仁木英之『飯綱颪 十六夜長屋日月抄』(新装版) 伝奇ものと人情ものを結びつけた快作ふたたび
約12年前、歴史群像大賞最優秀賞と日本ファンタジーノベル大賞を受賞した直後に刊行された、作者の最初期の作品――そして伝奇ものと人情ものという、全く異なるジャンルの物語を結びつけた快作の加筆修正版であります。深川の長屋に拾われた記憶喪失の巨漢、その驚くべき正体とは……
深川の十六夜長屋で、男手一人、泥鰌取りでもって幼い娘・とみを育てる甚六。ある日深手を負って倒れていた記憶喪失の男を見つけた彼は、男に山さんと名付け、共に暮らすことになります。
時にその巨体からは考えられぬほどの運動能力を発揮しつつも、普段は気弱でおとなしい山さんと、慎ましくも楽しい毎日を送る甚六親子。しかしやがて彼らの周囲に、不審な人物が出没するようになります。
そしてそんな中、娘と山さんを置いて長屋の男衆と善光寺詣でに出かけた甚六は、そこで驚くべき真実を知ることになります。松代真田家に戦国時代から仕え、今は藩内の争いによって分裂した忍たちの存在。そして山さんこそは……
加筆修正版ということで、内容的には当然ながら同一の本作。その意味では改めて取り上げる理由は薄いといえば薄いのですが――しかしこうして読み返してみると、初版を読んだ時とは別の印象を受けることに気付きます。
実は本作の特徴の一つは、物語を語る視点の多さであると言えます。
甚六、とみ、山さんといった物語の中心人物だけでなく、甚六が想いを寄せる長屋の未亡人・さえや同じ長屋の寺子屋の先生などの長屋の人々、そして強引と言われようと復興に邁進する国家老、それと対立して江戸で暗躍する江戸家老、快活な仮面の下に仇への憎悪を秘めた青年武士、そして江戸家老と結んだ忍びの首魁……
本作は、これらの登場人物の間で次から次へと物語に対する視点が入れ替わり、そして同時に、その視点の主の想いが描かれていく――そんな構成にあります。
それは初読時には非常にめまぐるしく、そしてまたそれぞれのキャラクターの心情描写が、物語のテンポを削いでいるようにも感じられたのですが――しかしそれはこちらの理解が浅かったと今であれば感じます。
冒頭に述べたとおり、本作は伝奇ものと人情ものという、全く異なる――ほとんど水と油の――ジャンルを折衷して、新たな物語を生み出してみせた作品であります。
それはもちろん、全く異なる二つの世界を巧みに並べ、結びつけてみせたストーリーテリングの妙に依るところも大きいでしょう。しかしそれ以上に大きいのは、その二つの世界に生きる人々、本来であれば決して交わらぬ人々の姿を、その内面も含めて丹念に描いてみせたことであると、今ならばわかります。
ミクロなユートピアを作り上げ、その中で生きる人々を描く人情ものと、マクロな歴史の中で、ある目的のために血で血を洗う戦いを繰り広げる伝奇ものと――全く異なる二つの世界を、決してご都合主義に陥ることなく、結びつけるのはどうすればよいのか?
その一つの答えが、ここにはあります。
そして初読時に、いや今回も呆気にとられた、というより置いてけぼり感すらあった、北斗の拳のようなラストバトルの展開も、むしろその感覚を生み出すことで、この二つの世界の距離を描いてみせたのではないか、というのは牽強付会かもしれませんが……
しかしいずれにせよ、静かな序盤から始まり、徐々に物語がスケールアップする中盤、そして一気呵成に展開する終盤と、波瀾万丈な本作を貫いているのは、これはデビュー時から現在まで変わらない作者の視点であることは間違いありません。
それは、時に対立し、時に孤立し、分かり合うことなくぶつかり合う人間たちの姿であり――そしてそんな中にふと浮かび上がる相互理解の可能性の美しさ、素晴らしさであります。
どれほど深い悲しみや恨みを抱えようと、どれほど(物理的にも精神的にも)異なる世界に暮らそうとも、この世に生きる者同士はわかりあえる、手を取り合うことができる……
字にしてみれば理想主義に過ぎるものを、エンターテイメントの中で、強く実感できるものとして描いてみせる。そんな作者の精神は、伝奇ものと人情ものという二つの世界を交わらせてみせた本作において、特に強く感じられるのであります。
そしてそれが、本作を現在に至るまで色あせることない物語として成立させていることは、言うまでもありません。
『飯綱颪 十六夜長屋日月抄』(仁木英之 徳間文庫) Amazon
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