« 久正人『ジャバウォッキー』第6-7巻 エジソンと石油と来るべき「明日」と | トップページ | 吉川景都『鬼を飼う』第7巻 大団円 この世界に生きる同じ「いきもの」たちを描く物語 »

2020.07.02

ブラッドリー・ハーパー『探偵コナン・ドイル』 ジャックを生み出したもの、ドイルが生み出したもの

 『緋色の研究』を発表したばかりのコナン・ドイルに前首相から舞い込んできた依頼――それはホワイトチャペルを騒がす連続殺人事件の調査に関するものだった。ホームズのモデルである恩師ベル博士、現場に詳しい男装の女性作家マーガレットとともに、「切り裂きジャック」に挑むドイルだが……

 歴史上の実在の人物が探偵役となって事件に挑む、いわゆる有名人探偵ものは枚挙に暇がありませんが、史上最も有名な探偵の生みの親であるコナン・ドイルも、幾度かそうした物語の主人公として(あるいは登場人物として)顔を見せています。
 この非常にストレートな訳題の本作も、もちろんそんな作品の一つ。そして本作でドイルが挑むのは、ホームズ自身が幾度もパスティーシュの中で対決している史上最も有名な殺人鬼・切り裂きジャックなのですから、期待するなという方が無理でしょう。


 初のホームズ譚『緋色の研究』を発表したものの、この先も犯罪小説を書くことに躊躇いを感じていたドイル。そんな彼のもとに舞い込んだのは、前首相グラッドストーンからのロンドンへの招待状でありました。
 内容を示さぬ依頼に興味を抱いたドイルの前に現れたのは、グラッドストーンの個人秘書・ウィルキンズ。かねてよりホワイトチャペルでの慈善活動に力を入れてきた前首相は、近頃連続する残忍な売春婦殺しに心を痛め、科学的な推理によって事件を解決する小説を執筆したドイルに白羽の矢を立てたというのです。

 到底自分の手には負えないと思いつつ、断る口実に、自分の恩師でありホームズのモデルでもあるジョゼフ・ベル博士も一緒ならばと条件をつけたドイルですが、しかしベル博士はあっさりと受諾。
 そしてもう一人、案内人としてホワイトチャペルに住み、貧民の生活に詳しい男装の女性作家マーガレット・ハークネスを仲間に加えた三人は、後に「切り裂きジャック」と呼ばれる殺人鬼を追うことになるのですが……


 というわけで、ドイル自身は「探偵」というよりむしろその助手――すなわちワトスン役を務め、上に述べたとおりホームズのモデルであるベルが探偵役となる本作。そこに実在の作家(恥ずかしながら本作を読むまで存じ上げなかったのですが……)であるマーガレットが加わり、個性的な「三銃士」の冒険が繰り広げられることになります。

 しかし切り裂きジャックとその殺人については――何よりもその最大の謎が未解決ではあるものの――かなり詳細に記録が残され、研究が進んでいます。
 そのために、ジャックの二度目の犯行後から最後の犯行までと並行して展開していく本作においては、大きくフィクションとして膨らませるのは難しい部分があるのも事実であります。

 その点に対して本作は、事件そのものだけではなく、事件の舞台となった土地を、そしてそこに生きた人々と、事件が起こした波紋を、丹念に描くことによって応えていくことになります。
 それはややもすれば事件の背景事情や周辺部分として扱われがちなものといえるかもしれません。しかし本作を読み進めていくうちに、それを知ることが、切り裂きジャックの殺人を理解する上で不可欠であり――そして何が切り裂きジャックという存在を生み出したかの答えでもあるように感じられます。

 もちろん、ジャックは言ってみれば一人の快楽殺人者に過ぎないのでしょう。しかし、その彼に犠牲者を与え、育て上げ、そして跳梁を許してきた要因が確かに存在するのであり――本作でドイルが追うのはジャックだけでなく、その要因の存在なのです。
 そしてその存在を――「最暗黒のロンドン」の姿を最もよく知るマーガレットが、本作において単なる「ヒロイン」にとどまらない、大きな位置を占めるのも実に納得できるのであります。


 そしてまた驚かされるのは、性別・人種・職業に対する差別をはじめとして、ここに描かれたものたちが、まさに現代の、今我々の暮らすこの時代のニュースに連日姿を見せるものであることであります。
 これには大いに暗澹たる気持ちにさせられるというほかないのですが――しかしその中で、本作は一つの希望を描くのです。

 本作の舞台となるのは、ホームズ譚第一作目の『緋色の研究』と第二作目の『四つの署名』の間の時代であります。そこでドイルが見たものが、その後の彼にどのような影響を与えたのか――言い替えればそこから何が生み出され、そこに何が込められているのか?
 結末で描かれるそれを目にした時、本作を手に取るような方であれば、必ずや胸を熱くすることでしょう。人間悪が、社会の腐敗が存在したとしても、それを許さず、戦いを挑む者が確かに存在する――それを本作は高らかに謳い上げてみせるのですから。


『探偵コナン・ドイル』(ブラッドリー・ハーパー ハヤカワ・ポケット・ミステリ) Amazon

|

« 久正人『ジャバウォッキー』第6-7巻 エジソンと石油と来るべき「明日」と | トップページ | 吉川景都『鬼を飼う』第7巻 大団円 この世界に生きる同じ「いきもの」たちを描く物語 »