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2019.02.01

柳広司『贋作『坊ちゃん』殺人事件』 坊ちゃん、赤シャツの死の謎に挑む!?


 『ジョーカーゲーム』の印象が強いかもしれませんが、実はパスティーシュや有名人探偵ものの名手である作者。本作はその作者が本領を十二分に発揮した物語――あの夏目漱石の『坊ちゃん』の後日談にして、坊ちゃんが奇怪な死を遂げた赤シャツの謎を追う時代ミステリであります

 松山から東京に戻り、街鉄の技手になった坊ちゃん。それから3年後、偶然山嵐と再会した坊ちゃんは、赤シャツが自殺していたことを知らされます。それも坊ちゃんと山嵐が彼と野だいこに天誅を加えた直後、無人島・ターナー島で、マドンナの前で首を吊って……
 山嵐に誘われるまま松山に向かい、赤シャツの死の真相を探り始めた坊ちゃん。しかし直前まで行動を共にしていた野だいこは癲狂院に入院して不気味な絵を描き続け、マドンナは家に籠もって会ずと、八方ふさがりの状態であります。

 そんな中、かつて自分たちと学生たちの乱闘騒ぎを記事にした新聞記者から、奇妙な噂を聞かされる坊ちゃん。3年前の出来事の数々が全く異なる形で見え始める中、ただ一人奔走する坊ちゃんが知った恐るべき真相とは……


 たとえ漱石の他の作品を読んだことはなくとも、これだけは読んだという方も多いのではないかという印象がある『坊ちゃん』。
 松山に教師として赴任した直情径行の江戸っ子・坊ちゃんが、山嵐や赤シャツ、野だいこ、うらなりといった面々の間で様々な騒動を引き起こし、やがて赤シャツらの不正義を制裁し、教師の身分を捨てて帰っていく――そんなお馴染みの物語に、本作は全く異なる角度から光を当ててみせます。

 そのきっかけとなるのが赤シャツの死ですが、そんな強烈なオリジナル要素を投入しつつも、本作はまずパスティーシュとしての完成度が実に高い。文体模写に加えて、原典に登場した面々が、いかにも彼ららしい言動でもって再登場して、その後の物語を展開するのが、実に楽しいのであります。

 そしてそんな楽しさの最たるものが、坊ちゃんの言動あることは言うまでもありません。3年ぶりに再会した山嵐に誘われるまま、即断即決で松山に向かい、行き当たりばったりに謎に挑む姿は、本作の「らしさ」の最たるものでしょう。
 坊ちゃんにとっては、殺人(かもしれない)事件も、気にくわない学生や悪だくみを巡らす赤シャツたちと同様の「納得のいかないこと」にほかなりません。誰もが愛したあの直情径行で、謎にぐいぐいと迫っていく様は、一種ハードボイルド的ですらあるのですが……


 しかし事件の謎が解けていくにつれて、本作は、それまでの楽しさとは全く異なる、恐るべき素顔を露わにすることになります。
 そこで明らかになるのは、赤シャツの死や野だいこの発狂という、いわば本作オリジナルの要素の真実だけではありません。本作は同時に、原典で描かれたものの一つ一つの裏側に潜んでいたものをも、表に浮かび上がらせてみせるのであります!

 それは原典の楽しい世界をぶちこわしにする野暮な、そして冒涜的なやり方に見えるかもしれません。あるいは最近よく聞く言い回しを使って「文学に政治を持ち込むなんて」いう向きもあるかもしれません。

 しかし――果たして原典が楽しい、痛快なだけの物語であったでしょうか? そこに描かれていたものは、一人の純粋な青年が、地方の複雑に入り組んだ人間関係に――言い換えれば政治の世界に――翻弄され、自ら飛び出したと見せつつ、結局は放逐された姿ではなかったでしょうか。
 本作はその構図をより大きな形で、そして史実(!)を踏まえた形で語り直したものにほかなりません。そして結末もまた……


 しかし『坊ちゃん』は、一人の青年の「敗北」だけを描く物語だったのでしょうか。いや、そんな物語を我々は長きにわたって愛することができるでしょうか?
 本作はクライマックスにおけるある人物の言葉を通じて、その答えをも明確に描き出してみせるのです。それこそは人間性というものへの幽かな希望であり――それは原典にも間違いなく存在したものであるでしょう。

 もちろんそれがその先の時代にどの程度の意味を持つものであったのか、我々はよく知っているのですが……


 原典を題材として意外なミステリに料理した上で、原典そのものが内包していたものをも――その描かれた時代、舞台となる時代を踏まえて――描き出してみせる。
 実に作者らしい、原典への深い愛と理解によって生み出された作品であります。


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