モーリス・ルブラン『三十棺桶島』(その一) 美しき未亡人を待つ伝説の島の恐怖と惨劇
ミステリであると同時に、冒険もの、伝奇ものとしての色彩も強いルパンシリーズ。その中でも本作『三十棺桶島』は、伝奇ホラー度の極めて高い異色作であります。奇怪な伝説に彩られた孤島に、運命のように誘われた美しき未亡人を待つ謎と怪奇とは、そしてその先に待ち受ける恐るべき秘密とは……
かつてポーランド貴族を名乗る男・ボルスキーとの不幸な結婚の末に、事故で父と息子フランソワを失い、今は一人静かに暮らす女性・ベロニック。そして第一次世界大戦中の1917年――偶然見た映画の背景に自分が昔使っていたサインが記されていることに気付いた彼女は、ロケ地であるブルターニュ地方を訪れることになります。
そこで老人の死体と、自分の顔をした女を含めた四人の女が十字架にかけられた絵を発見したベロニック。しかし人を呼んで戻ってきてみれば死体も絵もその場から消え失せていたのであります。
その後も各地に点在するサインを追ううちに、大西洋岸に辿り着いたベロニック。そこで彼女は、死んだと思われていた父と息子が、
「三十棺桶島」の異名を持つ孤島・サレック島で暮らしていることを、父の家政婦・オノリーヌから聞くことになります。
オノリーヌとともに、モーターボートでサレック島に渡ったベロニック。しかし彼女は、心優しく立派に育ったと聞かされていたフランソワが、世にも邪悪な表情で父を射殺するのを目撃しただけでなく、その後もフランソワと彼の家庭教師が、次々と島の人々を虐殺していくのを目の当たりにするのでした。
オノリーヌも命を落とし、三人の老婆とともに島に取り残されたベロニック。しかし老婆も奇怪な最期を遂げた末、何者かに十字架に吊されることになるのでした。
三十棺桶島に残された中世の予言――十四と三の年に四人の女が十字架にかけられ、三十の棺桶を満たす三十の犠牲者が出る、というその通りに引き起こされる惨劇。果たしてベロニックはその最後の犠牲者となるのか。何者がこの惨劇を引き起こしたというのか。そして予言に記された、生かしもすれば殺しもする神の石の秘密とは……
見ただけで心躍るような印象的なタイトルが少なくないルパンシリーズの中でも、群を抜いて異彩を――というより妖気を放つタイトルの本作。
作中ではその由来は、島の回りに船を座礁させる三十の暗礁があり(さらに島にはそれと対応するように三十のドルメンが!)、それがフランス語では「棺桶」に近い音であるため、三十の棺桶の島に転訛した――ともっともらしく説明されるのですが、何はともあれ、もう本作はタイトルの時点で勝利した、と言ってよいのではないでしょうか。
何しろ作中では、その三十の棺桶に合わせるように、主人公であるベロニック含めて三十人の島民が次々と犠牲になっていくという地獄絵図が展開。怪奇性や残酷性が比較的高めのルパンシリーズですが、その中でも特に怪奇度の高い本作は、タイトルに偽りなしとしか言いようがありません。
そして冒頭から全体の約四分の一程度――本作はシリーズの中でも単巻ものとしては最大の規模であり、つまりは中編一本分以上の分量であります――まで、ひたすら怪奇な事件と無惨な殺人が連続し、主人公であるベロニックが追い詰められていく展開には、ただただ圧倒されるほかありません。
そう、本作の主人公はルパンではなく、聡明であり、母としての強さを持ってはいるものの、あくまでもごく普通の女性であるベロニック。
そんな彼女だからこそ、ふとしたきっかけ(それが全く関係のない映画の中に自分のサインが――という、実にホラー的なものなのがまたたまりません)から足を踏み入れた三十棺桶島で、次から次へと遭遇する恐怖が、実に生々しく、そして不可解かつ絶望的に感じられるのであります。
そして物語の中盤頃にようやく謎の一端が明かされ、そして微かな希望が見えるのですが――しかしそれもまた恐怖と絶望の始まりでしかなかった、というのが実にキツくも面白い。
そんな絶望的な物語の中でただ一人――いやただ一匹、彼女の味方として登場する雑種犬「トゥ・バ・ビヤン(万事快調)」が実に無邪気かつ有能で可愛らしく、本作において数少ないムードメーカーとして活躍してくれるのも実に嬉しく、そしてエンターテインメントとしての構成の巧みさを感じさせられるのです。
しかし主人公がベロニックだとすれば、それではルパンは――?
というところで、長くなりましたので、次回に続きます。
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