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2020.02.06

島田荘司『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』 パロディとパスティーシュが生み出すハーモニー


 先日漫画版第1巻が発売された『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』。原作はなにぶん1984年の作品ということで相当記憶が薄れていたこともあり、今回再読してみました。あの夏目漱石があのシャーロック・ホームズと出会う趣向の本作、しかしそれだけでは収まらない名作です。

 20世紀初頭のロンドン――日本から留学してきた夏目漱石は、下宿で夜毎自「幽霊」の声に脅かされ、ノイローゼ寸前となった末に、シャーロック・ホームズのもとを訪れることになります。
 この漱石の相談をほとんど一笑に付して帰したホームズですが、その直後に現れたメアリー・リンキイと名乗る婦人は、彼に奇怪な出来事を語るのでした。

 早くに夫に先立たれ、未亡人となった末に、生き別れの弟・キングスレイを捜し出して一緒に住むことになったメアリー。しかしキングスレイは徐々に異常な行動を取るようになり、実は自分は中国人にミイラの呪いをかけられていると語ったというのです。
 その場はメアリーを帰らせたホームズ。しかしその翌々日、レストレイド警部から、キングスレイがミイラと化して死んだとの連絡が入ったではありませんか!

 内側から釘付けにされたキングスレイの部屋から出火し、しかも本人はミイラとなって発見されたというこの事件には、さすがのホームズも困惑気味。そして再びホームズのもとを訪れた漱石は、ミイラの喉から発見されたという日本語めいた文字が記された紙片を見せられるのですが……


 言うまでもなく誰もが知る名探偵シャーロック・ホームズと、日本を代表する作家である夏目漱石――この二人が競演する作品は、本作を含め少なくとも3作品ありますが、それだけ人気の取り合わせと言えるでしょう。
 もちろん漱石は探偵ではありませんが、鋭い人間観察が探偵の条件であるとすれば、漱石も探偵の資格は十分であって――これらの競演作品では、漱石はホームズと互角以上の推理の冴えを見せることになります。

 そして本作もそんな作品の一つ、のはずなのですが――しかし本作には強烈な一つの特徴があります。それは本作が漱石とワトスン、二人の語り手によって、一つの事件を二つの角度から描くことであり――そしてその角度が猛烈に離れていることであります。
 ワトスンの語るホームズは我々の良く知るホームズなのに対して、漱石の目から見たホームズは、ほとんどコカイン中毒の異常者。見当違いの推理を連発した挙げ句、間違いを指摘されると激昂して襲いかかってくるという、ほとんど狂人なのであります。

 もちろんそれには漱石が初対面でホームズにからかわれて悪印象を持っていたため、というエクスキューズがあるのですが、この振れ幅の大きさにはさすがに唖然とさせられるものがあります。


 しかし考えてみれば、自信満々で繰り出した推理が完全に明後日の方を向いているというのは、ホームズパロディでは定番中の定番(ホームズが薬中というのもパロディではアリ、でしょう)。
 そして本作のワトスン側が、よくできたパスティーシュであることを思えば――本作はパロディとパスティーシュという二つの要素を合わせ持った、ユニークかつ贅沢な作品であると言えるのではないでしょうか。

 さらにまた面白いのは、物語が進んでいくにつれて――漱石のホームズへの印象が変わっていくにつれて、漱石とワトスン、両者の描く物語が、段々と見分けがつかなくなっていくことであります。
 そしてその両者が重なり合うとき――物語の結末において、我々は世にも美しい友情の姿を見ることになります。私はそこまでホームズものを読んでいるわけではありませんが、少なくともこの結末は、ホームズものの中でも屈指の爽快なものである――そう言えるほどのものを。

 そしてこの味わいは、当初あまりにかけ離れていた二人の語り手による物語の距離があったからこそ生まれるものであることは間違いありません。
 その一種豪快なトリックの面白さはもちろんのこと、その構成のユニークさ、そしてそこから生み出される見事なハーモニーに驚かされる本作。さすがは――と言いたくなる名作であります。


 ちなみに私が今回読んだのは10年ほど前に刊行された完全改訂総ルビ版なのですが――作者の特別エッセイが素晴らしい。
 若い読者を想定した総ルビ版にふさわしく、作者自身のミステリとの出会いと、読者たちへのミステリ執筆への誘いが描かれたこのエッセイ、ミステリへの愛に満ちあふれた内容で、必読であります。


『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』(島田荘司 光文社文庫) Amazon
漱石と倫敦ミイラ殺人事件 (光文社文庫)


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