夢枕獏『陰陽師 女蛇ノ巻』 定番に留まらない怪異と霊異の世界
実に3年ぶりの『陰陽師』シリーズ新刊であります。本書に収録されているのは全12編――いつもと変わらぬ、そして同時にそれぞれ極めてユニークな物語が収められた、楽しい一冊です。
平安の大陰陽師・安倍晴明と、彼の親友で笛の名手・源博雅――このコンビが様々な怪異や霊異に出会う連作も、本書でもう16作目であります。
本シリーズといえば、のんびりと風景を眺めながら酒を楽しんでいた二人のもとに依頼が持ち込まれ、「ゆくか」「ゆこう」そういうことになったのであった――というのが定番ではありますが、本書ではそれを踏まえた作品ももちろん多いものの、それだけに留まらない作品も少なくないのが、一つの特徴と言えるでしょう。
晴明とは敵とも友人ともつかぬ、何ともユニークな立ち位置の蘆屋道満が主人公を務める『狗』『にぎにぎ少納言』や、そのタイトルどおり、むしめずる姫君が主人公となる掌編『露子姫』など、シリーズのサブレギュラーたちが中心となる物語。
あるいは、観相の名手として「今昔物語集」に登場する登照の背負ったものを、少々捻った構成で博雅と晴明が解き明かす『相人』など――このように本書は先に述べた定番に収まらない物語も、様々に含まれているのです。
あるいはその理由の一つは、冒頭に述べた全12編という作品数にあるかもしれません。シリーズのファンであれば気付かれるかと思いますが、この数は、一冊に収められるにはずいぶん多い数字(これまでは9編前後を収録)であり――言い換えれば一作辺りの分量は比較的抑えめということになります。
そのため、定番に依らない(定番を描かない)作品が多いのでは――いや、そんなことを云々するのは、無粋というものでしょう。
大事なのは、こうして描かれた作品の一つ一つが、それぞれ独自の味わいを持って、この『陰陽師』の世界を広げ、そして我々を楽しませてくれるということなのですから。
もちろん、その一方で、本書にはシリーズの定番をきっちり踏まえ、晴明と博雅が恐ろしくも奇怪な怪異に挑む物語も、当然ながら収められております。
その代表格は、『土狼』と『墓穴』の二作でしょうか。前者は、京の夜の闇の中で突如人の片足を食いちぎる謎の獣の正体と、突如人が変じたように凶暴となった貴族を結ぶ因縁を描く物語。そして後者は、近江の野中の墓穴で恐怖の一夜を明かした男が奇怪な症状で倒れたことをきっかけに、この地に潜む魔物の姿が明らかになる物語――と、どちらも定番でありつつも、本シリーズらしいひねりを効かせた内容となっています。
特に『墓穴』は、結末に至り大いに伝奇的な――そしてシリーズファンであればニヤリとさせられる真実が明かされる点も面白く、怪異との対決という点では、本書随一の内容ではないでしょうか。
また、本シリーズの魅力の一つである、どこかすっとぼけた霊異の物語という点では『月を呑む仏』が面白いところであります。
神泉苑に夜毎現れる薬師如来が、水面に映る月を呑み込んで消してしまうという奇怪極まりない怪異もさることながら、その背後のある霊異と「真犯人」の意図が何とも楽しい。
そしてクライマックスに描かれるある光景の突き抜けたスケール感にはただ驚き呆れるほかなく――これもまた、本シリーズの面白さをよく表した物語かと思います。
ちなみに本書は、巻末の一編を除いて全て「オール讀物」に掲載されたものですが、その一編『蝉丸』は、CD+書籍というユニークな形式で発売された『蝉丸 陰陽師の音』に掲載された作品。
内容的にはこれまでシリーズで何度か言及された、蝉丸にまつわるある出来事を描いたものなのですが――これまた『陰陽師』シリーズに欠かせない魅力である「自然」「音」「美」といったものの描写がたっぷり詰まった作品で、何ともたまらないものがあります。
シリーズ開始から実に30年以上を経過した『陰陽師』ですが、まだまだこれほど豊饒な世界を見せてくれるとは――と嬉しくなってしまうような一冊であります。
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