、そんな意味を持ってくるとは! と驚くとともに、いかにも本作らしい心温まる結末に、こちらまで嬉しくなってしまうのであります。


 もちろん、あまりに甘すぎるという印象がないわけでもありません。また、特にアクション描写についてはちょっとどうかなあと思う点も少なくないのもまた、正直なところであります。
 それでもなお本作が、人と鬼の姿を描いて独特の、そして魅力的な物語であることは間違いありません。

 ちなみに構成を見ればわかるように、本作はこの第1巻の時点でひとまずの終わりを見ているのですが、嬉しいことに続編があります。さらにバラエティに富んだ怪異と対決する第2巻については、また別途紹介させていただきます。


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2019.02.02

平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』 第11章の4『桑畑の翁』 第11章の5『異形の群(上)』 第11章の6『異形の群(下)』


 北から来た盲目の美少女修法師が妖を討つ本シリーズの第11章もこれにて完結――奇怪な牛鬼たちを集め、何事かを起こさんとする南から来た謎の修法師との対決もいよいよ佳境です。本シリーズ初、上下編構成の一大クライマックスで描かれるものとは?

『桑畑の翁』
 謎の修法師と薩摩藩の関わりを疑い、品川の薩摩藩下屋敷を見張る桔梗。しかし彼女が身を潜める桑畑には、奇怪な面を着けた亡魂が彷徨っていました。
 思わぬところからその正体を知り、亡魂と対峙する百夜。彼女が亡魂を鎮めるために選んだ手段とは……

 クライマックスを前に、今回も本筋とは距離を置いたエピソードである本作。早く先を読みたい、と逸る気持ちにもなりますが、しかしここで登場する怪異――翁の亡魂の正体は、なかなか珍しく、そして切ないところであります。
 珍しいといえばその正体にまつわる答えをもたらしたのは何と左吉。百夜の一番弟子を自認しながらも、文七や桔梗などに比べれば――な彼の珍しい活躍には驚かされますが、弟子たちの教育に心を砕く百夜が描かれるのも、なかなか愉快であります。

 そしてラストではいよいよ牛鬼にまつわるもう一つの勢力――南から来た男装の娘修法師と唐手使いの青年が登場、一気に物語は緊迫の度合いを増すことになります。


『異形の群』上・下
 日本各地で牛鬼たちを集め、使役する奄美の修法師。百夜たちは、彼が薩摩藩と結んである企みを巡らしていることを知ります。その企てを止めようとする娘修法師・嬉与と彼女を護る唐手使いの弥五郎と手を組み、奔走する百夜ですが、その前に薩摩の刺客団が立ちふさがることになります。
 示現流の使い手の前に思わぬ不覚をとった百夜。江戸絶体絶命の危機に嬉与らとともに立ち上がったのは、百夜の弟子たち、そしてもう一人の北から来た修法師。そう、あの男がついに……

 というわけで、初の連続エピソードのクライマックスに相応しく、オールスターキャストで展開するラスト2話。もちろんそれだけにここで繰り広げられるのは死闘また死闘であります。
 恐るべき力を持つ異形の群――牛鬼たちと、そしてあの百夜をも倒した剣鬼を擁する薩摩剣士団。そんな敵たちと、江戸を護るべく集った百夜チームが三つ巴でバトルを繰り広げるのですから、盛り上がらないはずがないのであります。

 そして個人的に嬉しいのは、満を持して登場したあの男の活躍です。
 百夜が主人公のシリーズだけに、これまで彼女のすぐ近くに暮らしながらも端役に甘んじていた彼が、頼もしすぎる助っ人として大暴れしてくれるのは、作者のファンとしてはたまらないところであります。
(クライマックスでのナイスフォローもまた彼らしい)

 しかしここで忘れてはならないのは、百夜と彼は、今回の敵である奄美の修法師たちとは合わせ鏡――いや、極めて近しい存在であることでしょう。
 デビュー以来多くの作品で、陰に陽に、中央の圧制に苦しむ奥州の人々の姿を描いてきた作者。しかしこの時代に苦しんでいたのは、彼ら北の民だけではありません。同様に南の民もまた、中央の圧制に、そして無理解に苦しめられてきたのも、確かな史実であります。

 そんな相手であっても、いやそんな相手だからこそ、江戸を血に染めるようなことをさせるわけにはいかない――百夜たちのヒロイズムに胸を熱くしながらも、同時に「同族」が争わなければならないことの空しさを味わうことになるのもまた、この作者らしい趣向と言えるかもしれません。


 それでもなお、江戸で暮らし、江戸の人々を守ろうとする百夜たちの物語はまだまだ続きますが――しかしこの先も大事件が待ち受けている様子。
 短編としての面白さはもちろんのこと、連続ものとしての色彩を強め始めた本シリーズのこれからが、大いに楽しみになろうというものです。


『百夜・百鬼夜行帖』(平谷美樹 小学館) 『桑畑の翁』 Amazon/ 『異形の群』(上) Amazon/ 『異形の群』(下) Amazon
夢幻∞シリーズ 百夜・百鬼夜行帖64 桑畑の翁 百夜・百鬼夜行帖シリーズ (九十九神曼荼羅シリーズ)夢幻∞シリーズ 百夜・百鬼夜行帖65 異形の群(上) 百夜・百鬼夜行帖シリーズ (九十九神曼荼羅シリーズ)夢幻∞シリーズ 百夜・百鬼夜行帖66 異形の群(下) 百夜・百鬼夜行帖シリーズ (九十九神曼荼羅シリーズ)


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 「冬の蝶 修法師百夜まじない帖」 北からの女修法師、付喪神に挑む
 「慚愧の赤鬼 修法師百夜まじない帖」 付喪神が描く異形の人情譚
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2019.02.01

柳広司『贋作『坊ちゃん』殺人事件』 坊ちゃん、赤シャツの死の謎に挑む!?


 『ジョーカーゲーム』の印象が強いかもしれませんが、実はパスティーシュや有名人探偵ものの名手である作者。本作はその作者が本領を十二分に発揮した物語――あの夏目漱石の『坊ちゃん』の後日談にして、坊ちゃんが奇怪な死を遂げた赤シャツの謎を追う時代ミステリであります

 松山から東京に戻り、街鉄の技手になった坊ちゃん。それから3年後、偶然山嵐と再会した坊ちゃんは、赤シャツが自殺していたことを知らされます。それも坊ちゃんと山嵐が彼と野だいこに天誅を加えた直後、無人島・ターナー島で、マドンナの前で首を吊って……
 山嵐に誘われるまま松山に向かい、赤シャツの死の真相を探り始めた坊ちゃん。しかし直前まで行動を共にしていた野だいこは癲狂院に入院して不気味な絵を描き続け、マドンナは家に籠もって会ずと、八方ふさがりの状態であります。

 そんな中、かつて自分たちと学生たちの乱闘騒ぎを記事にした新聞記者から、奇妙な噂を聞かされる坊ちゃん。3年前の出来事の数々が全く異なる形で見え始める中、ただ一人奔走する坊ちゃんが知った恐るべき真相とは……


 たとえ漱石の他の作品を読んだことはなくとも、これだけは読んだという方も多いのではないかという印象がある『坊ちゃん』。
 松山に教師として赴任した直情径行の江戸っ子・坊ちゃんが、山嵐や赤シャツ、野だいこ、うらなりといった面々の間で様々な騒動を引き起こし、やがて赤シャツらの不正義を制裁し、教師の身分を捨てて帰っていく――そんなお馴染みの物語に、本作は全く異なる角度から光を当ててみせます。

 そのきっかけとなるのが赤シャツの死ですが、そんな強烈なオリジナル要素を投入しつつも、本作はまずパスティーシュとしての完成度が実に高い。文体模写に加えて、原典に登場した面々が、いかにも彼ららしい言動でもって再登場して、その後の物語を展開するのが、実に楽しいのであります。

 そしてそんな楽しさの最たるものが、坊ちゃんの言動あることは言うまでもありません。3年ぶりに再会した山嵐に誘われるまま、即断即決で松山に向かい、行き当たりばったりに謎に挑む姿は、本作の「らしさ」の最たるものでしょう。
 坊ちゃんにとっては、殺人(かもしれない)事件も、気にくわない学生や悪だくみを巡らす赤シャツたちと同様の「納得のいかないこと」にほかなりません。誰もが愛したあの直情径行で、謎にぐいぐいと迫っていく様は、一種ハードボイルド的ですらあるのですが……


 しかし事件の謎が解けていくにつれて、本作は、それまでの楽しさとは全く異なる、恐るべき素顔を露わにすることになります。
 そこで明らかになるのは、赤シャツの死や野だいこの発狂という、いわば本作オリジナルの要素の真実だけではありません。本作は同時に、原典で描かれたものの一つ一つの裏側に潜んでいたものをも、表に浮かび上がらせてみせるのであります!

 それは原典の楽しい世界をぶちこわしにする野暮な、そして冒涜的なやり方に見えるかもしれません。あるいは最近よく聞く言い回しを使って「文学に政治を持ち込むなんて」いう向きもあるかもしれません。

 しかし――果たして原典が楽しい、痛快なだけの物語であったでしょうか? そこに描かれていたものは、一人の純粋な青年が、地方の複雑に入り組んだ人間関係に――言い換えれば政治の世界に――翻弄され、自ら飛び出したと見せつつ、結局は放逐された姿ではなかったでしょうか。
 本作はその構図をより大きな形で、そして史実(!)を踏まえた形で語り直したものにほかなりません。そして結末もまた……


 しかし『坊ちゃん』は、一人の青年の「敗北」だけを描く物語だったのでしょうか。いや、そんな物語を我々は長きにわたって愛することができるでしょうか?
 本作はクライマックスにおけるある人物の言葉を通じて、その答えをも明確に描き出してみせるのです。それこそは人間性というものへの幽かな希望であり――それは原典にも間違いなく存在したものであるでしょう。

 もちろんそれがその先の時代にどの程度の意味を持つものであったのか、我々はよく知っているのですが……


 原典を題材として意外なミステリに料理した上で、原典そのものが内包していたものをも――その描かれた時代、舞台となる時代を踏まえて――描き出してみせる。
 実に作者らしい、原典への深い愛と理解によって生み出された作品であります。


『贋作『坊ちゃん』殺人事件』(柳広司 角川文庫) Amazon
贋作『坊っちゃん』殺人事件 (角川文庫)


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