星野之宣『海帝』第3巻 鄭和という不屈の「男」の素顔
明の時代に世界を股にかけた大航海を成し遂げた宦官・鄭和を描く一大ロマンの第3巻であります。この巻で鄭和が訪れるのはジャワ――そしてそこでの冒険は、やがて鄭和の過去を巡る物語に繋がっていくことになります。そう、ここで描かれるのは「鄭和」誕生の物語……
海禁策を取ってきた明において、海の向こうの世界を夢見てきた鄭和。彼の願いは、若き日より仕えてきた永楽帝の命によって、叶えられることとなります。
そして途方もない大船団を率いて出航する鄭和。大胆にもその船内には永楽帝により今なお命を狙われる先帝・建文帝を隠し、波乱含みの船出であります。
出航早々に様々な冒険を経て、今回鄭和が到着したのは爪哇(ジャワ)。そこで彼を出迎えたのは、三つの民――原住民、中国人商人、そして回教徒の商人であります。
しかし貿易の利を求めてすり寄ってきた商人たちを退けたことで彼らの恨みを買い、襲撃を受けることとなった鄭和。その鄭和一行を救ったのは、何と……
というわけで、当時のジャワを巡る特異な状況を描きつつ、思わぬところで作者の作品ではしばしば題材となっている印象もある○○が登場――と、歴史ものの枠では決して終わらない本作。
中国の未来のヴィジョンすら登場するなど、鄭和とある「存在」の対話はいささかやりすぎ感がないでもありませんが、やはりこの辺りのセンスオブワンダーぶりは作者ならでは、とニンマリさせられます。
しかしこのジャワでのエピソードは、ある意味その後の物語に続いていくことになります。先に述べたように、ジャワで回教徒の商人たちと出会った鄭和。彼らは鄭和に笑顔で語りかるのです――同じ信仰を持つ者として。
そう、鄭和は、元は馬和の名で回教徒の家に生まれた人物。これまで幾度も触れられてきたように、色目人の血が流れる彼のルーツは、西方だったのであります。
しかしこれに対して鄭和は、自分は既に信仰を捨てた者と語ります。何故彼は信仰を捨てたのか? いや、そもそも何故彼は宦官に――すなわち男を捨てたのか?
鄭和は部下の回教徒の宦官たち、そして潭太と弖名に対して、自身の過去の物語をここで語ることになるのであります。
雲南省昆陽で、メッカへの巡礼を果たした栄誉を持つ父の子として生まれた鄭和、いや馬和。元々は元が西方から連れてきた色目人の末裔であった彼ら回教徒ですが、しかし明は彼らを弾圧、馬和の村にも明軍が押し寄せることになります。
そして燕王――後の永楽帝によって、父を眼前で殺された馬和。さらに燕王は断種政策として馬和ら子供たちを宦官にするように命じ、さらに馬和には信仰を捨てるように命じるのでした。
そしてさらに、燕王の名によって北方――元残党との戦いの最前線に、兵として送り込まれた馬和。来る日も目の前の敵を――何の関係も恨みもない敵を討つばかりの毎日の中で、彼の心に灯をともした上官の言葉とは、そして彼が見たものとは……
信仰か命か――現代の我々日本人には想像もつかないようなギリギリの狭間に立たされた幼い馬和。彼がそこで何を捨て、何を得たのか――その壮絶な決断こそは、この巻のクライマックスと言っても過言ではないでしょう。
そしてその先も待ち受ける地獄の中で、彼が見たもの。それが後の――本作の、熱く優しく逞しい――鄭和のルーツであることも間違いありません。
それにしても――鄭和が色目人の血を引くことも、一族を明によって滅ぼされ、宦官とされたことも史実であります。しかし本作がその史実を踏まえながらも、その合間の書かれざる歴史を巧みに描くことによって、鄭和という男の素顔を浮き彫りにしてみせるのには、驚かされるばかりです。
もちろんそれはフィクションではありますが――しかしそこにあるものは、人跡未踏の偉業を成し遂げた男の原動力として、見事な説得力を持つのです。
作者の作品には、不屈の精神をもって戦う男がしばしば登場しますが――鄭和もまた、そんな「男」の一人である。この過去編は、そんなことを確認させてくれるのであります。
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