京極夏彦『後巷説百物語』(その三) そして百物語の最後に現れたもの
『巷説百物語』シリーズ第三弾の紹介も今回で最終回。物語は思わぬクロスオーバーを見せる中で、山岡百介の百物語はついに大団円を迎えることになります。
『五位の光』
明治政府で要職を歴任した末に引退した由良公房伯爵から、青鷺の怪について訪ねられたという剣之進。天保の頃、信濃で青鷺が変じた光る女性から父に託されたという記憶を持ち、その二十年後に同じ場所で再び青鷺の女と出会ったという伯爵からの問いに弱った四人は、一白翁を訪ね、そこで奇妙な騒動に巻き込まれることになります。
後日、与次郎に対して、天保の一件は自分が又市と関わりを持った最後の仕掛けであったと一白翁は真相を語るのですが……
幼少期の――いやそれだけでなく、青年になった後にも経験した――不思議な記憶という、何ともユニークなテーマを扱った本作。
そしてその背後に潜むのは、本書でも随一の伝奇度を誇る真実であり――それは同時に、江戸時代後期から幕末という時代を映したものであるともいえるでしょう。
(それにしても、今回の仕掛けの相手には度肝を抜かれるわけですが)
しかし何よりも印象に残るのは、やはり本作が、同じ作者の京極堂シリーズと思わぬクロスオーバーを果たしていることでしょう。
そう、今回登場する由良公房伯爵は、言うまでもなく『陰摩羅鬼の瑕』に登場した鳥の館の主人・由良昂允伯爵の先祖であり――昭和に至るまで、鳥に取り憑かれたような人々を輩出した、由良家のルーツがここで描かれるのです。
そしてそれだけでなく、本作は実はもう一つの作品とも密接に関係することになります。
その題名をここで挙げるわけにはいきませんが、それを知った時には「又市さんも罪なお方ですよ」という一白翁の言葉に、心から頷いた次第であります。いやはやまったく!
『風の神』
私塾を開いている公房卿の息子が、弟子たちから「百物語をやり終えると本当に怪異が起こるのか」と訪ねられたことをきっかけに、今度は百物語の作法を訪ねられてしまった剣之進。そこで百物語談義を重ねた四人は、一白翁に百物語の何たるかを尋ねつつ、その実証のために百物語を開くことになるのでした。
しかしその際に、霊験あらたかなある寺の住職を呼ぶこと、そして自分が最初と最後に怪談を語ることを条件とした一白翁。小夜にまつわるある真実を明らかにするため、一白翁が心中密かに固めた覚悟とは……
そして最終話――ついに長きにわたった山岡百介の百物語が、ここに結末を迎えることとなります。
言うまでもなく本書の、本シリーズに冠されているのは「百物語」の語であり、そしてシリーズの第1話「小豆洗い」も、一種の百物語会を舞台とした物語。そんな『巷説百物語』が、百物語を描いてひとまずの結末を迎えるというのは、まことに平仄が合っていると言えるでしょう。
そして本シリーズ――特に本書においては、妖怪や怪異に対する蘊蓄・解釈が大きな要素であり、魅力であったのですが、本作においてはクローズアップされるのは、百物語の持つ意味と機能であります。
虚構と現実を結ぶ場としての百物語、そして結末を迎えないことを許容された場である百物語――この解釈の妙には膝を打ちましたが、さらにそれが百介自身の人生と重ね合わされた時の感動を何と評すべきでしょうか。
前作ラストでの又市との別れ以来、二度と江戸を離れることなく、そして遂に夢であったはずの百物語を開版することがなかった百介。その姿は、開化の中で様々な不思議が失われていく――そして振り返ってみれば、本書に収録された物語のほとんどはそうであったのですが――のと重なり合い、何とも言えぬ寂しさを感じさせます。
そんな百介の最初で最後の仕掛けをもって本書は、百介と又市の物語は、今度こそ本当の終わりを告げるのですが……
しかしそれが決して悲しさだけに終わらないのは、一つには、怪異に向き合う彼の想いが、次の時代にも引き継がれていくことを描いているためでしょう。
しかしそれ以上に、ファンであればただただ涙するしかない、あまりに美しくも暖かい――陽と陰の間で彷徨い、モラトリアムに取り憑かれた者を優しく包み込むよいうな結末によるものであることは言うまでもないでしょう。
百物語を最後まで語れば、怪が現れると申します。そしてこの物語の最後にも怪が現れたのでしょう。かつてと同様に、とかく儘ならぬ憂き世に生きる人を救い、あちらもこちらも双方立ててきた妖怪が……
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