京極夏彦『後巷説百物語』(その二) 繋がった現在と過去、怪事と仕掛け
『巷説百物語』シリーズ第3弾、『後巷説百物語』紹介の第二回であります。今回もまた、過去と現在、虚構と真実が複雑に入り乱れた物語が展開していくこととなります。
『手負蛇』
池袋村の旧家で、鼻つまみ者だった当主の甥が蛇塚の祠に入っていた石函を開け、中に入っていた毒蛇に咬まれて死んだ事件を捜査中の剣之進。しかし祠は数十年にわたって封印され、普通であればその中にいた蛇が生きているはずはありません。
蛇の執念や祟りについて喧々囂々しても埒があかず、一白翁を訪ねた四人は、まさにその祠が作られたその場に翁が居合わせたことを知ることになります。
七十年前、蛇憑き筋ではないかと村人たちから疑われた末、蛇塚で蛇に咬まれて死んだ先々代の当主。それから三十数年後、今度は塚を暴くと言い出した先代とその妻までもが蛇に咬まれて死んだのです。
蛇の祟りの噂に村を訪れた百介によって招かれた又市が、祟りを収めるために塚の上に作ったのが、件の祠だというのですが……
本作で描かれているのは、前話と異なり、現在の事件と過去の怪事が似ている――というのではなく、現在と過去が実際に密接に繋がっているという、さらに凝った構造。数十年前に封印された祠の中の箱に入れられていた蛇による毒殺、というなかなかに魅力的な謎が、きっちりと論理的に解き明かされるのには感心するほかありません。
手負い蛇の伝承を踏まえた謎の設定と解明も見事なのですが、それを助けるのが、真実の蛇と文化としての蛇を題材にした、祟りを生み出すメカニズムというのもまた見事です。
それにしても自分と又市が二人で携わった仕掛けが、明治の今になっても息づいているとは――それは一白翁が喜ぶのももっともと言うべきでしょう
『山男』
三年前、野方村で行方不明となった娘が、子供を連れて帰ってきたという話を持ち込んできた剣之進。娘は山男にさらわれ、子を孕まされたとしか思えない状況ですが、しかし山男とは果たして人なのか獣なのか、はたまた化物なのか?
さらに娘がさらわれた直後に村の男が何者かに殺された件も絡み、例によって古書を紐解きつつ議論を戦わせる四人は、今回も一白翁のもとを訪れることになります。
彼らの問いに対し、自分が遠州秋葉山で出会った事件を語る一白翁。又市と小右衛門と三人で旅をしていた彼は、大店の娘とその夫が山男にさらわれたと聞いて山に入り、そこでさらわれた娘がぼろぼろの姿で現れたのを目撃したのであります。
そして娘を探して山狩りが始まった時、山男の仕業としか思えぬ惨劇が……
これまで本シリーズに登場してきた「妖怪」たちは、怨霊などの亡魂の類や獣の変化、あるいは怪奇現象と呼ぶしかないものまで様々でしたが、本作の山男は、それとは一風異なる存在といえるかもしれません。
冒頭に四人組が議論を戦わせるように、彼らは文化習俗が異なる人なのか、猿や狒々の類の獣なのか、はたまた山の精気が凝った怪なのか?
そんな難しい存在にまつわる物語を描くのに、本作はサンカ等と呼ばれた「山の民」を題材とすることになります。
さすがにこれは剛速球――それもビーンボールすれすれの――という印象もありますが、しかし本作はさらにそこに、長吏等の人々――山の民同様、江戸時代には士農工商の身分の外に置かれた人々をも絡めてみせるのであります。
ここで考えてみれば、又市の一味は皆、人別を外れた無宿人――やはり身分の外の者たちであります。
そんな、今となっては題材としにくい存在を主人公にした、そしてその身分が表向きなくなりながらも、なお形を変えて存在した明治という時代を舞台にした本シリーズだからこそ、本作のような物語を、身分の外に置かれた人々の姿を、説得力を持って描くことができる――そう感じます。
二つの事件の解決自体は容易に想像がつくものの、しかし本作は、この設定でなければ描けないという点では本書のうちでも随一の物語でしょう。
そして、これまで物語の遠景に留まっていた小夜が、妙にクローズアップされることになるのですが――その真実はこの先の物語にて。
すみません、もう一回続きます。
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