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2020.02.29

おおぎやなぎちか『オオカミのお札 一 カヨが聞いた声』 少女の願いと、人と神の在り方


 カヨの村で疱瘡が流行し、器量良しで知られた妹のナツまでも倒れた。妹のために裏山の祠に祀られる大神様に詣で、お札を持ち帰ったその晩、大神様が疱瘡神と戦う姿を目撃するカヨ。その翌日、回復したナツだが、カヨにはもう一つ、大神様に願ったことがあった……

 正面から見たオオカミの顔と、オオカミの横顔を描いたお札をあしらった表紙のデザインが強く印象に残る、第42回児童文芸家協会賞受賞の三部作――江戸時代・戦時下・現代と時代を移しながら描かれる『オオカミのお札』の第一部であります。
 その本作の舞台となる江戸時代は、その中でもかなり時代の下った幕末とはいえ、まだまだ暮らしの中に神仏の存在が根を下ろし、そして人々がそれに縋りながら生きてきた時代。そんな中で、人と神の在り方の物語が描かれていくことになります。

 本作の主人公であるカヨは、村の人々が次々と疱瘡に倒れていく中、妹のナツのために裏山の大神、すなわちオオカミ様に祈るのですが――家の中でただ一人、大神様の声としか思えぬ声を聞き、そして大神様が何者かと戦う姿を目撃したカヨ。
 そして彼女が願ったとおり、妹を襲った疱瘡は追い払われたのですが、しかし病魔は置き土産を残していったのです。カヨの密かな、誰にも言えぬ願いの通り……

 幼い頃から器量良しで評判だったナツ。それとは対照的にあか抜けないカヨは、いつも妹の陰で割を食わされ、屈託を抱えてきた――とすれば、カヨのもう一つの願いは想像がつきます。
 しかしいざそれが現実のものとなったとすれば、自分の眼前に突きつけられたとすれば――まだ子供であるカヨの身にどれだけの衝撃を与えるかもまた、想像に難くないでしょう。

 大神様と疱瘡神が戦うところまでは一種の民話めいた物語として感じられた本作。しかしその先、カヨのもう一つの願いが明かされた時、物語はその超自然的な衣を脱ぎ捨て、その下の生々しい人の感情――まぎれもない我々のそれと地続きの現実を突きつけてくるのであります。


 神や超越者に祈ることで願いを叶えるも、そのために大きな代償を支払うことになる。そんなファンタジーは、それこそ枚挙の暇がありません。そして本作もやはりカヨが大神様の神通力の前にその代償を支払うことになるのか、というこちらの予想は、しかし外れることになります。
 あるいはカヨに大神様の天罰が下るのであれば、ある意味すっきりするのかもしれません。それは疱瘡神同様、人知を超えた存在が下す、人間ではどうにもならない審判なのですから。

 しかしカヨに罰を下すのは神ではありません。自責の念という形その罰を下すのは彼女自身であり――だからこそ逃げ場はないのであります。そしてそんな事態を招いたカヨの想いは、それこそ子供じみたつまらないものであって――誰もが似たような経験があるからこそ、より一層恐ろしく、そして身近なものとして感じられるのではないでしょうか。

 そんな恐ろしさを描きながらも、本作はその先を――人の心が生み出した罪と罰に対して、同時に人の心が生み出す赦しと救いを描いてみせます。
 それはあるいは、人を救うのは神ではないという意味に見えてしまうかもしれません。しかし本作は、そこに人の存在に対する神の意味を同時に示してみせるのです。人に力を与えあるいは罰する超越者とは異なる神、人といつまでも共にあり、その支えとなる存在として……

 そしてそんな神の在り方は、やはり人に対して大いなる救いであるのだと――その後のカヨの姿からは感じさせられるのであります。


 もちろん、時代が変われば、本作で描かれたような人と神の在り方、そしてそこから生まれる、人の望ましき生き方の姿もまた変わっていくのでしょう。
 だとすれば――続く2作で語られるものも確かめなければと、そう感じさせられます。


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カヨが聞いた声 (オオカミのお札)

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