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2020.02.15

鬼頭えん『地獄の釜の蓋を開けろ マビノギオン偽典』


 処刑された娼婦イーニッドを埋葬したためにリンチを受けた墓掘り人の少年・グウィン。しかし彼の血が流された時、そこから「再生の大釜」を自称する少女・アイラが現れる。アイラの力でイーニッドを復活させるグウィンだが、その力を求める者、力に溺れる者たちの思惑により、事態は思わぬ方向へ……

 12世紀末のイングランドを舞台に、伝説の再生の大釜を巡る人々の様々な思惑が入り乱れる奇譚――悍ましく、苦く、もの悲しく、しかしそれだけで終わらない漫画であります。
 副題となっている「マビノギオン」とは、ウェールズの神話・伝説を集めた物語集。そして再生の大釜は、いわゆるマビノギ四枝と言われる説話の一つに登場する、死者を甦らせるマジックアイテムであり――本作はこれを中心として展開していくことになります。

 本作の舞台となるのはイングランドの片田舎・アーチャーフィールドの町。そこで墓掘り人として暮らす少年グウィンは、死穢を背負うと忌み嫌われる墓掘り人である上、異教徒の子ということで町の人々からは激しい差別を受ける存在であります。
 しかし自らの稼業に高い矜持を持つ彼は、客を殺して処刑され、亡骸は晒し者となった娼婦のイーニッドを埋葬するのですが――それをきっかけに、再生の大釜を自称する少女・アイラが彼の前に現れることになります。

 自分を王子様と呼んでまとわりつく無邪気な、そして幼いアイラの言動に戸惑うグウィンですが、しかし自分の傷を治したアイラに本物の再生の力があることを知った彼は、イーニッドの再生をアイラに願うのでした。
 その願いは通じ、死が嘘であったかのように平然と生き返ったイーニッド。その「奇跡」によって、聖女と呼ばれるようになった彼女を支えるため、グウィンはアイラの力で密かに周囲の人々を癒していくのですが……

 しかしアイラの力の真実を知ってしまったイーニッドが暴走、さらにグウィンはじめ異教徒を敵視する町の破落戸ドブソンが、グウィンを何かと気にかける領主の一族出身の修道士ユージーン、そして何故か再生の大釜の存在を知る副院長ウィリアムが、それぞれの思惑を持って動き出すことになります。
 かつてグウィンだけが唯一生き残ったユダヤ人虐殺事件とは、その現場となった領主の屋敷に一人住む女は何を知るのか。そしてアイラは、再生の大釜とは何者なのか、そしてグウィンと大釜の関係とは……


 偏ったイメージを持つことは慎むべきですが、しかしどうしても暗黒時代という印象が強い中世ヨーロッパ。そして本作はその印象を裏付けるかのように、中世の、いや人間社会の暗部というものを、これでもかとばかりに剔抉してみせることになります。
 差別、暴力、姦淫、裏切り、殺人――弱者であっても容赦なく、いや弱者こそ激しくその闇に晒される様の連続には、胸が重く鬱がれるものがあります。

 そもそもグウィンからして上で述べたような激しい差別を受ける存在であり――それでも逞しく生きるバイタリティを持っているものの、ユダヤ人たちが町の人々によって焼き殺される時に自分も焼かれかけ、ただ一人生き残ったという大きすぎるトラウマまで描かれては、さすがに言葉を失います。
 しかしそんな人々がいるからこそ、再生の大釜の力が、大きな輝きを――ただし昏い光でもって――放つことになります。人が容易く傷つき、命を奪われる世界にあって、如何なる傷も――死すらも癒してしまう力があるとすれば。そしてそれを自分が手に出来たら。

 グウィンとならぶ被差別者であるイーニッドがこの力によって復活し、あまつさえ聖女と呼ばれてしまう――この途方もない皮肉を何と評すべきか。そしてその力を手にした者の暴走を、否定することはできるのか――闇が大きいからこそはそこから抜け出そうとする人々の姿は、一層強く印象に残るのです。
 そしてある意味最大の闇ともいうべき再生の大釜の正体もまた。

 しかし本作は圧倒的な負の世界を描きながらも、それだけで終わらない――終わろうとしない、小さな人々の営みをも同時に描き出します。それは本当にちっぽけなあがきかもしれない。それでも――大釜の真の姿を前にグウィンが取った行動、そしてそんな彼に触れた人々の姿を見れば、そんな小さな輝きを信じたくなるのであります。それが「次」であったとしても……


 正直なところ、元々特異な題材の上に、第1巻の時点では物語の方向性が全くわからないこともあり、人を選ぶ作品ではあります。しかしそれだからこそ、物語が進むにつれて、あたかも散らばった破片が集まり、穴を塞いでいくかのように物語の全体像が浮かび上がる様は、得難いものがあると感じます。

 全3巻、ぜひ一気に読んでいただきたい物語であります。


『地獄の釜の蓋を開けろ マビノギオン偽典』(鬼頭えん 角川コミックス・エース全3巻) 第1巻 / 第2巻 / 第3巻
地獄の釜の蓋を開けろ~マビノギオン偽典~(1) (角川コミックス・エース)地獄の釜の蓋を開けろ~マビノギオン偽典~(2) (角川コミックス・エース)地獄の釜の蓋を開けろ~マビノギオン偽典~(3) (角川コミックス・エース)

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