京極夏彦『西巷説百物語』(その二) 過去の真実、人の想いの真実
『巷説百物語』第5弾、『西巷説百物語』の紹介の第2回であります。シリーズの懐かしいキャラクターたちも顔を出し、物語は盛り上がっていきます。
『鍛冶が嬶』
又市に紹介されて一文字屋を訪ねてきた土佐の刀鍛治・助四郎。孤独に刀を打ってきた助四郎は、妻の八重との出会いで変わり、今は幸せに満ちた暮らしを送っていたのですが――その八重が別人のように冷たくなったというのであります。
自分の家に伝わる伝説のように、妻の中身が狼に変わってしまったのではないかと考えている助四郎。その背後を探った林蔵が知った真実とは……
前2話を読めば、大体の構成というものがわかってくる本書。しかしそこで登場する本作は、思わぬ変化球を投じてきたと言えます。これまでであれば助四郎が――のはずが、本作においては彼が依頼人なのですから。
果たしてこれは一体――と思えばその真相はかなりの豪腕なのですが、しかし林蔵と助四郎との対話の中で違和感が少しずつクローズアップされていき、そして真実が一気に明かされる展開は、ある種ホラー小説的な呼吸であり、強烈なインパクトがあります。
また、本作において又市の存在が言及されることで、本書の時間軸が『巷説百物語』『続巷説百物語』とほぼ同時期であることが明らかになるのは、ファンとしては嬉しいところであります。
『夜楽屋』
人形浄瑠璃一座の楽屋で夜な夜な塩谷判官と高師直の人形が争っている――その噂を裏付けるように起きた、二代目藤本豊二郎が使う塩谷判官の人形の首が割れるという怪事。
楽屋に出入りしていた林蔵は、豊二郎にかつて江戸で評判を取った人形師・小右衛門を紹介、一目で人形の古い傷を見抜き、一日で直してみせるという小右衛門に、豊二郎は修復を依頼するのでした。
実は8年前にも同様に人形争いが起こり、先代豊二郎が何者かに殺され、その下手人として疑われた先代・米倉巳之吉が自害していた一座。そして今、それぞれの二代目が主遣いを務める芝居の幕が開くことに……
操り人形に魂が宿り、夜な夜な楽屋で合戦を繰り広げる――そんな奇怪な伝承を題材とした本作。私も人形浄瑠璃が好きなのですが、人形ごとに三人の黒子が後ろにつき、頭を操る者は素面というスタイルながら、物語が始まればそれが全く気にならず、人形しか目に入らなくなるという経験は何度もあるので、この怪談には頷けるものがあります。
そしてもう一つ頷けるのは、本作のメインキャラである豊二郎の人形に懸ける想い。苦難に満ちた子供時代から自分の人生に対してある感情を抱くようになり、それと裏返しの形で人形遣いに情念を込めるというのは、特異ではあるものの、しかし上に述べたような人形浄瑠璃がある種の逆転を実際に感じさせることを思えば、納得できるのです。
そんな中で林蔵(というか小右衛門)による仕掛けも面白く、もの悲しい結末も含めて、本書で個人的に一番印象に残った作品です。
『溝出』
十年前に疫病が流行し、役人により封鎖された末、地獄と化した美曾我の村々。しかしそこに舞い戻った元侠客の寛三郎が、たった一人で村に転がる屍を運んで山で焼き、生き残った人間たちを世話したことで、辛うじて美曾我の人々は命を長らえたのでした。
以来、鬼とも地獄の獄卒とも呼ばれながらも美曾我の顔役として暮らす寛三郎ですが、そこに聞こえてきたのは、死体が燃やされた野原で二人の幽霊が出没するという噂。無数の人間が死んだ中でただ二人、それも今になって何故幽霊が出るのか……
前回も述べたように、現在に起きる怪事を通じて、過去の事件の真相が――という展開は共通している本書のエピソード。しかしその中でも本作で描かれるのは、無数の人が死んでいるものの、しかし事件性があるとは到底思えない過去の出来事であります。
一体これをどのように決着してみせるのだろう――と思いきや、ある意味ミステリの基本中の基本を踏まえた展開になるほど! と膝を打つのですが、しかし残念なのはその先に描かれるもう一つの真実。
さすがにこれは無理があるのでは――という部分の説明を丸々スルーされるのは悪い意味で驚きで、完成度という点ではシリーズワーストではないか、と残念ながらに感じた次第です。
もう一回続きます(全三回)。
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