幹本ヤエ『十十虫は夢を見る』第1-3巻 昭和4年、「お告げ」が切り開く未来の姿
時は昭和初期、本郷の喫茶店「十十虫(てんとうむし)」を舞台に、不思議な能力を持つ旧制高校生とウェイトレスが、悩める人々を助けるために様々な事件に挑む、ミステリ要素強めのユニークな少女漫画であります。
時は昭和4年、東京市本郷區の喫茶「十十虫」に、授業をサボっては入り浸っている高校生・高月英兒。少女と見紛う風貌ながら気は強く、店のウェイトレス・叶美和子とはしょっちゅう喧嘩ばかりしている英兒ですが、そんな彼には常人にはない能力がありました。
それは他人の夢の中に現れては「お告げ」をすること――そしてお告げは百発百中、そのお告げに導かれて十十虫を訪れる客もしばしばという状況であります。
しかし問題は当の英兒には夢の中の記憶が全くないこと。おかげでお告げは彼にとっては迷惑なばかりなのですが――それでもお告げを頼ってきた悩める人々を助けるため、好奇心旺盛な美和子とともに、英兒は今日も奔走することに……
不可思議な能力でもって常人には窺い知れない秘密を知り、事件を解決する――本作は、そんないわゆる超能力探偵ものの一種。そしてその中でも本作が特にユニークなのは、その能力が「お告げ」であること――いわば相手に最初から答えを、あるいはそのヒントを伝えるものであることでしょう。
しかしもちろん、それで全てが解決ということにはなりません。超能力も決して全能ではなく、それを活かして実際に謎を解き、事件を解決まで導くのが探偵の役割――というのが超能力探偵ものの定番であります。
そして本作の場合、まさにそれがお告げに留まるが故に、答えの意味を、あるいは答えに至るまでの道を別に探らなければならない――そこに現実世界での英兒の活躍の余地があります。
何しろ英兒は自分が他人の夢の中で何を考え、何を言ったかを知らない。だからこそ、自分自身の言葉の意味を考え直さないとならない――自分で出した答えを、謎を自分で解かなければならないとは、これほど奇妙な探偵も珍しいのではないでしょうか。
本作はそんな英兒と、彼と反発しながらも行動を共にする怪力少女・美和子が、様々な謎に挑む連作。扱う事件はいわゆる「日常の謎」が多いのですが、しかしその内容はバラエティに富んでいて飽きさせません。
そしてそんな主人公コンビのやりとりだけでも賑やかなところに、サブレギュラーとして八研調査會――さる財団が設立した調査部門、いわばプロの探偵――の食えない男・津吹が絡んで、状況がいよいよややこしくなっていくのもまた愉快なのです。
しかし本作の魅力は、こうした点だけに留まりません。本作の最大の魅力は、そこで描かれる謎、事件の多くが、昭和4年という舞台背景に密接に関わっていくことにこそあると感じられます。
昭和4年といえば、関東大震災から6年後――震災から完全に復興したようでいて、町のあちらこちらに、そして何よりも人の心に、深い傷跡がいまだ残る時期であります。
そんな世界にあって英兒の前に現れる人々の中には、その傷跡に苦しむ者が少なくありません。震災で失ったもの、奪われたものを求めて、人々は英兒のお告げを頼るのです。
そんな物語の中で特に印象に残ったのは、第3巻に収録された前後編「〝あの日〟を見つけて」であります。
ある日十十虫を訪れた、上野の百貨店で評判のマネキンガール・ユキ。震災のショックで記憶と笑顔を失った彼女は、マネキンガールになることが記憶を取り戻すきっかけになると、お告げを受けたというのです。
そして百貨店でのある出来事から、記憶の一片を思い出したユキ。それは震災直後の混乱の最中、自分に銃を向ける父と、それを制止しようとする自分の姿だったのです。
震災の日、津吹が浅草で銃声を聞いていたことから、浅草で何が起きたのかを調べる英兒たち。やがて明らかになったのは……
震災の銃声ということで、厭な史実を想像してしまったエピソードですが、ここで待ち受けるのは、それとは異なったものの、やはり哀しくやり切れない真実(ちなみにそのものではないですが、近い史実はありました)。
しかしそれで終わるのではなく、その先に希望を見せてくれるのがお告げの力であります。その真実は時に痛みを伴うものではありますが――しかし過去に縛られ、現在に留まることなく、未来を切り拓くことの大切さを、このエピソードは強く示してくれるのです。
ユニークな超能力探偵ものでありつつ、同時にこの時代ならではの物語を描く本作。全10巻のこの先の物語については、またいずれご紹介したいと思います。
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