蓮生あまね『去にし時よりの訪人』 室町の謎の中で過去と向き合う人々
近頃何かと話題の室町時代――それも応仁の乱前夜を舞台とした本作は、能の観世小次郎信光とその謎めいた弟子を中心に様々な人間群像を描く、ミステリ味も濃厚な連作であります。京の闇を騒がす事件の背後に潜む存在とは……
かの世阿弥が足利将軍の不興を買った後に能の世界の中心となった音阿弥の七男である小次郎信光。その名を挙げてもすぐにはわからない方も多いかもしれませんが、「羅生門」「紅葉狩」「舟弁慶」といった、現代まで残る名作を残した人物です。
本作に登場する小次郎はまだ青年時代――才気は溢れながらもどこか暢気で飄々とした人物。そしてその小次郎の弟子として近くに仕えるのが、小次郎と並んで(そしてほとんど彼以上に)主人公格である那智であります。
観世座に拾われるまでは何をやっていたのか不明ながら、頭は切れるし腕っ節は立つ那智。師である小次郎を師とも思わぬようなぶっきらぼうな言動を見せると思えば、連れ子である幼い少年・天鼓は過剰に大切にするという、なかなかユニークな男であります。
本作はそんな那智と小次郎を中心に、応仁の乱も間近な京を舞台に起きる奇妙な事件の数々を描く連作集です。
観世座出入りの能面師が、顔に火傷を負い、生きたまま野辺送りされた娘を拾ってきたことから始まる『鬼女の顔』。
貧乏貴族のところに出入りしていた小次郎が、貴族の庭の見事な桜を巡る争いに巻き込まれたことをきっかけに、都の闇に跳梁する者たちと出くわす『桜供養』。
そして、そんなプロローグ的短編2話を踏まえて展開するのが、表題作である中編『去にし時よりの訪人』であります。
とある妓楼での宴席に招かれた際に、その妓楼の近くで起きた辻斬りの下手人として囚われてしまった那智。被害者の持ち物が彼の荷物から出てきたためですが、もちろん那智には身に覚えなどあるはずがありません。
那智の無実を証明するために奔走する小次郎たちですが、しかしこの時代、一度罪を問われればそうそう簡単に解放されることはありません。
それでも那智を救うために調べを続ける小次郎たちは、やがて都の土倉(金貸し)が何者かに相次いで襲われ死者も多数出ていること、その一方で貧乏貴族たちの屋敷から秘蔵の宝物が次々と盗まれていることを知るのでした。
何者かの手引きで牢を脱した那智自身も交え、謎に迫る小次郎たち。やがて一連の事件の背後には、数年前に吉野で起きたある惨劇が関わっていることが明らかになるのですが……
冒頭でミステリ味も濃厚、という表現を使いましたが、本作のエピソードは、いずれも提示された大小様々な謎の解明が中心となって展開する物語であります。
その意味では本作は時代ミステリに区分されるのかもしれませんがしかし実際に読んでみれば、そのようなジャンルの枠に囚われない――強いていえば「室町小説」とも言うべき内容であることがわかります。
そう、本作で謎を通じて描かれるものは、応仁の乱も間近――というのはもちろん登場人物たちにはわからないのですが――の、ほとんど無法とも言える混沌たる京の姿であり、そしてその中で生きる人々の姿なのであります(脇役で若き日の伊勢新九郎が登場するのもちょっと楽しい)。
帝や貴族とといった既存の権威が衰え始め、その後を襲った将軍や幕府ですら、時代の波に飲み込まれつつある時代。その一方で、まさに能に代表される新たな芸術が育っていく時代――そんな厳しく混沌とした時代の中で、人々は現在を懸命に生きることになります。
しかしその現在を生きようとする人々を縛るものの姿が、本作では描かれることになります。それこそは過去――すなわち「去にし時」、ある者は隠しある者は忘れようとしながらも――決して逃れられない過去なのです。
その過去と如何に向き合うのか、それはもちろん人によって様々ですが、その向き合う姿、向き合おうともがく姿こそが、本作の最大の魅力なのではないか――そう感じます。
……と、本作の最大の仕掛け(これがまた非常に伝奇的なんですが!)を伏せたおかげで抽象的な表現が多くなってしまいましたが、これがデビューとは思えぬ筆致で、時代と人間と謎の姿を描いてみせた本作が、優れた物語であることは間違いありません。
終盤にちらりと登場した黒幕の正体も気になるところ、是非とも続編を――すなわち、彼らの未来の姿を――期待したいところであります。
『去にし時よりの訪人』(蓮生あまね 双葉社) Amazon
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