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2019.10.26

長谷川卓『嶽神伝 風花』上巻 山の者と戦国武将、同じ世界に生きる人間として


 武田・今川・徳川・北条・上杉――様々な戦国武将たちと縁を持ちながら、山の者としての生き方を貫いてきた無坂の物語も、第4作の本作にていよいよ完結であります。既に齢70に近くなり、孫たちも活躍する中、いまだ第一線で活躍する無坂は、この上巻では武田と徳川の戦に巻き込まれることに……

 若き日に武田勝頼の祖母に当たる小見の方を救い、以来武田家をはじめとする様々な戦国武将と縁を持つようになった木暮衆の無坂。
 月草、真木備、二ツといった名うての山の者たちとともに、戦国武将配下の忍びたち――武田のかまきり、北条の風魔、上杉の軒猿と、時に戦い、時に助けてきた無坂は、しかし里での名利には見向きもせず、ただ山の者として義を貫いて生きてきました。

 そして本作の物語は1570年(元亀元年)、無坂66歳の時点から始まることとなります。
 今川義元が信長に討たれ、そして川中島で武田と上杉が死闘を繰り広げ――いまだ平穏にはほど遠い関東甲信越と駿河。しかし信長が周囲の諸勢力により包囲され、身動きが取れなくなりつつある中、武田信玄が上洛を窺い始めた頃であります。

 もちろんそんな動きも、無坂にとっては無縁の世界の話にすぎません。小見の方に薬草を届け、旧知の北条幻庵の元で上杉景虎と出会い――と、緊迫する状況と平行して本書の前半で静かに描かれるのは、相変わらずノーサイドに生きる無坂たちの姿なのであります。
 本シリーズは、これまでも山の者と戦国武将と――本来であれば全く交わるはずのない、それぞれ別の世界に生きる人々両方の側から、物語を描いてきましたが、それは本作でも変わりません。

 そのスタイルは、一歩間違えれば、年表の合間に物語が展開していく作品に――表の歴史、実在の有名人たちの間に、無坂たちのように歴史の陰に生きた、無名の人々の存在が埋没してしまうことになりかねません。
 しかし本作が決してそうはならないのは、あくまでもこの両者を対等の存在として――別々の生を送りながらも時に交わる、同じ世界に生きる住人として、つまりは同じ人間として描いているからにほかなりません。

 老いてなお飄々と生きる無坂。その無坂の孫として、懸命に大人たちの世界に足を踏み入れる青地。旅の最中に出会った犬と一時生活を共にする二ツ。かつて亡き妻のために危険な旅路に向かい、今その妻の元に向かおうとするあの男……
 自分自身の人生を淡々と生きる彼らの存在が、並みいる戦国武将たちに負けず劣らず、いやむしろ勝るほどの存在感と魅力でもって感じられるからこその、この『嶽神伝』という物語なのだと、改めて確認させられます。


 しかし本書の後半では、二つの世界が大きく交わることになります。その舞台となるのは二俣城と三方ヶ原――武田と徳川の合戦の場であります。

 先に述べたように上洛を目指す信玄の矢面に立つ形となった家康。信長の援軍も期待できぬ中、家康が窮余の策として選んだのは信玄暗殺――家康はの命を受けた服部半蔵正成の兄・牙牢坊正時と伊賀七人衆は、戦場で信玄を討つべく動き出すことになります。
 一方、それを察知した信玄配下の忍び衆・かまきりは、危険過ぎるために封じられていた「かまりの里」の忍びたちをも招集して鉄桶の陣で臨むことに。そして両者の激突の場となったのが、最前線の二俣城なのです。

 しかしそのまさに二俣城に戦働き(戦場への出稼ぎ)として入っていたのが、二ツや無坂の息子・龍五、そして多十をはじめとする山の者たち。彼らは武田軍に包囲されたこの城に、徳川の兵たちとやむなく籠城する羽目となってしまったのであります。
 それを知り、何とか彼らを救い出そうとする無坂たち。しかしそれは彼らが忍び同士の暗闘に巻き込まれることを意味して……


 山の者の物語であり、戦国武将の物語であると同時に、忍びたちの物語でもある本シリーズ。これまでも様々な忍びたちが、互いに、あるいは無坂たち山の者たちと戦いを繰り広げてきましたが――この後半で繰り広げられる武田vs徳川の忍者バトルは、繰り出される双方の秘術(これがまた丁度よい塩梅の派手さ)も面白く、忍者ファンも満足の激しさと密度であります。

 そしてその中に割って入り、時に伊賀の、時にかまきりの側に立って戦い、それが全く違和感がないのが無坂という男の不思議さなのですが――本作の終盤で描かれる、長きに渡る戦いの一つの結末は、無坂の純粋な生き方の帰結として感動的ですらあります。

 果たして無坂がこの純粋な生き方を貫き通すことができるのか。そしてその生き方が彼をどこに導くのか――それが描かれる下巻も近日中にご紹介いたします。


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