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2020.05.12

須田狗一『慶喜公への斬奸状』 敗者が残したものが生む悲劇と皮肉

 明治43年、小石川で余生を過ごす徳川慶喜が散歩中に暴漢に襲われ、警備員がこれを射殺する事件が発生した。犯人の身元と動機を調べる小石川警察署の小川巡査部長は、男の懐にあった「遥光の斬奸状は天下の愚書である」を手掛かりに捜査を進めるが、次々と意外な事実が判明。さらに第2の殺人が……

 「島田荘司選 第9回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」受賞作でデビューした作者の第2作目は、明治末の徳川慶喜を題材とした歴史ミステリであります。
 徳川慶喜といえば、言うまでもなく徳川幕府第15代、最後の将軍。そしてその慶喜の後世の評価をある意味決定づけているのは、鳥羽伏見の戦の最中に兵を置いて大坂城を脱出、江戸に退却した一件であることは、多くの方が認めるところではないでしょうか。

 本作はその慶喜の大坂脱出を序章として始まり――そしてそれから40年以上の月日が過ぎ、維新の殊勲者たちの多くが亡くなった時代が本編の舞台となります。

 「第一条、皇室を敬戴すべし」と叫ぶ暴漢に慶喜が襲撃され、犯人はその場で慶喜邸の警備員に射殺された事件。しかしこの男が何者なのか、何故慶喜をそれも今襲ったのか、そして男の懐の半紙に書かれていた「遥光の斬奸状は天下の愚書である」とは何を意味するのか――慶喜邸近くの小石川警察署の巡査部長・小川は、多くの謎が存在するこの事件を担当することになります。

 そして男が以前起こした事件から、その名前が広津光二であること、彼が四谷に住んでいたこと突き止めた小川は、広津の家に向かうのですが――そこで小川が見たのは、先に何者かが家に忍び込んだ跡と、広津が残した「遺書」、二十年近く前の新聞の束、さらには一人分の白骨ともう一つの頭蓋骨という、謎めいた品物の数々だったのです。

 しかしそこで何者かに後頭部を殴られた上、遺書を奪われてしまった小川。支援に回されてきた警視庁高等課検閲係の竹内とともにさらに広津の家を調査した小川は、そこで英文の斬奸状、さらには爆薬の材料を発見することになります。
 かつて無政府主義者たちが米国で発行した「ザ・テロリズム」なる明治天皇への斬奸状とよく似た内容の英文の斬奸状。そして小川と竹内が調査を続ける矢先、広津と関わりのあった男が謎めいた死を遂げることに……


 比較的シンプルなホワイダニットから始まりながら、捜査が進むにつれて次々と事件を複雑化させていくような要素が登場し、思いもよらぬ方向へと繋がっていく本作。
 物語の中心となるトリックは、なるほど種が明かされれば比較的シンプルではあるものの、その意外性と使い方の巧みさで、物語を良い具合にかき乱していると感じます。

 しかし何よりも本作を面白く、そして複雑にしているのが、物語の中心となる徳川慶喜公の存在であることは間違いないでしょう。
 幕末あるいは明治の裏面史、表沙汰に出来ない陰の部分を描く――というのは明治ミステリでは定番ではあります。しかしその陰が、明治の始まりの時点で退場した――むしろその退場によって明治が始まった――慶喜にまつわるものというのは、これはかつてなかった趣向ではないでしょうか。

 確かに、冒頭に述べた経緯から、旧幕臣には人気がない、いや恨まれていても不思議ではないのですが、しかし後世の人間からしてみれば既に明治初期の時点で「終わった」人間という印象がある慶喜。
 その慶喜が明治の末年にもなって狙われた謎を解き明かすことが、同時に幕末史の謎の一つを解き明かすことに繋がっていく展開には、歴史ミステリの醍醐味が溢れていると言えるでしょう。
(ここで慶喜の行動があまりにも――という印象もあるのですが、同時にそれこそが本作を成立させているのも巧みなところです)

 そしてまた、その慶喜と並び、本作のタイトルを構成する「斬奸状」という言葉もまた、実に示唆に富んだものと言えます。
 斬奸状とは「悪者を斬り殺すについて、その理由を書いた文書」ですが――しかし悪を除くのにそのような私刑めいた手段を取る時点で、これを持ち出すのは権力を持った側ではない、つまり勝者ではないことは明らかであります。

 その敗者の記した文書が幾つもの悲劇を生み出し、そしてさらに大きな犠牲を生む――そのあまりにも大きな皮肉の存在が、時代と時代の谷間に落ち込んだ多くの人々の姿と重なり、強く印象に残るのです。


 歴史ミステリとしての面白さはもちろんのこと、歴史そのものを見つめる視点のユニークさ、確かさも魅力的な作品であります。


『慶喜公への斬奸状』(須田狗一 光文社) Amazon

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