三好昌子『狂花一輪 京に消えた絵師』 黒白の濃淡が描く色鮮やかな人と世界
生まれつき色の認識ができない青年武士・木島龍吾は、ある日先代藩主から、赤子の自分を置いて出奔した父が自分同様の目を持っていたこと、京で絵師となっていたことを聞かされる。贋作事件を起こして行方不明となったという父を探すように命じられた龍吾は、京に向かい、父の弟子たちと会うが……
デビュー以来、京を舞台としたミステリアスな物語、特に絵画にまつわる物語を多く描いてきた作者が描く本作は、やはり京と絵師(特に後者)を中心に据えた作品です。
作者の作品においてはもう一つ、人の情の絡み合う様が色濃く描かれているのですが、本作は父と子の情が中心に、人と人と間に生まれる様々な情が描かれる点が特徴と言えるでしょう。
そんな本作の主人公・龍吾は、福知山藩で右筆を務める青年武士であります。周囲からは寡黙で付き合い難い人間と思われている彼も、想い合って結ばれた妻と仲睦まじく暮らしていたのですが――しかしその妻はいまや気鬱となり、離縁も目前の状況。そしてそんな彼の性格も妻のことも、彼が抱えた秘密に因るものだったのです。
実は生まれつき色が識別できない――濃淡のみがある白黒の世界で暮らしてきた龍吾。自分を生んだ時に母が身罷り、父・兵庫も姿を消したため叔父夫婦に育てられてきた彼は、その目のことを隠して生きるように教えられてきたのであります。
そんなある日、先代藩主に呼び出された龍吾は、その目のことを先代が知っていることを知ることになります。そして何よりも父が藩を出奔した後のことも。
藩を出た後、絵師「浮島狂花」として一時は京で評判になったという兵庫。しかし贋作事件を引き起こし、京を追放された彼の名は人々から忘れられ、その消息も不明だと言うのです。
絵を通じて兵庫と強く結びついていた先代は、自分の隠居所の襖に極楽浄土の絵を描くと約束していた彼を探し出すように、龍吾に命じるのでした。
かくて京に向かうことになった龍吾ですが、父は自分にとっては顔も知らない――そればかり赤子の頃に捨てられたも同然の存在。屈託を抱えながら父の跡を辿る彼は、浮島狂花に五人の弟子と、一人の養女がいたことを知ることになります。彼らを訪ねる龍吾ですが、当然ながら皆その口は重く……
ファンタジー的な要素の多い作者の作品には珍しく、ある要素を除いては、地に足のついた物語が淡々と描かれる本作。しかしそれはもちろん、本作が地味とか退屈ということを意味するものでは全くありません。
京で龍吾が出会う人々――父の元弟子たちと養女をはじめとする人々は、龍吾同様、それぞれに屈託を抱えた人々であり、そしてそれでもなお、それを胸に抱えて己の人生を生きる人々であります。
自らの秘密がきっかけで妻との絆を失いかけていた龍吾にとって、彼らとの出会いが、交流がもたらすもの――それはもちろん、姿を消した父の人となりであり、生き様であることは間違いありません。
龍吾にとっては、そしてもちろん読者にとっても謎の存在である「浮島狂花」。その姿がやがてはっきりと浮かび上がっていく様は、静かではありながら、非常にエキサイティングに感じられます。
贋作事件の真実も含め、この辺りの展開は一種ミステリめいた面白さがあり、それだこれけでも十分に魅力的なのですが、しかし本作はそれだけに留まりません。
龍吾の、そして弟子たちの前から突然、何も告げずに姿を消した浮島狂花が、木島兵庫が真に何を考えていたのかが明らかになる時――そこに現れるのは、彼の人となりであると同時に、彼が周囲の人々に向けた眼差しであります。そしてそれが龍吾の、残された人々を変えていくのが、実に胸に迫るのであります。
さらにそんな兵庫の眼差しが、彼らだけに向けられていただけではないことが分かるとき――そしてそこで龍吾と父の見てきたものが思わぬ形で重なることが明らかになるとき、物語は一気に豊かな色彩を帯びて我々に迫ることになります。
人間とは、世界とは何なのか――いささか大げさに聞こえるかもしれませんが、それまでも包み込み、描いてみせる本作の深みと広がりには脱帽するほかありません。
黒白の濃淡だけで表される水墨画が、決して極彩色の絵に劣ることなく、克明に世界を描くように、静かな中に深く、そして暖かさを感じさせる物語を描いてみせた本作。
人の情と絵画を以て豊かな世界を作り上げる――作者でなければ描けない佳品であります。
『狂花一輪 京に消えた絵師』(三好昌子 宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ) Amazon
| 固定リンク