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2020.06.07

安達智『あおのたつき』第3巻 魂の姿・想いの形と、魂の救い

 浮世と冥土の境に存在する「鎮守の社」の人間として、吉原で迷える魂を導く元遊女の「あお」の姿を描く時代ファンタジーの最新巻であります。死者と生者、人間と人外――様々な魂の姿が、この巻でも描かれることになります。

 生前は三浦屋を盛り上げた名花魁・濃紫と呼ばれながらも、如何なる故にか命を落とし、子供時代の姿となって鎮守の社を訪れたあお。そこで奉公人として雇われた彼女は、何だかんだと文句を言いつつも、迷える魂を導いていくことに……
 という基本設定の本作ですが、鬼の少年・鬼助とともにおつかいに出たあおが、冥土の吉原を見聞する中で、彼女自身の目的としてきたことを振り返る冒頭のエピソード「廓歩き」に続くのが「芥子坊主」であります。

 宮司の楽丸が二日酔いで寝込んでいるところに現れた芥子坊主の人形。亡くなったばかりで気持ちの整理がつかない子供の霊が姿を変えたこの人形を成仏させるため、あおは子供の母親がいるという現世の吉原の遊女屋に向かうことになります。
 しかし遊女屋で子を持つことを許されるのは、妓楼の主人か上級遊女のみ。しかしそのどちらの子でもない芥子坊主は一体何者なのか――何やら様子のおかしい芥子坊主を追いかけて遊女屋に入っていくあおが見たものは……

 あおが童女の姿となっているように、冥土では生前と異なる形となることが大半である魂の姿。それはその魂がかかえた「わだかまり」の現れでもあり、それを解き放つことが本作の主題といえます。
 言い替えればその魂が何故その姿をしているのか、そして本来は如何なる姿なのか――その謎を解くことが、魂を救うことに繋がるわけですが、このエピソードはその一種の謎解きが、最も見事に機能していると感じます。

 そもそも本来は子作りのための行為の場でありながら、子を生むことがほどんどタブーとされている吉原。その吉原で生まれた子とは何者なのか――という謎を追った末に、答えが明らかになった瞬間の驚きと感動は、直前の描写がホラーテイストであっただけに、非常に大きなものがあります。

 これは詳細は伏せさせていただきますが、○○好きの身としては、遊女と○○が想いを繋ぐというそれだけでもう鼻の奥がツンと来る状態。そこに本作ならではの見事にリアルな○○描写が加わって、これで泣かされないわけがありません。
 これはこれで見事な救いと言うべきラストのあおの粋な処し方も相まって、何とも後味の良いエピソードであります。


 一方、本書の後半に途中まで収録された「女郎蜘蛛」は、依頼人が生者――それも遣手婆という、何とも異色なエピソードであります。

 しかもその依頼人が持ち込んだのは、想いを寄せ合う花魁の新造と妓楼の若い衆を引き裂きたいという内容。
 なるほど、遊女屋内での恋愛は厳然たるタブーであり、それを破った者には凄惨な制裁が待ち受けているのが吉原の掟であります。現代の目から見れば当時の吉原の文化・しきたりは不可思議で、理不尽に感じられるものが多々ありますが、その最たるものかもしれません。

 それを何よりも良く知っているあおですが、しかしこの依頼にどこかやりきれないものを感じてしまう彼女の姿に、こちらも共感してしまうのですが――物語は途中から思わぬ方向に急展開。それがあまりに意外な方向かつ、正直に申し上げて何とも嫌悪感を催すものだけに、強烈なインパクトがあります。
(というか今回はどう考えても宮司が迂闊だったとしか)

 しかしここであおたちに突きつけられる一つの答えは、極めて身勝手なものでありつつも、同時にあおの感じたやりきれなさに応えるものでもあります。
 そしてまた、この事態を生んだ人物の想いを、単なる妄執として片付けてよいものなのか――その答えがこの先で描かれることでしょう。そこにやはりある種の「救い」があることを期待しつつ、次の巻を待ちたいと思います。


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