誉田龍一『よろず屋お市 深川事件帖』 駆け出し女探偵、江戸の町をゆく
いま最も気になるレーベルであるハヤカワ時代ミステリ文庫の創刊第一弾の一つである本作は、今までありそうでなかった「江戸版女私立探偵小説」。元岡っ引きの育ての親の跡を継ぎ、たった一人でよろず請負い稼業を始めた娘の姿を描く連作であります。
本作の作者は文庫時代小説で活躍著しい誉田龍一。しかし個人的な話で恐縮ですが、作者のデビュー作であり、第28回小説推理新人賞を受賞した『消えずの行灯 本所七不思議捕物帖』が、若き日の榎本釜次郎を主人公とした、様々な趣向が凝らされたな時代ミステリであったことなどから、私の中では作者とミステリは切っても切れない印象があります。
本作はそんな作者がミステリレーベルで発表した作品となりますが――これが想像以上にユニークな作品であります。
幼い頃、実の両親を何者かに殺されて浮浪していたところを、腕利きの岡っ引き・万七に引き取られたお市。
その後、ある事件をしくじって岡っ引きを辞めることを余儀なくさせられた万七は、「よろず頼みごと ねずみ屋」の看板を掲げ、町の人々が持ち込む様々な事件を解決していたのですが――その万七がある日突然、不審な水死体となって発見されたのであります。
思いもよらぬ万七の死で、再び天涯孤独の身の上となってしまったお市。しかし彼女には、これまで万七が教えてくれた様々な探索の極意と、体術があります。
その二つを武器に、万七が掲げた看板を下ろさぬため、そしていつか万七の死の真相を解き明かすため、お市はただ一人、ねずみ屋を引き継いで奮闘することに……
という基本設定で展開される本作は、全4話構成。
ねずみ屋を引き継いだお市が、娘が駆け落ちしたという父親の依頼で跡を追う「初陣号泣」。密通している妻に師宣の幻の絵を持ち出されたという商人の依頼で密通相手を探る「師宣恋慕」。かつて万七が手札を得ていた同心・仁杉からの依頼で、記憶喪失の娘を預かることになったお市が意外な真相を知る「花嫁乱舞」。万七の死体が見つかったのと同じ場所で、不自然な水死を遂げた男の死因調べを依頼されたお市が、万七の死との繋がりを求めて奮闘する「水死宿命」。
(ある意味)人捜しがメインではありますが、しかし展開される事件・物語はいずれもバラエティに富んだもの。一見あっさりと真相がわかったように見えてもその背後に――という一ひねりの効いたエピソード揃いです。
(もっとも後半2話は、ミステリとしてかなり乱暴な部分もあるのですが……)
そして何よりも印象に残るのは、いずれのエピソードにおいても、その中で描き出されるのは(お市を含め)江戸の社会の陰でなく女性たちの人々であることであります。
もちろん、それをを描く作品は少なくありませんが、しかし本作の最大の独自性は、それを暴きだすのが同じ女性――というだけでなく、私立探偵という点であることは、間違いありません。
古今東西、ミステリの主人公としては定番中の定番である私立探偵。しかしそれが日本の江戸時代を舞台とした場合には、話は変わってきます。
なるほど、捕物帳の主人公である岡っ引きは、その嚆矢である半七が「江戸時代に於ける隠れたシャアロック・ホームズ」と言われているように職業「探偵」ではありますが、それが「私立」であるとは言い難いでしょう。そしてそもそも女性はまずあり得ない。
素人探偵――他の仕事の傍ら探偵役を果たすキャラクターには女性はおりますが、それを職業にしているわけではありません。つまりは、公的身分ではなく、しかしそれを方便として暮らす「私立探偵」は、現代の欧米どころではなく、江戸時代の日本では全く「女には向かない職業」なのであります。
しかし本作は、それに敢えて真っ向から挑んだ作品であります。今述べたような点を如何にクリアして物語として成立させてみせるか――今上げた言葉をタイトルに冠する作品にオマージュを捧げつつ――その難しさに挑みつつ、いかにそれを成立させてみせるか。それが最大の眼目であり、そして本作はそれに成功していると感じます。
それだけでなく、探偵という職業を通じて、本作はまだまだ未熟な19歳の女性が、たった一人で世間に挑み、そして少しずつ成長していく姿を描き出してみせるのです。
もちろんその道は途上であります。本作全体を貫く謎も、未だ解き明かされてはいない状態です。だとすれば――本作にはまだこの先の物語があるのでしょう。
江戸の女私立探偵が、たった一人で如何にして己の道を切り開いて見せるのか。探偵として、一人の人間として――この先のお市の成長を見届けたいものです。
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