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2020.02.21

川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第14巻 龍の両翼の戦い始まる


 項羽と劉邦の争い――楚漢戦争も開戦前夜となった『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』。遂に仕えるべき相手を見つけた韓信と、仕えるべき相手を失った張良――龍の両翼が、いよいよその力を見せることになります。

 鴻門の会の窮地を辛うじて逃れ、漢中に引きこもることで項羽の疑いの目を避けることとなった劉邦。その彼に韓信という特大の贈り物を残して去っていった張良ですが――彼をを危険視する范增の策が元で、主君たる韓王成が、項羽の手によって命を落とすという悲劇に見舞われることになります。

 かくて今初めて項羽の敵に回ることとなった張良ですが(と、ここで楚の将・龍且が窮奇に互するほどの戦闘力を持つ強敵として登場するのが楽しい)その一方、漢中では張良が大将軍に任じられることになります。
 といっても、いくら本作では蕭何だけでなく、張良の取りなしがあったとはいえ、やはり今まで一兵卒だった人間をいきなり大将軍に任じてしまうというのは、いかに器の大きい劉邦といっても、さすがに無茶に感じるのですが……

 しかし本作では、その一兵卒だったという!点を踏まえ、張良を兵の心がわかる将――いや、兵の心として彼らを手足の如く操ってみせる将として描くのが、実に見事なアレンジといえるでしょう。今まで全く活躍がなく、さすがに過大評価では――と思っていたのが、終わってみれば、こちらも劉邦軍の他の将のような眼差しになってしまう、そんな見事な初陣の描写に脱帽であります。

 そしてここに范增の心理の裏の裏をかいた奇策を見せる張良が加われば、向かうところ敵なし。かつて項羽相手に善戦した章邯も手玉に取られた末、全く良いところなしに敗れるのは、もはや気の毒としか言いようがありません。
 これまで何となく冴えない風貌だった韓信が、いきなり格好良く見えてしまう(いやまあそのように描いているのですが)のも、我ながら調子の良い話ですが、しかしこの活躍を見れば無理もないことでしょう。張良と並び、まさに龍の両翼というべき英雄の誕生であります。


 さて、史実ではこの辺りは韓信がその国士無双ぶりを発揮した、まさに韓信無双というべき活躍を見せていたわけですが――しかしその隙間を巧みに埋めてみせるのが、本作の本作たる所以であります。そして隙間を埋めるのが誰か、というのは言うまでもないことでしょう。
 韓信を戦闘に劉邦が快進撃を続ける一方で、一端本隊を離れる張良たち。姫信らわずか千名を率いて彼が向かう先は、韓――そう、韓王成から奪い取られ、彼亡き後には項羽配下の将が治めるこの地を再び奪還すべく、張良は動いたのであります。

 如何に奇策をよくする彼であっても、寡兵でもって一国を、それも短期間に奪取するのは難しいのでは――とは、本作の読者であれば決して思わないでしょう。何故ならこの戦いは、韓王成への手向けの戦なのですから。
 冒頭に触れたとおり、張良を羽ばたかせるために、その身を擲った韓王成。その姿は、幾多の勇将豪傑が登場する本作の中でも屈指の散り際であったというほかありませんが――ちなみにこの巻の冒頭、張良の前で号泣する劉邦の姿に思わずもらい涙――それを受けた張良が、生半可な覚悟で動くはずはないのであります。

 そしてその通りに見事な勝利を収める張良ですが――泣かせるのはその勝利をもたらしたのが張良の力だけではないことが示されることでしょう。もちろんそれをまとめた張良の手腕であったとしても、その根底にあるのは故地への想い――どんな平凡な人間の中にもあるその思いであったことが、胸を熱くさせるのです。
 そしてそれをかき立てるきっかけとなったのが、成の存在であったことも。


 この巻のあとがきでも語られているように、ここで韓を再奪還したのが張良なのか姫信(後の韓王信)なのか、史実では若干わかりにくいのですが――その隙間を巧みに埋める、いやその隙間を巧みに活かして胸を熱くさせるドラマを描いてみせる様は、これまで同様、本作の魅力と言うべきでしょう。
 我々が歴史(史実)だけでなく歴史ドラマを愛する理由がここにある――というのは少々大げさに聞こえるかもしれませんが、偽らざる心境であります。

 そしてその両翼と愚の龍が、この先何を見せてくれるのか――史実を知っていても、いやそれだからこそ楽しめる歴史ドラマです。


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