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2020.08.21

川原正敏『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第16巻 強面刺青男の中の「士」

 好事魔多しとはまさにこのことか、項羽不在の彭城を奪ったものの、劉邦以下のやらかしによって、文字通り歴史に残る大敗北を喫してしまった漢軍。張良の策によって辛うじて脱出を図ったものの、劉邦の受難は続きます。そんな中、張良の起死回生の策とは……

 韓信に続き陳平を得て、快進撃を続ける劉邦。張良の鬼謀によって楚の諸将の動きを封じ、項羽不在の彭城を見事奪取した劉邦ですが――張良が体調不良で床に伏した間に調子に乗りまくった劉邦と配下たちは、怒りに燃える項羽に散々に蹴散らされ、「五十六万が三万に蹴散らされる」「十万の死者で川の水がせき止められる」と、ある意味冗談のような敗北を喫するのでした。

 それでも張良の策と、窮奇の武が奇跡を起こしたか、時ならぬ嵐に紛れて劉邦は辛うじてその場を逃れることに成功したのですが、まだまだ追っ手は諦めません。
 ここで誰もが思い出すのは、逃げるために自分の子二人を馬車から(しかも三度)蹴り落としたという、歴史に残る劉邦の人非人ムーブ。それを本作がどう描くかと思えば――直球ながらも、劉邦と夏侯嬰のやりとりをすっとぼけたムードで描くことにより、陰惨さを中和したものとなっているのは、さすがと言うべきでしょうか。

 さすがと言えば、嵐によって劉邦を取り逃がした項羽が、
「天よ・・お前も己を怖れるか」「己の敵は劉邦ではない・・・・天だと云う事」
とご満悦になったのが劉邦を助けるという、一歩間違えればギャグになりかねない姿も、きっちり格好良く描かれているのも必見であります。


 さて、そんなこんなで九死に一生を得、さらに諸将も健在だった劉邦ですが、しかし五十六万で三万に! というあまりに恥ずかしい敗北は諸王の離反を招き、項羽包囲網と言うべき戦線は崩壊することになります。
 このままでは各個撃破されるのみ――という状況でまたもや発揮されるのは、張良の神算鬼謀であります。ここで彼が起死回生の策として挙げるのは、九江王黥布を味方につけること……

 というわけでこの巻のメインとなるのは、黥布説得のくだり。史実では、劉邦配下の随何なる儒者が決死の思いで黥布のもとを訪れ、迷う黥布の前で楚の使者相手に大芝居を打った――ということなのですが、ここでその陰で黄石と窮奇の活躍があった、というのが本作ならではのアレンジであります。

 黥布といえば顔に刺青を入れられた、いかにも暴力一筋の強面。それだけにむしろ力の差に敏感な彼が、項羽優勢な状況で儒者の言葉で劉邦に下るというのは、なるほどいささか信じがたいものがあります。
 そこを埋めるためにこの二人の登場となるわけですが――いかに黥布初登場時の因縁があるとはいえ、基本的に張良とトリオで行動してきたこの二人、特に黄石が張良と離れてどのように黥布を説得するのか?

 と思えば、これがまたこうきたか、という展開。いささか格好良すぎる展開かもしれませんが、周囲から「項羽の犬」「汚れ役」と見られている自分を痛いほど感じていた黥布を動かしたものが、知略でも暴力でもなかったこと――そしてそこで彼もまた一人の「士」であったことを(人の真価を見抜く力を持つ黄石を通じて)描いてみせた展開には脱帽であります。


 そして終盤では、静かに、しかし大きく動き出した状況を背景に、劉邦の再起戦が描かれることになります。
 張良の大計によって項羽の出陣を封じ、そして項羽なき楚軍を韓信が迎え撃つ――漢にとっては最高の勝ちパターンではありますが、それだけに絶対落とせないこの一戦の行方は、という実にイイところでこの巻は引きとなります。


『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』第16巻(川原正敏 講談社月刊少年マガジンコミックス) Amazon

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