楠桂『鬼切丸伝』第11巻 人と鬼と歴史と、そしてロマンスと
不死身の鬼を唯一斬る力を持つ神器名剣・鬼切丸――その刀を持つ少年が、悠久の時の中で様々な人と鬼と出会う連作シリーズの最新巻であります。この巻は「戦国プリンセス特集」(あとがきより)として、戦国史の陰で泣いた女性たちの姿が描かれることになります。
さて、3つのエピソードで構成されたこの巻の冒頭を飾るのは、土屋惣蔵昌恒と武田勝頼の妻・北条夫人を主人公とした「鬼一本腕千人斬り」であります。
土屋昌恒といえば、武田家が天目山で滅びるその時まで、武田勝頼に仕えた忠臣中の忠臣。勝頼一行を逃がすため途中の崖道に一人残るや、片手で藤蔓に捕まり、残る片手で追っ手千人を斬って落としたという、片手千人斬りの巷説で知られた猛将です。
片や北条夫人は、勝頼のもとに北条家から嫁いだ女性。北条氏康の六女というほかは、その名も伝わっていない女性であります。
史実では家臣と主君の妻、共に天目山で亡くなったという以上の共通項を持たない二人ですが、本作では何と互いに慕いあっていたという設定。
といっても一人政略結婚で武田家に入り、御館の乱で兄・上杉景虎を、夫の優柔不断さもあって失った孤独な婦人――いや年齢的には少女である北条夫人と、彼女の境遇に同情し、護ることを誓った昌恒という、むしろ精神的な結びつきなのですが……
しかし武田家の落日が(あと「信勝くんの家庭の事情」による横恋慕が)二人の運命を狂わせ、そしてそれが鬼を生み出すことになって――という展開のこのエピソード。
本作では、果たして誰が鬼となるのかという点が趣向の一つとなりますが、さてここで鬼になったのは誰であったか――皮肉かつ無惨、そして意外な結末が待つ物語であります。
続く「武田松姫鬼恋情」は、時系列的には前話と重なる部分――というより武田家滅亡を背景とする点で、大きく重なる物語です。
織田信忠と武田松姫――織田ロミオと武田ジュリエットというべき二人の戦国一の悲恋を題材としたこのエピソードですが、ユニークなのは、松姫を幽体離脱体質と設定していることでしょう。
幼い頃、自らの魂を自在に肉体から飛ばして生き霊とする力を持つ松姫。そんなある日、鬼に襲われたところを鬼切丸の少年に救われ、生き霊はいともたやすく鬼と成ると警告された彼女は、以来生き霊を飛ばすのを控えるようになります。
信忠恋しさに幾度かその禁を破った彼女ですが、しかし結ばれる寸前に信忠は二条城の炎に消え、松姫は八王子で信松尼として武田家の遺児たちを護り育てることに。しかし、やがてその彼女の周囲に鬼の影が……
本作では、人は一度鬼となれば人には戻れず、そして鬼はほとんどの場合、鬼切丸の少年に斬られて滅びることになります。言い替えれば、史実上の人物が鬼となれば、そこで歴史から消えるほかないのであります。
しかしここで鬼になると思しき松姫は天寿を全うしたはず――と思いきや、ここで本作ならではの設定が生きてくるのが実に面白い。
そしてそれだけでなく、クライマックスには些か、いや相当に意外な展開が待ち受けており、今回もまた、人の情の皮肉さと強さに、鬼切丸の少年同様に驚かされるのです。
(にしても少年、松姫を煽るだけ煽った後に彼女がとった行動に、呆然と「やっちゃった……」という表情になるのが可笑しい)
そしてラストの「黒百合鬼伝説」は、本能寺の変後の混乱期に、佐々成政が冬の立山佐良峠を越えて家康の元に向かった決死の「さらさら越え」にまつわる因縁譚を題材としたエピソード。
そして題名の元である「黒百合伝説」とは、この出来事の直後、成政が懐妊した最愛の側室・早百合が不義密通し、腹の子も自分の子ではないという噂を信じ、彼女をを吊るし切りにしたという陰惨な伝説のことであります。
後の成政の不遇はこの時の祟りである、ということで、いかにも本作に相応しい(?)因縁譚と感じられますが――しかしそれで終わらないのが本作らしい一捻り。
成政の周囲で起きる怪異を引き起こしていたのは何者か、そして鬼切丸の少年の前に現れたのは――少年の境遇を知っていればなるほど、と頷ける展開は、人の愛の強さを何よりもはっきりと浮き彫りにしているといえるでしょう。
(そして今回もそれに驚く少年の表情が……)
以上、いずれも人の愛の儚さと強さ、皮肉さと哀しさを描いた物語が揃ったこの巻。人と鬼と歴史の物語には、やはり同時にロマンスがよく似合うと、再確認させられた次第です。
『鬼切丸伝』第11巻(楠桂 リイド社SPコミックス) Amazon
関連記事
楠桂『鬼切丸伝』第8巻 意外なコラボ!? そして少年の中に育つ情と想い
楠桂『鬼切丸伝』第9巻 人でいられず、鬼に成れなかった梟雄が見た地獄
楠桂『鬼切丸伝』第10巻 人と鬼を結ぶ想い――異形の愛の物語
| 固定リンク