張六郎『千年狐 干宝「捜神記」より』第4巻 妖狐、冥府に「魂」の在不在、滅不滅を問う
千年の齢を経た妖狐・廣天を巡る物語もいよいよクライマックス。母の親友であり、そして今なぜか自分を狙う妖狐・阿紫と、廣天の対峙の時がいよいよ訪れます。阿紫の真意はどこにあるのか、そして阿紫に対する廣天の行動は――ここに一つの物語の終わりが描かれることになります。
古代中国の怪談集『捜神記』を題材としたオムニバスとしてこれまで描かれてきた本作。いや、オムニバスに見えたものは、やがて千年狐・廣天を中心にして緩やかに――そして気がつけば強固に結びつき、一つの物語を織り成していました。
そしてその中心に居るのが廣天と、阿紫――時の皇帝を惑わして妖怪狩りを行い、廣天を捕らえようとした彼女は、しかし幼い頃から廣天を育ててきた母代わり。そんな阿紫が何故――と、その真意を求めて旅に出た廣天と神木(の成れの果て)は、やがて阿紫と自分の母の過去を知るネズミの俔から、自分の誕生と母の死の様を聞くことになります。
そして阿紫に会うことを決意した廣天は、見鬼の力を持つ小悪党の少年・宋定伯、そして神木(とあともう一人)とともに、冥府に向かうのですが……
というわけでついに廣天と阿紫の対峙に集約されることとなった物語。その舞台となるのが冥府というのは、阿紫が潜むのが彼の地であることを考えれば当然ではありますが、その他にも阿紫の旧知の存在である冥府大帝、冥府の役人である渾沌と周式、そしてまた、そもそも冥府に在るはずの鬼(幽魂)を見てしまう定伯と――冥府に縁を持つ登場人物が多かったことに今更ながらに気付かされます。
そしてこの巻で描かれるのは、その廣天あるいは定伯を通じての、死後の魂を集める冥府の仕組み――いや、そもそもの人の死と魂の概念への再度の問いかけであります。すなわち、これまで物語の中で、いやそれを読む我々にとって自明のものとして扱われてきたそれに如何なる意味があるのか、そして何よりもそれは本当に正しいのか――と。
そしてその問いかけは冥府の役人たちだけでなく、大妖たる阿紫に対してすら行われるのです。死者に魂はあるのか。死後に魂はどこに行くのか、という形で……
いや、それを冥府で問うのか、と逆に問いたくなるのも事実であります。むしろそれ以前に、本作ってそんなシリアスな作品だったっけ……? とも。
しかしこの物語を――廣天と阿紫の物語を締めくくるのにそれは必要不可欠なものであることは、物語が進むにつれて明らかになっていくことになります。この巻で唯一、廣天の物語とは直接関わらない「武帝、李夫人の魂に会う事」のエピソードもまた。
そう、ここで描かれるのは、「魂」の在非在、滅不滅を問いかけることを通じた、ある人物の「魂」の救済の物語なのですから。
と、大いにシリアスかつ深遠な物語が展開されるこの巻ではありますが――しかしその語り口はあくまでも呑気でユーモラスであり、そしてここぞというところでとんでもないギャグを突っ込んでくることには変わりはありません。
特に物語の最大のクライマックスにおいて、えっここであのキャラクターが!? と一瞬グッと来させておいて――次の瞬間に盛大に脱力させるという展開には、これはもうやられた! と天を仰ぐしかないのであります。
(しかし物語的にはそれで整合性があり、そしてそれはそれで泣かせるというのもまた心憎い!)
考えてみれば、最近はちょっと迷ったり悩んだりする姿も見られたものの、基本的に廣天は人を悩ませ、化かし、振り回す存在。そんな廣天の真骨頂を――そしてその陰にある彼女の素顔を、この巻では存分に見せていただいたと感じます。
そんなわけで物語は一つの結末を迎えたわけですが、この『千年狐』という物語自体はまだまだ続く模様であります。
それではこの先の展開は――と思いきや、思わず目を疑うような予告が掲載されているのですが、さてそれが本当であるかも油断ならないのが本作。その真偽は、この先自分の目で確かめるとしましょう。
しかしどんな展開であろうとも、そこで描かれるのは、たっぷりの笑いと、ちょっぴりの涙を交えた、世界を異にする者同士の関わりと繋りの物語であることは間違いない――そう信じてもよいのではないか、と私は思っている次第です。
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