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2019.05.06

木下昌輝『炯眼に候』 信長が暴くトリックと、人間が切り拓く歴史の姿


 戦国時代で合理的――といえば、頭にまず浮かぶのは織田信長の名ではないでしょうか。本作『炯眼に候』は、信長の周囲の人々の視点から、その合理性を描く物語――信長の事績の陰に隠された謎の一つ一つを明るみに出していく、ミステリ風味の連作短編集であります。

 桶狭間や長篠をはじめ、生涯数々の戦で驚くべき戦果を上げ、実にドラマチックな生を送った信長。本作はその最も信頼のおける記録である『信長公記』を踏まえつつも、その記述の隙間をクローズアップし、秘められた真実を解き明かす、全7話から構成される物語であります。

 常に命知らずの戦いを繰り広げてきた馬廻衆・荒川新八郎から戦意を奪った、首から上が映らない姿見の井戸の謎を解く『水鏡』
 桶狭間の合戦で今川義元の首を取った毛利新介の意外な出自と、首を巡る記録の矛盾から、その背後の逆転劇を描く『偽首』
 信長を狙撃し、後に無惨に処刑された鉄砲名人・杉谷善住坊に狙撃を依頼した黒幕の驚くべき正体とその動機を描いた『弾丸』
 信長の快進撃を支えた軍師「山中の猿」――源平合戦から続く呪われた一族の末裔であり、天候を予知する軍師の真実『軍師』
 本願寺の決戦に向けて信長から鉄甲船の建造を命じられ、苦心を重ねる九鬼嘉隆に対して秀吉が授けた驚くべき策『鉄船』
 土岐家復興のために暗躍する光秀に対し、武田家との決戦に向けた騎馬武者圧倒のための鉄砲運用法を命じた信長の真意『鉄砲』
 数奇な運命の果てに日本に渡り、信長に仕えることとなった黒人・弥助のみが知る信長最期の策と、その首の行方を描く『首級』


 以上、信長の天下布武の始まりから終わりまでを題材とした7話で描かれるのは、その信長の活躍にまつわる謎の数々。謎を信長が解くこともあれば、あるいは信長が臣下に謎をかけることもありますが、クライマックスで描かれる信長の「炯眼」による謎解きは、一種のミステリとしての興趣に満ちています。

 例えば『鉄船』――信長のテクノロジー重視の姿勢の現れとして語られる鉄甲船ですが、記録に記されたその姿は、実は大きさも形もまちまちという奇妙な事実があります。
 それは人の目の不確かさによるものかもしれませんが、しかしその他にも、当時の技術レベルから考えれば考えられないほどのサイズであったこと、そして何よりも、その後の歴史で鉄甲船が活躍していないことを考えれば、奇妙というべきでしょう。

 ある意味オーパーツというべきこの鉄甲船に対して、その建造を命じられた当の九鬼嘉隆が実現に頭を悩ませるという本作の構図がまず面白いのですが――しかし、終盤で明かされるその正体たるや!
 嘉隆をフォローするのが秀吉というのが実は――なのですが、しかしこの「トリック」には脱帽するしかありません。


 その他、敵の首にまつわる戦国時代特有の風習をベースに、義元の首争奪戦を巡る逆転劇を描く『偽首』、知性という点では信長にも負けぬ光秀の計算ではどうしても覆せぬ戦力差を覆す鉄砲戦術を描く『鉄砲』など、本作では「トリック」の面白さ、意外性がまず印象に残ります。

 その一方で『弾丸』や『軍師』など、トリックの点ではかなり分かり易い作品もあるのですが――しかし本作は決して、その意外性のみに頼った作品ではないことは強調しておくべきでしょう。
 本作の真の魅力、そして物語の中でトリックを意味あるものとしているもの――それは本作のストーリーテリングの妙であり、そしてそれを支える周囲の人々、各話の主人公たちの姿であると感じます。

 そのトリックや謎が、信長の生涯において、そして歴史の中でいかなる意味を持つか――本作のエピソードは、いずれもそれを丹念に描き、同時に物語としての盛り上がりを設定することにより、そのインパクトのみに頼らない、歴史小説としての面白さを生み出します。
 そして明察神の如き「炯眼」を持つ信長自身を主人公とするのではなく、彼に仕えた、あるいは彼に敵対した人々の視点からそれを描くことにより、無味乾燥な史実の羅列でも、冷徹な論理の連続でもなく、人間(もちろんその中に信長も含まれるのですが)が人間として切り拓く歴史の姿を浮かび上がらせることに成功しているのです。


 信長の論理と凡人たちの人間性と――その両者から生まれる歴史を、ミステリの味付けでもってドラマチックに描いてみせた本作。
 作者ならではのアイディアに満ちたユニークな歴史小説であります。


『炯眼に候』(木下昌輝 文藝春秋) Amazon
炯眼に候

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