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2019.11.03

長谷川卓『嶽神伝 風花』下巻 武田家滅亡、そして無坂のたどり着いた場所


 作中時間で約50年と、長きに渡り描かれてきた山の者・無坂の物語も、いよいよ本書において完結となります。武田家の命運も尽きかける中、若き日に救った諏訪御寮人の母・小見の方を救うため、無坂は人生最後の戦いに挑むことに……

 上洛をうかがう武田家と、その途上の徳川家の間で繰り広げられる激しい戦い。その中で劣勢の家康が逆転の一手として信玄暗殺のために伊賀者を放ったことから、忍び同士の暗闘も繰り広げられることとなります。
 徳川方の籠城に身内が巻き込まれたことから、この戦いに関わることとなった無坂は、武田方、徳川方を問わず、追いつめられた命を救うために奮闘するのですが――もちろん歴史の大きな動きを止めることはできません。

 三方ヶ原の戦いで惨敗を喫した家康を救った無坂。ここで武田の追撃が行われれば家康の命運も尽きたはずですが――しかし病に冒されていた信玄が逝ったことから武田は退却ことになります。
 実質的に信玄の後を継いだのは信玄と諏訪御寮人の子・勝頼。はじめは周囲を快調に討ち平らげていた勝頼ですが、しかし失策と運命の悪戯から長篠の戦いで惨敗。同盟を結んでいた上杉も、謙信が急逝した後の御館の乱で力を失い、櫛の歯が抜けるように勢力を減じていった武田家に、ついに最後の日が訪れることに……


 と、戦国史に少しでも興味がある方であれば常識であろう、信玄亡き後の武田家没落の歴史。この下巻では、その姿が、無坂たちの眼を通じて描かれることとなります。

 これまで様々な戦国武将と浅からぬ縁を持ってきた無坂ですが、そもそもその始まりは、彼が小見の方を救ったことに――すなわち、武田家と縁を持ったことにあります。以来、今川・北条・上杉と縁を持ってきた無坂ですが、しかし様々な意味で、武田は別格であったと言えるでしょう。
 元々、山の者として里の戦には関わらず、ただ求められた時、巻き込まれた時のみ戦ってきた無坂。しかし、「一度助けた命は最後まで見守らなくてはならない」という山の者の掟が、彼と武田を――小見の方を強く結びつけていたのであります。

 それゆえに、もはや70を越してもなお、武田家の行く末を気にかけ続ける無坂。小見の方にとっては孫に当たる勝頼のことを気にかけて向かった長篠では武田家の惨敗を目撃、敗走する勝頼を追ってから助けたものの、無坂はなおも武田家と関わろうとするのであります。(といいつつ、その後、北条幻庵の依頼で、彼の子である上杉景虎を救い出すべく越後に向かうというのもまた彼らしい)

 しかしもはや戦いの趨勢は明らかな中、武田家と関わるということは、命を賭ける、いや捨てるとほぼ同義と言えます。それでもなお、小見の方を守るため、無坂はただ一人高遠城に足を運ぶのであります。


 これまで『嶽神伝』という物語の両軸として存在していた、山の者の物語と戦国武将の物語。無坂の存在によって時に結びついてきたこの両者ですが、しかしそれはあくまでも一時のこと。時が来れば無坂は山に帰り、両者は再び別の世界に分かれてきました。
 しかし本作の結末において、その両者は――無坂にとっては――決して分かたれないものとして結びつくこととなります。

 それが何を意味するか、それをここで述べる必要はないでしょう。しかしここに至り、これまで幾度となく敵として対峙し、命のやり取りをしてきた武田の忍び・かまきりたちと無坂が肩を並べて戦ったことは、無坂が歩いてきた道のりがどこにたどり着いたかを示すものであると――そう述べることは許されるでしょう。
 そしてそれもまた、「嶽神」の現れの一つであると。

 それにしても、本作、特にこの下巻においては、様々な命の終わりが描かれてきました。信玄、信虎、謙信、景虎――こうした戦国武将たちのみならず、平穏に生きてきた山の者まで。
 そのいずれが良き終わりで、いずれが空しき終わりと感じるのは傲慢に過ぎるかと思いますが――しかし叶うならば山の者たちのような結末を迎えたいと、そう感じさせられてしまうのが、本作の力というものでしょう。(個人的にはコメディリリーフ的存在だったあのキャラクターの最後に強く強く胸を打たれました)


 しかし、もちろん命はこの先も繋がっていきます。二ツが、多十が、龍五が、青地が――山の者たちの生は、物語は、まだまだ続いていくのであります。そしてその中で、新たな嶽神も生まれることでしょう。
 その時を目撃できることを楽しみとして、今は本を閉じることとしましょう。


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嶽神伝 風花 (下) (講談社文庫)


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