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2020.07.26

諸星大二郎『孔子暗黒伝』 世界と真理との対峙の果てに

 紀元前495年、岐山で周の遺跡に迷い込んだ孔子はそこで赤子を拾い、赤と名付ける。赤こそが天子と信じる孔子だが、赤はインドで奴隷の少年・アスラと出会い、仏陀の導きにより一人の少年ハリ・ハラに生まれ変わる。世界を遍歴するハリ・ハラを待つものは、そして孔子が知る周の真実とは……

 驚くほど多様なジャンルで、唯一無二の世界を描いてきた諸星大二郎の作品世界の中でも、大きな位置を占めるのが中国を舞台とした作品群であります。本作はその中でもごく初期の作品でありつつも、奇想天外かつ壮大で精緻な伝奇世界を描いた名作であります。(以下、内容の詳細にある程度踏み込みますのでご注意下さい)

 さて、本作はタイトルの通り、あの孔子を主人公の一人とする物語ではありますが、しかしそれだけではありません。
 本作は孔子が自らの理想とする古代周王朝の秘密を追う物語を縦軸に、そしてもう一人の主人公である少年・赤(が変じた存在であるハリ・ハラ)の、今でいう中国から東南アジア、さらには日本へと遍歴を続ける姿を横軸に描かれる物語なのであります。

 理想とする周の復活を夢見ながらも、世に受け入れられず、弟子たちとともに放浪する孔子。そして彼が迷い込んだ周の遺跡で発見した、食べても減らない「視肉」を食べて生きのび、天の赤気と共に現れた子供・赤。
 物語はこの二人の視点からの物語が交互に描かれることとなるのですが――時を遡る禁断の術法である反生・反剋の法を追い求めたり、あるいは泰山に眠る「黄帝の器」から驚くべき知識を得たりと、ある意味比較的ストレートな伝奇物語である孔子の物語に対して、赤の物語は、大きく観念的なものとして描かれることになります。

 何しろ、赤は老子に導かれて中国を旅立った末、インドでアスラの血脈に呪われた奴隷階級の少年であり自らの影である少年・アスラと出会い、そして入滅直前の仏陀に導かれ、ブラフマンと対になるアートマンとなるべく、二人で一体の存在であるハリ・ハラ(ヒンズー教でいうヴィシュヌとシヴァが合体した存在)と化して……

 と、文章にまとめると全くわからない(しかし本当にこのままの)展開を経て、二色人というべき姿となった赤改めハリ・ハラ。世界を遍歴し、「神」の顕現とその恵みを求める人々と出会う姿を描く彼の物語は、伝奇的というよりもむしろ神話的・宗教的な性格を色濃く感じさせるのです。

 そしてそんな二人の主人公、二つの性格の物語が諏訪において(直接的ではないにせよ)交錯し、さらにそこから現代にまで至ることによって、物語は世界各地の神話・宗教・思想、果ては現代の宇宙論までも取り入れ、やがて一つの巨大な真理の姿を浮かび上がらせるのですから――これを奇書と言わずして何と言うべきでしょうか。


 そんな本作では、実に作中で約2500年の時の流れが描かれることになるのですが、しかしそれはほんの序の口に過ぎません。何故ならその先には56億7千万年の時が待っているから――そう、本作はもう一つの奇書、あの『暗黒神話』と連関――いや連環を成すのですから!

 本作の前年に、同じ「週刊少年ジャンプ」で連載していた(それ自体が一種の驚異ですが……)いわば前作に当たる『暗黒神話』。
 現代の少年・武が、何者かに導かれるように西日本に点在する古代遺跡を訪れ、自らのアートマンとしての宿命と宇宙の恐るべき秘密を知るこの物語は、なるほど確か本作と重なる要素を持ちます。

 しかしそれ自身が極めて精緻かつ複雑な物語である『暗黒神話』ですが、物語のスケールのわりには物語が日本国内で終始すること、そして「人間」側の視点が希薄に感じられるきらいがなかったとはいえません。
 もちろんこの舞台設定は必然性があるものではあり、「人間」の視点も敵側のキャラクターが担っていたかもしれません。しかし本作はそれを、ハラ・ハリの世界遍歴、彼の後を追いながら果たせぬ孔子の姿を描くことで補ってみせた――そのようにも感じられます。

 少なくとも、全てを知った末に「泰山は崩れんか 梁柱は折れんか 哲人は死なんか!」と叫ぶしかなかった孔子の姿には、自分たちのちっぽけな存在を拒否するかのような世界そのもの――いや真理そのものに対峙してしまった人間の姿が、これ以上なく浮き彫りにされていると言えるでしょう。

 そしてそれこそが孔子の名が本作に冠されている理由の一つであり――そんな彼の姿は、この恐怖すら覚えるほど巨大な物語において、ある種の救いである、と感じてしまうのは、それはそれで人間としての限界なのかもしれませんが……


『孔子暗黒伝』(諸星大二郎 集英社文庫(コミック版)) Amazon

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