壱村仁『ふることふひと』第1巻 古事記編纂に挑む不比等=?
壬申の乱の後、一族が没落し、飛鳥浄御原宮で下級役人として働く中臣史。そんな彼に、大海人大王から和文(やまとことば)で史書編纂を行えとの密命が下った。己の名が表に出ることを好まない史は、偽名を名乗り、音仮名による記法を編み出した太安萬侶とともに編纂を始めるが……
『けんえん』の作者コンビによる新作は、なんと「古事記」誕生秘話とも言うべき物語。それも若き日の藤原不比等が主人公という、なかなかユニークな作品であります。
藤原不比等といえば、大化の改新の中臣鎌足の子というサラブレッドであり、藤原氏の祖となった超大物――という印象が強く、フィクションに登場する時もそうした立ち位置のことが多い人物であります。
しかし史実の上で中臣氏は近江朝の有力者であったのが災いして壬申の乱で一時没落、若い頃の不比等は冷飯を食わされていた状態にありました。そして本作の不比等(史)は、そのような立場に置かれ、どこか達観した青年として描かれることになります。
そんな史に大王直々に与えられた大仕事が、史書の編纂――実は壬申の乱の際の混乱で記録が失われ、それを師である田邊史大隅から口伝されていた史に白羽の矢が立ったのであります。
しかし己の血に屈託を抱え、目立つのを好まない史は偽名を名乗ることになります。――語り部の家の名である稗田阿礼と。
え? と思わず言いたくなるような設定ですが(もっとも、不比等=阿礼説は本作が初めてではないはずですが)、さらに大変なのはここから。暗誦はできるものの和文(今でいう万葉仮名)は書けない史は、同僚の太安萬侶は和文に通じていることを偶然知り、彼を仲間に引き入れることになります。
が、偽名を名乗っている状況で自分のことを知っている安萬侶に素顔を晒すわけにもいかず、史は女装して安萬侶の前に現れる羽目になるのであります。しかも安萬侶は「稗田阿礼」に一目惚れ状態になって……
という紹介をすると、かなり砕けた調子に見える本作ですが(そして実際そういう面も多々あるのですが)、しかし本作の中心となる要素の一つは、「阿礼」と安萬侶の問答を通じた「古事記」解釈、というか紹介。
知っているようで意外と知られていない「古事記」の姿を、(もちろん漫画としてのディフォルメはあるものの)比較的ストレートに描くだけでなく、その記法の誕生秘話的なものまで描くとは、正直なところ少々意外でありました。
そしてもう一つの要素は、史と安萬侶の青春群像ドラマであります。
先に述べたように、己の血に屈託を抱き、「父の子」ではない「自分自身」になろうとする史。その結果が女装というのはどうかと思いますが、そのきっかけとなる若者の想い自体は、大いに共感できるところでしょう。
そして一方の安萬侶の方も、壬申の乱では大海人皇子の下で戦った武人・多品治の子でありながらも体が小さく、武の道を諦めて父とは異なる文の道に行こうと決意した若者。
その意味では史と同じ立場にあるのですが――しかし二人の親の世代は壬申の乱での敵同士。安萬侶の父が史の師の子を討ち取っていたりと、いささかややこしい関係にあります。
しかもラストには、史の出自について意外すぎる(これもまあ、ある程度知られた説ではありますが)真実が語られ、この先の若者たちのドラマは、なかなか前途多難な様子です。
作中の異説の扱いや、そもそも「古事記」自体扱い方が難しいものだけに、この先の展開がどうなるのか、色々な意味でドキドキするのですが――まずは他に類を見ない古代ものであることは間違いない作品です。
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