戸部新十郎『秘剣龍牙』(その一)
名手・戸部新十郎が、虚実様々な剣豪の操る秘剣を切れ味鋭く描いた『秘剣』シリーズの一冊であり、光文社文庫から『秘剣水鏡』に続き復刊された『秘剣龍牙』。全七編収録された作品を、一編ずつ紹介いたします。
『睡猫』
山本勘助道鬼に育てられ、新当流の腕を買われて今川氏真に仕えることとなった甚九郎。そこで同じ道鬼の下で育ちながら松平家の陪臣となった源十郎と出会った甚九郎は、一方的に敵意を燃やす相手に勝負を挑まれ……
冒頭に収められたのは、本作唯一の戦国時代が舞台の作品。勘介が孤児たちを引き取り、時にスパイのような形で世に送り出していた――という長編に出来そうな設定を背景に描かれる本作は、縦軸に新当流の奥義「すいびょう」を伝授された甚九郎と、同門の源十郎の対決を描くことになります。
一方の横軸は、甚九郎が仕える氏真の存在なのですが――氏真が、父を信長に討たれながらも蹴鞠に現を抜かす人物として描かれると同時に、戦国大名としての一種の現実主義を体現した存在として捉えられているのが、実に興味深く感じられます。
そしてこの縦軸と横軸が思わぬ形で交差するクライマックスに驚き、その後を描く結末にどこかホッとさせられるのであります。
『浮舟』
富山神通川の舟橋で、禁止された馬での乗り打ちを行い、斬られた青年。彼がかつて前田家に仕え、奇矯な言動で知られた男・山田八右衛門の息子であることを知った富田重政は、それ以来、挑発的に舟橋に姿を見せる八右衛門に挑むことに……
『秘剣』シリーズのほとんど常連である前田家と中条流(富田重政)が登場する本作は、しかし彼と対峙する武士の方が主人公というべき作品であります。
戦国から江戸時代への移り変わりの時期、運の悪さと自分の性格から成功者になれず、転落した末に、かつて(勝手に)ライバル視していた重政に挑む――そんな八右衛門のキャラクターは、シリーズにもしばしば登場する、決して勝者になれなかった武芸者の一人であります。
だからこそシリーズの主人公格である重政の対比が、何とも重いものを残すのであり――「一人で勝手に七転八倒し、喚き散らしていた」という作中の評が最も相応しい彼の生き様のもの悲しさが強く印象に残る作品です。
『燕飛』
柳生新陰流直門の人間が二人、何者かに斬られた――いずれも右眼窩から首まで断ち割られた傷から、相手が単なる辻斬りではないと断じた宗矩は、村田与三と共に下手人と秘剣の正体を追うものの……
中条流の富田一門と並び、シリーズの常連である柳生新陰流と柳生宗矩が中心となる本作。本シリーズでは悪役的位置づけが(特に後になるにつれ)多い柳生ですが、ここでは謎の敵に付け狙われることとなります。
そこで思い当たる敵が多すぎるという宗矩がちょっと可笑しいのですが――小野次郎右衛門、柳生十兵衛まで登場して賑やかな作品であるものの、些か敵の正体は軽めであったかもしれません。『秘剣水鏡』の『水月』にも通じる十兵衛像は印象に残りますが……
(しかし、このパターンは幕屋大休の仕業に違いない! と思ったら、既に『秘剣水鏡』の『大休』があったのでした)
『陽炎』
細川忠利の下で異様な技を見せると評判の松山主水。秘剣・心ノ一法で小野忠常までも破った松山主水の正体を追う忠常の家宰・典馬は主水の意外な過去を知ることに……
秘剣を扱う作品において、かなりの率で登場する男・松山主水。いわゆる瞬間催眠術と解される心ノ一法など、妖しい逸話に事欠かない人物ですが、本作はその主水の正体を巡って物語が展開することになります。
これはおそらく本作独自の設定かと思いますが、意外にも加賀の富田一門が絡み(加えて武蔵絡みで意外な人物まで)、さらに島原の乱まで――と、時代伝奇小説の名手でもある作者の一面が盛り込まれた物語であります。
さて、この怪剣士に挑むのが、身分は低く、周囲にもその剣才を知られない老人というのがまた面白い(『燕飛』に登場した村田与三との交流も楽しい)のですが、結末はさすがに意外すぎたように思います。
『水鏡』にもあるように、妖剣を操る者=魔性の者、という解釈なのかもしれませんが……
残る三編は次回ご紹介いたします。
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