木原敏江『白妖の娘』第4巻 大団円 大妖の前に立つ人間の意思が生んだもの
木原敏江版『玉藻の前』というべき本作『白妖の娘』もついに最終巻となりました。白妖をその身に憑かせた娘・十鴇と、かつて白妖を封じた術者の子孫・直と――すれ違う二人の想いはどこに向かうのか。そしてついに真の力を取り戻した白妖を倒すことはできるのか――いよいよ大団円であります。
都の貴族に騙されて死んだ姉のため、禁忌の森に封じられていた白妖にその身を差し出した十鴇。そして貴族たちの世界を滅ぼすことを望んだ末、玉藻と名を変えた十鴇は、ついに法皇の寵姫にまで上り詰めることになります。
十鴇とともに白妖を世に放ったことに責任を感じ、そして何よりも愛する彼女を救おうとする葛城直は、陰陽師・安倍泰親の下で修行に励むのですが――しかし白妖の力には未だに及ばず、妖魔の跳梁は続くのでした。
そんな中、うち続く日照りを前に、雨乞い対決を行うことになった泰親と十鴇。師の助手に選ばれた直ですが、しかしその直前に十鴇の罠にかかって儀式に間に合わず、結果として十鴇が勝利することになるのでした。
権力と妖力と――もはやこの世に並ぶ者のない力を手に入れた彼女に対して、直に残された手段は……
ついに法皇を完全に操り、名実ともにこの国の頂点に立とうという暴挙に出た十鴇と白妖。もはや近づくことすら難しい相手に対して、直と仲間たちが仕掛ける最後の賭けは――というわけで、この第4巻で描かれるのは、クライマックスに相応しいスケールの大きな展開。
その一方で、この深刻極まりない事態の中で直たちが仕掛ける作戦が、(少なくとも見かけ上は)それとは正反対だったりする変化球加減もまた、実に楽しいところで、この辺りはもう、大ベテランの横綱相撲というべきでしょう。
しかし、真のクライマックスは、真の感動は、その先に用意されています。辛うじて最悪の事態は防いだものの、本性を剥き出しにした白妖の前に、大きな危機に瀕する都。これに対して直は、自分の先祖がかつてこの大妖を封印した呪の正体を知るため、危険な旅に出ることになります。
そしてついにその呪の正体を、白妖封印の真実を、そして白妖の秘めた想いを知った直。かつて夢の中で直が見た、不思議な光景――暗い闇の中で、ただ一人、孤独に石積み遊びを続ける白いけものの姿の意味を。
そしてそこから、これまで物語の中で積み上げられてきた全てが一つに繋がり、全ての謎が解かれることになります。
無敵の白妖が、何故直の祖先に敗れ去ったのか。復活した白妖が直を直接倒そうとしなかったのは何故か。白妖の力の源とは、白妖を倒す手段はあるのか。白妖に憑かれた十鴇を救う手段はあるのか、救うことはできるのか。そして十鴇と直の運命は、二人が望んだものとは……
以前の巻の紹介でも触れましたが、本作の題材は、岡本綺堂の『玉藻の前』であります。本作の設定や物語展開(例えばこの巻でいえば雨乞い対決のくだり)は、ある程度この『玉藻の前』を踏まえたものであるのですが――しかし結末において、本作は明確に新たな物語を描くことになります。
そしてその根底にあるのは、登場人物たちの、その代表である十鴇の想い、明確な意思――それであります。白妖に運命を狂わされた十鴇と直の悲恋物語とも言うべき本作。しかしそれは(原典のように)どうしようもない運命に流されただけではなく、二人が自分の意思で選んだ結果でもあります。
それを象徴するのが、第1巻で十鴇が白妖に言い放ったセリフ「なにがあっても私は私!」といってよいでしょう。そしてその十鴇の意思は、最後の最後まで変わることなく貫かれることになります。そしてそれが、全く思わぬ形で、大いなる救いを生み出すのであります。
白妖という巨大な超自然の悪意(しかし同時に……)を描きつつも、その前に毅然と立つ人間の意思の姿を描いてみせた本作。
だからこそ、この物語はあまりにやるせなく、悲しくもあるのですが――しかし同時に、力強くも優しく、そして何よりも美しく感じられるのです。
そして我々がこの物語を読み終え、『白妖の娘』の名を振り返ってみた時に浮かぶ想いは――何とも切なくも温かく、そしてどこか微笑ましいものなのではないでしょうか。
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