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2020.02.04

渡辺仙州『天邪鬼な皇子と唐の黒猫』 人間の歴史を見つめる黒猫の瞳


 歴史好き兼猫好きの間では、妙に有名人である宇多天皇。本作はその宇田天皇と彼の黒猫の物語という何とも興味深い物語ですが――この黒猫、人語を解する上に、とんでもない過去(?)を持つ猫なのです。本作はそんな一人と一匹が繰り広げる騒動を描いた、実にユニークな歴史物語であります。

 その知恵と技でもって、唐の蘇州の猫たちの上に君臨し、「覇王」の異名をとった黒猫。しかし一生ぐうたら生活をすることが目標だった彼は、油断から人間に捕らわれ、はるばる日本に売り飛ばされてしまうのでした。
 その果てに時の光孝天皇に献上された猫は、さらにその第七皇子・定省に下げ渡されて、「クロ」と直球な名前をつけられて飼われることになるのですが――しかし定省は「猫なんて好きじゃない。父に言われたから仕方なく飼っているだけ」などという始末であります。

 それでも毎日乳粥をもらい、念願のぐうたら生活を手に入れたかと思ったクロですが、しかし京を根城にする野良猫や権力者の飼い猫たちの勢力争いに巻き込まれることになります。
 一方定省の方も、一度は帝の奇策によって逃れたものの、宮中での権力闘争に巻き込まれて四苦八苦。帝を思うままに操る権力者である藤原基経と対立し、窮地に陥ることになるのでした。

 ぐうたらな暮らしを愛しつつも、ある出来事がきっかけで一人くらいは人助けしようと誓っていたクロは、定省を救うために奮闘するのですが……


 冒頭に述べたように、その名を挙げれば、「ああ猫好きの」と言われることが多い宇多天皇=定省。

 何しろ、天皇自身の日記という、これ以上はないというくらいの記録に残されているのですから仕方のない話ですが――しかし同時に、一度臣籍降下して皇位の継承権を失っていたり、即位早々に藤原基経と対立して苦境に陥ったり、そしてその後、菅原道真を登用して寛平の治と呼ばれる改革を行うなど、決して猫好きだけの帝ではありません。
 本作はそんな宇多天皇の即位前後の時代を、コミカルかつドラマチックに、そしてどこか暢気に描いた物語であります。

 もちろんそこで描かれるのは本作なりにアレンジされたものではありますが――しかし描かれる様々な人物や出来事についてはもちろん史実をきっちり押さえたものであることは言うまでもありません。
 作者は元々中国歴史ものの児童文学で知られていますが、そちらでも見られるように物語自体の面白さはもちろんのこと、史実を知っていればいるほどニヤリとできる楽しさが、本作には横溢しているのです。
(例えば本作で言えば、定省の妻の一人で和歌好きの胤子が、自分の子に勅撰和歌集を作らせるのだと闘志を燃やすくだりなど)


 そんな本作ですが、しかし最大の特長が、もちろんクロの存在であることは言うまでもありません。何しろ本作はクロの視点から、クロの一人称で描かれているのですから。

 こうした動物視点の物語というのは――そして動物が人間同様の社会を築いている物語というのは、児童文学の世界では珍しくはありません。それは一つには、動物というフィルターを通すことによって、人間という存在を客観視し、そして人間社会をデフォルメできるという点によるのでしょう。
 その視点は、本作のような歴史物語において、さらに効果を持つように感じられます。一歩間違えれば無味乾燥な史実の羅列か、あるいは読者にとっては無縁の異世界の物語になりかねないものを、より魅力的に、身近なものとして感じさせるために。

 そして本作は、その効果を最大限に発揮しているといえるでしょう。複雑怪奇な政治模様を繰り広げる過去の人間たちの世界を、個性的な猫たちの目から描くことで、その馬鹿馬鹿しさを、そして懸命さを本作は浮かび上がらせるのですから。
 そしてそれと同時に、人間と猫の不思議で強い――そして言葉は通じなくとも、猫好きであれば誰もが知っている――絆の姿もまた。

 本作を読んだ後には、あの宇多天皇の日記の文章もまた違った意味合いを持って感じられる――そんな素敵な一冊です。


 ちなみに本作のクロには、ちょっと驚くような秘密があります。
 どうもクロは、何故か歌を聞かされるのが嫌だったり、股くぐりの話を聞くと腹が立つようなのですが――まさか、と思うようなこの秘密は一種のファンサービス(?)のようなものではありますが、しかしなかなかすっとぼけた味わいで何とも愉快であります。


『天邪鬼な皇子と唐の黒猫』(渡辺仙州 ポプラ社TEENS’ ENTERTAINMENT) Amazon
天邪鬼な皇子と唐の黒猫 (TEENS’ ENTERTAINMENT)

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